黒龍隊の挽歌 第十三話

虜囚



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 江藤は夢を見ていた。

 長い夢。それは、江藤の人生をふりかえるものだった。

 最初、江藤は町の図書館にいた。繋がりが悪いネット端末の前に座っている。変則領域感知という謎の第六感にとまどい、悩んでいた少年時代の姿だった。

 パソコンの前で、江藤は溜め息をつく。自分の特異体質について闇雲に情報を求めるうち、江藤は世界中の様々な分野の知識を身につけつつあった。そしてそれらの知識を思索の糧として用いることを覚えはじめた江藤は、世界がなんと不合理に満ちているかを知ったのだ。

 たとえば、八月の悪夢を機に結成された大亜細亜同盟。八月の悪夢の被害者という共通項を持ったアジア各国とロシアが、欧米につけこむ隙を与えないために手を取り合ったはずだったが、標榜する理想論とは裏腹に、大亜細亜同盟は貧富の格差や内包し、それを存立基盤の根の一端として利用さえしていた。

 数年後、大亜細亜同盟は亜細亜連邦として新生したが、それで方針が転換されたわけではない。むしろ、八月の悪夢直後から亜細亜連邦樹立の動きがあり、そのあまりに壮大な連邦樹立を実現するための過渡的機構として大亜細亜同盟が存在していたことが、当時の江藤にはもう洞察できる頃だった。

 若者特有の陰謀説信奉。そう笑われるのが明白で、大人にその話をすることはなかった。実際、客観的に見てみれば、オカルト好きの同級生がしたり顔に語る話と大差なく聞こえただろう。変則領域の性質や八月の悪夢の発端に関してさまざまな仮説が飛び交い、メディアの取り上げるそれらの大半が送り手の良識を疑うような内容というご時世であったから、江藤も他人の支持など求めなかった。

 亜細亜連邦の命運を握る構成国家のひとつでありながら、その自覚に欠ける国民ばかりが暮らす国。いつのまにか場面の切り替わった夢のなかで、江藤はそう小見出しの付いた小冊子を手にしていた。

 日本のことだというのは、本文に目を通すまでもなくわかった。高校三年生の江藤は、その冊子を読了して驚く。亜細亜連邦の現体制や、新たに亜細亜連邦軍を設置することなどに強烈に反対する骨子だったその論文の著者が、元自衛隊幹部だったからだ。その自称が真実かどうか確かめる手段はなかったが、江藤は信じることにした。著者の身分ではなく、彼の論じる世界の有り様を。そしてその建設の担い手となれないか、自問した。

「これが道のひとつだろう」

 いきなり隣に現れた青年が言う。背筋のすっと伸びたその青年は皺(しわ)ひとつない制服に身を包んでおり、気づけば江藤も同じデザインの服を着ている。周囲の風景も一転しており、これは士官学校の卒業式だったろうかと、観測者としての江藤が思い出す。

「全くもって、おまえは軍隊というものを勘違いしているようだな」

 反対側から声がして、ふりむいた江藤はそこに上官の顔を見る。江藤の制服は別のものに変わっており、少尉の階級章がついていた。

 上官の狐目が江藤をにらみつける。若き日の江藤は、この男と幾度となく対立した。相手を茶化すようにしてその場から退散したが、江藤の心の内は曇った。

 いくつもの任地、何人もの上官や同僚が現れ、消えていく。江藤の心はひたすらに暗くなるいっぽうだった。ただひとつ、北嶋の結婚を祝った幸福な時間だけが江藤の心をほぐしたが、突如、宴会の席は戦場へと変わった。

 江藤はパイロットになっていた。乗っているのは最新鋭の画期的乗俑機機兵。固有の機種名で龍(ロン)と呼ばれるものだ。数人の仲間が、同じ機体に乗って戦っている。敵の姿は見えないが、多数が存在し、自分たちを追いつめていることは知覚できる。

 江藤はひたすら戦った。しかし敵の数はいっこうに減らず、味方はひとり、ふたりと欠けていく。欠けたぶんの補充として、訓練を終えてきたばかりの新顔たちが現れるが、その半数はすぐに消えてしまう。ふと仲間を見回すと、江藤の馴染みの顔はひとりだけになっていた。

「セルゲイ、マクシム隊長は?」

 江藤はその仲間に尋ねる。セルゲイ・リー。赤龍隊の戦友だった。

「隊長の隊とは完全にはぐれた。俺たちでなんとか抜け出すしかない」

 セルゲイらしくない苦渋の表情を、江藤は見る。あのとき、実際にその顔を見たかどうか定かではない。だが、次に続く彼の言葉ははっきりと覚えていた。

「江藤大尉、あんたは隊長と合流してくれ。新米どものお守り、任せるぜ」

 制止の暇すらなく、セルゲイの龍が掩体(えんたい)から飛び出し、砲火の真っ只中へ突撃した。腹に吸い込んだ空気を結局「撤退」の号令に使ってしまった江藤は、被弾して腕を失うセルゲイ機を見て、涙する。そのまま立て続けに直撃を受ける龍の後ろ姿が、音もなく遠ざかっていくと、やがてすべての感覚がリセットされた。

 ただひとつ、熱いものが頬を伝う感触を残して。


*   *   *   *   *


「夢を見てたんですか?」

 目を開くのと同時に、そう問う声がした。「ああ」と答えた江藤は、体を起こしながら、かけられた言葉を反芻(はんすう)する。

「そうだな、俺は夢を見ていただけなのかもしれない」

 力なく、江藤は呟(つぶや)く。

 十二年、いや立志から数えれば十六年。それだけの年月をかけて目指してきた理想。所詮はかなわぬ目的だったのかと諦めかけていた頃、その実現に至る道を、やっと得たと思った。しかし、そのすべてを失ったのだ、自分は。それも、友軍に利用され裏切られるかたちで。あの破滅的な光の中、生き残ったのは特異体質を持っていた自分だけだろう。それ以外に、あの場から助かる理由が考えられなかった。

 江藤は拳で硬い壁を叩いた。鈍い音が短く響く。

 江藤が寝転がっていたのは二畳ほどの小部屋の片隅である。ドアは二つ。片方がトイレにつながっており、もう片方が通路に面しているが、こちらは外から施錠されている。窓はない。つまりは洗面所だった。

 ここに閉じこめられて、これで二回目の朝になる。江藤と、先客の二人だけだ。食事を与えられるときだけ通路側のドアが開くが、そのときは銃を構えた兵士がふたり一緒なので、外には出られない。兵士の服は亜連のものではない。啓示軍(オフェンバーレナ)のものだ。要するに、江藤と先客は捕虜になったのである。

「悔しいのはわかるけど、体力は温存しましょうよ、少佐」

 再び壁を叩いた江藤を、先客が諫(いさ)めた。その声は成人男性にしては甲高く、幼く聞こえる。

「壁を崩して逃げられないか、試してみただけだ」

 適当に思いついた嘘で言い返し、江藤は声の主を見やる。身長が江藤の顎の下にも届かないその男は、容姿もまた、中学生ていどに幼い。周富窪(チョウ・フーワー)のように丸っこい体型ではなく、プロポーション自体は細身だった。だから余計に、江藤にはその男が小さく弱々しく見え、彼が江藤と同じ形式の服を着ていることが未だに納得できない。武器の類は抜けているものの、それは機兵パイロット用の服装に違いないのだ。

「長野、おまえも何か考えろ。俺はいつまでもこうしておくつもりはない」

 江藤がそう宣言すると、幼い外見の青年、長野翔太は笑った。あまり軍人らしくない笑い方だったが、軍人になったからといって人の本性まで変貌するわけではないと慰められもする。

