黒龍隊の挽歌 第九話

闇に煌めく虹



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 射爆場の北のはずれで、仰向けに倒れていたエントゼルトゾルダート。鹵獲(ろかく)した機兵を標的用に置いているとは珍しい。そう思った藤居は、近づいて様子を見てみようとしたが、すぐにそれが致命的な過ちだと知った。

 不意に上体を起こしたゾルダートは、腕に具(そな)わった連発グレネードを発射してきた。鬼ごっこ用に、戦闘に準じたモードで操縦していたおかげで、藤居は警報を受けてなんとか回避運動を取ることができたが、それは初弾が掠(かす)めて行ったあとになった。誘導しないグレネードであったため、三発目までは勝手に外れてくれたが、四発目と五発目は藤居の防人(さきもり)がいた場所に撃ち込まれる。そして六発目が、緊急回避のあとで動きが一瞬止まってしまった龍(ロン)を捉(とら)え、身をよじった龍の腹部装甲を横から抉(えぐ)った。

 吹き飛ばされたのは腹部多重装甲の表面だけで済んだ。衝撃でよろけたものの、自動の姿勢制御で龍はなんとか踏みとどまる。しかし中の藤居は、投げ技で床に叩きつけられたような衝撃を受けて、咄嗟(とっさ)に次の動作が取れなかった。

「准尉、逃げてください!」

 つなぎっぱなしだった回線から円道の悲鳴が聞こえた。我に返った藤居はメインディスプレイの情報にすばやく目を走らせると、ゾルダートが標的用のコンクリート壁の陰に隠れるのと、自機の損傷状態が思ったより軽微であるのを見て取った。

 ――どうして敵がこんなところに。

 丸腰の藤居にその疑問を消化している暇はなく、胸部に標準装備されている発煙弾を発射して、煙幕を頼りに後退するのが精一杯だった。

「こちら藤居。エントゼルトゾルダート、二脚標準タイプを一機確認。向こうから発砲してきた。敵性と思われる」

 今使えるのはジソコンとのレーザー通信だけ。藤居はひとまず北嶋に状況を報告し、指示を仰いだ。

「こちらでも状況がわからない。ひとまず後退してくれ。今のところは、敵機のおおよその位置はトレースできている」

 焦燥感の滲(にじ)み出た北嶋の声といっしょに、ジソコンのほうで追っている敵機の位置情報が藤居機に伝達され、サブディスプレイに敵機を示すマーカーが表示された。そしてやや遅れて、ジソコンの把握している峰國(フェングォ)朝井の位置が転送されてくる。オフにしていたRBRセンサーを作動させると、味方二機の位置に対応する反応は見て取れるが、ゾルダートに対応する前方からの反応はない。それは煙幕にRBR遮蔽粒子が添加されているからで、これがなければ敵からもRBRで探知されてしまう。今はジソコンが別途に敵機をトレースしてくれているから、こちらのほうが情報面で有利だ。

 情報面での劣勢を知ってか知らずか、ゾルダートはゆっくりと後退をはじめた。こちらも火器を携帯していないので、願ってもない展開である。藤居は北嶋の指示通り、おとなしくその場から引き下がった。



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 ジソコンからの連絡を、江藤は第三小隊の夏明仁(シャー・ミンレン)から伝えられた。江藤の小型トラックではバルムンクフィールド展開中のジソコンと通信できず、坂元たちの持ち出した機兵搬送車の通信機を介した結果である。

「敵襲だと」

 耳を疑ったのも一瞬のこと。江藤はすぐに己の油断を悟り、唇をかみ締めた。安超備の気楽そうな言動を見たからとはいえ、警戒を怠ったのが自分であることに違いはない。

 江藤が夏に状況の確認をさせようとすると、そこへ安超備が怪訝(けげん)な顔をして現れた。

「さっきの音はなんだ。発砲音のようだったが」

「敵襲であります。ゾルダートタイプが一機、射爆場北方から侵入した模様です」

「機兵に侵入されただと」

 てっきり血相を変えるかと思ったが、安は意外にも落ち着きを保ったまま、現状の不可解さに首をかしげた。聞くまでもなく、それは防衛網に感知されずにどうやってここまで機兵が侵入できたのか、という疑問である。江藤は安が再び口を開こうとするのを手で制止して、搬送車の座席で通信機を扱っている夏を見上げた。

「で、現状は?」

「准尉の使った煙幕を利用して、向こうも後退したようです。彼我(ひが)戦力差を不利と認識したのでしょう」

「こちらが丸腰なのには気づかないでくれたか」

 不幸中の幸いである。いくら一対三だとしても、こちらに武器がなくては戦いようがない。もし向こうも丸腰なら、取っ組み合いで取り押さえてもいいが、さっきの砲声や爆発音がそのプランを即時却下している。

「中佐殿、黒龍隊は独自の判断で迎撃行動に出ます。よろしいですな?」

「基本的にそれで構わないが、必要に応じて指示は出すぞ」

「了解であります」

 当然のことをいちいち言わせるな。江藤は内心で毒づきながら、車に戻ってエンジンを始動させる。その頃には、事態を知った坂元や鷹山たちも次々に搬送車に乗り込みはじめていた。

