黒龍隊の挽歌 第二話

平和な戦場、猿之門



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 亜細亜連邦北部方面軍轄区、アルダン高原。ロシア領でいうと極東地域に近い。身を切るような寒さと吹きすさぶ風のなかに、少数の地上部隊が展開していた。

 偵察車輛、自走式対空砲に混じって三機の機兵(ロン)」も見受けられるが、連邦きっての特殊部隊との名を上げつつある外廓聯(がいかくれん)とはまったく別の部隊であることが、その純粋な迷彩カラーリングから見て取れる。だいいち、外廓聯はかなりの特殊編成部隊で、正面戦力の八割を機兵が占めるほどである。車輛部隊の多さからもその可能性は否定できる。おそらくは西方の戦線から転戦して来たのだろう。その機体には各所に激戦を忍ばせる傷が刻まれていた。

「接触予定時刻まで、あと六〇!」

「レーダーに反応! 方位三四七、やや北より。巡航速度です」

バルムンクフィールド、探知できません」

「機影三。報告より二機少ないです」

「迎撃を予想していないのか? 連中め、完全になめきってるな」

 龍のコクピット内で、矢継ぎ早になされる報告を聞きながら、小隊長らしき青年士官が呟(つぶや)いた。

「敵機、三方に散開! それぞれ飛行速度に大きな差が見られます」

「確認。正面の機影が最も多数で且(か)つ高速です。数を再確認します。――な、小隊長、機影が増えています!」

「攻撃優先度に変更無しだ。正面の輸送機だけを狙え。他はかまうな。安心しろ、反撃は殆(ほとん)どないだろう。それよりは、速度変化による接触時刻の変化に気をつけろ」

 仲間を落ち着かせるように言うと、自分にもそのとおりに言い聞かせ、取り付けて間もない対空兼長距離射撃用のオプション式照準ディスプレイを睨(にら)みつける。彼とて、不安なのだ。

「各機、照準補正よろし」

「敵機、加速しました! 相対バルムンク反応感知、レベルBマイナス。接触まであと一五!」

「敵機より熱源反応! 三……、いや、四です! 空対地誘導弾と思われます!」

「無視だ、無視!――第一射、撃てぇ!」

 一斉に咆哮する銃火器。放たれた弾丸が虚空へと消え去る。すれ違いに向かってきた誘導弾が車輛部隊を抜け、後方の龍をかすめて飛び去る。

「くっ……。接触まで八! 敵機、見えました!」

 彼らの正面に、真っ向から飛来する巨大な影。航空機とも思えぬ、奇怪な形状である。あたかも、鳥のような。

「第二射! 逃がすなよ!」

「照準が合いません!」

「そんなのはいい、目で狙え!」

 第一射に勝る勢いで銃口が吠える。確実に正面より向かってくる敵機に命中する……はずであった。

「な……、馬鹿な!?」

 輸送機は鳥のように翼を広げると、急激に、それこそ重力を無視したかのように上昇し、彼らの頭上を悠然と飛び越えた。追って、凄まじい衝撃波が彼らを襲う。龍の機体が、そして電装機器が、それに伴う特殊フィールドにより悲鳴をあげる。

 衝撃に耐えつつ、翻(ひるがえ)ってなおもライフルを構える龍であったが、その両眼に映ったのは、地平線の彼方へと飛び去る影であった。もはや、追撃することはかなわない。

「あれがマスディレクタ、か……。また逃がしちまった。参るよなぁ、まったく」



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 二〇二二年十二月。

 カスピ海の東側一帯を制圧され、啓示軍(オフェンバーレナ)がイランルートの輸送路を確保したのが二ヵ月前。それ以降、啓示軍の散発的な強襲作戦はかなりエスカレートしていた。

 イランは啓示軍と不可侵条約を結んでいたが、実は啓示軍の庭先と化している。そのことは、以前から亜連やアメリカの諜報機関が上申していたことで、特に驚くことではなかった。対啓示軍連合が驚いたのは、イランルートの確保による啓示軍の進出拡大のペースが予想をはるかに上回っていたことだ。南方だけでなく北方でも啓示軍は勢いを強め、シベリア鉄道への攻撃や、はるかに遠い日本へのピンポイント攻撃も稀ではなくなった。

 外廓聯も善戦はしていたが、いかんせん正規軍の陸軍力が低すぎた。開戦から時を経ずして、亜連の欧州方面軍、及び西部方面軍は、その陸軍力の半数以上を失っていたのである。緒戦でモスクワやサンクトペテルブルクなどの中枢都市を攻略された欧州方面軍は、ウラル山脈以東の北部方面軍轄区にその活動を拠り、西部方面軍も予想以上の敵戦力の前に重要な穀倉地帯を放棄して撤退せざるを得なかった。また、北部方面軍や南部方面軍も主要な陸路を遮断され自由に身動きがとれない。

 だが、亜細亜連邦軍はぎりぎりで持ちこたえていた。やはり地の利である。快進撃を続けていた啓示軍も、北方でエカテリンブルクを射程に捉え、南方でアラル海に達してからは、新たな動きを見せていない。

 しかし、輸送爆撃機フリューゲイルと機兵による空襲だけでも、亜連にはじゅうぶんな脅威であった。こと、機兵による強襲に対しては、機兵の保有数の少ない亜連は殆ど無力であり、主要拠点周辺で大規模バロッグが発生すれば、すぐさま警報が発令されるほどである。

 それは日本においても例外ではなくなってきた。筑波に啓示軍の機兵部隊が強襲をかけてきた一件のせいである。このとき啓示軍は虎の子の“人形”、ことノイエトーターを投入。亜細亜連邦軍はちょうど現地でテスト中だった龍王壱番機をぶつけてようやくこれを撃退することに成功した。その後、同じ規模での攻撃はないが、日本に機兵がほとんど配備されていない以上、再度あれば迎撃は難しい。黒龍隊が日本に編成されたのは、そういう背景もあったのである。


*   *   *   *   *


「とまあ、現状はこんなものだ」

 黒龍隊隊長、江藤博照はやっと長い話に区切りをつけた。途中で何度も脱線したのでここまで来るのにだいぶかかった。

 ここは作戦室。猿之門基地にある某施設の某区画である。つくりや設備は豪華なもので、数台の軍仕様新型デスクトップパソコンにサーバー、卓上演習用の豪勢な多機能テーブルも部屋の真ん中に据えられている。壁には大型のデジタルビデオ装置のディスプレイも備え、これはスクリーンなどとしても使える逸品だ。この広くて豪奢(ごうしゃ)な部屋は連隊用の施設だが、今ここに集められているのは第四機兵大隊の面々だけで、連隊所属のほかの部隊は来ていない。

「俺は連隊長としては飾りだからな。書類なんかの手続きだけ世話してやればいい、と、そういう話だ」

 江藤は最初にそう説明しておいた。

 今日は十二月八日。隊長二日目である。

 初日は早速部下のパイロットの腕を見ようとしたのだが、途中で副隊長に邪魔された。それでもある程度は得るところがあり、また、その後に過去三日間のシミュレーションの記録も入念にチェックしたので、ひとつの結論には至っていた。

