黒龍隊の挽歌 第十七話

攻守逆転



- 1 -


「改めて。よく無事だったな」

「そりゃ、お互い様」

 龍(ロン)のコクピットを出た南田鷹山は、満面の笑顔で互いの手を打ち合わせた。そのそばでは、久留の龍が二機に続いて腰を下ろそうとしている。

 南田が鷹山ら黒龍隊第三小隊と再会したのは、霧の中に消えた江藤を追いかけている最中のことだった。相対バルムンク反応で感知した複数の機兵を、江藤機や影龍(インロン)だと思って近づいたところ、それが鷹山たちだったのである。斥候の任に就いていたという三人は、付近に敵機が展開している事実を南田に伝え、それから四人は急いで江藤を探した。

 結局、仲間と再会できたばかりでなく、江藤の窮地も救えたようだから、幸運に恵まれたと南田は感じている。影龍と、長野という男の持ち出した青い機兵は行方不明だが、それらの不在が南田を動揺させることはない。いま江藤は、坂元の龍の手に乗って周辺を見て回っているのだが、南田には江藤がそこまでする理由がわからないくらいである。

 積もる話もそこそこに、南田は仕事に取り掛かった。久留も加わった三人で、横たわった江藤の龍に降り立ち、その損傷のほどを調べる。自走可能かどうか、もし不能ならば、回収の必要があるかどうか。

「よく生きてたもんだよ、少佐は」

 久留の呆れたような声が聞こえて、南田はそれに頷いた。強制パージによってハッチさえ残っていないコクピットは、外から中が丸見えであるばかりでなく、操縦に必要な機器もいくらか損なわれている。それを覗(のぞ)きこんでみた南田は、現地修理はありえないと見積もって、溜め息をついた。

「だめだな、こりゃ」

 顔を上げ、目の合った鷹山に苦笑してみせると、その鷹山が複雑な笑顔になった。

「その台詞(せりふ)、このまえ俺が言ったのと同じだな」

「え?」

「だめだな、こりゃ、ってね。竜時には悪いが、実は俺、俺たち以外の無事を諦めかけてた。西フェルガナ基地に残った本隊は、全滅したんだって」

 鷹山はそこで口をつぐんだ。だが、南田がどう応じるべきか迷っているうちに、鷹山は再び語りはじめる。

「あのときさ、俺たちは連絡隊の護衛で出ただろ。でも、護衛してたのがダミーでさ。積んでたのは通信機器なんかじゃなかったんだ。敵に襲われて、トラックがやられてから気づいたんだけど……。それじゃ遅かったんだな。何かおかしいと思って三人で引き返してみたものの、戻ったときには、あの光で基地はもう……」

「そうか、あのあとで鷹山たちも戻って来てたのか」

 それなら、間に合わなかったのはかえって幸運だったと、南田は思う。

「その口ぶりからすると、あの基地の有様は見たみたいだな。あの光からよく逃げられたもんだ」

中佐が基地を放棄して、そもそも守備隊ってのが無人の防衛システムだけで……。そういうのがわかって、少佐が撤退命令を出した後だったんだ。それで難を免れた」

「じゃあ、わりと近くまで接近してたんだな。なのにこうして会えるまで一ヵ月かかったんだから、運が良かったんだか、悪かったんだか」

 それは違う。南田は、自分たちと鷹山たちとに決定的な時間と場所の溝が生じていた事実を再確認させられたが、それをどう説明すべきか糸口が見つからない。

「黒龍隊の仲間には会えずに、敵と遭遇する破目(はめ)になったもんな」

 南田が黙った隙を生めるように、久留が苦笑する。接敵と聞いて南田は驚いた。

「大丈夫だったのか?」

「大丈夫だったから、こうして話しているんじゃないか。まあ、たしかに二機のゾルダートとやりあった後で接敵しちまったときには、ヤバイとおもったけど」

「それらしい傷は見えないけど、どこかで修理を受けられたのか?」

「今世話になっている部隊で。それに俺たち、一回はこのバロッグの外に出ているから。だから質問したいのは寧ろこっちのほうだ。竜時たちはどうやってこの一ヵ月……」

 ついに来た、と南田は身構えた。いまだ誰にも漏らしていない時空跳躍という怪事件。どう説明したらいいのか、そしてどう話せば藤居のことについて言明を避けられるか。南田は速まる鼓動の倍速で思考を組み立てようとしたが、やはりうまくいかない。

 しかし、鷹山の質問は、近づいてくる龍の足音に遮られた。

「鷹山、おしゃべりはそこまでだ」

 ヘルメット内蔵の通信機から、坂元の声が聞こえてくる。

「なんだよ、坂元」

 ふりかえりながら、少々機嫌を損ねた様子を見せる鷹山。南田が同じく坂元機のほうに目をやると、その掌(てのひら)で江藤が難しい顔をしている。

 やはり見つからなかったか、と南田は内心呟(つぶや)いた。北側のバロッグはどんどん濃度を増していて、崖から落ちたという青い機兵の捜索は困難を極める。江藤が予想より早くそれを諦めてくれたので、南田としては胸を撫で下ろしたいところである。このバロッグの濃度上昇は、西フェルガナ基地での戦闘を思い起こさせるのだ。

「少佐が満足したらしい。すぐに出発する」

 返事も待たず、針路変更する龍。坂元は言外に、さっさとついて来いと言っていた。江藤の龍の回収も、坂元は端から無理だと見定めていたのだ。

「どうかしたのか、坂元は」

 坂元から怜悧(れいり)な気配を感じ、南田は鷹山に尋ねる。

「やっぱり、変だと思うだろ。昨日からあの調子なんだよ。なんのつもりだろうな、偉そうに」

 鷹山は、遠ざかっていく龍の背中を睨(にら)む。このふたりの喧嘩なら珍しくもない。坂元の気性を考えれば、今の態度にも合点が行く。深刻な問題ではない。

ふたりの喧嘩を見て妙に安堵する自分を感じながら、南田は龍のコクピットに戻ろうとして、踵(きびす)を返した。

「どうした?」

 すでに龍のハッチに取り付いた久留から声がかかる。

「いや、ちょっとね」

 曖昧に答えて、江藤機のコクピットに足を踏み入れ、シートに腰を下ろす。

「書置きしとかないと、みんな心配するからな」

 ポケットから出したペンでその場に走り書きを残し、南田は三人に遅れて龍を発進させた。


*   *   *   *   *


 龍の手に乗るのは江藤も久しぶりだった。第三期生産型以降でバージョンアップされたOSでは、こういうときにきちんと上下振動を相殺するように腕を動かしてくれるから、揺れはほとんどない。もっとも、たとえOSが初期のもので少々上下に揺られたところで、江藤にとっては大した苦でもない。しかし今は、江藤はその揺れがないのをありがたく思っていた。

 江藤は五感を研ぎ澄ましていた。そうすることで、曖昧模糊として思うように制御できない第六感の機能も、誘起するように鋭敏にすることができる。八月の悪夢以来つきあってきた体質だけに、それくらいのノウハウは体得していた。

 刻一刻と、バロッグが濃密になっている。それを肌で感じながらも、江藤はまた別の何物かの存在を、その霧の向こうに感じていた。それは影龍と雷麒麟の追走を始める前からあった感覚で、苦しいわけでも心地よいのでもないのだが、妙に江藤の気を引くのだった。

 バロッグの異常な濃度上昇は西フェルガナ基地でも感知した。さらに言うなら、消滅砲の攻撃に巻き込まれる直前に感じていた不快感も、変則領域の感知能力が発揮された結果だったのだろう。するとおそらくこれも何かの予兆なのだろうが、江藤にはそれが何かを類推することまではできない。消滅砲のときとは違う感覚だが、体の反応を一度しか体験していないのでは、異常の原因が消滅砲ではないと断定するには至らない。江藤が西フェルガナ基地で知りえた唯一確かなことは、人為的に発生させられた変則領域であっても、江藤に感知できる種類のものがあるということだけだった。

 正体不明の何かを探るように、長いことじっと左方を眺めていたが、やがて江藤は視線を龍の行く手に戻した。坂元機が先頭を行っているので、その掌に乗る江藤の前に龍の姿はない。位置としては先頭にいても、江藤は一行の先導役ではなく、ただの乗客だった。

「坂元、あとどのくらいだ」

 ヘルメットの通信機を介して、龍の腹の中にいる坂元に尋ねた。再会の場所から、もう一時間以上は移動したのではないだろうか。坂元が目指す目的地は、事前の説明によれば、そう遠くないはずである。

「現状の速度で六分。もう、街が視認できますよ」

「ほう」

 目を凝らすと、バロッグの霞のなかにそれらしき輪郭が浮かんできた。住民が消えたゴーストタウンだと坂元は言っていたが、八月の悪夢で直接やられた街というわけではないらしい。建物はおおむねしっかりと建っているように見える。

「おお、見える、な」

 気づけば、あたりは急激にバロッグの濃度が落ちている。可視光にはあまり影響がない。バロッグの濃度上昇は、今のところ暖炉の谷だけで起きているらしい。それは、暖炉の谷包囲を進める亜連軍が拠点に使うには、すこぶる都合がいい場所ということだ。

「おい、坂元。あそこに、俺に会いたいという奇特な奴がいるんだったな」

 戦車や装甲車、自走砲の姿が見えはじめる。おそらく、連隊以上の規模。

「ええ、俺たちが世話になっている部隊の指揮官です。南部方面軍第一九〇旅団の、古菅(こすが)大佐」

 その瞬間、江藤の脳裏に先日の夢がフラッシュバックした。

「今、古菅と言ったか?」

「言いましたよ。意外でしょう。南部方面軍の指揮官が日本人とは」

 坂元が珍しく、さも面白そうな声音を出した。だが、江藤は苦虫を噛み潰しながらゆっくりと首を横にふる。

「――古菅純」

 その名を呟く。フルネームを口にしたことに坂元が何かしら反応したようだったが、江藤はそれを上の空で聞いていた。

「たしかに意外なことだ。あの男が、まだこの俺に会いたいと言うなんてな」



- 2 -


 モニター類だけが光を発する、暗く狭い密室。牙黒鷲のコクピットの中で、ヴォルフは瞑(つむ)っていた目を半時ぶりに開いた。

亜連が動き出したか」

 ヴォルフはこれを待っていた。単機で、しかもEMパイルに損傷ありとなれば、亜連の進軍に乗じなければ暖炉の谷中心には近づけない。だから今までここで牙黒鷲の身を隠していたのだ。長野を見捨ててまで得たこのチャンスは、絶対に活かさねばならない。

「――発進」

 ヴォルフの声が静かに響くと、呼応するようにコクピットの灯りが増え、牙黒鷲は滑らかな動作で岩地の深い窪みから抜け出る。

 日が傾いているはずの時刻だが、周囲は白い闇に包まれていて、光源の方向はわかりにくい。それがただの濃霧でないことを、相対バルムンク反応センサーが告げている。

 ヴォルフにとって、それは都合がいい。この変則領域の霧の中では、啓示軍(オフェンバーレナ)からも亜連軍からも身を隠せ、一方でヴォルフは決して目的地の方位を見失うことがない。さらに、限られた武装でも目的を達成できる公算が大きい。

 迷うことなく牙黒鷲の進路を選択しながら、ヴォルフは断続的に轟く砲声に耳を澄ましていた。暖炉の谷東面に展開していた亜連の大部隊が、数に任せた砲撃を始めたのだろう。上昇するばかりのバロッグ濃度に焦りを募らせたかと、ヴォルフは推測する。あるいは、事態の本質を知りうる元老院が、いずれかの特権を発動して軍に指示を出しているのか。後者の場合は、作戦失敗の保険がかかることになるが、ヴォルフは浮かんできたその考えを封印する。