「坂元、倉庫に戻って龍を出すぞ。それから、待機している竜時たちを援護に来させるんだ。第二小隊はその隙に後退、武器を取らせろ」

 それらも指示し終えぬうちに、江藤はエンジンのかかった小型トラックを早々に発車させ、愛機を置いてきた倉庫に向かってアクセルを強く踏み込んだ。


*   *   *   *   *


 敵襲。その言葉は、半ば弛緩(しかん)状態にあった南田の憂いを明瞭な不安感として再び認知させるのに、じゅうぶんすぎるほどの重さと鋭さを持っていた。

 ジソコンの二号車に詰めていた富士本から事の次第を聞き終えたころには、南田は手近に置かれていた雷紫電(らいしでん)を龍の太ももにマウントし、さらに火縄を並べた搬送車のほうに龍の手を伸ばしていた。

「曹長、これはマジですか? 実戦なんて」

 杜洋伸(ドゥ・ヤンシェン)は、危機をまだ現実として実感できず、これが江藤のたちの悪い訓練の一環ではないかという、淡い期待を捨てきれないでいるようだった。

「いくら少佐でも冗談であんなことを言うわけない。洋伸、準備を急げ」

「りょ、了解」

 隣で腰をかがめている杜の龍が、南田の防人型に続いて雷紫電を手に取り、さらに火器のストックに手を伸ばす。

「洋伸、腕のミサイルポッドはいい。ともかく救援を急がないと」

 南田は雷紫電に加えて二門の火縄を龍に持たせると、僚機二機を置いて走り出した。背中のロケットに火を入れ、マスディフューザの展開領域を最大に設定し、擬似ホバー状態で時速二一〇五十キロまで加速する。

「曹長、早い!」

 単機で先行しようとする南田に、批難じみた言葉を発したのは群山だった。倉庫の奥から火力の高いロケットランチャー「鬼火(おにび)」を持ち出しているうちに出遅れたのである。その群山機に、結局ミサイルポッドを装着した杜洋伸の龍が加わり、南田の後方に二機の龍が続く形となった。後続二機も同様に擬似ホバー状態で加速するが、相対距離が縮まることはない。

「防人のほうが足は速いんだ。俺は先に行く」

 南田はさらに機体を加速させようとしたが、そこへ別回線の通信が入ってきた。

「基地管制より連絡! 九時半の方向、基地より距離十三キロの地点に別働隊発見。至急迎撃されたし、とのことです」

「別働隊!? 数は?」

「確認されているのはゾルダートタイプ二機」

「守備隊は何をやっていたんだ。――群山、俺は第二小隊に火縄を渡してから合流する。群山たちは先に向かってくれ。俺もフルスピードで追いつく」

「了解」

 南田はそのままの進路でフットペダルを踏み込み、後続の群山と杜は弧を描きながら左に進路を変えた。レンジ最小で表示されていた複合センサー画面からは、すぐにその二機のマーカーが消えてしまう。南田は、はじめて一人きりで機兵を操縦していることに気がついたが、今は心細さよりも藤居たちを憂う気持ちのほうが先立った。


*   *   *   *   *


 砂塵(さじん)を巻き上げまっしぐらに疾走していく防人型を見て、江藤は左手に通信機を取った。

「ジソコン二号車、応答せよ。誰か乗っていないか」

「こちらジソコン二号車。隊長、さっき管制から敵襲だって……」

 応答してきた富士本は、明らかに狼狽していた。

「わかっている。今、竜時の防人とすれ違ったが、単機だった。あとの二人はどうした」

「西から別働隊が迫っているんです。でも竜時、いや南田曹長だけは第二小隊に武器を届けに北に向かった次第です」

「別働隊までいるのか。戦力は?」

「ゾルダートの二脚タイプが二機。まだいるかもしれません」

「俺はあと数分でそっちに着く。それまでに、二号車に残りの女の子たちを集めとけ」

「了解」

「それから、近距離用の武装を引っ張りだしておけ」

「それならいま、矢俣が取り掛かってます」

「よし」

 江藤は通信機の端末をフックに戻すと、前方左に、ライトに照らされてクレーターの縁が見えてきた。江藤は進路を右に修正して、クレーター南の倉庫に急ぐ。

 今頃藤居たち第二小隊はどうなっているだろうか。敵が仲間を連れて戻ってきてはいないだろうか。なぜ龍に乗って現場監督をしなかったのかと、江藤は自分の迂闊(うかつ)さを踏みつけたい気持ちでいっぱいだった。

 それから二分。やっと江藤は倉庫に着いた。歌でも歌っていればすぐに過ぎてしまう時間だったが、三倍以上に長く感じられた。煩(わずら)わしい思いをしながらエンジンを切り、八つ当たりするように座席を蹴って、江藤は小型トラックから飛び降りる。向かう先は、肩に重機関砲を備えた江藤専用の龍である。

 省電力の待機モードに設定しておいた江藤の龍は、江藤が腹に収まってすぐに通常稼働状態まで出力を上げた。江藤は手足に操縦用入力装置をはめると、搭乗に手間取る第三小隊に先立って、愛機を立ち上がらせる。残っている武器の中から使い慣れた火縄と雷紫電を選ぶと、ジソコン二号車の出動準備が整ったか確認を取った。

