Fragment #003

縁成(えんじょう)Nihilboun

 

 

 天空へと(そび)える無数の針葉樹がどこまでも続く。幾重(いくえ)にも重なった枝葉は、秋の控えめな陽光をすっかり遮り、深い影を地面に落としている。

 その影の中を行く二体の機械巨人がいた。TUと呼ばれる最新の陸戦兵器、特にその代名詞とも言える、ツィーダシリーズの一種である。鋭角的な装甲の一面には、統一国家連合議会軍の徽章(きしょう)がペイントされている。

 戦場に登場して数年しか()っていないにもかかわらず、人型兵器TUの存在は、大量生産によって(すで)に珍しいものではなくなった。しかし、進路上の障害となる樹木を巧みにかわし、あるいは邪魔な枝を切り倒して進むこのツィーダの性能は、標準的な量産型のものではない。両肩に補助動力を追加装備し、正面装甲とスラスターによる突進力を強化した、強襲型と呼ばれる派生機種である。得意の運動性で敵TU翻弄(ほんろう)し、手にした高周波振動式装甲切断機、ソーナッターで徐々に、しかし確実に敵機を(ほうむ)っていく……。そのようなコンセプトで開発されたものだ。

 しかし、森が(けわ)しさを増すにつれて、片方のツィーダ強襲型が徐々に遅れを取り始めた。二機は全くの同一機種であり、性能に差はない。違いがあるのは、ペイントされた徽章の形と、中に乗っているパイロットだけだ。

 二機の距離が二百フィートほど離れたところで、先行するツィーダ強襲型のパイロット、ダガード・ベインズマンはついに我慢ならなくなった。(たくま)しい腕が操縦(かん)から一瞬だけ離れ、短距離用の通信システムを起動させる。

「遅いぞ、フェアデルベア伍長」

「すみません。木の根のせいでバランスが……」

 トリーチェ・フェアデルベアの悲鳴めいた応答は、女性特有の周波数とあいまって、なおさらダガードの苛立(いらだ)ちを(つの)らせる。

「速度を落とすから動的安定が失われるのだ。オートバランサーを信用してペダルを踏み込め!」

「了解」

 トリーチェのツィーダ強襲型は幾分、速度を増した。しかし、それでもダガードはペースを落とさざるをえなかった。先を急いでいるのだが、だからといってここで若い部下をひとりにするわけにはいかない。すでに、敵TUが潜んでいてもおかしくない領域に踏み込んでいるのだから。

「ドゥプラ少尉は、本当に北の十五号陣地に向かったのでしょうか」

 ダガード機に追いつくと、トリーチェはそう訊ねてきた。

「合流予定の十二号陣地が放棄されていたのだ。そう考えるのが自然だろう」

「ですが、大尉。十二号陣地からいちばん近いのは、むしろ九号陣地のほうなのでは?」

「十二号陣地は九号陣地を盾としていた。マティアス・ドゥプラが十二号陣地を放棄したということは、すでに九号陣地は条約軍の手に落ちている可能性が高い。――フェアデルベア伍長。地形の把握がまだまだのようだな」

「すみません」

「謝罪はマティアスを見つけてからするがいい」

 そう言って、ダガードはフットペダルを踏む力を増す。(しゃべ)る余裕が出てきたなら、もう少し急いでも良さそうだった。

 時間は容赦(ようしゃ)なく経過していく。今また大木をかわし、邪魔な根を跳び越えていく間にも、大隊の仲間がこのTUの性能と、自分の腕を必要としているのだから。

「決して早まった真似(まね)はするなよ、マティアス……!」

 ダガードは行く手にある峰を見上げて自分を奮い立たせる。あそこを越えれば、十五号陣地までの里程の半分は消化したことになる。しかし、鬱蒼(うっそう)とした木々の影は、その意気すらも飲み込んでしまいそうなほど、深い。戦場は無慈悲なほどに広大であり、そして混乱を極めていた。

 帰還暦五二〇年十月四日。この大陸では別段珍しくもない、ありふれた山林地帯ニヒルバウンにおいて、戦いは始まった。議会軍と条約軍の初期投入戦力は、両軍合わせてTU百機程度だったのだが、昼夜を問わず駆けつける援軍によって、戦場のTUは損耗を補って余りあるペースで増加を続けた。ダガード自身も二日目の夜にここへ着いた身である。以来、三度の出撃で二機を撃破、三機に深手を負わせているのだが、敵の守りは薄くなる気配がない。

 そして今日、十月七日。偵察部隊の報告を取りまとめた情報によれば、両軍のTU投入数は三百を超え、戦場はニヒルバウン全域に拡大したらしい。前線はそれこそ杉の枝葉のように重なり合って、もはやどちらに進めば前進で、どちらへ引き返せば後退となるのか、その判断すら危うくなっている。

 そんな状況下で、陣地を失ったマティアス・ドゥプラが決死の反撃に転じていないか、というのがダガードの最大の心配事だった。優勢ないし五分の状況では冷静な――ときとして冷徹とまで部下からは思われているようだが――判断を下せる男だが、ひとたび逆境に陥ると、本来の思考能力が麻痺するきらいがある。だから早く駆けつけて、教えてやらなければならない。もうすぐフェニキア方面軍から援軍が来ることを。

 フェニキア方面軍といえば、貴族がしゃしゃり出て指揮を妨害する悪習が有名だが、近頃ではヴァサーゴ卿を筆頭として優秀な若手の貴族軍人も増えてきた。特に新兵器であるTU部隊は若手中心に編成されているから、援軍には期待できる。彼らと合流しさえすれば、敵基地へなだれ込むのも無謀な作戦ではなくなる。だからそのときまで、ダガードたちは戦力を維持することこそが任務である。こんな資源価値のない山の峰々を、ただの通り道に過ぎないそれらを陣地と称して、大事に守る必要はないのだ。

 ふと気づけば、トリーチェ機が併走している。

 ――やればできるではないか、小娘。

 二機のツィーダ強襲型は力強く坂を駆け上る。

 

 

 またひとつ峰の頂上に達し、十五号陣地まではあとふたつの峰を残すのみとなった。樹海は、次の峰まで途切れることなくその緑を深めており、ダガードたちが気を緩めることを許さない。

