Wezverd Fragments

#007 “ルフィーナ”



 ルフィーナはモスクワの澱んだ空を飛んでいた。亜細亜連邦軍の戦闘機、Su-42のコクピットに収まり、血管を圧迫する三次元のGに耐えながら、しかし決して操縦桿を離さず、目を見開いて。

 スピーカーから鋭い警報音。視界の隅で閃光。ルフィーナは操縦桿に指圧で旋回方向を入力。指令を与えられたSu-42は、動翼と推力偏向ノズルをフルに活用して急速旋回。対空砲火を回避し、身を捩るようにして地面に向けダイブ。反撃は後方の僚機に任せ、キャノピーの外を流れ行く街並みのなかに輸送ヘリを発見したルフィーナは、ロックオン直後にすかさずトリガーを引く。機銃弾を受けた輸送ヘリが姿勢を崩し、ビルに衝突して爆散するさまを目撃したのは、再び高度を取って戦場を見渡したときのことだった。

 このような機動は今時の戦闘機のやることではない。しかしルフィーナは、さきほどからこの反復を強要されている。ミサイルをまだ二発撃たずに温存し、有視界での機銃攻撃でヘリボーン阻止に専念しているのは、なんとも歯がゆい状況だった。わざわざ的を演じているようなものだから、当然、のべつ対空砲火が襲ってくる。いくら機動性の高いSu-42であっても、自ら火線に飛び込んでいるのでは、それらを回避し続けることは難しい。早々にミサイルを撃ち尽くして帰投したいという発作的衝動に駆られるのだが、ミサイルを撃つべきときは厳密に定められている。勝手には撃てない。ルフィーナはいまだ、本来の目標を捉えていないのだ。

「早く出て来い、“人形”」

 ルフィーナは次の獲物を――大物をおびき寄せるための餌を狩りに行く。


*   *   *   *   *


 市街戦が開始されたモスクワの市街は、あちこちで建物が倒壊し、炎上している。死傷者が大量生産されている証だ。しかも悪いことに、市内にはまだ、避難できなかった市民が多勢残っているはずだった。

 啓示軍(オフェンバーレナ)は無辜の住民にも手をかけるだろうか。ルフィーナは索敵の合間の刹那そんな感傷に浸り、そして友軍の劣勢を認めている自分に腹を立てる。

 ――まだ、負けが決まったわけではない。

 そうは思うものの、しかし、亜連側がすでに制空権を喪失したのは紛れもない事実だった。欧州方面軍の空軍はこの戦いの前に航空機の過半を失い――そうでなければモスクワを戦場になどしなかった――、ミサイルと連動する防空レーダーは二日前から変則領域の影響でまともに動作していない。つまり防空網は穴だらけなのだ。ルフィーナと同時に飛び立った欧州方面軍虎の子の飛行隊も、短SAMや自走対空砲の弾幕に晒されて被害は甚大である。この調子では帰投は半数も叶うまい。

 本来フリューゲイル撃墜に従事するはずだったルフィーナたちが、予定を違えてモスクワ上空――すなわち敢えて戦闘機に不向きな戦場へと送り込まれたのは、戦術レベルでの作戦変更の結果である。輸送機フリューゲイルの侵入阻止よりも“人形”の撃破こそが勝利への確実な道であると、戦端が開かれる直前になって、統監部がそう判断を下したのである。変則領域のおかげで“人形”の探索が困難になった以上、下手に戦力を分散せず敵の目標地点でこれを待ち受けるのは、稚拙だが確かに合理的な判断ではある。“人形”を早期におびき出し、残る航空戦力のすべてを賭してこれを殲滅、最低でも飛行能力を剥奪する、というのが今作戦の要項だ。目的は単純。しかしその実行が著しく困難。

 実際、進捗状況は芳しくない。“人形”の発見報告を待つことなく、僚機のなかには損傷を負って脱出するものが出始めているし、ルフィーナの機体も被弾こそしていないが、機関砲の残弾が危うい。大事に抱えている対“人形”用の高性能ミサイルも、発射前に対空砲火で穴を開けられるのではないかと、ルフィーナは心配になってきた。