「お前たちは弱い。実戦では使い物にならん」

 前列に座らせていたパイロット組を見据えて、江藤はそう断言した。むっとする者、唇を噛む者、馬耳東風に聞き流している者、反応は様々だ。

「とはいえ、最初は皆そんなものだ。俺がビシバシ鍛えてやるから感謝しろ」

 そう言って江藤は部下を安心させたつもりになると、目配せで発言権を北嶋に譲る。意を解した北嶋は、横に下がった江藤の代わりに隊員らの正面に立った。

「今日から実機を外に出して訓練を行う。龍や基地設備を壊さないように、各自じゅうぶん注意してもらいたい。まあ、故障の有無にかかわらず整備班も忙しくなるから、そのつもりでいてくれ。それから今日は雷紫電の受け取りもあるから、格納庫のスペースを空けておくのを忘れないように。――整備班はもう解散していいか、江藤? 毎度毎度シミュレーションの反省会に出る必要もないだろう」

「ああ、かまわん」

「では、整備班はこのまま格納庫に集合。五番整備台の設置を今日中に終えるぞ」

 三十人ほどの整備班を引き連れて、北嶋は退室した。残された者のうち、江藤以外の全員が落胆の色をあらわにする。

「よし、みっちり行こうか」

 上機嫌でコンピュータの操作盤をいじりはじめた江藤は、さっそく初日のシミュレーション戦の記録を読み出し、リプレイをかける。

 その後四時間にわたって説教と特別訓練が続くことになることを、犠牲者たちはまだ知らない。



- 3 -


 その日の昼過ぎ。

 空腹と疲労に蝕まれた若者八人が、作戦室から吐き出された。

「何様だってんだよ、あの大男」

 鷹山が悪態をつく。これだけのされれば無理もない。体の節々は痛むし、まだ目も回っているようだ。いちいちすべての階に止まるエレベータに乗っているような感じもする。

「あのおっさんは同じ訓練メニューに耐えられるのかよ」

「絶対無理だ」

「だいたいあいつ、昔だったら体格規定で引っかかって入隊できてないって。絶対」

 口々に非難の言葉をこしらえつつ、八人の歩みは迷うことなく食堂に向かっている。

「これから毎日ああやってしごかれるのか」

 南田が肩を落とす。

「それは御免こうむりたいね」

「でも、何言ったって聞かないだろ。あの勘違いオヤジは」

「隊長に勝つってのはどうよ」

 それまで愚痴を言うほどの気力も残していなかった朝井が提案した。が、誰も頷かない。

「無理だ。俺と坂元で組んでかかっても勝てない」

 鷹山が自信たっぷりに敗北宣言をする。

「それにサシで勝たなきゃ意味がないだろ」

 南田がそれにつっこむ。

「為す術なしか」

「いや、待て」

 坂元がそう言って立ち止まった。残りの者も、歩みを止めてふりかえる。

「あの化け物にもなにか弱みくらいあるはずだ。それを探ろう」

 七人が見たのは、決意に満ちた坂元の顔だった。

「弱みを握って、そいつを抑止力にする」

 ぐいっと拳に力を込める坂元。七人も声を上げて沸き立つ。

「ネタが最低ひとつあることはわかってるもんな、北嶋大尉の件で」

 鷹山がしきりに頷く。思えば、北嶋が江藤と知り合いだったという点にばかり驚いて、江藤に弱みがあるという重要な点はすっかり忘れかかっていた。

「名案だが、どうやって」

 南田が疑問を口にした。

「隊長の部屋を見張る」

 誰かの声がした。南田が相槌を打つ。

「それ面白いな。弱みとなるものが見つからなくても、少佐の好みとかがわかればゴマをすれる。――って、今しゃべったの誰だ?」

「俺じゃないよ」

「俺でもない」

群山だよ、ほら」

 峰國がひとりを指差してそう言った。名は群山信。無口な男で、まだ声では彼とわからなかった。見ると、南田の問いに反応してか小さく手を上げている。だが、朝井が横にどくまで南田の位置からそれは見えなかった。つくづく自己主張のない男で、影が薄い。南田が最後に覚えたパイロット仲間が群山であるのも当然の結果だ。

「よーし、ひとすじの光明が差し込んできた感じだ」

 八人はいくらか元気を取り戻し、食堂で補給を受けつつ作戦策定の詰めを行うのであった。



- 4 -


 夜が来た。夕方の実機訓練を耐え忍んだパイロットたちは、夕食時に完成させたプログラムに基づき行動を開始していた。

「大丈夫だな鷹山?」

「ああ、任せろよ」

 廊下の丁字路の陰に隠れる坂元と鷹山。時おり首を出して窺う先には、江藤の執務室がある。

「その髪が目立つから、心配なんだ」

「うっせ。さっさとお前は外に回れよ」

「じゃ、任せるからな。ヘマすんなよ」

「そっちこそ」

 坂元はその場を離れ、階段を下りていく。外に出て、執務室の様子を窓から観測するためだ。誰かに見つかって怪しまれるといけないので、外からの監視には二人を配置。すでに外には朝井が待機している。

 鷹山の役目は、執務室にいる江藤が出て行ったり、誰かが会いに来たりしないかを見張ること。更に、うまいこと江藤が施錠せずに部屋を出るようなことがあれば、鷹山が部屋に侵入することになっている。そのバックアップのため峰國が近くに隠れているはずだが、どこに隠れているのか鷹山もわからない。直前に打ち合わせがしたくなって声をかけたのだが、出てこなかったのだ。坂元がいなくなってみると、峰國が本当にスタンバイしてくれているのか、鷹山はだんだん不安になってきた。

 思えばあのとき、「待機」のくじを引いていれば楽だったのに。鷹山は運のなさを呪った。兵舎を皆で留守にすれば疑念を抱かれかねないので、三人ほど部屋で待機しているのだ。今頃はトランプにでも興じているに違いない。この寒いのに外で見張りをやっている坂元や朝井も気の毒だが、よりによって峰國をバックアップにつけられた自分もかなりかわいそうだ。ちなみに、残るひとりは江藤の私室の調査に向かっている。

「責任重大だぜ、こりゃ」

 鷹山は単独でも任務を全うしようと腹をくくった。

 潜むこと十五分ほど。わりと早くに変化があった。鷹山とは反対側の廊下から、誰かが歩いてきた。整備班の使うつなぎを着ているようだ。整備班はこの件にはノータッチなので、まったくの偶然である。

「隊長ぉ、隊長ぉ、いますかぁ」

 つなぎ姿の男は江藤の執務室のインターホンを鳴らすと、そう呼びかけた。

 矢俣だ。鷹山は声を聞いてすぐわかった。就寝前の限られた自由時間だというのに、わざわざ何をしに来たのか。

「班長が呼んで……、あ、いえ、北嶋大尉がお呼びです。第二大格納庫にお越しくださるようにと」

 今まで聞いたことのない丁寧な矢俣の物言いに、少なからず鷹山は面食らった。が、しかし。驚いたのは矢俣の敬語にだけではない。これで江藤が外に出るではないか。鷹山は、江藤が施錠せずに出て行くように一心不乱に願った。

「はっ、細かいことは聞いておりません。とにかくお越しいただくようにと」

 矢俣がインターホンに答えている。江藤がそれに対してまた何か言っているようだが、さすがにインターホンを通すと音質が低下しているので、鷹山の潜む場所からは内容まで聞き取れない。

 ややあって、とうとう江藤が部屋から出てきた。小脇に抱えたものはノートパソコンだろう。ケースには入れていない。素のまま畳んで左脇に挟み、空いた右手で矢俣の肩をぽんぽん叩いた。