「メンツはそろったか」

「機関砲の砲手がきまっていませんが、他は乗り込みました」

 戸惑いながら返事をよこしたのは、富士本でなく矢俣だった。席を替わったらしい。おそらく機兵の操縦訓練を受けている富士本が、人員不足の管制システムの補助に回ったのだろう。

「飾りだけでも誰か座らせておけ。ただし、女の子以外だぞ」

「了解」

 妙な気遣いだと思われたのか、矢俣のふき出すような音が聞こえたが、江藤はそれを無視して付近の全員へ回線を開いた。

「俺は西の別働隊を叩く。第三小隊は第二小隊に代わって北面を警戒だ。戦闘開始後は通信に支障が出る可能性が高い。必要に応じてジソコンを経由するが、おまえら、矢俣の言うことでもちゃんと聞けよ。それから矢俣、砲手を据(す)えたら少し車を西に動かせ。この位置では基地施設が邪魔になって射爆場との通信がしにくいはずだ」

 矢継ぎ早に指示を出し、江藤は西へと愛機を疾駆させた。


*   *   *   *   *


 藤居は峰國、朝井と合流し、北嶋たちの乗ったジソコンを守るようにゆっくりと後退を進めていた。峰國の防人型に残された発煙弾と、ジソコンに備えられた機関砲だけが防御の頼みという心許ない状況だが、幸いにも、敵が戻ってくる気配は今のところなかった。

「藤居くん。竜時くんが火縄を持ってきてくれた。受け取るんだ」

「ありがたい」

 藤居は前方の監視を峰國らに任せて、駆け足でジソコンより後ろに下がり、こちらに向かってくる龍を待ち受けた。ここで火縄が一門でも加わるのはとても心強い。しかし、どうして南田ひとりしか来ないのか、藤居は一抹の不安を覚えた。

 推進剤を惜しみなく使って駆けつけてくれた南田は、藤居に火縄を渡しながら、バルムンクフィールド共有による通常無線で話しかけてきた。

「准尉、怪我はないのですか?」

 腹部装甲の最外層がなくなっているのに気づいたらしい。

「大丈夫だ。それより、どうしてひとりなんだ」

「西にもゾルダートが出ました。自分もこれからそっちに向かいます。じきに第三小隊が来ますから、准尉たちはもう下がってください」

 火縄を二門とも藤居機に手渡しながら、南田はそう言った。

「これ以上下がると、基地を敵の有効射程圏内に入れることになる。坂元たちが来るまでは残らざるを得ないな。――しかし大丈夫だ。この火縄があれば」

「そうですか。では、気をつけて」

 南田の龍は太ももに据え付けていた雷紫電を手に持ち替えると、また背部ロケットに点火して南西に向かっていった。

 いざ敵襲という状況に置かれてみれば、南田が心配していたほど脆弱でなかったことに、藤居は緊張状態の中にも安堵していた。



- 3 -


 南田が杜と群山に追いついたとき、群山がすでに敵に向けてロケット弾を打ち込んでいた。群山は無口に象徴されるようにおとなしい奴だと思っていた南田には、彼が自分の到着を待たずして性急に攻撃に踏み切ったことが意外だった。

「当てたのか!?」

「わからない。煙幕を張られた」

 効果のほどを尋ねた南田に、群山はいつもより若干強い声で答えを返してきたが、その内容は心許(こころもと)ないものだった。鬼火の火力なら、当てれば相当のダメージを与えることができるが、弾速が遅いため、鬼火のみの単独使用では回避される可能性が高いのだ。

「とにかく退避だ。ここにいたら狙い撃ちだ」

 南田が指示すると、群山は右に、杜は左に散った。南田は重い鬼火を抱えた群山機を援護するべく、群山のさらに右方に動く。

「群山、敵の武器、モジュール構成は確認できたか?」

 敵からの反撃がなかなか来ないので、南田は少し余裕を感じて群山に状況の確認を取った。

「移動速度からして、二機とも二脚タイプ。そう重い武装は背負っていないはず」

「そうか。なら、次のチャンスに鬼火を残りすべて発射だ。その隙に俺が距離を詰めて雷紫電でしとめる。洋伸、一機はそっちで引き付けておいてくれよ」

「了解」

「わかった」

 第二次攻撃の算段を整え、南田たちはそのタイミングを待った。煙幕が晴れればRBRセンサーから敵のおおよその方位と距離がわかる。それと暗視カメラ映像の情報を三機で共有すれば、ジソコン改の機兵管制システムがなくとも敵機の位置は把握できる。

「俺の煙幕展開が合図だ」

 南田は自分の計画に落とし穴がないか何度も顧(かえり)みながら、RBRセンサーとメインディスプレイの映像との間で視点を往復させる。やがて敵の煙幕が晴れたのか、波形に若干の変化が見られ、RBRセンサーがうっすらとマーカーを表示しはじめた。

「今だ」

 南田はマーカーの方向に向けて防人型胸部のランチャーから発煙弾を発射すると同時に、龍をその煙めがけてつっこませた。背後で群山が、煙幕を山越えする形でロケット弾を撃ち込み、そして杜が煙幕の横から回り込んで敵機の注意をひきつける。