「へえ、案外、闘志は健在なんですね」

「自暴自棄になっている余裕はない。それとな、アットホームに和むのもいいが、さすがにもう少し俺に敬意を払え。自称中尉の坊や」

「坊やって言うな!」

 長野が怒り出す。だが、その怒り方が明らかに冗談とわかるために、ますます子供のようにしか見えなくなる。

「二十三、しかもあと四日で二十四歳だって言っているじゃないか!」

「そういえばそうだったな」

 もう三回繰り返されていたやりとりだったが、江藤は四回目にして初めて、彼が部下たちとほとんど同じ年齢だったことに気づく。峰國(フェングォ)より上で、藤居よりは若い。二十歳を超えれば僅差でしかない、それくらいの年齢差だった。それなのに声と外見が全く実年齢と不釣り合いなことに、江藤は笑いをこらえきれなかった。

「あ、また笑ったな」

 長野がふくれる。

「笑いたくもなる。おまえみたいなのが機兵のパイロットとはな。足はフットペダルに届くのか?」

「そっちこそ、コクピットに収まってるの、その体?」

「俺の龍は特注だからな」

「へえ、軍に無駄金を使わせたんだ」

 痛いところをつかれ、江藤は黙る。

「ま、無駄金といえば、俺のほうが無駄金使わせたのかもな」

 沈黙の後、長野がそう呟いた。江藤は首をかしげる。

「何のことだ?」

「いいよ、こっちの話。独り言さ」

 長野はそれっきり口をつぐむ。初めて江藤が見る、物寂しげな長野の表情だった。

「なあ、俺でよか……」

「ねえ少佐」

 悩みがあるなら相談に乗ろうと思った江藤だったが、それを避けたかったのか、長野が逆に問いかけてきた。

「どうして啓示軍の連中は俺たちを生かしているんだと思う? この施設には籠城戦に耐えるだけの食料がないし、せいぜい機関砲か、岩盤破砕用の爆弾くらいしか武器はない。捕虜なんていなかったことにして、俺たちを最初に射殺してしまったほうが得だったと、俺は思うんだけど」

「機兵のパイロットは役に立つと考えているんだろう」

 江藤は即座にそう答えた。捕虜の取り扱いに関しては国際法や不文律の掟(おきて)があるが、今次大戦が勃発してから条約無視が皆無だったとは誰も信じていまい。その良い例が、自分たちの身にふりかかる可能性も、じゅうぶんにあったのだ。それを避けられたのは、ひとえに江藤と長野が機兵パイロットという稀少価値のある人間だったからだろう。

「なるほど。洗脳できれば、短い教育期間で前線にパイロットとして送れるのか」

「洗脳って話が、本当ならな」

 納得した様子の長野をたしなめるように、江藤は但(ただ)し書きを添える。

 ドイツ軍内部の乗俑機部隊にすぎなかった特殊機甲部隊が、啓示軍を名乗ってドイツ政府を軍政下においたのはたった二年前。ドイツ軍を吸収した啓示軍は、それから一年以内に欧州全域を勢力下に収めたわけだが、そこに絶対的な謎が生まれる。どうやってそれだけの時間で支配を完成させ、拡大した領土に見合った兵力を維持できているのか。それはいくら啓示軍の機兵が強くとも、変則領域の性質を深く知悉(ちしつ)していようと、解決できない問題のはずである。それで世界中で囁(ささや)かれるようになったのが、啓示軍が非常に高度な洗脳技術を用いているという噂だった。

「もし本当にそんな洗脳が可能なら、たしかに、制圧した国の国民から反感を奪い、軍をそのまま幕下に吸収できる、非常に合理的手段だ。しかし、人間がそんなに安っぽいものだと、おまえは思うのか?」

「それは……」

「暗示や催眠、強迫観念の植え付け。そういうことなら可能かもしれん。だが、そんな小手先の技で数億の人間をひとつにまとめられるわけがない。ハンス・ライルスキーの語る理想に賛同して従っている人々も少なからずいるだろうが、啓示軍は独裁だけで成り立っている組織でもないからな。啓示軍に従うという被支配地域の意志は、たぶん彼らの総意なのだろう。だからこそ洗脳説を信じる気持ちになるのだろうが……。言ったとおり、俺は人間の思想や人格がそうそう任意に改造できるものではないと信じている。啓示軍の結束には、他に何か要因がある。俺はそうとしか考えられない」

「言いたいことはわかるさ!」

 だから説教はやめてくれ、とばかりに長野は声を荒げた。

「俺だって、人間がそんなにちゃちな生き物だなんて思ってない。でもな、今の常識や科学じゃ予想もできないことだって、世の中にはあるんだ。現にあれがそうだったじゃないか。八月の悪夢。バロッグがなぜ発生するのか、ワタナベ学派の連中だってまだ解明していないし、機兵を動かしている最新技術だって、大半はそういった原理のわからない代物だ。洗脳説を信じて何がおかしいって言うんだ?」

 江藤はそれに反駁(はんばく)できなかった。長野の予想外の勢いに気圧(けお)されたのも理由のひとつだが、それ以上に、論理的反論の余地がないと認めざるを得なかったのだ。長野の言うとおり、信じられない、解明できない現象が、事実この世には存在している。啓示軍に次々と人々が従っていくこともその一例としてカテゴライズすれば、殊更(ことさら)に疑問を抱くべき対象ではないとも考えられる。そして長野の言説を支持するかのように、江藤には四日前の不可思議な体験の記憶が存在するのだ。

 時空転移、とでも呼ぶべきあの体験。時計の指す時刻と日の出が示すそれとのずれから、江藤は早くから、自分に何が起きたのか推測していた。敵に捕まって長野と会い、日付を尋ねるとやはり予想の通りだった。十九日という時間的隔たりと、数百キロの空間的隔たり。それは人知を超える現象の最たる例である。それを無視して、長野に反駁することはできなかったのだ。

「悪かったな。説教めいたことを……」

「しっ、黙って!」

 江藤が詫びを入れようとしたところ、長野はそれを遮って、人差し指を口の前に立てた。

「何か聞こえる。普通の機械音じゃない、変な音だ」

 小声で長野がそう言い、江藤は彼に倣(なら)って耳を澄ます。

 最初は何も聞こえなかった。しかしやがて、金属をすりあわせたような高周波の音がかすかに聞こえはじめる。どうやら、それは調和した音を周期的に発しているらしく、同じ音の連なりが何度も聞こえる。そして繰り返されるたび、周波数は高くなっていた。それをドップラー効果だと推定すれば、ひとつの事実が導かれる。

「音の発生源が、近づいてきている」

 長野はトイレ側のドアを開け、便器の上に立って改めて耳を立てる。

 換気扇か、と江藤はその行為の意図を悟った。換気扇なら、通気孔は外に通じているはずで、音がこの建物の中で発しているのか、外から聞こえてきているのか判断する材料になる。そしてこの珍しい音は、発生源を確かめることに大きな意味があるものなのだ。すでに江藤は、第六感のもたらす情報によって音の正体に見当がついていた。そして長野も、聴覚だけで同じ結論に至ったらしい。

「とんだ大物が来たもんだな」

 自分の運命が波乱のステージを迎えていることを、江藤は知った。



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 啓示軍(オフェンバーレナ)青年将校エトガル・ローゼンは困惑していた。

 坑道の脇に隠された秘密の部屋は、床や壁をむきだしの配線が這い回り、花瓶や絵画のひとつもありはせず、殺風景も甚(はなは)だしい。おまけに土臭さが充満していて、目には見えないが土埃も舞っているようで、エトガルは汚れがつくのを心配している。通気孔から供給される地上の空気とて新鮮とは言い難く、部屋の空間的広さの割には閉塞感が強い。だが、エトガルを苛(さいな)んでいるのはこの部屋の環境ばかりではない。

