黒龍隊の挽歌 第二十話

叛逆



- 1 -


Copyright(C)2004 Daigo Yoshida,All rights reserved.

 龍王(ロンワン)が戦場に見当たらない。迎撃には参加していないようだ。――部下ふたりからそう報告を受けたイルベチェフは、首をかしげた。

 あの龍王、肆(し)番機は、量産された龍(ロン)よりも貪欲に最新技術の恩恵を取り込み、日々改良を受け続けている機体である。亜連最強の機兵といっていい。現にその力を目の当たりにしたイルベチェフにとって、それは疑いのない事実だった。それゆえに、その龍王肆番機が参戦していないことがイルベチェフには解せない。数刻前に整備も済み、龍王が出撃できない理由はなかったはずだ。

「俺たちを囮にした、か?」

 イルベチェフは呟く。

「こっちの迎撃態勢を陽動として、龍王が“壁”に向かっているって意味ですか」

「そうだ、ユリウス。あれはどうも、“壁”に近づきたがっているようだったからな」

「たしかに大尉の言う通りかもしれない」

 ジーナが口を開く。

「私たちが龍王と合流したあのときも、龍王は“壁”に突入しようとして、あの新型の迎撃にあったのだと推測できる」

「なるほど。あのときは失敗したが、戦力が“壁”からこちら側へ出てきている間なら、勝算があると見込んだのか」

「しかし、暖炉の谷に入った敵の機兵戦隊(エスカドローン)はひとつじゃない。さっきの戦闘で黒褐色の奴とは会ったが、赤い奴は一機も出てきていない。つまり“壁”の中にはまだE12(エーツヴェルフ)が残っているということだ。だから、仮にSMITS(スミッツ)が“壁”突破の秘策を持っていたとしても、龍王と一機か二機の龍ていどでは駄目だ。一個機兵戦隊が抜けただけ防備は手薄だろうが、それだけでE12と渡り合えるというわけでもない。それでは昨日と同じ結果に終わるだろう。――どういうつもりなんだ、マヒロフスキー大佐は」

 一切の砲撃と空爆をよせつけない“壁”の絶対的防御に直面しても、アカスティン・マヒロフスキーはなお戦意を喪失していなかった。思えば、あの態度はあの男の気質のみに由来するのではなく、彼の手元にまだ有効な切り札が残っていることを示していたのではないか。自分たちは、その切り札を温存するための、使い勝手のいいカードとして選ばれたのではないか。イルベチェフは、マヒロフスキーという男を巷(ちまた)の評判どおりに見るのは危険だと感じた。実際のところ、マヒロフスキー個人は噂どおりの人物かもしれないが、彼を囲むブレーンに切れ者がいるのは間違いない。昨日の作戦会議に出ていたRAT(ラット)の女性士官がそうかもしれない。あるいは、列席の将校の誰か。北熊(セヴェルメドヴェーチ)はその人物をマークしているのだろうか。

 考え、憶測すればきりがない。イルベチェフは息を吐き、頭を切り替えた。ふりかかる脅威の評価が不可能なら、得られる成果を基準に次の行動を決めればいい。

「ま、大佐の思惑は別として……。成り行きにしては、俺たちに都合のいいシチュエーションになった。チャンスだぞ、ユリウス、ジーナ」

「――そうか。厄介な奴がいないわけだ」

「そして、いまだ準戦闘状態にあるこの状況下では、機兵でなら好きに動ける」

 タマリアノフ、ジーナがイルベチェフの説明の手間を省く。

「正解だ。俺は龍がこの有様だし、黒龍隊のこともあるから、ここに残る。ふたりで行って来てくれ」

「え、どこへですか、隊長」

 きょとんとして問い返すタマリアノフの顔を、イルベチェフはモニター上で小突く。

「なんだ、ユリウス。皆までわかっているかと思ったぞ。――迎えに行くんだよ。ダスマ中将が送り込んできた、北熊の同志を」



- 2 -


 機兵に乗って戦場に出るのは、汪凱威(ワン・ガイウェイ)にとってこれが初めてのことだった。

 バロッグにより友軍部隊との連絡がほとんどつかないなかで、僚機はたったの一機。機兵二機での“壁”に対する奇襲作戦である。連携が要となるだろうと汪は思うのだが、その唯一の僚機から、汪を安心させるような同僚の声が届くことはない。こちらが音声で指示や呼びかけを行っても、返ってくるのは機械的な信号と、味気ないテキストメッセージだけだ。それゆえに汪の肉声による会話の相手はただひとり、背もたれ一枚を隔てて彼の前方にいる、龍複座型の操縦手だけだった。

「軍曹。センサーよりは龍王の挙動に注意をふりむけろ。索敵は私とこの機の支援ツールに任せてくれればいい。用途は違えど、EPU(エクスペクトプロセッサ)の取り扱いには慣れているからな」

 二度目だと自覚しつつ、その指示を繰り返さずにおれなかったのは、汪が不安を感じているからだった。汪は機兵パイロットとして訓練を受けた身ではない。この機体に昨日から数時間乗せられて、後部席でなすべき最低限の仕事を把握したばかりだ。プロならこの危険な任務にも心構えができようが、今の汪には拠って立つものがない。あるとすれば、それは自分が後部席に乗せられた所以(ゆえん)に対するプライドだけだ。

 汪凱威の本分は、運用調整官。これは軍における特定の装備の運用体系を最適化するという役職で、金星也(キム・ソンヤ)による軍の改革期に設置されたポストである。そして汪の場合は特に、「運用調整官」の頭に「特別」の二文字がつく。変則領域を応用した種々の兵器を担当する特別運用調整官は、要求される能力と同様に、その待遇も他の運用調整官とは格が違う。そして汪の班はそのなかでもかなり特殊で、赤子同然の乗用兵器である機兵を専門に扱っている。組織図の上では戦略軍末端の部署に属するが、必要なときは戦略軍参謀本部に出頭して、総司令官に直接所見を述べることができる立場だ。実際、汪は金星也と何度も話をしたことがある。

 ――その自分が、量産化が決まったばかりの新型に乗せられて、ここにいる。しかも、僚機はSMITS秘蔵の龍王肆番機。

 汪は使命の重さを噛み締め、機を操縦する軍曹にも抜かりのないよう念を押す。機体と一緒に初めて顔を合わせたその軍曹は、機械的に「了解」とだけ答え、その視線を一瞬たりとも龍王から外さない。軍曹は忠実に任務を遂行している。汪はそれに応えるべく、相対バルムンク反応(RBR)センサーをはじめとする各種センサーの反応、および龍王のモニタリングデータの推移に目を光らせる。

 作戦発動時に予定した、ほぼその通りの時刻に、龍複座型と龍王は目的地点に達した。

 道中、二体のモンスター型乗俑機に遭遇したが、交戦は龍王に任せた。龍はこの特殊任務のために大型の装備を携行しており、小回りが利かなかった。もっとも、それで何ら問題はなく、龍王がモンスター型乗俑機を大破させるのに長い時間はかからなかった。

 汪はその戦闘時の龍王のモニタリングデータを斜め読みしていた。なかなか興味深い、精査に値するデータが取れているようだった。ただ、その解析は困難だろうと汪は予想する。龍王パイロットの脳波の変調、そして龍王自体の運動制御プログラム活性化は、それがモンスター型乗俑機との接触によるものか、あるいは“壁”接近に起因するものなのか、わからないだろう。“壁”にしてもモンスター型乗俑機にしても、過去に収集したデータが不足しているし、これから収集する機会があるかもわからない。それでは対照実験にならないから、因果関係を浮き彫りにすることは出来ない。得られるものは、「龍王は特殊である」という曖昧な、それでいて龍王を語るには不可欠な認識だけだ。

 ――いや、SMITSにとっては違うのだろう。前方に不確かながら、しかし確かに存在する“壁”をセンサーで検知して、汪はそう考え直す。龍王を作り出して見せたSMITSには、龍王はブラックボックス、すなわち解析不可能な存在ではないに違いない。本来ならそう考えて当然のはずなのに、龍王のこととなると、その当たり前の思考が躊躇われる。龍王はやはりそういう存在だ。だからこそ、この“壁”の突破が可能だと聞かされても納得できたのに違いない。

 龍王と龍が立ち止まる。汪は操縦手からメインカメラの操作権をもらって、前方を見渡した。可視光での解析では、靄(もや)に覆われて巨大な奇岩群――ここではありふれた地形――が広がっていることしかわからない。

 汪は備え付けのストローから飲料を吸い、口内を湿らせた。

 “壁”に明確な境界線はない。雲や霧と同じか、あるいはもっと境が曖昧な現象である。では、どうして“壁”と呼ばれるのか。それはこの変則領域が外部からの攻撃の一切を防ぎ、また、受動、能動を問わないあらゆる探査を妨害するからだ。ミサイルや砲弾は“壁”に弾かれ、あるいは“壁”の層の中でエネルギーを拡散され、消失する。内側には全く届いていないらしい。届かないのは“壁”内側からの電磁波にしても同様で、中の様子は一切知ることができない。

 これら“壁”についての知識は、すべて啓示軍(オフェンバーレナ)の本拠ベルリンを覆うそれから得られていた。それが世界の知る唯一の“壁”だったからだ。しかし今、汪の眼前には第二の“壁”が立ちはだかっている。これがベルリンのものと全く同質であるという保証はないが、榴弾砲とミサイルを防ぎ、暖炉の谷を啓示軍の鉄壁の要塞たらしめている事実からすれば、おおよそ同じものだろうという推測は子供でもできる。そして知性ある大人ならば、かつての欧州事変と同じことが再びこの中央アジアにおいて起ころうとしている、と警戒する想像力を働かせるべきだ。その差し迫った脅威の認識において、汪が同調できるのは議会派ではなく、元老院派のほうだった。だから汪は今ここにいて、本来の任務には含まれない、いわばボランティアの作戦に参加している。君の力が必要だ、というおだて文句だけで戦場に出るほど、浮かれた性分ではない。

BFG出力調整完了。コレヨリ“壁”ヘノ進入ヲ試ミル>

 龍王からのテキストメッセージが手元のモニターに表示される。文面は操縦手にも届いており、汪がいちいち前進の号令などかけずとも、龍は龍王に追従して動き出す。

「さて、抜けられれば吉。しかしそうでないときは、果たして……」

 呟いてから、しまったと汪は思った。操縦手の軍曹にも不安を伝播させたのではないか、と。一昨日の第一次総攻撃から、ひとりたりとも“壁”を抜けたものはおらず、生体に対して“壁”がどのように作用するかはわからない。啓示軍の機兵部隊が出入りをしているから大丈夫だろう、という単純な推測に基づき、この作戦は実行されている。

 マヒロフスキーから下命されたこの作戦に、その危うさを認識したうえで参加したのは、自分だけだろう。汪はそう見ていた。前部席の軍曹はこの複座型の操縦だけを叩き込まれて来たに違いなく、そして龍王肆番機のパイロットは、操縦中に正常な自意識が保たれているかさえ怪しい節がある。薬物投与か、体に直接操縦系をつなげたか、そうでもしなければあの龍王の挙動に対応できるとは思えないのだ。現に汪は、そして汪の知己の誰もが、一度も肆番機のパイロットを見たことがなく、また、肉声も聞いていない。

「――龍王を信じるだけだな」

 前の独白につなげて、汪は軍曹と自分自身に言い聞かせる。

 二機は靄の中を進む。前進を阻むような抵抗はない。ただ、龍王と共有したバルムンクフィールドが見たことのない干渉パターンを生じ、汪はリアルタイムでそのパターン解析を行うために、思索を中断せざるを得ない。

 どれほどの時間が経ったか。目の前に明瞭な景色が現れた。暖炉の谷の中心付近、もう少しで火炎発生領域に入ろうかという地点であると、汪は悟る。神々しくさえあるその情景は、以前に写真で見たことがあった。

「どうやら、“壁”を抜けたな」

「そのようです。汪大尉、弾頭の投入目標地点の選定を」

「わかっている」

 コンソール上で指を走らせ、汪は正面に出していたセンサー系の出力を前部席に移し、代わりに別のプログラム起動画面を表示させた。さらに数回キーを指先で叩いて、反応を待つ。数秒後、画面にエラーの文字列が並んだ。汪は軍曹を呼ぶ。

「評価プログラムに入力する環境変数が足りていない。龍王を先行させて、このあたりのデータを取りたい」

「龍王はともかく、こちらには自衛用の武器がありません。敵に察知されれば、危機回避は完全ではない。そのリスクを負いますか?」

「装填した弾頭は一発だけだ。着弾点指定のミスは許されない。そのために負うリスクへの対策は、龍王の戦闘力と君の操縦技能に期待する」

「了解」

 汪はサブモニターに呼び出した地図上で手早く観測地点を選定し、操縦手と龍王にルートを指示する。送信終了とともに龍王は移動を開始。龍もすぐにあとを追う。バロッグがない以上、行動は迅速に行う必要があった。

