Fragment #004

“新年なり濡鼠−Useful Mouse

 

 

(もうすぐ新年か……)

 照明を落とした、省電力モードのコクピットの中。遥か水底にまで届く月光を、バリクンビラのオレンジの瞳ごしに見つめながら、ギルベルト・シュミッセン少佐は嘆息した。

(年明けくらいは、気心の知れた友と静かに酒を酌み交わしたかったものだけどね)

 二年来の友人である、先ごろ議会軍に復帰したばかりの男――目深に被った帽子とその上からかけたサングラスという、奇矯な外見がトレードマークのあの男――を脳裏に描き、しかし思っても詮無いことだと首を振る。

 後ろを振り向けば、自機に付き従い水中で息を潜める無数のオレンジヘッド――バリクンビラ一個中隊。そう、今の自分は作戦行動中の身。彼らの命と七幹部の信頼を預かる指揮官の身。望んで就いた身の上ではないけれど、彼らの期待に応えるだけの働きはしてみせないとね――。

(それをせず逃げるのは、僕自身を否定することになるからね。わかってくれるだろ、ヴァサーゴ?)

 心中の問いかけに友が微笑んでくれたように感じ、物思いを切り上げたギルベルトは、課せられた任務についてあらためて再考することにした。

 今次作戦の議会軍の最終目的は、まさに今潜伏中のこの一大施設――メズカラキムの大水門を、無傷で奪取することにある。無傷で! 月面戦争が引き起こした混乱がようやく収まったばかりだというのに、まったく議会も無茶な用兵を決議したものだ。

メズカラキムの大水門は、古より付近一帯の治水を司る重要戦略拠点として知られてきた。その損壊がもたらすだろう水害の甚大さ、ひいては民意への影響に鑑みれば、なるほど施設への被害を抑えたいという議会の意図は理解できる。だがその限定条件のせいで、議会軍の進軍ルートは、大水門の背にあたる山岳を越えるという、過酷な道程に限定されてしまった。地上では現在進行形で、山岳を越えて疲弊しきった正規軍が、条約軍の防衛部隊と絶望的な戦闘を繰り広げているはずだ。

そう、正規軍(ヽヽヽ)は。だけど僕たち――クインティリオン・クオリティーズは、議会軍の傍流。本陣での待機は命じられているものの、作戦行動には組み込まれていない外様。僕らのボス――溢れる知性の中に、壊れ物の危うさを併せ持つ彼――ミスターQは、そこに目をつけた。

先の七幹部会議、ミスターQは議会の事情に精通した様子で話した――「クインティリオン・クオリティーズの実効性を疑問視する抵抗勢力は、いまだ議会に少なからず存在する。今回の出動命令はそうした連中が、我々を作戦の尻拭い要員とするために出したものだ。敗色濃厚となった時、我々にも進軍が命ぜられるだろう――退き時を見誤った戦犯とし、今次作戦のすべての責任をなすりつけるために」。

 だが、ミスターQは汚れ役に甘んじるつもりはないようだった。

「我々の地位を確かなものとするために……ギルベルト、君に私からの命令を与える!」

 傍流ならではの立場が可能とする独自の命令――水脈(ヽヽ)()遡り(ヽヽ)水中(ヽヽ)から(ヽヽ)()奇襲(ヽヽ)()より(ヽヽ)()()挟撃(ヽヽ)する(ヽヽ)

 だが、正直いって不安だった。当方の戦力はバリクンビラ――エジンエンジンにより性能を底上げしたとはいえ、正規軍が誇るツィーダシリーズほどの堅牢性を持たぬオレンジヘッド。しかも水中が戦場では、開放型エジンエンジンは十分に稼働させられない。正規軍から“Useless Mouth(ごくつぶし)”と陰口を叩かれる機体だけで、どこまでやれるのか――?

 コンソールの時計が、一月一日零時を告げる――作戦開始予定時刻。省電力モードが解除され、巨大なバリクンビラたちが始動の唸りを上げてゆく。次々とアクティブ・センシングの光を輝かせるオレンジヘッドの群れ。月光に数倍する、水底の鮮やかな光――。

(まあ、やれることをやるだけさ。ヴァサーゴ、帰ったら労ってくれよ)

 ――かくして、メズカラキムの大水門をめぐる戦いの趨勢を決することになる濡れ鼠たちは、新たな年に一歩を踏み出すのであった。

 

 

<“2008年(子年)もよろしくお願いします”――