「at homeに行こうではないか、矢俣。そんなしゃちほこばった物言いは、ここでは使うな。ぬはははは」

 江藤は愛想笑いを浮かべる矢俣の肩を抱きこむようにしてターンさせ、そのまま歩き出した。鷹山は二人の背中を見ながら、もとい、江藤の背中を見つつその向こうにあるはずの矢俣の背中を想像しながら、人知れずガッツポーズをとった。

「ナイス矢俣!」

 小声でそう漏らさずにはいられなかった。江藤は、見事に鍵をかけ忘れたのだ。

 はやる気持ちを抑え、鷹山は二人が角を曲がってしまうまで待った。それから小声で峰國を呼んでみたが、返事は聞こえない。しかたなく、鷹山は単身、江藤の執務室に侵入した。

 鷹山はそっと後ろ手にドアを閉め、そして初めて、暗闇でろくに室内の様子がわからないという問題にぶつかった。せっかくなら電気もつけたまま行って欲しかったと、そう思った。

「しかたないか」

 鷹山は懐からペンライトを探り出し、それで室内を照らした。まず窓の位置を確かめて、ブラインドが下りているのを見てほっとする。同時に笑いもこみ上げてきた。窓がブラインドで塞がれていては、坂元と朝井はくたびれ損のなんとやら、というやつである。

 改めて室内を照らし出す。まだ梱包されたままの荷物がいくつも無造作に積んであるようだが、ペンライトの光では詳細はわからない。ひとつひとつ照らしてチェックしたところで、どうせ江藤の弱みとなりそうな物は入っていないだろう。それよりは、と、鷹山は個人的に予想していたアイテムを探しはじめる。

「絶対持ち込んでるはずだ、あのオッサン」

 顔のむさくるしい太いオッサンでしかも金がある男といえば、趣味の相場は決まっている。違法な書籍なり映像なりが秘蔵されているに違いないのだと、鷹山はそう踏んでいた。ちょっといかれた感じもするので、もしかすると麻薬なども所持しているかもしれない。偏見だが、一度決めこんだらそうと信じて疑わないのが鷹山諒真だった。

 まず本棚を見た。いくらか本が並んでいる。そのタイトルをざっと見渡し、所望の物がなかったので、後ろに隠れていないか探る。掃除の人が置き忘れたらしいハタキがあったが、他には何もない。

「ちっ、ないか」

 机の引き出しを開けてみた。ひとつは鍵がかかっていて、その下の段に何かの資料が束になって収まっていた。見ると、自分たちの身上書だった。他人の身上書に対する興味がわいてきたが、それは堪えて残りを調べる。虚しくも、すべて空だった。

「まだ持ち込んでないのかもしれないな」

 証拠がないのを自説の否定材料とは解釈せず、鷹山は別の調査に移る。南田の言っていた、ゴマをするためのデータ収集である。マグカップなどの私物が見つけられれば、それの絵柄などから趣味趣向が推測できる。鷹山は思い切って部屋の灯りをつけてしまいたい衝動と戦いつつ、ペンライトでくまなく机の上をチェックする。マグカップではないが湯飲みがあった。念のため手にとって調べようとしたところ、湯飲みに触れる前に、カサカサと、何かが擦れるような音がした。

「なんだ、今の音」

 机の下だろうか。鷹山は音源を探るべく、椅子のほうに回り込んで、江藤が足元に置いているダンボールの類を発見した。しゃがみこんでそれに手を伸ばす。封は開いていた。無造作にそれを開けてみようとしたそのとき、鷹山は後ろから肩を叩かれた。全身の毛穴が収縮するのを感じながら、咄嗟(とっさ)にふりむく。

「り、李かよ。おどかすな」

 そこに立っていたのは李峰國だった。本当にどこかに隠れていたらしい。

「隊長が戻って来る。早く出よう」

 江藤が鍵の閉め忘れに気づいたのだろう。鷹山は事情を察すると、峰國とともにそそくさと部屋から脱出した。



- 5 -


「じゃあ結局、収穫なしってことか」

 南田は自分に配られたトランプのカードを見ながらそう言った。五枚ある中に絵札は一枚、ダイヤのクイーンだけ。

「こりゃまずいかな」

 思わず呟いてしまった。はっとして他の面々に顔を向けると、坂元と目があった。

「そりゃまずいだろ。八人で切り札は」

 坂元が呆れ顔で南田を見ている。

「場札も十四枚しか残ってないし、なによりな、この部屋に八人は厳しい」

 南田と峰國の部屋に、パイロット全員が集まっているのである。坂元があえぐのも無理はない。

「でも作戦会議は全員でやらないと」

「会議っていっても、対策の練りようがないじゃないか。収穫ゼロじゃ」

 外に出たのが無駄になった坂元は少々ご機嫌斜めである。

「鷹山の聞いた物音は?」

「空耳だろ」

「おい坂元、それは聞き捨てならないな。俺は確かに聞いたぜ。なあ李」

「え、俺は聞いてないよ。隊長が戻ってくるのを見て、走ってきたところだったから」

「そうかい」

 鷹山は軽く舌打ちする。

「部屋の整理がつくまでは、侵入作戦は中断しよう。リスクばかり大きすぎる。な、そうしよう」

 南田はとりなすつもりでそう提言した。

「じゃあそれまではどうする。ただ圧政に耐えるのか」

「うーん、久留の話じゃ、私室のほうはのぞくのも無理のようだし……」

「盗聴器とかは?」

「却下。ばれたら空恐ろしいことになる」

「ならしかたないな。交代で少佐の動向監視を続ける。ただしリスクの大きい行動は控える、と、そういうことで」

「了解」

「また明日もしごかれるんだ、さっさと寝ようぜ」

「ああ、じゃあまた明日な」

「おう」

「邪魔したな、竜時」

 口々に挨拶を交わしつつ、それぞれ解散していった。



- 6 -


 明朝。起床予定より早く南田は目を覚ました。いや、覚まされたといったほうが正しい。瞼を開けるとそこには李峰國がアップになって迫っていた。

「やっと起きた」

「んん、今何時だ?」

「まだ起床時刻じゃないんだけど」

「そうか。よかった。――って、じゃあ起こすな!」

 今のでしっかり南田は覚醒した。あまり勢いよく上半身を起こしたので、危うくベッドの天井に頭をぶつけるところだったが。

「なあ竜時、俺のバナナ食ったか」

 ひどく真剣な顔をして峰國が尋ねてくる。

「食うかよ。だいたい、まだ隠してたのか。腐ってるだろ」

「いや、まだぎりぎりセーフだった」

「で、なくなったのか」

「うん。昨日の夜にはちゃんとあったのに」

「夜中に寝ぼけて食っちまったんだろ」

「そしたら皮が残っているはずだ。誰かが盗んだに違いない」

 峰國はかなり動揺しているようだったが、心地よい睡眠を中途半端に削られた南田としては同情の余地などない。今から寝なおすと起きられなくなるので、しかたなく起き出す。

 着替えて顔を洗ってくると、峰國はまだおろおろとしていた。ここから離れたほうがいいと感じた南田は、ちょうどいい口実を思いついた。

「あ、そうだ。せっかくだから少佐の朝の行動をチェックしてくる。お前はバナナの皮でも探してろ」

 言い置いて、南田は部屋をあとにした。階段を下り、玄関を出て霜柱を踏む。思ったより外は冷えていた。南田はジョギングがてら、江藤の私室がある別棟に向かった。

 実際に行ったことはなかったが、目的地は案外近く、すぐに着いた。汗をかいていないどころか、ほとんど息も乱れていないほどだ。

「さてと、少佐はお目覚めかな」

 江藤の部屋の位置は久留から聞き知って覚えている。まずは窓からチェックしてみるかと、南田は裏に回った。すると。

「おお、竜時ではないか。朝から散歩か」

 江藤博照が五階の窓から首をのぞかせて、南田を見下ろしていた。一瞬は走って逃げることも考えた南田だが、逃げたところで一時間後には再会するのだ。不審に思われるだけだと悟って、見上げ返す。