「これは俺たちに課せられた義務だ」

 力のこもった自戒の言葉とともに、牙黒鷲は加速する。この異変の原因、暖炉の谷の中央へと。



- 3 -


 江藤が案内されたのは、かつては町役場として機能していたらしい、比較的大きな構えの建物の一室だった。南田たちとは龍を駐機した場所で別れ、坂元だけがここまでの案内に付き添っていたが、その坂元も部屋の主によってたったいま退出を命じられた。背後でドアが軋みながら閉まり、部屋には江藤と部屋の主のふたりだけが残る。

「久しいな江藤。待っていたぞ」

 どちらかといえば長身の、江藤とは対照的に引き締まった肉体の持ち主が、元来細い目をさらに細めて笑ってみせた。江藤はその顔を見ていたくなかったので、大仰に深々とお辞儀をしてみせる。

「これはこれは、古菅大佐。大佐殿からそのようなお言葉をかけてもらえるとは思ってもおりませんでした。たしか、自分を最初の任地から追い出したのは、他ならぬ大佐殿だったと記憶しているのですがね」

 そこまで言って顔を上げると、期待通り、相手はもう作り笑いをやめていた。

「自ら原因を作っておいて、よく言う。この古菅純、任務に私情を挟んだ覚えはない」

 厳格な将校の顔になった古菅は、江藤を睨みつける。それを受け止めた江藤は、おどけた調子で首をすくめ、勧められもしない椅子に腰を下ろした。

「――ははぁ、なるほど。私情を抑えているからこそ、嫌いな元部下を呼びつけもする、と」

「今は、好き嫌いなどという個人的感情について吟味すべき時ではない。そもそも、この再会の舞台をセッティングしたのは偶然の重なりだ。感謝すべき偶然のな。私の意思の介在など、この偶然の連鎖に比べれば何ら価値を持たない」

「ほう。偶然、と仰りますか……」

 そこで一拍置き、今度は江藤が相手を睨む。

「うちの部下たちを拾ってくれたことには感謝しますよ、大佐殿。それが、自分をここに呼びつけるための方便だったとしてもね」

「悪し様に言うことはあるまい。私は幸運な偶然を利用したまでだ」

「自分の立場から見れば、任務中に部下とはぐれてしまったのです。幸運という言葉はご遠慮いただきたいですな」

 言葉はともかく、江藤の表情はもはや礼儀など放り捨てている。たいがいの相手ならそろそろ激昂するなり眉を顰(ひそ)めるなりするところなのだが、古菅はまだ涼しい顔をしている。

「私が言いたいのは、不幸中の幸いとしては実によくできたタイミングだった、ということだ。坂元曹長らと出会ったのは、我が旅団に配備予定だった機兵が、タシケント包囲網に持っていかれた直後のことだった。危うく無駄になるところだった機兵のバックアップチームが、有効に活用できている」

「あいかわらず、合理的な運用とやらが大好きなようですな」

「褒め言葉として受け取っておこう」

 古菅は臆面もなくそう言ってのける。

「ではお尋ねしますが、合理的な大佐殿がご所望だったのは昔の部下としての江藤博照ではなく、黒龍隊隊長としての江藤博照でありましょう?」

「それは否定しない。旧交を温めるような時と場所でもないからな」

 旧交という言葉は不適切だ、と江藤は内心で毒づく。

「前置きはもうよいだろう。そろそろ本題に入りたいと思うが」

「ご随意に。聞く価値があると思えるうちは、ここに座っていますよ」

 これにも古菅は特に反応しない。以前と比べ明らかに耐性を得ていると、江藤は評価する。十二年前、上官と部下の間柄だった時分、江藤がこのような発言をすれば古菅の激昂は確約されていた。

 ひとつ咳払いをして、古菅は話しはじめる。

「まずは現況の確認から行っておこう。タシケントを制圧した啓示軍(オフェンバーレナ)が、暖炉の谷へ主力を移動させたことは知っているな」

「おおよそは。おかげでシムケント経由の脱出経路を諦めましたよ」

 そこで古菅はやや身を乗り出した。

「脱出? 聞き捨てならんな。黒龍隊は脱出の途中だというのか?」

「戦略軍から拝命した任務は終了しております」

 秘密任務だったのをいいことに江藤が嘘をつくと、古菅は怪訝(けげん)そうな顔をする。しばし江藤の顔をじっと見つめ、やがて息を吐いて椅子に背を預けた。

「黒龍隊がどのような任務を命じられたのか、今は尋ねまい。だが、何を見てきたのかという問いには答えてもらわねばならん。啓示軍の新兵器のまえに、亜連が未曾有(みぞう)の危機に晒(さら)されていることが、貴様にはわからんのか。それとも、知っていて戦場から離脱しようというのか。貴様に与えられた権限をもってすれば、独自判断での友軍援護など問題にならないだろうに」

「タシケントを撃った光なら、そう心配するには及ばんでしょう。あれは照射地点にマーカーを設置する必要がある。暖炉の谷を消滅させられる危険はあるかもしれませんがね、亜連の中枢を撃たれる心配はない」

「断言できるのか」

 生来つり気味の古菅の目が、江藤をねめつける。十二年前、狐目だ、とよくからかった顔だった。それで江藤が思わず失笑してしまうと、古菅の目がさらに細められた。

「失敬。しかし大佐殿、そりゃ無理な相談というものです。実証などできるわけがない」

「では、機兵十機を擁する黒龍隊がこの戦場で求められる役割は理解できるだろう。啓示軍の暖炉の谷制圧が、仮にあの新兵器と関係のない作戦なのだとしても、危険に変わりはない。敵中孤立も顧みずに制圧を敢行したのは、そのリスクを帳消しにできるだけのリターンが見込めるからこそだ。それはすなわち、亜連に重大な危機が迫っていることを意味する」

「その論法はわかりますが……。まことに残念ながら、どのみち機兵の損耗が激しく、作戦参加は難しいのですよ」

 口実を挙げて江藤が難色を示すと、古菅は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。

「その問題ならば解決可能だ。先にも言ったように、我が隊には機兵のバックアップ態勢が整えられている。たとえ十機の龍でも、数日なら運用が可能だ。――江藤少佐、脱出は考え直せ。亜連二十億の市民の安全が、脅かされようとしているのだぞ」

「二十億……」

 古菅の言葉を反芻(はんすう)し、江藤は自分の両手を見つめる。

 意外にもこの手に転がり込んできた、黒龍隊隊長の地位。亜細亜連邦軍を改革しうると思えたその力は、亜細亜連邦市民の平安を守る要でもあったのだ。新米ぞろいの編成であったために、当面はその機能の発揮を猶予されていた黒龍隊だが、この異常事態のさなか、依然としてモラトリアムを継続することは許されない。

 そのことを、江藤は失念していた。失念していた自分に気づかされ、情けなさがこみ上げてきた。そして内心に江藤は自嘲する。自分は、自分が他者に求めていたほどの器量を持ち合わせていなかったのだと。

 悟ってみれば、江藤が戦場からの離脱を決めた最大の要因は、実は疲労損耗の蓄積ではなく、時空転移の経験でもなかった。西フェルガナ基地であった裏切りこそが、江藤に強く脱出の衝動を与えていたのだ。GT72鉱山基地から直接離脱しなかったのは、行方不明の部下をタシケントで探したいと思い、また、離脱後の隊の安全を考慮した結果に過ぎない。離脱自体は明確な決定として江藤の思考の中心に位置していた。

 しかし、それは自分に対してしか妥当性を持たない。最大限拡張しても、黒龍隊隊員相手にのみ通用する理屈に過ぎない。決して、亜細亜連邦の市民に対する責任放棄は正当化されないのだ。

 ――自分は、見当違いの方向に憤りをぶつけていた。

 ゆっくりと、江藤は顔を上げた。古菅のただただ真剣なまなざしが、江藤を見返している。

「江藤、おまえの手を借りたい。部下としてではなく、共に亜連を守る者として」

 かつての上官の言葉に、江藤は一言ぶんだけ口を開いた。

「――承知」



- 4 -


 暖炉の谷の炎は、徐々にその勢いを増していた。深い亀裂の底から稜線まで、その高さは百メートルを超えているのだが、いまや炎はそれだけにとどまらず、天に向かって幾本もの柱を打ち立てている。少し外に離れるとバロッグの濃度上昇として現れている異変が、ここでは炎の勢いとなって顕現していた。

 噴き上がる火炎柱の鮮やかさ、絢爛さに、ケーシャ・スラントは数秒、目を奪われる。しかし、すぐにヘルメット内蔵の送話器に向けて声を張り挙げた。

「安心するのは早い! 日没までに必ず第二波が来る!  コミレット小隊はX2(イクスツヴァイ)の周囲を固めろ。追走してきた前面の部隊は、私とブラームスの隊で遊撃する」

 矢継早(やつぎばや)に指示を出して、ケーシャは愛機シュヴァルツパンターへと乗り込む。先刻、亜連の先鋒を蹴散らしてきたばかりだが、機体に傷はない。バロッグが濃すぎて火器のほとんどが無用の長物となっているものの、敵も同じ条件なら、険しい地形と変則領域でも自由に動ける機兵のほうに圧倒的優位性がある。戦闘開始から二時間半、部下の機体を一機も損なうことなく亜連の攻勢を防いでこられたのは、そのおかげだった。

「スラント隊長」

 立ち上がったシュヴァルツパンターに、一機の機兵が歩み寄ってきた。ゾルダートタイプではあるが、エントゼルトゾルダートではない。最近実戦配備の進んでいる第二標準モデル、トロイパペゾルダートである。アルベルト・ヴェーバーが運んで来たE6(エーゼクス)用の新戦力とは、これのことだった。

 トロイパペゾルダートのフォルムは、ノイエトーターのシルエットに近づいている。性能についても同じことが言えるのだろうが、E6ではまだこの新型を運用したことがなく、ケーシャはこれを誰に任せるか迷った。E6の戦技レベルでは、マイナーチェンジでもそれに応じた操縦訓練を行わなければ調和が乱れるからだ。いちばん操縦に余裕のある者がこの新型に乗り換えるべきだったが、ケーシャ自身は指揮官用にチューンしたシュヴァルツパンターを使い慣れているし、操縦性に手を加えすぎたシュヴァルツパンターに乗り換えられる部下もいない。そして次の候補としてケーシャの頭に浮かんだのが、今しがたの声の主だった。

「E12(エーツヴェルフ)の再配置を確認してきました。南側の守備はあちらに任せてよいでしょう」

 ケーシャが見ていた戦術地図が画面上をスライドし、新たに展開されたウインドウに、彼女の右腕であるリヒャルト・ブラームス中尉の顔が現れる。あいかわらず落ち着き払った様子で、ケーシャがこの作戦遂行に対して抱いているような高揚感は、彼には無縁なのだろうと再認識する。

「手間をかけさせたなブラームス。ワイルダー兄弟不在の帳尻あわせなど、ヴェーバー様とX2のことがなければ頼みはしなかったのだが」

 ワイルダー兄弟、と口に出して、ケーシャは口腔に不愉快なものが溜まったような気分になった。E12隊長オズボーン・ワイルダーと、その弟ふたり。いずれも赤と藍で彩られたカスタマイズ機、通称ブルートシリーズを用い、E12の戦力の中心をなしている。

 先刻タシケントからの最終移送を護衛して戻ってきたE12だったが、リーダーであるはずのワイルダー兄弟はそのなかにいなかった。遭遇した敵を撃退するため隊列から外れたとのことだったが、今に至るもまだ戻らない。