 部屋の中央、円卓のような台座に据えられた球状のケース。幾多の測定器がそのケースの周辺に並び、解析用のコンピュータがその外周を囲む。球状のケースは透明で、なかには無色の液体が充填(じゅうてん)されており、そこにジャイロに似た特異な幾何形状をもつ物体が浸かっている。ケースの半径が一メートル強で、物体はその半分ほどの大きさ。

 これを入手するためにエトガルはベルリンより派遣され、部隊を率いて危険な敵地へと侵入し、この鉱山基地を制圧したのだ。その姿を見つめるたびに、乗り越えた苦労が思い出される。

 オルロフ。残されていた資料から、物体がその名で呼ばれていたことがわかった。以来、命令書に従って「あれ」とか「物体」とか呼称していたこの物体を、エトガルはその名で呼ぶようにしている。エトガルが書物から得た情報と自身の記憶が確かならば、オルロフといえばインドから当時のロシア帝国までを旅した伝説的ダイヤモンドのことだ。フランス商人がヒンズーの寺院から盗み出し、それが巡り巡って女帝エカテリーナのもとへ渡ったとされている。当初使っていた無機的な呼称とは比べるべくもなく、優雅でロマンのあるネーミングだとエトガルは思う。

 オルロフがどういう性質のもので、啓示軍にとってどういう価値があるのか。その点をエトガルはほとんど知らされていない。無論、エトガルの部下たちもそれは同様である。

 エトガルらが知っていることはふたつ。ひとつは、オルロフが、啓示軍の象徴であるノイエトーターと同じカテゴリーに類別されること。もうひとつは、これとその研究データをベルリンに持ち帰らねば、エトガルの任務は達成と見なされないこと。

 オルロフはもともとこの地で研究対象とされていたらしい。このケースや観測機器も亜連の研究員らが使っていた状態とほぼ同じに保存してある。この基地に残っていた研究員のうち数人をエトガルは拘束していたが、彼らからろくな情報を得ることはできなかった。彼らの口が堅かったうえに、エトガルは具体的な尋問をすべてマニュアルに沿って行うよう上から厳命されていたからだ。このマニュアルというのは捕虜取り扱いのマニュアルではない。ベルリンの専門機関が作成した、オルロフに関する暗号めいた質問文がそのメインコンテンツである。研究員たちはその暗示的な質問の意味を少なからず理解したようだったが、まだ口は割っていない。一方で、質問を再三繰り返すエトガルらの疑問は一向に解決されなかった。

 しかし、今のエトガルにとって問題なのはオルロフ自体ではない。エトガルが困惑しているのは、オルロフを持ち帰る算段に狂いが生じたことだった。

 亜連の部隊に追跡されていることは、基地に着く前から察知していた。追いつかれないことを確信したうえで進軍を続け、情報通り防備らしい防備もない鉱山基地を制圧し、オルロフを確保。亜連側によるデータの破棄も免れたし、味方に死傷者は皆無だった。そこまでは順風満帆だったのだ。

 別の追跡者を察知したのは、三日前だった。基地制圧の首尾を伝えるべく出していた連絡隊が、特徴のある方法によって撃破されているのを、哨戒中の機兵が発見してきたのだ。

 手口から、追跡者が何者かはすぐにわかった。かなり厄介な相手である。そして、制圧の連絡が遅れたことで、迎えが来るのが遅れることにもなった。この二点のおかげで、最悪の場合、ベルリンに帰れなくなってしまいそうなのだ。

「ローゼン少尉。たった今、F2(エフツヴァイ)が到着しました」

 思索にふけるエトガルを部下が呼びに来た。遅れに遅れた迎えが、ようやく到着したのだ。

 エトガルはすぐに行くと応じ、部下の背中を見送ってから、再びオルロフを見つめる。

「美しい」

 エトガルは呟く。それからしばしオルロフに見とれていたが、やがて慌てて表情を引き締めた。

 必要以上にオルロフに執着しつつある自分を、エトガルは自覚していた。結果的に同じことに帰着するとはいえ、至上命題はエトガルの美意識が満足されることではなく、ベルリンにオルロフを引き渡すことなのだ。

「気を引き締めるんだ」

 エトガルは自戒の言葉を発してみる。気の持ちようがしばしば致命的なミスを生むことは、書物から学んでいる。軍人の立場から今の状況と課題を見つめ、打開策を練らなければならない。栄えある基幹部隊の一員として名実ともに認められるか否か、この任務にはそれがかかっているのだ。

「必ずベルリンに持ち帰ってみせる。ローゼン家の名にかけて」



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「あれはフリューゲイルだ。グルーテイルとは違う。マスディレクタの音が特徴的なんだ」

 トイレ側のドアから戻ってきた長野は、江藤に対してそう説明した。

 江藤は頷(うなず)く。江藤はこの数日間ずっと変則領域の存在を知覚してきたが、あの高周波の音が近づいてくるにつれて、その感覚に乱れが生じた。それでマスディレクタ……変則領域を応用した空中浮揚装置が作用していることを、推察できたのだ。そしてそのマスディレクタを装備している機種は、啓示軍(オフェンバーレナ)の象徴たる機兵“人形”と、大型高速輸送機フリューゲイルだけしか確認されていない。補機らしきジェットエンジンの音がしたので、あれはフリューゲイルだと断定してよい。

 江藤が感心したのは、長野が江藤のような第六感の世話にならずともフリューゲイルと推定できたことだ。耳だけなら、江藤はそこまでわからなかっただろう。

「耳がいいんだな」

 江藤が褒(ほ)めると、長野は素直に喜んだ。

「テストパイロットは、いろいろ敏感な奴が重宝されるってことだよ」

 照れ臭そうにして、長野が気になることを言った。つい口が滑ったのだろう。それは、この二日江藤が尋ねても教えようとしなかった、長野の素性にまつわる情報だった。

「テストパイロット?」

 江藤が首をかしげると、長野は自分のミスに気づいたらしい。根掘り葉掘り聞き出したい江藤の欲求を空気越しに感じ取ったのか、渋々の様子で情報開示に踏み切った。

「少佐。麒麟計画って聞いたことある?」

「ああ、聞いたことだけならな」

 記憶を掘り起こしながら江藤は答える。

SMITS(スミッツ)が龍をつくったのに対抗して、ハイヴィレッジコンツェルンなんかが徒党を組んで新型機兵の開発を目論んだ話だろう。俺は関与していないから、詳細は知らんが……。俺が機兵の操縦訓練を受けている頃に、その件で企業や議会が揉(も)めていたな」

「そう、それ。ただ厳密には、麒麟計画の発端は乗俑機丙種の開発指示の頃に遡(さかのぼ)るんだ。一応、亢龍(こうりゅう)計画と同時に計画書が提出されていたんだよ。でも実質的には、少佐の思っていたとおりだ。あれは機兵開発におけるSMITSの独走を阻もうとして、一旦は実造が棄却された機兵の再設計を行い、無駄に金と人を使ったプロジェクトだ」

「そのテストパイロットだったんだろう? 当事者がそういう言い方をするのか。SMITSの鼻をあかすのも、悪い考えじゃなかったと俺は思うぞ」

 長野の捨て鉢(ばち)な言い草は、江藤のほうにそうフォローさせてしまう。

「あんなプロジェクト、廃案になっていればよかったんだ」

 唾棄(だき)するような口調で長野は言い重ねる。それほど思い出したくない出来事だったのかと、江藤は麒麟計画の噂を思い出してみる。

 なんとか船出した麒麟計画がどうなったのか、外廓聯にいた江藤のもとには情報が入ってこなかった。外廓聯は麒麟計画で敵視されていたSMITSと関係が深いから、それも当然だろうと江藤は思う。だが外廓聯から放り出され、東京でデスクワークに就いていたあいだなら、いくらか情報が入ってきていたはずである。江藤はその道の仕事に従事しており、派閥にこだわることなく情報が流れてくる役職にあったのだから。そのときの記憶を引っかき回してみると、やがてひとつの噂をサルベージできた。

