黒龍隊の挽歌 第五話

道連れ



- 1 -


 いつもとは違う喧騒に包まれた厚木基地だったが、すでにエデン系過激派による襲撃は鎮圧され、基地周辺で発令されていた警報はランクがひとつ下げられた。

 陽動部隊も含めて犯行グループは全員捕縛、あるいは射殺した、というのが、襲撃発生から二時間後に出されたアナウンスである。とはいえ、実際にはかなりの数のバックアップ要員が逃げおおせているのは明白で、その手の捜査を専門とする部隊がおおっぴらに姿を現してもいた。

 内外との通信系の復旧と、滑走路の点検及び補修は急ピッチで行われていた。すでに発着の管制能力は一応の復旧を見せており、基地周辺の厳重な警戒態勢を信用するかたちで、十数便の発着が敢行されている。いまのところ、地対空ミサイルが発射されるなどという事態も発生しておらず、新たな血は流れていない。

 捕まった反抗グループのメンバーは、負傷者は病院に、軽傷の者はそのまま当局に連行された。死亡者も、諸々の調査のためにどこかに搬送されたようである。身柄と死体の数は合計でおよそ四十人。うち、厚木に踏み込んだ者は十三人を占め、そのなかで生存しているのは八人。しかも三人は重症を負っている。対照的に、陽動要員はほとんど軽傷ですんでいる。

Copyright(C)2003 Daigo Yoshida,All rights reserved.

「何でなんだ」

 倉庫のそばに積まれた資材のなかに、南田は自ら孤立するようにその身を置いていた。

「何で、守備隊は発砲したんだ。もう鎮圧したも同然だったのに」

 南田は頭を抱え込んだ。

 ロケット弾で一撃粉砕された三節腕や、蜂の巣になった篁二式、そして銃撃で倒れていった生身のゲリラたち。その姿が、何度も頭の中でリプレイされる。腰掛けている龍(ロン)用バッテリータンクの冷たさが、尻から体の芯までを蝕んでいくように感じた。

「どうして……」

 南田が無為に同じ問いを繰り返そうとしたとき、それを遮る声があった。

「ここにいたのか、南田曹長」

 藤居だった。

「聴取があるかもしれない。すぐわかる場所に行こうか」

 やんわりとした藤居の指示を無視し、南田は座り込んだまま動こうとしない。

 あの高速連絡機の強行離陸のあと、滑走路上の簡単な片づけを手伝ってから、龍は滑走路脇に退避。パイロットの彼らは、特に聴取されることもなく、放っておかれていた。それで南田は、タンクの爆発ですすけた龍のコクピットハッチの検査にも立ち会わず、この倉庫脇にやってきたのだ。

 南田の様子を気遣って、藤居はその横に腰掛けた。

「どうしてなんですか」

 今度は自問ではなく、問いは藤居に対して投げかけられた。移動指示に対する反駁(はんばく)でないことは、すぐわかった。

「エデンのことか?」

 藤居は察しをつけて聞き返すが、南田の反応はない。こんなとき、江藤ならおそらく南田を一発叩いているだろう。そんな想像をしながら、藤居は自前の対応方針を採用した。

亜細亜連邦というシステムは、八月の悪夢を乗り切るためには必要だった。でも、それが万人にとってベストの選択でなかったというのは、わかるだろう。自分たちの生命線が守られていないと感じる人々の中には、実力行使で当然の権利を勝ち取ろうと考える人もいる」

「そういうことを聞いてるんじゃないんです。それくらいは、最近の新聞の記事からでも読み取れますよ」

 南田は、子ども扱いされたと感じたのだろうか。怒ったような口調で藤居を遮った。藤居は南田がそのまま二の句を継ぐのかと思い、待ち受けたが、しばらく待たされることになった。

「藤居さん。死者が増えたのは、俺のせいもあるんですよね」

 沈黙を破って、南田は上ずった声をあげた。自分でも、自嘲的だとわかる声音だった。

 自分や坂元がはやったことで、犯行グループを刺激してしまい、それがさらなる事態の切迫を招いた。ひとりで座っているうちに、それが、痛いほど自覚できていた。そして、神経を尖らせている守備隊の気配を感じ取ったのであろう藤居が、守備隊に先んじて犯行グループを武装解除させようとしていたのに対し、自分がいかに無思慮であったかも。

「でも、なんだってここの連中は、やたらと強硬手段をとるんですか!?」

 南田は声を荒げ、肩を震わせた。

「しかたがないさ。基地に被害が出ていたし、毒ガスだって……」

「結局、偽物だったでしょう。それさえ使い果たしたエデンの連中に、もう攻撃の手段なんて残ってなかった。なのに……」

 握りしめた拳を、バッテリータンクに叩きつける。

「まだ隠し玉があったかもしれない。最近じゃ、東部方面軍轄区でも自爆テロが増えていたし、危険がゼロだったわけじゃない。簡単に良い悪いと決めつけるのは、どうだろうな」

「藤居さんは、それを阻止しようとしていたじゃないですか」

「できれば、そうしたかった。俺の単なる個人的希望だよ。君は気にしなくても……」

 そこから先を、藤居は口の中で消してしまった。そして、首をふって発言を改める。

「軍ってのは、そんな所なんだよ」

 南田はちらりと藤居の顔をうかがったが、藤居は顔を背けていた。基地のアナウンスが、各部署、各部隊の代表に招集をかけている。

「行かないとな」

 藤居は腰を上げる。

「納得できるんですか、藤居さんは」

 南田は顔を上げ、藤居の歩みを止めた。

「現実は、納得するためにあるんじゃないよ、南田」

 苦々しげにそう漏らすと、藤居はいつもより速い歩調で屋内へと向かっていった。


*   *   *   *   *


 一方、黒龍隊の大半は、演習に使った輸送機の近くに集まっていた。

「どうするんだよ。少佐はひとりでいなくなっちまって、北嶋大尉も見つからない」

 一団の真ん中で、鷹山が喚いていた。

 藤居が高速連絡機の中に江藤らしき人影を見たという情報は、坂元を介して、黒龍隊全員に伝播していた。ついさっきまで気絶していた鷹山が現状を把握した頃には、どうやら北嶋も行方不明になっているらしいという話になって、不毛な対策会議らしきものが催されているわけである。

「やっぱり大尉も一緒に乗ってたんじゃないかなぁ?」

 朝井が呟いた。

「少佐のことだって、まだそうと決めつけなくてもいいだろう。藤居さんも一瞬見ただけなんだ。見間違いの可能性だってあるじゃないか」

「そう願いたいね」

 坂元が投げやりに応じた。南田ほどではないが、意気消沈している。

峰國(フェングォ)も大尉は見ていないんだな?」

「うん、地下の倉庫でずっと迷っていたから」

 峰國は悪びれもせずに笑顔を返す。

「阿呆め」

 坂元はそれだけ言って口を閉じた。

「そう言うなよ。おかげであの連中も縛り上げられたんだ」

 得意な顔になって、峰國は東部方面軍の服を着た曲者(くせもの)の話を繰り返そうとする。すかさずそこへ、朝井が水をさした。

「鷹山曹長は間に合わずに犠牲になったけどな」

「朝井、俺は死んでないぞ」

「あ、こりゃ失礼」

「あー、ちくしょー、まだ体が痺れてやがる」

 鷹山は全身をくねらせるようにして痺れを振り払おうとするが、そうそう簡単に取れるものではない。

「大丈夫なのかな」

 久留が呟いた。

「ほっときゃ治るって、そんなの」

「いや、その話じゃなくて、少佐の話。考えてみたらよ、その怪しい連中が、大尉の行方不明にも絡んでるんじゃないかって、そう思えてね。なんだか組織的な陰謀っぽいものを感じるわけさ」