「私のことはよいのですが……。気になるのは、やはり彼らが戻らないことです。ブルートザオガーブルートフント、いずれも完全な修理状態ではなかったようですが、しかし彼らがその程度のリスクで目的達成に手こずるとは思えません」

「試作機くずれの専用機を受領して、オズボーンがいい気になっているのだろう。啓示軍(オフェンバーレナ)の大義よりも私情を優先させるような輩だ。弟ふたりがそれにつきあって遅くなったとしても、今更驚きはせん」 

「しかし。聞くところによると、基幹部隊の支援任務の折、ワイルダー大尉がブルートバートをあそこまで破壊されたのは、ユプシロンと交戦したからだとか。ユプシロンが基幹部隊を追って姿を現したというのが事実なら、ここに現れても不思議ではないと考えられます。彼らが戻らないのも、ユプシロンと遭遇したからなのでは……」

 ブラームスの言葉を聞き流そうとしていたケーシャだったが、ユプシロンと聞いて愛機の歩みを止める。モスクワ戦でノイエトーターを手こずらせたというあの機兵が参戦するとなれば、警戒は厳にしなければならない。

「来るとして、どこからだと考える?」

「ユプシロンがこちらの陣容を把握しているなら、西に狙いをつけるかと」

「そう考えるのが妥当だろうな。よし、私が二機を連れて偵察に行く。おまえは残りのゾルダートを率い、予定通り敵の戦列を崩せ。いいな、日没まで絶対にここへの接近を許すな」

「はっ」

 ブラームス中尉にあとを任せ、ケーシャは進路を西に取った。途中、補給を済ませたエントゼルトゾルダート二機と合流し、そのまま谷中心部を南まわりに迂回して進んでいく。

 ――結局、ブラームスはトロイパペゾルダートの扱いには慣れたのだろうか。

 ケーシャがそんな疑問にふと突き当たったそのとき、南東の空で爆発が起こった。シュヴァルツパンターの首を旋回させると、霞んだ空に小さな嵐が渦巻くのが見えたが、それはすぐに収束に向かう。ミサイルか砲弾が、バロッグによって爆発したのだろう。味方に被害を及ぼすような規模ではない。

 亜連がこの地に注ぎ込んでいる砲弾は、多くがこのように自爆しているが、中にはバロッグを突き抜けてくるものもあるし、爆散しても上空から破片が降り注げば被害が出る。いくらバロッグが濃くなろうと、完全な城砦となってくれるわけではないのだ。

 一瞬、X2の特殊作戦の指揮を執っているアルベルト・ヴェーバーの安全が気になったが、ケーシャはそれを不要な配慮として自ら切り捨てた。守りはコミレット、攻めはブラームスと、いずれも信頼できる部下に任せてある。いま、戦術を完全たらしめるためにケーシャがなすべきは、うろたえることではなく、ユプシロンという名の不確定な脅威を取り除くことだった。ワイルダー兄弟の帰還が確認できればそれでよし、もしユプシロンがワイルダー兄弟をかわして現れれば、可能性としての脅威ではなく実存の脅威を抹消できる。ケーシャは隊の進行を早めた。

 少し行ったところで、また遠くない場所で爆発が起こった。轟音と衝撃はさきほどの比ではない。どうやら殆(ほとん)どまともに、地上で爆発したらしい。着弾点はX2やヴェーバーたちから離れているが、だからといってケーシャは胸を撫で下ろせなかった。

 ――あの下には、大勢の灯教徒が残っていた。彼らの所属する国家の手によって、彼らは殺められた。

 やはり亜細亜連邦は世界の導き手たりえない。アメリカ合衆国もまた然り。だからこそ、一日も早く世界を啓示軍の管理下に置き、人類の営みのありようを正さねばならないのだ。ケーシャは哀れみと憤りを昇華させ、新たな決意に変える。

「この作戦の成功は、必ずや我らの進む道を切り拓き、世界にその前途の輝かしさを知らしめるだろう。ゆえに、なんとしても日没までここを死守する」

 ケーシャが呟くと、間をおかず、部下たちの気勢が返ってきた。

 末端の将兵のこの統一感こそが、啓示軍が世界を統べうることの証。無意識に小さく頷いたケーシャの目に、シュヴァルツパンターの鋭敏なRBRセンサーが、前方からの機兵の接近を伝える。

「フォーメーション、ローリングデルタ!」

 戦闘陣形の指示を発するまで、ケーシャは一秒たりと時間を無駄にしなかった。岩陰にちらりと見えたその姿は、ワイルダー兄弟の使う機兵とは明らかに色が違っていたのだ。ならばそれはもう味方ではありえない。ブラームスの推測が、当たったことになる。

「X2には近づけさせんぞ、ユプシロン!」

 シュヴァルツパンターの右腕、熱粒子砲が獲物を求めて唸りをあげた。


*   *   *   *   *


 熱粒子砲の稼動を感知し、ヴォルフは余裕をもって第一撃をかわした。牙黒鷲の背後で、岩のオブジェのひとつが溶けて崩れる。

「第六機兵戦隊(エスカドローン)の……シュヴァルツパンターというやつか」

 センサーでは感知できていなかったものの、すでに視認可能な距離に三機のエントゼルトゾルダートが迫っていた。その先頭の一機は、仲間からの情報でE6の隊長機だと知っている。おそらくE12の三機同様、ヴォルフと牙黒鷲を手こずらせる相手だろう。

 センサーは相手のほうが高性能。突破しかない。

 ヴォルフは飛来したミサイルを舞うようにしてかわし、火縄を撃ち返しながら前進する。しかし、ミサイルをかわしながらの応射では命中精度が悪い。巧みに相対位置を変えながら向かってくる相手に、全くダメージを与えられない。

 一方、回避と次なる攻撃ポジションへの移動とを無駄なく融合させているエントゼルトゾルダートの攻撃は、幕が切れない。だんだんと、回避が厳しくなる。火縄の弾倉を交換する暇も無い。

 ライフル砲と熱粒子砲、それにミサイルを添えての複雑なコンビネーションのまえに、ヴォルフはついに一発を回避しそこねた。胸部中央に被弾。牙黒鷲の装甲は穿孔(せんこう)されることも吹き飛ばされることもなく原形を止めたが、運動量保存則が曲げられたわけではない。牙黒鷲は大きくのけぞり、そこへ熱粒子砲の追撃が来る。

「シュッツネーベル!」

 熱粒子砲の見えない弾が到達する直前、咄嗟(とっさ)にヴォルフはその言葉を口にした。どうにか踏みとどまった牙黒鷲が、火縄を放り捨ててその手を正面にかざし、そこに一瞬だけバロッグに似た淡い発光現象が生じる。動きの止まった牙黒鷲めがけて更に砲弾が飛んできたが、それは再び白い靄を生じさせて雲散した。

 三発目、四発目と、牙黒鷲は続く攻撃をすべてその靄で防いでいく。先刻、赤い四脚型のゾルダートがEMパイルを防いだのと、全く同じことが起きていた。

「ユニヴァーサルコンデンサの力を借りずに、シュッツネーベルが使えるか。ではやはり、ノイエトーターが起こそうとしているのは……」

 もしやと思って試してみたが、この守りの霧、シュッツネーベルは、本来なら今の牙黒鷲の装備では使えない機能だった。しかし、それが使えてしまうというという現実は、ヴォルフにとって芳しくない。恐れていた事象の予兆。

 異変に気づいたのか、牙黒鷲を狙う砲火がやんだ。額をつたう汗を拭い、ヴォルフは苦笑する。

「ありがたい。受け続けるのもけっこう辛いんでね」

 特異な環境の力を借りてのこととはいえ、シュッツネーベルの発生と維持は、それでも著しくヴォルフの肉体と精神に負担をかけていた。ヴォルフはゆっくりと息を吸い、そして叫んだ。

「放射!」

 牙黒鷲がかざしていた手を払う。すると牙黒鷲を中心に同心円状の波動が生じ、それは高さ数十メートルの火炎柱の噴き上がりを伴って伝播していく。瞬く間に、幾層もの炎のカーテンが牙黒鷲を包み込んだ。

 視野が揺らぐ。それが陽炎のせいではなく、疲労による視覚の機能低下だとヴォルフは自覚する。

「限界、だな」

 火炎柱を誘起して壁を作ったのはいいものの、火炎柱を動かすような奇術は身につけていないし、宇宙での使用に堪えるエントゼルトゾルダートに対しては、この炎も単なる目くらましに過ぎない。これ以上の前進は、確実な敗北を意味する。

 炎の幕の内で、牙黒鷲は身を翻(ひるがえ)す。

「くそっ。また後手に回ってしまうのか……」

 この失敗がどういう結果を生むのか、ヴォルフはすでに察しがついている。現在攻勢に出ている亜連部隊の壊滅は免れまい。だが、そのあとのより重要な段階は、まだ阻止の余地が残されている。ヴォルフはそれに賭けるしかなかった。



- 5 -


 窓から差し込んでいた赤みの強い光が、いつの間にか勢いをなくしている。早くも日が暮れようとしているのだと、窓外に視線を転じた江藤は悟る。

 江藤と古菅の対談は、古菅の手元の無線機に呼び出しがかかったことで、しばし中断されていた。送信者の声も江藤には漏れ聞こえてくるものの、その内容はさっぱりわからない。使われている言語が江藤には理解不能なものだからだ。亜細亜連邦軍が全方面軍共通言語として定めた軍用英語ではなく、おそらくはヒンディー語。日本人である古菅が南部方面軍で旅団長という地位につけたのも、彼の血の半分がインドにルーツを持つことと無関係ではないだろう。

「待たせたな」

 五分と六秒の通話を終えて、古菅は江藤のほうに向き直った。江藤は古菅が受話スイッチをオンにしたときから時計を見ていたが、古菅のほうは腕時計を一回確認しただけである。

「あいかわらず時間に正確ですな」

 電話の類はどんなに長くても五分と誤差十秒以内に用件を済ませるのが、古菅の古菅たる部分のひとつの表れだった。十年以上経っても変わらないその様子を目の当たりにし、江藤は呆れるのと同時に何か違和感を覚える。だが、それは変則領域による違和感ではない。

 江藤の上官だった頃の古菅は、ひたすら時間と規律と秩序にうるさく、その三点で物事の善悪を判断しているような人間だった。しかし今の古菅は、何かが違っている。命令ではなく道義に訴えて江藤に協力を求めるなど、かつての古菅は決してしなかった。

 その明らかな変化を見せながら、やはり古菅は古菅であるのだと、今の五分通話が教えてくれた。では古菅のなかで何がどう変わったのか。江藤はそれが気になりはじめていた。

「江藤、黒龍隊の戦力は今どうなっている」

 ヒンディー語で交わした話を受けてのことか、古菅がそれまでの話から少々脱線した。江藤は一瞬躊躇(ちゅうちょ)してから、それに答える。

「ここにいない龍が三機。うち一機は戦闘に堪えない状態」

「では合計で六機か。二個機兵戦隊で守る敵に対し、この六機で暖炉の谷の制圧は可能か? もちろん、これには友軍主力を囮として使うこともオプションとしてよいが」

「それはまた難しい質問ですな、大佐殿。暖炉の谷の制圧、とはどういう定義なのです」

「敵部隊を谷から排除、あるいは武装解除させることと考えてよい」

「ならば無理です」

 江藤は即答した。

「理由は?」

「機兵とはそもそも駆逐を目的とする兵器ではないから、ですよ。司令部をピンポイントで攻撃しろというのなら、不可能ではない。しかしそういった中枢が存在しないのなら、制圧のためには大半の敵戦力を撃滅しなければならない。他に敵の戦意を挫(くじ)く方法があるというなら、検討しますがね。――今思い出しましたが、昔、大佐殿が大尉殿だった頃、こう言われましたな。『おまえは軍隊というものを全く理解していないようだ』と」