 ダガードはそこで一旦機体を停止させ、眼下に広がるボウル状の地形を見渡した。最初は敵も味方もいないかと思われたが、しかしダガードは何かがあると感じた。識閾(しきいき)をぎりぎりでまたいでダガードの意識に感知された何か。おそらくは視覚によってもたらされたもの。それを求めてダガードは目を凝らす。

「大尉、機体の調子でも?」

「静かにしていろ」

 すみません、とトリーチェは言ったのであろうが、ダガードは聞いていなかった。彼女が静かにしていようといまいと関係なかったかもしれない。そこまで聴覚をないがしろにして、高解像度モードの画面を凝視していたダガードは、ついに、針葉樹の合間で何かが動く瞬間を捉えた。木々の間から飛び出した破片……。TUの頭ほどの大きさに見えたそれは、すぐ重力に絡み取られて樹海の水面に没した。ちょうどボウルの底の位置である。

 そこに戦闘状態のTUがいる証拠。ダガードは一瞬で得られた情報量に満足した。

交戦開始(エンゲージ)!」

 ダガードは迷わず操縦桿を前方に押し込んだ。道なき坂を、減速をかけることなく駆け下りる。トリーチェがついて来られずとも構わない。――むしろそのほうが都合はいいかもしれない。

 まず見えたのは、紫のTUの背中だった。立体的な曲面をなした装甲は、条約軍TU独特のものだ。そしてすぐに、それが主力機種カロに違いないとダガードは識別する。どうやら頭部を喪失しているようだ。そして――。

 金属同士のぶつかる音が、ツィーダ強襲型の怒涛(どとう)の足音をも上回る、大音量で鳴り響いた。カロは仰向けに地面に倒れ、そのぶん開けた視界には、特大の(つち)を手に仁王立ちをしたTUが映る。

 骨太の体躯の上に厚い装甲を(まと)った、イブセ重工製のマッジ。

 議会軍が最近になって配備した、破壊力特化型の重量級TUがマッジである。その威圧的な体格のみならず、顔に相当するメインセンサーユニットの形状がツィーダと異なるので、見間違うことはない。そのマッジが、対TU・対要塞用槌スジキーリキを横様に()ぎ、カロを叩き伏せたのだ。

 ダガードの所属大隊には、A.G.インダストリー社純正のツィーダ直系機種しか配備されていない。したがってこのマッジは別部隊の所属である。十五号陣地の守備隊だろうか、と考えたのも一瞬、ダガードは速度を緩めることなくマッジのもとへと急行する。カロを一機(ほふ)ったものの、マッジはまだ、窮地を脱していなかった。

 敵は一機ではなかったのだ。依然として二機のカロが、カムラ・ブレードを手にマッジを狙っている。二機は足並みを揃えてにじり寄っており、やはり隙が大きいというスジキーリキの欠点はとうに露見していたらしいとわかる。同時に襲われては、マッジに勝ち目はない。

「そこのマッジ、助太刀するぞ」

 議会軍共用周波数で呼びかけるや否や、ダガードは乗機にマッジの脇を駆け抜けさせ、カロとの間に入った。すると、いつ飛びかかろうかと間合いを計っていたカロが、カムラ・ブレードを防御の構えに変えて立ち止まる。

 狙い通り。

 ダガードはマッジとカロの間で止まるそぶりを見せたのだが、実は、坂を下ってきた勢いをむざむざ殺してなどいなかった。下半身のブースターホイールに蓄えていたエネルギー――そのまま停止していれば、熱のかたちで放散されるはずだった――を利用し、力強く跳躍する。ダガードの視点は百五十フィートの高さに達した。

 カロのパイロットたちはダガードの操縦を予想できなかったらしく、馬鹿丁寧(ていねい)に、頭上のツィーダ強襲型を仰ぎ見た。一機は立ち止まったまま。もう一機は後ずさりしながら。カロの丸い頭部にはりついた、青いチューブ状の視覚センサーが明滅する。

 これも狙い通り。いや、ここまでが狙いの範疇(はんちゅう)だった。

 敵の構えを崩した。が、その先は考えていなかった。咄嗟(とっさ)の思いつきなどその程度だった。そこでダガードは経験と気分で行動を選択し、正面にいたカロに降下しながらソーナッターで斬りかかった。

 標的はダガードの動きを察知し、カムラ・ブレードを構えなおしながら横へと逃げた。ツィーダ強襲型は敵機の頭上を通り越す恰好(かっこう)になり、ソーナッターが空を切る。着地直後、カロの斬撃が背後から襲いかかったが、ふりかえったダガードがそれを受け止める前に、カロは地面に突っ伏してしまった。まるで何かに(つまづ)いたかのように。

 ――小娘がやったか? いや、違う。早すぎる。自滅……、それも違う。

 何が起こったのか、ダガードは一瞬遅れて理解した。ツィーダに比べて走破性が悪いカロとはいえ、さすがに樹木の根に足を取られたわけではなかった。そしてやはり、トリーチェがダガードのすぐ後ろをついて来ていたわけでもなかった。

 カロを倒したのは、背後からマッジが投じたスジキーリキの一撃だった。それを把握できていなければ、ダガードは勢い余ってはねて来た巨大な槌を避けられなかっただろう。直前までツィーダ強襲型が立っていた辺りに、スジキーリキが柄を上にして突き刺さる。

 目の前で僚機を倒されたもう一方のカロは、素手になったマッジを狙った。しかし、スジキーリキの投擲(とうてき)という博打(ばくち)的な戦術に敗れたカロに比べれば、こちらは明らかに未熟だった。状況が見えていない。カロがマッジへと振りかざしたカムラ・ブレードは、駆けつけたトリーチェ機の左腕の追加装甲板に受け止められた。

 トリーチェは斬撃を防いだものの、ツィーダ強襲型はカロの運動エネルギーを吸収しきれず、たたらを踏んでよろめく。それをマッジが支え、三機のTUが動きを止めた。

 それはダガードにとって十分過ぎるほどの隙だった。ダガードのツィーダ強襲型はカロの無防備な背中に(おど)りかかると、人で言えば左の肩甲骨のあたりにある、コクピットハッチをターゲットに選定した。高周波数で振動する刃がカロの急所を切り裂き、やがてカロは糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