「あ、少佐じゃないですか。おはようございます」

 江藤に見つかってしまったのには驚いた南田だが、たまたま知らずに通りかかったかのような台詞を考える余裕はあった。だが演技力が追いついていないのを彼は自覚していた。江藤が階上から表情を読めるほど視力が良くないことを祈るばかりである。

「うむ、おはよう。ところで竜時、この基地に、夜中に果物を手に入れられる場所はあるか?」

 地上五階から普通に雑談を始めようというのか、この男は。しかも、向こうは声を張り上げている様子もないのにしっかりここまで聞こえている。南田は突拍子もない話を規格外の声量でふってきた上官に恐れおののいた。

「果物、ですか? 食堂に忍び込めば手に入るかもしれませんけど」

 どうしてそんな不穏なことを大声で叫ばなければならないのか、南田は返事をしながら恥ずかしくなった。

「そうか。別に果樹園はないな?」

「基地に果樹園なんて聞いたことありませんよ」

「寡聞なやつだな。新青海(チンハイ)基地には果樹園どころか大農場があるぞ」

「へえ、そうなんですか」

「そうなのだ。覚えておけ。では、また後でな」

 勝手に満足してくれたらしく、江藤は首を引っ込めて窓を閉めてしまった。特に見咎められずに済んでほっと胸を撫で下ろした南田は、踵を返そうとして、靴ごしの地面の感覚が異なるのに気がついた。この、滑らかで張力を感じさせる感触。そっと足を上げて確認する。案の定、ある物がくっついていた。

「なんでこんなところに犬の糞なんかがあるんだよ」

 南田は泣きたくなってきた。



- 7 -


 兵舎の外の水道で、靴を入念に洗い終わると、もうおおよそ起床時刻だった。峰國を連れて朝食に行こうかと、南田は自室に向かう。

 四階まで上ると、峰國がまだ着替えもせずに廊下に立っていた。立っているというより、壁にへばりついているのに近い。見ると、少しだけ開いたドアの隙間から部屋の中をうかがっているようだが、その部屋は南田と峰國の部屋ではない。その隣、すなわち朴洋伸と久留の部屋である。

「おい、何してるんだ。見張るのは少佐だろ。朴と久留の寝相を覗いてどうしようっていうんだ」

 一心不乱に部屋を覗き見ている峰國の背を叩くと、南田はそういった。だが、峰國はお構いなしに観察を続けている。

「おまえ、そういう趣味があったのか? 俺の寝込みを襲おうなんて考えてないだろうな?」

 冗談を言ってみるが、やはり反応はない。呆れた南田が彼を放ってひとりで食堂に行こうとすると、やっと峰國が口を開いた。

「バナナ盗んだの、あいつかもしれない」

 南田が立ち止まってふりかえると、峰國は神妙な面持ちで彼を見ていた。

「お前なぁ」

 南田は無理やり峰國を部屋に連れて帰ると、さっさと着替えさせて食堂に連行した。



- 8 -


 その日の午前の訓練は、昨日と比べると楽なものだった。彼らパイロット班が慣れたためにそう感じられたのではない。実際に負荷が軽かったのだ。

 例えば、昨日やらされた兎跳びである。格納庫を十周、と号令をかけた江藤が、二周もしないうちに「思えば男の兎など面白くないな。バニーちゃんは女の子に限る」などと言い出し、中止。平衡感覚や衝突回避の訓練でも、邪魔な横槍を入れてこずに、どこか上の空だった。さらに非降着姿勢の龍への乗降訓練の最中には、その場を離れて三十分も戻ってこない始末。

「なんか拍子抜けだな」

「どっかおかしいんじゃないのか」

 昼にならないうちに訓練が終わって、いったん休憩となった南田たちは、待機室で口々に江藤の変化を囁きあった。今後の作戦をどうこう議論する以前に、そもそもの目的が消失しかけていた。

「楽になったんだから、もう放っておいていいんじゃないか」

 朴がそんなことを言いはじめた

「いや、今日が特別なんだと考えたほうが無難だ」

 坂元はわりと慎重に事態を受け止めているらしく、いつものような軽口は出てこなかった。

「明らかに、様子が変だもんな。昨日、一昨日とは違う意味で」

「情緒不安定なんだろう。それで外廓聯から左遷されたんじゃないのか?」

「ありそうだな、それ」

 仲間の談笑を眺めながら、どうも南田は朝の江藤の言動が気になっていた。夜中に果物は手に入るか、などという質問は、たとえ情緒不安定にしてもおかしい内容だ。軍に在籍し続け、さらに黒龍隊隊長に抜擢された男が、それほどひどい精神的疾患を抱えているはずはない。そして、何かまた別に、頭にもやもやと引っかかっているものがあった。何なのだろうと首をかしげた南田は、たまたま時計に目が行って、弾かれたように起立した。

「まずい、もう作戦室に集合しないと」

 駆け出そうとした南田は、同僚七人が動き出さないのを見てそれをやめた。

「どうした。そろそろ五分前だぞ」

「まだいいって。あの調子じゃ、少佐も十分は遅れてくる」

「そうそう。それに今日の隊長なら、遅れたってたいして絞られはしないって。定刻に行くつもりでいりゃあ、じゅうぶんさ」

 この件に関しては坂元も楽観的な姿勢を示す。誰もまだ行こうとしないので、南田も結局集合時刻ちょうどまで待機室に残った。



- 9 -


 南田たちは三分遅れで作戦室に入ったが、江藤は来ていなかった。適当に着席して待つことにしたが、二十分過ぎても江藤は来ない。

 峰國が午睡に突入した頃、二十四分目にして、作戦室のSF映画めいた形の入り口が開かれた。しかし入ってきたのは江藤でなく、矢俣だった。

「あれ、江藤隊長いないんですねえ? じゃ、これ渡しといてください」

 矢俣は南田に記録ディスクと手書きのメモを預けると、そそくさと走り去った。

「突然来て勝手にいなくなるな、あいつは」

 鷹山がそう評した。

 三十分が経過。椅子に座っているのが嫌になった南田は、壁際に移動してもたれかかっていた。坂元と鷹山が時間つぶしに腕相撲をするのをぼんやりと見ていると、両者二勝二敗のあとの決定戦が始まったところで、ようやく再び入り口が開いた。今度こそ、江藤博照の登場である。

「悪いな。探し物をしていたら、遅くなった」

 口だけ詫びて反省の色がないあたり江藤は江藤なのだが、声に覇気がない。前二日と比べてみれば、やはり妙だった。

「探し物とは、これですか? 数分前、矢俣伍長が届けにきましたが」

 敬礼をしたあとで、南田は矢俣から預かったものを見せる。

「いや、別のものだ。まあ、気にするな。ところでそれは何だ?」

「見ての通り、メモとディスクです。今度配備される予定だった龍が届かなくなったそうで、その詳細がこのディスクに入っているそうです。――先日のテロで、フェイジアインダストリーズの組立工場への送電が不安定になっていましたから、そのせいでしょうね」