 無言で古菅が頷く。口を挟む気がないのを見て取って、江藤は続けた。

「ならば自分は今こう言いましょう。あなたは機兵というものを全く理解していないようだ。いいですか、機兵は変則領域内での遊撃において真価を発揮するのであって、防戦の態勢を整えている敵に立ち向かっていくのは在来兵器の領分です。もちろん、暖炉の谷の複雑な地形、そして異常な濃度上昇を続けているバロッグのことを考えれば、機兵は有効な戦力でしょう。しかし、主力とはなりえない」

「――ひとつ確認したい。六機の龍があれば、敵陣に肉迫すること自体は可能なのだな」

「それは可能でしょう」

「では、私たちは戦場に向かわねばならない」

「どういうことです?」

「三時間前から戦闘は始まっているのだ。我が軍の攻勢に対し、啓示軍(オフェンバーレナ)の機兵部隊は後退しつつあるという連絡だったが、どうも危ういように思えてしかたがない。啓示軍にとってはじゅうぶんに予測できた攻勢だ。おそらく、何か策がある」

 江藤は頷く。暖炉の谷中心部のほうに感じた何かの存在、そして周辺で濃度を高めているバロッグ、いずれも古菅の予想が杞憂でないと示唆している。

 しかし、江藤には古菅の言うことにひっかかるものがあった。

「少々、合点がいきませんな。深追いしないように忠告すればよいだけでしょう。何も布陣のバランスを崩すことはない。むしろ、それこそが啓示軍の狙いかもしれない」

「残念だが、攻撃部隊の指揮官はアカスティン・マヒロフスキー大佐なのだ」

 江藤はその名を聞いてひるんだ。アカスティン・マヒロフスキーとは、強硬な作戦をとることで有名な男だ。しかし、ひるんだのはそれがためばかりではない。江藤の知る限りでは、その男はここよりずっと西の戦場で戦っているはずだったのだ。この一ヵ月の間に、前線から呼び戻されていたらしい。

「自分は、大佐殿はもう少し思慮深く賢明な人間だと思っていたのですが……。かいかぶりでしたか。マヒロフスキー大佐に任せれば、このような短慮を起こすのは目に見えていたはず。なぜ、早々に手を打たなかったのです」

「様子を窺(うかが)っていたのだ」

「それを聞いてますます見損ないましたよ、大佐。マヒロフスキーがしくじれば、その手柄を横取りしようという腹だったとはね」

「事実誤認があるようだな、江藤少佐。私は何も漁夫の利を狙っていたわけではなく、疎外されたがゆえにここにいるのだ。マヒロフスキーの出身はキルギス。地元だ。しかも、猛将と謳(うた)われた老マヒロフスキー将軍の子息。それらの豊富なパイプが機能し、暖炉の谷包囲網はあの男を中心にして形成されている。そしてもうひとつ貴様が知っておくべき重要なことは、私をはじめ議会派と目される指揮官の部隊は、ことごとく重要な配置から外されているということだ」

「マヒロフスキーが元老院派だと? しかもそれほど従順な」

 これも江藤には初耳だったので、にわかには信じられない。

「私もそういう認識は無かったので正直驚いているが、暖炉の谷の迅速な包囲を命じたのが元老院であることは確かだ。他の指揮官のデータリストを作ってみればすぐにわかる。これでもかというほどに、元老院支持の顔が並んでいるからな」

「馬鹿な。元老院に正規軍を指揮する権限はない」

「その認識は、一般的には正しい。だが亜連のシビリアンコントロールは常に保たれるものではなく、制度上いくつかの例外を認めている。そのひとつの例が、今のこの状況だ。わかるか?」

 古菅の誘導は的確で、江藤はすぐ正解にたどりつく。

「――特別規定第一〇号」

「そうだ。戦略軍の命令によって暖炉の谷に派遣された部隊は、しかし、このバロッグの中に足を踏み入れた瞬間、第一〇号が適用され独立行動が可能となる」

「すると全くガキどものやることと同じで、力のある者が非公式な指揮官となって、他の者はそれに従う。その頭が元老院派であれば、暖炉の谷に集結した部隊は元老院の意志のもとに動くことになる」

 江藤は愕然とした。今や暖炉の谷は元老院によって封鎖されているに等しい。あとから厳しい追及の世論が生じるのは明白であるにもかかわらず、敢えてそれをやる元老院。そこまでして、身内だけで処理したい問題ということなのか。

「自分からもひとつ確認したい。大佐殿は、元老院が隠そうとしているものを暴こうというのですか。そのために機兵で現場を押さえる必要がある、と」

「敵の策に備える意味が第一だ。しかし、第二の目的にそれがあることも認めよう。これは議会の、いや亜細亜連邦市民のためだ」

「愚かな派閥争いを正当化しているようにも聞こえますな」

「派閥争いというのは、本来的には各自が信念に対して真摯かつ忠実であるがために起こる対立だ。それは人がよりよい選択をしていくために必要な機構。本音と建前が別にさえならなければ、派閥争いは寧(むし)ろ好ましいことだ。しかし、元老院はこれと同列に論じるべきでない。私は超法規的なものの存在を否定的に考えている。代行執政府の権力が及ばぬ元老院の存在は、私にとっては疑念の対象だ。江藤、黒龍隊隊長となったからには、おまえも同じ考えなのだろう」

「その問いには否定も肯定もしかねる」

 一個人として答えたことを示すため、江藤はそこだけ意図的に敬語を排した。意図は齟齬(そご)なく汲まれたらしく、古菅は苦笑する。

「珍しく曖昧な態度だな。まあいい。戦場に駆けつける準備を整えるという点で、合意に達したと考えてよいな」

「ええ、それでいいでしょう。まったく、歴史的合意ですな。――さて、自分は隊を引き連れるため一旦戻りますよ。往復で四時間。それまでに……」

 立ち上がろうとした江藤は、急にめまいを覚えてよろめいた。咄嗟に椅子の背を掴み、体を支える。

「大丈夫か? 疲れているのなら、隊へは私の部下を遣ろうか」

 古菅が人を呼ぼうとするのを、江藤は慌てて制止した。

「なんの、ちょいと腹が減っただけですよ。ご心配なく」

 自分でも白々しいとは思いながら、江藤は背筋を伸ばしてみせる。怪しむ様子の古菅から追究の言葉が出る前にと、そそくさと退室した。


*   *   *   *   *


 江藤が旅団長に会いにいった間に、南田は鷹山、久留とともにテントで夕食を済ませていた。南田にしてみればそれはたいへん結構なエスニック料理であったから、今頃本隊がどういう食事の準備をしているかと想像すると、南田は己の役得を意識せずにはおれない。しかしその食事もいまひとつ明るさに欠けたのは、坂元の姿がないからだった。

 鷹山に問うたところ、昨日の夕食のときも姿を現さなかったのだと苛立たしげな答えが返ってきた。さらに久留が付け加えた説明によると、戻ってきた坂元に何をしていたのかと訊ねても、適当にはぐらかされたのだそうだ。

 案外に今回の喧嘩は根が深いのだと南田は気づき、意図的に話題をあれこれ変えながら食事を終えた。久留のフォローのおかげで鷹山も早々に仏頂面をひっこめ、暖炉の谷近縁の風景などを話の種に、それなりに盛り上がることができた。そこまでは良かったのだが、食器を片付ける段になって、話題は南田にとって嬉しくないものになった。

「なあ、黒龍隊のどれだけが無事でいるんだ?」

 体が硬直するのを自覚したが、南田は努めて平静を装った。深刻な顔で返事を待ち構える鷹山、久留に対し、南田は彼らの心配を一笑に付すような笑顔で応じる。

「大丈夫。ひとりだけ行方不明のままなんだけど、他は全員が揃ったよ」

「たったひとりだけ? そりゃ奇跡的だけど、そのひとりは?」

 答えずとも、問い返す久留はすでに候補を五人に絞っているだろう。ひとりだけ行方不明になるという状況は、機兵パイロットである十人以外には考えにくい。そして、そのうち五人はこのゴーストタウンにいるから、除外される。

「――藤居さん。見た?」

 恐る恐る、南田は確認したいことを婉曲に訊ねる。

「見たかって? いや、再会できたのは竜時が最初だ。それに、会っていたら合流しているに決まっているだろ」

 鷹山の即答は、南田が見たものを鷹山が見ていないことの証明だった。

「そっか……」

 南田は安堵する。ビーム照射後の西フェルガナ基地に戻っていたなら、第三小隊が、腹を貫通された藤居の龍を見ていてもおかしくなかった。鷹山が隊の全滅を覚悟していたと聞いてから、もしやひとり目の犠牲者をその目で見ていたからその覚悟に至ったのではないかと、南田は不安だったのだ。

 ――いや、この感情は欺瞞だ。

 南田は考え直す。本当に自分が不安だったのは、第三者の目撃証言によって藤居の死が確定事項となってしまうことだったのだろう。

 南田の他に唯一現場に居合わせた峰國は、江藤や北嶋に藤居は行方不明だと証言し、南田に特に何かを語ることもなかった。だから峰國は藤居の龍が倒れたのを見ていなかったのかもしれないし、コクピット直撃だとまでは見抜けず、希望を残しているのかもしれない。円道も察しをつけてはいるが、直接あれを見たわけではない。いつの間にか、あれを見間違いだと信じ込もうとしていた自分に、南田は気づいた。

 テントの外で物音がしたのは、久留が口を開きかけたそのときだった。近くを人が通っただけ、というような音にはとても聞こえなかった。誰かが重い荷物でもひっくり返したか。三人は顔を見合わせ、立ち上がってテントを出ようとする。

「あ」

 声をあげたのは南田だけだったが、口をぽかんと開けたのは四人だった。テントの入り口で、三人とひとりが鉢合わせした。

「坂元、どこ行ってた」

 南田の肩越しに、坂元を睨む鷹山。

「どこでもいいだろ。それより手を貸せよ。ひとりで運び込むのは無理だ」

 横に一歩ずれ、親指で後方を指し示す坂元。開けた南田たちの視界に、地面に転がっている人影がある。日が暮れていても一目で判別できるその体格は、物言わずとも名乗っているようなものだった。

「少佐!」



- 6 -


 変則領域の霧が深い険隘(けんあい)な路(みち)を、二機の龍が足早に進んでいた。さきほどまではゆっくりと慎重に進めていた足取りだが、ふたりのパイロットにはもう警戒心など残っていない。行く手に感知した強大な相対バルムンク反応は、もはや機兵の発するレベルのものではなく、感度を上げていたセンサーは飽和により機能停止している。

 二機のうち、やや先を行く龍が、慌てて進行を止めた。

朝井、止まれ! この先は崖になってるぞ」

 李峰國(リー・フェングォ)は僚機に向かってそう呼びかけ、龍にも「止まれ」のジェスチャーをさせる。しかし朝井機は応答をよこさずに近づいてきて、峰國機のすぐ隣まできてようやく停止し、危うく転落を免(まぬか)れた。

「が、崖じゃないですか」

「だから言ったじゃん」

「聞こえなかったっすよ。――あれですかね」

「多分ね」

 頷いて、峰國は望遠カメラの映像を凝視する。可視性のバロッグが眼下の大地を覆い雲海のように広がっていたが、十キロ以上先に、そこだけ積乱雲のようにうずたかく盛り上がった部分があった。境界線がはっきりとあるわけではなく、しかも日が落ちて暗くなっているのでさらに判別しがたいが、靄の幅はおよそ十キロ前後。おそらくバロッグ濃度上昇の中心地であり源であろうそれは、この距離からだと壁のようにも見えた。峰國は消滅砲の光のカーテンや、噂に聞く“ベルリンの壁”の話を思い出し、戦慄を覚える。