 煙幕に飛び込んでから、南田はまったく外の状況がわからなくなった。敵が鬼火の攻撃と杜の陽動に気をとられているうちに、この煙幕を突っ切って敵機に肉薄し、雷紫電で一撃必殺の電撃を加える。その光景を何度も頭の中でシミュレートしながら、南田は煙幕の中をまっすぐに走り抜けた。

 RBRセンサーが復活して敵との接近警報を鳴らした直後、急に暗視カメラの映像が鮮明になった。煙幕を抜けたのだ。正面、百メートルもない距離にエントゼルトゾルダートの姿がある。ちょうど鬼火を回避したところで、動きに大きな隙ができていた。

 南田は絶好の機会と見て、そのまま最大加速でゾルダートに突っ込んだ。シミュレーション戦ではこの戦術で江藤に何度も叩きのめされているから、有効なことは間違いのない手だ。こちらに慌ててふりむくゾルダートにドロップキックの形で両足のマスディフューザを押し付けると、衝突による過負荷を緩和しながらゾルダートを地面に押し倒した。そして慣性を利用して雷紫電の二又の槍先をゾルダートの首根っこの辺りに突き刺す。南田の手がトリガーを引き、コクピットから雷紫電まで伝わった信号が、雷紫電に高圧放電を実行させる。

 青白い閃光と短い放電音。暗視カメラには自動的に防護フィルターがかかり、南田の網膜を守る。

 雷紫電の槍先は首の脆弱な部分を貫き、中まで抉りこんだ状態で高圧電流を放った。啓示軍(オフェンバーレナ)の機兵は、龍とは違ってコクピットが胸に、ほとんど首の下といえる位置にある。この角度なら傷は深い。致命傷のはずだ。南田はそう確信した瞬間に、それが敵パイロットの肉体に対しても同じであるという認識に胸を貫かれた。

 ――いま、人を、殺したのか。

 乗り倒したゾルダートは、首のあたりから煙を噴いて、動かなくなった。まるで人が事切れたように。

 南田は、急にまわりの状況が見えなくなるのを感じた。もう一機の敵の位置、僚機の状況……、何もかもが、急速に自分の理解の範囲を脱していく。そのとき南田の龍は横から機関砲の弾を浴びていたのだが、被弾状況を知らせるモニター表示も警戒音も、何が何だかわからなくなっていた。

「こら竜時、何を油断しとるか!」

 自分を叱咤(しった)する声に、南田はハッと我に返った。

 音質が悪くても聞き間違いようのない、江藤の声だった。

「少佐?」

 南田はようやく自分が被弾し続けていることに気づき、慌ててその場から飛びのいた。損傷状況を確認すると、大部分は装甲で防いだようだったが、左側のプロペラントタンクや肘をやられていた。左腕は肘から先が動かせない。

 もう一機の敵の位置は、南田機の左前方四百メートルほどのところにいた。杜が陽動に失敗したのか、それとも杜が撃破されてしまったのか。理由を突き止めるだけの暇はなかった。一目でわかるのは、敵がこちらに火線を走らせていること。それが対機兵用の威力を持たないことは、今チェックした損傷状況からわかるが、とはいえ、雷紫電で突撃を敢行できる距離でもなかった。

 場所はわからないが江藤の声がしたのだから、自分が安全なところに退避していれば、あとの敵は片付けてくれる。そういう判断が無意識のうちになされた結果か、南田はまだ残っている煙幕の中に後退しようと、機体をバックステップさせた。

 しかし、南田の龍は操縦者の意図するように動くことができなかった。ステップを踏む足の片方が遅れて、龍は体をひねりながら左半身を下にして倒れてしまった。

 何が起きたのか。龍の首を旋回させてみたが、上半身は煙幕の中に入れたらしく、それが災いして状況の確認を困難にしていた。南田は早急に起き上がろうと試みたが、片足が動かない。足首まで破損したのかと焦ったが、モニターで確認する限り足に破損はなかった。

「くそっ」

 なんとか龍の上体だけ起こした南田は、煙幕越しにうっすらと横長いスリット状の光を見た。暗視カメラの映し出すその光は、きっと青であろうと南田は推測できた。なぜならば、それがエントゼルトゾルダートの顔だとわかったからだ。

 次いで南田は自分に起こったことのすべてを理解した。さっき撃破したと思ったゾルダートが、まだ動けたのだ。それが逃げようとする南田の龍の足を取り、転げさせたというわけだ。となれば、次の展開はどうか。南田は、敵機が龍の腹に砲門を突きつけるシーンを第三者視点でありありと思い浮かべてしまった。

 助けてくれ。そう叫びたかったが、咄嗟には声も出ない。暴れてゾルダートを振りほどこうにも、指や足先が萎縮(いしゅく)して動かないのでは龍も動きようがない。

「こんのぉ!」

 その気合の声とともに、視界からゾルダートの顔が消えた。そして龍の動きを阻害していたものもなくなり、南田は自機を立たせることができた。

 煙幕はもうだいぶ薄れ、端のほうでは完全に掻(か)き消えていた。暗視カメラには、今日の昼にちょうど南田が江藤から食らったように、ゾルダートが龍に首を締め上げられている映像が映っていた。機兵にこんな動作プログラムを仕込んでいるのは世界に何人といるまい。

