黒龍隊の挽歌 第四話

予期せぬ初陣



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 二十世紀後半、日本はアメリカと深い同盟関係にあった。それはときとして、連帯よりもむしろ隷属として捉えられる関係であった。

 それが解消に至ったのは、二十四年前のことである。

 八月の悪夢によって起こったアジアの大混乱は、各国の政治、経済の枠組みを根幹から揺るがした。

 世界の警察を自負するアメリカはすぐさま軍を動かし、クーデターや暴動を監視しはじめたが、東ヨーロッパ以東のユーラシア大陸全域という領域はあまりにも広大すぎた。既に二正面作戦を放棄していたアメリカに、それをカバーするのは不可能だった。自然と、米軍の監視地域は経済的あるいは地政学的に枢要な場所に限られることとなり、それは「アメリカに権益拡大の意図有り」とする反米の流れを強める結果になった。

 九月も半ばを過ぎた頃。自国政府の統制と、米軍の監視と、そのどちらもが行き届かない地域では不満の渦ができあがっていた。物資の供給が著しく不安定になり、体制打破とアメリカ排斥の声が無数に広がりはじめた。民衆の不満は最高潮に達しており、デモ行進は暴力的性質を増し、反政府ゲリラへと身を投じる市民が急増。それらを抑える役目の軍さえも暴走を繰り返し、多数の血が流れた。

 アメリカは準備を整えた多数の部隊を追加派遣したが、遅きに失した。かねてよりアメリカ流のグローバルスタンダードに強い憤りをもっていた地域では、政府軍さえもが米軍に敵対行動を取るようになり、援助物資どころか米軍向けの物資までもが強奪の対象となった。米軍の自衛行動がエスカレートして本格的な戦闘が頻発するようになったのは、まだ十月の初旬のことであった。

 その頃、アメリカが東アジアに軍を送るうえで重要な役割を果たしていたのが、言わずと知れた韓国と日本である。二十世紀半ば過ぎから米軍が駐留し続けてきたこの二国は、隕石による一次被害が比較的小さく、当時アジアで最も安定した地域だった。とはいえ、韓国は北朝鮮との緊張を抱えていたし、日本は輸出入に大きな支障をきたしてライフラインに不安があった。

 当初のきっかけはどうあれ、当時、アメリカはこの二国の安全保障を請け負う見返りとして大規模の駐留を認めさせていた。少なくとも、政府の公式見解ではそういうことだった。しかし、アメリカが世界の警察たる面目を果たさんと手を広げた結果、極東アジアにおけるアメリカの作戦能力は著しく低下してしまった。それがアメリカの軍事的主導権を揺るがす結果に繋がろうとは、どこの国のどの新聞の社説でも、予想だにされなかったことである。

 十月半ば。朝鮮半島では緩衝地帯を越えた地域で小競り合いが頻発。韓国政府は米軍に協力を求めたが、すでに兵站を支えきれなくなっていた米軍は火急の事態ではないとして戦力派遣を渋り、ソウルでも米軍排斥を叫ぶデモが沸騰。瞬く間にその運動は広がり、韓国世論は反米一色に染まった。

 同じ頃、日本ではバロッグの影響で原発一基が事故を起こし、緊急にすべての原発が一斉停止処分となった。加えて、日本政府はアメリカに対して原子炉を搭載する艦船の機関停止、もしくは領海からの退去を要求。だが、これもアメリカには無理な注文だった。当然、ここでもまた軋轢(あつれき)が生じ、各地の米軍基地には連日人が押し寄せた。また、原発の一斉停止により首都圏への電力供給が不足することとなり、首都復興は停電と暴動の前に大きく停滞する憂き目にあっていた。

 そして、十月二十日。

 米軍の重要な戦略拠点、横須賀基地が占拠された。市民によってではなく、自衛隊によって。

 行動を起こしたのは、正規の命令を受けた部隊ではなかった。親米派の首相がそのような命令を下すはずがないという理由で、それは当時から明らかであった。一部の将官、佐官らが情報操作によって起こした事件だと判明したのは、数日後のこと。しかしその頃には、市民によって占拠部隊がすっかり英雄化されていた。それまで国家機関の保守と治安維持に力を注いでいた自衛隊は、市民から嫌われることのほうが多かったのだが、この事件で途端に評判を博することになった。情報が錯綜するなか、自衛隊の正規部隊も米軍も迂闊に動けず、その間も横須賀の占拠状態は市民の助力によって継続していた。

 八月の悪夢によって権力基盤を砕かれていた与党は、生き残りのために既存の路線を捨てた。横須賀における自衛隊の武力行使を正式な作戦行動だとし、日米安全保障条約の無効化を求めて交渉に入ったのだ。この一連の事件は、横須賀事変と名づけられ、日米同盟破棄、ひいては亜細亜連邦樹立につながるエピソードとして有名である。




「と、まあこれくらいは知っているな?」

 江藤がふりかえって後部座席を見ると、全員があくびをしていた。江藤に気づいて慌てて口を閉じるが、目じりに浮かんだ水滴が動かぬ証拠である。

「貴様ら、ここに来るまでにさんざん寝ておいて、まだ眠いのか!」

 怒鳴る江藤に、李峰國(リー・フェングォ)がまどろみながら反駁(はんばく)する。

「隊長、たっぷり寝たからまだ眠気が抜けないんですよ」

 座席の背に阻まれなければ、一発ゲンコツをお見舞いするところだ。しかし新品の機兵搬送車を壊すわけにはいかないので、我慢する。

「江藤少佐、無線の送話スイッチ入れたまま怒鳴るのは勘弁してくださいよ。危うく鼓膜が破けるところでした」

 無線機から、後続車輛のひとつに乗っている南田の声がした。その彼の声も眠そうである。

「竜時ぃ、おまえもかっ!」

 江藤は思いっきり大声で無線に吹き込んでやった。それは厚木に発着する飛行機の音よりすさまじく、黒龍隊の車列は大きく乱れた。

「あ、危ねっ!」

 慌てて運転に戻る夏明仁(シャー・ミンレン)を横目に見ながら、江藤はもう一度無線機を顔に寄せる。

「おまえら、今日は何しに厚木まで来たのかわかっているな」

龍(ロン)と、自分たち運用スタッフの空輸訓練です」

 南田がしおらしく答えてきた。

「基地や輸送部隊の連中も忙しい合間につきあってくれるのだ。あまりはしゃぐなよ」

「了解」

 今のは反省したような声音だった。江藤はやれやれと無線機を置いた。

 江藤が外に目をやると、もう厚木基地まで目と鼻の距離になっていた。飛び交う飛行機の音が、窓を閉め切った車の中までうるさく聞こえてくる。あたりの建物は規制のために低層なので、猿之門ほどではないが、空がよく見えた。

 赤信号で車列が止まった。

 江藤は不満だった。ばかでかい車を十台近く連ねてのドライブもそうだが、主な不満の対象は別にある。彼が気に入らないのは、部下たちが今回の演習に何の疑問も抱かないことだ。

 関東の防衛を第一目的として創設された黒龍隊にとって、龍の空輸は想定しにくいシチュエーションなのだ。関東に敵襲、あるいはその気配があれば、自走、もしくはこうした車輛輸送で現地に赴く以外にない。空挺投下ができるのなら話は変わってくるが、今のところ龍にそんなことは不可能である。

 関東以外の地域に出向くためだろう、と、出発前に誰かが話しているのを江藤は耳にしていた。忙しかったので放っておいたが、そうでなければ呼び止めて説教でも垂れたところだ。啓示軍(オフェンバーレナ)の日本襲撃は拠点破壊と擾乱(じょうらん)が目的であって、面制圧をしているわけではない。やれ新潟で敵襲だなどとゆったりと機兵を空輸しても、着く頃には啓示軍は撤退している。復旧作業のお手伝いくらいはできるだろうが、そんな使い方は金の無駄である。

 つまり、今回の訓練が黒龍隊の戦線投入の可能性を示唆していることは明白なのだ。黒龍隊を全員連れてきての演習というのも、ぷんぷん臭うのだが、部下たちはまだ嗅覚が発達していないらしい。

 もちろん承知の上で黙って覚悟を決めている者もいるだろうが、何十人もいる部下がみんなしてそうであるとは到底思えない。さらに今回の「訓練」の真相に勘付いている者は、自分と北嶋藤居の三人以外にはいないだろう。

「おー、飛行機低いなあ」

 まず絶対に気づいていないなと確信できる部下の代表格、李峰國の声がした。離着陸のために高度が低いので、飛行機はディテールがわかるほど大きく見える。彼はそれを見上げている様子だった。

 彼のルームメイトの南田も、わかってはいないだろう。さっきの話しぶりからわかる。それとなく緊張感を持つようにリードしてきたつもりだったが、効果的ではなかったようだ。江藤は反省する。