 メモを見返しながら南田は説明して見せ、終わったところで顔を上げると、江藤にじっと見つめられていることにはじめて気づいた。江藤の口が動く。

「竜時」

「はい」

 恐る恐る返事をする。返事をしないともっと怖そうだったからだ。南田が緊張するようにじゅうぶん間を置いてから、江藤は言葉を続けた。

「俺宛のものを勝手に読むと、お前の身のためにならんぞ」

「す、すみません」

 やや意味深な発言だったが、南田は反射的に謝った。そして、江藤にメモとディスクを渡す。

 受け取って、江藤はそのまま固まってしまった。

「江藤少佐、何か?」

 南田は無言でディスクを見つめる江藤に問うた。

「いや、そんな気の利く幕僚連中ではあるまいと思っただけだ。よし、ここで見る」

 わけのわからないことを前置きして、江藤はディスクを南田に突き返した。お前がやれ、と目で伝えている。

「良いのですか? 機密事項である可能性が……」

「命令は俺が下した。――が、万一の場合、責任はお前になすりつける」

「そっ そんな!」

「――と言って欲しかったか?」

 悪魔の復活だ。南田をはじめ、居眠りしている峰國以外の全員がそう思った。

 数秒の硬直の後、冷や汗をかいている自分に気づきながら、南田は無言でディスクをコンピュータに挿入した。後はそのコンピュータ用の席についていた群山軍曹に任せる。寡黙な群山は嫌な顔ひとつせずファイルの読み出しをはじめる。

「少佐、情報セキュリティ上のプロテクトがかかっています。解除コードをお願いします」

「ウム。ちょっとその椅子を空けな」

 巨体を揺るがせてのしのしと歩み寄ると、江藤は群山のいた席に陣取った。決してもろくはない椅子が悲鳴を上げる。近くにいた者は顔をしかめたが、当人は気にせずコードを打ち込んでいる。コードがまわりの者にばれてしまうのではないかと、江藤の非常識さを内心非難した者もあったが、すぐにそれが愚かな考えであったことを悟った。コンピュータは江藤の体躯(たいく)に覆い尽くされていて、到底、覗き込めるものではなかった。

「よし、ロック解除。幕僚連中め、どんな言い逃れをまくしたててきやがるか……」

 二十数回も戸惑うことなくキーを叩き終えると、江藤は背もたれに体をあずけた。椅子がまた悲鳴を上げる。

「少佐、統幕本部の悪口なんか言って、盗聴マイクでもあったらどうするんです?」

 南田が呆れて言った。その発言自体、あまり好ましくはないのだが。

「そんなことは心配いらん。既に面と向かって文句を言っているからな。俺は三日前まで近衛軍の統監部にいたんだぞ?」

 返す言葉を失った南田だったが、室内の大型モニターにディスクに収められていた動画が再生されたため、そちらに目を向けた。

 ちょうどそこで、はっと峰國が目を覚ました。モニターのなかには、いかめしい顔をした幕僚幹部がふんぞりかえっている。峰國は反射的に敬礼した。

「峰國ぉ、こりゃぁビデオだぞ。そもそもこんなナメクジ野郎に敬礼なんぞ無用だ」

 そのビデオを見ているのかいないのか、気配を感じて振り返った江藤が峰國に注意する。峰國も「自分のことを棚に上げて」とは言わなかった。江藤が前二日の調子を取り戻しつつあるようなので、さすがに警戒心が働いたのである。

「少佐、ビデオを聞いておかないでよいのですか?」

「竜時、こいつは自分で細かい用件を言う奴じゃぁない。機密事項伝達における義務だから、しかたなく口を動かしているだけだ。――ほら、もう喋(しゃべ)り終わった」

 画面は、担当官による説明と資料の提示に切り替わっていた。

「……というわけで第三期生産型を地上戦用に特化した、新型を代替機として……」

「ほお、新型か。オイ、乗りたいヤツは挙手しろ」

 江藤が軽い口調で呼びかけるが、安全かさえも知れぬ新型に乗りたがる者などそうはいない。とはいっても、回されてくる以上いつかは乗らねばならぬ搭乗員たちは、江藤の声が聞こえないふりをしてディスクの映像に聞き入っていた。

「……八回の走行試験の結果、最高で+20.56%の歩行速度と、-8.27%の故障率を記録しました。高速機動時の安定性も向上していることが確認済みでして、三回目の試験においては足場の悪い泥湿地にもかかわらず……」

 また江藤が口を開く。

「何が+20だ。たかが八回で、しかも路上走行だろうが。それに泥湿地だと? 接地圧の馬鹿でかい機兵に本物の泥湿地なんて歩けるか。北嶋ならなんて言うかな?」

「実質、平均+10%ぐらいだろうな。ちょっと見た限りでは。だいたい、比較対照がロールアウト直後の第二期生産型じゃあ……」

 いきなり声がしたかと思うと、北嶋が入室してきた。

「薄情、だな江藤。新型のデータを見るのなら呼んでくれてもいいだろう。矢俣くんが教えてくれたからよかったが」

「ハッハッハ……。後でゆっくり見せてやろうと思ってな」

「まぁいいや。ちょっとお前、ビデオに対抗して大音量で喋るのはやめてくれ。聞こえないから」

 北嶋は一瞬たりとも画面から目を離さずに、空いている椅子を自分のところに引き寄せて座った。たしなめられた江藤は、子供のように拗(す)ねた表情で北嶋を見ていたが、すぐに画面へと視線を戻した。解説は、まだ続いている。

「……OSの書き換えと動作の最適化さえ済めば、操縦法において殆ど差異はありません。しかし、反応速度などや歩行時のコクピットへの衝撃など、機体の改善による変化は多々あります。搭乗員の訓練には万全を期された……」

 そこまで聞いて、江藤が笑みを漏らした。

「ずいぶん勝手なことを言ってくれるなぁ。上は俺たちの受けた操縦訓練のしつこさなど知らんのだ。あんなもん、一度覚えたらなかなか癖が取れんぞ、馬鹿モンが。――だが俺としては、おまえたちたちを鍛える口実ができて非常に愉快だ。ぐははははは……」

 皆が凍りついた。解説に興味を失って再び舟を漕ぎ始めていた峰國などは、江藤の声で意識を取り戻し、その意味を理解して今度は意識を失いかけた。江藤は完全に復活している。

「うわあ、悪魔が復活だあ!」

 峰國は、初日と同じ過ちを繰り返してしまった。



- 10 -


 峰國はふたつの段ボール箱を重ねて抱えて、屋外を歩いていた。

 二つ重ねではあっても、箱はたいして重いものではない。が、丁寧に私室まで運べと江藤から命令を受けているので、両手でしっかりと抱いている。

 江藤の執務室から私室まで荷物の運搬。これで帳尻を合わせてもらえるなら楽なものだと、峰國は笑う。荷物は執務室の前で江藤から手渡されたので、執務室に入って偵察にいそしむわけにはいかなかったが、私室には入れるようだ。鍵を開けてあるから、と江藤は言っていた。開けておくくらいなら見られたり盗られたりして困るものは置いていないのだろうが、趣味趣向の調査には問題ない。ここで南田たちの鼻を明かしてやろうと、峰國は意気込む。

