黒龍隊の挽歌 第十二話

空白



- 1 -


 抜き打ちでサバイバル訓練の補習が入った。南田が放り込まれた状況は、例えるならそんな感じだった。

 機兵の急速な配備を進めていた亜細亜連邦軍は、パイロット養成期間も短縮せざるをえなかった。そのおかげで、南田の機兵パイロット候補生としてのサバイバル訓練は、二日間富士の樹海をさまようだけで終了した。本来なら一週間以上の日程で、おそらくはもっと僻地で行われるはずだった、というのがもっぱらの噂。そのとき楽をしたぶんが、今、しっかり利子がついて返ってきたらしかった。

 西フェルガナ基地での戦闘で不思議な光に包まれたあと、気づけば南田は、ただひとり見知らぬ土地に放り出されていた。全方位を囲うバロッグのために通信もままならず、歩き回って近くに峰國(フェングォ)北嶋たちの姿を探したが、機兵の足跡も、車の轍も見つからなかった。

 意識の飛んでいたうちに、得体の知れない作用ですっかり別の場所に移動させられてしまった。南田がそう認識するまで長くはかからなかった。原因はさっぱりわからないが、結果は事実として認めざるをえない。すべてを狂わせたあの大惨事、すなわち八月の悪夢よりあとに生まれた南田には、その従容(しょうよう)さがあった。法則というものは事象を観測することで得られた真実なのだから、事象に例外が認められれば、その法則には但(ただ)し書きを加筆せねばならない。

 どこに移動してしまったのか具体的にはわからなかったが、南田はとにかく東を目指すことにした。景色からすれば、おそらく中央アジアのどこかである可能性が高く、そうすると西に行けば敵と出くわす危険があったからだ。逆に、東に行けば友軍に合流できるだろうし、そのうちバロッグの外に出られるという見込みがあった。

 そして、三日が経った。

 抜け出せると思った変則領域は予想外に広く分布していたようで、普通ならしばしばあるはずの切れ間さえほとんどなかった。通信可能なほど広くバロッグの晴れている場所を探してもみたが、徒労に終わった。バロッグの晴れ間とオアシスとなら、おそらく後者のほうに多く行き会っている。

「訓練なら、期限が過ぎれば回収してもらえるけど……」

 休憩のため、発見した小さなオアシスで龍(ロン)を降りていた南田は、地面に座り込んで空を見上げた。バロッグの影響で仄(ほの)かに霞(かす)んでいるはずだが、それでも東京で見上げた空よりよほど澄んでいる。自然と溜め息が出たが、その吐息は白く立ち昇って、南田の自律神経に身震いを促させた。

 最初のサバイバル訓練を受けたときにも、こうして空を見上げた記憶があるが、そのときは完全な孤独ではなかった。どこかに教官や仲間がいるとわかっていて、それにおそらく、常に監視されていた。

 しかし、今はそのときとは違う。わけのわからぬうちに仲間とはぐれ、たったひとりだ。誰かが見守っているわけでもない。せめて自分のいる場所さえ知ることができれば、と思うが、主要な人工衛星を啓示軍(オフェンバーレナ)に握られていては、南田にそれを果たす術(すべ)はなかった。数年前までは、個人が自家用車でGPSを利用していたというのに。

 不幸中の幸いは、あのわけのわからない現象が南田から龍を剥奪しなかったことだった。龍の移動速度と探知能力は人間と比べるべくもなく、コクピットの中にいれば寒さもしのげる。さらに機内には三日分の食糧と水、そしてサバイバルセットが常備されていたから、南田が飢えや渇きに苦しめられることもなかった。

 ――しかし、それももう。

 南田は足元の泉に設置した、携帯浄水器に視線を落とす。これのおかげで、こうした湧き水を発見するたびに水をセーブできているが、食料はもう尽きかけている。三日もあれば友軍に出会えると踏んでいたのだが、その期待は外れた。昨日から節約を開始していなければ、今晩は食べるものがなかったのだ。人間、水さえあれば数日はもつのだろうが、それより心配なのは龍の駆動電力とロケット燃料の残量だった。

 冬にこんな土地で、じゅうぶんな装備もなしに徒歩で行くのは、言うまでもなく自殺行為である。龍が動けるうちに、友軍を見つけ出す必要がある。すでに龍にはできる限り電力消費を抑える設定をしており、歩行に不要なセンサー類は断続的にしか作動させていない。これで敵に見つかりでもしたら大変なのだが、遅々たるペースとはいえ三日も東進したのだから、限りなく亜連の勢力圏に近づいているはずで、それほどの脅威はあるまいと南田は考えている。

「きっと明日には合流できるさ」

 自分をそう勇気づけて立ち上がる。その南田の耳に、服と枯れ木の擦過音でも、浄水機の作動音でもない音が届いた。空気が低周波で震えている。

「爆発?」

 南田は浄水器を切って手早く片付けると、溜めた水を置き忘れかける勢いで龍に駆け戻った。鍛えられていない南田の耳では、遮る物の少ないこんな土地であっても、音の発生源がよくわからない。しかし龍のセンサーを使えば話は別だ。爆発らしき音は断続的に続いており、南田は機能を殺していたセンサー類の一部を蘇生させて、その発生源を探った。

「南西、近いのか」

 データは得られたが、それから南田は考え込んだ。続けざまの爆発音が意味するところは、いったい何なのか。この三日、戦闘には一切遭遇しなかったが、それが今日になって、ここまで東に来てから行き会ってしまった。安全圏にたどり着いてはいなかったということだろうか。

「行ってみるしかない」

 南田は決めた。幸いにも龍という道具があるのだから、この変則領域の中ならば、様子だけ見て、間が悪ければ逃げ出すことも可能だろう。リスクとリターンを皿に乗せた天秤はリターンのほうに傾いた。

 操縦系をスタンバイからセミオートに切り替え、各種センサーを起動。足のマスディフューザが作動して接地圧をやわらげ、龍は静かに立ち上がる。爆発の性質が不明で安全が確認できないため、バルムンクフィールドも展開。これで龍のステルス性がかなり向上するし、同時にバロッグをほとんど気にせず動き回れるようになった。