「俺たち、なんだかとんでもないことに巻き込まれている気がするぞ」

 北嶋に報告の必要がある。そう判断して峰國が録画を始めると、ちょうど画面の拡大映像に数条の光が走る。攻撃機から発射された空対地ミサイルだとすぐにわかった。友軍がすでに攻撃を開始していたことを、峰國は初めて知る。

 朝井を呼ぼうとしたが、峰國はそのまえに言葉を失った。たった今バロッグの中心に飛び込んでいったミサイルが、すべて小さな光点となって消えたように見えたのだ。峰國は目を凝らす。するとまた数本のミサイルが飛んできて、靄の中へと消える。――いや、靄の中で消されている。

「間違いない、あれは……」

「峰國さん、こっち!」

 気づけば少し離れた場所に移動していた朝井が峰國を呼ぶ。見ると、朝井の龍はあの壁のほうには見向きもせず、あたりの石柱めいた岩のひとつに歩み寄ろうとしている。

 峰國は再び壁のほうを見やる。攻撃機の編隊が、無念そうに旋回しUターンしていく。録画を止め、峰國は朝井のところへ向かい、そして自分の目を疑った。

 しゃがみこんだ朝井機の前に、江藤の龍が擱座している。しかもその腹部装甲は完全に外れており、コクピットが露出していた。大破である。だから峰國はこれを見て一瞬何かの間違いだと思った。

 あの江藤が撃破されることなどありえないと、自分がそう思い込んでいたことを峰國は意外に思う。江藤とてただの人間であって、神話や伝説に出てくる超越的な存在ではない。整備状態もいい加減な機体で戦場をうろつけば、いつかこうなることは自明のはずだった。

 やはり南田を追ってすぐに探しに来るべきだった。取り返しのつかない失敗を犯してしまった。――峰國はうなだれ、そして誤解の可能性に気づいた。

 腹部装甲強制排除のレバー。峰國の視線の先にそれがあった。訓練では使用することがなかったので、存在を忘れかけていたその機構。

「降りてみますよ」

 そう言って龍から出て行く朝井の声は、重くない。よくよく見れば、朝井の龍はパージされたらしい腹部装甲を手元に抱えている。

「もしかして隊長って無事?」

「えーと、死んだり致命傷を負ったりしたような痕跡はないっすね。血もついてないし。ただ、エアバッグが作動してますよ。さては隊長、あの技をまたやったな」

 峰國は大きく息を吐いた。額に浮かんでいた汗を拭う。

「人騒がせな隊長だよ、まったく」

 とりあえず江藤は生きている。では追いかけた南田はどこに行ったのかと、峰國は暗視用の補正をかけながら近くを見回す。目が留まったのは、落ちている機兵の腕だった。塗装は赤く、形も龍ではなくエントゼルトゾルダートのように見える。さらに捜索すると、同じ機体のものと思われる破片がいくつか残っていた。峰國は顔をしかめる。

 江藤が啓示軍(オフェンバーレナ)と戦闘になったのは確かだが、胴体を残しているのは江藤の龍だけ。南田は影龍と青い機兵が隠れていたと言い残したが、それらの痕跡は見当たらない。江藤が無事なのなら、啓示軍は撃退したのだろうが、またここに戻ってくる可能性もある。あまりゆっくりはしていられないかもしれない。

「書置き発見」

 コクピットに潜り込んだ朝井から朗報が入った。朝井は喜々としてその文面を読み上げる。

 ――江藤、南田ともに無事。第三小隊の龍三機と合流し、東の友軍野営地に向かう。

 峰國は苦笑した。

「竜時……。せめて書き込んだ時刻くらい併記してくれよ」

「そりゃ言えてる。竜時さんはわりと抜けてるから……うわっ!」

「どうした?」

 朝井の声が裏返ったので、峰國は朝井が破片で怪我でもしたかと想像する。あるいは、いつもの手がかりがないのを忘れてコクピットから出ようとし、上りきれずに尻餅をついたか。様子を思い浮かべると笑えた。

 しかし、朝井が次に発した言葉は、痛い、しくじった、というようなものではなかった。

「あ、あ、あ、あ、あれ! なんだ!?」

 裏返ったりかすれたり、お化けにでも出くわしたような朝井の声に、峰國は浮かべていた笑みを消し去る。

 “壁”が不気味な膨張でもはじめたのだろうか。峰國は自分たちが異常事態の只中にいることを思い出し、崖側をふりむいた。しかし、朝井が腰を抜かすような変化は生じていない。もう一度「どうした」と訊ねかけて、峰國はその答えを知る。

Copyright(C)2004 Daigo Yoshida,All rights reserved.

 朝井が悲鳴を上げたのは“壁”を見てのことではなかった。峰國の左手側、朝井の正面の崖を、何かがよじ登ってきている。峰國にはそれを的確に指し示すための言葉が浮かばない。昆虫、ロボット、甲殻類……。どれも当てはまらない。体長五メートルほどのそれは、乗俑機でいえば乙種に相当するサイズだが、このような生々しい外装を纏(まと)った乗俑機は見たことがない。さらにその挙動は映画に出てくるモンスターのようであり、とても実在のものとは思えなかった。

 峰國が今度こそ自分の目を信じられないでいるうちに、それは全身を崖の上に現した。

 手が四本、脚が四本、上体だけが反り返るように直立しており、その頂上には頭らしき部位が見える。体は胸と腹とに別れているようだが、肩のような節もあり、峰國の知るいかなる無脊椎動物とも形態を異にする。もちろん、甲冑(かっちゅう)のような硬質な外殻をもったそれは、決して脊椎動物ではありえない。

 その化け物は、いったん歩みを止めてあたりを見回す素振りを見せる。峰國のほうにも一度顔を向け、顔の中央の単眼がたしかに龍を見据えて止まったが、やがてそれは朝井機のほうに固定される。峰國はその一連の動きで、この化け物がどういう性質のものかおおよそ悟った。

 ――あれは生き物だ。そしてあの橙(だいだい)の光を放つ眼は、獲物を探しているのだ。

「隠れるんだ!」

 叫ぶのと同時に、化け物が朝井機のほうに踏み出した。峰國は慌てて龍を走らせ、雷紫電(ライシデン)を第一兵装に選択、操縦桿のトリガーに指をかける。化け物は動かない朝井機の太腿を掴み、引き倒そうとしていたが、その頭上から峰國は雷紫電の矛先を突き刺した。

 雷紫電は化け物に比して大きく、機兵を相手にするときとは勝手が違った。峰國は一撃でこの化け物の頭を潰そうと思ったのだが、二本の矛先は化け物の頭を間に挟むようにして、両肩に突き刺さった。傷口から有色のガスを噴き出し、悶(もだ)える化け物。峰國はさらにスイッチを押して雷紫電の両極間で放電を行う。

 化け物の体が放電でびくりと動いた。かろうじて繋がっていた両肩がちぎれ、四本の腕が地面に落ちる。それでも化け物は声をあげない。数秒でまた激しく動き出そうとする。峰國はもう一度雷紫電を刺しなおして放電を行い、痙攣(けいれん)以外の体の動きがなくなったのを確かめて、ようやく雷紫電を引き抜いた。

「臭ぇな……」

 朝井の呟きが聞こえたので、峰國はカメラの焦点を江藤機の腹部に合わせる。コクピットから顔を覗かせた朝井が、鼻をつまんで嫌そうな顔をしていた。

「朝井、無事だよね?」

「鼻以外は……。あ、危ない、うしろ!」

 聞き終える前に、朝井のその表情で状況は察した。すばやく身を翻し、背後から迫る新手を雷紫電で捕らえようとする。

 だが、それでも間に合わなかった。新たに崖をよじ登ってきていた化け物は、峰國機がふりかえるより早く、その右足に飛びついた。軸足を崩されてよろめいた龍が、絶命した化け物の体を踏んで転び、尻餅をつく。

「このやろっ」

 足のほうから這い進んでくる化け物に向かって、峰國は雷紫電を構えようとしたが、トリガーにかけた指を引くことはできなくなった。化け物は俊敏な動きですでに龍の腹部まで達していて、その足音と衝撃が装甲を通じて峰國にも伝わっていたからだ。ここで雷紫電を使えば、自分で自分を突き刺すことになりかねない。

 足音はさらに移動し、腹部の起伏を乗り越えて胸部へと登っていくようだった。峰國は雷紫電使用時の腕のモーション設定を切り替え、化け物を薙ぎ払いにかかる。これなら腹部装甲をかすっても、どうということはない。

 しかし、化け物のほうが一枚上手だった。峰國は装甲越しにひときわ大きな衝撃を感じ、同時に龍の目が捉えた化け物の動きを見て、舌を巻いた。横から迫る雷紫電を跳躍でかわし、胸部に着地したのだ。

 画面に大写しになった化け物は、四本の腕のうち大きいほうの一対を交互に振り下ろして、胸部を叩く。いや、鉤爪(かぎづめ)のようなその指で、装甲を穿(うが)とうとしているらしい。

「今、助けますから!」

 化け物が腕を打ちつける音に交じって、朝井の動揺した声が聞こえる。

「そう焦ることもないよ、朝井。たいした攻撃じゃないし、こんなちっこいのなんて簡単に……」

 簡単に払い落とせる。そう言おうとしたものの、峰國はその台詞をひっこめた。たしかに胸の上の化け物は腕で払い落としたが、その背後に、姿は同じで大きさが二倍ほどの化け物が迫っていたのだ。

「じょ、冗談きついって!」

 質量にして、はじめの二体の約八倍。その新手が振り下ろした腕は、受け止めた雷紫電を折り曲げ、さらに口から吐き出された糸が龍の右手の動きを封じた。峰國は焦る。携行していた武器は雷紫電だけだった。

「朝井、早く助けて!」

 前言を撤回して叫ぶ峰國。モニターには、口を開けて迫る化け物の顔が映っている。化け物の狙いはあくまで龍の胸部らしい。今のうちにコクピットをあけて逃げ出そうか、とさえ峰國は考えたが、幸いにもそれは実行に移さずに済んだ。

 視界から化け物の顔が消えた。遠のいたのではなく、胴体から切り離されて落下したのだ。首を失った化け物はなおも暴れるが、ふりまわす腕の一本がまた切り落とされる。

「あ、青い機兵」

 朝井の間の抜けた呟きを聞くまでもなく、峰國にもその姿は見えていた。目立つ青のツートーンカラーで塗装されたその見慣れない機兵は、化け物の背中に発熱刀「炎草薙(ホムラクサナギ)」で斬りつけると、そこへ翔びかかってきた二番目の小型の化け物を受け止めて、二体まとめて串刺しにする。

 青い機兵の攻撃は容赦が無かった。炎草薙が化け物の体を貫通したままの状態で、炎草薙を縦横に動かし、ねじり、引き抜いてさらに斬りつける。さらに腕を合計三本引っこ抜き、もはや絶命したのではないかと思える二体の化け物を、先に峰國が殺した一体も加えて、順々に崖から突き落とした。

 青い機兵はしばらく崖下の様子を見ていたが、やがて炎草薙の赤熱を収束させ、呆気に取られた峰國たちのほうをふりかえった。

「無事?」

 亜連軍の共用周波数で発信されたその声は、日本語で語りかけている。声が子供のように聞こえたが、音質が悪いせいだろうと峰國は疑問を片付ける。

「ぶ、無事。助かったよ」

「あいつらに手加減は無用だよ。徹底的に潰さないと駄目だ」

 幼く聞こえる声が、余計にその発言を際立たせる。どうやら味方らしいが、このパイロットはあの化け物以上に怖いかもしれないと、峰國はそう思った。



- 7 -


 日が暮れても、暖炉の谷に決して闇夜は訪れない。燃え盛る炎は熱源であるばかりでなく、光源でもあるのだから。

 常ならば、遥か彼方からでも見ることができるこの大地の灯火だが、今日に限っては、啓示軍(オフェンバーレナ)と灯教徒の一部にだけその恩恵を与えている。日没前に発生した、“壁”。それが暖炉の谷を外界と隔絶してから、一時間が過ぎようとしている。