 

 手練れのカロのほうも手足を破壊して動けないようにすると、ようやくダガードは呼吸を平時の調子に戻した。撃破したカロは三機。そして、よく見れば友軍のTUの残骸もあった。マッジと、ツィーダ量産型。倒れているTUが五機で、立っているTUが三機。

「援軍、感謝する」

 ダガードが損害を確認し終えたところで、マッジのパイロットが映話を繋いできた。TUの外見とは裏腹に、細面の、若い男である。その男のほうからも同様にダガードの顔が見える。男は、ダガードの顔を識別すると、細い目をますます見えづらくして微笑した。

「――ほう。その禿頭(とくとう)……、いや、尊顔。そして今しがたの手並み。ダガード・ベインズマン大尉とお見受けするが?」

 ダガードの自己紹介を先取りしたうえで、男は、サングリエ・ボアケット中尉だと名乗った。名前にだけは、覚えがある。そしてダガードが記憶にとどめているということは、彼が決して非凡ではない人材であることを意味する。

「十五号陣地は敵襲を受けたのか?」

 カロの残骸を見ながら、ダガードは尋ねた。スジキーリキで粉砕された機体の有様は、中のパイロットが生きてはいないことを示唆していた。

「見てのとおりだ。この十五号陣地はこいつらにやられた。生き残りを連れてここまで退いたが、フン、とうとうひとりだけになったようだ」

 サングリエのマッジが、横たわるもう一機のマッジを蹴飛ばした。そのコックピットはカムラ・ブレードで無残に切り刻まれている。ツィーダのほうも同様だった。ダガードは短く黙祷(もくとう)を捧げる。

「何をしているんだ。早いところ行こう、ベインズマン大尉。それとそこの、お付きの奴。――驚いた、可愛い女の子じゃないか」

 目を開けると、サングリエのマッジは放り投げたスジキーリキを拾い上げ、さっさと歩き出していた。なにやらトリーチェに話しかけているようだが、機体の操縦は休めていない。東に向かってどんどん進んでいる。その行く手にあるのは、かつての一号陣地、すなわち議会軍の仮設前線基地であった。

「退却するというのか? まだ、はぐれた十五号陣地の友軍が残っているかもしれん。他でもない私の部下も、十五号陣地に向かった可能性が高いのだ。この辺りをさまよっていることも考えられる。捜索すべきだ」

「そんなのはいない」

「どうしてそう断言できる」

「いないも同然だよ、大尉。北も東もカロだらけだ。新型のダルもいた。さんざん逃げ回ってもこれだけ食いついてきた。ここから先には、もう無事な味方は残っていない。負け戦なんだ。基地まで下がって文句はないだろう」

「前線は多重化している。一介のパイロットの視点で単純に判断できる状況ではない。極力、残存する友軍の救援に努めるべきだ。援護しろ」

「正気か? 俺はこんな馬鹿げた戦いにこれ以上付き合う気はない」

「馬鹿げている、だと?」

「実に馬鹿げているじゃないか。このニヒルバウンを制圧しようなんていう作戦は!」

 サングリエは(わらべ)の愚かさでも笑うように、そう評した。

「植生は杉を中心とした典型的な地球府管理型。およそ果樹栽培を許容する土壌ではない。そもそも俺はこの杉という奴が好きになれん。針山のようで気味が悪い。そして冬ともなれば、この杉たちすら厚い雪に覆われて窒息の危機に瀕し、川のせせらぎも無慈悲な氷の下に押し込められる。およそ開拓と居住に向いた土地ではないんだ。地球府はいずれこの植生をより生産的な姿に置換すると明言したが、その実施開始予定は百年以上先のことだ。完了ともなると何百年先のことやらわからない。だから統一国家連合も、ケダブールの連中も、このニヒルバウンには手を出そうとしてこなかった。それをどうして今更……」

「黙れ」ダガードは延々と続くサングリエの雑言(ぞうごん)を制した。「おまえの言いたいことはわからんでもない。このニヒルバウンに利用可能な資源が発見されたという話は、いかにも胡散臭(うさんくさ)い……。しかし、ここで条約軍の前進基地のひとつも落とさんでは、ここにいる我々の存在が馬鹿馬鹿しいとは思わないか。反撃の機会を最大限に活かすためには……」

「ん、何かおかしいと思えば、大尉は全軍撤退の信号弾を見ていないのか」

 ダガードがその言葉から受けた衝撃は、スジキーリキによる打撃に匹敵した。

「全軍撤退だと?」

「ああ、そうだ。――俺とて、ただの独断で負け戦と決めて撤退しようというんじゃない」

「撤退信号など見ていない」

「この樹海、そして入り組んだ険しい山々だ。ツィーダ強襲型で高速移動していたベインズマン大尉は、見落としたかもしれないな。人の視覚処理能力は限られている。速く歩めば、それだけ多くの物事を見落とす。俺は待機中だったから、撤退信号もよく見えたが」

「でしたら他にも、撤退命令を見落とした友軍がいる可能性が……」

 トリーチェが我慢しきれない様子で割り込んできたが、ダガードは黙っていた。

 彼女の言のほうが正論だ。既知の情報とサングリエの話を照らし合わせて判断すれば、尚更、安易に撤退するわけにはいかないのだ。しかし、ダガードは常に情報の更新を怠らない。古い情報に基づく判断はしばしば大きな失敗を招く。その習い性に従って、マティアスらが残っているかもしれない峰々をふりかえったダガードは、トリーチェがサングリエに反駁(はんばく)しているのを制することになった。

「伍長、撤退するぞ」

「え、どうしてですか、大尉! まだドゥプラ少尉が……」

「無念だが、手遅れのようだ」

 それ以上は口に出して説明するのも忌々しかった。

 ダガードは見てしまったのだ。北東のひときわ高い峰に、ケダブール条約機構の旗が高々と掲げられる様を。

 

 

 サングリエとの撤退は、思うようなペースでは進めなかった。今となっては、問題はトリーチェの操縦技術にではなく、他ならぬマッジにあった。

 マッジは重量級のTUだが、それなりの駆動力も持っている。ベースとなった防衛用TUツィタデルに比べれば、マッジの足回りはかなり改善されたとすら言われている。それでも、やはりツィーダ強襲型とマッジの走行速度の差は大きい。