「そういえば北部方面軍が……というより北熊(セヴェルメドヴェーチ)が、テストパイロットの人材提供を断ったって噂を聞いたな。それでおまえに白羽の矢が立ったか」

「そういう経緯らしいね」

「それが嫌だったのか? 予備として考えられていたことが……。いや、開発陣のおまえを見る目が厳しかったのか?」

「そんなんじゃないよ。そんなんなら、ずっと良かったさ」

 長野の声はフェードアウトするように小さくなる。

「テストパイロットが選ばれたってことは、実機の試作まで漕ぎ着けたんだろう?」

「ごめん少佐。励ましてくれるのは嬉しいけど、もう、その話はしたくない。それより今は、あのフリューゲイルについて考えないと。こんなところにあれが寄越される、それほどの理由がここにあるんなら、俺たちの身の振り方にも考えるべき点があるよね」

 強引な話題の戻し方だったが、正論に違いなかった。江藤は「うむ」と相槌(あいづち)を打って、腰を据え直す。長野も通路側の扉に耳を当てて、周囲に人の気配がないのを確かめたあと、江藤の対面にあぐらをかいた。

「フリューゲイルは、せいぜい三機か四機くらいしか確認されていない。その貴重なフリューゲイルを派遣するだけの価値がある場所ってことになる。そう言いたいんだな?」

「うん。グルーテイルじゃこの地形に着陸しづらいって都合もあるのかもしれないけど、このバロッグの様子じゃ、困っているのはここの部隊だけじゃないだろうしね」

「俺が遭遇したとき、敵の機兵は三機いた。エースパイロット用らしい目立つ格好のも混ざってたから、前線のパイロットをここに集めて、人間だけでも回収しようって腹かもな。あるいは、この鉱山基地の価値を知ってのタイプ派遣なのか。どう思う、長野。この基地に立ち寄ったところを捕まったというおまえなら、ここに何か啓示軍が欲しがりそうな代物が無いか、わからないか」

 江藤は長野に初めて会ったとき聞いた話を思い出す。たしか、あのバロッグのせいで味方とはぐれ、ひとりで彷徨(さまよ)っていたときにこの鉱山基地を見つけて、立ち寄ったということだった。

「わからないよ。見つけた格納庫で龍を修理していたら、そこに奴らが乗り込んできたんだから。でも、ここにはコアの研究者みたいな人たちが住み込んでいたから、啓示軍がその研究対象に興味を示したってことは考えられるね」

「そうか、コアか」

「憶測だよ。でも経緯や理由はともあれ、寄越されたのがタイプなら、俺たちの連行先はベルリンなんだろうな」

 声音が残念そうではなく、むしろ期待を込めたような響きだったので、江藤は訝(いぶか)しがる。

「おい長野。もしかしておまえ、おとなしく連行される気でいるのか?」

「正直なところ、命をかけてここから脱出しよう決意できるほど、俺は亜連に執着していないよ。英語は得意なほうだし、数年くらい日本に帰れなくなってもいいなって気はする」

 思ってもみない長野の発言だったが、江藤は驚きこそすれ、ありえない選択肢だとは感じなかった。模範的軍人なら真っ向から否定すべき言説であるにも関わらず、江藤は自分もそうしてしまおうかと一瞬考えていた。部下を失った今、啓示軍の懐に飛び込んで様々な疑問の答えを得るのも悪くはない、と。そして啓示軍の驚異的な勢力拡大の秘密や、江藤自身の特異体質の意味を解き明かすヒントが、霧のに覆われたベルリンで待っている。そう思えた。

 しかし。

「連行してもらえる保証はどこにもないってこと、忘れるなよ」

 江藤はそう長野に忠告していた。

 北嶋や藤居、南田たちの顔が次々と浮かぶ。それが、夢の中で繰り返された仲間の死に様に重なった。

「俺の部下や友は、奴らの使った光で奪われた。奴らは最低の侵略者ではないかもしれないが、紳士的な平和主義者でもありえないんだ」

 江藤は静かにそう言い聞かせ、長野は一言「ごめん」とだけ発して顔を伏せた。



- 4 -


 迎えのフリューゲイルを自分の目で確かめたエトガルは、それから司令所に向かった。

 司令所といっても、もともとは採掘現場のモニタリングに使われていた部屋らしい。制圧したときには埃をかぶっていたので、エトガルは自ら先頭に立って清掃し、司令所にふさわしい清潔な部屋へと変えた。

 その司令所で指揮権を行使するのは、エトガル・ローゼン少尉ただひとり。啓示軍(オフェンバーレナ)の親衛隊とでもいうべき基幹部隊では、少尉の階級でもかなりの実権が伴うのだ。それ相応の責任があるからこその待遇だが、エトガルはその身分に満足し、誇りを持っていた。

 だが、二日前にその状況が変化した。

 司令所のドアを開けたエトガルは、三日前まで自分が座っていた場所に、自分以外の将校の姿を見る。椅子には掛けず仁王立ちしているその大尉は、二日前、別の部隊から援軍としてやってきた。エトガルはつかつかと歩んでその大柄の男の背後に立ち、ひとつ咳払いをする。

「どうやら、ユプシロンに嗅ぎつけられる前に帰国の途につけそうです」

 そう話しかけると、男はゆっくりとふりかえった。黙したままエトガルを見下ろしている。

「あとは地雷など撒いているあの連中さえ防げば問題はないわけですが……。昨日は少々、遊びが過ぎたのではないですか? オズボーン・ワイルダー大尉殿」

 嫌味を含んでみせたエトガルだったが、しかし、言葉の額面ほど威風堂々とした態度を保つことはできなかった。エトガルを見下ろすこの男は、身長が二メートルを超える大男。しかも細長いのではなく、むしろ、彼の筋骨は逞(たくま)しいという表現でも足りないくらいのボリュームがある。彼が使う専用機兵のコクピットが、複座型を改造したものであるという話もうなずける。また、彼の顔はさながら悪魔のようでもあり、それを物怖(ものお)じせず正視しろというほうに無理がある。古代の神話に出てくる巨人や巨神といった存在は、こういう人間がモデルとなったのではないか。エトガルがこの男を初めて見たときの所感はそれである。

「おぬしがここの守りを減らすことを嫌ったので、我が単機で出向いた。その結果であろう」

 象でも唸(うな)ったか。そう思うほどの低く重い声。エトガルは気圧された。

 だが、昨日勝手に出撃して敵陣を襲い、損傷を受けて戻ってきたのはこの男の自己責任のはずである。なぜなら、あくまでこの男はエトガルの支援のために派遣されてきたのであって、エトガルの隊をどうこうする権力などないのだから。階級はエトガルより二つ上だが、それは命令系統とは別のことである。エトガルは喉を湿らしてから再び口を開いた。

「ユプシロンを排除してくれたのなら感謝もしますが、亜連軍の陣を攪乱し機兵の存在を確認した程度では、ブルートバートの損傷に見合う成果とは評価できません。それとも、大尉はご自身と愛機をその程度の価値としか見ておられないのでしょうか?」