「竜時、動けるか?」

「は、はい!」

 江藤がゾルダートを締め上げている隙に、南田は龍を立ち上がらせた。気づくと雷紫電が手から抜け落ちている。落ちていた雷紫電を急いで拾い上げつつ、南田はもう一機のゾルダートや味方機の状況をチェックした。

 現状はすぐにわかった。南田の展開した煙幕のほかに、杜と敵機との間に煙幕らしき探知不能領域がある。さっき南田に機関砲を浴びせたゾルダートは、群山が発射した鬼火を回避しつつ煙幕を張り、陽動の杜を遠ざけたうえで、こちらに攻撃を加えてきたのだろう。そのゾルダートも、劣勢を悟って後退に転じているようだ。南田の位置からはRBRセンサーでその動きが察知できた。一方、暗視カメラで後方を確認すると、鬼火を全弾使い切った群山が、ストックしていた火縄を持ち出して、杜とともにその追撃に当たろうとしていた。

「竜時、早くこいつの両肩を刺せ」

 南田が状況を把握し終えると同時に、江藤がとどめを刺すよう指示した。見ると、ゾルダートがそろそろ江藤機の腕を振りほどきそうな様子である。南田は雷紫電の柄を定位置で握りなおすと、まずは武器を装備している右腕の肩口に突き立てた。

 確かな手ごたえとともに、ゾルダートの右腕が力なく垂れ下がった。次は左肩。ここをつぶせば無力化したも同然である。パイロットを殺すこともない。

「これで!」

 右肩から引き抜いた雷紫電を、左肩に突き刺そうとしたそのとき、ロックオン警報を受けて反射的に南田は翔びすさった。直後、数発のミサイルが飛来し、そのうち二発が南田機の立っていたあたりを抉り取り、残りが脇を掠めて通り過ぎていった。

「少佐、新手です!」

 新たな敵機のマーカーが表示されたのを目で確かめながら、南田は江藤に退避を促したが、実際、彼に人の心配をしている余裕はなかった。新手のほうに向き直ったと同時に、瞬間的なRBRセンサーの波形変動があったかと思うと、次の瞬間には右肩先端のロケットを破壊されていた。

「ね、熱粒子砲!?」

 たいした衝撃もなく機体を破壊された。そしてその寸前に非常に大きな相対バルムンク反応を感知した。その二点から得られる情報は、新たな敵が変則領域応用火器――いわゆるバルムンク砲――である熱粒子砲を装備しているということだった。大気中では減衰する欠点を抱えた兵器ではあるが、近距離であれに撃たれては、龍のコクピットの多重装甲といえどもパイロットは即死である。

 破損したロケットへの信号が遮断されたのを確認したうえで、南田は生き残っているロケットをフルに使って後退を始めた。これが撤退するべき戦術状況がどうか判断できたわけではなく、恐怖心から南田はそうしていた。もう江藤や群山たちの様子を把握する余裕もなく、予測射撃をされないようにひたすらランダムに軌道を蛇行させながら、背を向けて逃げる。

 すぐに自分のやっていることの情けなさに気づいたが、南田はどうしても速度を緩めることができなかった。


*   *   *   *   *


 敵の新手を感知した直後、江藤はほとんど戦闘力を失ったゾルダートをその場に放り出すと、今までその首を絞めるのに使っていた龍の右手に火縄を持たせ、ミサイルの飛んできた方向に向き直った。だが火縄を撃ち返す座標も決まらないうちに、すぐ近くにいた南田機が熱粒子砲らしき攻撃で損傷。南田は一目散に逃げ出してしまい、今度は江藤が熱粒子砲の脅威に晒(さら)されることになった。

「くっ」

 向こうはこちらより索敵性能が良いのか、こちらが正確な位置を探知できない距離からどんどん攻撃が来る。さらに熱粒子砲による射撃の合間にミサイル攻撃も織り交(ま)ぜてくるため、江藤も狙いをつけて撃ち返す余裕がない。今のところすべて回避しているが、相手の弾が尽きるまでこの回避運動を持続する自信は江藤にもない。だが、やがて江藤は、肩の機関砲にオートで反撃させるくらいの余裕を見つけることができた。

 敵の照準に、作為的な偏差があるのだ。最初はただの照準誤差だと思っていたが、その方向のずれが、江藤を戦闘不能のゾルダートから遠ざけるように働いていたのだ。気づけば、さっきのゾルダートは立ち上がって味方と合流しに走っている。

「こいつ、なかなかの手練(てだれ)だな。それに装備もいい」

 江藤は状況を不利と判断した。新手の火力と探知性能はこちらを上回っている。こちらに背を向けて後退するゾルダートを狙撃する暇さえ与えてくれないのだから、パイロットの腕前も確かだ。

「全機撤退! 味方の援護を待つ」

 群山や杜に声が届くかわからなかったが、一応宣言するだけは宣言しておいて、江藤は愛機のマウントに装備させていた外付けのマルチランチャーから、一発の弾を発射した。それは敵機のいる方向よりかなり上に反れた軌跡を描き、上空で夜の太陽と化す。周囲は真昼か、それ以上の明るさになり、暗視カメラから通常のカメラに切り替わるまで、敵機の目は短時間ながら見えなくなる。