「よし」

 ヘルメットをしっかりかぶりなおし、パイロットスーツの操縦補助系を機体側の端子と接続し終えた南田は、龍を南西に向けて前進させる。額の望遠カメラで前方視界を拡大して表示させると、爆発音の合間に、弱々しいが閃光も確認できた。

 やはり、砲撃の音か。

 そう思った刹那(せつな)、南田は突然のアラーム音に驚かされた。ロックオンされたときの音とは違う。それとは比較的耳にする頻度の低いこの音は、近距離で急に相対バルムンク反応(RBR)を感知したときの警告だ。RBRセンサーに目をやり、その反応の強さから相当距離を詰められていることを悟った南田は、急いで機体を反転させた。南田は、完全に後ろを取られていたのだ。

 ふりかえった視界に、こちらに砲口を向けて佇(たたず)む、人と似て非なる姿があった。


*   *   *   *   *


「ジ・エンド!」

 それが三日ぶりに聞いた李峰國(リー・フェングォ)の言葉だった。

「右肩だけ色が違う防人型だから、わかるぞ。竜時だろ?」

 それに続けて峰國の声が笑い、同時に目の前の防人型が、南田に向けていた火縄を下ろす。たしかに南田の龍防人(さきもり)型は、熱粒子砲で右肩を損傷してパーツ交換をしたから、そこだけ都市迷彩となっていて色が浮いている。相手がそれを知っているということは、南田が声を聞き違えているのではない。

「峰國……なんだな?」

「ひどいなぁ。戦友の声を忘れちゃった?」

 峰國のあいかわらずの調子に、南田はどっと体の力が抜けた。峰國の防人型も、西フェルガナ基地で見てから傷は増えていないようだ。

「今までどうしていた?」

「それを話すと長いんだ。そっちも同じだろうけどね。でも今は急がなきゃ。今の竜時みたいにセンサー切って隙だらけにしておくと、ここじゃ危険だから」

 急かす調子の峰國の態度に、南田は疑問を抱く。

「どういうことだ。あの爆発はやっぱり戦闘なのか?」

「いや、あれは地雷を爆破して突破口を開いているところ」

「地雷だって? ここはどこなんだ? 状況がさっぱりわからない」

「俺も詳しくは知らないよ。でも、どこに行けばそれがわかるかは知ってる。ついて来いよ、竜時。それくらいの電力はあるんだろう」

「ああ、それくらいなら」

「じゃ、あっちね。事情は行きながら話そう」

 峰國の龍が踵(きびす)を返し、北東に向かって歩きはじめる。南田は自分が助かった安堵と、仲間が自分同様に生き延びていた喜びとで涙腺がゆるんでしまい、しばらく歩行をオートにしておかなければならなかった。


*   *   *   *   *


「どうにもこうにも、みんな突然いなくなっちゃってビックリだった」

 そう語りだした峰國(フェングォ)の説明は、おおよそ南田の三日間の行動と符合していた。やはり峰國も気がつけばひとりきりで放り出されており、南田と同じ判断で東を目指していたらしい。

「昨日の昼過ぎかな、機兵の足跡みたいなのを見つけたから、それを追っていたんだけど……。夜のうちに見失ってさ」

「俺の龍の?」

「わからないけど、今朝からまた見失った足跡を探していたら、車の走ったあとを見つけたんだ。それを辿(たど)っていったら、あの地雷除去中の部隊を見つけて、そこでこの陣地のことを教えてもらった。竜時を見つけたのは、そのミス・チガラってやつだな」

「それは道すがらの間違いだ。――そうか、意外と近くにいたんだ」

 南田は少し拍子抜けした。変則領域内での機兵の隠密性がそれだけ高いということだろうと、はじめて南田は実感する。考えてみれば、峰國が頼みとした機兵の足跡も、歩行速度とマスディフューザの出力次第でほとんど残さずに歩くことができる。くわえて今回のバロッグのように視界まで阻害する変則領域の中ならば、最大の弱点である被視認性の高さも帳消しになるから尚更だった。センサーやバルムンクフィールドの使いどころを上手くすれば、さきほど峰國がしたように、相手の背後に突然姿を現すことすら可能なのだ。

 自分は預けられた物の価値さえわかっていなかったのだと、南田は反省する。

「今向かっている陣地って、どこの陣地なんだ」

 気分を変えたくなって、南田は先ほど棚上げにされた質問をひとつ持ち出した。

「第三〇三師団だってさ。師団が丸ごと、ってわけじゃないみたいだけど」

 そこで間を置いた峰國は、飯くらい貰(もら)えるだろう、と言って笑う。

「知らない師団だな。どこの方面軍だろう」

「地雷のとこにいた部隊は、西部方面軍の服を着ていたみたいだった。西部方面軍っていったら、生き残りは前線あたりで戦っているはずだから……。案外、ここはまだ前線に近いのかもしれないよ。困ったな」

「そうは考えたくないな。西部方面軍の生き残りの行き先なんて、例外はいくらでもあるだろう」

「ま、そうだろうね。とにかく、もうすぐ事情がわかるって。ほら、見えてきた。一時方向に警戒監視中ご苦労様の方々がいるよ」

 峰國機が指差す先に、たしかに警戒に当たっている兵士の姿が見える。もう向こうもこちらを発見し、上官に報告しているだろう。拡大した画像に映る彼らのひとりが敬礼で龍を見返している。どうやら勝手に通っていいらしい。

「歓迎ムードだ」

 峰國が無邪気に喜んでいる。

「うん、助かった」

 南田は心のそこからそう思った。



- 2 -


 一個連隊。見たところ、野営しているのはそのくらいの規模の部隊らしかった。もちろん、甚大な損害で定数割れを起こしているのかもしれないから、本来の規模はわからない。ただ、これが旅団や師団の成れの果てだと言われても信じられるのが、今という時代である。

 助かって安堵はしたが、それで南田の心配事すべてが解決されたわけではなかった。なにぶん、見知らぬ友軍部隊の野営地に助けを求めるなど未経験のことだからだ。ここの幹部に挨拶に行かねばならないだろうが、いったい何をどう説明したらいいのか。そもそも、顔を出す順番は。ここの備えで、機兵の充電や整備は可能なのか。この部隊が乗俑機でも使っていれば、いろいろ部品の流用が利(き)くし機兵の整備も簡単なのだが、そこはどうなのだろうか。そもそも、西部方面軍が相手となれば意思疎通はすべて亜連の軍用英語。欧米の街角で飛び交っている英語よりはずっと簡単だが、それでも南田には難しいのだ。