「B(ブラボー)4! ヴィクトレンコ少尉! S(シエラ)が出た。四時方向、距離十二マイル、高度一六〇〇フィート。レーダーキラーが来る。遮断しろ」

「了解」

 とうとう来た。

 返信を吹き込むが早いか、機体のレーダーシステムをアクティブ、パッシブともに完全停止。散開しつつ、目視にて“人形”を探す。もっとも、たった十二マイルにまで肉薄されていたのだから、それは容易なことだった。

 “人形”は迫り来るミサイルをかわしながら、なおもモスクワに向かって前進していた。曇天の中、銀色に光り輝くその機体は、もはや隠れようという意図は持っていないようだった。護衛の戦闘機は、視認できる範囲では見当たらない。

 ルフィーナはミサイルを一発、翼下から切り離して発射した。レーダーを落としたためミサイルの初期誘導も映像認識に頼っているが、狙う相手は非常に目立つから心配しなくていい。地面に逃げられると当たらないが、そのときはそれで目的が達成される。這いつくばらせることさえできれば、T-99の強力な主砲が守るクレムリンに“人形”は近づけない。

 目標を違えず、ルフィーナの放ったミサイルは“人形”に猛進する。いや、それは“人形”に向かう数十条の軌跡のたったひとつでしかない。モスクワ上空に集まっていたSu-42やSu-35が、今やあれを落とすべく一斉に集結しているのだ。

 かつてこれほど多くのミサイルが同時に、しかも単一の目標に対して発射されたことがあっただろうか。いかに“人形”といえど、この攻撃をすべて回避することはできまいと、ルフィーナはにわかに作戦の成功を確信する。

 ――しかし。

 “人形”は、まるで空中に足場でもあるかのように軽やかに舞い、ミサイルの第一陣をすべてかわす。続いて到着したミサイル群はより正確に目標を狙ったが、それらの半数は迎撃され、残る半数は何の魔法にかかったか、獲物に喰らいつく前に乱心して、あらぬ方向へと飛び去る。回避された第一陣が旋回して、第三陣とともに執拗に目標を追い込むものの、“人形”のもつ槍によって薙ぎ払われ、次々に脱落していく。

 “人形”はすべてのミサイルを回避し、なおもモスクワに向け東進を続ける。

「隙を与えるな。上から回り込む」

 さきほど発見報告をくれた仲間が、再アプローチの軌道から外れて旋回する。ルフィーナと、近くにいた友軍機二機がそれに続いた。本来指示を仰ぐべき編隊長は、どこに行ったかわからない。

 第四陣の成否を見届けることなく、四機のスホーイが天へと駆け上る。低高度では、“人形”の反撃を逃れた仲間たちが残存ミサイルと機関砲で“人形”を足止めしている。“人形”を狙うべく待機していたモスクワ市内の対空ミサイル部隊も、そろそろ目標を射程に収める頃。次の全方位波状攻撃で、決着をつける。ルフィーナは歯を食いしばってGに耐えた。

 天地逆転。

 急転直下、四機のスホーイは頭上から“人形”に襲いかかる。この角度からでは“人形”の姿が市街地の風景や熱源に紛れやすくなるので、映像認識や赤外線探知による初期誘導は信用できない。ミサイルに搭載された終端誘導装置が機能を発揮するまで、新開発の相対バルムンク反応(RBR)センサーを利用した誘導を実施してやることになるが、これはすなわち、そのときまでRBRセンサーを内蔵する機首を目標に正対させることを意味する。“人形”の槍に切り裂かれに行くようなもので、危険なのは言うまでもない。しかしこのことは、入念に行われたブリーフィングで打ち合わせ済みの内容だった。実行をためらう者など、この空にはいない。

 最も有効な発射距離については、みな知悉している。ルフィーナが翼下のミサイルを発射すると、示し合わせたように四、五発がそれに加わった。それらは重力に目一杯の加速を加えて、“人形”を目指す。

 目標と、そして地面との距離がぐんぐん縮む。四方からの攻撃に晒されている“人形”に、こちらに気づく余裕があるか。汗が出る。

 いまだ直撃弾がないのか、“人形”の動きには鈍りがない。地上からの支援砲火が実施されているのかどうかは、よく見えない。このミサイルを終端誘導に乗せたとして、果たしてそれで撃墜できるのか。ルフィーナの不安は高度と反比例して増大していく。