 迎撃システムに遭遇することもなく、二機は目標地点に到着した。“壁”はただの目くらましで、中に強固な防衛システムが設置されているのだという説があったが、それは外れていたようだと汪は判断する。“壁”の中は見晴らしがいい。高台に上れば、陽炎(かげろう)と奇岩以外に視野を邪魔するものはない。最大望遠で谷の様子を見渡すと、噴き上がる炎の柱の合間に、啓示軍の運び込んだらしい機械が確認できた。“壁”を発生させる装置だと判断し、汪はそのように変数を入力する。他にも、待機中の機兵や、テント、車輛、コンテナなどが見え、汪はそれぞれを分類してコード化し、変数をセットしていく。

「こちらから見えるということは、向こうからも狙撃可能ということだな」

 すべての入力を終え、プログラムを実行させる仮想キーを画面上で押した汪は、ようやく顔を滴る汗を拭うことができた。火炎発生領域に近づいて暑くなったわけではない。手はむしろ震えている。怖いのだと、汪は素直に認める。

 ――当たり前だ。次の瞬間にはミサイルでこの身が八つ裂きにされるかもしれないのだ。終われ、早く計算を終えろ、EPU。

 周囲の変則領域のデータが膨大すぎるのか、プログラムはなかなか終了しない。汪が今までこれを使ったときには、いずれも十秒とかからずに結果が出ていた。三十秒が経過し、汪はモニターにすがりつく。

 不意に、電子音とともに表示灯のひとつが赤に変わった。汪はぎょっとして眼前の画面を見る。まだ計算は終わっていない。

「三時方向、相対バルムンク反応レベルC!」

 死角から敵機に接近されていた。汪が読み取った情報を叫ぶ間に、龍王は動き出している。

「大尉、本機は?」

「EPUに負荷をかけたくない。待機だ」

「しかしあれは……例の新型です。龍王はあれと交戦して敗走している」

 軍曹に指摘され、汪は龍王の向かった先の映像を見た。たしかに、そこには赤い新型機兵の姿がある。そしてRBRセンサーは、その背後からさらに複数の機兵が接近しているらしいことを示していた。

「一発しかない弾頭だからこそ、ここは一時撤退を」

「それも道理だが……次のチャンスがあるとは思えない。あと少しだ」

 言ってから、汪は敵機の接近がEPUの演算に負荷をかけていることに気づき、舌打ちをする。

「軍曹、センサーを落とす。ノイズになっている」

「正気とは思えない。大尉……」

「俺だって生き残りたい。そのうえで言っているんだ。センサー、シャットダウン」

 了解など待たず、汪は索敵関係のプログラムを停止させた。あとはカメラ越しに龍王の戦いを見守るしか、やることはない。

「一機、すり抜けた!」

 軍曹が叫ぶ。汪も見ていた。龍王が赤い新型と交戦しているうちに、あとから来たエントゼルトゾルダートが、その脇を抜けて龍のほうへ向かってきている。重い荷物を引きずった龍では、不利である。

「大尉!」

「――座標確定! ここから狙える。軍曹、砲撃を実行せよ。セーフティ解除」

「畜生、了解だ。不知火(しらぬい)、セーフティ解除確認」

 龍は携行していた長大な筒を持ち直し、その場に腰を据える。大型ロケットランチャー「不知火」単装型。狙いは迫り来るエントゼルトゾルダートではなく、暖炉の谷の中心付近。照準あわせ。敵機接近。

「発射!」

 不知火の咆吼が、暖炉の谷に響き渡った。



- 3 -


「どうしてですか、少佐。せっかくみんな揃ったんです。一刻も早くこのバロッグから抜け出して、西フェルガナ基地で何があったのか明らかにすべきですよ」

 南田は、開け放たれた龍のコクピットに頭を突っ込んで、江藤に食ってかかった。その膝のうえに座るゴン太が、南田の顔を嘗(な)めようとするのが煩わしい。

「俺だってそうしたいのはやまやまだ。だが、あれがあるからな。あれを放置しておくことのほうが、不穏分子を放置するよりよほど危険性が高いのだ」

 江藤は渋面で通信機器を調整しながら、ある方向を顎で示した。目で追うまでもなく、その先に“壁”が立ちはだかっていることは、南田も重々承知している。

「危険性といっても……啓示軍(オフェンバーレナ)が欧州事変で勝てたことと、あの“壁”の存在との因果関係が、立証されている訳じゃないんでしょう。それに比べて、北嶋大尉や峰國(フェングォ)たちが置かれている状況は、どう考えても解決しなきゃいけない問題じゃないですか」

「北嶋たちのことなら心配するな。確約には至らなかったが、マヒロフスキーは俺との共闘の構えを見せた。だから、元老院派が黒龍隊をどうこうする理由はもうなくなった。――ゴン太、ちょっと大人しくしてやれ」

 江藤はゴン太を撫でて静かにしてくれたが、あとは機器の操作に専念して、南田に目を合わせようとはしない。

「そりゃ、そのなんとかスキーって司令官はそのつもりなのかもしれませんが、敵襲による混乱とバロッグで、必ず連絡が行き届くとは言えないじゃないですか」

「うるさい。俺は使える周波帯を探しているところだぞ。――バロッグは西から消えつつあるんだから、じきに通信は自由に使えるようになる。すぐに命を取るような物騒な話ではないのだろう、竜時」

「それはそうですが……。俺たちにはろくに戦力だって」

 南田が身を乗り出してなお食い下がろうとすると、不意に右の足首を掴まれて、下に引っ張られた。驚いて振り向くと、足場のハッチから、藤居の肩から上が覗いている。その額に巻かれているのは、以前付けていたバンダナではなく、包帯である。南田には見覚えのないものだ。

「少し、話をしよう」

 藤居の誘いに、南田はゆっくり頷いた。

「パイロットは、何という名前なんだ」

 龍から少し距離を取ったところで、藤居は雷麒麟を見ながら尋ねた。

長野中尉。長野翔太、だったかな」

 なぜ長野の話題から入るのだ、自分が訊きたいのはそんなことじゃない、と思いながら、南田は答える。

「その様子だと、あまり好きではないようだな」

 藤居が笑った。だが、南田はその笑顔を見て痛々しいと思う。怪我のせいだろう、顔の皮の一部がひきつって動かない。

「長野中尉は……」

鷹山がすぐに運んだんだ。命には関わらないだろう。それより竜時は大丈夫なのか。交通事故と一緒で、あとで痛みが来るってこともあるぞ」

 言いたかったのとは別の言葉で先回りされて、南田は藤居がそれを意図的にやったと気づく。長野の欠点をあげつらおうとしたのを、藤居は遮ったのだ。

「どうしてあいつを庇(かば)うんです、藤居さん。藤居さんは、あいつのことを何も知らないのに」

 そして、怪我が心配なのは自分よりも藤居のほうだ。南田は心の中で叫ぶ。南田たちが時空転移したその場にいた藤居は、同様に時間をショートカットしているはずだ。だからその傷は、まだ古いものではない。跳躍した時間が同じとすれば、怪我から十日ということになるだろうか。

「偏った先入観を持ってしまうという点では、予備知識は必ずしもプラスに作用するものじゃない。――茨木大尉はそう言っていた」

「茨木大尉?」

「俺の機兵操縦訓練の教官だった人だ。俺に今の生き方を教えてくれた人でもある」

「生き方……」

「茨木大尉は西の戦場で戦っているらしい。決して楽な戦いじゃない。部下を失ったと聞いている。それでも、あの人は戦場に戻っていった。――命令だから? いや、そうじゃない。あの人の知恵と行動力なら、特別規定第一〇号をうまく利用して戦線を離脱することもできるはずだ。でも、その選択肢は取らなかった。江藤少佐がここで戦うことを選んだのも、それと同じ所に理由があるんじゃないかと俺は思う」

「俺には、よくわかりません。江藤少佐が“壁”の打破にこだわる理由も、その茨木大尉という人が戦場に戻った理由も、重傷のはずの藤居さんが涼しい顔をしてここにいる理由も。――俺はてっきり、あなたはあのクレーターの底で……」

 制御を失って倒れ、MMアクチュエータの痙攣(けいれん)を起こしていた龍の姿が、南田の脳裏によみがえる。

「俺は幽霊か……。しかたないな。自分でも、あとで機体の状態を知ったときは驚いた。よく助かったものだと」

「直撃のように見えました。コクピットを貫通したとしか」

 南田は声が大きくなる。藤居がまた不完全な笑みを浮かべた。

「それは観察力不足だったな、竜時。たしかに弾の抜けた場所はコクピットの真後ろだった。だが、弾の入射角は? 俺たちはあのとき、崖の上の敵と対峙していたのじゃなかったか? 弾は生命維持系の圧縮ガスタンクを貫いたときに偏向されて、まるでコクピットを貫いたかのような角度で機外に飛び出ていたんだよ。――もっとも、内装剥離による裂傷と、エアバッグ作動不良による打ち身で、この有様だが」

 藤居は額の他、数箇所の傷を指し示す。

「完治していないじゃないですか。日常生活はともかく、そんな体で機兵に乗って、こうして戦場に出てくるなんて。タチの悪い部隊に編入されちゃったんですか? そうだ、藤居さんは、その……どこで……」

 南田は口ごもる。どこにワープアウトしたのか、と問うのは憚(はばか)られた。だが、藤居はその意を汲んだ。

「西フェルガナ基地から北東、シムケント市との中間地点だ。日付は一月八日。タシケントへの増援を二度目の新型バルムンク砲が薙ぎ払った日。俺はたまたま通りかかった北部方面軍の機兵部隊に助けられ、シムケントで早期に治療を受けることができた。加えて、軍医の腕が良かったんだな。こうして竜時を助けることができた」

「やっぱり藤居さんもあの現象を体験していたんですね。その北部方面軍の機兵部隊というのは、現場を見たんですか」

「現場を見ていたかどうかは、現象の解明に乗り出すまでは意味をなさない点だろう。俺は改竄する間もなくパーソナルディスクのコピーを取られたから、記録の途切れた時間と俺の身体状態との比較で、すぐに何かがおかしいとわかる。病院で意識を取り戻した俺の前には、すべてを知った顔でそこの隊長が現れたよ。そして、ともにここへ来た」

「一緒に? どういうことです」

「現象の具体的内容についてはどうだか知らないが、その手の現象をありのままに受け入れられる人間が、北部にはいたってことさ。そして、これは偶然と言うべきなのかわからないが、彼らは予てより黒龍隊との接触を狙っていた。だから、俺が彼らとともに黒龍隊を追ってここに来ることは、至って自然な流れだった」

「その北部の機兵部隊は今、どこに」

「どうやら元老院派と行動を共にしているようだ。俺は昨日から別行動を取っていたから、その経緯はわからない」

「今、本隊は元老院派に捕まっているんです。ここから南のゴーストタウンで。それはもしかして、その北部方面軍の連中が元老院派と結託した結果なのかも」

 南田が興奮してそう言うと、藤居は首をかしげた。

「――俺の事態認識と、竜時の事態認識がずれているようだな。一体、どう行き違いがあったのか……。竜時は安文俊という男に会っていないか?」

「アン? やすの字の、安ですか」

 安と言われて南田が思い出すのは、藤居の出した名前ではない。安超備。西フェルガナ基地で南田たちを危険に晒(さら)し、自らは啓示軍に寝返ろうとしていた疑いのある、中佐の名だった。峰國や朝井の話では、消滅砲の直撃で戦死したとのことだったが、それと同じ苗字を他ならぬ藤居の口から聞かされた南田は、幽霊でも見たかのような気分になっていた。

「その安だ。富窪(フーワー)の――」

 藤居が説明を加えようとしたそのとき、ふたりそれぞれの通信機が江藤からの通信を受信した。

「声明を出すぞ。周波数を合わせて、おまえたちも一緒に聞け。いいか――」

 江藤の言う周波数に合わせて、南田は藤居とともに耳を傾ける。影龍(インロン)のコクピットから顔を覗かせていた金髪の青年も、その日本語を解したのだろう、奥に引っ込む。

「黒龍隊より、暖炉の谷に展開するすべての亜細亜連邦軍へ。我々は――」


*   *   *   *   *


「正気なのか、あのオッサン」

 裂傷の処置を受け終えた長野は、通りがかったテントの中から聞こえてくる声明を聞き、呆れ果てた。

 いくらなんでも、表現が率直すぎるだろう。それでは叛乱と見なされてもしかたない。江藤は、放っておけば味方だったものを敵に回して、せっかくのチャンスを潰そうとしている。ヴォルフは、納得してこれを聞き流しているのだろうか。