 夜に閃光弾を撃ったら、それは目くらましだ。戦闘レベルでの奇襲や撤退の契機であり、合図でもある。江藤は自分で構築した戦術をそう部下たちに教えていた。そしてそれが攻める合図か退く指示かは、各自状況から判断しろ、と。

 群山と杜が正しく状況を判断してくれることを期待しつつ、江藤は敵のほうに正面を向けたまま後ずさった。閃光弾の効果か、今は敵の攻撃が緩んでいる。ブースタージャンプで逃げ切れそうだった。江藤はスレイプニルロケットエンジンの予備稼働を開始する。ちょうどそのとき後方で、先にジャンプで後退していく二機の龍が探知できた。

「よし」

 あとは自分だけ。江藤は蓄力機関を開放し、爆発的に増強された背部ロケットの推力で一気に後ろへ飛んだ。閃光弾の発光前にカメラを切り替えていた江藤は、急速に遠ざかるカメラ映像の中に、一瞬だけ敵の新手の姿を見た。

 閃光弾の残光に照らされたその機兵は、物々しい装備に身を包んだ、黒いエントゼルトゾルダートだった。



- 4 -


 一方、藤居たち第二小隊は、第三小隊の到着を待たずして敵の攻撃を受けていた。

 南田から二門の火縄を受け取っていたおかげで、藤居と峰國の防人型は武器を持っているが、素手の朝井機はEPU(エクスペクトプロセッサ)リンクで情報面のサポートができるにとどまっている。敵が最初の一機だけならこれでも対等以上に戦闘を運べるはずだったが、敵は二機になって帰ってきた。

「こちらの戦力を計りかねているのか」

 藤居は、牽制程度の攻撃ばかりでいつまでたっても接近して来ない敵の動きを、そう解釈した。

 ゾルダートの重機関砲やライフル砲と、龍の火縄。それらが、闇夜で互いに相手のシルエットをうっすら判別できるほどの距離で、散発的に飛び交っている。今のところどちらにも大きなダメージはないし、どちらも火力を出し惜しみしているが、予備弾倉さえ持たない藤居たちのほうが先に弾が尽きるのは自明だった。

「坂元たちが鬼火なり火筒(ほづつ)なり持って来てくれりゃ、押し返せますね」

 回避と走査に専念している丸腰の朝井が、火線の途切れた隙にそう言ってきた。たしかに、南田の来たタイミングから考えれば、そろそろ第三小隊が応援に来てくれる頃だった。火縄の弾が尽きる前には間違いなく到着してくれるだろう。こちらの後詰めがいることを知らずに、様子見の戦闘を長引かせた啓示軍の戦術ミスだ。藤居は味方の損害を出さずに勝てそうだという見通しに、肩が少し軽くなった気がした。

「北嶋大尉たちの撤退を確認」

 牽制に一発火縄を撃ち返した直後、瓦礫(がれき)に身を潜めていた峰國機から通信が入った。早めに下がらせておいたジソコンが、敵のゾルダートが持っている武器の射程圏内から離脱したのだ。藤居は自分のセンサーでもそれを確かめると、目の前まで来ている勝利を逃さないよう、油断やミスをしないよう、身を引き締めた。

「十時方向に相対バルムンク反応感知。レベルC!」

 いちばん後ろにいる朝井が、接近するBFG(バルムンクフィールドジェネレータ)搭載物を感知した。すぐに、藤居のサブディスプレイにもそのマーカーが現れる。見る間でもなかったが、波形パターン検出の結果は、龍だった。

「望遠で確認。第三小隊の三機だ」

 朝井の最終確認と同時に、峰國が火縄を掲げて、攻勢に転じるよう合図してきた。もう少し待て、と藤居は龍の手で制止の合図を返すと、接近中の坂元機とレーザー通信回線を開いた。

「坂元曹長、武装は何を持ってきた?」

「火筒二門と鬼火一門、および火縄二門と予備弾倉三つ」

 早く、それでいて明瞭な発音で坂元はすぐに返事をよこした。期待通りの火力がこれで得られたわけである。

「敵は軽装タイプ二機。俺と峰國が飛び出して撹乱するから、第三小隊でその隙をついてくれ。それから鬼火で突入支援を頼む」

「ラジャー」

 第三小隊が敵からも探知できるあたりまで近づいたところで、藤居と峰國は射爆場の中央に向かって飛び出した。今までとは密度の違う攻撃が藤居と峰國を襲うが、直撃をもらう前にその勢いは弱まってくれた。敵が煙幕を張り、その直後に第三小隊から鬼火の援護が入る。ゾルダートがその迎撃と回避に集中している合間に、藤居と峰國は、龍の広角指向性走査カメラがもっとも力を発揮する最適戦闘距離まで接近した。煙幕を迂回し、一定の距離を保ちながら左右に機体を走らせ、ゾルダートを撹乱する。

 坂元たちの突入を待たずに、自分たちだけで仕留められそうだ。藤居は火縄の照準をゾルダートに合わせ、すかさず発砲した。藤居が次の回避ステップに移っている合間に一〇五ミリ砲弾はゾルダートに到達し、その頭を吹き飛ばす。しかしその直後には、敵の僚機が放ったミサイルが、火縄を握っていた防人型の右腕を破壊していた。