 “壁”の力は絶大だった。先刻までは何発かに一発の砲弾、ミサイルがバロッグを通り抜けて襲ってきていたが、いまやあらゆる攻撃が“壁”によって無力化されている。日没までは防備や遊撃についていたE6、E12の機兵も、今は全機が壁の内側に引き上げ、絶対の防壁のなかで修理と補給を受けている。

「今や、この谷に侵入できる敵はいない。例外もあるにはあるが、最大の敵ユプシロンは中尉が排除してくれた。よくぞX2を守り抜いてくれたな。これからは、X2が中尉たち将兵を守る番だ」

 アルベルト・ヴェーバーから賜った言葉を、ケーシャ・スラントはその抑揚も含めて克明に胸に刻み込んでいる。

 やり遂げたという達成感が満ちる一方、まだケーシャには晴れぬ思いがあった。撃退したとはいえ、ユプシロンに深手を負わせた証拠も確信もない。“壁”の形成で消耗したX2を守りきるには、やはりケーシャたちがユプシロン再侵入を警戒しておく必要があるように思われた。だからこそ、しばらく休めと勧められたときに、謹んでそれを辞退しようとしたのだ。

「心配することはないのだ、中尉。少なくとも、さしあたってはな」

 E6の守備が不要と見なされたと受け取り、ケーシャはまだE6は戦えると食い下がろうとした。すると、ヴェーバーはこう言った。

「“壁”の外は、新たな戦力によって固められている。ベルリンにもない、特別な力だ。E12にエトガル・ローゼンの任務を援護させたのが、良い結果を生んだ」

 ワイルダー兄弟が褒められているようでケーシャは少々歯痒かったのだが、ヴェーバーの語りようを聞けば、啓示軍にとって嬉しい誤算であることは容易に想像がつき、ならばそれは自分自身の喜びであると、ケーシャは自らに言い聞かせた。

 鋭気を養うべく仮眠を試みたが、ケーシャは寝付けなかった。“壁”出現による高揚のせいではない。ケーシャはいかに過酷な作戦の後でも、休めるときに集中的に休眠を取る技能を体得していた。寝そべったまま眠れずにいるこの状況には、奇妙なことに懐かしささえ感じる。

 毛布をどけて、ケーシャは起き上がった。

「ブラームス」

 右腕の名を呼んだのは、そうすればたいがい彼が現れるからだった。しかし今回は例外のようで、すらりとしたブラームスの代わりに、少々腹の出っ張ったザック・コミレットが顔を出す。

「ブラームス中尉なら、さっき出かけましたぜ」

「どこにだ?」

「E12のほうですよ。新型ゾルダートの整備マニュアルに不明な点があるとかで、E12に従軍中の技師を探しに行ったんです」

 あいかわらず、マメなことだとケーシャは思う。わざわざ自分で技師を探しに行くブラームスもそうだが、その行動を把握して、ブラームスの代わりにケーシャのそばに控えていたコミレットも、仲間への気配りに関してはブラームスに引けを取らない勤勉さである。

「コミレット。しばらく任せる」

 靴を履き、上着を引っ掛けて、ケーシャは立ち上がった。

「了解」

 コミレットは道を空けてラフに敬礼する。その横を通り抜けようとしたケーシャは、そこで部下であり年上でもあるコミレットから忠告を受けた。

「――隊長、あちらでワイルダー兄弟と会っても、あまり熱くなっちゃいけませんよ。連中だって、気が立ってるでしょうからね」

「気をつけよう」

 その応答があまり信頼を得ていないことは自覚しつつ、ケーシャは外に出た。足を西に、E12が展開している方向へと向ける。途中までは、二時間前にシュヴァルツパンターで通った道を、車で辿るかたちになる。

 ブラームスに会いに行くのだ。ケーシャは自分に言い聞かせる。技師の説明に納得がいくまでブラームスは戻らないだろうから、帰りを待っていたのでは埒(らち)が明かない。たとえそこで不快な面々と顔をあわせることになっても、ケーシャは今すぐブラームスに尋ねたいことがあった。

 アルベルト・ヴェーバーが詳しく語らなかった、新しい特別な力。ケーシャはそれに全く心当たりがないでもなかった。

 というのは、ヴェーバーにE6全機帰還の報告をしにいく前に、小耳に挟んだ話があるのだ。日没ぎりぎりまで遊撃に従事していたブラームスらが、“壁”発生に前後して奇妙な物を見たという、そういう話だ。

 ブラームス自身は無駄口を叩かない性質の男なので、ケーシャはそれを彼の口から聞いたわけではない。そして、E6でリヒャルト・ブラームス以上に冷静で迅速、かつ客観的な分析を行える人材はいない。だから、ブラームスから直接その話を聞いておきたいのだ。それを済ませないことには自分は寝付けないだろうと、ケーシャはそんな気がしている。

「断じて、疑いを持ったわけではない。これは性分の問題なのだ」

 言葉に出して、ケーシャは自分の信念に揺らぎがないことを確かめてみた。ひとりで乗り込んだ車上では、当然答える声もない。ただ、耳朶(じだ)を撫でていく暖かい微風が、灯教徒らの弔歌を運んできていた。


*   *   *   *   *


 炎の赤みがかった光が、岩の険しい凹凸に合間に影を落とし、それがゆっくりと揺らめいている。そのなかの比較的平坦な場所を車で徐行しながら、ケーシャは周囲の人影や機兵のシルエットを目に入れ、苛立ちを募らせていた。ブラームスの姿は見つからず、一方で、趣味の悪いペインティングを施したエントゼルトゾルダートがうるさいほどに目につく。E12はこれだから嫌だった。風紀最悪のエスカドローンと断じて間違いない。

 エスカドローンとは、機兵を主戦力として構成された戦闘部隊を指す。機兵の運用に必要最低限の車輛だけを伴い、遊撃に従事するのがその常である。だが、今のE12の陣営には、戦車や自走砲など、エスカドローンには不要のものが多く並んでいる。それらはE12がタシケントから引き連れてきた友軍であり、もともとは亜連軍の反攻作戦によって退路を立たれた先鋒たちであった。

 孤立した彼らをタシケント攻略に向けて集結させたのはE12の功績であり、それはケーシャも認めるところである。この絶対の障壁の内側にあっても彼らがE12から離れずにいるのは、E12に対して大きな信頼をよせ、また、依存する心が出来上がっていることの証左だろう。

「気に入らない……」

 ケーシャは小さく呟いた。

 ただ力だけを誇る者に、弱者が群がる。その構図はE12にのみ成立すべきものであって、啓示軍(オフェンバーレナ)の中でそれは異端であるべきである。少なくともケーシャはその考えを捨てることができない。啓示軍の目指す崇高な世界は、そのような猿の如き社会構造と無縁のはずなのだ。

 なのに、E12は認められている。ケーシャはそれが歯がゆい。そしてE12の力(ゲヴァルト)の象徴であるワイルダー兄弟もまた、ケーシャには許容できない存在である。彼らと出くわさぬうちに、早くブラームスを見つけ出さねばならない。

 各地で戦っていた部隊が集まっているために、半ば欧州軍隊の見本市のようになっていたが、ケーシャはその雑然とした陣容でブラームスを探し出すコツを心得ていた。ブラームスを探すことは、彼が会いに行った技師を探すことである。その技師がいる場所とは、当然のようにその技師が必要不可欠とされる場所である。したがって、E12に回された新型機の姿を探していけば、ブラームスを見つけ出せるという仕組みである。

 もっとも、この方法は万全ではない。ワイルダー兄弟との遭遇の可能性を高めるというジレンマを抱えているからだ。ケーシャは赤い機兵の姿を探しながらも、気の利くブラームスがどこからか自分を発見して駆けつけてこないかと期待せずにはおれなかった。しかし、それは早々に裏切られる。

「黒豹が、我がE12に何の用だ?」

 頭上から降ってきた疑問文に対し、ケーシャはそれを無視するかどうかで逡巡したが、結局車を停めて、声のしたほうを見上げた。ケーシャの左手にあった岩壁の上に、痩身(そうしん)の男の影がある。岩壁は高さが五メートルほどあるが、遠くの炎の明かりが男の顔をほのかに照らし出しており、ケーシャはその男が誰かを確信する。

「オズマンド、貴様になど用はない。私は部下を探しに来ただけだ」

 岩壁を仰ぎ、ケーシャは鷹揚に答えた。階級は同じ中尉で、同年輩の相手だが、エスカドローンひとつを任されているケーシャのほうが格上といえる。

「ほう、部下を探しにね。ご苦労なこった」

 オズマンドは嘲笑し、それを収めるとこう言った。

「黒豹、いいことを教えてやろう。部下は世話を焼くためのもんじゃねぇ。使い潰すもんだ。それでもしぶとく生き残ってついてくる奴だけが、信頼に値する。――ま、腑抜けのE6にはわからん理屈かもな」

 コミレットの言葉を思い出し、自制しようと試みはしたが、ケーシャはそのときすでに反撃の言葉を紡(つむ)いでしまっていた。

「それが負け犬の遠吠えというやつか。ありがたく拝聴させてもらった」

 言い終えた直後、頭上で気配が動いた。急峻な岩壁を人影が駆け下りてくる。

「ユプシロンを追い払ったくらいでいい気になるなよ」

 瞬きするほどの間に、オズマンドの猛禽のような顔が間近に迫っていた。顔面に大きく刻まれた裂傷が、薄明かりの中でもよく見える。そしてその顔とケーシャの不敵な笑みを浮かべた顔との間では、オズマンドの手にしたナイフの白刃と、ケーシャが腰から引き抜いた拳銃のバレルとが交叉している。

「ユプシロンと遭遇しながら仕留めそこない、あまつさえX2への接近を許したのは、他でもない貴様ら兄弟だ。各々勝手な行動ばかりで、まったく隊の運用がなっていない。そのE12が私に部下の扱い方を教えようなどと、冗談にしても笑えない」

 オズマンドが目つきをいっそう険しくする。無敵と謳われた三兄弟の次兄オズマンドが、数時間前の戦いでユプシロンに敗れ、愛機まで戦闘不能にされて帰還したという噂は、すでにケーシャも耳にしていたことだった。

「僕は、その勘違いを笑いたいところだけれどね」

 背後で子供特有の声がした。それを機に、オズマンドとケーシャの競り合いは膠着(こうちゃく)状態を脱し、互いに飛び退(すさ)ったふたりは、車体を挟んで対峙する。

「勘違いだと? 説明してもらおうか、オズワルド・ワイルダー」

 オズマンドからは視線を外さずに、ケーシャは後ろに現れた少年の名を呼んだ。

「ふーん……。拘泥せず訊ねるその素直さを評価して、説明してあげるよ」

 声はケーシャの横を通り抜け、そしてオズマンドの隣に立った。少年の背丈はケーシャより頭ひとつほど小さいが、これを子供だと甘く見るのがどんなに危険か、ケーシャは知っている。

「オズマンド兄さんがブルートザオガーを失ったのは、ユプシロンを相手にしてのことじゃない。ユプシロンと一緒にいた見慣れない機兵と、あとから現れた、肩に機関砲のついた龍が兄さんの相手だった」