「どうするんです、中尉」

 一九〇旅団の宿営地まで運んでくれた天パ頭のパイロット――たしか鷹山といった――が、ちょうど長野を迎えに来ていた。江藤の声明は大音量で流れていたので、互いにその内容は把握済みだとわかる。そのうえで、鷹山は長野に訊ねたのだ。江藤に任せておいて良いのか、と。

「君はどうするんだ。古菅大佐とやらは、少佐を放っておきそうにはないんだったよな。この声明を聞いちゃ、じっとしてはいないだろう」

「予想通り、少佐に会いに行くと言って支度しています。もちろん、俺も龍でまた戻りますが、大佐用に車を出すことになるでしょうね。中尉も便乗はできるかと思いますが」

「いや、俺が戻っても、この体じゃな」

 長野は腕をかざして、手を動かしてみせる。わざとゆっくりやったわけではないのだが、それはスローモーションにしか見えない。

「この通り、ろくに手が動かせないんだ。力も入らないし。整備の役にも立たないんじゃ、足手まといだ。俺はヴォルフや少佐にきちんと目的を達成してもらいたい。だから邪魔には絶対になりたくないんだ」

「そうですか。――あ、でも雷麒麟は」

「マニュアルはある。あのオッサンなら乗りこなすさ。――コクピットのスペースも広げておいたし。心配はない」

 長野は自分にも一緒に言い聞かせる。江藤なら、短時間で雷麒麟を御せるようになるだろう。できるはずだ。そうでなければ、あの機体を預けはしない。

 雷麒麟のパーソナルディスク挿入口はふたつある。テストの利便性を図った試作機ゆえの仕様だったが、それを利用すれば、長野が最適化したOSの設定を残しつつ、そこへ江藤の操縦の癖を反映させられる設計になっている。もちろん摺(す)り合わせに時間はかかるだろうが、それがどれくらいかかるかは未知数だ。長野も試したことがない。ただ、今更長野が現地に戻ったところで、その摺り合わせが早く終わることはないのだとわかっている。江藤なら短時間でやってくれると信じるしかないのだ。

 そう、信じるしかない。麒麟計画凍結以来、他の誰にもコクピットを覗かせなかった雷麒麟だが、事態がすでに長野の手を離れつつあることは自覚していた。たとえ負傷していなくとも、長野は早晩、雷麒麟を江藤に預けただろう。江藤なら、雷麒麟を引き継いでくれる。いや、江藤こそ……。

 ラフに敬礼して走り去る鷹山を見送り、長野は歩き出す。向かう先は、野戦病院と化したテント群の奥。

 会わねばならない。そして確かめねばならない。それが麒麟計画に携わり、この地に辿(たど)り着いた者の義務だ。



- 4 -


 アルベルト・ヴェーバーは、ほう、と息をついた。

「こんなものを弾頭に使うとはな」

 ヴェーバーが地上十メートルの高さから見下ろすその金属塊は、人の体ほどの大きさがある。弾頭とは言ったが、すでにそれは原形をとどめておらず、激しい勢いで何かに衝突したように一端が完全につぶれている。

「“時報(ツァイトアンザーゲ)”、どうかお下がりください。危険です」

 黒褐色の機兵から、スピーカーを通じて女の声がする。ヴェーバーは、その機兵の手の上に乗っていた。

「案ずることはない、スラント中尉。もうこれはただの鉄塊と変わりない、無害な物体だ。いや、資料としてはむしろ有益だな。またも龍王を逃がしたのは残念だが、今むしろ案ずるべきは……」

ユプシロン。そして奴らと手を組んだエトウ・ヒロテル」

 ワイルダー兄弟長兄、オズボーンの重厚な声が響く。ケーシャ・スラントのシュヴァルツパンターと金属塊を挟んで対面する位置に、オズボーンのトーデスゲヴァルトが立っていた。そして、その脇にはもう一機のトーデスゲヴァルト。掌上に末弟オズワルドの姿があり、操縦をしているのはオズマンド・ワイルダーである。

「そうだ。これは私も予測しなかった事態だ」

 身柄確保を狙っていた男と、一旦は退けた男の連合。それはついさきほど傍受した電文から明らかになり、にわかには信じがたい内容であったものの、それがただのはったりでないと裏付ける事実があった。第一に、未明に傍受したエトウのメッセージ。このメッセージ中にエトウは狼という言葉を用いており、それはその時点でヴォルフ……ユプシロンのパイロットの名を知っていたことを示唆している。そして第二に、先刻E6(エーゼクス)が捕らえたエトウをユプシロンが奪っていったこと。ヴェーバーにとっては青天の霹靂だったが、オズボーンは、両者がGT72鉱山基地――亜連がオルロフと呼ぶオブジェクトの入手のためだけに、エトガル隊に制圧させた拠点――で接点を持った可能性があると報告した。

「しかし、ヴェーバー様」

 ケーシャが疑問を呈する。

「黒龍隊というのは外廓聯と比べれば小さな脅威、というのが間諜の報告でした。実際、西フェルガナ基地で我々が対峙したときも戦力的にそのような手応えでしたし、取引材料であったあの基地に置かれていたのですから、権力がある部隊とも思えません。その隊長があのような呼びかけをしたところで、軍全体が従うとは思えないのですが」

「そりゃ、俺も黒豹に同感だ。なぜ、エトウをそうまで重大視するんだ。“時報”。ヤツの戦闘センスは認めるが、龍なんざ木偶人形を使っている以上、トーデスゲヴァルトに乗った俺たち兄弟を上回るはずもねえ。どうもそれだけじゃないようだな」

 オズマンドが同調し、オズワルドの視線もヴェーバーに同じ問いを投げかけている。

「あの男は、いわば特異点だ」

 ヴェーバーは右腕をすっと持ち上げ、火炎柱が最も盛んに噴き上がっている方角を指し示す。火炎と陽炎が簾(すだれ)となって、しかと見ることはできないが、その奥にはノイエトーターが鎮座する特異点と呼ばれる場所がある。暖炉の谷の中心にありながら、そこだけは、火炎を噴き出す変則現象が一度も観測されていないという。

「特異点とは、次の挙動が解析できないという喩(たと)えか、“時報”よ」

 オズボーンの推察に、ヴェーバーは首を横に振る。

「その含意もあるが、本質的にはそれと異なる意味で私はそう喩えた。――西フェルガナ基地を撃ったラグナレク砲は、ふたつの想定外の結果を生じさせた。いずれもタシケントへの第二射では確認できていない現象だ。そのひとつが戦場を広く包み込んだあの巨大なバロッグだが、これについての原因究明はすでにベルリンで終わっている。それに対して、もうひとつの謎の現象については解明が行き詰まっていた。その閉ざされた道を開く鍵が、あの男なのではないか。そう私は睨んでいる」

「聞かされた覚えのない話だな。バロッグと別に、もうひとつだと?」

 オズマンドのトーデスゲヴァルトが一歩踏み出す。シュヴァルツパンターがそれに対応して下がろうとしたが、オズマンド機のそれ以上の前進をオズボーン機がとどめた。

「鎮まれ、オズマンド。――しかし、我も知らぬ話だな。説明願おう、“時報”、アルベルト・ヴェーバーよ。エトウがその鍵と目される理由も含めて」

 トーデスゲヴァルトの四つの眼がヴェーバーを見据えている。ヴェーバーはゆっくりと首肯した。

「そうすべき時が来たのだろうな。ケーシャ・スラント、貴官が西フェルガナ基地で見たものを彼らにも話してやれ。ただしワイルダー兄弟よ、口外は固く禁じるぞ」

「承知。――黒豹よ、話を聞こう」

 やや間を置いて、ケーシャは応じる。

「ヴェーバー様の命ならば」


*   *   *   *   *


 ケーシャの話を聞き終えたワイルダー兄弟は、三者三様に驚きを表情に出していた。ケーシャが三人のそのような反応を見るのはおそらく初めてであり、新鮮である。ヴェーバーから命じられて話したのでなければ、下手な法螺(ほら)話としか受け取られない内容だけに、小気味よくすらあった。

 少しの間沈黙があったが、モニター上の長兄オズボーンがそれを破る。

「つまり、エトウは空間の跳躍が可能ということか。それも自分自身や、自らの駆る機兵のみならず、分散していた部隊全体を移動させることができる、と」

「私は解釈まで押しつけてなどいない。見たままの事実に、部下からの報告を加えて話しただけだ」

 オズボーンが黙ると、オズマンドがその空白を埋めに来た。

「電子戦を仕掛けられていたんじゃないだろうな、黒豹。獲物が目の前で光に呑まれて消えるなんざ、俺は見たことも聞いたこともねえ」

「あの変則領域の中で亜連に電子戦が実行できるなどとは到底思えないが、そう思いこみたいなら、そうするがいい。――しかし、ついさっき目の前の敵を見失った男には、そういう現象の存在を信じたほうが都合はいいのではないか?」

「黙れ、黒豹。それはシュッツネーベルの副作用のせいだ。使ったことのないおまえにはわからないだろうがな」

「やめておきなよ、オズマンド兄さん。ヴェーバーはこの女の報告を事実と判断したから、その男を捕らえるよう命令を下したんだ。だから今は、ユプシロンとその男に対して僕たちがどう備えるかを早く決めなくちゃ。――方策は決まっているの、ヴェーバー?」

 オズワルドの問いを受けて、シュヴァルツパンターの手の上でヴェーバーが「もちろんだ」と答える。

「空間跳躍がそうそう気軽に実行できない行為であることは、エトウがワイルダー大尉から逃れられず、機体を破壊された事実が示している。したがってエトウが再び空間跳躍を行うとすれば、それは“壁”の外側から内側へ移動するときだろう。亜連がこの“壁”について無知だったうちは、その危険性はほとんど考慮しなくて済んでいたのだが、もはやエトウはユプシロンと組み、“壁”の特性についてかなりの部分を知ったはずだ。無防備なX2(イクスツヴァイ)が狙われることを、我々はじゅうぶん警戒しなければならない」

「ヴェーバー様、その役目は我々E6にお任せ下さい。シュヴァルツパンターの索敵能力ならば、いちはやくその空間跳躍を探知できるでしょう」

 ケーシャが申し出ると、オズワルドが少年特有の鼻につく笑い方をした。

「ケーシャ・スラントは、ユプシロンがエトウと別行動を取るパターンをちゃんと考えているの? 手を組んだからといって、仲良く一緒にやってくるとは限らないよ。X2の直近ばかりじゃない、今まで通り“壁”に沿って全周囲をカバーしないと、またユプシロンの侵入を許すことになる。そして核でも撃たれたら、僕たちはあえなく全滅さ。さっきだって、オズマンド兄さんが阻止しなければ、龍王はそれと同じことができたんだ」

 盲点を指摘され、ケーシャは肌が粟立った。自分たちだけではなく、ここに留まる灯教徒たちまでが、無差別に焼き殺される光景を目に浮かべたのだ。

「いや、フェアバンテは……ユプシロンは核弾頭を持っていないだろう。たとえ持っていたとしても、彼らは撃たない。我々が一度も撃たなかったのと同様に。反逆者とはいえ、彼らもかつては“指針(ツァイガー)”と同じ理想を抱いた者たちだ。だが、亜細亜連邦に同じ分別を求めては、裏切られるのが必定だろう。何らかの方法で亜連軍が再び“壁”を抜け、核弾頭を撃ち込んでくる可能性はまだゼロではない。ゆえに、少尉の言ったような並列的防御態勢が必要となる」

「ヴェーバーさんよ。X2の護衛を、俺たち兄弟に任せないか。E12にじゃない。俺たち三人にだ」

 オズマンドがにやにやしながらヴェーバーの反応を待つ。ケーシャは呆れた。この男は、エトウがどれだけの部隊を引き連れて現れるかわからないというのに、それを機兵三機だけで押しとどめられると豪語しているのだ。

「残るE12のゾルダートをすべて“壁”沿いのガードに回すということだな。――その指揮権をスラント中尉に預けるのであれば、許可しよう」

「ヴェーバー様!」

「案ずるな、スラント中尉。X2については、完全な奇襲さえ防げればよいのだ。それより彼らの部下、まとめられるか?」

「はっ。ブラームスもおりますので」

「ブラームスか。あれに直接指揮を任せるのも良いだろう。ゆくゆくは一個エスカドローンをも任せられる男だ」

「ブラームスに代わり、御礼申し上げます」

「では、決定だな」

 ヴェーバーが決定と言った以上、ケーシャに逆らう意志など毛頭ない。画面上のオズボーン、オズマンドもそれぞれに異存のないことを示す。ただ、オズワルドだけが口を挟んだ。

「でも、サーバントはどうするんだい、ヴェーバー。あれがうまく言うことを聞かないものだから、僕はブルートフントを大破させてしまった。慣れないE6があれの制御をできるかな」