 南田が語学を苦手としていることは、とうに峰國(フェングォ)に知れている。南田の心中を慮(おもんばか)ったのか、峰國は野営地に入ってからも常に南田の前を進み、龍の駐機位置の指定などもすべて聞きだしてくれた。南田はただただ峰國の背中にくっついて行くだけで、龍を降着させる段に至るまで、一切まごつく場面に遭遇せずに済んだ。

「なるようになるさ」

 龍がゆっくりと腰を下ろす加速度を感じながら、南田はそう呟(つぶや)いていた。

 三日かかりはしたが、峰國とは無事に再会できた。さらにこうして、友軍とも合流できたのだから、あとのこともどうにかなるだろう。そう考え出すと、南田の気分はだいぶ晴れた。どうせ黒龍隊の作戦内容など周りに知れてはいないのだから、適当に嘘を並べて、ともかく補給を受けさせてもらえばいい。文面は自分が考えて、口頭説明は峰國に任せてしまおう。

 そんなことを企んでいるうちに、龍を地面に座らせて固定するシークエンスが終わる。南田は龍の管制システムを落とし、手足に接続していた操縦補助用の端子を外すと、正面に展開しているコンソールパネルを脇に動かして、コクピットハッチへの道を空けた。頭を低くし、身を乗り出してハッチを開くと、もう慣れっこになった冷気の歓迎が待っているはずだったが、今回は冷たさのなかにも温かさを感じさせる歓迎だった。生活の匂いがするのだ。人のいる空間のすばらしさを、三日の空白が教えてくれたらしい。

「やっぱり、竜時さん!」

 コクピットから半身を乗り出していた南田は、その声を聞いて耳を疑った。峰國のものではない。そもそも峰國に「さん」付けで呼ばれた覚えなどない。この濁ったような感じのする独特な声は……。

 周囲に声の主の姿を求めた南田は、首を半周させるまでもなく、自分に駆け寄ってくるひとりの青年を見つけた。肉付きががっちりしているくせに顔が穏やかで、言葉に中途半端に訛(なま)りを残した、南田よりひとつ年下の黒龍隊機兵パイロット。朝井秀和。西フェルガナ基地では本隊の護衛に残っていた朝井が、今、ここにいる。

「朝井!」

 思考などは情動の前に流れ去り、南田は精一杯の声で朝井に答えた。

「無事だったか!」

「それはこっちの台詞(せりふ)。そっちの龍は……峰國の兄貴か」

 龍のそばまで寄ってきた朝井は、もう一機から顔を出した峰國の姿を認め、笑う。いつの間にやら、峰國は呼び捨て同然だ。自分も遠からず呼び捨てになるのだろうか。その想像は今の南田にとって心安らぐものだった。

「こんなところで会えるなんて、やばいくらいに運がいいな。本隊は無事なのか?」

 乗降用ワイヤーを手繰りだす間も惜しみ、なかば飛び降りながら南田はそう尋ねる。

「そうみたいだよ」

 そう答えたのは朝井でなく、隣の龍から降りてきた峰國だった。

「なんでわかるんだ」

「気づいてなかった? カムフラージュネットをかぶっていたけど、龍やヤドカリなんかが向こうに置いてあったよ」

 にっと白い歯を見せる峰國。龍を降りた今の視点では見えないが、事実を確認するまでもなく、証拠のほうが大挙してやって来る気配がした。左を向くと、見慣れた顔がいくつも走ってきている。

「な?」

 間違いないだろう、と言わんばかりの峰國に、南田はゆっくりと頷く。

「車輛部隊と、そのとき護衛で着いていた俺たちは、みんな一緒でした」

 朝井のその短い説明を聞いて、やはり本隊も瞬間移動を経験したのだと南田は察する。

「龍が二機しか見えなかったけど?」

 峰國が首をかしげると、朝井は心配無用、と笑った。

群山が野暮用で出動してるんで」

「偵察……いや、地雷撤去と何か関係あるのか?」

「連絡部隊の護衛っすよ。戦力と言うより、使えるBFGとしてここの連中に借り出されたんです」

「後方と連絡が取れているのか?」

 南田は期待を込めて聞き返したが、朝井は首を横にふる。

「今から取ろうとしているとこですよ。そこらへんの詳しいことは、あとで大尉に聞いてくださいな」

「北嶋大尉は?」

「大尉は今、ここの指揮官と話をしてます。二人が直接ここに通されたのも、大尉が口をきいたからですからね。戻る場所はわかってるんで、そっちで待ちましょう。いや、その前にシャワーかな」

 言われて初めて、南田は自分の臭いを意識した。鼻が慣れてしまって自分ではよくわからないが、単に汗を流して染み付いた臭いだけでなく、パイロットスーツ付属の排泄物パックから微妙に漏れたそれも加わっているだろう。朝井の顔が正直にそれを物語っている。

「シャワーか、できることなら頼みたいけど、無理かな。こんななかじゃ水は貴重だろう?」

「大丈夫ですよ。そういう待遇なんで。――水がちっと濁ってはいますがね」

「待遇?」

 朝井の発言に引っかかるものを感じ、南田は聞き返す。

「ちょっとワケありでしてね。説明は大尉に聞いて下さい。とりあえずシャワーに案内しますよ」

 そう言って、すたすた先に進んでいく朝井を、南田は峰國を連れて追いかけた。


*   *   *   *   *


 シャワーを浴びると、自分がいかに普段から衛生的に恵まれた環境にいたかを南田は思い知った。湯音も水圧も日本で日常使っていたそれと比べれば劣ったものだったが、それでも、懐かしいくらいの体の軽み、そして全身にわたる清涼感が、心持ちまですっかり爽(さわ)やかにしてくれた。心の垢(あか)まで洗い流したようで、これが広い湯舟の風呂だったらもう極楽だと断言できる。