 しかたがない、と自分に言い聞かせてその速度に甘んじていたダガードだが、その我慢も長くは続かなかった。折しも、トリーチェが不審な顔で映話を接続してくる。

「警戒中すみません、大尉。しかし、ボアケット中尉のあれは……」

 あれと指示できる具体的な何かをトリーチェは認識しているようだった。ダガードはそれが何物であるかを自ら確かめるべく、トリーチェにはそれ以上何も言わせず、映話を切った。傍受の危険性は低いが、映話の使用は操縦者の気をそらす。

 ダガードは頭部メインカメラを手動操作し、頭の向きはそのままに、単眼状のカメラだけをレールに沿って正面から頭頂、背面へと移動させてマッジの様子を見る。すると謎は一瞬にして解明された。上下反転した画像のなかで、マッジは両手にスジキーリキの柄を抱えていたのだ。スジキーリキの重量はツィーダの脚一本に匹敵する。走行速度が落ちて当然である。ダガードは大破したマッジの武器を回収してきたサングリエのしたたかさに感心しつつも、しかし中途半端な思慮に対して落胆する。

「サングリエ。それは置いて行け。そのように遅々とした足取りでは、ふりきれる追撃もふりきれない」

「大尉、何を言う。スジキーリキがなければ、新型のダルには致命傷を与えられない。引きずってでも、こいつは持って行く」

 その主張はダガードとて理解できた。条約軍がこのニヒルバウンで初めて投入した新型TUダルは、上半身が多重構造になっていて、非常に打たれ強い。実際、ダガードが撃破しそこなった三機のTUは、いずれもそのダルだった。そのダルをも一撃で粉砕する力を持ったスジキーリキは、確かに頼もしい。しかし、ダガードにはそれが二振りも必要だとは思えなかった。ツィーダシリーズには、スジキーリキを地球の重力下で振り回すだけの堅牢性はないのだ。

 ダガードがそのことを言ってやると、サングリエは笑った。

「それなら心配無用だ。これは……」

 そこから先を、ダガードは聞いていなかった。それよりも格段の注意を払うべき対象が発生したのだ。レーダーと連動した警報装置が、背後から迫り来るTUの存在を告げていた。

 

 

 ダガードら統一国家連合の人間は、この地球を旅立ち、遥か宇宙の彼方へ新天地を求めた人々の子孫である。そして、それはケダブール条約機構の人間にも当てはまる。数百年にわたり断続的に戦争を続けている二勢力だが、かつて地球をあとにした人類という意味では同類なのだ。そして、こうして再び地球に戻って来たことも共通点である。

 地球に降り立った帰還者たちにとって、彼らを出迎えた溢れんばかりの緑は、未知の存在だった。野原の草、岩陰のシダ、川辺の花に川底の水草、森の木々……。それらの多くが、旅立ち以前、かつての地球に繁茂(はんも)していた草木とは、明らかに異なる性質を持っていたのだ。そこに住む動物たちのなかにもやはり変容を遂げているものが少数認められたが、帰還者たちにとってより重大だったのは、陸地の大半を覆う植物のほうであった。

 自然では考えられない形質の変化。これは、人の住めない環境となった地球を再生するにあたり、動植物を人為的に遺伝子操作した結果である。地球に残った研究者と技術者たちが、それを行った。そしてその末裔(まつえい)たちは地球府という組織を作り、現在に至るまでその遠大な事業を継続している。

 統一国家連合も、ケダブール条約機構も、この地球府の偉業には敬意を払っている。それほどまでに、地球環境の再生は絶望視されていたのだ。だからこそ祖先たちは旅立った。そうでなければ、誰が危険の渦巻く外宇宙へと出て行くというのか。――ダガードはそのように聞かされて育ったし、彼の親も、祖父母も、さらに過去の祖先たちも、(みな)同じだったろう。

 もしかするとそれは、人々が過酷な新天地の開拓から逃避しないための、為政者の情報操作だったかもしれない。ダガードはそう考えることがある。かつての旅立ちの時点でも地球はさほど悪い環境ではなく、つまり現在の植生の変容は、地球府の管理ミスか、あるいは無謀な実験が招いたものではないのか、と。

 その可能性は否定できない。なぜならば、帰還暦の紀元以前の記録はこの世界から(ほとん)ど消失しており、過去の地球について確かなことなどわからないのだ。旅立ち以前の地球の記録と、地球府が公表している帰還暦紀元以降の記録、そのふたつが、今日における地球史のすべてである。疑念の対象となるのは、この両者間の空白期、すなわち暗黒時代が存在すること自体が、地球府が何か重大な失態を犯した過去を示唆しているのではないか。少なくとも、そういう説を毎月のように世に送り出しているアングラは末永く刊行を続けている。あながち個人の妄想とも言えないのだ。

 しかし、そうだとしても、地球府への感謝は忘れるべきではないだろう、とダガードは思うのだ。永い時間をかけて根を張った新天地から、先祖たちは(ゆえ)あって地球への帰還を目指した。現在の技術でも危険の多いその旅路を、多くの犠牲を払いつつなんとか切り抜けてきた先祖たちに、地球府は緑に覆われた惑星を用意してくれていた。それだけでじゅうぶんではないか。もう他に帰る場所などない。この地球以外に終着点はなかったのだ。それが確保されていただけでいい。その恩は、たとえ地球が静止しても風化するものではない。

 ただし、現実問題として、植物の変容は定住生活にいくつもの支障を生じさせた。農地の開拓は言うに及ばず、都市設計、感染症対策など、祖先たちが困難を強いられた分野は多い。しかし彼らは永い時間をかけて環境に順応する(すべ)を編み出した。今では、この環境も特に住みにくいものではなくなっている。少々、昔とは勝手が変わっただけのことだ。軍事技術も、その例外ではない。

 だからである。TUにとって最も確実な策敵手段は、かつて暗黒時代以前にそうであったように、映像認識が主流となっている。

 現在の地球の樹木の多くは、電磁波に対してそれぞれ特有の干渉性を有している。暗黒時代以前は確かに地球でも有益だったレーダーは、現在の地球、特に森林地帯においては、精度がかなり減殺されてしまうのだ。そのため、ダガードは背後からのTUの接近をレーダーで感知したが、その反応はある程度接近すると消え失せてしまった。樹海によるレーダー波の反射が複雑となり、発振元を特定できなくなったのだ。