 サーバント。あの奇怪なロボット部隊の制御をE12がやっていたとは、ケーシャは初耳だった。

「サーバントは“壁”内部に伏せ、こちらでコントロールする。今まで通り同胞には攻撃を加えない」

 「こちらで」とはどういう意味かとケーシャは疑問に思ったが、フリューゲイルにコントロールシステムが実装されているのだろうと推察し、納得する。ケーシャが慣れている量産仕様のβタイプにはそのようなキャパシティはないが、ヴェーバーの乗ってきたタイプは仕様が大きく異なる。少数しか存在せず、「F2(エフツヴァイ)」というようにノイエトーターやエスカドローンと同格のコード名を与えられる存在なのだから、そのような能力があっておかしくない。

「では、そういうことで決まりだな」

オズボーンが通話から抜け、トーデスゲヴァルトが身を翻(ひるがえ)す。続いてオズマンドの顔も画面から消えた。だが、それをよく通る声が呼び止める。

「待て。ひとつ重要な通達が残っている」

 トーデスゲヴァルトが動きを止め、ケーシャもまたヴェーバーの言葉を待つ。

「貴官らの働きにより、ついに今作戦は最終段階に移行する。――この地を、この暖炉の谷を新たなる啓示の砦……人の道を照らし出す灯とするのだ」



- 5 -


 雷麒麟が立ち上がる。すぐさま腰を落とし、跳び、着地とともに身を翻して火縄を構えると、その先に佇(たたず)む影龍――ヴォルフが言うには牙黒鷲――が手を叩いた。

「上々のようだ」

 ヴォルフの声と、拍手の音が通信機から聞こえる。

「おまえと、その影龍にはかなわん。――ああ、影龍ではなく牙黒鷲だったな」

 江藤は火縄を下げ、膝をついて機体を固定する。

「慣らしは中断か?」

「うるさい客が来たからな」

 モニターに龍が三機、そして車が一台映っていた。こちらへ向かってきている。

「すまん、少し待たせる」

「いや、こちらはこちらで、情報収集をさせてもらう」

「存分にやれ」

 雷麒麟から降り、江藤は一行を出迎える。龍は部下のもの、車には古菅が乗っているに違いない。きっと血相を変えているだろうと、その顔を想像して江藤が笑っていると、ゴン太を抱いた南田が駆け寄ってきた。

「少佐」

「おう、竜時。ゴン太を預かっているところを見ると、藤居はもう出たようだな」

 江藤は南田の腕の中のゴン太を撫でる。

「ええ。北部の知り合いとうまく連絡がつくといいですけど。――あ、さっき倒れてた機体」

 南田が三機の龍を見て呟いた。新型ゾルダートに右腕を奪われた防人型が、そのなかに混じっているのだ。

久留の話からすれば、坂元の防人型だな。――ははあ、おまえが潰した龍から、腕をもらう気だろう」

「それで直りますか」

「何もしないよりはマシだ。これで雷麒麟と、龍が四機というわけか」

 ――そして北嶋のもとにまだ二、三機。この作戦の立案時に想定した戦力をいくらか上回っている。マヒロフスキーが、そしてこの一帯の将兵たちが同調してくれれば、この戦力でもじゅうぶん勝機がある。もちろん、今やって来た客の協力も得られればそれに越したことはないが、果たしてどうなるか。

 牙黒鷲を警戒しているのか、距離を置いて一行が停止する。偵察用の軽装甲の車輛から飛び出てきた古菅は、開口一番にこう怒鳴った。

「江藤、貴様は叛逆罪を適用されたいのか!」

「叛逆? 越権行為の咎(とが)なら甘んじて受け……いや、やっぱりそいつも勘弁願いたい。なに、大佐殿やマヒロフスキーが協調性を見せてくれさえすれば、バカバカしくって誰も叛逆罪の適用なんて言い出しませんよ。数万人を叛逆罪で処罰などと」

 江藤は茶化したが、古菅はあくまで深刻な顔のまま歩み寄ってくる。ちらちらと牙黒鷲の様子を見ながら。

「たとえ百万の粛清だろうと、金星也元帥ならば、ありえなくはない。そもそも、マヒロフスキーが同調などするものか。『応龍隊は目的を同じくする仲間だから今回は攻撃するな』だと? 私とて貴様の正気を疑う」

「現にこうして、ここで協調姿勢を見せているあの機体が目に入りませんか。彼らが単純に亜連を敵視しているのなら、ここで私や大佐殿を殺している」

 殺している、のところで古菅は立ち止まった。

「ゲリラ戦は、もっとも有効に打撃が与えられる瞬間を狙う。そのタイミングを得るためなら、敵に与(くみ)しても見せるだろう。その程度のこと、私のもとで華中のゲリラ掃討に当たった貴様がわからぬはずはない。よく考えろ、貴様のやろうとしていることが、亜連二十億の市民を裏切ってはいないかと」

 江藤は溜め息をついた。やはり一筋縄ではいかない。この性格だから、ずいぶんと苦労したのだ。ただ、古菅の言うことも、江藤には同意できる理論なのである。それだけに厄介だった。

「古菅大佐。あんたに彼らを無条件に信用しろとは言うまい。だから、秤(はかり)にかけてくれ。啓示軍(オフェンバーレナ)と元老院派のあいだで、我々の知らないところですべてが終わってしまうのを見過ごすか。あるいは応龍隊と協力することで、そこへ当事者として携わるかを。そしてそのいずれが、亜細亜連邦への責務を果たすことになるかを考えてくれ」

「詭弁には乗らんぞ。この状況下、我々にとっては啓示軍を排除することこそが第一義だ。応龍隊という不安要素を抱え込んでは、死力を尽くせない」

「影龍がいれば、あの“壁”を抜けられる。それでも結論は同じですか、大佐殿」

「“壁”を……?」

 古菅の表情にはじめて動揺が浮かぶ。それに追い打ちをかけるように、スピーカーからの英語が発せられた。

「ひとつ訂正がある。この機体だけではない。亜連の龍王も、それができるだろう」

 ノイズが少なく、ボリュームも適度に調整して出力されたヴォルフの声。初めて聞く者にはスピーカー越しと思えなかったのだろう、古菅がそれを牙黒鷲の発した声であると気づくのに、タイムラグがあった。

「応龍隊……。龍王が、“壁”を抜けられるだと? それは確かなのだろうな」

「十中八九」

 ヴォルフの即答を受け、しばし、古菅は沈黙した。腕時計に視線を落とし、文字盤をずっと眺めている。江藤も時計に目をやった。おそらく、一分ちょうどが経過したときだろう、古菅は顔を上げた。

「江藤、マヒロフスキーは機兵さえ揃えば“壁”を抜けられるとでも言いたげだったな」

「そう感じましたが」

「元老院派は、いかなる手段を用いてもあれを排除する様子だったな」

「同感です」

「ならば、急いだ方がいい。奴らは、核弾頭を使うぞ」

 一瞬血の気が引き、やがてふつふつと煮えたぎってくるのを江藤は自覚する。核など、まさか本当に使うわけがない。

「バカな。どこから核など出てくる。新青海や、その他の中枢拠点で集中管理されているはずだ。先月の異常事態からこっち、持ち出しは不可能だ」

「――時期はわからんが、陥落前のタシケントには核が運び込まれていた」

「なんだと」

「もう何日も前のことだ。タシケントから西に向かう啓示軍の輸送部隊を、私の部隊は捕捉した。そのとき押収した戦利品の中に、核弾頭はあったのだ。ロシア製でも中国製でもなく亜連製、つまり亜連樹立後に製造された新型の核弾頭。使うつもりでなければ、そんなものはそこに存在しえない」

 古菅の口から伝えられる内容は、江藤の想定、想像の範疇を完全に逸脱していた。脱力し、江藤はその場に胡座(あぐら)をかく。南田が「核……」と呟くのが聞こえた。

「そのとき奪還したのがタシケントの核弾頭のすべてでは……ないのでしょうな、残念ながら。啓示軍も元老院派も、それぞれいくつかの核弾頭を残しているか」

「何かの手違いだと思いたかった。よもや使うことなどあるまいと。しかし、私の理性は物事をそれほど楽観的には処理できなかった。一刻も早い“壁”の排除が命題として存在し、龍王が“壁”を通り抜けられるというこの状況下……。もし私が元老院派の指揮官であったなら、手元にあるあらゆる手段の使用を検討する」

 江藤が見上げる古菅の顔は、苦渋に満ちていた。おそらく、黒龍隊を巻き込んで強引にでも包囲網に加わろうとしていた理由のひとつが、核使用の監視にあったのだろう。

「どうして今まで黙っていたのです」

「内容が内容だ。漏洩の可能性は極限まで切り詰めたかった。おまえたちにだけ隠していたのではない。私の部下もほとんどがこのことを知らずにいる」

 コクピットハッチ開放音がする。古菅の後方で、久留が龍の腹から顔を出していた。

「それでケリがつくのなら、やらせればいいんですよ。核兵器とあの“壁”と、どちらが悪というものでもないでしょう。どちらも、人類の手に余る代物ですよ」

 周辺の友軍に漏れ聞こえるのを避けるためだろう、久留は日常会話ていどの声量でそう意見を述べる。江藤が何か言おうとすると、横から南田の声に先を越された。

「久留、それには一理あると思う。でも、ここで核を使わないという不文律を破ってみろ。啓示軍が報復に核を持ち出したら、“壁”みたいな盾を持たない連合軍のほうが、よっぽど劣勢を強いられることになる」

「啓示軍は核を使わないと、江藤少佐は言ってましたよね」

 久留に話を振られ、江藤は立ち上がった。

「おそらく、の話だ。俺とて、あの連中の考えが百パーセント理解できるわけじゃない。俺ならどんな理由があろうと世界大戦の火蓋なんて切らなかった。――ただ言えることはな、俺たちが核を使えば、それは啓示軍の侵略行為によりいっそうの正当性を与えるってことだ。少なくとも、奴らに制圧された土地の者にはそう見える。そう考えるんだ」

「彼らは力ある者に従っているだけだ。だからこそ、このダーダネルス作戦の重大な障害となるあれは、何を使ってでも排除しなければ。そうでしょう、古菅大佐。ここで勝ち、啓示軍の威信を失墜させれば、あとは内部から崩壊する。数億の市民の力で」

 久留が古菅に同意を求めたが、当人は答えようとしない。江藤は代わりに自分の言いたいことを叫んだ。

「久留。その数億という人の数が、問題なのだ。ドイツでクーデターを起こしたのは、軍内部でハンス・ライルスキーに心酔していた一部の連中だった。だがいまや、啓示軍の勢いはどうだ。制圧した国の軍隊をすべて吸収して膨れ上がり、国家を内包する巨大な軍事組織に成長している。目立った抵抗運動も見えない。奴らはおおかたの市民に受け入れられているんだ。いや、同化されているといったほうが正しいだろう。亜連が核を使って啓示軍に打撃を与えれば、数億の市民がそれを自らの傷として認識する。啓示軍の瓦解どころじゃなく、いっそう強固な結束を促すだけだ」

「しかし、それは……」

「やめろ、久留」

 スピーカーからの大音量で、坂元の声が響き渡った。

「古菅大佐、江藤少佐。元老院派が動き出しました。暖炉の谷中央に向けて一斉に移動しています」

「こちらに歩調を合わせる意志などない、ということか。マヒロフスキーは」

 江藤は拳を握りしめた。マヒロフスキーとの会談でどうにか元老院派との共闘の可能性が見えてきていたのだが、ヴォルフと手を組んだことで、それが絶たれる恰好となった。江藤は牙黒鷲をふりかえる。

「元老院派は、よほどおまえさんたちが気にいらんようだ」

「自覚している。――江藤少佐。今の話をもとに、予定に変更を加えたい。“壁”と核とを並行して処理する」

 ヴォルフとしても、亜連軍が核を使うのは好まないらしい。緊迫した状況ながら、江藤は少し嬉しくなった。

「了解だ。で、どうする」

「核は龍王と一緒のはずだ。龍王の足を止めるための、別働隊を編成できるだろうか」

「ふむ。では、今ここにいるすべての龍をそちらに預けよう。龍王を捕まえるのは俺がやる」

 江藤は即断した。牙黒鷲が“壁”の突破に不可欠である以上、他に考えつく案などなかった。

「それで大丈夫なんですか」

 南田が不安を顕(あら)わにする。

「問題ない。たしかに元老院派の将兵は、黒龍隊は敵も同然だと吹き込まれているかもしれんが、雷麒麟に俺が乗っているとは誰も知らない。だから友軍の識別信号さえ返しておけば、加勢に来たという芝居が打てる。いざ龍王を足止めする段にしても、不意打ちすれば楽に仕留められるだろう。長野はなかなか便利なものを譲ってくれた」

 安心しろとばかりに、江藤は南田の肩を叩いた。だがすこし力を入れすぎたのか、南田はどちらかというと迷惑顔である。江藤はそんな南田をもう一度叩くと、龍のほうをふりかえった。