 富士本が用意してくれた着替えは、南田と峰國(フェングォ)の本来の持ち物だった。西フェルガナ基地到着後、詰所のほうに運び出したはずの代物である。現地撤収の際に、親切な誰かが回収して、車輛部隊に積み込んでくれたらしい。

「おかしいな」

 南田は呟く。

「何が?」

 寒さに震えながらシャツに腕を通す峰國は、そう聞き返したあとに南田の疑問を推察したらしい。確かに用意周到だね、と、またもや日本語の堪能さを披露してくれる。

「だろう。少佐が撤収を指示したのは、基地消滅のほんの少し前だ。それからのあいだに、こんなものまで積んでいる時間があったはずない」

「大尉は、予(あらかじ)め聞いていたのかも」

「撤退の可能性を?」

「うん」

「少佐と大尉は旧(ふる)い仲だっていうから、ありうるかもな。でも、少佐はいつから安(アン)中佐たちを疑っていたんだろう」

 とりあえず上下とも一枚以上の衣服を身に着けて、南田は顎に手をやって考え込む。が、すぐに震えが来てやめてしまった。急いで上着に手を伸ばす。

「竜時は最初に会ったんだろう、中佐に。どうだった?」

「どうって聞かれて、何か答えられるほど話をしたわけじゃない。話の最後には紗耶ちゃんたちのサプライズもあったし。そういえば、坂元たちはけっこう言葉を交わしていたみたいだったな。――あいつら、今頃どうしているかな」

 援軍要請のため、あのとき基地を離れていた第三小隊……すなわち、坂元鷹山久留(ひさどめ)の三人。あの破滅の光は彼らにもきっと見えただろうが、よもやそれで心配して引き返してきて、啓示軍(オフェンバーレナ)のあの機兵部隊と交戦する破目(はめ)になってはいないだろうか。そう心配してみても、南田には不確定要素が多すぎた。西フェルガナ基地に攻めてきた啓示軍は、自分たちが姿を消してから、いったいどうなったのか。ダーダネルス作戦の進行状況もわからない。そして、このバロッグが西フェルガナ基地で生じたバロッグと繋がっているのかどうかも。

「あ、もう着替えてますね。節電でドライヤーは使えないけど我慢してください」

 声がしてふりかえると、整備班随一の喧(やかま)しさで知られる矢俣(やまた)が立っていた。様子を見に現れたらしい。

「そりゃたいへんだ。竜時はよく拭(ふ)いておかないと、髪が凍って風邪を引いちゃうぞ」

 パイロット班きっての剽軽(ひょうきん)者たる峰國が、矢俣の調子に合わせて南田をからかう。こいつめ、と南田がタオルで峰國の首を絞めにかかっていると、笑ってみていた矢俣が思い出したように「あ」と叫んだ。

「忘れるところでした。班長が……いや、北嶋大尉が帰ってきたんで、ついて来てください」

「そうか、わかった」

「ぞうが、わがっだ」

 タオルを緩めた南田と、苦しみながら顔は笑ったままの峰國が返事をして、矢俣とともにシャワー用のテントをあとにした。



- 3 -


「そうか、じゃあ江藤は完全に行方不明なんだな」

 南田と峰國(フェングォ)の話を聞き終えた北嶋は、小さく溜め息をついた。おそらく、隊員の衆目がなければもっと大きな嘆息になっていただろう。対面する位置に座す南田からは、北嶋の沈んだ目つきが眼鏡越しに窺え、胸が痛んだ。江藤と旧い仲である北嶋にとって、江藤の安否不明は南田が感じる数倍の痛みとなっているに違いない。

藤居くんはどうなんだい。それらしき龍の足跡も見ていないかい?」

「准尉は……。藤居さんは……」

 戦死した。敵弾が機体を貫いて、コクピットの後ろから出てきたのだから。

 だがそれを口にしてしまいたくなくて、南田は言いよどんだ。峰國とここに来る途中も、その話題だけは避けていたし、今も、藤居の龍が狙撃されたことだけはぼかして話していたのだ。

「見ていません。今頃どこにいるんでしょうね」

 口を閉ざした南田に代わって、峰國がそう答えた。

「タシケントあたりで坂元たちと待っているかもしれねえし、ともかく早く戦場から離れるのがええよ。こんなところにいたら、あのペイ・ユンとかいう中佐に無理やり戦闘やらされちまうべ」

 朝井が悪態をつくように言う。

 今は、北嶋と南田、峰國が広いテントの中央に置かれた机につき、そのまわりを十人強の隊員たちが囲んでいる。北嶋の背後に立つ朝井が発した言葉は、ぐるりと回って南田の背後までざわめきを伝播(でんぱ)させた。

「ペイ・ユン? 誰だ?」

 南田と同様にこの状況が理解できない峰國が、周囲の顔を見回す。

「ここの……第三〇三軽量機甲師団の派遣部隊を指揮している将校だよ」

 説明をしてくれる北嶋の声には、珍しく棘(とげ)が感じられた。嫌悪や敵意という思惟(しい)が表層に滲(にじ)み出ている。

「啓示軍(オフェンバーレナ)の反撃を察知して、急いで前線から戻ってきたっていう話でしたよね?」

 南田は、さきほど北嶋から聞いた話を思い出す。

 ダーダネルス作戦発動の折(おり)、第三〇三軽量機甲師団は、その高い機動性を活かして迅速に前線まで移動。敵部隊の側面を突く予定だったが、しかし、砲戦可能距離まで到達する直前にバロッグを感知し、退路を断たたれることを危惧して一旦攻撃を中止することになったらしい。それから一両日、バロッグと攻撃対象の様子を見ていた第三〇三師団は、バロッグを隠れ蓑(みの)にして亜連勢力圏内に進攻しようとする敵の動きを察知。足が速く、バロッグ対策が比較的行き届いている部隊を選別し、急ぎその追撃にあたらせた。それでここまで戻ってきたのが、黒龍隊が遭遇したこの部隊。残念ながら、追撃していた敵部隊はすでにこの近くの拠点を制圧しており、現在彼らはその攻略準備をしているということだった。