「陰謀ねぇ……」

 鷹山が首をかしげる。大げさすぎないか、と思っているのが傍から一目瞭然である。

「その曲者たちから、俺たちが直接話を聞くわけにはいかないのか?」

「無理だろうな」

 坂元が断言した。

「だよな。でも、そいつらからでも話を聞かないことには、隊長たちがどうなったのかさっぱりわからないぜ?」

「そういうのを調べたり、これからの行動を決めたりするのは上の仕事だろ。そのうち、藤居准尉がありがたーいご命令を運んできてくれるさ」

 まだ投げやりな調子を維持している坂元は、人の輪から外に出て行ったが、トイレに行くといってそのまま消えてしまった。

「鷹山、連れションに行ってやれよ」

 久留が鷹山の背中を叩いた。

「おいおい、俺、そんな趣味ないぜ」

「友情ってヤツがあるだろ?」

 朝井が同調して掩護に入った。久留が再び鷹山の背を叩き、まわりの連中も見つめるので、鷹山は溜め息をついた。

「しゃあねぇな。パイロットスーツの糞尿袋の世話になるのも趣味じゃないし、早めに行ってくるか」

 走って坂元のあとを追った鷹山を見送り、朝井は脈絡もなく呟いた。

「今日はいつ帰れんのかね」



- 2 -


 寒空の下にたむろする哀れな黒龍隊のもとに、藤居がミーティングから戻って来た。

 指示がどうあれ、とりあえずこれでここから動ける。さっさと藤居の話を聞いてしまおうと、皆、静かになって待ち受ける。

 藤居が集団の前の位置についたとき、ひとり連携を乱した者がいた。

「准尉。少佐か班長のこと、何かわかりました?」

 隊の半分くらいが、矢俣にきつい視線を送った。矢俣の質問は、皆の知りたいことのひとつではあるが、それは藤居がちゃんと順序だてて話してくれるに決まっているのだ。あれはこれはと質問して藤居のペースを乱せば、それだけ自分たちが北風に吹かれる時間が長くなる。矢俣がそれに気づいたときには、数人に小突かれていた。

 矢俣にとっては幸いなことに、藤居はもとよりその話を先にするつもりだったらしい。藤居は戸惑う様子もなく、矢俣に頷いて見せた。

「そのことだが、江藤少佐と北嶋大尉は、やはりあの連絡機に乗っていたらしい。正規の命令で、移動が決まっていたんだそうだ」

「そんなの聞いてませんよ。隊長たちは何で黙ってたんです?」

 誰かが皆の所管を代弁した。予想済みの質問だったらしく、藤居はすぐに返答する。

「少佐と大尉にも知らされていなかったという話だ。行き先は教えてもらえなかった」

「極秘の作戦でも始まったってのか」

 杜洋伸(ドゥ・ヤンシェン)が怪訝な顔から言葉を漏らした。

「そういうことは何も聞いていない」

 聞こえていたらしく、藤居がそれにも応答した。

「じゃあ、あの東部方面軍の曲者は、別に曲者でもなんでもなかったんですか?」

 鷹山が憮然とする。スタンガンを喰らったのだから、無理もない。彼らをのしてしまった峰國も少し困った顔になり、その表情はすぐに藤居にも伝播した。

「そっちも、まだ取り調べ中だそうだ。少なくとも、厚木の認知していた行動ではないらしい」

「あれもこれも、わからないことばっかりですね」

 朝井が呆れたように肩をすくめた。が、すぐに自分の発言が藤居の力量不足を非難するようにも取れることに気づき、断りを入れる。藤居は苦笑しながらも気にしていないと言い、そして、ざわつきはじめていた全員に向かってこう続けた。

「みんな聞いてくれ。わかったことがまだひとつある。俺たちのこれからの行動だ」

 最初の静けさを取り戻す黒龍隊。藤居は冷たい空気を肺いっぱいに吸いなおして、一大発表に臨んだ。

「命令が下りた。俺たちはこれから、隊丸ごと北京(ペキン)に移動する。もちろん、龍も積んでのことだ」

 飛行機の轟音は断続的に彼らの会話を阻害していたが、そのひとときに限っては、むしろ静寂を助長しているかのようだった。

「北京に?」

猿之門に戻れとか、ここで待機とかじゃなくてですか?」

 朝井や富士本たちが唖然とし、どよめきが広がったのも無理はない。黒龍隊の者にとって、北京行きはあまりにも唐突な話だった。本来、黒龍隊は日本の関東周辺の防衛を目的として編成されたはずなのだから。

「ああ、至急、北京に移動せよとの命令だ」

 藤居が富士本に返答したが、もはや隊の半分は藤居の言葉を聞いていない。耳に入っても右から左である。藤居は少し静かにしてくれと言おうかと思ったが、そうするより先に坂元が前に歩み出てきた。

「こんなときに、どこからそんな命令が?」

「近衛軍。実質的には、どうも戦略軍かららしい」

「本当ですか?」

「命令は本物だ。命令書のサインは見覚えのある癖字だった」

 疑心に取り憑かれはじめた坂元にはそう言ってみせたものの、筆跡に覚えがあるなどという判断根拠がろくなものでないことを、藤居は自覚していた。むしろ、初めから本物と思っていなければ、その筆跡を思い出すこともなかったかもしれない。

「でも、輸送機はどうするんです? あの三機を使うんですか?」

 そう問いながら、鷹山が坂元の横に並んだ。その背後、もはやただの若者の群れと化した隊員たちの中から、峰國がちらちらこちらを気にしている様子もある。いちおう士官候補生の習性が具(そな)わっているのだろう。だが、南田の姿は見えなかった。

「ああ。それから、二回に分けて新しく輸送機が来る。それで残りの龍や車輛を空輸する手筈だ」

 南田の姿を目の端で探しながら、藤居は鷹山に命令書を取り出して見せる。鷹山は命令書を一読すると、「こりゃ大事ですね」と言って、膨らんだ癖っ毛の中に指をすべりこませる。

「すぐに取り掛からないと」

 後ろの人垣の中から脱出してきた峰國が、肩越しに命令書を流し読みして、うんうんと頷く。

「だが、これじゃ指示も命令もあったもんじゃないな」

 藤居は隊を見渡した。厚木襲撃に上官不在、そして急の北京行きという不測の事態の連続に、もう規律も何もあったものかという状態になっていた。無理もない、と藤居は思う。このメンバーの中で最年長、かつ軍歴のいちばん長い自分でも、もし一年前のある出来事を経験していなかったら、こんなものだっただろう。