「久留、いいな?」

「――命令には従いますよ。言いたいことは言いましたから」

 久留がコクピットの奥に引っ込み、ハッチを閉じる。

「よし。坂元機の腕の交換が終わり次第、行動を開始する。――大佐殿、一九〇旅団には協力してもらえますかな?」

「昔の部下の頼みだ。聞いてやらんことはないが……今の作戦内容では、話に乗るわけにはいかない」

「まだ応龍隊が信用ならないと仰いますか、あなたは」

「そうではない。やりようが下手だといっているのだ。まあ、任せてみろ。私の手腕を見せてやろう」

 江藤はそのとき、痩身の古菅がひとまわり大きく見えた。



- 6 -


 汪凱威にとって、不可解なことが連続して起こっていた。今いるのは、マヒロフスキー一派のテントの中。確かにわかるのはそれだけで、あとのことは何もかもあやふやなのだ。

 そもそも自分たちがどうやって帰陣したのか、汪は覚えていない。“壁”の内側で、敵機が迫るなか目的の弾頭を発射し、そのとき目の前に新型がもう一機現れて例の盾をかざした……と、そこまでは記憶にあるのだが、どうやらその後、気を失っていたらしいのだ。

 あの弾頭は防がれてしまったのか。龍王は無事なのか。龍を操縦していた軍曹は。――それらの疑問は、ひとりベッドで目を覚ました汪には答えを見つけようがない。

 ひとまず時刻を確かめようとして、腕時計代わりにいつもつけている指揮官用通信端末が手元にないことに気づいた。テント内を見渡しても、時計は見当たらない。

 今は何時で、どれくらい眠っていたのか、わからない。尋ねる相手もいない。

 途端に汪の不安は増大した。持ち物を揃える。拳銃など、他のものはすべてベッドの脇にまとめて置かれていたが、やはり通信端末だけはシーツを剥がしても見つからなかった。

 テントを出た。大声で人を呼ぶが、やはり返事はない。それどころか、昼には確かにあったテントの多くがどこかへ失せていた。

 汪は残されたテントを捜索した。人、無線機、時計を探してまわった。結果は、骨折り損に終わった。どのテントにも物がろくに残されていない。外に出てわかったのは、まだ日は暮れていないということだけだった。

「マヒロフスキー司令は撤退してしまったのか」

 独白にしては大きな声を出してしまったのは、誰かの耳に入るかもしれないという淡い希望があったからだろうか。やってくる足音に気づき、汪は自分の無意識の所作に感謝した。

「誰かいるのか」

「ええ、いるわよ」

 テントの陰から、ひとりの士官が姿を現した。東洋の女性にしては長身のほうだ。

「意識はしっかり覚醒している?」

 女性士官はそう尋ねた。汪は頷き、思いつくままに疑問を列挙してその答えを求めた。

「マヒロフスキー司令は、軍を引いてはいない。その逆よ」

 最初の答えはそれだった。そして女は汪に向けて物を放る。掌大の物体。汪の着用していたのと同じ、支給品の通信端末だった。

「あなたのものよ。汪凱威大尉」

「俺はまだ名乗っていない」

「そうだったかしら」

 女が冷笑するのを見て、汪は悟った。目の前の線の細い女が実は軍の士官ではないことを。そして、初対面でもないことを。

「RATか。――BR……なんといったかな」

 大尉の軍装をしているが、この女は昨日、RATの制服を着ていた。

「BR450」

 BR450はごく自然に自分の名を数字とアルファベットで名乗ったが、その胸には全く別の、漢字で書かれた名が記されている。どうやら軍籍も持っていたらしい。RATには珍しくないことだ。本名だろうか偽名だろうかという些細な興味を汪は抱いたが、この場で詮索する気は起こらなかった。

「あのときのRATなら話は早い。司令に会わせてもらいたい。それから、道すがら俺の疑問の解消にも協力して欲しい」

「軍人がRATに指図を?」

 BR450は露骨に嫌がる。

「大尉の制服を着ている間くらい、軍のルールに従ってもらおう。同じ大尉でも、俺には特例的な権限がある。特別規定第一〇号発令下ともなれば、君に案内を命じることの正当性は明らかだ」

「司令はあなたに会わない」

「何故だ。俺にはその権限がある。ここで特別運用調整官の立場について一から教授することもできるが、それではお互いに無為な時間を過ごすことになるだろう。早く、案内を」

「汪大尉。あなたは私の答えを聞いていなかったの? 司令は撤退などしていない。その逆に、“壁”に対する第二次総攻撃を開始している。だからあなたの権限行使には、司令の仕事を邪魔しない範囲で、という制限が生じているのよ。何か急ぎの報告があるのなら、私が取り次ぐわ。用件は何?」

「決まっている。私が任務に失敗したにも関わらず、どうして総攻撃が始まったのか。それを聞きに行くのだ」

 汪がそう言うと、BR450は笑った。何がおかしい、と汪は気色ばむ。

「だって。予備のプランくらい用意されていて当然でしょう。だいいち、あなたは重要な任務に失敗した自分が、以降の作戦から外される可能性というのを考えてみなかったの? ずいぶんとエリート街道を歩きなれているようね」

「俺が外されたというのか?」

「そうよ、と言ってやりたいけど、違うわ。あんまり自信満々の様子が滑稽だったから、からかっただけよ。――汪大尉。司令からあなたに、次の作戦に従事するよう要請が出ています。これを」

 BR450は突如事務的な口調に戻ると、汪に一枚のメモを手渡した。紙も書式も、正式な手続きに使われるものではない。文面を読み、汪は眉を顰(ひそ)める。

「あの作戦用の弾頭は一発だけではなかったのか」

「代替品の入手目処が立ちました。手に入りしだい動けるように、そのメモに従って準備を。ただし龍王は先の戦闘で負った傷の応急処置のため、直前までRATの管理下に置きます。作戦開始とともに指定地点へ向かわせるので、それまでに龍に搭乗して待機しておいて下さい。――以上。質問は?」

 能面のようなBR450の顔に薄気味悪さを感じて、汪は息を呑んだ。ついさっきまで、普通の女の表情をしていたはずの顔だ。

「俺は司令の部下ではない。協力者だ。拒否すればどうなる」

 BR450はその質問にすぐには答えず、汪の視線から逃げるように、靄の彼方を見やった。そして呟くような声で、言った。

「ほかの誰かがやるだけのことよ」

 汪は作戦従事を了解した。



- 7 -


 もう長い間、長野はベッドに横たえられた周富窪(チョウ・フーワー)を見つめている。手術が済んで移送中のところに偶然行き当たり、それからずっと、一枚の透明な仕切りを隔てて富窪の目覚めを待っているのだ。

 命には別状がないとのことだったが、長野は、すぐにでも富窪に意識を取り戻してもらわなくてはならなかった。その閉じられた口から、聞き出さなければならないのだ。監禁場所から抜け出す前に富窪が言い残したこと……オルロフとAHシステムの関連について。

 長野は気づいていた。雷麒麟のエアインパルサーモジュールが仕様書以上の性能を出し、新型ゾルダートを追いつめることすらできたのは、これまで機能することなく眠っていたAHシステムが作動したおかげなのだ。モニターに表示されていた「AH」の文字の意味を、長野は他に見出せない。

 A.H.とは雷麒麟の設計に携わったある技術者のイニシャルである。長野はその男とほとんど顔を合わせておらず、よくは知らない。今は行方不明のその男が、手記のなかでオルロフがAHシステム発動の鍵だと示唆していると、富窪は言った。その記述を信じるなら、新型ゾルダートと戦っていたあのとき、鍵は近くに存在していたことになる。

 自身が治療のために運ばれている間、長野は何度も、AHシステムの作動因子となりうるものを列挙してみた。まず考えたのは機兵である。南田の龍。藤居という男の龍。戦っていた新型ゾルダートに、近くまで来ていたはずの牙黒鷲。それらの形成したバルムンクフィールドが、非接触のうちに雷麒麟のAHシステムを呼び起こしたのかもしれない。なかでも最有力候補が新型ゾルダートだ。あれには、あのときしか近づいていない。

 しかし、いくらふりかえってみても、確信に至る状況証拠が見つからなかった。そのうちに痛みで朦朧としてきた長野の思考は鈍化し、単純化した。結果的には、それが良かったのだろう。

 ――AHシステム発動の鍵はオルロフだ。

 ――オルロフは鎧蜘蛛をコントロールし、“壁”の発生にもたぶん関わっている。

 ――だから啓示軍(オフェンバーレナ)はオルロフを奪った。

 ――啓示軍は江藤をさらおうとしたな。

 ――啓示軍はオルロフも江藤も欲しかったんだな。

 ――江藤は……オルロフと同じなのか。じゃあ、江藤もAHシステムの鍵になるんだろうか。

 治療のあと、はっきりとした意識で長野はその続きを考えた。AHシステム発動のとき、牙黒鷲とともに江藤も近くにいた。その点では、江藤=オルロフの等式が成り立つ。

 一度そう考えると、長野は思い出すことがあった。黒龍隊を振り切って牙黒鷲と暖炉の谷中心に向かおうとしていたときのことだ。赤いゾルダートとの戦闘中、濃いバロッグの中で互いに火器を使用できないでいたのに、江藤が火縄を使えと長野に叫び、それに従った長野は結果的に強敵を撃退することができた。だが、あの濃度のバロッグの中で、偶然にも火縄の弾道を保証するような連続した空洞、巣が生じるなんてことがあるだろうか。

 そして似たようなことが、今日も起きている。新型ゾルダートに迫ったとき、バロッグの空白を利用して長野は火縄を発射し、ダメージを与えていた。しかも今日の場合はより明瞭にバロッグが消失していて、センサーの画面を一瞥(いちべつ)しただけでそれを読み取れたほどだ。

 都合が良すぎると長野は思う。任意にバロッグを排除する力、ちょうどあの新型ゾルダートが砲身に備えていたような機能がなければ、そのようなことは起きないのではないか。疑問を解決するための長野の思いつきは、こうだ。

 ――指向的なバロッグ排除能力こそがAHシステムの本性であり、変則領域制御による推進装置エアインパルサーの性能向上は、その発露の一形態に過ぎない。そして作動の鍵となるオルロフは実は物体ではなく、人間、江藤である。

「そういうことなのか。なあ、周富窪」

 たまにこうして呼びかけてみても、反応などないのだった。富窪は眠っている。

 ――しまった。

 ふと、長野は自分の考えの欠陥に気づく。江藤はオルロフではありえない。なぜなら、ヴォルフはオルロフを物として長野に説明していたからだ。ヴォルフは富窪以上にオルロフについて知識がある。そのヴォルフが、オルロフは核でも破壊できないかも知れないから、それを使役するノイエトーターを破壊するのだと言っていた。江藤が核攻撃で死なないなんてことがあるわけがない。オルロフはやはり物なのだろう。江藤とは違う。

 しかし、そもそもオルロフはAHシステム作動の必要条件ではない。十分条件だ。江藤とオルロフはイコールでないとしても、その間に何か通じる特性があるのではないか。

 いや、AHシステムも含めて三つだ。この三つの間には何か関連があるに違いない。ひたすら待たされるうちに、長野の思いつきは確信へと変容しつつあった。

「おい。起きて答えろよ。おまえが麒麟計画凍結後に黒龍隊に接触していたのは、一連の目的があってのことだろう。おまえの関わっている陰謀について洗いざらい話せとは言わない。でもこのことだけは一刻も早く確かめなくちゃならない。さもなきゃ……」

「さもなきゃ、どうなる?」

 場違いな、のどかな声。あの不愉快な褐色の馬面が、ふりかえった長野を待っていた。

「ねえ、どうなるの。富窪が話さないと何がどうなるの」

 見た目には無邪気なままの調子で、李峰國(リー・フェングォ)が質問を重ねる。その背後に、さらに三人が現れた。北嶋、円道、そして最後のひとりは見覚えがない男だ。階級章によれば、階級は准尉らしい。一九〇旅団の人間だろうか。

「あんたら、脱出できたのか」

「いや、脱出を延期してここに来たんだ。江藤たちを救うために」

「わけがわからない。少佐を追って暖炉の谷まで行くつもりなのか」

 長野が精一杯の推察を口にすると、北嶋の顔が曇った。

「もう、江藤たちは行ってしまったのか。――なら急ごう。RATがあいつを狙っている」

「これが見えないのか、大尉。こいつは、周富窪はもう動けない。目を覚ましもしない。手の出しようがないんだ」

 北嶋がゆっくりとかぶりを振る。その隣で、見覚えのない准尉はなにやら悲しげな目をしていた。

「長野中尉。私たちの敵は、彼じゃない。江藤を狙うRATは他にいるんだ」

 何かが崩れ去る音を、長野は体の内側に聞いた。



- 8 -


 電子地図上で、暖炉の谷を青い記号が徐々に取り囲んでいく。マヒロフスキーは満足げに拳を鳴らした。

「後衛を減らし前衛を増強するというアイデアは、なかなか良い結果につながっているようだぞ、イルベチェフ。おまえの言うように、啓示軍(オフェンバーレナ)はバロッグの縮小に合わせて後退するばかりだ。全く仕掛けて来ん」

