Wezverd Fragments

#002 “ザック”



「父さんはお人よしだから、真実に気づかないんだよ!」

 そう言い放って、自分の部屋に閉じこもる。追いすがる足音は父のものではなく、毎度の如く仲裁を試みる母のものだった。

 まったくもって、いつもどおりの展開。母はこちらの反応が無ければ四半時で説得を断念するし、こちらから出て行かないかぎり父が話しかけてくることはない。本日この後のシナリオも、おおよそは型どおりに進むのだと、ザックにはわかりきっていた。

 現役の研究者である両親にとって、自立心を持ちはじめた息子などは面倒な存在なのだ。さらに、近くドイツに出張するのだという両親は、研究所の仕事を家にまで持ち帰っている。だから、ザックがニュースを話題に自論をぶってみせても、感心してくれるどころか、うるさそうに口を閉じさせようとするのだ。だいたい父は昔から頑固なのだ。なかなか息子の主張を理解しない。しかし……。

 ザックは窓に映った自分の姿に落胆する。十四歳にして父親を乗り越えた立派な男の勇姿などそこになく、額に絆創膏を貼っている非力そうな少年が佇んでいるだけだ。――そう、毎度毎度同じセリフを吐いてこの部屋に退散している自分の情けなさも、第三者からは明らかなことなのだろう。

 ザックは絆創膏を剥がそうとして、痛みを感じてとどまった。まだ傷は治りきっていない。あの警官め、と加害者の顔を思い出そうとしたが、制服ばかりが印象に残って、顔の像が浮かばない。

 窓際から机に移動し、引き出しから取り出した鏡で、改めて額を観察する。共にデモに参加した級友からは負傷を笑われたが、よくよく見ると、これはのちのち名誉の傷として恰好がつく類のものかもしれない。上手い具合に、完治せず跡が残ってくれないものだろうか……。ザックはちょっとした英雄扱いの自分を想像しながら、ドア越しの母の言葉を聞き流していた。

 規定どおり十五分が経過し、母は溜め息を残していなくなった。静寂を勝ち取ったザックは威勢よくベッドに身を投げて、枕もとのノートパソコンを起動する。一日一時間だけ許された、インターネットのお時間だった。

「『蓄力機関搭載の大型スペースプレーン建造計画、EUも参画を表明』か」

 ザックは毎日チェックしている情報サイトのヘッドラインから、気になった記事を読み上げてみる。

「へっ。六年前の凶行を隠蔽したまま、悪事の産物の技術を利用して宇宙に行こうってのか。――それにしても、そもそもの発起人があれの最大の被害国なんじゃあ、皮肉にもほどがあるってもんだよ。科学者の陰謀にまんまと乗せられるような政府じゃ、亜細亜連邦の市民もたいへんだ」

 独白した文章をそのままサイトの掲示板に書き込んでいると、そこへEメールが届いた。起動時に受信トレイをチェックしたので、リアルタイムに届いたことになる。なんとなく嬉しくなって、掲示板への書き込みを中断してメールブラウザを開く。

    <会員UK031A209へ>
    かつてない好機が訪れた。
    かの貪欲で傲慢な科学者たちの罪を、
    あの悪夢の引き金を引いた咎を、
    我々の手で明らかにしよう。
    裁きの日は近い。
    協力を惜しまぬ同志諸君には、
    追って計画の仔細を連絡する。
    意志の表明とともに、
    我々の証の言葉を返信されたし。

 三度その文面を読み直し、たった二行の返信を送ったのち、ただちにザックはメールを削除した。

「今度こそ……。今度こそは」

 額に手をやって、絆創膏を勢いよく剥がす。

「俺は世界を救う英雄になるんだ」



 二〇〇五年四月三日。

 「八月の悪夢」の生んだ特異な物理現象や、それによって生み出された新技術について、ドイツのボンで国際科学シンポジウムが開かれた。これは、財閥系の企業ばかりが情報を握っている事態を憂慮した学者らが、一般市民への情報開示の推進を企図したものだった。

 だが、これを作為終末論者に煽動された市民が暴徒化して襲撃し、これに一部の警察も荷担したため、シンポジウム出席者の多数が死傷。また、会場の建物が放火され、貴重なサンプル類も多く失われる結果となった。

 ボン事件、あるいはマスコミでしばしばボンの惨劇と呼ばれる。



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