 味方なら、とうに声をかけてきて良さそうな間合いである。ダガードはこれを追っ手と断定した。

「なかなか足が速い」

 先ほどまで見えていたレーダーの反応に間違いがなければ、追っ手の足はツィーダ強襲型の最高速度に匹敵する。それも、トリーチェのような並の乗り手が使った場合でなく、ダガードが操縦した場合と比較して、である。

「スジキーリキを捨てても、振り切れないな」

 まるで緊張などしていないような調子の声だったが、サングリエの顔は真剣だった。悪い予感がする。

 マッジを置いて逃げる、という線も考えたが、検討したのは一瞬だけのことだった。サングリエを見捨てたところで、トリーチェの速度に合わせていたのでは、振り切れない。ならば、答えはひとつだった。戦力的には決して不利ではないのだから。

「迎え撃つ」

「了解」

「フェアデルベア伍長」

「はい! 私は大尉の援護を……」

「いや、先に基地へと向かえ。全速力で、な」

 トリーチェは命令の意図を理解できなかったらしく、いつものように「了解」とも「すみません」とも言わなかった。

「助けを呼んで来い、ってことだぜ。お嬢さん?」

 サングリエはダガードの考えが読めているようだった。強敵なのですか、と(たず)ねるトリーチェに、そうでもないさ、と笑ってみせる。

「たかが一機を阻止するのは楽なもんだが、追っ手があれ一機とは限らない。波状攻撃を受ければいかなTUでも、そして俺のようなエースパイロットでも、いつかは地に(ひざ)をつく。そうなる前に基地から救援を呼んできて欲しいわけだ」

「間に合うでしょうか……?」

「間に合わせろ」

 サングリエに代わってダガードが即答する。

「だから、全速力だ」

「了解!」

 戦術的に意味があると納得したのか、トリーチェは単機、加速した。

 悪くない走りになってきた。OSの学習機能のおかげか、あるいは本人の上達か。

「ま、見込みはあるが、実戦で活躍するにはまだまだってことだな」

 サングリエが(わら)った。ダガードとの映話を繋いだままであるのは、故意か。――ともかく、ダガードの意図は十分に理解していたようだ。

 トリーチェのツィーダ強襲型が見えなくなり、しばらくは、案外に見晴らしのいい道が続いた。まるで昔整備した山道のように開けており、おかげで、追っ手も距離を詰めるのを控えているようだった。森の闇が深まったところで奇襲をかけようというのだろうが、その地形効果を利用できるのは敵に限った話ではない。

「ちょうどいい。貴官はあれに隠れていろ」

 再び森が険しくなり、このニヒルバウンでも珍しいひときわ大きな巨樹に行き当たったところで、ダガードはそう言った。

「待ち伏せということか。了解した」

 サングリエはそこでマッジを減速させ、巨樹の陰に回りこんで、停止する。巨樹は幹の外径が二十フィート以上あり、二振りの巨大な金槌を抱えていても、じゅうぶんにマッジの姿が隠れるだけの前面投影面積があった。

 罠は仕掛けた。あとは、そこへ獲物を引っ張っていくのがダガードの仕事である。

「エースパイロットだと言ったな」

 去り際、ダガードは振り返らずに尋ねる。

「ん、ああ、いかにも」

「ただのエースでは取るに足らん。一級のエースであることを、俺に見せてみろ。サングリエ・ボアケット」

「――了解」

 もはやサングリエの声も笑ってはいない。ダガードは満足して頷き、追われる者から追う者へと転じた。

 

 

 相手が近い。各種のセンサーと、他ならぬダガードの目がそう教えていた。しかし、その姿はまだ見えない。

 左前方の木々が揺れ動く。その奥にチューブアイの青い光も垣間(かいま)見たような気がして、ダガードは先制攻撃を加えるべく突進した。(おとり)であることを相手に気取(けど)られてはならない。こちらが本気であると思わせる必要があった。

 追跡者は、やはり敵性TU、カロだった。その機体は、下半身が通常のものより明らかに膨れている。おそらく燃料を多く積載するための改造だろう。走行時にスラスターを多用し、飛び跳ねるように移動する条約軍にとって、それは高速移動時間の延長を約束するものだ。ツィーダ強襲型の追走が可能だったわけである。

 カロのほうも奇襲に失敗したことを悟ったのか、逃げも隠れもせずこちらを待ち構えている。両手にカムラ・ブレードを持ち、それを胸の前で交差させた姿勢で。

 カロの目前まで迫り、ダガードは(いだ)くように構えていたソーナッターを水平方向に一閃(いっせん)させた。カロは横へ退いてその斬撃をかわす。

 あえて踏み込みは浅くしていたので、相手が避けるのは想定内だった。どのみち一撃で仕留められはしない。回避のために大きく一歩退いたカロには、反撃に転じるまでのタイムラグがあるはずで、ダガードはその隙を狙って第二撃を繰り出した。返した刃の末端にかかった枝葉が細かく千切れて宙に散る。

「何?」

 ダガードは我が目を疑った。必中を期した第二撃もまた、カロはかわしたのだ。後ろに二歩ほど退いている。速い。歩行追従性の悪い条約軍TUでは、いや、ツィーダ強襲型であっても、この時間で二歩の後退はできないはずだ。

 今度はカロがダガードの隙を突く番となった。カロは瞬く間に再び距離を詰めると、上体を(ひね)りつつ右手のカムラ・ブレードを一閃。ツィーダ強襲型の手首ごと、ソーナッターを奪い去った。そして息継ぐ(ひま)もなく、次は上体を逆回転させるようにして、左手のカムラ・ブレードでツィーダ強襲型の腹部関節を狙ってきた。

 さすがに二発を連続で受けるほどダガードは未熟ではなく、一歩引いてかすり傷で済ませた。続くカロの攻撃を封じるべく、ダガードは機体を超信地旋回させ、脱兎(だっと)(ごと)く駆け出した。