「見慣れない機兵だと? 龍王(ロンワン)か?」

 オズワルドは首から下げた十字架ふうのペンダントを手でいじっていたが、そこでそのペンダントを強く握りしめた。

「ケーシャ・スラントはあまり頭が良くないのかな。ついこの前も龍王と戦った僕らが、それを見慣れないだなんて言うはずがないだろう。あの青い機兵は、龍でも龍王でもない、新型だよ。素性のわからない相手じゃ、兄さんが苦戦するのも当然……」

 オズワルドがさらに言い募ろうとすると、オズマンドのナイフを持っていないほうの手が、オズワルドの肩に置かれた。

「もういい、オズワルド。あれは俺たちの獲物だ。こいつに教えてやることはない」

「でも、オズマンド兄さん……」

「さっきは遅れを取ったが、この借りは早いうちに返す。いいな?」

 兄弟のやり取りを聞いていたケーシャは、そこで大げさにせせら笑う。

「ほう、つまりお前たちは、ユプシロンだけではなくその青い新型とやらにも煮え湯を飲まされたというわけか。傑作だな」

「黙れ、黒豹。本当に厄介なのはその青いほうじゃねぇ、一緒にいた龍のほうだ。あいつは、変則領域を完全に感知しているような身のこなしだった。――あのバロッグのなかで、飛び道具を直撃させてきやがったんだからな。ユプシロンでも、そんな芸当はしてこねぇ」

「気のせいではないのか。それとも臆病風といって欲しいか」

「ノイエトーターのお守りしかできねぇヤツが、俺たちにでかい口を叩くな!」

 オズマンドがナイフを握った手を動かす。ケーシャもそれを見て拳銃の引き金に力を込める。――響く銃声。

「へっ、度胸だけは一人前らしいな」

 耳飾りの共振を指で止めて、オズマンドが呟く。

「なけなしの理性を見せてもらった」

 切りかえし、ケーシャは自分の喉もとに視線を落とす。顎の下に隠れて見えないナイフの刃は、おそらく肌と寸毫の隙間しかない位置で止められているのだろう。

「ふたりともやめてください!」

 叫び声が、四人目の登場をその場に宣告した。

 ケーシャは小さく息を吐き、走ってくる足音に向かって言い放つ。

「遅いぞ、ブラームス」

「申し訳ありません。しかし、隊長こそ自重してくださらねば困ります。味方に武器を向けるなど、あってはならないことです」

 リヒャルト・ブラームスは、困惑を隠しきれない声音を出していても、あくまで毅然とした言葉で語る。

「しかけてきたのは、この男のほうだ」

「兄さんを挑発したのはあんただろう、ケーシャ・スラント」

 ケーシャの返事に、オズワルドが横から口を挟む。体感温度が二、三度下がるような響きだった。

「どうかふたりとも、武器を収めてください。士気にも影響します。この場で騒ぎを続けるのは……」

 そこで止めて、ブラームスは続きを察してくれといわんばかりに間を置く。

 ケーシャは彼の意図をすぐに理解した。野次馬が集まりはじめているのだ。たしかに、ふたつのエスカドローンの幹部が武器を持って争っている図は、士気低下に繋がるおそれがある。

「だが、ブラームス」

 ここで引けば、E6がE12に屈したことになる。ケーシャの言わんとするところを、ブラームスもまたよく理解していた。

「啓示軍の理想達成は、全身全霊を持って当たらねばなりません。そうでしょう? たとえ些細に思えても、マイナス要因は排除しなければならない」

「く……」

 ケーシャは渋々、引き金から指を離す。だが、オズマンドはその手を動かさなかった。

「E6はつくづく勘違いをしている奴が多いな。黒豹の部下が仲裁を気取ったところで、俺が従う謂れはない」

「オズマンド、貴様!」

 ケーシャがなじっても、オズマンドはナイフを下げようとはしない。オズワルドも笑顔でそれを見守っている。ブラームスはといえば、上官の首に刃物を当てられていて動くに動けない。

「――刃を収めよ、オズマンド」

 象が人語を話したような、重く厳かな声が響き渡った。

「兄貴!」

 オズマンドが顔を動かした。弟のオズワルドもまた、意外そうに声の在り処を求めて首を回している。ケーシャがその隙を見逃さずナイフの間合いから身を引くと、野次馬の人垣が崩れて、信じられないほどの巨漢が姿を現した。

「オズボーン兄さん……。まだ瞑想の時間じゃあ……」

 オズワルドのかすかな動揺を、ケーシャはその抑揚から感知する。ワイルダー兄弟の長兄オズボーンは、外見が与える荒々しい印象とは裏腹に、ときおり二時間以上も瞑想に没頭するのだという。噂には聞いていたが、ケーシャはそれが本当だったことを知った。

「“時報(ツァイトアンザーゲ)”から呼び出しがかかった。黒豹よ、貴公もブラームス中尉とともに参れ」

「ヴェーバー様から?」

 何が起きたのだろうと、ケーシャは逡巡する。ヴェーバーに休めといわれて、まだ一時間しか経っていない。X2のコンディションが低下しはじめたか、そうでなくとも同じくらい緊急を要する事態になったのだろう。

「兄貴、こいつとの決着が……」

「それについて、ブラームス中尉から提案がある。そうだな?」

 オズボーンに促され、ブラームスが頷いて一歩前に出る。

「なんだ?」

 オズマンドが不可解そうに首を傾(かし)げる。ケーシャにしても意外だった。ブラームスとオズボーンがほぼ同時にここへ現れたのは偶然ではなく、ふたりが一緒にいたからだとは、今のやりとりが無ければ想像できなかった。

「決着をつける方法は、なにも直接刃(やいば)を交えることだけではないでしょう。我々が戦うべきは啓示軍の理想を阻害する者。特にこの戦場で脅威となりうる機兵は、ユプシロンと龍王、そして青い新型の三機。ユプシロンがもう一機現れれば四機ですか。――今後の防衛戦で、それらをどちらが多く撃破できるか。それをE6とE12で競うというのでは、いかがですか」

 ケーシャとオズマンド、オズワルドがブラームスを見つめて沈黙していたが、やがてオズマンドがおもむろにナイフを腰の革ベルトに収めた。

「面白い。それで、勝ったほうは何を得る?」

「敗者は勝者に対して、先制して侮辱の言葉を口にしない。そう約束するのです。いかがですか?」

「ふむ。――兄貴は了解しているのか?」

 弟の問いに、長兄は静かに頷く。

「我に異存なし」

「僕も面白いと思うよ。決まりだね」

 ワイルダー兄弟が納得するなか、ケーシャはそこで待ったをかけた。

「壁に守られたこの地に、敵は侵入できないのだ。ユプシロンが唯一の例外ではあるが……」

「龍王にもその可能性があると、“時報(ツァイトアンザーゲ)”は言っていた。そして、ユプシロンとともにいた青い機兵にも同じ警戒が必要だろう」

「オズマンドの言っていた龍は、員数に入らないのか?」

「あれは我がトーデスゲヴァルトで破壊した」

 自慢するでもなく、オズボーンは淡々と語る。

「――だが、パイロットは生きている。“時報(ツァイトアンザーゲ)”が我らを呼んだのは、おそらくそのパイロットについての報告に、思うところがあったからだろう」

「解せないな。トーデスゲヴァルトをもってしても、龍の戦闘能力を奪うので精一杯だったというのか。何者だ、そのパイロット」

 ケーシャは疑いを抱いた。トーデスゲヴァルトは、基幹部隊の作戦支援の折に愛機ブルートバートに手痛い打撃を受けたオズボーンが、タシケント攻略中に与えられた新型機である。量産を見送られた機体とはいえ、その単機での戦闘能力は、ブラームスの受領したトロイパペゾルダートを上回るとの話だった。それでも討ち漏らしたというのは、信じがたい。

「黒龍隊隊長、エトウ。あれはそう名乗った」

 オズボーンのその言葉に、ケーシャは確信を抱いた。オズボーンは故意に敵を逃がしたのだ。再度戦うことを期して。――ケーシャは過去にそういう事例があることを知っている。ケーシャがワイルダー兄弟を嫌う最大の理由は、彼らが啓示軍のために働いているのではなく、戦いの場を得るための道具として啓示軍を利用しているように思えるからだ。

 オズボーンの下らない固執が啓示軍に障害を残した。それは確かだ。ならば自分のすべきことは何か。啓示軍のために最善の行動は何か。考えた結果は、明快な目標を提示した。

「勝負については了解した。ヴェーバー様が何を危惧なさっておられるかはわからないが……」

 ケーシャは運転席に戻り、エンジンをかけなおす。

「――そのパイロットは私が仕留めて見せよう」



- 8 -


 固定よし。電気系統接続よし。非常電話回線よし。生命維持装置作動確認よし。

「すべてよし!」

 チェック表にすべて記入を終えて、矢俣丞は大きくのびをする。峰國の防人型の整備がこれで終わったので、ようやく休憩を取れるのだ。

明仁(ミンレン)、メシ行こうぜ」

 懸架用の機械を操作していた同僚に矢俣は呼びかける。

「腹の装甲はきちんとはめなおしたのか?」

 操作盤から目を離さず、夏(シャー)明仁は機械音に負けないよう声を張り上げた。

「見りゃわかるじゃん。ちゃんとやったって」

 矢俣が自分の仕事に手落ちなどないと主張すると、機械の操作を終えた夏がふりかえり、呆れた顔を見せた。

「いつぞやの修理で、設置手順を勝手に変えてしくじっただろ、おまえ」

「あれは、例外。弘法も筆の誤り」

「ごまかすな。パイロットの命がかかってんだからな。――そういえばおまえ、西フェルガナ基地で藤居准尉の龍の応急処置やってたな。もし藤居さんがどこかでやられちまってたら、おまえの整備不良が原因かもしれないぞ」

「縁起でもないこと言うなよ。あのときだってちゃんと……」

 そこで矢俣は口ごもらざるをえなかった。体感的には十日ほど前のことだが、思い出そうとしてみると、きちんと手順どおりにやったかどうか記憶が定かでない。

「ならいいんだけどな」

 夏はそう言って追及をしなかった。パイプに引っ掛けていた手ぬぐいを取り、引き上げようとしている。

「どうした矢俣? メシ、行くんだろ?」

「あ、ああ」

 人知れず頭(かぶり)をふると、矢俣は床に飛び降り、夏を追う。行き先は、探検の際に食堂と名づけた部屋だった。

 食堂では十人ほどが食事を、そして五人が雑談をしていた。食事はただのレトルトや缶詰ではなく、それにいくらかの食材が加えられて、改めて調理されたものだ。先に食事を済ませた仲間から旨いとは聞いていた矢俣だったが、実際に匂いを嗅いでみると感動を覚えた。ここに残されていた食材と、周富窪(チョウ・フーワー)の意外な料理の腕に感謝しなければならない。

「耳さえ動かさないな……」

 矢俣が奥で富窪にふたりぶんの食事を注文していると、夏のそんな言葉が聞こえてきた。準備を始めた富窪に、矢俣はそのことを訊ねる。

ゴン太、まだ起きないのか?」

「ええ、そうなんっすよ」

 中華鍋をふるいながら、富窪は不安そうにゴン太の経過を説明する。

 この施設に入ったとき、ゴン太は江藤がいないことに気づいたのか、せわしなくあちこちを歩き回っていた。そのゴン太がいきなり倒れたのが、峰國と朝井が江藤を探しに出かけた少し後のことである。矢俣もそのとき現場の近くで作業していたので、ゴン太の様子はときおり気になっていた。

 富窪の話によれば、あれから食堂に移して誰かが最低ひとり付き添っているものの、一向に目を覚まさないらしい。本当に、耳も動かさない。

「呼吸だけはいつもどおりなんで、差し迫った命の心配はないだろうと皆で言っているんですけどね……。でもあんまりにも気絶している時間が長いでしょう。不安が募る一方ですよ」