「小犬が吠えおるわ。ブルートバートの修理さえ済めば、脱出までの時間稼ぎくらいはしてみせよう。相手がユプシロンといえども」

「では、その前にユプシロンが現れたときは?」

「それより先に帰国の途につける、と言ったのはおぬしだったが」

 オズボーンに睨(にら)まれ、エトガルは一歩退く。

「万一の事態まで想定するのが指揮官の役割でしょう。あなたもE12(エーツヴェルフ)の隊長であれば……」

「基幹部隊の青二才は口ばかり賢しいのだな」

 オズボーンはひとりごとのようにそう漏らし、エトガルに興味を失ったかのように視線を外す。

「相手が龍であれば、我が部下だけで勝利できる。他をおぬしの隊が阻止すれば、あれの搬出は間に合おう? たとえ今すぐ亜連が攻めてきたとしても、な」

 そう付け加え、オズボーンは司令所をあとにした。ふたりいた彼の部下がそれに続く。

 よそ者の足音が聞こえなくなってから、エトガルの部下のひとりが溜め息をついた。

「E6(エーゼクス)のスラント隊長であれば、基幹部隊を悪し様に言うことなどないだろうに」

 たしかに、とエトガルは内心で肯定する。E6……第六エスカドローン隊長のケーシャ・スラント中尉なら、今のような発言はありえなかった。ここに援軍に来るのはE6かE12のどちらかと決まっていて、結局E12からオズボーン・ワイルダー大尉が来た。その経緯を思い起こせば、余計に現状を悔しく思う気持ちが強まる。

「まったく厄介な連中ですよ。合流途中にわざわざ捕虜を増やして連れてくるんですから」

 別の部下が悪態をつく。これについてもエトガルは同意するので、士気低下を憂えて部下の言動を制止するという選択肢は思いつかない。

 一昨日オズボーンが土産のように鹵隠(ろかく)してきた龍は、中に生きたパイロットが入ったままだった。機兵乗りのオズボーンとしては、その龍が珍しい形をしていたことに興味を持って鹵隠してきたのだろうが、追跡を恐れながら迎えを待っているエトガルのもとへそんな荷物を持ち込まれても困るのである。国際法や今までの慣例を遵守するかたちでパイロットは生かしてあるが、亜連部隊に対する取引材料なり盾なりにでもなってもらわなければ、割に合わない。

「誰か、捕虜を尋問してこい。研究員は連れて帰るが、パイロットの二人にその価値があるのかどうか、最終確認だ」

 エトガルは自分の用心深さに満足し、オズボーンが邪魔で座れなかった椅子にようやく腰掛けた。



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 GT72鉱山基地というのは、南田の想像よりだいぶ大きな基地だった。GT72などと機械的な名前を冠しているのだから、てっきり学校のグラウンド程度の広さの、どこにでもあるような基地だと思いこんでいたのだ。

 だから第三〇三軽量機甲師団から提供された写真を見たとき、南田は大いに驚いた。険しい山肌には点々と坑道の入り口や倉庫などが見え、平坦に拓(ひら)かれた集積場らしき広場もあった。鉱業目的の採掘が行われなくなって久しいということで、写真に写っているような人や車はもういないらしいが、それらの影は基地の巨大さを南田たちに知らしめるのに一役買った。単純に面積だけで比べれば、猿之門基地と同じくらいある。

 写真で見たほぼそのままの光景が、今、南田の眼前のモニターに映っている。GT72鉱山基地を制圧した敵を討つため、第三〇三軽量機甲師団と共同の基地攻略作戦が始まろうとしているのだ。黒龍隊は動ける龍すべてと、二輛のジソコン、そして補給用の電源車で作戦に参加している。

 意志決定に関して紆余曲折はあった。もともと早々にタシケントへ向かうつもりだったところを、昨日の赤いゾルダートの襲撃で否が応にも巻き込まれる形になってしまったわけだが、それでも強硬にこの場を離れようという意見が少なからず出た。

 他ならぬ南田も強行撤収案に賛成だった。機兵があるとは言っても黒龍隊は所詮新米部隊。啓示軍(オフェンバーレナ)の手練れの機兵部隊相手には戦力にならない。それをあの野営地襲撃が雄弁に物語っているではないか、と、南田はそう主張したのだ。

 攻略参加に趨勢(すうせい)が傾いたきっかけは、連絡隊に借り出されていた群山が、人間大の鉄製の残骸を持ち帰ったことだった。おおよそ直方体に近い形状だが、一部に著しく削られ損なわれた部分がある。

 南田たちには見覚えのある形だった。行方不明の隊長が使っていた龍に、同じ外観とスケールのパーツがあった。そして同定を妨げる傷跡が、この場合はかえって多くの情報をもたらしてくれた。あの削岩機で削られた峰國(フェングォ)機の肘と、著しい類似性が認められたのだ。そして、それを見た北嶋はこう言った。

江藤カスタムの機関砲は既製品からの流用部品も多いが、弾倉の外装はあれオリジナルのデザインだと江藤が言っていた。僕自身、こんなケースを他で見た覚えはない」

 それが決定打となって、南田たちは今、GT72鉱山基地を臨む丘陵にいる。隊長江藤博照がそこに捕まっている可能性を、希望として見出した結果だ。

「隊長があそこにいるといいな」

 第三〇三師団からの合図を待っていると、オープンにしている通信回線を介して峰國の声が聞こえた。

「当たり前だ。いると思ってやらなきゃ、度胸がいくらあっても足りやしない」

 南田は、あの赤いゾルダートが帰っていったはずの鉱山基地を見つめる。

 数キロ離れたこの場所からも、写真と現状の変化が望遠カメラで確認できる。閉鎖された坑道の入り口が目につくが、啓示軍の籠城を示すような外観の変化はない。地下施設がかなり広大で、機兵さえ収まる格納庫があるとのことだった。

 数年前の資料に基づけば、複数あるその手の格納庫をすべて使えば、優に十機以上の機兵が収容できるらしい。第三〇三師団の目撃では敵の機兵は三機しか確認されていないが、最大で十機近くを見積もらなければならないことになる。当然、南田が心に余裕を持てるような状況ではない。今の黒龍隊で動ける龍は四機しかないのだから。

 昨日の戦闘で頭部に損傷を負った杜洋伸(ドゥ・ヤンシェン)の機体は、この一日では修理不能だった。脳と言うべきEPU(エクスペクトプロセッサ)本体は無事のようだったが、ハウジングのほうが大破していたからだ。だが、代わりに彼の機体と破損パーツを交換することで、南田や峰國の機体が短時間で復旧できた。南田機の背部ロケットエンジンも、なけなしの予備部品で修理してある。

「江藤の捜索と救出。それが黒龍隊の作戦目的だ。目的が達成された時点で撤退していい」

 ジソコンで指揮を執る北嶋が念を押す。

 言われなくてもそのつもりだと、そう応じようとしたときだった。基地の全景を映していた画面に変化があった。最も外縁の坑道あたりで、煙が立ち上っている。

 第三〇三軽量機甲師団の部隊が、攻撃を開始したのだ。

「行くぞ。奴らが機兵を出してくる前に、出口を塞ぐんだ」

 南田は龍防人型を駆って斜面を下りはじめる。峰國らの三機もそれに続く。

 厚木のときとも西フェルガナのときとも違う、南田にとって初の先制攻撃の始まりだった。



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 攻撃開始の報は、間もなく第三〇三軽量機構師団の野営地にもたらされた。

 分遣隊の指揮を任されているペイ・ユン中佐は、報告通りに地図上の駒を動かして、その布陣に満足げに頷く。

「果たしてこれでよかったのか」

 その発言で彼の気分に水を差したのは、補佐を務めるオーメント・ウェダム少佐だった。

「私の戦力配置に不満があるのか」

 ペイ・ユンは横目でウェダムを見る。

「良い戦力配分ではある。だが、これでは突入した黒龍隊に、我が方の砲撃が当たりはしないか。バロッグの障害で相互通信が円滑でない以上、その危険はもう少し深く吟味すべきだったように思う」