 客分としてマヒロフスキーの指揮車輛に便乗しているイルベチェフは、自慢げに笑う。

「やはり。斥候に出した部下から報告を受けて、確信したのです。“壁”までの道のりを邪魔する者はいないと。――ところで大佐、バロッグの縮小は今、どの程度まで?」

「消失は加速度的だ。じきに、このあたりも通常領域に戻るだろう。前衛部隊とも直接連絡が取れるようになるな」

「それは上々。機運は我々に向いて参りましたな」

 イルベチェフは笑う。笑顔には自信がある。

 ――お膳立てはした。あとはそちらの力量を見せる番だぞ、藤居。


*   *   *   *   *


 バロッグ消失の前線が到達するまでの、時間との勝負。藤居は作戦の最重要注意点を何度も心の中で復唱していた。

 しかし、龍の歩みを速めるわけにはいかなかった。龍が展開するバルムンクフィールドの中に戦車や装甲車を同居させているのだから、しかたがない。相手に察知される直前までは、このままだ。そのやり方でもう二度、障害を制圧できているのだから。

「視認距離に入った。第一派突入します」

 右に距離を取ってやや先行中の鷹山機から、通信。直後に不通になる。始まったのだ。元老院派司令部の制圧戦が。

 第一派に遅れること一分。藤居もまた最大加速をかける。車輛はゆっくりと後に続く。彼らの見せ場は制圧の最終局面なので、今は示威効果だけ担ってくれればいい。

 前方からの誰何(すいか)の声を無視し、障害となる火力をすべて封じていく。方法はいくつかあり、車輛なら横転させ、ロケットランチャーを抱えた歩兵などは催涙弾や煙幕で攪乱する。すぐ近くを足で踏んでやるのも有りで、これは原始的だがなかなか侮れない効果がある。操作は簡単ではないが、鷹山曰く、猿之門で雪達磨回避レースを経験していれば難しくはないということだった。

 三派に別れた波状攻撃、さらに戦車と装甲車による確実な後詰めで、制圧は呆気ないほどすんなりと終わった。手筈通り、イルベチェフは護衛部隊を余所へやるよう工作してくれたようだ。藤居はその有言実行ぶりに感心する。

「制圧完了。各員、マヒロフスキー司令を探し出せ。それから核弾頭だ」


*   *   *   *   *


 制圧完了の報を受け、サブマシンガンを不器用に構えていた南田の力が抜ける。

「生身の銃撃戦は未経験か」

 前触れもなく声をかけられ、南田は一瞬それが誰の声かわからなかった。しかしその問いかけが日本語であったのと、同じ車中にはひとりしか日本語を操る人間がいないことから、すぐに答えは出た。古菅純。江藤のかつての上官。

「機兵パイロット養成課程を出て、すぐに黒龍隊配属でしたから」

 一方的に撃たれて撃ち返せなかったことならあったのだが、南田はそう答えた。緊張で声が上ずった。それがサブマシンガンの重みに起因するのか、江藤や鷹山から聞き知った古菅の人物像に因るものなのか、定かではない。

「そんなものか」

 呟いて、それきり古菅は無言になった。顔は険しい。とびきり規律にうるさいという古菅が、叛逆と見なされても文句の言えないこの作戦の指揮を執っているのだから、内心は苦悩や葛藤に満ちているに違いないと南田は想像する。想像できても、実感はできないのであったが。

 バロッグ内を伝言されてくる情報によれば、先行した藤居や鷹山たちの制圧部隊はすでにマヒロフスキーら主要な元老院派幹部を拘束し、今は核弾頭の所在について尋問中だという。古菅は自分が直接出向かない限り、マヒロフスキーは口を割らないと見ているらしく、自らも銃を携えて現場に乗り込むと宣言している。それを勇猛と称(たた)えるべきなのか、それとも蛮勇と蔑(さげす)むべきなのか、とにかく南田には意外な古菅の一面だった。

「坂元、バロッグの様子はどうだ?」

 南田はヘルメット内蔵の通信機を用い、並走する龍に向けて回線を開いた。腕が応急修理である坂元機は突入に加わらず、古菅の直衛に付いていた。

「もう消えるようだ。だが、准尉は通信機の確保を終えている。心配はない」

「オーケー。連中の救援は来ないってことだな」

「おそらく、の話だ。絶対じゃない」

 坂元は神経質に訂正をしてきた。そんな坂元を、柄ではないと南田は思う。士官学校時代、そして黒龍隊に配属されて猿之門で訓練に明け暮れていたころも、こうではなかった。再会してから、坂元には何か違和感を覚える。鷹山との不和がいい例だ。

「坂元。おまえ……」

「静かに。気が散る。――三時方向、龍王!」

 坂元は回線を切り替え、同じ報告を英語で全隊に知らせる。空気が一変した。

「こっちに向かってくる。車列は退避だ」

 言われるまでもなく、南田の乗った車は左に進路を変更している。揺れる車内で窓に顔を張り付かせた南田は、斜め後方の稜線に龍王を見た。小さくだが、初めて自分の目で見た。

 どうして、あんなものを敵に回しているのだろう。

 南田は、荒ぶる神に唾を吐きかけてしまったような、空恐ろしさを感じた。


*   *   *   *   *


「後方に龍王!」

 鷹山の叫び声には、話が違うじゃないか、という心の声が滲(にじ)んでいるようだった。藤居自身、そうである。龍王は行方が知れず、かなり前に“壁”に向かった確率が高いと、イルベチェフは言っていたのだ。

 しかし、全く想定しなかった事態というわけでもない。むしろ歓迎すべき展開とも見ることができる。もとより、第一目的は元老院派の核攻撃阻止だった。龍王が現れたのなら、それをここで稼動不能にしてしまえば、それで目的は達せられる。元老院派幹部の口を割らせて核と龍王の所在を突き止めるより、よほど単純で確実だ。

「鷹山、久留。この場は一九〇旅団に任せて、俺たちは坂元を援護する。龍王を仕留めるぞ」

「了解。行こうぜ、久留」

「いや、そういうわけにはいかない」

「何?」

 鷹山の声に、ロックオン警報が重なった。反射的に回避運動を取った藤居だったが、それが無駄なことだとすぐに悟った。わずか百メートルたらずの至近距離からのロックオンなのだ。

「どういうつもりだ、久留」

 藤居は背後の狙撃手に尋ねた。

「坂元の援護などさせない。龍王の邪魔はさせない。マヒロフスキー司令の作戦は完遂させる。そういう意味ですよ、藤居准尉。――鷹山、武装解除だ」

 久留は藤居を盾としていた。鷹山機が、火縄の砲口を地面に向ける。そうなると傍目にも様子がおかしいと気づいて当然で、周囲の兵士たちが騒ぎ出す。しかし、会話の内容を聞いていない彼らには、どう対処するべきか判断する材料がない。ロケットランチャーを担いだ者も、それをどちらに向けてよいのか見極めかねている。

「気が狂ったか、久留。元老院派は、核を使おうとしているんだぞ」

 藤居機から火縄を奪う久留に、鷹山が吠えた。それを久留は嘲笑する。

「責任と権限を持つ人間がすでに決めたことだ。下っ端の俺たちが何を言ったところで、そんなものは全部、議論し尽くされているのさ。だから、軍人は命令に従えばいい。狂っているのは、江藤少佐のほうだ。――古菅大佐は少佐と違って物のわかる人だと思っていたが、残念だよ。所詮、同じ穴のなんとやらか」

「ご高説ありがたいね!」

 皮肉とともに、鷹山機が胸部のランチャーから何かを撃ち出した。藤居はそれが盾とされた自機に着弾する音を聞き、鷹山が何を撃ったのか理解する。煙幕を張ったのだ。

 藤居は機会を逃さぬよう、背後に向かってタックルをかける。至近距離だけに、久留には避ける余裕がないはずだった。しかし、藤居は完全に肩透かしを食らった。煙幕の中で二機の龍の姿を見失う。この間合いでの戦いではセンサーなどチェックしていられない。藤居はまず煙幕から離脱した。そして、鷹山の防人型が胸部に二発の砲弾を受けるところを目撃することになった。

「鷹山!」

 鷹山機が崩れ落ちる。

「残念だよ、鷹山。士官組のくせにバカな奴だな。――准尉はおとなしくしてもらえますね。あなたは利口な人だ」

 煙の中から出てきた久留の龍は、丸腰の藤居機に完全に狙いを定めている。

 鳴り続けるロックオン警報のなかで、藤居は待った。周りの兵士たちが久留機を取り押さえにかかるのを。どちらが叛乱を起こしたのか、彼らはもう知っている。藤居は、鷹山と久留が話をしている隙に、その通話内容を付近の味方に転送していたのだから。

 しかし、煙幕が晴れてしまっても、そのような動きは起きなかった。

「沈黙は了解の意思表示ですか? なら、龍を降りてください。一応言っておくと、あなたを相手にするとなると、俺もコクピットを外す余裕はないですよ」

 久留が降伏を迫る。藤居は周囲に目を走らせ、気づいた。元老院派を制圧していたはずの味方が、いつの間にか逆に、武装解除させられている。龍の立ち回りで起きた混乱に乗じたのだろうが、それは藤居には信じられない光景だった。元老院派幹部はすべて丸腰にしたはずなのだ。生身で戦うことから離れた幹部たちがそんな状態から逆転できるなどとは予想できなかった。

「――RATか。あれは本物の司令部要員ではないな」

「ご明察。あらかじめ、手を回させてもらいましたよ」

「どうやって連絡を」

 藤居は問わずにはおれなかった。事前にこの作戦を知っていたのは、行動をともにした部隊のほかには、唯一イルベチェフひとりだけなのだ。まさかそのイルベチェフが裏切ったとは、藤居は思いたくなかった。

「ちょっと東に出ればバロッグは晴れているんですよ。文明の利器が本来の力を発揮できる。――さあ、おしゃべりはここまで。降りてもらいます」

 周囲の味方すべてを人質に取られた藤居は、従うほかなかった。



- 9 -


 “壁”に近づくにつれ、江藤の苛立ちは増していた。

「くそっ。ここもすでに元老院派が展開しているのか」

 行く手に元老院派の部隊の背中を見るのは、もう何度目になるかわからなかった。江藤は斜面を戻り、雷麒麟を機甲部隊から見えないように隠した。牙黒鷲もそれに倣う。

 龍王への攻撃時を唯一の例外とし、元老院派との直接交戦は絶対に回避する。それが江藤に代わってマヒロフスキーを押さえに行った古菅の、江藤に対する言いつけだった。曰く、黒龍隊の責任者でありシンボルである江藤が友軍に攻撃を行えばのちのち中央議会に黒龍隊解散を迫る口実になるが、元老院派司令部の制圧を古菅が独断で考案、実施し、そのとき江藤が通信不能の戦場にいたとなれば、黒龍隊の叛逆を立証することはできなくなる、らしい。そんなものか、と江藤はやや懐疑的に思ったが、結局、その方面の訴訟や政治的駆け引きに通じている古菅の言葉を信じることにした。それゆえに、こうして元老院派と遭遇するたびに、大きく迂回をしている。

「また迂回だな」

 牙黒鷲から通信。ヴォルフもまた、焦っているようだった。

「すまん。俺の発言力がもっと大きければ、連中におまえたちを攻撃させないようにできたものを」

 江藤は自分が情けなかった。軍隊は上の命令に従うのが原理原則とはいえ、江藤の発したメッセージに応じて参集した部隊はひとつもない。牙黒鷲への攻撃を禁じる二度目のメッセージにしても、効果は上がっていないだろう。

「過去、亜連の軍には何度も攻撃を加えている。それはしかたがない。あなたを味方にできただけで充分だ。――しかし、時間が無くなってきているな」

「仕掛けるか。前にいるのはすべて、旧式の探知システムしか搭載していない型だ。このバロッグの中なら、格闘戦のレンジまで気づかれずに接近できる。死者さえ出さなければあとの申し訳はできるだろう」

「いや、弾薬の節約のためにも、交戦はなるべく避けたい。目的は龍王を止めることだけじゃない。“壁”に辿り着いてからの戦いはいっそう激しいものになる」

「しかし龍王を一刻も早く見つけ出さなければ、核が放たれる。最悪、俺たちが“壁”の中に入ったところで龍王に後ろから核を撃ち込まれるかもしれないから、無視もできん。そこでだ。連中を叩いて吊るし上げれば龍王の所在がわかるかもしれんぞ。一石二鳥が狙える」