 料理をできあがったそばから矢俣の前に並べながら、富窪はむせび泣くような仕草をしてみせる。あいかわらず、言動のどこまでが本音なのか矢俣には理解できない。

「隊長が戻ってくれば起きるかな……」

 朝井が持ち帰ったメモ用紙の文面を思い出し、矢俣は呟く。

「どうでしょうねぇ。外って、なんだか得体の知れない化け物が出るんでしょう? 旦那が無事とはいっても、それじゃなかなか戻って来られないんじゃないっすかねぇ」

「化け物、化け物って騒ぐ朝井さんの形相は凄かったな。峰國さんは例の調子だったけど」

「矢俣伍長は信じてないんですかね?」

「いないほうが嬉しいけど、いると思って行動を考えなきゃね。――お、サンクス。いただきます」

 そこで料理がそろったので、矢俣はそれを盆に載せて食卓のほうへ戻る。食器を並べ、席に着き、芳しい香りに箸をのばしたところへ、富士本が食堂に駆け込んできた。

「あ、いたな、矢俣。班長がおまえを呼んでいるぞ。今すぐ来てくれって。あと、富窪もだ。富窪いるか?」

 矢俣は天井を仰ぐ。

「マジかよ……」

 脱力した矢俣の指から箸が抜け、床に落ちて軽い音を立てる。その背後で、ゴン太の耳がぴくりと動いた。


*   *   *   *   *


 矢俣が部屋に入ると、机のまわりを八脚の椅子が囲んでいた。そのうち五つに人が座っており、北嶋、峰國、朝井のほかに、丈の低い背中がふたつ見えた。その片方が円道紗耶であるのは髪を見てわかったが、もうひとつの後頭部は、男のものである。黒龍隊の人間にこれほど背の低い男はいない。強いてあげれば周富窪くらいだが、あれは正式な黒龍隊隊員ではないし、そこに座っているはずがない。

「どうした、掛けてくれ」

 北嶋に着席を勧められたのは、矢俣ではない。矢俣は後頭部の反対側を早く見たかったので、もう空いている椅子に向かって歩みだしていた。北嶋が視線を向けているのは、矢俣と一緒に入室した富窪のほうである。

「あ、はい。座らせていただきます」

 富窪の挙動不審はいまさら気にならず、矢俣はさっさと座って、それとなく机の対角の位置を見る。

「整備班の矢俣伍長だ」

 北嶋に紹介され、矢俣は笑顔とともに会釈する。相手の顔はそのとき初めて見た。

 ――これが、あの噂の雷麒麟のテストパイロット。

 会釈だけを返したその男は、聞いていたとおり少年のような顔をしているが、着ているのは確かに機兵パイロット用のものだ。略式の階級章は中尉のもので、容貌にまったく似合っていない。しかし、少年に例えるにはあまりに殺伐とした雰囲気の持ち主だと、矢俣は感じた。

「向こうが周富窪伍長。この地方の案内役で、この場所を知っていたのも彼だ。――富窪くん、こういうとき帽子は取るものだよ」

「すみません」

 富窪は恐縮した様子で脱帽し、中尉に向かって落ち着きのない一礼をする。その顔が上がった瞬間、小柄の中尉の目つきに射るような光が灯った。

「周富窪伍長?」

「はい。周富窪です」

「ふうん……。俺は長野翔太。中尉だ」

 長野のその態度に不自然さを感じ取ったのは矢俣だけではなかったらしく、北嶋や円道も長野をじっと見つめている。

「――大尉、進行を」

 視線に気づいて、長野は北嶋に話の再開を求める。

「あ、ああ。――矢俣くん。君を呼んだのは、あの雷麒麟のことで聞きたいことがあったからだ。君には、あれを整備できる自信があるかな」

「え、触ってもいいんですか?」

 問いの内容に驚いて、矢俣は北嶋と長野を交互に見る。峰國らとともにここへ戻ってきた雷麒麟だが、降りてきたパイロットは近寄ろうとする整備班を一喝し、機体に絶対触れるなとすごい剣幕で怒鳴った……と、矢俣は聞いていた。

「さすがに俺一人では修理が追いつかない。三人だけ人手が欲しい」

「それを自分が、ですか?」

「北嶋大尉には断られたよ。それなら大尉の次に腕のいい者を呼んでくれと頼んだ。そして来たのが……」

「自分ですか」

「そう。やるかやらないか。やれるかやれないか。あまり悠長に時間を使っていられない。早く決めてくれ」

 最初に子供みたいだと思ったのはとんだ勘違いだ、と矢俣は思った。ひとつ深呼吸をして、答える。

「やりましょう」

「結構。なら、あとふたり手伝いを選んでくれ。ひとりはロケットエンジンに詳しい者がいい」

「了解です。――ひとつ質問しても?」

「何だ?」

「自分には事情がよくわかっていないのですが、今からどうすることになっているんでしょうかね。中尉はあの影龍と一緒にいたのでしょう? そして隊長をふりきって逃げようとした。その人をどうして黒龍隊で助けなければならないのでしょうか。少佐も南田曹長も無事とわかって、第三小隊も見つかったっていうのに、こんなところで油を売るんですか?」

 問いは、途中から長野ではなく北嶋に向けたものになっていた。

「矢俣、やめとけ」

 隣の朝井が袖を引っ張るが、矢俣には質問の撤回をするつもりはなかった。事情もわからずに雷麒麟を修理しろと言われても、納得できないのである。だが一方で、雷麒麟の整備自体にはとても興味を持っている自分もいて、そのジレンマの解消のためにも、矢俣は是非とも返答を得たかった。

「一方的に恵んでもらおうというんじゃない。これは相互扶助だ」

「雷麒麟で用心棒についてくれるとでも言うのですか」

「そのとおり」

 長野は即答するが、そこへ北嶋が割って入った。

「待ってくれ中尉。今後の行動についてはまだ決定ではない。あくまで実行可能なプランを比較検討している段階だ」

「大尉は、正体不明の救援部隊が来るのを待つつもりですか? どれほど当てになる話かわからないというのに」

 長野は腕を組み、再考すべきだと暗に主張する。

「迎えが……、来るんですか?」

 矢俣は朝井や峰國、円道を見る。

「あたしも、さっき知った」

 円道が呟き、峰國と朝井が頷く。北嶋に視線を転ずると、北嶋の表情はそれが事実だと認めていた。

「知らなかっただろう。それが、俺が黒龍隊に同情する最大の理由だよ」

「同情?」

「そう、同情だ。それは人間の最も高等な感性のひとつだと俺は思ってる。その感性に従って、俺が黒龍隊を罠から救ってやろうというんだ」

「罠とは、どういうことです。中尉の話は、さっきからさっぱりわかりませんよ」

「じゃあ順を追って説明しようじゃないか。役者も揃ったことだし」

 長野はそこで寒気のするような笑みを浮かべた。

「――黒龍隊はGT72鉱山基地に来ていたらしいな。そして今、ここに来ている。どうしてだ?」

「それは、タシケントに戻る途中にGT72があって、なりゆきで戦闘に参加して。それからタシケントに行ったら、もう陥落してたから、啓示軍(オフェンバーレナ)の展開していない東に向かって、そして……」

 言いながら、矢俣は疑問に行き当たった。論理展開が、不完全だ。

「気づいたか? 選択肢は他にいくつもあったはずだ。第三者の俺からすれば、黒龍隊はわざわざ危地へ赴いているようにしか見えない。江藤少佐は良かれと思って道を選んだのだろうけど、それはミスだ。少佐はひっかかったんだよ。選択を誘導した者が、黒龍隊の近くにいる。GT72とこの場所の関連を知っていて、それを利用しようとした奴がいるんだ。――いや、いるのは近くだけじゃなく、内部にも」

 長野は六人を見渡し、最後にその視線は周富窪に固定された。

「続きは君に任せよう、周富窪。――ついでに、前と官姓名が変わっている件についても説明してもらおうか」

 五人の焦点が、いっせいに長野から富窪に切り替わる。

 矢俣は初めて、にやけてない周富窪の目を見た。



- 9 -


 背中の凹凸が合わず、寝心地が悪い。ベッドに対する不満に我慢できなくなって、江藤は目を覚ました。見覚えのない天井をぼんやりと眺め、やがて朝日が差し込んでいるのに気づき、体を起こす。

 ――昨夜、外を歩いていて倒れたのだったか。

 古菅の部屋を辞去したのち、人に尋ねて南田たちのもとへ向かったところまでは確かに記憶している。その後、感じていた眩暈が悪化し、五感すべてが鈍化して、立っていられなくなったのだ。倒れる前か後か、人が呼びかけてきたような気もするが、その点については記憶が定かでない。

 今、部屋には誰もいない。

 軽く腕や首を動かしてみて、江藤は体が楽になったのに気づく。西フェルガナ基地でバロッグの濃度上昇が始まって以来、江藤は大なり小なり、ずっと心身の不調を感じていたのだ。

「気分はどうだ」

 前触れもなく古菅が現れ、江藤はベッドの寝心地が悪い理由を察した。

「これは大佐殿が使っていたものですか?」

「たしかに一昨日(おととい)は使ったな。テントのベッドよりは良かろうと思って移動させたが、よく眠れたようで何よりだ」

 江藤の快調は顔にまで瞭然と現れていたらしい。一方で古菅はろくに眠っていないらしく、やつれ気味である。

「暖炉の谷は、どうなりましたか」

 訊ねながら、江藤は悪い答えが返ってくるのを確信していた。

「未確認だが、“ベルリンの壁”が現れたようだ」

「――大佐殿の読みが当たりましたな。完全に形勢逆転だ」

 もやもやとした感覚が消失した今でも、いや、曖昧さが消え去った今だからこそ明確に感知できる、圧迫感の源。その正体が“ベルリンの壁”だったと知って、江藤はいろいろなことに合点が行った。

「問題は“壁”だけではない。啓示軍(オフェンバーレナ)がある種のロボット兵器を大量に投入したらしい。おかげでマヒロフスキーは攻めから一転して守りに専念しているとのことだ。これについては目下、情報を収集しているところだが、江藤、おまえに心当たりはないか?」

「機兵とは違う、のでありますか?」

「それを機兵と表現する者はいないそうだ。むしろ、化け物と呼ぶ者が多いらしい」

 江藤の脳裏に、GT72鉱山基地の深奥で見たものの像が甦る。

 ――長野とヴォルフは、この事態を未然に防ごうとしていたのか。

 そうと事情がわかっていれば、協力したのだ。自分は信用するに足りない人物として長野に捉えられていたかと、少々江藤は気落ちする。

 しかし、挽回のチャンスは残されている。

「元老院は、“壁”の出現も化け物の存在も必ず隠蔽するでしょう。目的達成のためには、おそらく手段を選ばない。――大佐殿、覚悟はありますか?」

 江藤は声を落とし、古菅を見据える。その視線を受けた古菅は、それを一笑に付した。

「覚悟だと? 笑わせるな。貴様ほど現実を甘く見ている将校を、私は他に知らない。貴様にできている覚悟なら、それは私には当然の心構えだ」

「たしかに聞きましたよ、今の言葉」

 言質(げんち)を取った。江藤はほくそ笑み、ベッドから立ち上がって古菅の両肩を掴む。

「貴様、何を企んでいる……」

「企む? そうですな、その言葉がいちばんしっくりくる」

 江藤は笑みを満面に広げる。古菅は黙って次の言葉を待った。

「厚木以来、ひたすら誰かの企みに巻き込まれてきましたが、いい加減それには飽きましたよ。――だから今度は、俺の番だ」



――続く――