 時間にして、何秒だっただろうか。ミサイルは終端誘導に移行し、ルフィーナは機首を引き起こす。最後の瞬間、こちらを見上げた“人形”の赤い目が網膜に焼きついた。

 ――当てた。命中した。

 その瞬間を目撃はできなかったが、ルフィーナには確信があった。“人形”に回避運動や迎撃行動をとる余裕はなかった、腕の一本は確実に吹き飛ばしたはずだ、と。

 そこで快哉を上げたい気分を我慢して、とにかく機体の引き起こしと急速離脱に専念したルフィーナの選択は、正しかった。右翼の舵が、突然利かなくなる。即座にオートマニューバに切り換えて、推力偏向ノズルによる飛行姿勢維持を試みるが、効果を確かめる前に左舷エンジンに火災が起きた。原因は、管制画面を見るまでもない。機関砲の着弾だ。もし姿勢変更が遅れていたら、コクピットをやられていた。

「こちらB(ブラボー)4。被弾により作戦続行不能。空域を離脱する」

 宣言の片手間、火災を起こしたエンジンへの燃料供給をカット。覚悟していた止めの一撃は、来ない。双発のSu-42は片肺でも帰投可能であるから、脱出シートのレバーを引く必要はない。

 主翼の機能停止とエンジン火災が“人形”の反撃によるものであれば、ルフィーナたちの死力を尽くした攻撃は失敗だったことになる。事の成否と仲間の安否が気にかかり、キャノピー越しに背後の空域をふりかえってはみたが、いずれも確認することは叶わなかった。

 ルフィーナは正面に向き直り、気持ちを切り換えた。ここはまだ、啓示軍の対空砲火が届く。脱出のために市の東側、まだ勢力圏と呼べる領域に入らねばならない。

 操縦桿の左側面に圧力をかけ、右に旋回。翼が片方動かないせいで幾分大回りになったが、針路変更に成功する。まだ硝煙の立ち昇っていないタガンスカヤ広場を眼下に捉え、ルフィーナは小さく溜息をつく。

 そのとき。

 Su-42の前方を、左上方から右下方へと横切る、銀色の機体があった。飛行機ではない。――もっとも、従来のこの語の定義を頑なに守るなら、という条件付きで、そう言える。それはタイフーンやラファールといった翼ある戦士たちではなく、現代の矢たるミサイルでもない。シルエットは人型――人形だった。

 警告。相対バルムンク反応、レベルA超過。計測不能。

 ルフィーナはシートの射出レバーを引いていた。それは無意識にこの敗北の瞬間に対して構えていたのではないかと自らを疑うほど、ロスのない、すばやい対応だった。キャノピーが排除され、露になったコクピットからロケットモーターの力でシートが射出される。迂闊な姿勢では首の骨を折るという苛烈なGがルフィーナを襲う。

 急降下攻撃のときに比べれば、その時間は短く感じられた。ロケットモーターの噴射が終わると、ルフィーナの体は空気の圧迫と重力によって下降に転じ、シートに備わったパラシュートが展開する。

 ――モスクワ陥落は時間の問題。

 改めて市街を鳥瞰したルフィーナは、実際の戦況は機上での判断よりもさらに厳しいのだと気づかされた。地上で友軍が張っていた防衛線は、ブリーフィングで頭に入れていた位置から明らかに後退している。いや、もはや抵抗は線をなしていないのだ。砲撃を受けたのか、ボリショイ劇場が炎上しているというのに、消火活動が見られない。子供の頃、父に連れて行ってもらった思い出の場所が燃えていく……。

 劣勢は空においてもまた然りだった。“人形”を狩るべく飛び立った戦闘機は、もうモスクワ上空にはほとんど見当たらない。撃墜されたのか、離脱したのか。ルフィーナ同様に脱出したらしいパラシュートが散見される。