 意見があるなら作戦会議中に言えばいいものを、今になって何を言い出すのか。ペイ・ユンは前々からウェダムのそういった部分が理解できなかったが、今回はそれが特に気に障った。

「それは黒龍隊が臨機応変に対処すればよいことだ。機兵にはその能力があるのだろう。――もし扱う側に問題があって不幸な結果になったとしても、それは黒龍隊の自業自得というものだ」

「それはあまりに無責任ではないか。仮にも黒龍隊は中央議会の……」

「我らは自他共に認める元老院派だ。議会派の犬に親切にしてどうするのだ。少しは政治向きのことも考えろ、ウェダム少佐」

 ペイ・ユンはウェダムに歩み寄り、彼の両肩に手を置く。

「おまえがかつて江藤という男に世話になったという話は知っている。だが、元老院に受けた恩はその何倍になる? この場に居さえしない黒龍隊隊長への個人的感情で、作戦の差配を見誤るな」

 ウェダムは俯(うつむ)く。

 ペイ・ユンの聞いたところでは、ウェダムは何年も前に、自分の不始末の帳尻を江藤博照に合わせてもらったことがあるらしい。詳しい経緯は聞いておらず、あえて知ろうとも思わないが、どうせ大局的な意味を持たない些末(さまつ)な出来事だったのだろう。自分ひとりでは高い地位に駆け上がれなかった半端者の過去であり、そんなものに恩義など感じるウェダムの思考回路が、ペイ・ユンには理解できない。

「江藤中尉には……いや、今は少佐ということだったな。江藤少佐には本当によく助けてもらった。元老院に力添えできる今の立場も、彼の助けがなければ得られなかっただろう。成り行きで派閥としては袂(たもと)を分かってしまったが、恩は返したい。彼個人に返せないなら、彼の仲間にでも」

「そもそも黒龍隊自ら協力すると言い出したのだ。戦術レベルでの独自の行動権も認めたのだぞ。これ以上、何をどう取りはからってやるというのだ」

「彼らが協力してくれる気になった理由が、私にはわからない。中佐が何か言ったのではないかと、疑いたくもなる」

 ウェダムがペイ・ユンの手を振り払い、作戦指揮用に地図を広げた卓のほうに体をそらす。かけられた嫌疑に対し、馬鹿な、とペイ・ユンは鼻で笑う。

「昨日の件で、自分たちの態度を省(かえり)みたのだろう。敵機の侵入で多少の損害は出たが、結果的にはあの日本人たちを言い含める手間が省けた。そう、これは願ってもない好機だ」

「カナタフ少将からのお墨付きも得たから、か」

 握った拳に意志を漲(みなぎ)らせるペイ・ユンに、ウェダムが問う。師団長カナタフの名前で基地の即時奪還命令が届いたのは、昨夕のことだった。

「なんだ。なにか言いたげだな」

「あれは本当にカナタフ少将のお言葉なのか、そこに確信が抱けん」

「実を言えば、仮に少将からの命令が偽物であったとしても良いのだ。いま、攻撃を敢行する名目さえ立てば」

 ペイ・ユンが内心を吐露(とろ)してみせると、ウェダムが眉(まゆ)をひそめた。予想した通りの反応に、ペイ・ユンは愉快になった。

「タシケントからの増援が見込めなくなり、むしろ不利な状況が判明したのだぞ。なんとしても、早急に目的を達成しなくてはならんだろうが。少将からの命令が、何者かが早期攻撃を企図して作成した贋物(がんぶつ)であったとしても、どのみち同じ内容の命令が来るのは明白だ。少将は我ら以上にあの基地の重要性を認識しておられるのだから。つまりはこの際、手続きの順が前後するのは些末なことだというわけだ」

 自分の弁説に満足して笑うペイ・ユン。そこへ通信機を通して、再び戦場の状況推移が報告される。砲兵部隊がGT72鉱山基地に攻撃できるポイントを発見、確保し、軽戦車が主砲を構えて敵機兵を待ち受けている。さらに目視情報では、黒龍隊の機兵が砲撃の間断を縫(ぬ)って基地にとりついたらしい。

「啓示軍(オフェンバーレナ)め、私が指揮官だった不幸を呪うがいい」

 ペイ・ユンは満悦だった。



- 7 -


「これは幸運と言うべきか」

 頭にふってきた埃を払って、江藤は立ち上がった。伝わってくる地響きと重低音は、どんどん強くなっている。もちろん、その正体にもとうに察しはついていた。

 先刻尋問に現れた士官の言動からして、もとより盾か何かにされる公算が大きいと江藤は踏んでいた。そこにこの亜連の攻撃である。ますます追いつめられた啓示軍(オフェンバーレナ)が、自分たちを厚遇することはもうない。このままおとなしく捕らえられていると、味方に救出される前にどうにかされてしまいそうだった。脱出するなら今だ。

「おまえもいろいろ苦い思い出があるようだが、さしあたって俺たちを平和的に迎え入れてくれるのは亜連だけだ。いいな、長野」

「ああ、やっちゃってよ」

 長野の了解を得た江藤は、一発気合いを入れて、通路側のドアの前に移動した。それを見た長野はその行動が理解できなかったのか、きょとんとしている。

「まさかその怪力で破るなんて言わないよね」

 考えたあげくその質問を投げかけてきた長野を、江藤は笑った。武器を没収されているので長野が勘違いするのも無理はないが、江藤はそれほど非常識な肉体を持ち合わせていない。

「もっとスマートな方法だ」

 そう答えて、江藤はおもむろに服の腹の辺りをズボンから引っ張り出しはじめる。

「扉を破る秘策が、なんでその醜い腹部を晒(さら)すことと関係あるのかな」

 長野が心底不思議そうに疑問を口にした。

「失敬な。まぁ見ていろ」

 江藤はかまわず腹の部分をはだけ終え、解放された腹部の肉に手をやる。長野が目を瞠(みは)ってその様子を見ているのは、おそらく江藤の見事な腹の谷間が珍しいのだろう。青年誌の表紙を飾る胸の谷間よりよほど迫力があると、江藤は自負している。

 江藤はその谷間に指をねじこむと、そこから黒い紐(ひも)をとりだす。続けて江藤の親指大のカプセルを引っ張り出し、それらを丁寧に繋ぎ合わせる。

「江藤博照七つ道具のひとつ、携帯コード爆弾だ」

 完成した爆弾を掲げてそう自慢すると、長野はただ呆(あき)れていた。

「あんたの二段腹は四次元ポケットか」


*   *   *   *   *


 爆弾で難なく扉の蝶番(ちょうつがい)は破壊できた。爆発音を聞いたのか近くの兵士が駆けつけてきたが、江藤はそれを剥(は)ぎ取ったドアで殴って気絶させ、その腰から拳銃を抜き取った。

「近くに捕まっているのは俺たちだけ。研究員は連れ出されたみたい」

 すばやく辺りの偵察をこなしてきた長野が、そう報告する。

「長野、俺たちの龍がどこにあるかわかるか」

「目隠しはされたけど、格納庫からここまでの道順は体で覚えてる」

 長野は自信ありげに答え、迷わず左を指さす。

「ただ、少佐のが同じとこにあるとは保証しないけど」

「行く価値があると思うか?」

「脱出だけなら、生身で出たほうがいいんじゃない? 機兵じゃ目立つし、奪還に失敗したときのリスクも大きいよ」

「だな。ひとまず外だ。長野、案内を頼む」

「アイアイサー」

 長野は格納庫とは別の方向に走り出す。江藤は拳銃を構えてあとに続いた。



- 8 -


「オルロフを早く、フリューゲイルで脱出させろ。他の荷は諦める」

 司令所でマイクに向かったエトガルは、遺憾ながらそう指示するしかなかった。

 すでに敵の機兵が基地にとりつき、機兵を収容できそうな坑道の入り口を片っ端からつぶしている。嫌味なほどに、司令所のモニターではその様子が丸見えだった。もちろんエントゼルトゾルダートにはとっくに迎撃指示を出してあるが、その出口封鎖で足止めを食ってしまっている。