「なんだ、あれ?」

 飛行機が通り過ぎた頃になって峰國が変な声を出した。それではじめて、江藤は車がまた走り出していることに気づいた。しかし渋滞気味で、速度は自転車より遅い。

 江藤が後部座席をふりかえると、峰國が窓越しに何かを指差し、隣の隊員に尋ねていた。峰國の指差している先に視線を移すと、数棟並んだ三階建てアパートの合間から、黄色に塗装されたクレーンのようなものが見えていた。しかし、それはクレーン車のアームではない。アームがふたつ並んで聳(そび)えており、また、その先端がマニピュレータハンドになっている。峰國が不思議に思うのも無理はない。

「あれは乗俑機の腕だ」

「え? ホントですか?」

「ミツフシだな。正式には三節腕とかいう名だったか。フェイジアインダストリーズの最新型だから、知らなくても無理はない。なかなか面白い腕をしているぞ。次の切れ目でよく見えるだろうから、記念に見ておくんだな」

「イエッサー」

 これ以上にないくらい真面目に敬礼してみせた峰國は、そしてすぐ窓に張り付いた。やがて建物の切れ目に来て、腕の先しか見えていなかった「三節腕」の全身が見えた。

 それはクレーンの足回りを短足の二脚に換え、運転席の両脇に肩をくっつけたような乗俑機だった。それだけならこのクラスの人型重機、すなわち乗俑機乙種としてはありふれた形なのだが、肩の先の腕がこの三節腕を独特たらしめていた。肩から上下に同じ形の腕が生えており、さっき見えたのは上に向かって生えた腕だったのだ。下に向かって生えた腕の先端には、手ではなくショベルカーのバケットのようなものが付けられている。

「おー、すごい」

 峰國が窓に張り付いたまま喋(しゃべ)ったので、そこだけ窓が曇った。隣の整備班員に窓から引き剥(は)がされるが、三節腕が見えなくなるまでは、散歩中に紐を引っ張られた犬のように抵抗した。

「なんで腕が上にも付いてるんですか?」

 人間に戻った峰國は江藤にそう尋ねた。

「二本じゃ手が足りないこともあるからな。それと、逆方向に腕が伸びてればバランスを取るためのカウンターウェイトにもなる」

「へぇ、便利ですね」

「便利かどうかは、使ってみないとわからんさ。大型化、多機能化したところで、果たして良好なコストパフォーマンスを得られるのか。大いに見ものだな」

 意地悪な見解を江藤は披露して見せた。

 民間に出回っている乗俑機乙種は、操縦席の屋根までの高さでせいぜい五メートルという規模である。この大きさは実用上有効なサイズの上限であり、同時に技術的に可能なサイズの上限でもあった。昨今では乗俑機丙種、すなわち機兵が登場し、乙種の三倍の大きさで戦場に出ているわけだが、つぎ込まれている資金や部材の質が段違いなので単純な比較は意味を為さない。機兵開発の副産物を使って開発された三節腕も、天井までの高さは五メートルほどと、在来機種と変わりない。しかし上に伸びた長い腕のせいでかなり大きい印象を受けるし、事実それなりの重量がある。乙種としては異端児である。

 本来、パワードスーツと重機という二種類のベクトルの交点として生み出されたのが、乗俑機乙種である。なにも建築現場から重機を放逐してしまうために作られたのではないし、むしろ生身の人間と大型重機の橋渡しとしての側面も期待されてデビューした代物だ。無闇に大きくしてクレーンやら何やらの代わりができるようにしても、二足歩行の特性がそれに適してはいない以上、当然大きなデメリットを抱えることになる。

「結局、ベストセラーモデルを出しているハイヴィレッジコンツェルンにはかなわないと見て、フェイジアインダストリーズが特異性を狙った結果だ」

 江藤が商業的な側面まで持ち出して解説していると、やがて車が道を折れた。すると、渋滞はいっきに緩和され、さっきまで頻繁なクラッチ操作に閉口していた夏の顔がいくぶん晴れる。軍しか使わない道に出た結果だった。

「お、やっとこさゲートが見えてきたな」

 門のところでは、積荷のチェックなどもなくあっさり通してくれた。門衛には事前に知らされていたのだろう。黒龍隊の車列は続々と厚木基地に入っていった。

「あ、あれ何です?」

 すっかり観光気分の峰國が、後ろから江藤の服を引っ張る。

「ええい、引っ張るな。伸びるではないか。俺の服は特注で高いんだぞ」

 叱りつけながらも、しょうがなく峰國の指差した先を見る。真っ青で鋭さと滑らかさを共存させた最近の飛行機が、着陸、滑走中だった。

「あれはマポス社が売り込んだ高速連絡機だ。名前は忘れた。要人……つまりはVIPを運ぶのに使う。それと緊急の小荷物とかがあっても、借り出されるな」

「ペイロードは小さいし、実用性の幅は狭いんですよね」

 いきなり運転席の夏明仁が話に参入し、江藤の説明を補足した。

「おう、おまえ、詳しいな」

 江藤は目立たぬ部下の意外な側面を見つけて、脳内メモに書き込んだ。

「趣味ですから。ああ、趣味といえば、あの青いカラーリングは東部方面軍のお偉方の趣味で決められたとか」

「ほほう、そういう話があったのか。もし俺ならピンクに塗らせるところだな」

「ピンク、ですか」

「目に優しいベイビーピンクだ。ま、それ以前に俺はあんな不経済なもんには乗らんが」

「はぁ。――ところで江藤少佐、次はどっちに曲がるんですか?」

「おお、すまんすまん」

 江藤が地図を見ながら運転手の夏明仁を誘導し、やがて一行は輸送機が並んだエプロンの脇に到着した。

 並んでいる輸送機は三機。一機がIl-106で、あとの二機がAn-70。いずれもロシアやウクライナ製の大型輸送機で、機兵を一機丸ごと運ぶにはこれくらいの輸送機が必要になる。バラバラにしてもっと小型の輸送機で運ぶことも多いが、それだと輸送先に組み立て施設や乗俑機がない場合に困ったことになる。あったとしても、数を送れば多くが組み立て待ち状態になってしまい、緊急展開には適さない。

「見ての通り、実は今回は緊急展開の訓練だ」

 隊を集合させてから、江藤はそう切り出した。飛行機の音に呑まれないその声量はたいしたものである。

「輸送機には三機しか積めませんよ? あとの四機は何のために持ってきたんですか?」

 さっそく南田が質問をしてきたので、江藤は教師の気分になって答える。

「いい質問だ。あとの四機は、バラバラ肢体にして中型機で運ぶ」

「実際に運ぶんですか?」

 坂元が怪訝な顔をしたので、江藤はミスに気づいた。

「……という訓練だ。訓練」

 大きく咳払いをする。部下たちを改めて見渡してみるが、疑念の晴れていなさそうな顔がいくつかある。

「要するに、どっちにも慣れておこうという趣旨だよ」

 北嶋が良いタイミングで焦点をずらしてくれた。増えた借りの数をカウントに加えつつ、江藤は本題に戻る。

防人二機と俺のカスタマイズ機は、分解すると面倒だ。よって、腕だけ外してこのでかいのに積み込む。あとの通常型の龍四機のうち、四号機と五号機はトラックの荷台ごと輸送機に積んで、残る二機はバラバラ肢体を台車に乗せて搭載。こっちのぶんの輸送機は実際には来ないが、そこにあるというつもりで演習に臨むように。なお、二、三号機の台車への移し変えは四、六、七号機でやる」

 という調子で、江藤はおおまかな作業手順を説明していった。きのう風呂の中で考えたタイムテーブルなので、途中何度か北嶋にフォローしてもらったが。

「龍の操縦は交代で全員に回す。とりあえずは坂元が六号機、竜時が七号機を起動しろ。いいか、くれぐれも他の邪魔にならんようにやれよ。三機の組み立てと起動は一機ずつやって、龍を下ろした車輛は脇にどけておけ。――以上、何か質問はあるか?」

「あったら大尉に聞きますよ」

 峰國が即答した。

「貴様、素手で搬入作業やりたいか?」

「ノ、ノーセンキューであります」

「冗談だ。ちょうど俺はこれから司令部に顔出してくるんでな。戻ってくるまでは質問はすべて北嶋にするように。じゃあ北嶋、後は任した」

「わかった」

 そして江藤は姿を消し、北嶋の補足説明の後、彼らはさっそく作業に取り掛かった。



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 北嶋は給油中の輸送機の機長と打ち合わせに行き、坂元と鷹山は龍の起動シークエンスを開始。その他の面々もあれこれと仕事や見学に行っていた。

 そんななか、藤居と南田だけが手持ち無沙汰にしていた。二二式機兵搬送車乙型、通称ヤドカリを使っての龍の起動は、安全を考えると場所をとる。それなので、いっぺんにやろうとするとエプロンの広い領域を埋めてしまう。江藤の指示にもあったが、坂元が六号機を起動するまで南田は七号機に乗り込めないし、藤居はその南田が龍を起動しないと四号機を動かせないのだ。