 しかし同時に、彼は苛立(いらだ)ってもいた。両手がふさがっているので、江藤にもらった頭のコブがどうなっているのか、触って確かめることができないのである。箱を下に置けばよいのだが、彼の頭はその方法を提示してはいなかった。それが先ほど頭部に被(こうむ)った打撃に因るものなのか、または生来そういう頭であるのかは不明である。

 とにかく彼は、頭のコブが非常に気になっていた。足元に気を配るのを忘れるほどに。

「うわっとっとっと……」

 気づいたときには、彼は滑ってバランスを失い、前傾から復帰できなくなっていた。地を蹴ろうと力を入れた足の摩擦が、突然小さくなったのだ。驚いたついでに箱を高く放り上げたため、その反作用も加わって、彼はかなりの速度で地面に突っ込むことになった。土煙こそ上がらないものの、遠くから偶然それを目にした者は思わず顔をしかめたほどだ。

「痛。転んじゃったよ」

 状況説明など誰も欲してはいなかったが、李峰國とはそういう人物である。

 上体を起こして、彼はどこからも血が出ていないことを確認すると、足元を見る。バナナの皮が落ちていた。ちょっと実も残っているが、それは腐りかけている部分だった。

「ああ、この黒ずみ具合、絶対に俺のバナナだ」

 意外なところで再会できた峰國は、感動と悲しみにむせび泣こうかというところであったが、そこで与えられた任務を思い出した。がんばりどころであるので、号泣は延期する。

 落としたダンボールを重ねなおして抱え上げ、立ち上がった峰國は、ふと何か喪失感のようなものを味わっていた。

「おっかしいなぁ。もっと重くなかったかな」

 上下に振り動かしてみる。やはり軽くなっている気がした。箱を置いて調べてみると、片方の封が開いていた。ここから何か散らばったのだろう。そう分析して辺りを見回したが、峰國は何も見つけることができなかった。

「あれ、無い。無い物が無い。いや、無い物があるけどそれは無い。――ん?」

 ひとりで混乱していると、背後から彼に声をかける者があった。

「まずは落ち着くといいよ、峰國くん」

 北嶋だった。呆れ顔で峰國を見ている。

「まあ、焦っているのはわかるけれどね。峰國くん、基地内に犬を連れて来るとは、なかなかいい度胸をしているじゃないか」

「犬? 何の話ですか? 自分が運んでいたのは箱です」

「箱のなかに犬を隠していたんだろう? 見ていたんだぞ。悪いことは言わない。俺にだけ白状しなさい」

 峰國は、まったく身に覚えがない。が、さすがの彼でも話の食い違いに気づいた。そして、今度は日本語で尋ねる。

「大尉、今“見た”と……?」

「ああ、君の転ぶ瞬間に、箱から犬が飛び出して駆けていったぞ」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 食堂。それは兵士たちの動力燃料の補給及び自己点検、情報の相互補完を行わせる場所である。長方形に広がっており、やや高い天井をもつ。椅子やテーブルをどければ運動にも使えそうな間取りである。亜連と極東方面軍のシンボルマークを例外とすれば、装飾らしい装飾はない。

 普段は、物を食う音と、兵士たちの愚痴や雑談に包まれている空間。黒龍隊のパイロット班が人目を気にせず作戦会議をしていられたのも、それだけここが音に呑まれているからだ。だが今日は、いつも以上に騒がしいようである。

「うわっ! こ、こら犬! そりゃぁ俺の飯だ!」

 二ヶ所ある出入り口のどちらからも遠い一番端のテーブルで発せられたそれが、最初の叫びであった。それは周囲の注目を集めるに十分な内容と声量で、数十個の首がくるくると音源を求めて回る。

「犬だと? わわわっ。何だこいつは!?」

「犬って? うおっ!」

「ど、どっから入り込みやがった!?」

 似たような声がそのテーブルの列に沿って続く。

 食器がプラスチック製でなく陶磁器だったなら、それらの割れる硬質な音が鳴り響いたであろうが、その代わりにあまりにもばかばかしく響きわたったのは、急の騒動に慌てて机の脚にすねをぶつけた者のうめきであった。その間にも、食堂には鳩が豆鉄砲を食らったような顔が大量生産されていく。

 富士本と朴、黒龍隊の整備兵とパイロットは、その延長にある机で昼食をとっていた。

 ふたりは前からの友人である。最初は富士本も朴と一緒にパイロット養成のコースにいたのだが、適性が低いとされて、北嶋の下に移ったのだ。別にそれで友情にひびが入ることは無く、最近も食事はたいてい一緒にとっている。もっとも、朴が例の作戦会議に出ているときは例外だったが。

 今日も先刻の新型の話をしながら、数年前から供給が始まった合成蛋白のハンバーグをつついていたところだった。

「洋伸、正直いって、あれに乗りたいか」

 富士本は朴を名で呼ぶと、水気の足りない千キャベツをほおばりながらモゴモゴしゃべった。先にほおばったご飯が粒となって飛び散ったが、二人ともそれは気にしない。

「噂で聞いてた防人型ってやつだろ。動きが数段違うとか聞いていたけど、たいしたこと無さそうだな。危ないだけ損なんじゃないの? 俺はむしろ、装甲強化案のほうに興味があるね」

 朴はフォークをちょいちょいと突き出しながら気取った風で返事をする。そのフォークを再び合成ハンバーグに突き立てようと目を落としたとき、朴は右のほうが騒がしいことに気がついた。怒号と騒音、そして「かわいい」などとのたまう女性兵士の黄色い声。

「おい、何だ」

 富士本も気づき、今朝ひげを剃り損ねたあごをなでながら様子を窺(うかが)おうとする。

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 そのとき。机の上の、二人の向かい合って座っているところから二メートルあたりのところに、軽やかに跳び乗ったものがあった。頭上の照明が落下してきたのではない。生き物である。やわらかい視覚的印象は明らかにその表面を覆う灰色の体毛によるものだ。灰色の毛をしたその犬らしき動物は、口に一切れの肉をぶら下げていた。

 それを見て、先ほどの声の主が叫ぶ。

「捕まえろっ! 捕まえてくれっ!」

「よっしゃ了解! オイみんな、逃がすなぁ!」

 調子のいい朴は後先を考えずにナイフとフォークを投げ出すと、現れた犬を取り押さえようと両腕を上げて席を立つ。まるで羆(ひぐま)である。続いて、朴の声に呼応した者たちが椅子をガタガタと倒す音が響く。

 いきりたつ朴の姿を正面に見据えて、犬は口から垂れ下がって落ちようとしていた肉をくわえ直すと、横合いから飛び掛かってきた兵士を難なくかわし、勢いで朴の顔に向かって跳躍した。威勢良く席を立ったわりに、朴は反射的に顔を引っ込め、犬は朴が抱え込んだ頭を足がかりにして再び跳んだ。

「踏んづけてった!?」

 ショックのあまり呆然とする朴を尻目に、富士本は犬の後を目で追う。

「おい、そっちに曲がったぞ!」

「そっちって……。何!?」

 犬に躍(おど)りかかられると思って慌てふためいた一人がバランスを崩し、机の端を掴(つか)んだまま派手に倒れた。

 不幸にして、折りたたみ式の机の脚が付け根のところで壊れていたらしく、長い机が一本の支柱を失って傾く。机を支えようとした者も、その足元を犬が走りぬけたために目をそらしてしまい、机の端に太ももを打たれて顔をしかめる。