「これじゃ学級会議だ」

 鷹山がそう評し、坂元が笑った。

「お前が言うかよ。俺たち、ちょっと前まで士官学校の学生だったんだぜ?」

「それはそうだけどさ。――藤居准尉、段取りは決めてあるんですか?」

「おおよそは、帰る途中に考えてきた」

 藤居は案を思い出しながら説明を始めようとしたが、鷹山は手のひらを突き出してそれを止めた。

「じゃあそれで行きましょう」

 にこりと笑う。自分で考えるのは面倒だ、という照れ笑いにも見えた。藤居の口元も自然とほころんだ。

 しかし隊に入ったばかりの自分を隊の面々が信用してくれるのか、藤居が自信を持つには、目の前のがやがやは少々うるさすぎた。その動揺が表情に出たらしく、坂元が彼らを親指で差しながら「大丈夫ですよ」と保証した。

「とりあえず、矢俣とか洋伸とか、あのあたりを黙らせれば静かになります」


*   *   *   *   *


 坂元の提案は実に有効だった。

 坂元と鷹山がそれぞれ矢俣と朝井を捕まえ、藤居が峰國をおとなしくさせていると、ほどなく秩序は回復された。咎められて即座に転向した矢俣が「静粛に静粛に」とふれまわったのも、いちおう効果があったようだった。

 適宜助言を受けながら、藤居は先発する輸送機三機に乗るメンバーを決めていった。

 いちおう責任者になっている自分は最後に発つとして、一方で先発組が誰も現地語を話せないようでは都合が悪い。それで北京語の使える峰國を抜擢し、第一陣の頭として働いてもらうことにした。峰國だけでは心配だったので、しっかり者の雰囲気を漂わせる無口な群山に補佐についてもらった。あとは三機の機兵を動かせるだけの人員を適当に分配して、決まった連中をさっさと輸送機に詰め込んだ。

 慌しく第一陣を見送ると、すぐに次の輸送機がやって来た。龍の荷造りもまだ終わっていないのに、と藤居が溜め息をついていると、幸いにも先方から給油と休憩のために時間をくれと言ってきた。

「矢俣、輸送機の機長が日本語を話せないらしい。夏(シャー)と一緒に行って、搬入の段取りをつけてくれ」

 仲介に入った職員から話を聞き終わった藤居は、手近にいた矢俣を呼び止めてそういった。

「え、夏はわかるとして、なんで俺もですか?」

「俺はいつ呼び出されるかわからないし、そういうことは整備班のほうが向いているだろう」

「はぁ、了解です」

 矢俣は藤居がなぜ整備班の中でも自分を指名したのかを聞きたかったのだが、断るつもりもないので尋ねるのを控えた。さっそく夏を呼びに行こうとして踵を返したが、数歩進んですぐに立ち止まる。

「あの、藤居准尉」

「ん?」

 声音から躊躇いがちな様子を察したのか、藤居は少し首をかしげて見返す。矢俣は、近くに誰もいなくなったのを見計らってから言葉を継いだ。

「さっきから気になってたんですけど、もしかして准尉、前からこのこと……北京への移動のことを知ってました?」

「ああ。演習名目で厚木に移動した後、輸送機で日本を出て、北京に向かう。それが近衛軍からの命令だった。少佐と大尉が誘拐されるなんて話は聞いてなかったけどな」

 返答を渋るのかと矢俣は思っていたが、藤居はあっさりと答えた。

「東部方面軍に出向ですか?」

「それは……」

 続けて尋ねる矢俣に、今度は藤居も口ごもった。

「もうすぐ例の作戦が始まる。――多分、間違いない。江藤少佐たちは、北京が中継点に過ぎないと見ている」

 声を落として藤居はそう言った。

「それって、もしかしてタジクとかカザフとかってことですか?」

「可能性はある」

「俺たちが実戦に、出る……」

 知らない間に意外な方向に転がっていた運命に、矢俣は身震いした。



- 3 -


 江藤はリクライニングの利くシートに埋もれていた。しかし、どうもその曲線が体のそれとマッチしない。そんな隔靴掻痒の不快感の中、江藤は目を覚ました。

 江藤の顔は窓に向いていた。目に入ったのは、建物のまばらな広大な大地。日本では北海道くらいでしか見られない光景であるが、眼下の風景はとても北海道には見えなかった。

 江藤は、そこが超音速で飛ぶ高速連絡機の中であることを思い出した。

「お目覚めですか」

 江藤が目を覚ましたのに気づいたらしく、下士官がひとり席を立って近づいてきた。江藤はまだ朦朧とする頭を左右にぶんぶん振って、なんとか早く覚醒しようと精を出す。

「ご心配なく。離陸時に嗅いでもらった薬は、即効性の頼もしさのわりに、効果が持ちません。すぐにすっきりしますよ」

 下士官は江藤の顔を覗き込みながら言った。鼻につく声だという印象が、まず江藤のなかで中心を占める。近づくなとばかりに腕をふるが、まだその動きは緩慢で、あっさりと避けられた。

「さすがは江藤少佐。まだ二十分は効果があるはずなんですが」

 少し驚いた顔をして、男は続ける。

「自己紹介が遅れました。自分は呂孝明(ル・シャオミン)曹長、戦略軍緊急連絡部の者です」

「緊急連絡部……」

 江藤は、聞き覚えのある単語を反芻した。

 緊急連絡部。戦略軍傘下の部署で、平たく言えば、非常時に戦略軍の使いっ走りをするのが主な仕事である。使いっ走りというと何だが、規模はそれなりに大きい。なにしろユーラシア大陸の大半を対象にして、前線基地への補給や人員輸送などを手広くやってのけるのだから、即応態勢のためにも相当な人数が必要になる。とはいえ昨今では、その人数をもってしても必ずしも即応できないでいるのが実情で、素人を使って増員したという話を聞いたのが、江藤が近衛軍でデスクワークをやっている頃だった。戦略軍直轄機関どうしという縁のせいか、赤龍隊時代には実際に世話になったことも多い。夜半に奪還した拠点に翌日の昼には補給を届けてまた帰って行ったり、遊撃任務主体の赤龍隊が現地部隊とうまく連携できないでいるときに、頼みもしなうちから戦略軍勤務の現地人スタッフを送り込んできたりと、感心を通り越して呆れるくらいの働きぶりだった。そういうまめに働くところと、文官が多いにも関わらず気質としては武官寄りなところとがあって、前線に出ている者からは良い評判ばかり出てくるという、そんな部署である。

 なるほど厚木でのできごとは非常時と呼ぶにふさわしい。しかしその非常事態が起きるのを意図的に見過ごし、何やら企んでいるらしい一団がその名を名乗ったことに、江藤は眉をひそめた。