 総崩れだった。

 ロシアが、祖国が失われていく。

 ルフィーナはクレムリンに啓示軍の旗が掲げられるさまを想像して、歯を食いしばる。

 せめて“人形”さえ落とせていれば。そう悔いる反面、あれ以上どうやりようがあったのかと弁解したい気持ちもある。欧州方面軍の残存するスホーイが総力で当たったのだ。非現実的なほどの“人形”の強さの前に、果たして何者が対峙しうるというのか。

 そのとき、空気を裂く音が襲ってきて、直後に頭上から破裂音が聞こえた。失われる安定。増加する落下速度。狙撃を受けたパラシュートに穴が空いたのだ。

 まだ高度がありすぎる。減速効果はまだ一応得られているが、路面や建物の上に落ちては命が危ない。しかし今更コントロールのしようもなく、ルフィーナは己の命運を風に任せるしかなかった。

 行く手に公園の緑地が見える。せめて、あの樹の枝をクッションにできれば……。しかし、あと少し届きそうにない。

 着地の少し前、何か巨大なものがルフィーナの下方を通過した。パラシュートがその何物かに接触し、ルフィーナの体はシートごと振り子のように円周運動をして、そこでシートの拘束具が外れる。水平方向に新たな速度ベクトルを得た状態で、ルフィーナは空に投げ出される。視界が目まぐるしく変化するなか、ルフィーナはちらりと赤い光を見た。


*   *   *   *   *


 ルフィーナは目を覚ました。

 空はあいかわらずの灰色を呈している。しかし、火薬や油の臭いが薄い。砲声もジェットエンジンの爆音も遠い。人々の悲鳴が聞こえない。何より大きく聞こえるのは、自分が乗せられている自動車のエンジン音と、路面とタイヤとの摩擦音だった。

「私は……」

 声を出すと、胸が苦しかった。

「気がついたかね、軍人さん」

 ルームミラーに写った運転席の男と目が合う。男はルフィーナが質問を始める前に機先を制した。

「あまり喋らんほうがいいかと思う。俺は医者じゃないからきちんとした見立てはできんが、どうもちょっと臓に来ているな。肋骨が折れておるかもわからん」

「私を、どこで」

 男の忠告を聞き流し、ルフィーナは上体を起こす。骨は折れていない、と思う。

「樹の下で転がっとったのを拾った。車を通すのに邪魔だったもんでな」

「ここは? 今どこへ?」

「さあてなぁ。ひとまずリュベルツイあたりで軍人さんを病院に担ぎ込んでやらんとな」

「モスクワを離れたのか……。市内の病院に運んでくれればよかった」

「それじゃこっちの寝覚めが悪い。――モスクワはね、ありゃもう落ちるよ」

 モンゴロイドらしい顔つきのその男は、眉を顰めて鼻息を漏らした。笑ったのか、なんなのか、ルフィーナには断定しかねた。ただ、他人の口からモスクワがもう駄目だと聞かされたことが、予想外に応えた。

「軍人さんは空で戦っていたんだろう。だったら見たかね? 啓示軍は機兵を大々的に市中に入れたよ。クレムリンを守っていた戦車も、普通なら機兵なんぞ物の数じゃなかっただろうが、変則領域が市内にまで広がったんじゃ、もうダメだ。せっかくの大砲も当たらないんじゃなぁ。そろそろ、城壁が突破されている頃だろう。クレムリンに残ってた政治屋たちは、逃げられたかどうだか。――もっとも、逃げる気があったのなら、の話だがね」

 男はよく喋る性質(たち)らしかった。あるいは、ルフィーナが質問のために声を出し、それが傷に障るのを慮ってのことだろうか。いずれにせよ気は利くらしいその男は、ルフィーナが訊ねる前に自己紹介をした。

「俺はバトゥ・ウォンという。中国系のモンゴル人だ。――いや、生まれたときはモンゴル人だったが、二十年前からは亜細亜連邦人だな。軍人さんと一緒だ。まさか二十歳前だなんて言わないよな?」

 バトゥという男の口の回りに呆れながら、ルフィーナは頷く。そして自らも名乗るべきだと思い当たる。

「申し遅れました。私はルフィーナ・エフセイヴナ・ヴィクトレンコ。欧州方面軍……」

 頭上を爆音が通過し、ルフィーナは思わず体を捻ってモスクワ方面をふりかえる。肺のあたりが痛んだが、構ってはいられなかった。音源は、確かにモスクワ方面へと向かった。たった一機で。いや、あれは飛行機ではなかった。弾道ミサイルだ。