 オルロフを確実に持ち帰るべく考えた作戦が、裏目に出てしまった。エトガルはフリューゲイル離陸の障害となる戦力を排除すべく、密かにゾルダート部隊を外に出していたのだ。おかげで、エトガルの隊には機兵が二機しか残っていない。しかもその二機が、坑道に閉じこめられているのである。

「ワイルダー大尉は!?」

「未だ出撃準備中とのことです!」

 はしたないとは思いつつも、エトガルは舌打ちせずにおれなかった。坑道ではなく、れっきとした格納庫を使っているのはオズボーンとその部下のゾルダートなのだ。大柄の改造機のためにわざわざ空けておいたのに、これでは恩を仇で返されたようなものだ。

「わざとだな……」

 オズボーンの乗機ブルートバートが修理中なのはわかる。だが部下の二機だけでも先に出撃させれば、うるさい亜連の機兵を牽制できるはずなのだ。しかし、オズボーンは機体に問題のない部下たちの出撃も差し控えさせているようだった。

 若輩の指揮官である自分を困らせようとしているのではないか。エトガルはそうとしか思えなかった。なぜなら、遊撃隊を出すことにもオズボーンは否定的だったからだ。昨日は自分がひとりで出撃しておきながら、今日は状況が変わったなどと言って守備を固めることを主張するのだから、あの男は理論的思考とは疎遠な人間なのだとエトガルは分析している。

「我々が切り札ばかり当てにしていることを、大尉は快く思っていなかったのでしょうか」

 部下がエトガルを責めるようなことを言ったが、無視した。実際、オズボーン・ワイルダーがいかに機兵の操縦に長け、その乗機が彼専用にカスタマイズされていようと、その戦果は「切り札」のもたらすそれに遠く及ばないのだ。それほどに「切り札」は強い。エトガルは戦力を正当に評価し、言動は常にその判断のうえに立脚していたはずだ。誤りなどない。

 しかし、判断が正しければ必ず良い結果が得られるというものでもない。「切り札」の到着を待つことなく、この基地は敵に奪還されてしまう。それはもはや予約された未来だった。

 司令所全体が揺れ動く。敵の砲弾が近くで爆発したのだろう。バロッグがあるというのに、敵は手当たり次第に砲撃を繰り返しており、するとさすがに数発に一発は狙い通りに着弾する。運が悪ければこの司令所とて砲弾の餌食だ。

 もはや、切り札の到着を待つだけの猶予がない。ただちにフリューゲイルを離陸させ、自分たちももう一機の輸送機で脱出する必要がある。

「司令所はフリューゲイル離脱時点で放棄する。各員、脱出に備えておけ。滑走路はどうなっている?」

「滑走路は無事です。フリューゲイル発信準備完了。ゲート開きます。――あっ」

 フリューゲイル発進の監視をしていた部下が、悲鳴を上げる。応答を耳に入れながら数あるモニターを眺めて戦況把握に努めていたエトガルは、それを聞いてふりかえる。

「どうした」

「ゲート前に龍タイプが一機現れました! 今ゲートを開ければ、フリューゲイルが危険です!」

「くっ、ゲート停止。フリューゲイルは待機だ! ワイルダー大尉には出撃を督促しろ」

 最悪だ、とエトガルは自分の運のなさを呪った。



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 不気味なほど抵抗が弱い。南田は昨日の苦戦との落差に少々戸惑うくらいだった。

 四機すべてが鉱山の斜面にとりつき、ほぼ一方的に基地を制圧している。もとから採掘基地でしかないために、啓示軍(オフェンバーレナ)が持ち込んだ火器だけしかここには存在しないのだ。機兵がいちばんの脅威だと想定していたが、早期の坑道封鎖が功を奏したのか、出てくる気配がない。あるいは、第三〇三師団のほうと交戦中なのか。

 大きめの坑道をまたひとつ踏みつぶし、襲ってきた機関砲の掃射を避けた南田は、隠されていたその機関砲に火縄の砲弾をひとつくれてやる。人が撃っていたのか遠隔操作だったのか知らないが、その一撃であっけなく火線はやんだ。使った弾は今のでやっと二発目。

「いちばん怖いのは味方の砲撃だな。――峰國、俺は中腹まで行ってみる。おまえはこのあたりのモグラ叩きを頼むぞ」

「油断するなよ」

「そっちこそ」

 峰國にその場を任せ、南田は単機で上を目指す。資料では中腹には何もないことになっていたが、数年前の資料だから当てにならない。敵の待ち伏せにじゅうぶん注意しつつ斜面を登っていくと、やがて細長く平らに均(なら)された地面が稜線の向こうに現れた。

「滑走路?」

 それ以外の想像が浮かんでこないが、それを裏付けるような物証、小型機の姿などはない。立ち止まっていると狙撃されるおそれがあるので、とにかく動き回りながら様子を窺(うかが)ってみると、誘導灯らしき照明装置の列を発見した。

 格納庫が近くにある。南田はそう推測し、そこが機兵の収容に使われていそうだと判断した。滑走路までジャンプし、誘導灯に沿って走る。

「あれか」

 南田が怪しげなカムフラージュネットを発見したのと、警告音が鳴るのとが同時だった。反射的に飛び退(の)いた南田は、それでもまだこちらをロックし続ける敵の存在を視界に捉(とら)えた。二機のエントゼルトゾルダートがこちらを狙っている。

 滑走路の脇に一旦着地し、慣性を利用して少し横に滑ってから、再び跳躍。南田は飛んできた弾をそれで回避したが、断続的に警報は鳴り響く。敵は格納庫だと思ったのとは別の方向から現れたので、南田には反撃までやっている余裕がない。

 三度目のジャンプで潔く稜線の後方に退き、南田は仲間に向かって叫んだ。

「中腹にて滑走路とゾルダート二機を発見。現在交戦中!」



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 長野翔太という男に江藤が疑念を抱いたのは、二回ほど階段を下ったあたりからだった。もしや長野はこの広い基地の道順を把握しているのではないか、と。

 長野は道の選択に関して常に確信的だった。敵兵を警戒して立ち止まることはあっても、どちらに行こうかと迷う素振りを一切見せないのだ。格納庫で捕まった長野が、そこからあの洗面所までの道順を覚えているというのはまだ信じられるが、これはその格納庫とは別方向に走り出した道である。

「あそこから出られそうだ」

 長野が前方を指し示す。たしかに、行く手の右側に、開け放たれたドアから外の光が差し込んでいた。

「俺が先に行く」

 拳銃を構えて加速した江藤は、長野を追い越し、開放されたドアに迫る。そこに敵兵の姿があるのか、無いのか。それにばかり気を取られていた江藤は、左側の警戒がなおざりになっていた。

 江藤が通過しようとした左側のドアが、突如、それもかなりの勢いで開かれた。いや、それは開かれたのではなく、吹き飛ばされてきたのだ。慌てて避けた江藤は、右側の壁に背をぶつける。