 ふたりはパイロットスーツを着込むとすぐに暇になってしまい、しばらく滑走路の喧騒を眺めていた。

 そばの輸送機をはじめ、表に出ている機体の過半数は極東方面軍のものである。そのなかでも特に第二太平洋艦隊の所属機が多いが、これは米海軍が使用していた頃の名残というべきか。四割くらい東部方面軍や北部方面軍、赤道方面軍の輸送機も見受けられるが、どれも連絡機など小型のもので存在感は薄い。

 またも、耳をつんざくようなジェットエンジンの音が近づいてきた。藤居が滑走路のほうに目をやると、双発の戦闘機が着陸に入っていた。藤居の知識では、スホーイ系の制空戦闘機という以上の限定はできなかった。遠くで誰かが型番を叫びながら指差していたのだが、喧騒に呑まれて藤居には聞き取れなかった。

「スクランブルでもあったんでしょうか」

 後方で南田の声がした。そばにいるのは自分だけだとわかっていたので、藤居はふりかえる。五メートルほどのところに、怯えたような顔の南田が立っていた。

「気にすることじゃない。たぶん、スケジュール通りの警戒飛行だろう」

 南田を安心させようと、藤居は笑って見せた。だが、口にしたのは嘘やでまかせではない。日本でも最近は偵察機や哨戒機の類のみならず、戦闘機も頻繁に警戒飛行に出動していた。啓示軍の奇襲部隊が、常識では考えられないルートで攻めてきている以上、太平洋側にもしっかり警戒網を張っておく必要があるのだ。

「ああ、そういうことですか!」

 南田はやけに明るく叫ぶと、自分の勘違いを笑ってみせる。それは藤居を安堵させると同時に、呆れさせてもいた。機兵パイロットの訓練を受けている間、候補生らは忙しさのためにほとんど隔離状態になるが、外界の情報を得る手段がないわけではないし、さしたる労を要するものでもない。南田が、いや、坂元や他の新米隊員たちもそうだが、彼らが最近の戦況に疎いのは、彼らが世界の動きに注意を払ってこなかったからだ。短期間の育成のために訓練や講義はかなりのハードスケジュールだったが、目の前のことにばかり縛られてはならない。良き教官に巡り会えた藤居は、そう諭されたことがある。そしてその考えは、ある恩人の言葉の根底にあった意志と通じるところがあった。

「南田は、なんで軍に入った?」

 半ば回想にふけりつつ、藤居は南田にそう問いかけた。それは、かつて恩人から投げかけられた言葉でもある。

「やっぱり、給料がいいですからね。それに、なにかとツテにもなりますし」

 南田は藤居の意図を量りかねる様子だったが、ややあってそう返答した。おおかたの日本人軍人からも聞ける、ありふれた台詞(せりふ)だった。そう、台詞である。藤居は、今の言葉が南田の気持ちをそのままに表現したものとは受け取らなかった。

「軍人というのは、人を殺す職業だ。安易な気持ちでなれるものじゃない」

 南田を試すように、藤居はゆっくりと言葉を紡いだ。即座に言葉が見つからない南田。そして上空をパスする偵察機が、その沈黙を長引かせた。

 南田がようやく言葉を発したのは、もう一機偵察機が通り過ぎたあとのことだった。

「何の罪もない人を殺すわけじゃありません。警察だって、凶悪犯は殺すことがある。それと同じですよ。連邦領をあれだけ侵略している啓示軍に、遠慮なんて」

 ナンセンスだ、と、南田の顔はそう続けていた。

「たしかに、そういう理屈もあるな。でもな、自分の気持ちにきれいにはまる理屈もあれば、かみ合わないで中途半端に引っかかってるものもある」

「藤居さん?」

「これが、前線に向かう輸送機だったらどうする?」

「え」

 南田は呆気(あっけ)に取られたらしく、口をぽかんと開けていたが、ややあって途端に笑い出した。

「嫌だなあ、悪い冗談はやめてくださいよ、藤居さん。今日はただの演習だし、黒龍隊が日本を離れちゃ本末転倒じゃないですか」

 そんな南田の様子からは、今回の演習の真意に勘付いた気配が見えなかった。藤居はかすかに嘆息した。

「それはそうだ。でもいつかは実戦になる。わかっているか」

 藤居は南田の目を見据えて、問うた。

「わかってますよ、もちろん」

 視線をわきにそらして、小声で答える南田。

 また、二人を飛行機の影が覆った。

 遠くで南田を呼ぶ声がして、やっと南田は視線を戻した。

「俺の番みたいですから、行って来ます」

 ヘルメットをかぶると、南田は搬送車のほうに走り去った。

「知識と認識は違うんだよ、南田」

 藤居は、声を大にしてそれを言えない自分を、不甲斐なく思った。



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「おまえは責任者じゃないだろ。俺をなめているのか」

 江藤が再三文句を垂れると、更に数分待たされた末に、中年の将校が姿を現した。

「ようやくお出ましか。もっとも、ここのボスってわけじゃなさそうだが」

 江藤が彼に襟に目をやると、階級章の星の数は江藤のものと同じだった。つまり、その男も階級は少佐。地位もそれほど高くはないようだった。

「はじめまして江藤少佐。いやはや、議会派が強引に作らせた部隊だけあって、中央議会お得意のわめきちらしが上手のようですな」

 初対面の江藤に対して慇懃(いんぎん)に挨拶すると、敵意に近い眼差しを向けながら握手をする。

 典型的な元老院派か。江藤は内心で呟いた。

「わざわざ基地の運営を阻害してまで呼び出したのですから、それはそれは緊急重大の御用なんでしょうね?」

「今日の命令について、その出所を確かめたい。いったいどういうつもりで黒龍隊を……」

 そのとき、男が江藤の口をふさいだ。

「それ以上は、機密に関わります。下士官らの前で口走ってもらっては困りますな。黒龍隊は日帰りの演習のためにここに来た。それを忘れないで頂きたい」

 後半は囁くほどの声量になっていた。

 江藤は手を掴んでどけると、わざとボリュームを上げた。

「ふん、今日の行動予定がいまさら漏れたところで、何だと言うのだ。だいたい、発着の予定など周知の……」

 再び口をふさがれて、江藤は黙った。背伸びをして必死に口を押さえようとする男は、江藤から見れば哀れなほどに滑稽だった。

「緊急発進ということで予定されているんだ。大声で喋るな」

 慇懃な皮が剥がれはじめた。江藤は鼻で笑うと、声を落としたうえで続ける。

「あくまで極秘というわけか」

「そうですよ。近衛軍内でも、限られた人間しか知らないこと。口を慎んでもらいますよ」

「了解した。しかし道理で、統監部に紛糾がなかったわけだな」

「それはそうです。元は戦略軍から下されたものですからな」

「戦略軍だと?」

 驚いたふうを装って、江藤は目をみはった。男は自分が口を滑らせたことを悟り、一瞬だけ顔色を変えたが、すぐに取り繕いに入る。

「そうです。戦略軍参謀本部からの命です。だからこそ、一士官の詮索してよいことではないと思うのですがね?」

「バカを言うな。戦略軍が黒龍隊を直接動かすことはできないはずだろう。近衛軍が軍事委員会の要請を受けて初めて、戦略軍に管轄が委譲されるのだからな」

「そ、それは」

「戦略軍が近衛軍を騙(かた)って命令をよこしたということは、軍事委員会には話を通していないということか。そりゃあ、間抜けな近衛軍の幕僚は気づきもせんだろうな。夕方になってはじめて顔を蒼くするというわけか。で、このことを知っているのはあんたみたいな元老院派だけか。シビリアンコントロールが、聞いて呆れるわ」

「仕方のないことですよ。軍事委員会の遅々とした戦況判断を聞いていたら、東京はとっくに啓示軍に蹂躙されています。金星也元帥が元老院の意を汲んで、効率的に戦略軍を動かしているからこそ、戦線も維持できているのです」

「前線に出てもいない者が、よく喋る」

「機兵など、バロッグに隠れてこそこそやるだけの兵器ではないですか。そんな物に乗って多少戦果を挙げたくらいで、あまり態度を大きくなさらないことですね、江藤少佐」

 江藤は返す言葉を見つけられず、拳を握り締めた。

「いいだろう、仮初(かりそめ)であろうと近衛軍の命令には従う。貴官には、我が隊の出発の安全を保障してもらうぞ」

「直前に出る要人輸送機をダミーに、護衛は用意しています。ベストは尽くしましょう」

 腹に一発お見舞いしたい気分を何とか押し込めて、江藤は踵(きびす)を返した。



- 4 -


 南田の起動した七号機が搬入支援の演習に入り、そろそろ自分が龍を起動する時間になったので、藤居は搬送車に向かった。すでにそこには整備班が何人か集まっており、搬送車側の操作をすることになっているパイロット要員、群山の姿もあった。だが、見るとその群山は困惑顔だった。