 江藤の提案に対し、ヴォルフは即答しない。江藤は待つ。まともな考えとは江藤とて思っていないのだ。だが、戦場に入れば必ず感知できると自信がもてた龍王の気配を、江藤は感じ取れずにここまで来た。先刻啓示軍(オフェンバーレナ)の襲撃を受けたときに拡張された知覚自体は、まだ機能しているように感じられるのだが、それで龍王の所在がわからないとなると、相当離れた場所にいるのかもしれないと江藤は不安で仕方がなかった。だから余計に焦るし、呆れるようなアイデアしか浮かんでこない。

「龍王も“壁”に向かっているのなら、存在を感知できると思っていた」

 ヴォルフの言葉に、江藤はどきりとした。もしかしてこの男は人の心が読めるのかもしれない、そういえば日本語の会話内容を理解するようだが自分では英語しか話さないな、と妙な想像が膨らむ。

「しかし、龍王の存在は全く感じ取れない。あるいは“壁”の存在がジャマーとして作用しているのかもしれないが、龍王がすでに“壁”の内側に入ったとも考えられる。啓示軍によって撃破されたという可能性も含めて」

 別の意味で、江藤は驚いた。ヴォルフは江藤が考えてもいないことに言及した。よってヴォルフは読心術の使い手などではない。だがヴォルフの言葉は一方で、ヴォルフが江藤と同種か、少なくとも類似する能力を持っていることを示唆していた。

「ヴォルフ、おまえ、わかるのか。機兵の気配のようなものを。相対バルムンク反応のパターン検出ではなく、生身の体で」

「いや、すべての機兵というわけじゃない。機兵に限るわけでもない。感知できるのは龍王やノイエトーター、フリューゲイルといった特定の機種だけだ。――信じられるだろうか?」

「ああ。信じよう。俺には、おまえが狂っちゃいないと確信できるだけの経験がある」

 静かな興奮を自覚しながら、江藤は深呼吸をする。

「俺は変則領域を感じ取ることができる。俺の場合も、変則領域すべてが対象というわけではないが」

 ヴォルフが息を飲む気配が伝わってきた。

「やはり、そうだったか。そういう類の力があるのではないかと、薄々感じていた。GT72鉱山基地で会ったときは、あそこにあったオルロフの気配を感じ取っていたのだと思っていたが、二度目に会ったときにそれが間違いだと気づいた。協力する道を選んだのも、実を言えばその感覚があったからだった。しかし、あなたは一体どういう……」

「わからん。なぜ俺にこの力が具わったのかは。八月の悪夢以来、わかったことより謎のままのことのほうが多い。同類探しも諦めて久しかった。それが、こんなところで出会うとはな。――ヴォルフ。おまえは“壁”から圧迫感のようなものを感じているか」

「圧迫感? 少し違うが、存在は遠くからでも感じ取れる。あの“壁”の発生も予兆の段階で察知できていたんだ。それで、長野の協力を得て事前にそれを阻止しようとした。しかし、結果は知っての通りだ」

 江藤は思い出す。雷麒麟を初めて見たあのときだ。追っていった江藤が赤いゾルダートの相手をしている間に、ヴォルフは探知圏外に姿を消していた。ヴォルフが自分たちを囮にして単機で“壁”発生阻止に向かっていたのだと、数日越しに江藤は真相を知った。

「“人形”か」

「違う。あのときのノイエトーターはおそらく動けなかった。護衛に残っていた機兵小隊に負けたんだ。啓示軍は各エスカドローンに優秀な装備と人材を揃えている。だから龍王もすでに撃破されたと考えるほうが妥当かもしれない。賭けになるが、“壁”への突入を優先したい。“壁”さえ消せば、元老院派が核を使う理由もなくなる」

 江藤は迷った。確かにヴォルフの提案は、選びうる道の中で最も期待値が大きいように思える。だが、それは古菅に預けた部下との合流を待たずに二機だけで敵地に乗り込む作戦だ。死の確率は高い。ヴォルフが手強いといったエスカドローンがふたつ待ち受けているのだ。そして"人形"、ノイエトーターもいる。頭越しに核弾頭を投下されて蒸発する可能性も残っている。

 どうして自ら戦いに赴くのかと、南田が問うていたのを江藤は思い出す。阻止しなければならないことがそこにあるからだと、江藤は答えた。今にして思えば、南田とてそれはわかっていただろう。わからなかったのは、自分が命を落とす可能性と、確定しつつある未来を変化させうる可能性と、そのどちらに秤が傾くかということ、その秤の性質の問題だったのだ。

 江藤は自問する。江藤博照という名の秤はどちらに傾くのだ、と。

「ヴォルフ、判断材料にひとつ教えてくれ。“壁”を放置するとどうなる。欧州事変と同じことが、この中央アジアを起点に繰り返されるのか」

「そうなるだろうと予想している。あれはおそらく、ベルリンのものと同様に……」

 遠方で爆発音がして、ヴォルフを遮った。音源は前方。

「さっきの部隊か」

 江藤は雷麒麟を丘の頂に駆け上がらせ、白く煙る遠景のなかに炎の耀きを見た。車輛が炎上しているのだ。

 相対バルムンク反応をはじめ、各種センサーをチェックしてみたが、前方の部隊を攻撃したエントゼルトゾルダートの存在を示す結果はひとつもない。江藤はヴォルフに意見を求める。

「昼間の新型ゾルダートは、バルムンク砲の要領で変則領域を排除して、バロッグ内での戦車砲の使用を可能としていた。それだと思うか?」

「こちらで掴んでいるスペックでは、トロイパペゾルダートの主砲射程はせいぜい二キロメートル。その距離なら牙黒鷲で感知できる」

「なら、地雷か。噂の化け物は火器を使わないようだしな」

 暖炉の谷は中心に近づくほど地形が険しい。装甲車輛が通れるルートとなると自然に少数に限定されるから、地雷を効率的に使用することができる。もっとも、機兵ならそのようなわかりやすい道は避けて通るし、いざ地雷原に突っ込んだところで、容易に脱出可能だが。

「江藤少佐。どうも様子がおかしい」

 言いつつ、ヴォルフの牙黒鷲は雷麒麟を追い越して斜面を下っていく。

「おい、どうする気だ。あれを助けようというのか?」

「援護してくれ。戦いをやめさせる」

 戦いをやめさせる。江藤は言葉を聞き違えたかと思った。地雷相手に戦いという表現はないだろう。地雷撤去なら闘いと呼べるだろうが、そのような意味でないのは確かだ。それとも、やはり啓示軍の機兵が迎撃に現れたのか。

 答えが見つからないままヴォルフに続いた江藤は、第二、第三の炎が上がるのを目撃して、ヴォルフの指摘した異状を理解した。

 元老院派の部隊は、味方同士で撃ち合っていた。



- 10 -


 イルベチェフの指示により暖炉の谷北辺に向かったユリウス・I・タマリアノフは、そこで元老院派の足止めを受けていた同胞を無事に招き入れ、その車列を引き連れて帰路を急いでいた。

 バロッグ内で部隊間の連絡に支障があることと、イルベチェフがマヒロフスキーから受け取った共闘態勢の念書を見せることで、同胞を自由にするのは案外難しくなかった。元老院派は北熊(セヴェルメドヴェーチ)の車輛の通行を妨害するのも飽き飽きしていたらしく、任務が変更されたと言ってやった途端にあっさりと封鎖を解除したのだ。実力行使を想定していたタマリアノフは、彼らの緊張感の無さ、そして怠慢ぶりに拍子抜けした。

 もっとも、やる気が感じられない点では北熊の同士たちも同じことだった。ダスマ中将の肝煎りでここまで派遣されながら、無愛想な岩しかない場所で元老院派に足止めを食っていたのだから、気が萎えてしまうのも理解できなくはない。しかしタマリアノフは彼らの様子に危惧した。彼らが戦場に近づくのを厭(いと)い、引き返したがるのではないかと。そのためこれは北熊の栄誉ある作戦の一部だなどと出任せを吹聴してみたのだが、それが功を奏したのか、彼らは特に不平を言うでもなくタマリアノフについて来た。

 今、タマリアノフはバロッグの中を南下している。仲間の龍と二機で車列を護衛し、バルムンクフィールドにより車のエンジンをバロッグの災禍からも守りながら、元老院派の部隊との接近を避けつつ進んでいる。正直、神経が磨り減る。タマリアノフは何度、東の通常領域まで大回りしようと考えたかわからない。だが、従事している任務が元老院派の司令官マヒロフスキーの了承を得ていない以上、イルベチェフのもとまでは人目を忍んで行かねばならない。――そのように、僚機のジーナ・S・ゲルスカヤにたしなめられつつの道程である。

 しかし、タマリアノフはストレスばかりを感じているのではない。出発前、元老院派に何か掠(かす)め取られてはいないかと輸送隊の荷物を検(あらた)めたところ、イルベチェフを驚かせるような思わぬ収穫がそこに収められているのを発見したのだ。あれを見れば、きっとイルベチェフは大喜びする。そしてそれを無事に護送したタマリアノフの株も上がるはずなのだ。よって、いかに行進がストレスに満ちたものであっても、タマリアノフは先に進むのが楽しくてしかたがない。

「いくら隊長でも、こんなプレゼントは予想していないだろう。ダスマ中将の部隊が、まさかマトゥモトフ少将管理下のこれを運んでくるなんてな」

 並走する大型車輛を見下ろしながら、タマリアノフはジーナに映像通信で話しかけた。

「気楽なものね。これを届けられたということは、さらに困難な任務を命じられたのと同じこと。わかっているの」

 普段は表情に乏しいジーナに呆れ顔をされ、タマリアノフはむっとする。

「隊長にとっては名誉なことだ。そして、その部下である俺たちにとってもな。違うか、ジーナ?」

「あなたの言いたいことはわかるけど、それを口にすべき時じゃないと言っているのよ。私は元老院派の動きが気になって仕方がない。さっきから何度か彼らに見つかっているはずなのに、どの部隊も私たちに構うこともなく、みな暖炉の谷の方角を目指している。こっちは機兵だから相当目だっているはずなのに。――それに、この同志たちの輸送している機材だって、よくわからないものが多い。いったい、ここで何が起きようとしているの」

 ジーナは何かを深く考え込んでいる。タマリアノフは笑った。

「例の積荷を見れば、そう考えることもないだろう。目的は一目瞭然だ」

「あなたは見たいものだけを見ている。それでは隊長のようにはなれない」

「そんなことは……」

 むきになって反論しかけて、タマリアノフはジーナの言うことにも一理あると考え直す。

 そもそもタマリアノフは味方を引き入れて来いと言われただけで、その同胞がどういう任務でここへ来ているのかは知らなかった。黒龍隊を北部方面軍轄区まで連れて帰る輸送や護送の部隊だろうかと漠然と考えていただけだが、蓋を開けてみれば、運ばれていたのは主にコンテナだった。コンテナは空だったが、とても人を入れるようには見えない代物だ。おまけに、予想外の収穫となった特別な積荷も、たしかにイルベチェフは喜ぶだろうが黒龍隊の隊員を連れ帰るには必要のない物だ。従事している任務の内容と送られてきた増援のギャップとに、疑問を抱くのが当然であるのかもしれない。

「――しかし、だ。元老院派がやけに急いでいるのは、ひとつしか理由がないだろう。“壁”を突破する目処(めど)をつけたんだ。となれば、あの積荷は大尉にとって必ず助けになる。ついでに元老院派に貸しも作れる」

「都合のいい面だけを見ても、しかたがない。私は……」

 言い挿したジーナの顔がこわばった。タマリアノフはその原因に気づく。進行方向のやや右方に、黒い煙が立ち昇っている。油の燃えた煙だと、経験上すぐにわかった。

「戦闘か」

「――違う。終わったあとよ」

 各種センサーの探知結果から、タマリアノフも同じ結論に至る。しかし、その後の行動案は割れた。

「救助が必要かもしれない」

「元老院派に関わっている場合か」

「あの様子では私たちの妨害なんてできない。助けられる命は助けるべきよ。北熊の同胞でなくとも、あれは同じ亜細亜連邦の……いえ、同じ人間なのよ」

「ここを敵が通ったってことは、隊長のいる司令部付近に奴らが迫っているかもしれない。事態を見たいようにだけ見ているのは、誰だろうな」

「タマリアノフ!」

「怒るなよ。ちょっと言ってやりたかっただけだ。いくらでもある可能性を論じて、目の前の確かな事実を軽視する気はないんだ。ちょっとの寄り道くらい、大丈夫だろう」

 先頭を行くタマリアノフは、進路を黒煙のほうに向けた。

 燃えていたのは、装甲車とトラックが一台ずつだった。他の多くの車輛は炎上を免れていたが、その半数は横転していたり、車体が大きく穿たれたりしている。地面に濃い染みを作って転がっている死体がその合間にいくつか見え、トラックのフロントガラスには蜘蛛の巣状のひびや血痕があった。