「ぬかった!」

 カロの猛追を背後に感じつつ、ダガードは己の迂闊(うかつ)さを呪った。

 自機が反撃を受けないことを第一に考え、カロが回避の折に隙を見せた場合のみ、追撃を加える。そして離脱し、追ってくるカロをサングリエの待つ巨樹のもとへと誘導する。――それでうまくいくはずだったのだが、このカロは、ダガードの攻撃を二度ともかわし、逆にダガードは得物を失ってしまった。相手が追ってきているのだから、囮としての最低限の役割は果たしているともいえるが、それは敵に捕捉されずにゴールまで辿(たど)り着いて初めて成立する見方だった。

 すべての狂いは、この敵の運動性が異常に高いことに起因していた。なまじカロの性能を把握し、ぎりぎりまで間合いを詰める戦術を身につけていたために、規格外の性能を持ったカロに対して無様な敗北を喫してしまった。

 ――しかし、あれは本当にカロなのか。

 燃料積載量の追加で高速移動時間の大幅延長は可能としても、重量が増加した分、細かな挙動はむしろ鈍くなるはずなのだ。足回りの部分改修、OS更新が同時に施されていたとしても、あのような運動性向上は達成できるはずがない。

 ダガードは背後にメインカメラを回し、敵機の姿を確かめる。身を隠すこともなく、すぐに追いついて屠ってやろうという意思が丸見えのそのTUは、確かにカロだ。上体の(ふく)れた新型のダルなどではない。下半身が燃料積載量増加で大型化しただけの……。

「情報が不完全だったということか」

 メインカメラがレールの限界いっぱいまで移動し、画面に映し出された追っ手の全貌(ぜんぼう)を見て、ダガードは自分のミスの()()を思い知った。

 燃料積載量を増やす改造ではない。燃料は確かに増やしてあるだろうが、それは大幅に強化されたスラスターの稼動を約束するためのものだった。追ってくるカロは、厳密な意味では、走っていない。たまに足をつくだけで、ほとんど浮いている。圧倒的な脚部推力と地面効果によって、ホバー走行を実現しているのだ。

 もはや改造というレベルではない。脚部は完全に新規設計のものだ。ツィーダ強襲型に匹敵する走行速度も、従来のカロには不可能な格闘時の立ち回りも、すべてはあの脚部の換装に由来していた。初見でそれを看破(かんぱ)していれば、このようなことには……。

 カロは時折追いつき、斬撃を浴びせてくる。ダガードはそれを間一髪でかわし、あるいは損傷を最小限に抑えて、走り続ける。空を切ったカムラ・ブレードは針葉樹の枝葉を散らし、数度に一度は幹に食い込む。そのたびにカロの動きが止まるので、ダガードは距離を稼ぐべく、針葉樹を盾にするようにして逃げた。

 あまり一直線に罠へと導いては、怪しまれる。ダガードは必死に回避しながらも、慎重に敵を誘導していた。ダガードが慎重を期せば期すほど、道のりは遠回りとなっていくのだが、しかしやめるわけにはいかなかった。

「ただ生き残るのではない。私は……。私は勝つのだ」

 カムラ・ブレードがツィーダ強襲型の頭部を浅く切り裂いた。画面に映し出されるメインカメラの映像が傾き、ノイズが走る。

 まだだ、まだ。

 ダガードは懸命に最高速度を維持した。大きく迂回したが、もうすぐ、サングリエのマッジが待ち構える巨樹のもとへと辿り着く。進入方向も万全。敵パイロットの苛立ちも、TUの装甲越しに伝わるようだった。要素はすべて(そろ)っている。必ず成功するという確信を抱いて、ダガードはゴールへと飛び込んだ。

「今だ、中尉!」

 ツィーダ強襲型の通過とともに、巨樹の陰からマッジがぬっと身を乗り出した。やや遅れて、その右手に握られたスジキーリキが弧を描いて追随(ついずい)する。水平面内の回転運動を与えられた鈍器が、慣性に乗って飛び込んでくる追っ手の胴を直撃する――かに思えた。

 しかし。

 駆け抜けた背後から響いた音の軽さが、ダガードにその一撃が致命的打撃とならなかったことを伝えた。すでに減速、旋回動作に入っていたダガードは、次の行動に迷った。武器はない。ソーナッターは喪失し、スジキーリキはツィーダのフレームには重過ぎる。素手でもマッジを援護すべきか、あるいは……。

 幸か不幸か、ダガードが何秒も悩まされることはなかった。視界の上限ぎりぎりのところを何かが横切り、反射的にその影を追ったダガードの両目は、驚愕(きょうがく)のあまり見開かれる。

 行く手に着地したのは、他ならぬあのカロだった。待ち伏せたサングリエの一撃を寸でのところで跳んでよけたのだ。

 カムラ・ブレードの二連撃を、ダガードは()(すべ)なく受けた。ツィーダ強襲型は数歩後ずさり、針葉樹にもたれて座り込んだが、それとて自動姿勢制御機能がやってくれたことだった。コクピット内部に及んだ損傷のため、ダガードの体には複数の金属片が食い込んでいた。

 カロはとどめを後回しにし、マッジへと向かっていく。もう手向かう力はないと判断したのだろう。実際、そうであるとダガードも認めざるをえない。操縦桿を握る力が入らず、足はペダルを踏んでいるのかいないのか、感触がない。

 サングリエのマッジは、スジキーリキを左右に広げて構えてカロににじり寄る。カロは再び脚部を中心としたスラスターに点火し、ホバー走行の体勢に入る。

 先に動いたのはサングリエだった。大きく踏み出しながら、さきほどと同じように水平にスジキーリキを振るう。これを素早く退いてかわすカロ。そして、鉄の(かたまり)(うな)りをあげて虚空を過ぎ去った直後に、案の定、正面に来たマッジの横腹に切りかかった。

 ――危ない。

 叫ぼうとしたが、声にはならなかった。臓腑にも傷を負っているらしい。しかし、その注意喚起は不要だったことをダガードはすぐに悟る。スジキーリキを振るった際に体ごと回転したマッジだが、その回転は止まってはおらず、踏み込んだカロは第二の――すでに半回転以上の勢いをためた左手側の――スジキーリキの応酬を受けた。