「群山、どうした」

「あ、藤居さん。それが……」

「ストップ、ストップ、軍曹。俺から説明しますよ」

 口下手な群山が説明しようとするのを遮って、矢俣が現れた。対照的な高速スピークで、藤居に要点を飲み込ませた。

「充電し忘れていたのか。困ったな。蓄電池なしで燃料電池から電力供給すると、あとで燃料の超過使用分を請求するのが面倒じゃないのか」

「はい、その通りです。すんません」

 所帯じみた心配をする藤居に、矢俣はひたすら頭を下げる。

「でもおかしいんですよ。たしかに充電してきたと思ったのに」

「勘違いは誰にでもある。お互いにミスを注意しあう気配りが足らなかったんだ」

「准尉はいいこといいますね、隊長とは大違いだ。で、やむなく搬送車のバッテリーから充電してごまかそうかと思うんですけど」

「しかたないな。それで、どれくらいかかる?」

「クォーターチャージなら、三十分くらいですね」

「搬入作業の演習くらいなら、それでじゅうぶんだな」

 言いつつ、藤居は矢俣の遥か後方にある人影を認めた。生まれてからついぞ眼鏡のお世話になったことのない藤居は、それが誰なのかすぐわかった。もっとも、その人影が独特なシェイプだったおかげも多分にあるが。

「俺は坂元と南田の監督をしてくるから、早く終わったらメットの通信機で呼び出してくれ」

「了解」

 藤居は搬送車のもとを離れ、小走りに人影のほうに向かう。

 人影、すなわち江藤は、基地司令部から戻ってきたところのようだった。

「江藤少佐、どうでした」

 藤居は大声を出さなくてもいい距離にまで近づいて初めて開口した。江藤は司令部の建物を睨みつけながら、忌々しげに言う。

「どうもこうも、やはり戦略軍が近衛軍をスルーして指令を出していたようだ」

「では、茨木教官の憂えていたようなことに?」

「おそらくはな。しばらく日本の土は踏めなくなったようだ」

 苦虫を噛み潰したような、とは、今の江藤の表情を形容するためにある言葉である。

 しばしうつむいてから、藤居はこう提案した。

「少佐、そろそろ隊全員に、この演習の真実を知らせましょう」

「まだ疑惑が真実だと確定したわけではない。それに、知らせたからといって、どうにかなるものか」

「あなたが不信をかいますよ」

 藤居は躊躇せずそれを言った。

「むう、そうだな」

 江藤は腕を組んで考え込む。

「決めた。タイミングを見て、とりあえず間違いのないことについては公表する。もとより秘密にしろという命令は受けていないからな。ところでおまえ、四号機の起動はどうした?」

「ちょっとミスがあって、充電中です。三十分かかるので、それまでふたりのサポートに回ろうかと」

「ああ、頼む。俺はちょっと野暮用を済ませて来るが、それまでに俺の機体の搬入くらいは終わらせておけよ」

「了解」

 藤居は敬礼をして、Il-106と二機の防人型のほうへと駆けて行った。


*   *   *   *   *


 二十分後、江藤は段ボール箱を抱えて、トラックのドアをノックしていた。ノックといっても、礼儀のためにしたのではない。段ボールを抱えるのに両手を使っているからだ。普段ならそんな荷物は片手で抱えてもう片手でドアを開けるのだが、江藤は後生大事にダンボールを抱えており、片手に持ち替えようという気配はない。

「はいはい」

 ノックに応じて、ドアが開いた。顔を出したのは富士本だ。大型トラックで車高が高いので、巨漢の江藤といえども見下ろされる形になる。あくびをしていた証拠が富士本の目尻に残っていたが、それは大目に見てやることにして、江藤はその奥の様子を窺う。だが、このトラックの中には他に誰もいないようだった。

「おまえだけか?」

 確認のため、江藤はそう尋ねた。

「ええ、はい。班長をお探しなら、ばらした龍を載せる荷台を取りに行ってますけど?」

「いや、いないならいい。それより富士本、ちょっと来い」

 そう言って、手招きをする江藤。

「なんすか?」

 億劫(おっくう)そうに運転席から下りて来た富士本に、江藤は箱を手渡した。

「極秘の荷物だ。しばらくおまえに預けるぞ。肌身離さず持っておけ」

「え、俺にですか?」

 突然のことに富士本は目を丸くする。

「ああ、くれぐれも丁寧に扱えよ」

 江藤の念押しに息を呑みつつ、富士本は手渡された箱をしげしげと眺める。使いまわしのダンボールだが、開け口は厳重に梱包用テープが貼られ、中に何が入っているのかはわからない。

「あの、隊長、ひとつ聞いてもいいですか?」

「中身については極秘だ」

「そうじゃなくって、別の点なんですが」

「なんだ?」

「これ、空気穴ですか?」

 富士本は箱の側面に開けられた複数の穴を指差しながら尋ねた。

 質問を無視し、江藤はそそくさと逃げ出した。


*   *   *   *   *


「オーライ、オーライ、あ、もうちょっと右、いや、左だ。左に若干角度を修正。後輪がつっかかってやがる」

 龍の足元にいる相棒、鷹山から誘導を受けつつ、坂元は慎重に手足を動かす。手は操縦桿を、足はマルチフットペダルを操作しているのだ。彼のその動作に応じて、龍防人型がゆっくりと体を動かし、僚機とともに機兵搬送車をIl-106の貨物室に押し入れていく。遠くから見ると、救急車に患者をベッドごと乗せているような恰好である。

「ふたりとも、慎重にやれよ。なんせ中身は隊長の龍だ。傷をつけるとうるさいぞ」

「うるさいのはおまえだ、鷹山。気が散る!」

 自分が操縦していないのをいいことに鷹山が嫌なことを言ってきたので、坂元はコンソールに手を伸ばし、彼との回線だけを遮断した。三秒ほどの動作だったが、マニュアル操作中に三秒も片手を離すのはご法度である。

「坂元、傾いたぞ!」

 坂元の六号機が手元をたがえ、貨物室に前輪を踏み入れていた搬送車がぐらりと傾き、危うく壁にぶつかりそうになる。南田の警告で慌てて坂元が軌道を戻し、輸送機も搬送車も無傷で済んだ。

「あっぶねー」

 搬送車をしっかり貨物室に入れてしまってから、坂元は胸を撫で下ろした。

「気をつけろよ坂元。輸送機に傷つけたらやばいだろうが」

 七番機の南田が、肝を冷やしてくれた僚友をたしなめる。尻から搬送車を保持していた南田としては、物損事故でも起こされたら連帯責任に問われかねない。

「搬送車なんて自走で搭載させればいいんだ。なんで龍で押し入れなきゃいけないんだ」

「搬送車が荷台だけでも使えるからだろ? 今回は安全のために駆動部も付けてるけど、本番はたいがい荷台だけで搭載するんだって、北嶋大尉が説明してたじゃないか」

「忘れたよ、そんな細かいことは。さて、固定具付けてハッチ閉じれば、久留にバトンタッチだな」

 整備班の運んできた固定具を龍に拾わせながら、坂元はもう作業を終えてしまった気分になる。訓練時代も細かい作業では自信と定評のあった坂元にとって、固定具で車体を貨物室に固定することなどわけもない。赤子の手をひねるほうがずっと難しいに決まっている、と、彼はそう思った。

「なあ、だれか峰國を見てねえか? いねえんだ」

 無線機から朝井の声がした。

「峰國? 倉庫のほうに行ったんじゃないか」

「俺は倉庫まで行ってきたけど、いなかったぜ?」

「あいつ、サボりか」

 真っ先に龍に乗っていた坂元は、自分は答える立場にないだろうと思っていたが、誰も峰國の所在を知らないとなって、一応自分も返信した。

「見てないぞ、俺は」

 ついでに、さっきオフにした鷹山との回線を開く。

「おい鷹山、おまえの交代相手は峰國だろ。見つけないとそんまま作業続行になるぜ」

「てめえ、他人事だと思って」

「おあいこだ。ははは」

 南田とともに最後の固定具を設置しおえ、坂元は龍を立ち上がらせた。

「よーし、終了。俺は降りるぞ」

 輸送機から安全な距離をとり、降着姿勢をとらせようとする。だが、それは野太いお声によって阻止された。

「こらこら、待たんか。まだ降りるな」



- 5 -


 二機の防人型が一応は作業を終えたのを確認して、江藤は無線機を手に取った。降着姿勢をとろうとする坂元機を押し止め、搬送車の固定状態のチェックが済むまで待機するよう命令。坂元の舌打ちが聞こえたような気がしたが、今日はそこらへんは寛大に行こうと江藤は思っていたので、聞こえなかったふりをした。とはいえ、眉が軽く引きつるのは制御不能なので、傍らにいた整備班員の夏明仁らは肝を冷やした。