「うっ」

 藤居の龍が体勢を崩したところへ、さらに機関砲が浴びせられ、外層がはがれたコクピット前面にも数発が着弾した。貫通こそしなかったものの、メインディスプレイには小さくひびが入り、映像の画質ががくんと低下する。体中の毛がよだつのを藤居は感じた。

「准尉、下がっていい!」

 坂元の声がするのとほぼ同時に、藤居機に対する攻撃はやんだ。坂元が煙幕をスクリーンにして敵機に肉迫し、頭を失ったゾルダートに拡散弾を二発叩き込んだのだ。藤居はそこまでを映像で知ることができたが、その先はわからなくなった。坂元機と中破したゾルダートが、新たな煙幕で包まれたからである。

「鷹山、もう一機が逃げる。追え!」

 坂元の叫びが雑音交じりに聞こえてきて、藤居は状況を察した。残る一機が、煙幕を使って逃げ出したらしい。鷹山が煙幕の向こうに消え、坂元もあとに続く。だが、火縄装備の右腕を失った藤居機は無力である。坂元の言ったとおり、下がるべきだった。

「藤居准尉、大丈夫でありますか?」

 後方で鬼火を撃っていた久留(ひさどめ)機が、藤居機を支えに近づいてきた。それほど弱々しく見えるのかと改めて機体をチェックしてみると、認識していた以上に警告メッセージがたくさん出ている。

「大丈夫、のようだ。動くだけなら」

 藤居は龍をゆっくりと数歩後退させて、その言葉を証明してみせる。

「こちら李(リー)峰國。敵の無力化に成功。あとはパイロットを引きずり出すだけです」

 峰國から通信が入った。動きが見えないと思ったら、坂元の倒したゾルダートの無力化に従事していたらしい。龍の手を使って、仰向けに倒れたゾルダートのコクピットをこじ開けようとしている。

「第二小隊は後退して下さい。朝井は丸腰だし、准尉もその損傷では……」

「そう、だな。別働隊が、西からの一派だけとは限らな……」

 藤居は絶句した。ほぼ同時に二方面から敵が接近してきた以上、他にも別働隊がいる可能性を最初から考慮しておくべきだった。ジソコンを介して第一小隊の戦況を確認し、坂元たちも呼び戻さなければいけない。基地管制とも連絡を取る必要がある。

 すでに坂元と鷹山は遠くに去っていた。夜ではもうその姿が探せない。座標がわからないのでレーザー通信も不能。どうしようかと逡巡していると、ちょうど坂元から通信回線が開かれた。どうやら、そう遠くへは行っていないらしい。

「こちら坂元。現在敵機を追尾中。このまま敵の潜伏位置まで案内してもらう。以上」

 それだけ言うと坂元は回線を遮断した。敵の追尾中に不用意な通信は避けるべきだが、追尾という行為自体が正しい判断かどうか、坂元にはそこに注意を払ってほしかった。

「坂元、戻るんだ。基地から離れすぎるのはまずい」

 発信元の座標に向けて信号を送ってみたが、すでに大きく動いてしまったのか、信号が帰ってこない。

「鷹山曹長も聞こえないか。この状況で深追いをするのは得策じゃないぞ」

 やはり返事はない。

「追って連れ戻しましょうか?」

 久留がそう提案した。

「頼む。第二の別働隊を警戒しなければ……。第二小隊は先に基地まで後退する」

「了解」

 鬼火を抱えて北に向かう久留機を見送り、藤居は、峰國と朝井がゾルダートから捕虜を得るのを待つ。頭部を火縄で破壊した際に、コクピット開閉機構の一部が大きくひずんでしまったらしく、峰國たちは手間取っていた。もとより、亜連の機兵よりは開閉機構が複雑にできているから、戦場でパイロットを引きずり出すのは難しいのだ。普通は工作兵に任せるのだと、教官から聞いたこともある。

「焦ってパイロットを潰(つぶ)すな。こじ開けるのが無理そうなら、ひと段落着くまで放っておくのもしかたない」

 捕虜取り扱いの条約にも違反しないはず。藤居はそう思ったが、そこまでは口に出さなかった。記憶があやふやだったから、というのは主要理由ではない。そういった条約がどれほど遵守されているか、今の世界では明確なことがいえないからだ。

 かつて国連などで決められた国際条約は、強行的に亜細亜連邦が誕生して国連のシステムが傾いて以来、大なり小なり、ないがしろにされてきた。啓示軍蜂起後は尚更その傾向が強まったが、どちらかというと、なりふり構わなくなったのは啓示軍より亜連やアメリカのほうだった。

 いまや国連は存立が危ぶまれるほど微力な存在だ。安全保障理事会は完全に機能停止している。「そんな今だからこそ、現場の自分たちが遵法精神を発揮しなければならない」というのは、機兵操縦の教官であり恩師である茨木の言葉だ。藤居もそれは正しいと思う。だが、果たして峰國や朝井に、その心は通じるのか。

 耳元で鳴り出した警報音が、藤居を思索から引き戻した。最近耳にしていなかった警報音のパターンだ。藤居はそのパターンがどういう脅威に対して発せられるものか思い出し、震撼した。