「混乱に乗じて俺と北嶋を拉致しろと、戦略軍はそんな命令を出したのか」

「正規の命令です」

 呂孝明は江藤の眼光をものともしない。それ以上に言うことはないとばかりに、口を真一文字に結ぶ。

「エデンを呼び込むことも、正規の命令か?」

「自分たちが命令されたのは、あの時刻に少佐と大尉をお連れすること。そして、当のあなたがたにも事前にそれを知られることのないようにすること。その二点です。あとのことは、自分たちに命令を出した上官でも知っているのかどうか……」

「密室体質の戦略軍の、自虐的な言い訳だな」

 憮然として鼻息を荒くする江藤。すると、後ろの席でおもむろに誰か動き出したような物音がする。

「ふあ……。――あ?」

 それが北嶋だと、江藤は声だけでも峻別できたが、状況的にも北嶋三朋以外に考えられない。江藤の脳裏に、意識が落ちる寸前に見た北嶋の姿がよみがえる。ガーゼに含ませた薬をかがされるというお決まりの手で、黒龍隊の隊長と副長がそろって眠らされていたのだから、面目も何もあったものではない。

「ここのところ寝てなかったもんな。よく眠れたか、北嶋」

 目の前の呂孝明なる男はとりあえず無視し、江藤は後ろに声をかけた。

「江藤か」

 眠そうな北嶋の問いに、江藤は「そうだ」と答えた。

「――今、何時だ?」

「難しいことを聞くな。どこの時計を読んだらいいんだ」

 江藤はひとりで笑った。

「あれから何時間だ、という質問なら簡単だがな」

「あれから……?」

 北嶋はまだ寝ぼけていた。

「厚木で騒動があったろう」

「そうだった! 飛行機に乗せられて……今その中か」

「お目覚めだな」

 北嶋が覚醒してくれたので、江藤は今までに聞きだしたことを北嶋に伝えた。呂たちへの皮肉をたっぷり含ませた説明だったのは言うまでもない。

「それで、今どこに向かって飛んでるんだ」

「それを聞いていなかったな。おい、呂曹長」

 江藤は少し離れて着席していた呂を呼びつけた。かりそめとはいえVIP待遇なのだから、その優越感に浸っておいても損はない。背もたれ越しに、江藤はそう耳打ちしていた。

「なんでしょうか?」

 馳せ参じた呂は、麻酔から脱した江藤を警戒しているのか、先ほどよりは距離をとって立ち止まった。

「目的地はどこだ?」

「新青海(チンハイ)です。到着まであと三時間ほどかかり……」

「新青海だと!?」

 叫ぶと同時に、江藤は呂の胸倉をつかんでいた。呂は江藤の体格を見て彼の瞬発力をかなり過小評価していたのだ。

「――ダーダネルス作戦が始まったのか」

 片腕の膂力(りょりょく)だけで、江藤は締め上げるように呂を持ち上げた。

「じ、自分の権限では、お答えできません」

 呂が息を詰まらせる。

「新青海で誰かお偉方が説明してくださるってわけか」

 江藤は掴んでいた襟元を離すと、静かに席に戻った。機の前後から呂の仲間が駆け寄って来ようとしていたが、呂がのどを押さえながらもそれを制止した。

「戦略軍め、上等じゃないか。さぞかし気の利いた大義名分を用意しているんだろうな」

 どっかり腰を据え、腕組みをした江藤は、ついに戦局が動き出そうとしていることを感じていた。



- 4 -


 エデンを鎮圧してから五時間。第三陣の中型輸送機四機に残りの荷と人間をぜんぶ積み、留守を預かってくれる猿之門基地のお隣部隊にいちおう連絡を入れて、藤居は最後の一機に乗り込んだ。藤居が乗るのを待っていたらしく、輸送機はすぐにタキシングして滑走路に出ると、重い腹を抱えて離陸する。

 藤居は小さくなっていくビル街を窓から見下ろして、ようやく肩の力を抜くことができた。

「お疲れです、准尉」

 そばにいた矢俣が、ぺこりと頭を下げて藤居の労をねぎらう。

「ああ、矢俣こそご苦労さん。ちゃんと言葉は通じた?」

「軍用英語で事足りましたよ。楽なもんでした。あっちのほうがプロなんで、こっちは殆ど『わかったわかった』って繰り返すだけでしたし」

 本当にほっとした様子で、矢俣はそのときのやり取りを再現して見せようとしたが、藤居はそれを丁重に断っておいた。江藤の蘊蓄(うんちく)や自慢話とは比べるべくもないが、それでも矢俣の話は一度始まると長いことで有名だった。

 気勢をそがれた矢俣は、しかたなしにどうでもいいような話をいくつか藤居と交わしたが、やがて神妙な顔になって声を潜めた。

「准尉、さっきの話、みんなにしてもいいんですか?」

 藤居は少し考えてから答えた。

「襲撃で邪魔が入らなければ、少佐はあのとき隊全員に北京行きを知らせるつもりだった。だから知られること自体は構わないが、情報が漏れ出たようにして真相が広まるのは勘弁してもらいたいな。しばらく黙っていてくれないか」

「そういうんなら了解です。ご心配なく、俺、口は堅いんですよ」

 そう言うと矢俣は、口ばかりでなく目も閉じて、仮眠体勢に入った。見ていると藤居も疲れが滲み出て眠くなってきた。多分にストレスだろう。そう体を使ったわけではないが、機兵に乗って待機しているのより疲れた気がした。

 あくびがひとつ出た。眠気はあったが、藤居は眠ろうという気になれなかった。寝て起きたら矢俣がもう口の封印を解いているかもしれない、という危惧がないでもなかったが、それより心配なのは南田のことだった。南田は同じ第三陣だが、彼は龍を搭載した別の輸送機に乗っている。

 南田は犯行グループの多くが死傷したことで、だいぶ参っているようだった。藤居にはよくわかる。藤居の最初の任地、中国では、過激派の活動が激しかった。前世紀の日本ほどに犯罪者の人命を重視している余裕はなく、自然と、血生臭い現場に当事者として身を置かねばならないことが多かった。

 おそらく、南田にカウンセリングを受けさせる暇はないだろう。江藤と北嶋が極秘でどこかに先発した時点で、事態が急展開を始めたことはわかっていた。二人が何かの作戦会議のために連れて行かれたのだと仮定して、それが長引いてくれればあるいはそんな時間も得られるかもしれないが、藤居にそんな楽観的な見方はできなかった。

 ガサッ。

 近くで乾いた擦過音がして、藤居は反射的に音源を探した。そばに人の動きはない。矢俣は微動だにせず熟睡している。無造作に積み上げた小物の荷が崩れたのだろうか。

 ガサガサ。

 同じ音がまた鳴った。何かが動いている。目と耳に意識を集中していたので、今度はどこから音がしたのかおおよそ判別できた。

「この段ボール箱か」

 藤居は音源らしき段ボール箱を見出したが、どこからか転がり落ちたり、滑ってきたりしたようには見えない。むしろ、比較的整然と並んでいるほうだった。

 藤居が箱に手を伸ばしたとき、ガタン、とその箱の一端が宙に浮いた。箱が跳ねた、と表現するとしっくりくるような、そんな動きだった。輸送機が揺れたようには感じなかったので、錯覚か、と藤居は目をこする。