 さらに、傾いた机の上を皆の昼食がするすると滑っていき、縁から下に落ちそうになった。落としてなるものかと、隙間の狭い食堂で慌てて大勢が立って動こうとしたため、そこらじゅうで人と椅子の足がごつごつ衝突する。椅子がガチャガチャと倒れ、無慈悲にも昼食たちは床へと身を投げる。

 怒号と悲痛の叫びとが、食堂を包みはじめていた。



- 11 -


 頼まれた書類の片付けに区切りをつけ、食堂へ向かっていた南田は、慌てふためく峰國に捕まっていた。

「……で、とにかく大変なんだ」

 焦って日本語があやふやになってきた峰國は、たっぷり三分かけてやっとのこと南田に状況を説明し終えた。海外旅行先で話しかけられて慌てふためく日本人もこんな感じだったのだろうかと思う南田。しかし、彼の年齢で海外旅行という単語が頭に浮かぶのは珍しいことだ。二十三年前の八月の悪夢、そして連邦樹立以来、中産階級未満では死語に近い。今では豪遊とか皮肉って言うのが常である。

「たぶん、食堂の方にいると思うんだが……」

 それを聞いた南田は、横道にそれつつあった思考を止め、代わりに呆れた顔と声で峰國の言葉を遮った。

「だったら、俺なんかと喋ってないでさっさと捜しに行ったらどうだ!?」


*   *   *   *   *


 南田と峰國が食堂に着いたとき、既にそこは戦場……いや、修羅場と化していた。

「いったい、どうしたってんだよ。これは」

 食堂のテーブルの大半は倒れ、その上で兵たちが乱闘になっている。とても止めに入ってカタのつくレベルではない。もはや、平然と食事をしているものは一人として見当たらなかった。峰國の言う“犬”の姿も……

「あの犬と関係があるんじゃないの?」

「い、犬が一匹でこんなことになるわけないだろ!」

 峰國に怒鳴った南田は、この騒ぎの原因を知るべく、乱闘中の兵たちの声に注意しながら考えた。

「おまえ、よくも後から殴りやがって……」

「そっちが俺の食事をテーブルごとおしゃかにしたんだろうがっ!」

 耳に入ってきたやりとりを聞いて、食い物の恨みか、と一瞬南田は考えた。だが、まさかそんな、と思う気持ちがまだ強い。

「だったら、俺を投げ飛ばした奴を恨めよな!」

「知るかそんなこと!」

 やはり発端は別にあるようだと見当をつけると、今度はまた違う方向に耳を向ける。こちらは勝負がついたようで、片方が組み伏せられている。

「おまえが突っかかってこなければアレを捕まえられたのによ! バカが!」

「オメェたちの騒ぎに人を巻き込むなっていってんだよ! このどアホ!」

 発端はこの辺りかと踏んだ南田は、騒ぎのなかにずかずかと入り込むと、階級章を目立たせながらその二人に問うた。

「何だ、この騒ぎは?」

「誰だ、偉そうに。――っと、これは失礼しました、曹長殿」

「曹長殿、用件は手短に。今はこの通り取り込んでいますので……。は、はははは」

 勝負がついたことで平常心が戻りつつあった二人は、南田の階級章に気づいて急にかしこまった。

「自分が思いますに、これは歩兵第四小隊の責任であります。こいつらが……いえ、歩兵第四小隊が突然騒ぎ出して、それで自分たちのテーブルを倒したのです。おかげで自分たちの食事が……」

「本当か? 何故おまえたちの隊は騒ぎ出したのだ?」

 彼らが階級至上主義であったことに内心胸をなでおろしつつ、慣れない尊大な口調を意識しつつ尋問を続ける。どうも相手は少し年上らしいので、複雑な心境である。

 先ほどもう一人を組み伏せていた伍長は、憤慨を隠しきれない様子で弁明した。

「騒ぎ出したなどと。ただ仲間が犬を捕まえてくれと言ったので」

「犬……!?」

 南田は嫌な予感がしてきた。

「はい。何処から入り込んだか、犬が仲間の食事……、肉をくわえて逃げたのです。それがなかなかにすばしっこく、追いかけるうちに……。面目ありません」

「まさか本当に、犬一匹で……」

 信じてくれと言いたげな顔の伍長。と、急にその顔がこわばった。その表情には極度の緊張、いやむしろ恐怖におののくかのような感情が浮かんでいる。一瞬訝(いぶか)った南田だったが、彼にもその理由はすぐに判明した。右肩にかかる重量感によって。

「しょ、少佐!?」

 振り返ったその目には、彼の肩に右手を置き、ニヤリと笑う江藤の姿が映っていた。

「犬とは違うのだよ、犬とは」

 どこかで聞いたような台詞を吐いた江藤の顔を見上げながら、南田はその意味を尋ねた。

「どういうことですか? 犬ではない、とは」

「そのとおりの意味だよ。アレは犬ではない」

 そう言った江藤の視線はすでに南田から離れ、まだ騒いでいる兵たちに向けられていた。その顔は、自分の言葉に陶酔しているようにも見えたが、よく見ると違っていた。江藤の顔は、他にこの世に無いというくらい複雑な笑いを浮かべていたのだ。

「やっと見つけたぞ、ゴン太」

 江藤はそう呟いた。



- 12 -


 一方、とりあえず犬を探してみることにした峰國は、冗談みたいに膨れ上がっていた喧嘩の輪に巻き込まれ、再び頭のコブを増やしていた。

 堪え性のない峰國は既に何人かにスリーパーホールドをかましていたが、それが災いして周辺の兵のすべてを敵に回しており、応戦する暇もないほどに方々から攻撃され、もはやタコ殴り状態であった。

 身体中の痛みにぼうっとしてきた頭で、彼はなぜ自分はこんな目に遭っているのだろうかと考えたが、答えを出す前に、彼の視界の片隅に灰色のふさふさした塊が映った。輪をかけて鈍くなった彼の頭がそれを何であるか悟る寸前、後頭部にまたもや鈍痛が走り、彼はついに倒れた。

「み……、見つけた……」

 薄れゆく意識のなかで、彼はそう呟いた。――が、彼の意識は数分と経たぬうちに回復することになった。あの、野太い声の響きによって。

「貴様らぁ!! この江藤博照をさしおいて、何だこの騒ぎはぁ!! 上官侮辱罪で全員まとめて軍法会議送りだぞっ!!」

 食堂は瞬く間に静まり返った。この事態がどうしたら上官侮辱に当てはまるのか、納得して黙ったものは一人としていないだろう。こういうときに問題となるのは、勢い、気迫である。

「――と言いたいが、そうわけにもいかんので今回は特別に許してやる。感謝しろ。しかぁし! 食べ物を粗末にしたこと、極めて許し難し。よって、この江藤博照が私刑に処してやる! 直ちに全員で食堂の清掃! 終わりしだい、腕立て伏せ及び腹筋百回だ! 尚、気合のはいっとらん者は今期限定の射撃訓練の的(まと)に取り立ててやる。全員だぞ! 例外として、代替刑“さばおり”にしてやってもいいが、希望者はいるか?」