 爆発ではない。ドアが外れる音しか聞こえなかったから、すぐにそれはわかった。しかし次の展開まで予想することは、江藤の想像力の限界を超えていた。

 ドアの外れた部屋の中から、携行ロケットランチャーより太い腕が襲ってきた。その腕は江藤の胸ぐらを掴(つか)むと、クレーンのような怪力で引き寄せる。二メートル近い江藤の体が、浮いた。

「少佐!」

 長野の叫びが聞こえたが、すぐに返事をすることなどできなかった。江藤の眼前には悪鬼のような巨漢が、それも江藤をも上回る体躯(たいく)の持ち主がいて、空いている左腕の拳を江藤の腹にめりこませていたのだから。内臓がつぶれたかとさえ思う強烈な一撃の前に、江藤は拳銃を取り落とす。

 あの赤いゾルダートのパイロット。江藤はそう直感した。

「に、げろ。こいつは、お、れが……」

 なんとかそれだけの言葉を喉からひねり出す。江藤を締め上げる大男が何か言ったようだったが、よく聞こえなかった。

 大男に道を遮られた長野が、別の道を選んで走り出す。素直に逃げたか、それとも殊勝にも江藤救出のための武器を探しに行ったか。薄れゆく意識の中で江藤はそんなことを考えたが、答えは出ない。

 最後に、熱い風を感じたような気がした。



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 中腹で待ちかまえていた二機のエントゼルトゾルダートは熟練の強者(つわもの)だった。そして西フェルガナ基地を襲った機体と違い、対機兵戦を意識した武装が施されている。二倍の数でかかっても、南田たちはさきほどの滑走路に踏み込むことができない有様だ。

「後退して、支援砲撃を頼もう」

 火縄の弾をすべて無駄に使わされた朝井が、弾倉を取り替えながら提案する。

「いや、捕虜が取られているなら、あの辺りだ。砲撃はまずい」

「そろそろ、下の坑道の奴らが穴掘って出てくる。挟撃(きょうげき)されちゃうな」

 峰國(フェングォ)に言われるまでもなく、南田はそのことをさきほどから心配していた。早く第三〇三師団の機械化歩兵なり軽戦車なりが駆けつけて来てくれと願っていたが、南田の祈りは天に届かなかったようである。変則領域内で機兵に一方的に叩かれることを警戒した第三〇三師団は、黒龍隊に比べるとだいぶ遠巻きに布陣していたのだ。

「いったん下がろう。援軍を待つ」

 掩体の陰から敵に一発撃ち返し、南田は後ずさりをはじめる。第三〇三師団が近づくための攪乱(かくらん)はじゅうぶんに果たしたのだから、わざわざ不利な状況で戦闘を続行する意味はない。

「竜時、真上!」

 峰國の警告で、南田は直上から接近していた脅威に気づくことができた。赤いゾルダート。シルエットだけでわかる。

 咄嗟(とっさ)に頭上に向けて火縄を発砲したが、やはり当たりはしなかった。跳びすさった南田の正面に、あの赤い機体が着地する。その姿は完全ではなかったが、さりとて昨日から全く修理されていないわけでもなく、交換したらしい削岩機を早速南田めがけて突き出してきた。

 昨日見たばかりの手の内、今度は避けられる。南田はそう思い、実際、じゅうぶんな間合いをとって削岩機をかわした。だが、龍の次のステップが入力通りに再現されなかった。足下にロケット弾が着弾し、足場が崩れたのだ。あの二機のどちらかが、赤いゾルダートの動きを完全に読んで行った援護射撃である。

 いちばん近くにいた群山が、いちはやく雷紫電に武器を持ち替えて駆けつけた。たたらを踏んだ南田機に追い打ちをかけようとしていた赤いゾルダートは、やむなく群山のほうに削岩機を向ける。よける群山。その隙に南田は距離を取る。

 峰國と朝井は、上の二機を牽制するので精一杯なのだろう。二人が助けに来る様子がない代わりに、敵の二機も茶々を入れてこなくなった。手負いの赤いゾルダートに対しては群山と協力して二機でかかれるわけだが、それで有利といえるかどうか微妙なところだ。

 そして何よりまずいのは、赤いゾルダートが南田たちのフォーメーションを崩してしまったために、簡単には後退もできなくなってしまったことである。向き合っている相手に隙を見せれば、その敵は他の目標に攻撃を転じ、それはすなわち味方の誰かが二機から攻撃を受けることを意味する。

 それらの状況を二秒ほどで理解した南田は、打開案をひとつだけ思いついた。自分がなんとしてもこの敵を倒す。それも可及的(かきゅうてき)速やかに。

 赤いゾルダートの左肩のミサイルランチャーは復旧していた。南田に向けてそれを発射して、赤いゾルダートは群山機を破砕しようと身を翻(ひるがえ)す。そのミサイルをすれすれで回避した南田は、タイムロスを最小限に抑えたことを活用し、背中を見せた敵機に向けて火縄を放った。

 命中した。赤いゾルダートは群山機の雷紫電を破砕していたが、その背中で爆発が起こり、のけぞる。そこへ追撃を撃ち込もうとした南田は、しかし、中腹の二機からの火線を察知してそれを諦めなければならなかった。

 峰國と朝井はどうしたのか。嫌な想像が頭をかすめて、南田はついつい後ろをふりかえった。

 幸いなことに、ふたりの龍はまだ動いていた。だが、こちらに背を向けている。

「下のゾルダートが出てきた!」

 朝井から報告があったのはそれを見た後だった。土をかぶったエントゼルトゾルダート二機が、朝井と峰國の相手をしている。それで上の二機が赤いゾルダートの支援に回れたのかと南田は理解したが、やはり戦闘中のよそ見は致命的だった。

 斜面上方からの攻撃が南田機の右腕を破壊し、南田から飛び道具を奪う。ひるまず、左手に雷紫電を持って接近戦を挑もうとしたが、それも阻まれてしまった。左脛(すね)をライフル砲の弾が貫通し、歩行できなくなった南田の龍は、戦場に片膝をついて降着した。

 緊急降着で緩衝装置がじゅうぶん作用するはずもなく、南田は地面に叩きつけられたような衝撃を受けた。それでも目だけはつぶらずに正面のモニターを見据えていたので、ここぞとばかりに襲いかかってくるゾルダートの姿がはっきりと見える。赤い機体ではなく、それを支援していたうちの一機。近づいて、バロッグの影響を受けない直撃弾を確実に南田機のコクピットに撃ち込むつもりのようだ。

 誰か、助けてくれ。

 それを声に出す間も与えられず、エントゼルトゾルダートは南田の正面に肉迫。その砲口を下腹部、つまりはコクピットに向ける。そして。

 目の前にゾルダートの腕が転がった。肘から下がライフル砲になったタイプの腕。上は肩の付け根までついている。それはたった今、南田の命を奪おうとしていた物だった。

 誰かが狙撃してくれたのか。目前の敵機の様子を見上げた南田は、その背後に、赤い目をしたゾルダートの顔を見た。南田は赤い色に反応してぎくりとする。しかしそれは赤いゾルダートではない。あの機体の目は一般機と同じ青い色をしている。では目だけが赤いこの機体は何なのか。

 忽然(こつぜん)と現れた赤い目の機兵は、ゾルダートの肩口から突き出ていた杭(くい)を引き抜いた。先端が円錐状のその杭が、一瞬でゾルダートの右腕を破壊したらしい。支えを失ったゾルダートが崩れ落ち、背後にいたその機兵の姿が顕(あら)わになる。

 ゾルダートタイプではなかった。頭や肩はゾルダートタイプに似ているが、手足にはむしろ龍や龍王(ロンワン)に似た特徴がある。

 南田の記憶からひとつの固有名詞が引き出された。

影龍(インロン)……」

 不気味な噂でその名を知らしめた謎の機兵が、南田を見下ろしていた。



――続く――