 ほどなく、モスクワ上空の雲が明るく照らし出された。高く煙が立ち上る様子が、ルフィーナからも見える。それほど大きな爆発が起こったということだ。

「そんな、まさか……」

 ルフィーナはその先の言葉を飲み込む。

「ショックかね、軍人さん」

 バトゥはミラーでルフィーナを見ていた。あいかわらず、心情を読めない顔をしている。この事態に驚いて車を停める気配もない。

「もしあれがそうなのなら……。いえ、そんなことはないはず。だって、モスクワなのよ。戦術クラスとはいえ、まさか核なんて……」

「さてね。今なら弾道ミサイル搭載用の燃料気化爆弾でもあれくらいの規模じゃないか? 少なくとも、俺は亜細亜連邦軍がそれを持っていることを知っている。核とは限らない。爆発の規模も、亜連が現有する核弾頭と照らし合わせると小規模すぎるようだ。もしガイガーカウンターでもあれば、改めてコメントさせてもらうがね、あいにく持ち合わせない」

 バトゥはまだ何か続けたようだったが、ルフィーナは聞いていなかった。父が連れて行ってくれたモスクワが、ウクライナの田舎から出てきた父が若き日の母と出逢ったあの街が、同胞の手によって焼かれた。抵抗を続けていたであろう将兵や、未だ逃げられずにいた市民とともに。

「消えた」

「――ん、何か言ったかね?」

「私の故郷は消えたわ。たった今」

「やれやれ、極端なお嬢さんだ。まだ掃討戦に数日はかかるし、だいいちモスクワがロシアそのものじゃないだろう」

「私にとってはそうだった。あの街以外に故郷はない。だからもう私はロシア人じゃない。亜細亜連邦人でもない」

 ルフィーナはもうふりかえることをやめた。故郷や祖国といった概念は、所詮、個人に帰属するものだ。大勢の人間がその定義を共有できるものではない。当然、それに対する愛情も、共有されてなどいなかった。それだけのことだ。自らの帰属する対象の定義は、自ら境界を引く。あのミサイルは、ルフィーナの定義から余分を削り落とした。

「――それでも、私は軍人であり続ける。啓示軍を、“人形”を倒すまでは」

 バトゥはしばらく沈黙していたが、やがてこう言った。

「ふむ。前向きなのは結構。――しかし、故郷への愛情を見失ってはいけないよ、ルフィーナ。故郷を追われながらも、なお故郷を愛するがゆえに、同胞たちと刃を交える者たちもいる。あの炎の中で、彼らは今も戦っているだろう」

「彼ら?」

 返事をよこさないバトゥの瞳は、ここにない何かを幻視しているようだった。

 ふと、ルフィーナは思い出す。乗機から脱出し、着地する直前に見たもののことを。

 それは機兵だった。啓示軍の量産型のものと似ていたと思う。しかし同一のものではない。ルフィーナは見たのだ、その機兵の赤い目を。それと同種の物は、過去にひとつしか見ていない。

「バトゥさん。あなたはいったい何者? 何を知っているの?」

「旅行者だよ。ヒトよりちょっとばかし多くの悲しみを知っているだけの、ただの旅行者だ」

 そのときルフィーナは、微笑んだバトゥの瞳の奥で、何かが七色に光ったような気がした。



 二〇二二年七月四日。

 大西洋を隔てたアメリカ合衆国が独立記念日を迎えようとしていたこの日、啓示軍はロシア共和国の首都モスクワへ部隊を進軍させた。対する亜細亜連邦軍は、欧州方面軍屈指の実力を誇る精鋭を配して防備を固め、両軍は同市周辺で一週間にわたる激戦を繰り広げた。

 後年「第一次モスクワ攻防戦」と呼ばれるこの戦いでは、史上初の機兵同士の格闘戦が行われ、また、核兵器使用の禁忌が破られたという噂も立った。前者については亜連が新兵器開発部隊の叛逆の事実を認めることで公式発表されたが、後者については永く、真相が明かされないままとなった。



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