「黒龍隊にも作戦に協力しろと言ってきているんですか、そのペイ・ユン中佐が」

「そういうことだね。件(くだん)の部隊が機兵を持っているとなれば、こういう状況だ、自分の側にも機兵が欲しくなるのは当然だろう」

「なるほど、それで待遇がいいってわけですか。命令系統のうえでは、黒龍隊に参戦を命じることはできない。だから黒龍隊が自ら参加するというかたちを狙っているのか」

「いや、状況はそれと若干異なるんだ。どうやら、僕らがさまよっている間に亜細亜連邦特別規定第一〇号が発令されたらしい」

「第一〇号が?」

 思わぬ単語の登場に、南田は声を上ずらせてしまった。

 第一〇号といえば、本来の命令系統が機能しない場合に、連絡のつく部隊間で臨時の命令系統の構成を許可するものだ。それは、状況次第では軍隊がシビリアンコントロールの原則からも外れることを意味する。だからこそ、「連邦軍」の規定ではなく「連邦」の規定として第一〇号は存在し、他の特別規定同様に、滅多なことでは発令されない。

「指揮系統が駄目になるほど、バロッグが広く発生しているっていうんですか?」

 峰國が問う。南田もそれを口にしようとしていたところだった。

「最初にこのバロッグが発生したのは、おそらくあの西フェルガナ基地だと僕は考えている。その仮定に基づけば、このバロッグは半径五百キロ以上の範囲で発生しているようだ」

「そんなに!?」

「多分。ここはタシケントまでそう遠くない位置らしいが、そのタシケントまでの道も完全にバロッグに封鎖されてしまったようで、ペイ・ユン中佐たちも苦々しげだった。彼らは今、タシケントに現状を伝える使いを出して増援を待っているんだが、バロッグのせいか、増援どころか返事さえ来ないらしい。それで近隣の拠点にも連絡隊を出すことになって、群山くんに出張してもらっているわけなんだ」

「増援の見込みがつかない、と。そこで、立ち寄った黒龍隊が戦力にならないかと目をつけた……。でも、確か黒龍隊には緊急時の任務優先度AA(ダブルエー)が与えられているんですよね? いくら特別規定第一〇号が効力を持っていても、たかだか一師団の、しかも師団長のいない派遣部隊に強制編入されることはないんじゃないんですか?」

 南田がそう尋ねると、北嶋の顔の翳(かげ)りが濃くなった。

「本来ならそうなんだが、任務優先度に関する権限は隊長の江藤に与えられているのであって、僕にはその権限がないんだよ。正式に江藤から隊長を引き継ぐか、代理を頼まれていれば話は別だが……」

「じゃあ、今は客分の編入部隊として扱われているんですか?」

「ペイ・ユン中佐はその気だが、実際のところ、まだ僕らと彼らの関係はそこまで明確になっていない。というのも、この野営地に来た最初に、我々は特務で単独行動中だとかなんとか、適当なことを言っておいたからね。でも、向こうだってこっちの言い分を鵜呑(うの)みにしているわけじゃない。事実、今日になって、ペイ・ユン中佐がやけに強気に出てきた」

「あの白饅頭(まんじゅう)、いったい何を言ってきたんですか?」

 朝井が悪態をつく。白饅頭というのは間違いなくペイ・ユンという将校のことだろう。その男はかなり黒龍隊の反感を買っているらしく、誰もそれを諫(いさ)めようとはしない。

「ペイ・ユンって中佐はそんなに嫌な奴なのか?」

 率直に周囲に尋ねる峰國に、何人もが頷(うなず)く。

「ヒステリー気味の石頭。昨日の夜はここに乗り込んできて、なぜ素直に協力しないのかとうるさくまくし立てやがった」

「そもそも、ほとんど無人だった鉱山基地の奪還に何の意味があるって言うんだ」

「どうせ面子(めんつ)のためさ。少しでも手柄を立てたいんだ。あいつの顔がそう言ってたぜ」

 口々に文句を言う同僚たちの様子に、実際にペイ・ユンを見ていない南田と峰國は戸惑う。さらに二、三人が悪口を重ねたところで、ようやく北嶋がそれを制止した。

「制圧されたのは、使われていなかった鉱山基地。その奪還をことさらに急ぐ彼らの事情や、そもそもそんな場所に籠城(ろうじょう)している啓示軍の目的などは気になるところだ。だけど、僕らにとってはもっと重要な関心事がある。竜時君と峰國君には、ともかくこれを知っていてもらわないといけない。非常に信じがたい事実ではあるんだが」

「西フェルガナ基地から、遠く西へ移動していた謎ですか?」

「それだけじゃないんだ。――竜時君、現時刻は?」

「え、ああ、作戦標準時で一四五四(ひとよんごうよん)です」

「何月何日の?」

「――十二月の、二十三日ですよね?」

「それがここの部隊によると、今日は二〇二三年一月十一日らしい。そして時刻は一三四四(ひとさんよんよん)」

 北嶋の言わんとするところが理解できず、南田は絶句する。

「僕らの認識とは、ほぼ十九日ぶんのずれがある」

 からかわれているのか、と南田は一瞬疑ったが、北嶋や他の隊員たちのまなざしは本気そのものだ。しかし、いかに真面目なまなざしに囲まれようとも、それで納得のいく話ではない。光るバロッグに包まれて気を失ってから、見知らぬ原野に放り出されている自分に気づくまで、本当にひと眠りにも満たない時間経過しか南田は感じてないのだ。そもそも、十九日も気を失っていれば死んでしまう。

「竜時さんが疑うのも無理はない。俺たちだって、誰かが俺たちを拉致(らち)して、時計と記憶をいじってから放り出したんじゃないのかって、ずいぶん騒ぎました。なにせ俺たちの時計は、仲良く気絶していたのは一分かそこらだって言ってましたから」

 北嶋の脇に立っていた矢俣の発言が、南田の思考の整理を手伝ってくれる。たしかに矢俣の言うとおり、腕時計も、龍のコクピットにある時計も、相対的にずれてはいなかった。もちろん時計の用途によって時差こそあるものの、すべての時計は本質的に同一時刻を指していたのだ。