 改めて箱を引き寄せようとすると、再び箱が跳ねた。見間違いなどではない。箱はバッタンバッタンと暴れまわりはじめた。産地直送の海老のような活きの良さである。

 これが先日の食堂での騒ぎに居合わせたものだったなら、この時点で箱の中身に気づいただろう。だが、あのときまだ赴任していなかった藤居は、箱の正体に察しをつけるのに若干の時間を要した。

「キャンキャンキャン!」

 その鳴き声が、決定的だった。機内の人目がいっぺんに藤居のところに集まる。藤居は箱に封をしていた梱包テープを勢いよくはがした。

「アウ!」

 箱の中から飛び出しのは、大方の予想どおり、ゴン太だった。ゴン太は藤居のことを牢屋から出してくれた恩人と認識したらしく、藤居の膝に飛び乗ると、前足を彼の腹にかけて激しく尻尾をふりはじめる。

「どうしてこいつがここにいるんだ」

 藤居はゴン太の両脇をそっと掴んで持ち上げながら、機内を見回して尋ねた。

「あ、その箱は少佐からの預かり物だったんです。自分が襲撃前に頼まれました」

 名乗り出てきたのは、整備班の富士本だった。

「肌身離さず持っておけって言われてたんですが……。やっぱり中身はゴン公だったか」

 富士本は立ち上がって藤居のほうにやってくると、ゴン太を受け取って胸の前に抱えた。ゴン太は収まり慣れた江藤の腕と違うので少し落ち着かない様子だったが、特に反抗はしない。ずっと箱の中にいたので疲れたのだろう。あるいは、飛行機がお気に召さないのかもしれない。

「よく今まで静かにしていたもんだな」

 藤居は、ゴン太の入っていた段ボール箱を見て呟いた。

「妙に利口なんですよ、こいつ」

 食堂での騒ぎでゴン太を間近に見た富士本は、そのときの恨みを思い出してゴン太のおでこをつっつく。

「さて、どうしたものかな……」

 藤居は思案顔になった。

「どうするって言っても准尉、連れて行くしかないでしょう。あの少佐の決めたことですから」

 富士本がさも当然のように言う。

「そうだな」

 藤居は、まったく富士本の言うとおりだと納得した。

 ゴン太のお守りに手を焼いた富士本が、まだ寝ていた矢俣にゴン太を預けてちょっとした騒動を生んだのは、余談である。



- 5 -


 江藤はいつの間にかまどろんでいた。

 それに気づいたとき、薬の効き目が二回に分かれて襲ってきたのだろうかと、江藤は真剣に考えはじめた。

 自分の特異体質が、バロッグ感知という際立ったものだけに限らずいろいろとあることは、少年期から明白だった。単に体格のせいだとわかる体質も多いが、一部には、現在の医学では説明がつかず、もしかすると例の体質に起因したものかもしれないと思えるものもあった。しかし、考えた結果何らかの対処法が見つかったかというと、そういったためしはない。それでも、江藤は考えることを止める気はしなかった。

 思索にふけりながら地上の風景を眺めていると、江藤はひとつの疑問に行き当たった。おかげで、彼の崇高な思索の時間は終わりを告げることになった。

 江藤はまた呂孝明を呼びつけると、外を指差してこう言った。

「新青海に向かってるのだったよな。コースが違うんじゃないか?」

 呂は、今まででいちばん感情の反映された表情をした。

「よくお気づきで。実は先ほど、予定航路上にバロッグ発生の報告がありました。現在コースを変更して迂回しているところです。そのため新青海への到着は若干遅れます」

 ご心配なく、と付け加えた呂は、席に戻らず操縦室の奥へと消えた。最前列と最後尾の計三人は動かない。だが、さっきまでは交代で何度か操縦室に出入りしていた。

「バロッグが出ているのは、嘘じゃないな」

 江藤は呟くようにして北嶋に話しかけた。どうして江藤がコースが違うのに気づいたのだろうかと外を見ていた北嶋は、それを聞いて視線を江藤の頭髪に転じた。シートの上からはみ出した江藤の髪は、彼が腕を組んでじっとしている姿を北嶋に見せた。

「――特異体質は、やっぱりまだ健在だったか」

 自称緊急連絡部の人間には聞こえないように、小声で北嶋は返事をした。

「ああ……。でなくとも、奴らがさっきからそわそわしているのを見れば、何か予想外の事態が起こっているのはわかるけどな」

 江藤の話す声は落ち着いていた。北嶋は、バロッグの発生状況について江藤に尋ねてみた。

「たいした濃度でもないが、ずいぶんと広いようだ。雲みたいなもんだな。舵取りを間違われたら、この機体は空中分解するぞ」

「なんだって!?」

 江藤が冷静なのでたいしたことはないのだろうと踏んでいた北嶋は、見事に期待を裏切られて思わず叫んでしまった。

「大きな声を出すなよ、北嶋」

「そんなこと言ってもな、おまえ、状況が状況だぞ。俺たちどうなるんだ?」

 北嶋は前のシートにかじりつくようにして江藤に尋ねた。

「俺よりあいつらに聞けよ」

 江藤はそういって、機の前後に控えていた三人が近づいていることを示唆した。北嶋の出した大きな声に、何事かあったのかと様子を見に来たのだ。

 日本語を使えたのは呂だけではなかったらしく、三人の一人が少したどたどしい日本語で「どうかしましたか」と尋ねてきた。北嶋は「なんでもない」と返したが、それでなんでもないと思ってもらえるような様子ではなかった。

「腹が減った。機内食のサービスはないのか?」

 と、江藤がごまかそうとしたとき、機体が突発的に大きく揺れ動いた。立っていた三人はバランスを崩し、シートに掴まり損ねたひとりが床に倒れる。

「乱気流か!?」

 北嶋が叫んだのと、操縦室からどこかの言語でアナウンスが入るのが同時だった。倒れずに踏ん張っていた二人が、それを聞いて操縦室へと走る。残るひとりも立ち上がって後を追おうとしたが、その裾を江藤が踏んづけた。どうして立てないのか気づいた男が悲鳴を上げたときには、彼の同僚はもうドアの向こうへと消えていた。

「江藤、どうなってる? そしてどうする気だ?」

 揺れは小さくなったが、まだ続いていた。北嶋はかなり青くなっている自分を自覚しながら、江藤の体質と経験に頼った。

「バカが、舵取りに失敗しちまったようだ。見事にバロッグの中に突っ込んだぞ。――だが、ちょうど良い機会かもしれん」

 江藤は裾を踏んで捕まえていた男を立たせると、自慢の太い腕を後ろから首に回してホールドした。そして、耳元で何事か脅迫する。

 操縦室から誰か戻ってくる様子はなかった。きっと皆で仲良くパニックになっているのだろう、と江藤は意地悪い想像をする。実際、こんな状況で落ち着いていられるのは自分か、悟りを開いてしまった御仁くらいだと江藤は思っている。