 さしものカロも、この攻撃はよけられなかった。カムラ・ブレードとともに突き出されていたカロの片腕が丸ごと吹き飛ばされ、本体も大きくよろめく。しかし、マッジの超信地旋回も二回転は持続できなかったらしく、右手側のスジキーリキは錨のように地面に引きずられている。もっとも、左右対称に二振りを持っているのでなければ、とっくにこのスジキーリキのモーメントによってバランスを崩し、倒れていただろう。

 しかし間違いなく、先に体勢を立て直すのはカロだ。ダガードは冷徹なまでにそう判断できてしまった。声を振り絞っても無意味である。カロのパイロットが今の損傷で撤退を決意していない限り、サングリエの敗北は決定的だった。もちろん、その次は我が身である。抵抗も脱出もままならないのだから。

 カムラ・ブレードがマッジの脳天へと一撃を加え、続いて肩の関節を狙って刃を(ひらめ)かせる様子を無力に(なが)めながら、ダガードは最後に書いた遺書の内容に思いを馳せた。マティアスには当分中隊長は任せられない、というような職務上の引継ぎ事項ばかり書き、まるで報告書のようなものを残した記憶がある。残す家族のことなど一行も……。

 これでよかったのだろうか。まだ若いトリーチェ・フェアデルベアを逃がせただけで、満足すべきなのだろうか。

 次々と湧き上がる無辺の悔恨には(ふた)をするしかないが、せめてサングリエの最後だけはしっかりと見届けたい。ダガードは精一杯の力で操縦桿を動かし、ツィーダ強襲型を立ち上がらせる。傷が(うず)いたが、目はしっかりと見開いておいた。

 

 そしてその双眸(そうぼう)は希望を見た。

 

 

「伏せたまえ!」

 聞いたことのない声が叫んだ。

 それまで腕を振り回してもがいていたサングリエのマッジが、自分から(あお)向けに倒れる。そこへとどめを刺そうと馬乗りになったカロは、しかし、振り上げた得物を慌てて正面に構えなおした。木々の陰から走り出てきた、新たなTUに気づいたのだ。山吹(やまぶき)色と紫とで塗り分けられた、その機体に。

 現れたそのツィーダタイプのTUは、標準的な装甲切断機(ナッター)の柄を大幅に延長した派生型、ナギナッターを持っていた。マッジのいた位置をそのナギナッターが通過する。これを受け止めようとしたカロだったが、巧みに軌道を変えて襲いかかった刃は、(すく)い上げるようにしてカムラ・ブレードを()ね飛ばした。手元から離れたナギナッターの刃先をこうも鮮やかに操れるのは、OSが高度な経験を積んでいる証拠である。カロはその妙技によって繰り出されたナギナッターの追撃をかわし、ダガードの近くまで飛びすさる。

 カロは新手の様子を(うかが)いながら、背中にマウントしていた予備のカムラ・ブレードを手にした。しかし、すぐには反撃に移らない。おそらく敵も知っているのだ、相手が何者であるかを。

 ツィーダ4E。それが救援にかけつけたTUの名である。4Eは量産型に先立って開発された新型エンジン評価試験機であり、本来実戦用ではないのだが、ただ一機、例外が存在する。それが山吹色と紫で塗り分けられたこのチューンナップ機である。議会軍の将兵はこの色を見ただけで士気を高めるという。――なぜならば、唯一の機体には唯一の乗り手がおり、その名と実績は知らぬ者がないからだ。

「私はフェニキア方面軍のヴァル・ヴァサーゴ大佐だ。ベインズマン大尉にボアケット中尉だな? 生きていれば返事をして欲しい」

 カロと(にら)み合ったまま、ヴァル・ヴァサーゴはふたりに呼びかける。

「ヴァサーゴ卿……。あなたが来てくれるとは」

 かすれた声しか出なかったが、幸い通信機は送信側も健在だった。すぐに応答が来る。

「ベインズマン大尉は負傷か。すぐに回収機もここへ来るが、まだ動けるのなら少しでも離れていて欲しい。――この敵は少々、手間がかかるようだ」

「いいや、すぐに片付けるさ」

 不敵に割って入ったのはサングリエだった。見ると、マッジはツィーダ4Eの背後で上体を起こし、健在の右腕でスジキーリキの投擲体勢に入っている。

「待て……」

 迂闊だ、と指摘するはずが、ダガードは(のど)に流れ込んだ血のために()き込んでしまった。もう遅い。マッジはスジキーリキを投じ、カロがひらりとそれをかわす。そうなってはツィーダ4Eも動かざるを得ず、カロの未来位置に斬り込んだが、カロは再び宙に飛んで直撃を回避。とはいえ、肥大化した脚部全体をナギナッターから守ることはかなわず、スラスター周辺の部品が細かな破片を飛び散らせながら脱落した。

「そうだ、脚を!」

 リーチの長いスジキーリキ、ナギナッターなら、あのカロの脚部スラスターを狙って攻撃できる。あれさえ破壊すればいい。機体を鹵獲(ろかく)できれば、今後条約軍が投入してくる新型について貴重な情報が得られる。

「承知!」

 サングリエはすでにマッジを立ち上がらせており、稼動不能の左腕からもぎとったスジキーリキを振るったが、いかんせんマッジの動きでは追いつけない。代わってツィーダ4Eが追いすがり、先ほどとは逆側の脚部スラスターをナギナッターが襲う。非装甲部を的確に狙った一撃で、何かのケーブルが切断されるのをダガードは視認した。そして、霧状に広がる何か……。

 ダガードは己の情報不足を呪った。まさか液体燃料だとは。ヴァサーゴも愛機を咄嗟に後退させたが、サングリエはそうではなかった。

「追いつけないならこうするまでよ!」

「やめろ!」

「待ちたまえ、それは……」

 ふたりの制止の声はサングリエに届かず、スジキーリキは再度よろけているカロへと投擲された。スジキーリキは大雑把に分類すれば鈍器だが、槌の打撃面には破壊力増大のため角錐(かくすい)がならんでいる。敵の装甲とぶつかったとき、普段は目に付かない程度でも、火花が散るのは明白だった。そして、標的周辺には熱で気化した燃料が充満している。