「でも、そんな都合よく人の記憶を……それも五十人にもなる人間の記憶を同じようにいじれるわけがない。もしできたとしても、そんなことに何か意味があるとも思えない。普通ならそう判断するところなんだけど、でも厄介なことに、俺たちは見てしまってました。消滅砲の威力や、あのバロッグの輝きを。そのあとじゃ、記憶の操作なんてばからしい話だって信じられちゃうんですよ。少なくとも、タイムスリップなんて御伽噺(おとぎばなし)よりは信憑性(しんぴょうせい)があるんじゃないか、って」

 矢俣はそこで一息つく。そして続きを話そうとしたが、そこに別の声が割って入った。

「証拠が挙がったのは、そんなときでした」

 聞きなれない若い女の声がしたので驚いたが、思い出してみればそれは円道紗耶の声だった。最初はいなかったが、途中から輪に加わっていたらしい。他の隊員の陰になっていて、南田は気づいていなかった。

「証拠?」

「持ってきましょうか?」

 そう言って北嶋の顔を窺(うかが)った円道は、頷きが返されたのを見て、駆け足で去っていく。

「証拠って何です?」

「タイムスリップか、それに類する現象を僕らが体験してしまったという、その証拠さ。それが何かはまあ、見てのお楽しみだ」

 訝(いぶか)る南田の問いを、北嶋は笑ってごまかした。

「大尉、俺たちも初耳ですよ?」

 朝井たちの視線も北嶋の顔に集まる。

「ああ、さっき見つかったばかりだ。ただ、証拠といっても、対外的には役に立たない代物だよ。だからペイ・ユン中佐との駆け引きには使えない」

 それだけ説明してだんまりを決め込んだ北嶋は、峰國にけちと言われようが矢俣のヒント要求もすべて無視して、円道が戻ってくるまで石像と化した。心なしかその表情が和らぎつつあるようだったので、南田は少し安心する。きっと朗報なのだろう。

 円道はすぐに戻ってきた。その手には、さっき持っていなかった小ぶりのビニール袋が提げられている。

 北嶋はそれを円道から受け取ると、たかろうとする隊員たちに静まるよう言い聞かせてから、その袋の中身を取り出した。

 弦長二十センチ強の、湾曲した黄色い生もの。

「これは峰國君が隠し持っていたバナナだ」

 それは解説されなくても自明だった。峰國がうっかり声を漏らすのを聞くまでもない。

「食糧不足につき、峰國君が各所に隠していた私財は、見つけ次第みんなでわけてエネルギーの足しにしていた。それが幸か不幸か、今日まで逃げおおせていたバナナが一本あった。それがこれだよ」

「峰國、おまえ何していたんだ」

「リスだってやることだから、人間がやっておかしいことじゃないと思うな。でも完璧に隠したつもりだったのに、いったい誰が?」

「あたしでーす」

 円道が小さく手を挙げる。

「うわ、参ったなあ。今度はもっと工夫をしよう」

「バカか、まったく。――それで大尉、どうしてそのバナナが証拠になるんです?」

 頷く峰國を小突き、南田は北嶋に話の続きを促す。

「簡単だよ。約三週間という時間経過があったのなら、このバナナはとても食べられる状態じゃないだろう」

「あ」

「そういうわけで、ひとつの仮説ができあがる。十九日間、僕らはこの世界から消えていて、三日前、だいぶ西にずれた座標に戻された」

「変則領域の、未発見の作用だと?」

「ああ。ただ、意図的に発生した現象かどうかはともあれ、原因に人為的要素があるのは間違いないだろうね。でなければ、ちょうど地面のある位置に出現するはずがない」

 北嶋の言うことはもっともだった。ここにいる誰も、空に放り出されて死ななかったし、地中に生き埋めにもなっていない。

「あ、あの装置! ほら、砂時計みたいなあれ!」

 誰かが叫んだ。そして南田も思い出す。西フェルガナ基地周辺に、啓示軍が仕掛けていた砂時計型の装置を。あの消滅砲の照準装置か、ジャミング用の変則領域発生装置だったのかと思っていたが、別の可能性が見えてきた。

「ひとつ回収していましたよね。あれはどうしたんです」

「残念ながら、あれは放置して来た。命が助かるかどうかが最優先だったからね。でも、あとで回収してSMITS(スミッツ)に送りたいと思っている」

「SMITSですか。そうですね、たしかに龍王(ロンワン)を作ったSMITSなら、なにか解析できるかも」

「まあ、先の話だよ。こうして君たちとは合流できたけれど、まだ全員じゃないんだから。黒龍隊の集結が第一目標だ」

「では、ここを離れるんですか?」

 南田が思い切って尋ねると、北嶋はしばし言葉を選ぶように沈黙する。やがて何かを言い出そうとしたが、突然のサイレンがそれを遮った。



- 4 -


 南田の体に緊張が走った。

 方面軍が違えば、二十年前まではまったく別の軍隊であるから、サイレンの意味も異なるかもしれない。だが、その場の全員が動揺している様子を見て、やはり緊急時なのだと南田は認識する。直後、敵襲と叫ぶ英語がどこかから聞こえてきた。

「敵のほうから打って出たのか!?」

「急げ、すぐそこまで来ているぞ!」

 そういった声を続けて耳にし、事態の重大さを感じ取った南田は逡巡した。パイロットスーツを再び着て龍を再起動させるまでの所要時間を概算し、もし出撃が必要なら今すぐ行かねばならないと判断を下す。

「峰國(フェングォ)、朝井!」

 南田はふたりに声をかけ、返事を背中に受けながらテントから抜け出た。途中でパイロットスーツとヘルメットを掴(つか)み、上から着込みながら走る。

 見慣れぬ第三〇三師団の兵士たちも、この状況をよく理解しきれていないらしかった。その場で応戦準備を呼びかける者もいれば、携帯火器を車に積み込んで出動しようとする一団も見られる。南田たちを目に留めて、早く出撃しろと叫ぶ声もあった。