 少し考えてから、江藤は捕虜の耳に再び悪魔の言葉を囁(ささや)くと、彼を解放した。男は江藤を何度かふりかえりながら、揺れる機内を慌てて操縦室へと走っていった。

「江藤、こんなときにいったい何を吹き込んだ?」

「慈悲深き天使の囁き、ってところだな」

 江藤は愉快そうに笑うと、席には戻らず近くにあった収納ボックスのところまで行き、それを開けて中から登山リュックのようなものを取り出した。

「おい北嶋、これをつけろ」

 江藤は引っ張り出したものを北嶋に放った。あまり勢いが良いので北嶋は受け止めそこなったが、両手でそれを拾い上げて、その正体を知った。

「これって、パラシュートじゃないか」

「わかるじゃないか。じゃあ付け方もわかるな」

「諸国遍歴したお前と違って、俺は落下傘降下なんて」

 北嶋が困った視線を江藤に送ると、彼は自分の分も取り出して、もう装着を始めようとしていた。

「経験ないのか。しかたない。俺が着るのをまねして、急いでつけろ。――お、もう高度が下がりはじめたか」

「高度が下がっているって、おい、墜落しているのか」

「いや、バロッグを回避しているんだ。うん、だいぶ速度も落としたな。――今さっき、俺が回避方法を教えてやったからな。たぶん最寄りの空港に着陸するだろう」

「じゃあどうしてパラシュートなんか……」

「最寄りの空港でも連中の手が回っている可能性がある。操縦室に乗り込んで奴らを一網打尽にするのもスリリングでいいが、非戦闘員のお前がいるから安全策を取ろう」

「初めての落下傘降下の、どこが安全策なんだ!?」

「嘘ぶっこいて最大限減速しろと言ってある。開傘も多段式だから負荷は……ええい、説明は後でするから、とにかく着るんだ、北嶋」

 すでに装着を終えた江藤は、北嶋からパラシュートを取り上げると、手早くそれを北嶋に着せにかかった。

「さすが緊急用の最新モデル、もう装着完了だ」

 江藤がそう言って肩を叩くと、もう北嶋も立派な空挺スタイルだった。

「あとはこれを口に当てて……。この紐は、シグナルの色が変わるたびに順番に引っ張るんだ。間違えると妻子が泣くぞ」

 最後の言葉に北嶋が反応したときには、いつの間にかもう非常扉の横にいた。

「じゃ、お先にどうぞ」

 江藤は無造作に扉を開けると、北嶋を外へと突き飛ばした。

 吹き荒れる風は、一切の悲鳴も絶叫も響かせることはなかった。



- 6 -


 藤居たちの第三陣が北京に到着したのは、現地時間で午後四時頃だった。

 緯度はわりと高いので、厚木よりもずっと寒い。しかしただの旅客ではないので、着いたからとそのまま空港の建物に退避するわけにはいかない。積んできた龍や車輛をさっさと運び出さなければいけないし、近衛軍から派遣されている北京の現地スタッフにも到着の挨拶に行かねばならない。やることは多い。

 輸送機が停まったところに、李峰國や群山たち数人が出迎えに来ていた。出迎えといっても単なる仲間づきあいではない。降ろした荷の運び先など、必要な情報を伝えるために待っていたのだ。

 臨時で隊長代理をやっている藤居は、出迎え組の敬礼を受けた。

「ご苦労さん。何か問題は?」

 敬礼には慣れない。しかも、寒さのせいで峰國らの動作が硬くなっているため、本人らの気持ちはどうあれ敬礼もなにやら剛直に見える。藤居は照れてしまってしかたなかったが、隊長役は続けるしかない。

「荷物運びは大丈夫でしたよ。ここの乗俑機も手伝ってくれましたから」

 峰國は意外なこともあるものだと言わんばかりに笑った。いや、もしかすると笑っているのではなく、寒さで歯を震わせているのかもしれなかった。

「他の隊員は今どうしているんだ」

「二番目に来た連中は食堂で飯ですよ。俺たちはもう済ませました」

「そうか、じゃあ引継ぎを頼むぞ」

「ラジャー」

 大げさに敬礼すると、峰國らは荷を降ろしはじめた輸送機のほうに走って行った。が、群山だけはその場に残った。

「群山軍曹、どうかしたのか?」

「准尉、悪い知らせがひとつあります」

 群山は、いつになく暗い顔をしていた。


*   *   *   *   *


「バロッグ! じゃあ少佐と大尉は……」

「行方不明だとさ」

 ばらした龍を乗せた荷台を輸送機から降ろしにかかっていた南田は、峰國からその話を聞いて、ラリアットでも喰らったような気になった。

「たぶん今夜はこのあたりに泊まるんだろうな。とりあえず俺はあったかいカフェオレ飲みたいよ。寒すぎる」

「峰國は暖かいところで育ったのか?」

 南田は、荷台の反対側に回った峰國にそう尋ねた。

「いんや、そうでもない。ま、拾われる前のことは知らないけど」

 しまった、と南田は唇を噛んだ。峰國が孤児だったというのは、会った日の夜に聞かされていた話だった。南田が荷台の隙間から反対側の様子を見ると、表情を曇らせることもなく、手際よく固定具を外している峰國が見えた。

「曹長、後が詰まります。急いで急いで!」

 機外から、矢俣のせかす声がした。矢俣は日本海上空でゴン太におしっこをかけられたせいで、少々いつもとは人が違っている。南田は「悪い悪い」と返して、止まっていた手を動かす。

 二重のロックをはずし、レバーを引く。横に移動して、また同じ動作を繰り返す。反対側の峰國から「こっちは終わったよ」と声があり、南田は外の矢俣に向かって「固定解除」と合図した。

 するとすぐに、空から巨大な三本指の腕が伸びてきて、輸送機の中の荷台を掴んだ。やがて龍の上半身が横から覗き込むように姿を現し、誰かの龍が荷台を引き出しはじめたのだとわかる。こういう作業は乗俑機や機兵でやるのが手っ取り早い。それを見越して、第一陣で運んだ機体を一機か二機、控えさせていたらしい。峰國と群山は下にいるから、操縦しているのは久留だろうと南田は推定する。

「スムーズなもんだな、久留のマニュアル操作」

「そーだね。竜時よりは上手い」

 ふたりは久留の操縦を評しながら、荷台と一緒に輸送機から降りる。次は荷台を空港のレッカー車に牽引してもらうため、ワイヤーをつなぐ作業がある。ふたりがワイヤーを取りに行こうとしたところへ、何かわめきながら富士本が走って来た。