 部下たちの心配げな視線を浴びつつ、江藤は無線機をいじくると、黒龍隊のすべての龍、車輛、ヘルメットなどの携帯通信端末と回線を開いた。

「あー、あー、俺だ。江藤だ。黒龍隊全員に重大発表をするから、耳の穴をかっぽじってよーく聞け」

 威勢良く声はかけたものの、このまま話してよいのかと江藤は一抹の迷いに囚われて、ひとたび口をつぐんだ。

 いきなりこんなことを伝えたら、部下たちは動揺して逆効果にならないだろうか。あるいは、本来知らないでいたはずのことを教えたために、後々何かの累が及ぶことはあるまいか。江藤は、ここに来るまで部下たちに戦場体験を語って聞かせたことを、後悔しはじめていた。

「江藤少佐」

 江藤の沈黙が二十秒に達しようとしたとき、藤居の声がした。江藤にだけ送信対象を絞った通信だろう。

「今は進むしかないでしょう」

 藤居はそれだけ言って、一対一の回線を切った。

「今は進むしかない」

 江藤は反芻する。

 もう十二年も前。士官学校時代、ルームメイトとともに夜空を見上げた、あの日の言葉。ルームメイトは星に語りかけるように呟き、自分は宇宙に文句を垂れるつもりで叫んだ、その言葉。

「茨木め、俺のセリフを盗用しやがったな」

 顔をほころばせながらそう呟くと、江藤は離していた無線機を再び口元に寄せた。

「これはただの演習ではない。繰り返す、これは演習ではない。このまま輸送機で……」

 そのときだった。

 基地の警報が大音量で唸りだし、さすがの江藤の声も掻き消されてしまった。

「何事だ!?」

 江藤のその叫びに答えるようなタイミングで、司令部からのアナウンスが始まる。付近でテロと見られる複数の爆発があり、その鎮圧のために守備隊に出動を命じるものだった。犯行グループの規模や性格が不明なため、安全のために滑走路への発着も必要最小限に制限された。

「坂元、南田。現場を探して状況を知らせろ」

 江藤は起動中の防人型に事態の観測を命じる。

「俺たちは応援に出なくていいんですか?」

「バカを言え坂元。無闇に通常領域で機兵を動かすのは自殺行為だって、習わなかったか!」

「りょ、了解」

 江藤は坂元を叱咤しつつ、北嶋の携帯端末との交信を試みる。しかし、通信が確立できない。

「おい夏、北嶋はまだ倉庫か」

 倉庫の奥に入り込んで、電波が届かないのかもしれない。江藤はそう思って夏明仁に尋ねた。

「いえ、一回戻ってきて、それから基地所属の下士官と一緒にどこかへ行きましたよ」

「じゃあ何で連絡が取れない?」

「さあ……。電池切れか、電源を切っちゃったんじゃないですか」

 北嶋の所在よりは警報のほうが気になるようで、夏の返事は適当なものだった。

「あいつは周到なやつだ。そんなことはないはずだ」

 顎に手を添えて考え込みながら、江藤は歩き出す。

「あ、少佐、どこへ!?」

 慌てて夏が呼び止める。隊長と副長が両方ともいなくなっては大変だ。

「司令部に行ってくる。北嶋が戻っても俺と通信できなかったら、ここで待たせろ。それから、四番機と六番機は作業続行だと伝えておけ。二号機と三号機の荷台への移し替えは急ぐんだぞ」

「警報が鳴っているのにですか?」

「だから急ぐんだ」

 そう言い残すと、ものすごい運動量で江藤は消えて行った。


*   *   *   *   *


 江藤が建物の中に入った頃、南田は爆発のあった場所を見つけ出していた。

「滑走路の東、フェンスから二キロほどの地点。あれは敷地外ですね。あ、百メートルくらいはさんで、あとふたつ煙が見えます」

 龍の額の望遠カメラで得た情報を、圧縮処理して江藤の端末に転送する。

「よし、引き続き転送しろ。だが、くれぐれも外には出て行くなよ」

「了解です。坂元も見張っておきますから」

「目をつけていても、止められないなら見張りとは言わんぞ」

「武器は矢俣が死守してますから、大丈夫ですよ」

「それがあてになら……」

 ノイズが入り、間もなく通信が途絶えた。

「あ、切れちゃった」

 通信モニターをチェックして自分側に異常がないのを確認すると、南田は正面の拡大表示に目を戻した。そこには新たに、回転するクレーンのような腕が映し出されていた。


*   *   *   *   *


 藤居が興奮した南田からの報告を受けたのは、ちょうど四番機の充電がやっと終わり、コクピットに収まったときだった。

「こっちでも、少佐とは連絡が取れなくなった。司令部の中に入ったせいだろう」

「どうしましょう、俺。群山と操縦を交代するはずだったんですけど」

「警報がなっている状況で、乗り換えは控えたほうがいいだろうな。そのまま乗っているんだ。群山には、こっちでヤドカリの操作を頼んだ」

 そう言う間にも、群山の操作で搬送車の荷台にある懸架台が動き出し、龍の上体がゆっくりと起き上がる。

「誰か司令部まで走らせて、少佐に状況を伝えたほうがいいんじゃないですか? 敵は多分、エデンですよ?」

「俺もそう思う。だけど南田、エデンだからって過剰反応することはない。俺も中国で二年間エデンの相手をしていたし、ノウハウがあれば何てことはない任務だ。守備隊に任せておけば問題ない。――群山、手足の接続、できるか?」

「多分」

「焦らずやってくれ。駄目そうなら人を呼んで、確実に」

「了解」

 群山のぼそりとした返事に、逆に妙な安心感を抱いた藤居は、あとは黙っていてもやってくれるな、と直感した。

「南田。俺と坂元は、二号機と三号機の移し替えを続けるよう命令を受けている。君は情報収集を続けていろ。ただし、応援要請があるまでは……」

「それはわかっていますよ。手出しはしません。見るだけですね」

「そう。あまり露骨にやると面倒なことになるから、こっそりやったほうがいいぞ」

「どうして面倒になるんです?」

「この基地は元老院派が主流だ。ゲートをくぐったときから、俺たちは好意的でない視線に囲まれていたんだ」

「そんな、非常事態に……」

「細かい話は落ち着いてからにしよう。ところで、現状は?」

「ミツフシが、警官隊を蹴散らして暴れてます。守備隊はまだ展開してないみたいです」

「わかった。また動きがあったら教えてくれ」

「了解」

 南田の返事を聞きながら、藤居は同時に龍の組み立て完了の報告も群山から受けていた。通信回線を切ると、慎重を要する立ち上がりの動作に神経を集中する。水平儀を見なくとも、自分の体が仰向けから直立に変化していくのがわかる。

「――エデン、か」

 綺麗に立ち上がった龍のなかで、藤居は深呼吸をした。



- 6 -


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「おい、さっきのあいつを出せと言っているのだ! わからんのか!?」  江藤はまったく同じパターンで、司令部で時間を取らされていた。厚木基地周辺での爆破テロと、それに続く乗俑機による暴動に対処するため、上級の幹部は手が空いていないのだ……というのが、盾にされた中間管理職の男の釈明である。

 江藤はその男に怒鳴っても何も進展しないと諦め、鷹山をふりかえった。爆発はエデンのテロらしいと全力疾走で伝えに来た鷹山は、「だろうと思った」という江藤の一言でめっきり疲労し、今は江藤から少し離れたカウンターにもたれかかっていた。

「鷹山、北嶋はまだ見つからないか?」

 江藤は部下をただ休ませていたわけではない。基地内を管制している部署に北嶋の居場所を調べさせるよう、指示を出していた。

「あ、今、放送をかけてもらうところです」

 鷹山は緩慢な動作で直立姿勢に戻ると、アナウンスの用意をしている係員を目で指してみせる。

「迷子の呼び出しか。ちょうどいい、峰國も呼び出させろ」

「そうっすね」

 係に追加注文をするべく鷹山が声をかけたようとした、そのときだった。天井のほうから、重い揺れと低音が伝わってきた。穏やかなものではない。地震とも違う。

「上層階に砲撃を受けたか!?」

 状況を推察し、江藤は叫んでいた。次の瞬間、同じような衝撃がまたやってきて、窓からは別方向に飛んでいく第三弾が目視できた。その先に何があるのか、江藤は覚えていた。管制室だ。