 そんななか、南田は龍からカムフラージュネットを外しにかかっている夏明仁(シャー・ミンレン)の姿を見つけて、呼びかけた。

「夏、補給は!?」

「充電が五十パーセント! 燃料はまだ!」

 ふりかえった夏が叫び返す。夏たちは、南田たちがシャワーを浴びているあいだに、龍の簡易点検と充電を開始してくれていたらしい。

「ナイス! 起動できるんだな?」

「大丈夫、まだばらしていない」

 受け答えのうちに龍に取りついた南田は、夏に礼を言って、龍のコクピットハッチに手をかける。爆発音が聞こえたのはそのときだった。方向はわからなかったが、遠くない。本当に野営地が攻撃を受けているのだと、南田は悟る。

「急いで退避してくれ。足元を気にして戦う自信はない」

 数メートル下の夏にそう言うと、見上げた夏の顔は呆れていた。

「そうね、ネットと充電ケーブルを外したら、退避しましょう」

「あ、ああ、頼む」

 夏の思わぬ冷静な一面を見て、南田は気後れする思いがしたが、再び聞こえた爆発音に促されてコクピットに入る。

 外で充電ケーブルやカムフラージュネットが取り外される一方で、中に座った南田は、操縦系を立ち上げつつ多数の通信チャンネルを開いていた。情報を汲(く)み取るのに精を出すが、聞こえてくるのはほとんどが英語か、あるいは全く理解できない言語。入り交じる会話の中から最初に拾い出したキーワードが、敵襲、機兵、監視所の沈黙、の三つだった。

「南田機、起動準備完了。――峰國、敵の機兵の数、聞き取れたか?」

ゾルダートタイプが一機。赤い色をしているらしい」

 そう答えた峰國の声に、いつもの間延びした感じはない。そのことと、たった一機で赤い機体色という情報とが、南田の緊張に不安を混ぜ込んだ。一般に迷彩効果を考慮して塗装される機兵が、赤のような目立つ色をしているとすれば、それは示威を目的としており、パイロットが相当の腕だという証拠だ。西フェルガナ基地で江藤を苦戦させた黒いゾルダートのことが脳裏をよぎる。

「各パイロットへ。北嶋だ。敵はエントゼルトゾルダートの複座型が最低一機。もう、すぐ近くまで来ているらしいが、バロッグで場所が特定できない。あとは龍で直接探知したほうが早いだろう。指揮権を竜時君に預ける」

「りょ、了解。指揮権もらいます!」

 指揮権のことを急に言われて焦ったが、南田はそれで気を引き締めることができた。しっかりするのだと、自分に言い聞かせる。

 索敵。相対バルムンク反応センサーに敵機の姿はまだない。だが、峰國が南田の後ろを取れたのと同様に、センサーに反応がなくともすぐ近くに来ている可能性がある。直接見回したほうが早いが、それは迂闊に思えた。

「全機、まだ立つなよ。杜(ドゥ)、朝井、用意はいいか?」

「起動完了。しかし、火器を携帯してません」

「こっちも雷紫電のみ」

「下手に動いて見つかるな。ひとまず火器はいい。そのままの姿勢で全方位カメラ走査……。誰か、敵機が見えるか?」

「機影なし」

「障害物で視界無しです」

「機影な……あっ」

 別の場所で龍を起動していた杜洋伸(ドゥ・ヤンシェン)が、小さく叫び声をあげる。

「爆発らしき煙を確認! 七時方向!」

 視界をそちらに移して、南田は杜と同じ物を見たと確信した。一キロメートルもない距離に、明らかに火災とわかる黒い煙が出ている。ひとつだけではない。見ているそばからその数は増していき、南田たちのほうへ近づいてきていた。

 たった一機の機兵で、このまま野営地を突っ切るつもりか。敵の意図を洞察してみた南田は、ひとつしか浮かばなかった思案の結果に唖然とする。いくらバロッグに覆われているとはいえ、対戦車ミサイルを抱えた歩兵に囲まれれば、機兵は無力だ。いったいどういう敵なのかという疑問が湧いてきたが、不可解な謎は恐怖へと繋がると知っている南田は、そこで思考を止めた。事実として、依然脅威が接近しているのだ。排除する以外の選択肢はない。

 南田は龍を立ち上がらせないまま姿勢を変え、火縄の砲口をそちらに向ける。余裕で有効射程内。装填している弾頭は貫通型で、友軍への被害は最小限にとどめられる。

「俺と峰國で、敵が煙から出てきたところを狙撃する。杜と朝井はその隙に火器を取って、第二撃に備えるんだ」

「了解。足止めできればいいんですね?」

「あ、ああ、そうだな。こちらで注意を引けば、三〇三師団がやってくれるだろう」

 無理な作戦ではない。内心にそう付け加え、自らを奮い立たせる。

 見つめるモニターの画面に、複数の火線が走った。こちらに向かってきたのではない。煙の中に向けて、地上から放たれている。敵は間違いなく、煙の中にいるのだ。

 動く物体や障害物、熱源が多すぎて、ロックオンができない。南田は煙の中心に照準の十字線をあわせて待つ。しかし、煙の中から敵が出てくる前に、手前に新たな爆発が起こり、なかなか姿を現さない。距離は詰まるばかりだ。

 身を隠す掩体(えんたい)もない中、それは反撃の恐怖との戦いの時間だったが、南田は屈することなく終了の時を迎えた。煙の中からようやく、人の上体に似た輪郭が浮かび上がる。

「ファイア!」

 峰國への合図を兼ねて裂帛(れっぱく)の気合を発し、引き金を引いた。火縄の砲弾がまっすぐに煙の中の機兵へと飛んでいく。数百メートルの距離しかないので、それは一秒にも満たない飛翔だった。

 命中。そう確信できる爆発だった。南田の撃ったぶんと、直後に放たれた峰國の第二撃。致命傷とまではいかずとも、敵に撤退を促すほどには戦闘能力を削(そ)いだはずだった。しかし。

「敵機、健在!」

 朝井の警告がなければ、南田は直撃を受けていたかもしれない。南田が飛びのいた直後に、向かってきたミサイルが地面を穿(うが)つ。爆発で、近くのテントが吹き飛んだ。

 煙の中から現れた機兵は、ほんとうに赤かった。正確には、赤と、深い藍のツートーン。全体的に重装備で、なかでも際立って目を引くのが右腕である。武器には違いないのだろうが、右の前腕を二倍の長さまで延長した、太くて長い円筒状ユニットは、南田の知識になかった。