「どうした富士本、ワイヤーが足りないのか?」

 南田は呼びかけたが、富士本は首を横に振った。

「……見なかったですか?」

 富士本は息を荒くしていて、出だしの部分は聞き取れなかった。南田が聞き返そうとすると、その前に富士本の目と口が全開になった。

「あ、そこ!」

 富士本は南田と峰國の間を指差した。反射的に後ろを振り返った南田は、自分に向かって飛んでくる、灰色で毛むくじゃらの弾丸を目にした。

「うわ、ご、ゴン太?」


*   *   *   *   *


 群山から良くない報せを受けた藤居は、これからどうなるのだろう、何をしておかねばならないのだろう、と思い悩みながら歩いていた。

 遠くで南田の叫び声を耳にしたのは、荷降ろしの確認のために輸送機の後ろに回ろうとしていたときだった。彼の視力は南田の姿ともうひとつの影を鮮明に捉え、彼を悩ませていた問題のひとつが解決されたことを知った。

「ああ、いいカウンセラーがいたな」

 相変わらず結果オーライの人だな、と、藤居は隊長のことを想った。



- 7 -


「案外上手いじゃないか」

 まるで陸(おか)に打ち上げられたクラゲのようになったパラシュートの下から北嶋を救い出した江藤は、不要になったパラシュートを彼の体から切り離しながら、そう褒めた。

「突き落としておいて、なんだその言い草は。死ぬかと思ったぞ」

 奇跡的に飛ばされずにすんだ眼鏡をきれいに掛けなおしつつ、北嶋は恨めしい目で江藤を睨んだ。

「最近のはな、素人でもとりあえず生きて降りられるようになってるんだ。もちろん、降りる場所や滞空時間を調整するのにはかなり訓練がいるがな。――ついでに言うと、どうせ外気との圧力差で吸いだされるんだから、景気よく飛び出したほうが安全だったって話もある」

 そう解説して見せる江藤は、装着したものはもうすっかり外してしまって、元のスタイルに戻っていた。北嶋は今更ながらに、よく江藤の体に規格品のパラシュートがフィットしたものだと感心した。さすが最近のモデルといったところか。

「二人とも無事に降りられたのは良かったが、そもそもなんでこんな真似を……」

「あいつら、緊急連絡部の者だといっていたが、俺の記憶にある緊急連絡部は特権を行使するときに必ず身分証のようなものを見せていた。たぶん、あいつらは偽者だ」

「そうなのか。俺は緊急連絡部に会ったことなんてないから、何とも言えないが」

「新人で仕事の勝手がわかっていなかっただけかもしれんが、もしやばい連中だった場合のことを考えると、確証を得るまでのんびりとしているわけにもいかんだろう。おまけに、バロッグに飛び込みやがるしよ」

 江藤は呆れた顔で彼らの不手際をふたつみっつ槍玉に挙げてみせた。

 それを見ていた北嶋は、急に彼らのことが心配になってきた。いきなり睡眠薬をかがされはしたが、その他に格別手荒な扱いを受けたわけではないし、むしろ江藤が向こうにしでかした乱暴のほうがよほどひどい。どこで死のうが知ったことか、と思うほどの恨みはない。あの高速連絡機は、自分たちが勝手に客席のハッチを開けたりしたせいで、かなり操縦に支障をきたしたことだろう。幸い、天候は穏やかだから良いが、バロッグ内でエンジン事故でも起こしていたらそれだけでも相当の危機である。果たして、無事にどこかに着陸できたのだろうか。

 心許ない顔で空を見上げる北嶋を見て、江藤は安心しろ、と声をかけた。

「飛び降りたらすぐにバロッグの感じは遠のいた。あのペースで高度を下げていれば、すぐに通常領域に復帰できただろう。それにあのハッチは操縦室から操作できる。加圧しなおせば連中の命に別状はあるまい。客室の加圧がすめば、奴らもパラシュートで脱出できるわけだし」

 しかしいずれにせよあの機体はオーバーホールだな、と江藤はいたずらっぽく笑う。

「笑い事で済むことを祈るよ」

 北嶋は改めて辺りを見回した。木はほとんどなく、草もまばらで、砂漠化の進んだ土地だった。平原、と呼ぶにはやや起伏がある。

 近くに町や集落がないことは、さっきまで上空から見下ろしていたからわかっている。せめて道路があれば、それを辿ってどこか人のいる場所へ行けるのだが、少なくとも舗装道路は見当たらない。

「江藤、ここはどのあたりだ?」

 コースの違いを看破した江藤に、北嶋は期待した。

「青海省のどこかだろうな」

「そりゃ、新青海基地に向かっていたんだから、そうだろうさ。もうちょっと詳しい場所の見当はつかないのか」

「さあな。とりあえずどっちが北か、太陽でも見て調べてみようか」

 江藤はそう言ったが、それは冗談だった。北嶋が太陽の向きと時刻を照らし合わせようとして、日本とこことの時差の問題に突き当たって苦悶している隙に、懐から方位磁針を取り出した。

「なるほど、こっちが北か」

 これ見よがしに大きな声を出して、江藤は北を指し示した。時差のせいで、ここではまだ太陽が南中を迎えてはいなかった。日本ではもう日が傾いているはずなのだが。

「夜まで長そうだな、これは」

 横から刺さる北嶋の視線に背を向けつつ、江藤は笑った。

「じゃあ、その長い長い昼の間に、夜を明かせる場所に行き着きたいね」

 北嶋は、背を向けたままの江藤の後頭部にジャンプして一撃を加えると、やっぱりおとなしく空港に降りたほうが良かったじゃないかとぼやいた。

「そういうなよ。咄嗟の判断に多くを求めるのは、酷というものだ」

「自信満々だったくせに」

 北嶋のその一言が、ぐさりと江藤の胸に刺さった。

「と、とりあえず西に向かえば新青海に近づける。まずは歩きはじめようではないか」

 江藤はコンパスを見直してから、回れ左をして西に向き直る。

「確かに、動かないことに始まらないな。車みたいな速い足がないわけだし、いくら時間があっても余分じゃない」

「足なんて飾りだ。偉くなるとそれがわからなくなるんだ」

「何を言っている?」

「いや、なんでもない」

「わけのわからないことを言ってないで、歩け。俺はこんなところで朽ち果てるつもりはないぞ」

 口ばかりでなかなか動き出さない江藤を置いて、北嶋は先に歩き出す。

「裕美子さんや朋美と永久の別れだなんて、冗談じゃない」

 北嶋は、燃えていた。



- 8 -


 三時間経った。

 北嶋の燃え上がらせた炎は、寒空の下でくすぶっているのが精一杯になっていた。

 行けども行けども人家は見えず、道路も、飛行機も目にしていない。まるで人のいない世界に紛れ込んだようだった。

「江藤、どんどん遠ざかっているような気がしてならないぞ」

「そりゃまぁ、日本からは遠ざかってるな」

 飲食物は持っていなかったので、ふたりともとっくに活力を失っていた。意識を保つためにときどき交わす会話の内容も、回数を重ねるごとにどんどん不毛になっていた。

 今までに二回休憩を入れたが、まだ道路さえ見つけられないでいる現状をかんがみて、ふたりは三度目の休憩を先延ばしにしていた。だがそれがますます、歩みを重く苦しいものにしていく。