「友軍だ。生きている者はいるか」

 外部スピーカーで呼びかけながら、タマリアノフは生存者の姿を探す。しかし、通信やスピーカーによる返事はない。タマリアノフはジーナに訊ねた。

「降りなきゃ駄目か」

「そうして。こちらは先に消火を済ませる」

「了解」

 視線を通信モニターから正面に戻し、タマリアノフは短く「あっ」と叫んだ。死体だと思っていたものがひとつ、動いたのだ。処置すれば助かるかもしれない。

 龍の腰を下ろし、タマリアノフは備え付けの救急キットを携えてコクピットを出た。煙の異臭が鼻を突いたが、急いで乗降用ワイヤーを手繰り出し、地面に下りる。

 銃声を聞いたのは、一歩を踏み出したそのときだった。

 単発ではない。機関銃の連射だった。タマリアノフは慌てて龍の脚に身を寄せる。龍への着弾箇所から、発射元はすぐに逆算できた。原形を留めたトラックや装甲車があった方向だ。他に生き残りがいたのだろう。敵ではない。とにかく撃ち方がでたらめで、撃ち手が心身のいずれかに傷を負っているのは明らかだった。

「撃つな、味方だ。助けに来たんだ」

 叫んでみたが、銃声は止まなかった。

「何が起きたの、タマリアノフ」

「頭のどうかした奴が、銃を乱射してる。どうにかしてくれ。横転してないトラックの陰だ」

「わかった」

 すぐに、ジーナの龍の足音が近づいてくる。着弾音が遠のいて、憐れな兵士がジーナ機に機関銃を向けているのだとわかった。しかしそれも、ほどなく途絶えた。錯乱した兵士が何か喚く声がする。

「取り押さえたわ」

「助かった」

 胸を撫で下ろしたタマリアノフは救急キットを持ち直し、出血し倒れている兵士に向かう。ちょうどそこはジーナの龍が影を作っていた。タマリアノフが駆け寄って処置を始めると、唐突に直近で爆発音がした。そして自分の入っていた影が消え、大きな振動と音がタマリアノフを襲う。ジーナの龍が、装甲車を下敷きに倒れたのだ。

「ジーナ!」

 ただの転倒でないことは、爆発音が物語っている。タマリアノフは兵士のそばを離れ、銃を構えながら周囲を見回す。そして見つけた。ロケットランチャーを担いだ兵士の姿を。そして最悪なことに、それはひとりではなかった。

 ジーナ機を撃った兵士は空になったランチャーを捨て、腰から拳銃を取り出そうとする。同時に後ろから寄ってきているもうひとりが、別のランチャーを構えている。

「くそったれ、味方だって言ってるだろうが! 見てわかんないのか!」

 タマリアノフは手にした銃で手前の兵士を撃った。弾は太腿を貫き、兵士はうめき声を上げて地面を転がるが、殺意を抱いたまなざしがなおタマリアノフを突き刺している。

 ――こいつ、さっきの奴と様子が違う。

 ただ錯乱しているのとは違う、別種の狂気をタマリアノフは感じた。それで身が竦(すく)んでしまったことが、タマリアノフには災いとなった。後方の兵士がロケットランチャーのトリガーを引く。狙撃が間に合わない。飛来したロケット弾がタマリアノフに迫り、その頭上を飛び越え、そして斜め後方の龍……タマリアノフの乗機の腹に突っ込んだ。再び派手な爆発音。開け放しにしていたコクピットが、大破したのは明らかだった。

「なんなんだ、おまえらは……」

 返事どころか、反応が一切ない。後方にいた兵士はランチャーを捨て、どこかへ走り去る。が、タマリアノフがジーナの無事を確かめているうちに、戻ってくる気配があった。装甲車が動き出す音がする。

 タマリアノフは切れた。

 装甲車は、転倒した他の車輛のせいでなかなか発進できない様子だった。その隙に操縦席に乗り込んで制圧するという方法もあったのだが、タマリアノフは迷わず別の方法を選んでいた。龍で来た道を全力疾走で引き返す。百メートルもないところに、北熊の輸送隊の車列を待機させていた。

 タマリアノフは車列の中の一台に取り付いた。最初からその車……二二式機兵搬送車乙型だけを目指していた。窓越しに車内の男を呼び、荷台のロックを解除しろと怒鳴る。男は緩慢な動作で頷くと、言われたとおりに後部の荷台を開放する。

 ――爆発があったんだぞ。なぜ気づかない。

 考えられない同胞の態度にタマリアノフはそう叫ぼうとしたが、やめた。言っても、その言葉の意味が通じないのではないかと思えたからだ。

 沈黙のうちに怒りを燃やして、タマリアノフは後部の巨大な荷台に乗り移る。緊急開放の操作を行うと、荷台の壁や天井がスライドを始め、あっという間に簡易の機兵整備ベッドに姿を変えた。そしてそのベッドの上には、一体の機兵が横たわっている。龍ではない。龍王でもない。龍をベースとして北熊が独自に開発を命じた試作機、ドラコーン。

 タマリアノフはドラコーンに乗り込むのを一切躊躇しなかった。イルベチェフのためにと名指しで送られてきた機体ではあるが、ここで起動させなければあの狂った連中に機体を壊されてしまうのだ。それに自分とジーナの命も危ない。

 コクピットの仕様はおおむね龍と同じ、規格どおりだった。ソフトウェアがだいぶカスタマイズされているが、基本操作には支障がない程度の差異のようで、タマリアノフは武器の装備までの準備をスムーズに終えることができた。満を持して立ち上がる。

 初めて動かすドラコーンの動きは軽快だった。さっきまで乗っていた新品の龍よりもずっと反応がいい。タマリアノフは数歩をゆっくりと歩ませ、そして操縦に問題がないのを確かめると、いっきに煙のところまで跳んだ。

 ドラコーンの着地の衝撃で、タマリアノフが使っていた龍が倒れる。ジーナの龍も、まだ倒れたままだ。どうやら制御系がいかれたらしい。一方で狂乱兵の装甲車はもう動き出しており、タマリアノフがそれをロックするのと同時に、その車体上面の機関砲がドラコーンに向けられた。

 横に転がって、ドラコーンは銃撃をかわした。思わぬ回転を強いられたタマリアノフは動揺する。ドラコーンの装甲に信頼がおけなかったので咄嗟(とっさ)に回避を選択したが、転がってよけるという離れ業(わざ)はタマリアノフの意図したものではなかった。タマリアノフの回避という意思を操作から読み取って、ドラコーンが勝手にやったのだ。

 動転して反撃をしそこねたため、装甲車はさらに攻撃を仕掛けてきた。機銃座、および身を乗り出した歩兵のグレネードによる同時攻撃。タマリアノフはブースタージャンプでそれをかわすべく、操作した。結果、ドラコーンは驚くべき瞬発力で空中に跳び上がったかと思うと、ロックオン対象である装甲車の真上で止まるように自動で制動をかけ、武器使用可能のサインをタマリアノフに示した。選択肢は二つ。火縄と、ドラコーン専用に改造された雷紫電。

 兵士たちを生け捕りにするなら、間違いなく雷紫電を使うべきだった。放電出力を設定していないので、手加減できずに感電死させるか焼き殺してしまう可能性はあったが、火縄を撃てば間違いなく彼らは死ぬ。

 タマリアノフは選択に躊躇しなかった。雄叫びを上げながらサブマシンガンを真上に撃つ兵士が見えたが、何を感じるでもなくタマリアノフは操縦桿のトリガーを引いた。火縄が数メートルの至近距離で火を噴き、爆風が兵士をどこかに吹き飛ばし、中心に砲弾を撃ち込まれた装甲車は痛みに喘(あえ)ぐように跳ねた。

 ロケット噴射により短時間滞空したドラコーンの視点でそれらを見届け、タマリアノフは装甲車から離れた場所に着地。そしてふりかえり、もう一発を装甲車に放った。

「異常者の排除、完了」

 タマリアノフの見下ろす視界に、動くものはなくなった。たったひとつの例外が、装甲車から弾(はじ)けとんで転がっていくタイヤだったが、それも何かにつまずいて倒れ、動かなくなる。タイヤがつまずいたのは、兵士の死体だった。ついさっきまで、生きていた。

 タマリアノフはドラコーンの機体管制システムを呼び出し、機体にダメージはなく戦闘機動に支障がないこと、電池の残量はじゅうぶんにあることを確認した。そして、忘れかけていたことに気づく。

「隊長にこれを届けないとな……」

 タマリアノフは南を目指し、フットペダルを踏み込んだ。コクピットで聞くドラコーンの歩行音は、龍のそれと比べて柔らかい。

 駆動音に雑じって何かが聞こえることにタマリアノフは気がついた。しかし、何の音なのかわからない。わからなくてもいいだろう、と思う。このドラコーンが動いているのに、他に何かを知る必要性は感じられなかった。

「――いや、足りないな。足りない。そうだ、そうだ。狂った元老院派の連中に制裁を加えてやらないと。そうでなきゃ、北熊の真の一員としては認められない。イルベチェフ大尉のようにはなれない」

 理由もなく味方を平気で攻撃してきた元老院派は、やはり狂った連中に違いない。亜連のために排除すべき者たちだ。タマリアノフは、自分の考えが間違っているはずがないと自信を持つ。そしてドラコーンの戦闘能力にも。

「――停まりなさい、タマリアノフ少尉。停まるのよ! ユリウス・イヴァニヴィチ、聞こえないの!?」

 柔らかなノイズが少し大きくなったようだったが、タマリアノフは気に留めなかった。



- 11 -


 目の前に飛び出してきた化け物の首を雷麒麟の右手が掴み、鋭利な指先で締め上げながら、左手に持った火縄で胸部を打ち抜く。力の緩んだ化け物の体を蹴倒して雷麒麟は前へと進むが、そこへまた別の化け物が襲いかかってくる。

「ヴォルフ、こいつらは乗俑機でもロボットでもないな」

 小型の一体を踏み潰し、中型の鉤爪攻撃を受け止めながら、江藤はヴォルフの牙黒鷲を呼んだ。ヴォルフもまた、化け物を倒しながら突き進んでいる。

「ああ。俺にも化け物(モンストゥルム)という言葉しか浮かばない。しかし幻想ではないのだから、すべて蹴散らして進むしかない」

「ああ、そこが厄介なところだ。――後ろ!」

 牙黒鷲の背後から、大型と中型の化け物が迫っていた。俊敏に向き直り、大型の突進を盾らしき装備で受け止めた牙黒鷲は、右腕に括りつけるようにして携行していた巨大な砲でゼロ距離射撃を反撃に見舞った。見慣れない形の砲でどういう仕組みなのか江藤にはわからないが、その威力は火縄の比ではなく、もう一体の中型の化け物もその余波で体を引き裂かれてしまった。

「助かった」

 礼を述べつつ、ヴォルフはさらに正面の化け物三体を粉砕する。しかし、それでも周囲の化け物は全滅しない。加えて、遠くから六体ほどが接近してきている。

「こいつら、いつまで湧いて出る気だ」

 腕に食いついてきた小型の化け物を振り払い、それを爪で切り裂きながら、江藤は唸る。

「すべて倒している暇はない」

「ああ、わかっている。時間がない」

 江藤の脳裏に惨状が甦る。ここに至るまで、江藤とヴォルフはいくつもの部隊が同士討ちで壊滅しているのを見てきた。あまりにも多くの人間が無意味に死んでいた。それでも何割か生き残っている者もいたが、皆、どこかおかしくなっていた。大別すると症状は二種類だ。極端に積極性を失い一切の感動を失っている者と、思考の視野狭窄(きょうさく)に陥り極端な攻撃衝動に駆られた者。発症と同士討ちのどちらが先に起きたのかについて、江藤とヴォルフの解釈は一致した。そしてそれが、江藤の問いに対するヴォルフの答えでもあった。

 啓示軍(オフェンバーレナ)が欧州を支配している事実の裏にあるものを、江藤は知ったのだ。

「突っ切るぞ、ヴォルフ。そしてあれをぶっつぶす」

 化け物の背後に広がる、深くて異質な変則領域。近づきすぎて、目にはもう濃霧にしか見えないが、江藤はそれを文字通りに巨大な壁として認識できていた。

 間近の化け物をすべて片付けたふたりは、どちらからともなく、機兵の肩を並べて立つ。

「Get set…」

「Go!」

 雷麒麟と牙黒鷲はそれぞれエアインパルサーを起動し、さらにロケットエンジンによる加速も交えた速力で一斉に駆け出した。一陣の風と化した江藤とヴォルフは、化け物の群れの間を吹き抜け、そして深い変則領域の霧の中へと消えて行った。



――続く――