 その赤いゾルダートが、左手に持っていた車輛の残骸を投げ捨てる。どうやら、盾代わりにしていたらしい。しかし二発もの攻撃を車一台で受け止められるはずはなく、顕(あらわ)になった右胸に損傷が見えた。

 南田は火縄を再び発砲したが、同時に敵は跳んでいた。峰國のほうから斜め上に軌跡が伸びたが、赤い機体の驚くほどの上昇性能のために、火縄の砲弾は空を切る。南田は振り仰いで火縄を構え、飛来するミサイルを回避しつつ発砲。相手が空なら自動で動体識別が利くため、狙いは正確だった。一発目こそ敵の加速度調整で回避されたものの、二発目が右肩をかすめ、背中に装備されていたモジュールの突起部を破壊する。だが、それで動きは止められない。南田の龍を跳び越え、そのすぐ後ろに敵機が着地した。

「何っ!?」

 重装備の見た目で鈍重だと判断したのが間違いだった。南田は背部ロケットを全力噴射して離脱しようとしたが、掴みかかっていた敵機に背中の燃料タンクを一本もぎ取られる。燃料漏れの警告に対処する暇があるわけもなく、急ぎ反転して火縄を向けたが、発砲前に阻止されてしまった。敵機の右腕の円筒が高速回転して、火縄の砲身を荒々しく削り、衝撃で火縄自体を龍の手から弾(はじ)き飛ばしたのだ。

 丸腰になった南田の前に、赤いゾルダートが踏み出してくる。右腕の削岩機らしき装備をさらに突き出し、南田機の頭部を砕きにかかってきたが、そこへ側面から火線が走った。歩兵からの援護射撃。直撃はしなかったが、ひるんだゾルダートは南田の龍を突き飛ばして離れる。そこへ峰國が追撃をいれ、それが赤いゾルダートの脚部エンジンの一基に命中した。

 仲間の助けで難を逃れた南田は、手近に置いてあった雷紫電を拾い上げた。弾を撃ちつくした峰國と、駆けつけた杜洋伸の龍も同様に雷紫電を構え、三機で赤い屈強のゾルダートを囲む。数秒の沈黙。

 地上から対戦車ミサイルが放たれ、それが場の均衡を破った。ミサイルの発射にあわせて杜も飛び出す。ミサイルで体勢が崩れたところを雷紫電で仕留められるかと南田も思ったが、そううまくはいかなかった。ミサイルを左腕の機関砲で見事に迎撃した赤いゾルダートは、杜の突き出した雷紫電を右腕の削岩機ではねのけ、龍の顔面に機関砲を撃ち込む。南田は急いでその背中に躍(おど)りかかったが、杜機を蹴倒した敵はふりかえってミサイルを発射。南田は挙動を読んで回避できたものの、攻撃の流れを崩されてしまった。すれ違うようにして雷紫電をふるったが、手ごたえが軽い。

「竜時、離れろ」

 峰國の声がして、南田はそのまま敵の脇を走り抜けた。近くのテントを踏み潰(つぶ)してしまいながら反転すると、峰國が敵のミサイルコンテナを雷紫電で突き刺して放電したところだった。誘爆は起こらないが、敵がミサイルを使えなくなったのは間違いない。

 しかし、まだあの削岩機がある。事実、峰國は反撃の削岩機を受け、雷紫電を持っていた右腕の肘を砕かれた。冷や汗がどっと噴き出たが、そこへロケット弾の援護があり、その隙に峰國は離脱してくれた。

「敵と距離を取れ。接近戦は不利だ。――朝井はまだかよ!?」

「来てます! 鬼火を撃つから全員離れて!」

「鬼火? 待て、それは……」

 制止したが、遅かった。火縄よりずっと破壊力のある鬼火は、狙いがさほど精密ではない。朝井が放った四発の擲弾(てきだん)は、二発が迎撃され、一発が命中して削岩機を破壊したが、最後の一発が外れた。後方で起こる爆発。

「くそっ」

 今の流れ弾で友軍に何らかの被害が出たのは間違いない。それが敵をのさばらせておいた場合より軽いものであることを祈りつつも、南田はせっかく生まれた隙を利用するべく突撃した。一見して敵はもう丸腰で、それなら同じ丸腰の南田機でもなんとか取り押さえられる。

 もはや、時間だけ稼いで第三〇三師団にとどめを任せようという考えは消えている。峰國の龍が武器と腕をやられ、杜の龍が頭を破壊されたのだ。不利な状況にありながらそれだけの反撃を行い、そして自身はまだ本体にダメージを受けていない赤いゾルダートを、南田はなんとしても破壊しなければならい敵と識別していた。

 駆動系が無事とはいえ、武装を失った赤いゾルダートはついに撤退を決めたらしい。南田の突進を、倒れている杜の龍を盾にするかたちで回避。南田が迂回して追いすがる前に、背中から燃焼の光を漏らしながらふわりと宙に浮かび上がる。

「逃がすか」

 南田も一瞬遅れて背中のロケットを点火し、ブースタージャンプでそれを捕まえようとしたが、予期して身構えた加速の重圧が、かからない。警告音とともに画面に赤く表示されたメッセージが、ロケットエンジンの破損を知らせる。背中を掴まれたときの傷が、燃料タンクだけではすまなかったらしい。管制システムが安全を優先して噴射をキャンセルしたのだ。

 見上げるしかない南田。赤いゾルダートは、通常の機体の二倍以上のスパンでジャンプを繰り返し、本来の進路通り野営地を突破していく。バロッグで狙いがそれ、友軍に当たることを危惧してか、地上からそれを狙撃する火線はない。

「追撃しましょうか?」

 朝井にそう尋ねられ、南田は「いいや」と答えた。

「ベテランに任せよう。俺たちは、無力だ」

 誰からいわれずとも、それは認めざるをえない。四機の龍でかかって、今でも問題なく動けるのは朝井だけ。完敗だった。

 南田のきつく結んだ唇がひび割れ、舌先に血の味がついた。



- 5 -




- 6 -




- 7 -




- 8 -




- 9 -




- 10 -




- 11 -




- 12 -




- 13 -




- 14 -




- 15 -




- 16 -




――続く――