「江藤、何か聞こえなかったか?」

 北嶋は、何か自分たち以外が立てた音を聞いたような気がして、久しぶりに歩みを止めた。

「悪い、腹の虫がなった」

 江藤は立ち止まるのも面倒なようで、そのまま惰性で前進し続けながら答えた。

「そうか」

 北嶋は落胆して、歩くのを再開する。

 飛行機が飛ばないのはバロッグのせいも知れない。それは北嶋も江藤から聞いて納得していたが、連絡機がバロッグに突っ込んだのを防空網が感知して、誰か捜索に来てくれてもいいだろうに、と考えずにはおれなかった。一応、捜索隊が来たときのことを考えて、定期的に大げさな足跡を残しながら来たのだ。

 緊急連絡部を名乗っていた連中が本物にせよ偽者にせよ、自分たちに用があることは間違いないわけで、誰かが捜索に来るのは時間の問題だと北嶋は考えていた。まさにそれが問題の焦点で、江藤と北嶋が凍死する前に捜索が来てくれるか、その前に自力で人家に行き着くかしない限り、ここで虚しく死ぬことになるのだ。

「江藤、何か聞こえなかったか?」

 北嶋は幻聴かもしれないと思いつつも、また耳に聞こえた音に希望を託さずにはおれなかった。

「悪い、屁ぇこいた」

 江藤は尻を掻きながら、またも北嶋の夢を粉砕した。そして、悪臭が北嶋に追い打ちをかける。北嶋は涙も出なかった。

 続く二十分ほどを、ふたりは互いに無言のまま歩いた。

「江藤、何か聞こえないか?」

 北嶋は、今度は江藤を強引に捕まえながらそう尋ねた。

「悪い、ネタが尽きた」

 江藤はふりかえると、その場にどかっと腰を据えた。

「北嶋、休憩を入れたいんなら素直にそう言え。適当に休むのも大事なんだから」

 江藤は半分怒ったような顔で寝転がる。しかし、北嶋は休みたくて嘘をついたわけではなかった。北嶋は辺りを見回しながら、耳に手の平を添えていた。

「江藤、耳を澄ましてみろ。何か近づいてくる」

 北嶋が本気で言っていることに気づき、江藤も半身を起こした。耳に手を当てて三百六十度走査する。まるで子供の仕草である。


 ガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャ。


 風の声にまぎれて、そんな音がしていた。

「うむ、何か聞こえるな」

 江藤は頷いた。

「なんだと思う?」

「飛行機ではなさそうだ。なかなか俺たちはついているな。車なら、ヒッチハイクできるぞ」

 しめたとばかりにほくそえむ江藤。

 対して北嶋は、そもそもこんな目にあっていることでじゅうぶん不運だと思っていたが、音の発生源を探すほうに集中した。見逃してしまっては、このまま荒野をさまよい歩くことになってしまう。脳裏を妻子の顔がちらついた。

「え、江藤! あれ!」

 その集中力と妻子への想いが功を奏したらしい。北嶋は、自分たちを追うように後ろから走ってくる、ごつくていかつい車体を見出した。よく見えないが、建機か、あるいは架橋車の類だろうか。


 ガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャ。


 音は次第に近づいてくる。北嶋の見つけた車が音源だと、ふたりは確信した。

「向こうから来てくれるとは、追いかけたり手を振ったりする手間が省けた」

「捜索隊だろうか」

「どうだろうな。とにかく助かった。もう腹が減って腹が減って……」

 江藤は大事をとって落下傘降下で脱出したなどすっかり忘れたように、手放しで助け舟を喜んだ。これで虜囚の身になっても、とりあえず飢えと寒さをしのげるなら構わないといわんばかりだ。だが今は、北嶋もそれをたしなめる気にはならなかった。

「しかし、車にしては妙だな」

 近づくにつれて鮮明になる姿と音に、江藤は首をかしげた。

「何が?」

「あの音、クローラーやタイヤのような足回りが出す音じゃない。おまけになんだか動きが妙だ」

 言われてみて、北嶋ははじめてその不自然な挙動に気づいた。そうでこぼこのある地面ではなかったはずなのに、それはやけに上下に振動しているのだ。

「あ、足?」

 そう言ったきり、ぽかんと開けたまま口が閉まらなくなってしまった。同時に、絶対にこれは捜索隊ではないという確信も得られた。

 旧式の戦車の車体からクローラーを外し、代わりに側面から四本の足を生やし、そして砲塔の代わりにクレーンと煙突を具えた車。いや、それは果たして車と呼べるのだろうか。かといって乗俑機と呼べる代物でもないのは、遠目から見ても確かだった。

 やがてその奇妙な乗り物は、呆気にとられるふたりのもとまで驀進してきた。そして、やはりふたりのことをちゃんと認めていたらしく、しっかり四メートル前で停止する。

「こ、こりゃレアものだな……」

 江藤はうなった。

 近くで見れば見るほど、つい今まで実際に荒野を走ってきたとは信じられない姿である。旧式の戦車と乗俑機を混ぜるようにして作ったらしいが、いかにも手製らしい溶接跡などを見ても、どうして必要な強度が得られているのか不思議でたまらない。特に技術畑の北嶋は強く疑問に感じた。

 数歩下がって、クレーンの脇の操縦席と思しき部位を見上げると、やはりそこには人の姿があった。見たところ中肉中背の男のようである。近づいてくるときはその異様に目を奪われて、操縦席のガラスの向こうにある人影など全く気がつかなかったのだが、ちゃんとさっきから座っていたのに違いない。操縦席がほぼクレーン車のそれなので、今どこからか移動してきたという可能性はゼロと見積もってよい。

 見上げたふたりと、操縦席の男の目が合った。

「あ、ハゲだ」

 江藤は無遠慮に第一印象を述べた。エンジン音がやかましいところに、相手はまだ操縦席の中。聞こえていたところで、どうせ日本語など通じようもない、というのが江藤の言い分だろう。北嶋はそれをすべて推察した上で彼を小突くと、操縦席の男に会釈する。

 男は北嶋の会釈には応じず、操縦席の横のドアを開けて、その禿(は)げ上がった頭だけを突き出した。そのとき初めてふたりが気づいたことだが、その男の側頭部にはちゃんと髪が生えていた。額が後退したタイプの禿(はげ)であるらしい。

 そんなことを考えていると、禿頭の男が何か言った。しかし、その乗り物の駆動音がうるさくて、何と言っているのかさっぱり聞き取れない。男はこちらが返事をしないのを怪訝(けげん)に思った様子で、さらになにやら口を動かしていたが、やはり聞こえない。

 先に業を煮やした江藤が声を張り上げた。

「おい、俺たちを乗せて行く気があるのか、ないのか!?」

 立場をわきまえないヒッチハイクの文句である。だが、北嶋もそんな常識的な感想を抱ける心の余裕を残していなかった。

「江藤、英語を使え」

「しょうがないか」

 江藤は舌打ちした。生粋(きっすい)のバイリンガルとはわけが違う。そうそう瞬時に英訳した文句は出てこない。

 江藤が英訳を考えていた時間は決して長くはなかったが、禿頭が口を開くほうが早かった。

「お前ら、日本人か!」

 それはどう聞いても本場の日本語だった。