「なんだって、こうも簡単に……」

 江藤は舌打ちをして職員たちをふりかえった。江藤が音頭をとるまでもなく、カウンターの向こうの彼らはもう動き出していた。

「被害状況を確認しろ、司令部に問い合わせるんだ!」

「司令部と断線しています!」

「緊急用の別回線がある。そっちを使うんだ」

「守備隊とも連絡をつけろ。いったいどうなっている!?」

「避難命令は出しますか?」

「バカなことを言うな、これしきの攻撃で基地を放棄するなど」

「司令部との非常回線が作動しません!」

「人を走らせろ。そのほうが速い。それから管制室の無事も急いで確認するんだ」

 職員らの慌てようからして、今しがたの攻撃はかなり効いたようだ。しかし、ここのような軍の戦略拠点は警戒が厳重だ。周辺地域に住む住民の個人情報をも閲覧し、不穏分子の排除に力を入れている。亜細亜連邦で最大の反体制組織であるエデンといえど、そう大規模な行動は起こせないはずである。しかしながらこの事態はどうしたことか。

「少佐、こうも守備隊が突破されるなんて、バロッグでも出たんじゃないですか」

 ここに次の弾が飛んでこないか心配そうにしていた鷹山が、憶測を口にした。

「それはない」

 江藤は断言できた。

「戻るぞ。ここからでは状況がつかめん」

 鷹山を伴い、駆け足でその場を去る。

 厚木に今まで反体制ゲリラの攻撃がなかったわけではないが、実害が出たことはなかった。それでいきなり、司令部周辺に被弾、爆発となれば、蜂の巣をつついたようになるのも自然なことだった。江藤たちは混乱時にエレベータを使う愚は犯さず、階段を駆け下りて行く。目につく部署はどこも、まるで白兵戦に突入したかのような有様だった。江藤がそんな様子に目をやっていたのは、いまだに通信のつながらない北嶋と、ついでに峰國の姿を探していたからでもある。

「たいしたダメージはないみたいなのにな」

 青くなった顔や紅潮している顔の並びを横目に見ながら、鷹山がつぶやいた。

「ああ、一時間もすれば落ち着くだろうが、それまでが大変だ。軍だって、指揮系統を壊せばこういうものなんだよ」

 地獄耳も自称している江藤は、悪口以外もちゃんと平等に耳に拾う。わりと冷静に事態を見ている鷹山に、少しばかり教育を施してやる。

「見てらんないな。たかだかエデンが、そんなたいした攻撃してくるはずないのに」

 鷹山は嘲笑気味にそう漏らした。

「そうか、そういうことか」

 廊下を渡りながら、江藤は気がついた。南田の報告によれば、爆発があったのは東だったはずだ。だが、さっき窓から見えたロケット弾か何かは、北西から発射されていた。

「ビルの爆破も、乗俑機を暴れさせたのも、陽動だったのか。――だが、それだと囮部隊は捨石になる。ハイリスクに見合うリターンが見込めなければ……」

 もしや、と、江藤は思った。

 そして、その推測は正鵠を射ていた。


*   *   *   *   *


「別の方向から第二派!?」

 坂元は思わず聞き返した。ロケット弾での攻撃に続いて、北西から基地に迫っている武装ゲリラがいるというのだ。二号機のパーツを台車に移し変え終わり、三号機のほうもそろそろ藤居が終えてしまうという、そんなタイミングでのことだった。

「守備隊は何やってるんだ。役立たずもいいとこじゃないか」

 坂元は悪態をついた。

「街ん中だからだろうな。守備隊はまだ鎮圧に手こずってる」

 南田が、東側の戦況を知らせてくる。

「竜時。江藤少佐が俺たちを残した理由が今わかったぜ」

「理由だって?」

「第二波を予想してたんだろ、少佐は。だから俺たちを迎撃要員として待機させたんだ」

「待てよ坂元、通常領域じゃ機兵は……」

「相手は乗俑機のせいぜい乙クラスだ。敷地内で勝負すれば、後ろをとられる心配はないし、負けるもんかよ。少佐がそう踏んだんだから、やれるんだろうさ」

「少佐がそのつもりだったって、決まったわけじゃないだろ!」

 南田のそんな制止を無視し、坂元の龍は台車から離れ、ある一台のトレーラーに歩み寄った。

「おい、コンテナを開けろ」

「曹長、武器はまずいって!」

「雷紫電ならいいだろ、出せよ」

 坂元は強引にコンテナを開ける勢いで迫った。

「わ、わかった。雷紫電なら」

 トレーラーのコンテナが蓋を開け、中に積まれた機兵用武器の数々が日を浴びる。坂元の六号機は、そのなかから二二式電磁槍「雷紫電」を掴むと、北西に機体の正面を向けた。

「坂元、落ち着け。機兵の出る幕じゃない」

 藤居も坂元をなだめにかかったが、彼は聞いてはいなかった。接近中の乗俑機をカメラで捉えると、戦力分析を始めた。

 例の三節腕と、ベストセラー乗俑機「篁二式」が一機ずつ。篁二式のほうは軽量級でパワーがないので鎮圧は容易だが、三節腕の自慢の腕は、機兵並みの力がある。火器を使わずに相手するとなると少々面倒な相手だ。しかも、向こうは火器を使うことに躊躇がない。坂元は画像を拡大して、火器の有無を見極めようとする。だが、彼の視界はすぐに遮られた。

 坂元がモニターを切り替えると、すぐ前に藤居の四号機が立っていた。

「どいてくれ、藤居准尉。視界の邪魔だ」

「無闇に機兵を使うことはない。壊しでもしたら、いざというときに困ることになる」

「今がその、いざってときじゃないか」

 強引に前に出る坂元の六号機。暴動を起こしている乗俑機二機は、もうフェンスの突破にかかっている。どうして守備隊なり近隣の部隊なりが阻止できなかったのか、坂元は疑問に思うのと同時に、自分にお鉢が回ってきたことに感謝もしていた。

「もう基地内に入った。大義名分には困らないはずだろ」

 坂元は単機、走り出した。

「戻るんだ、坂元! 相手の出方がわからないうちは危険だ。BC兵器の可能性だってあるんだぞ」

 藤居は珍しく声を荒げたが、それも坂元には届かないようだった。六号機はだんだん小さくなっていく。

 どうするべきか迷う藤居のもとに、南田の龍がやって来た。

 坂元を抑え込むか、エデンを押さえ込むか。南田に相談しようとした藤居は、七号機が前を通り過ぎてコンテナの下にしゃがみこむのを見るに至って、南田の目当てが自分でなくコンテナであったことを知った。

「南田、おまえまで……」

 雷紫電を手に取る防人型。

「坂元に任せておくと、ヒヤヒヤものじゃないですか」

 そう言って、南田も坂元の後を追う。

 しばし、藤居の龍はその場に立ち尽くした。



- 7 -


「ええい、当たって欲しくない予想が大当たりしやがった」

 そんな愚痴をこぼしながら、江藤と鷹山は一階に着いた。エデンの別働隊接近の報は基地内でもアナウンスされ、防衛線を張るために銃や防弾具で武装した兵士たちが展開を始めている。しかし警備がもともとの仕事であるらしく、重武装に慣れているようには見受けられない。

 江藤は携帯端末を取り出し、隊の誰かとの無線通信を図った。だが、うまく交信できない。中継器がどれも混線しているのだろうか。

「バロッグは出ていないはずだが……」

 五感に違和感がないのを改めて確かめた江藤は、外に出てからやり直そうと、再び歩調を速める。すると、それを引き止める声があった。

「江藤少佐でありますか?」

 聞きなれない声に江藤が振り返ると、そこには東部方面軍の制服を着た下士官が立っていた。基地の守りにつこうといういでたちではない。

「そうだ」

 胸を張って肯定すると、その下士官はほっとした表情を見せて、次の瞬間にはそれを引き締めた。

「江藤少佐、自分とご同行願います。命令によりあなたと……」

「後にしろ。貴様、もっと場の雰囲気を読め」

 相手が用件を言い終える前からはねつけると、江藤は立ち止まったのがばかばかしいと言う素振りで走り出そうとする。だが、その行く手は三人の男に遮られた。東部方面軍の服は着ていないものの、彼らが結託して命令を実行しようとしているのは間違いなさそうだった。

「しゃらくさい。自慢じゃないが、俺は二対四で負けたためしはない」

 拳を鳴らして、三人ににじり寄る。

「遠慮するなよ、鷹山。こんな絶妙のタイミングで呼び出しなど、嘘っぱちに決まっている。こいつら、さては襲撃を事前に知っていやがったに違いな……」

 ドタッ。背後でした物音に江藤が振り返ると、鷹山が崩れ落ちていた。気絶している。東部方面軍の男の手には、スタンガンがあった。

「そっちも強硬手段ってわけか」

 江藤はスタンガンを持った男を後回しにし、まずは三人のうちひとりに殴りかかった。これからおしゃべりが展開されると思って油断していたのか、その男は防御も回避もしそこね、見事に江藤の拳をもらってふっ飛んだ。

 うまい具合に逃走路ができたので、江藤は鷹山に詫びつつ猛然と走り出した。だが、殴り倒した男を跳び越え損ねて踏んづけてしまい、スピードが鈍った隙に他のふたりに追いつかれ、捕まってしまった。両腕を左右から固められると、さすがにすぐにはふりほどけない。

「暴れられては困ります。丁重にお連れするよう命令されていますからね」

 慇懃な男がスタンガンを近づけて、江藤に押し当てようとする。人が来ると困るので、問答無用で眠ってもらおうというつもりらしい。江藤は両脇のふたりを振りほどこうと踏ん張るが、間に合いそうにない。

 ――まずいか。

 諦めかけた、そのときだった。スタンガンの男の背後から、ひょっこりと浅黒い馬面が現れた。

「こちょこちょこちょ!」

 峰國は後ろからスタンガン男の脇に手を回して、くすぐった。よほど峰國のそれは上手かったのか、男はたまらずに身をよじらせる。

「う、ひゃはひゃひゃ……。あ、危な……」

 バシッ!