 結果は予想よりもさらに悪化した。回避を断念したカロは、カムラ・ブレードでスジキーリキの軌道を反らして受け流そうとしたのだ。目に見えて散る火花。接触の次の瞬間、閃光とともにカロのいた一帯が炎に包まれたかと思うと、膨れた炎は(またた)く間に広がって、乾燥した落ち葉や枝葉に燃え移った。

 両腕を失い、以前ほどの速度も出せなくなったカロが、炎を盾にして逃げて行く。マッジは素手のままこれを追おうとしたが、弾けたスジキーリキの破片を受けたらしい樹が倒れ、その進路を阻んだ。それを踏み越えても追おうとするサングリエの前に、ツィーダ4Eがナギナッターを突き出して制止した。

「やめたまえ、中尉。今は延焼の防止こそが第一。これは地球府の交戦規定にも明示された、我々の義務だ」

 ヴァサーゴは毅然と言い放ち、炎が広がる先にある樹を切り倒しはじめる。サングリエはしばしマッジを直立のまま放置していたが、やがて先に投げたスジキーリキを回収して、ヴァサーゴに従った。

 辺り一面が、炎と煙、そして無残に倒された樹で埋まっていく。赤い。――いや、これは目に流れ込んだ血液の色か。

 ダガードは力尽き、ツィーダ強襲型も地面に突っ伏した。

 

 

 フェニキア方面軍からの援軍本隊は、それから半時のうちに戦場の各地に到着した。ダガードたちのもとへも、フェニキア方面軍所属の後方支援部隊が到着し、ダガードの応急処置とツィーダ強襲型の手足の解体を行った。

 解体が必要になったのは、まず機体が自走不能な損傷を受けており、そしてダガードの体もいびつに変形したコクピットに埋もれてしまっており、容易には引きずり出せなかったからだ。そして今、ダガードはツィーダ強襲型の胴体ブロックごと他のTUに背負われて、基地へと向かっている。

 随行するTUはサングリエのマッジのみ。ダガードが意識を取り戻したときにはヴァル・ヴァサーゴとその愛機の姿はなく、聞いた話では、後続部隊とともに残る友軍機の探索・救援に赴いたとのことだった。

「トリーチェ君は立派に任務を果たしましたよ、ベインズマン大尉……」

 意識が戻ってからというもの、しきりに優しく語りかけてくるのは、ギルベルト・シュミッセンという将校だった。どうやら、ツィーダ強襲型を背負っているこのTU、ツィーダ回収型を自ら操縦しているようだ。

「彼女が出撃したヴァサーゴを見つけて状況を伝えていなければ、彼とてあなたたちの救援には間に合わなかったでしょう。早く基地へ戻って彼女を安心させてあげたいものです。――もっとも、あなたのその様子を見れば自分の責任を感じて(ふさ)ぎ込んでしまいそうな娘さんでしたが」

「その観察眼、なかなかじゃないか、シュミッセン大尉」

 茶々を入れたサングリエは、これといった怪我もなく、元気のようである。ダガードも処置のおかげで傷の痛みは感じないのだが、どれだけ麻酔を打ったところで、サングリエと同じ気分には到底なれそうになかった。

「シュミッセン大尉」

「ギルベルトで結構ですよ」

「では、ギルベルト。撤退に成功した前線の部隊は、どれほどだろうか?」

 ギルベルトはその質問を受けてしばし沈黙した。

「――私が得た情報では、早期に撤退を果たしたのはあなたたちくらいのものです。残りの部隊はまだ前線に残されているのか、あるいはすでに……」

 そのフェードアウトが示す内容は自明だった。マティアス・ドゥプラの生存にはあまり期待できないということだ。

「ダガード。気を落とさないで。ヴァサーゴがあなたの戦友たちも探してくれています。彼ならばきっと……。ん、あれは……」

 ギルベルトは明らかに、途中で何か別のものに気を取られた様子だった。しかし、通信以外のほとんどの機能を停止したコクピットにいるダガードには、外で何が起こっているかわからない。ギルベルトやサングリエとの会話以外に、情報収集の手段がないのだ。

「――ああ、なんということだろう。今頃になって。遅い。遅すぎるんだ。前線司令部は、フェニキアからの援軍を待つべきではなかった……!」

 (なげ)くギルベルト。しかしダガードの耳は、ノイズ程度に漏れてきたサングリエの笑い声も聞き逃さなかった。

「サングリエ・ボアケット、何がおかしい」

「いや、これは愉快だと思って」

 ばれてはしょうがない、とばかりにサングリエは笑いを(こら)えるのをやめた。ギルベルトの嘆息(たんそく)とはあまりに対照的だった。

「――ようやく出たんだよ、撤退命令が。確かに、もう少し早く出してくれば俺も困らなかった。そうすれば方便を駆使することもなかった。なあ、ベインズマン大尉?」

「貴公……! では、撤退の信号を見たという話は……」

「大尉にエスコートしていただくための方便だよ。つまりは勝つためだ、大尉。勝利のため、エースたる俺はあそこに取り残されて死ぬわけにはいかなかった。できないことは、できるようにするまでのことさ」

 (だま)された。ダガードはようやくそのことに気づかされたが、サングリエに怒鳴るだけの気力はもう振り絞れそうになかった。

 いや、違う。怒りが湧いてこないのだ。あるのは悔恨。思うように情報を収集できず、そして判断ミスを重ねた己への絶望。

 返事をしなくなったのに気づいたのか、ギルベルトが何か不安げに語りかけてくる。大半は聞いていなかったが、途中の一節が耳に残った。

「けれど大丈夫、あなたは僕が責任を持って送り届ける。だから今は……」

 その通り、今は休みたい。ダガードはそう希求する。そして養うのだ。高く舞い上がる翼、地上をくまなく見渡す鋭い目、獲物を仕留める鋭い爪に、それを持ち上げて羽ばたく強靭(きょうじん)な筋力、そして、一連の行動に躊躇(ちゅうちょ)の余地を持たない、冷静沈着なる頭脳を。

 今は不可能でも、必ず可能としてみせる。

 いつの日か、人々は知るだろう。そして忘れることがないであろう。地上の小動物が、空の覇者(はしゃ)への恐れを常に抱いているのと同じように……。

 ダガード・ベインズマンの目と爪から、逃れられる獲物はいないということを。

 

<“Nihil bounty炎上”――