 未だ食堂は沈黙のままである。食器の転がる音がやけに大きく聞こえる。誰一人として、この気迫の塊とも言うべき男に不平を言う者は無かった。いたとして、その存在はすぐに消し去られるのだから。

「よし、ならば今すぐ清掃開始!」

 ぼそぼそとした返事がまばらに聞こえる。それを江藤が許すはずもない。後に控えていた南田を振り返って声をかける。

「竜時、マシンガン二挺もって来い」

「は?」

 反射的に聞き返した南田だったが、江藤が冗談で言っているのではないことを悟ると、わざとらしく復唱して食堂から出ていった。食堂に残された大勢の兵たちも、食堂のもう一方の出入り口が外からロックされていることに気づくと、さすがに江藤がやる気であると確信し、すごすごと掃除を始めざるを得なかった。

 その様子を一時眺めていた江藤だったが、一応は忙しい身なのですぐに立ち去った。先ほどの言葉が本気であったのか脅しであったのかは不明だが、そのときの彼の顔を見た者はそろって「しぶしぶ帰路につくガキ大将のようだった」と評している。尚、食堂で罰を受けた兵士たちは途中でアホらしくなって仕事や訓練に戻ったし、南田もマシンガン二挺を律義に持ってくることはしなかった。



- 13 -


 夕刻、傷の手当てを終えた峰國と、マシンガン二挺を使用させずに済んだ南田は、溜め息をつきつつ自販機コーナーのベンチに座り込んでいた。

 コーヒーのはいった紙コップを膝において、南田が重い口を開く。

「犬一匹に、こんな目に遭わされるとは」

 昼間の騒ぎの事後処理で、二人とも今まで走り回っていたのである。事後処理といえば聞こえはいいが、大半は汚れに汚れた食堂の掃除である。

「竜時、ところであの犬は?」

「少佐が連れていったみたいだったが……。どうも様子が気になったな。あの犬も、妙に少佐にはおとなしかったし。もしかして、少佐の犬かな?」

 冗談まじりの南田の言葉が聞こえているのかいないのか、峰國はひとりまた深々と溜め息をつき、愚痴った。

「犬ね。猿之門基地には良くない動物だよな」

「何でだ?」

「犬と猿は仲が悪いって、言うだろ?」

「ああ、犬猿の仲ね」

「多分それ。ああ、あの犬が居なけりゃなぁ……」

「そもそも、おまえが運んでいたダンボール箱に入ってたんだろ? 中身が犬……、でなくても、なんか生き物だって、何で気づかないんだよ? 動くだろ?」

「それは……、ほら、なんだ」

 問い詰められて困っている峰國に、さりげなく歩いてきた男が助け船を出した。

「気づいたとして、どうにかなる犬じゃなかったんだろう? ――なかなか忙しくてな、僕も行っていればもう少し騒ぎも小さいうちにケリがついたと思うけどね。今日はご苦労だった」

 北嶋である。南田は立ち上がりかけたが、北嶋に目で制止を受けたため、中腰の体勢のまま問いかけた。

「北嶋大尉も、あの犬については何もご存じないので?」

「ああ。だが、きっちりとした説明をするように……」

 いったん口を止めると、自販機でコーヒーを買う。湯気の立つそれを一口飲むと、二人の方を向き直って話を続けた。

「ここに呼びつけておいたよ。もうすぐ“あれ”を連れて来るだろう」

「え? 自分と竜時……、いえ、南田曹長がここにいると、どうして?」

「竜時君の飲んでいるコーヒーは、ここの自販機にしかないからな。それに、いつもこの時間帯に来ている」

 北嶋は眼鏡を湯気で曇らせながらコーヒーを一口飲む。暖かさと味に満足したように息をはきながらも、ミルク入れたほうが良かったかな、と呟く。

「よくご存じで。――それより大尉、少佐を呼びつけるとは、あなたは一体……」

「昔からの知り合いのようなものだよ。お、来たようだぞ」

 北嶋の指した方向から、まず他と見まがうことのない男がのしのしと歩いて来る。その後には、昼間食堂を騒がせたおおもとの原因がてくてくと続いていた。

「あ、あの犬!」

「いきりたつな峰國。今日は少佐を刺激しない方がいいと思うぞ。昼間マシンガンを使い損ねて気が立ってたからな」

「そうでもないようだぞ、竜時君。あの顔を見ろ、ヤツはすぐ表情に出る」

 さすがの北嶋でも、「そこがいいところだ」とは言えなかった。あのポーカーフェイスとは対極に位置する顔のおかげで、幼少のころから幾度となく騒ぎに巻き込まれてきたのだから。

「で、何だそいつは? おまえの飼い犬か?」

 悠然とやってきた江藤に、北嶋はそう冷たく尋ねた。

「そう怒るなよ。北嶋に迷惑をかけた覚えはないぞ」

「整備の連中が八人けがをした。これでは、明後日までに防人型を格納するための間取りを確保できなくなるかも知れんぞ。俺に責任をなすりつけようったって、そうはいかないからな。そうでなくても、食糧を無駄にして……」

「うう、手厳しいな。それより、俺を呼んだのはこいつのことだろ?」

「ああそうだ。納得のいく説明をしてもらうぞ」

「わかったよ。オイ、ゴン太」

 そういうと、数メートル後方に座り込んでいたその「ゴン太」は尻尾をふって江藤の足元まで駆けてきた。江藤はしゃがみ込んでその頭をなでると、不思議な物を見る目で自分を眺めている三人に向き直って説明を始めた。

「こいつはゴン太。さっき竜時にも言ったが、こいつは犬じゃない。俺が赤龍隊にいた頃に拾ったオオカミだ」

「オオカミ!?」

 南田と峰國が声をそろえて叫んだ。北嶋も、声こそあげはしなかったが意外な事実に驚いた様子である。江藤はゴン太の背中を撫でてやりながら話を続ける。

「そのまま戦地にいればこいつを育てる余裕もなかっただろうが、ちょうど良く閑職に転属になったからな。ここ一ヵ月は手間暇かけて育てることができた。俺はハムスターしか飼わない主義だったんで、さっさと誰かにやっちまうつもりだったんだが、こいつの餌の食いっぷりを見てると急に親近感がわいてきてな、それで自分で飼うことにした。ここに来るのが決まったとき、置いていくわけにもいかんだったから連れてきたのさ。どうだ、可愛いだろ?」

 江藤の言葉がわかっているかのように、ゴン太はまだつぶらな瞳を北嶋に向ける。さらにすまなさそうに耳を折られ、「くーん」と鳴かれれば、北嶋も江藤の言葉を否定はできない。

「まぁ可愛くないことはないが……。だけどな、江藤! 愛玩動物を駐屯地・基地内で飼うことは立派な禁則があるぞ!」

 怒鳴る北嶋に、江藤は立ち上がり、勝ち誇ったように言い放った。

「一般細則ごときレベルの軍規は、大隊以上の指揮官が協議・合意のもとで特例措置を与えることができる……と、亜細亜連邦軍法第二〇八条第四項に書いてある。既にこの猿之門基地の各隊の責任者と話はつけた。これで文句はあるまい。ぬふふふふ」

 江藤は本当にこらえきれぬように、笑い声らしい唸りを上げた。

 ――ダメだこれは。  そう三人は肩を落とした。

 時に、西暦二〇二二年一二月九日、一七時〇六分四二秒のことであった。