 男は誤って自分の体にスタンガンを押し当ててしまった。気絶とまではいかないが、痺れで動けなくってしまい、膝をつく。

「ナイス掩護だ、峰國」

 江藤は快哉を上げるや否や、渾身の力を込めてふたりを振りほどいた。相手がよろめいたところで、顔面に拳を叩き込んで各個撃破する。

 手をはたきながら、江藤は救援の峰國に向きなおった。

「峰國。どこをほっつき歩いていたか知らんが、とりあえずその件はあとだ。おまえはこのバカどもを基地の連中に突き出しておけ。俺は隊の連中の指揮に戻る」

「ラジャー!」

 峰國の敬礼を見届ける時間も惜しみ、江藤は外へと急いだ。



- 8 -


 厚木基地に侵入してきたのは、坂元の確認した二機に加え、武装したジープ二輛だった。ジープのほうには銃や爆弾で武装した男たちが十人前後。覆面のつもりか、全員ガスマスクのようなものをつけている。一方、乗俑機のほうは工事現場からそのままやって来た様子で、建材の類を握って振り回している。後方からは軍や警察が追って来るが、彼らはポーズばかりで何故か実際に攻撃しようとはしない。

「たかが建機だろうが」

 坂元を先頭にして、三機の龍がその前に立ちはだかった。高さ十四メートルの障害物が立ちはだかったことでひるんだのか、先頭の三節腕が速度を緩める。だがすぐに、その背後からジープが走り出てくると、乗っていたうちの一人が拡声器を持ち出した。

「我々は、軍の開発した毒ガスのタンクを持っている! 妙な動きをすると、いますぐばら撒くぞ!」

 その言葉に合わせて、先頭の三節腕が、腕に抱えた円筒状のタンクを掲げた。わざとらしく骸骨のマークがペンキで書き殴ってある。

「さあ、わかったらそこをどけ、デカブツめ」

 啖呵を切って、侵入者らは驀進(ばくしん)する。

 思わぬ技を繰り出されて、三機の龍は動くに動けなくなった。三節腕はずしずし向かってきて、道を空けるようプレッシャーをかけてくる。

「自殺する気かよ、奴ら」

 南田が息を飲む音を、藤居は聞いたような気がした。龍がバルムンクフィールドを展開しているせいで、彼らは自分たち三人の間でしか通信できなくなっているが、そのぶん、いつもよりよく同僚の気配が感じ取れるようだった。

 動かない龍を見て、三節腕は改めてタンクの存在を誇示した。しかたなく、四号機と六号機は進路上から離れる。だが七号機、すなわち坂元の防人型だけはその場を動かない。

「おい坂元、引くんだ。とりあえず奴らの目的と、タンクの中身が本物かどうかわかるまでは……」

「毒ガスなんてハッタリだ。ロケットで攻撃できるんなら、それで毒ガスを撃ち込めばよかったんだ」

 言うが早いか、坂元の防人型が雷紫電を振りかざして走り出した。

「ガ、ガスを撒いちまうぞ!」

 ひとりだけ脅しを無視して仕掛けてくる龍に、拡声器をもった男がうろたえる。同時に友軍の守備隊からも制止の声が聞こえたが、坂元はそのまま三節腕に躍りかかった。

 坂元が背部の機関部分を狙って突き刺そうとした雷紫電は、三節腕が当てずっぽうで振り回した腕によって払われた。高さが龍の三分の一しかなく、短足で高速移動もできない三節腕ではあるが、腕だけは龍と同じくらいの長さとパワーがあるのだ。そしてその自慢の腕は四本あり、タンクを抱えるのに二本を費やしていても、まだ二本が自由になる。三節腕は雷紫電を弾いた隙をついて、龍の足元へ飛び込んだ。

「くそっ」

 坂元が改めてその背中を狙う。機関部を潰せば、動けなくなるだろうという算段である。長身の大人が肥満児に抱きつかれたような恰好なので、三節腕が自らすべての腕を封じてしまった今、それは容易なことだった。

 しかし、雷紫電はまたもや的を外した。三節腕が六号機の脚を掴んで持ち上げると、それを横に放ったのだ。龍は脚払いを受けたようなかたちになり、機体が傾いたのでおのずと雷紫電も空を切ったのである。

「機兵め、やろうってのか……。かまわねえ、バルブを開けろ!」

 ジープのほうから指示があり、三節腕がタンクのバルブに手を伸ばす。

「坂元、適当に暴れるんだ!」

 制止のために転進した藤居が、六号機と三節腕の組み合っている現場に辿り着いた。だがそのときにはもう、三節腕がタンクのバルブをマニピュレータで掴んでいた。

 間に合わない。藤居はバルブが開放され、ガスが噴き出てくる様を想像したが、彼の目はそれとは違った現実を見せていた。右のふたつの腕がだらりと垂れ、支点を失ったタンクが滑走路脇の芝生に転がる。

 見ると、坂元が三度目の攻撃を成功させていた。雷紫電を肩の関節部に捻じ込んで、駆動系を物理的に破壊したらしい。

 転がったタンクを拾おうと、すかさず南田機が走った。しかしそれは、軽快さが売りの乗俑機、篁二式によって先を越された。篁二式はガスタンクを抱え込むと、すぐにバルブに手をかけた。

「くそ」

 膠着状態。藤居は地団太を踏みたい気分だった。



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 ようやく外に出られた江藤は、すぐに龍との通信を試みた。道すがら、雷紫電を持って走っていく龍の姿を窓から目撃していたからだ。しかし乗俑機のほうは見えなかったので、江藤には藤居や南田までが武器を持ち出したことが解せないでいた。

「藤居、おい藤居! 南田、坂元! ――くそ、届かない。バルムンクフィールドを展開したか」

 江藤は諦めて、車の無線機に向かって呼びかける。

「おい誰か、どうなっているのか簡潔に報告しろ。なんで龍は三機とも走って行った!?」

 ほとんど間を置かず、矢俣が出た。

「別の方向からもミツフシやらなんやらが襲ってきたんですよ」

「まだ持っていたのか、連中は!」

 江藤は耳を疑った。この程度の暴動は早晩、鎮圧されるのが目に見えている。それでも抵抗の意志を示せれば充分だという輩もいるにはいるが、そういった手合いが乗俑機を何機も用意できるとは考えにくいし、もっといい金の使い道はいくらでもあるはずだ。

「ひっかかる、ひっかかるぞ。不自然だ」

 ロケット弾での攻撃で満足すればいいものを、あえて彼らが乗俑機による侵入を企んだ理由が、何かある。しかしそれが何なのか、当の乗俑機が見えない位置にいる江藤には、見当もつかなかった。

「毒ガスのタンクを持っているとか、叫んでるらしいです」

 矢俣が江藤に新たな情報をもたらした。

「坂元が単独で切り込んで、交戦状態ですよ。なんであんなに無謀なんですかね、あの人は」

「そういうことか。状況はだいたい飲みこめた。毒ガスだか何だか知らんが、全員、できるだけ離れろ。できるなら気密ブロックに……って、そんな場所ないか」

 隊全員に呼びかけながら、江藤は戦場の見える位置まで移動する。龍や三節腕などの姿が見えたが、遠くて何をやっているのかわからない。

「江藤少佐、どうすればいいんですか? 乗俑機がガスのタンクで脅しをかけてて、なんか膠着状態らしいんですけど」

「どうもこうも、通信が繋がらんのでは指示が出せん。うまいこと時間さえ稼いでくれれば、それが最良だが……」

「どういうことです?」

「守備隊がロケット弾か対戦車ライフルか、とにかく乗俑機を一発で破壊できるものを準備中のはずだ。それさえ届けば、後ろからズドンとやって、一件落着だ」

「ああ、なるほど」

 おまえが納得してもしかたないだろうと江藤は思ったが、矢俣のおしゃべりに付き合っている場合ではない。龍を起動させれば通信も指揮もできるが、果たしてその時間があるのかどうか。難しい選択ではあるが、第三波が来る事態も憂慮すれば、起動しておいたほうがいいだろう。通常領域の、しかも都市のような待ち伏せや包囲の容易な場所で機兵を動かすのは避けたかったが、部下の三機を放っておく危険のほうがずっと大きい。

 見晴らしのいい場所に出たところで、江藤は周囲をぐるっと見回した。タキシングして戦場と距離をとる飛行機や、逆に向こうに走っていく兵士たちの姿がある。そんななか、江藤の龍を搭載したIl-106輸送機は、周囲の車などが邪魔で動けずにいるようだった。

 江藤は、一機だけぽつんと取り残された、青い高速連絡機に目がとまった。エデンの侵入してきた場所に近く、そこは明らかに危険だった。特に、多少の知識があればそれが要人輸送用の特別な機体だとすぐにわかってしまうのだから。

「奴ら、もしやあれを狙って……」

 江藤ははっとなった。最初に司令部に行ったときに聞いた話からすれば、あの機体はそろそろ発進するころで、中にはお偉方が乗っている可能性が高いのだ。そして、エデンがロケット弾による攻撃と乗俑機の侵入を果たせた理由が、陽動のみにあるとは思えなかった。

 情報の漏洩か、あるいは内通か。

 先ほどの怪しげな連中がこの襲撃を知っていた様子が思い出され、江藤の疑惑は憤りへと転じた。

「派閥争いで軍を潰す気か!」

 江藤の咆哮と、北西からの爆音が重なった。



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 膠着はエデンのほうから崩された。篁二式がガスタンクで恫喝を維持しつつ、武装ジープが龍の突破を図ろうとしたのだ。そしてそれを待っていたのが、密かに配置を終えていた狙撃要員だった。側面からの対戦車ミサイルが、篁二式の操縦席を吹き飛ばした。

「くそっ!」

 藤居はモニターを叩いていた。

「南田、坂元! 残りの連中を武装解除させろ! 早く!」

 完全な命令口調で叫ぶと、藤居は足元を抜けていったジープを追った。気迫に押され、何の疑問も呈さずにふたりは藤居に従う。坂元はもう一輛を追い、南田は三節腕を押さえ込みに向かった。

 三節腕は、坂元によって右二本の腕を封じられたとはいえ、まだ油断ならなかった。現に、大破した篁二式の腕からガスタンクを回収しようと動き出していた。

 二度も同じパターンを繰り返す恥を、南田はかかずに済んだ。邪魔になる雷紫電を放り出した甲斐あってか、すんでのところで先にガスタンクを手中に収められた。

「よし」

 南田は三節腕に背を向けて、ひとまずガスタンクを遠くに移そうと、龍を走らせた。鈍足の三節腕に追いつけるはずもない。だがそのとき南田は、ひとつのことを失念していた。いや、あるいは最初から藤居の意図を解していなかったと評価するべきかもしれない。

 七号機の後方で、三節腕は蜂の巣と化した。


*   *   *   *   *


 江藤は息を切らしながら、高速連絡機のもとへ到達した。案の定タラップ車が接続しており、エンジンも回っている。エデンの目標にされているかもしれないという危機感は全く感じられなかった。江藤は乱暴にタラップを駆け上ると、力任せに搭乗ハッチを開けた。

「江藤!」

 思ってもみなかった人物が、中にいた。

「北嶋、なんでこんなところにいる?」

 呆けた顔をして、江藤は尋ねる。

「それは……」

「いやそれより、さっさとこの機から全員退避するなり、こいつをタキシングで退避させるんだ。すぐそこまでエデンが……」

 江藤がふりかえって外を指差そうとしたとき、外から扉が閉められて、江藤は突き指をしてしまった。痛みよりは驚きのほうが強く、すぐさま北嶋のほうに向き直る。江藤の提言で退避を始めたような様子ではない。

「北嶋、もしや……」

 その後を聞くまでもなく、北嶋は頷く。

 江藤は北嶋を囲っている士官たちを見た。目の合った青年が笑う。

「迎えの者が行きませんでしたか、江藤少佐」

 ハッチからタラップ車の離れていく音。江藤は、自分の乗った連絡機が動き出していることを知った。そして、その車輪の向く先が駐機場でないことも。


*   *   *   *   *


 坂元は、基地の中心へと走ったジープの拿捕(だほ)に成功していた。

「武装を解除して投降しろ、さもないと……」

 マニュアルどおりに降伏勧告をアナウンスしはじめた坂元は、自分が装甲越しに銃を向けられていることに気づいた。

「殺すのか、市民を、国民を!? あんなふうに!」

 覆面の外れ、鬼のような形相を顕(あらわ)にした中年の男が叫んでいた。リーダー格らしいその男は、龍の顔を、そしてモニターの先の坂元を睨み、残骸と化した二機の乗俑機を指差す。坂元は言葉に詰まった。

「な、なんでおまえらはそうやって、楯突く!? 俺たちは連邦を守るために戦ってるんだぞ!」

「連邦の体制下でどれだけの人間が苦しんでいるのか、エリートの貴様らにはわからんのだ! 我々は、世界市民の平等なる……」

 高まりを見せる前に、男の演説はそこで中断させられた。横から守備隊の銃撃が始まったのだ。エデンの武装ゲリラたちはジープを盾にしながら撃ち返すが、数が違いすぎる。そのうえ守備隊は背後にも回りこんでいて、次々に彼らは倒れていく。

 坂元は、何をすればいいのかわからなかった。ただじっと、目の前で人が死んでいくのを見ていた。何かをすべきなのか、それさえも、よくわからない。

「おのれ亜細亜連邦軍! これは報いだ。思い知れ!」

 最後に残ったリーダー格の男がそう叫び、懐から取り出した何かのスイッチを押した。坂元は、やや遅れてその意味を知る。

 彼が視線を転じたとき、南田機は炎上する三節腕の前で、ガスタンクを抱えたまま立ち尽くしていた。だがその一秒後、ガスタンクが爆発。南田機は衝撃でぐらりと傾き、尻から倒れこんだ。

 タンクの中身は、毒ガスではなかった。

「竜時!」

 思わず、坂元は叫んでいた。だが、あの程度の爆発では龍に対して致命的なダメージにはなりえない。南田の命に別状はないはずだった。頭ではそうとわかっていても、しかし、坂元は煮えたぎる衝動を抑えられなかった。

「手加減してればいい気になりやがって!」

 坂元は電磁槍を振り上げた。最後に残った、リーダー格の男に向かって。何を血迷ったものか龍に向けて銃を乱射するその男めがけて。

「坂元、待てぇぇぇ!」

 誰かの叫びが聞こえたが、その意味は彼の意識に届かない。坂元は、トリガーを引いた。


*   *   *   *   *


「間に……合ったか」

 藤居は胸を撫で下ろした。藤居の龍は七号機にタックルをかまし、そのままジープの上にかぶさって、それ以上の流血を止めることに成功したのだ。

 藤居は守備隊に向かってエデンの武装解除を宣言すると、その身柄を生きた人間として守備隊に預けた。

「南田曹長、無事だな?」

「はい、藤居准尉」

 装甲はすすけてしまったが、七号機は無事だった。ガスタンクに偽装していただけで、爆弾としての威力は低かったらしい。

「坂元」

 藤居は、一言も発しない坂元に声をかけてみた。だが彼自身、その先に続ける言葉が見つからない。

「状況終了ですよね、藤居さん」

 普段の坂元からは想像できない、力のない声だったが、坂元はしっかりと龍を立ち上がらせた。大丈夫とまでは言えないが、まだ丈夫なほうだ。藤居はそう思った。

「ふ、藤居さん! あれ、滑走路!」

 ほっとしたのも束の間。南田の声と同時に接近警報が鳴り響き、その方向を移したサブモニターに目をやった藤居は驚愕した。青い高速連絡機が、こちらに向かって滑走してきていたのだ。このままでは藤居か坂元の龍とぶつかる。だというのに、高速連絡機のほうは減速も針路変更の気配もないどころか、ランディングギアが宙に浮きかけていた。

「坂元、避けろ!」

 藤居は六号機を突き飛ばすと、ジープを脇に蹴飛ばしてから姿勢制御ロケットで逆噴射。高速で飛びすさった。突き飛ばされた坂元も、反動を利用してなんとか横に転げる。

 体勢を維持したまま回避に成功した藤居は、反射的に高速連絡機をふりかえった。そのときにはもう目の前だった。そして、一瞬で横切っていくその機体の窓に、藤居は見知った人影を見ていた。

「江藤少佐!」

 高速連絡機はそのまま滑走路を突っ切り、離陸。青い機体は、やがて空に溶け込んだ。