「退避!」

 叫んではみたが、今更の退避運動など手遅れだと、藤居はわかっていた。



- 5 -


 江藤の命により基地内部に忍び入っていた周富窪(チョウ・フーワー)は、予期せぬ警報発令に身を硬くした。さきほど士官とすれ違うのをやり過ごしたばかりで、侵入がばれたかと思ったからだ。

 その後アナウンスされる内容は、暗号めいていて富窪にも内容はわからなかった。この基地か、あるいはこの部隊独特の符号だろうか。ともかく、警報をスイッチにしたように基地内があわただしくなる様子は肌で感じ取れたので、何らかの脅威がこの基地に迫っていることは察知できた。

 安全な場所に退避するという選択肢がまず浮かんだが、富窪はすぐにそれを廃案にし、危険に晒された基地の混乱を利用することを考えた。今なら堂々と廊下を走り、食糧庫に辿(たど)り着くことができる。絶好の機会だ。

 富窪は今、司令部中央棟の地下一階にいた。昼の潜入調査で、司令部の中枢がこの建物の地下五階にあり、地下二階と地下三階が物置になっているのはわかっている。地下四階が何に使われているのか不明だが、さしあたって食糧を備蓄しておくような場所でないことは、施設の配管やエレベータの位置などから見当がついている。

 下への階段をあたふたと駆け下り、すれ違う兵士からの「搬出は終わったのか」との問いに「おおよそは」と適当に返事をして、富窪は地下二階へと到達した。

「さて、と。どっちかな」

 階段のところに階の見取り図でもあれば良いのだが、そうそう都合良くは行かない。富窪は手当たり次第に部屋を見て回らねばならなかった。

 地下二階を探索し終え、その階が外れだったとわかった一方で、富窪は天井のスピーカーからいくらかの情報を仕入れていた。脅威の正体が基地に接近中の機兵部隊であること。そして、江藤たちが迎撃に出たこと。さすがに廊下を走っているだけでは戦況までうかがい知ることはできないが、自分が戻ったところで戦力の足しにならないという自覚が、富窪を地下三階へと進ませた。

 各階層の広さは均一でなく、地下三階はかなり狭いようだった。通路の分岐が少なく、幅も狭い。しかも、この階はところどころ土がむき出しになっていて、秘密基地と言うよりは一世紀前の日本軍の防空壕を連想させた。その坑道のような通路を抜け、トイレから駆け出してきた下士官との衝突を身ひとつのところでかわして角を折れると、富窪はやっとそれらしい大きな扉を見つけることができた。番人の類はついていない。

 人気がないのを確認して、富窪はその重そうな扉をゆっくりと静かにスライドさせた。床と扉の間の車輪が、思ったより大きな音を立てる。警報音がやんでしまった今、この音が誰かを呼び寄せてしまう危険もあったが、富窪は思いきってそのまま扉を滑らせた。

「おい、何をしている」

 不意に背後から声をかけられた。動揺を隠し、さも忙しそうな素振りで富窪が振り向くと、そこにはひとりの士官の姿があった。富窪が言い訳を考えつく間もなく、その士官はつかつかと歩み寄ってきて、富窪をにらみつける。

「食料まで運び出す必要はない。撤収準備を他に気取らせる気か?」

 士官は声を落としてそう言った。

「も、申し訳ありません」

「ふん、まぁ仕方なくもあるか。安中佐が命令文書を残さなかったからな。――いいから、さっさと閉めておけ」

「了解しました」

 富窪の敬礼を最後まで見ず、士官は足早に引き返していった。その背中が地下四階へと向かうエレベータに消えるのを見届けてから、富窪は首をひねった。

「撤収準備?」

 敵はそんなに破竹の勢いで迫っているのだろうか。そもそもこの基地が攻撃を受けるならミサイル攻撃だろうと見込んでいた富窪からすれば、何かわからないことが進んでいることに不気味さを感じずにおれない。

 不確かな要素をひとつでも確かなものに変えようと、富窪は扉を閉める前に、部屋の中を見渡した。そこは予想以上に広い部屋だった。冷蔵庫程度の冷気の中に、大人がひとつ抱えるのがやっとくらいの木箱が百個以上と、二十個ほどの樽、そして五十本はくだらない数の瓶が、ぎっしりと並んでいた。

 冷蔵庫にこの量は、多いのではないだろうか。富窪は疑問に思った。もともと常温でも長期保存できる食材なのかもしれないが、それにしてもこの基地の人員でこれを賞味期限内に消費してしまうというのは難しそうだった。実は周辺の守備隊に対する食糧基地としても機能しているのだろうか。

 木箱の中身を調べたいところだったが、富窪は手前のいくつかだけでその調査を切り上げた。今しがたの士官の口ぶりに、敵襲とは別種の、何か得体の知れない危険を感じたのである。いったい何が怖いのか、富窪は理屈でそれを突き止めることができなかったが、今までこの直感に従って行動して、後悔したことはない。富窪は扉をしっかりと閉め、上へと急いだ。

 地階まで戻る途中、富窪はほとんど人を見かけなかった。皆、どこか定位置についてしまって、通路からは見えないのかもしれない。あるいはみんな地下シェルターに待避したのではないだろうかと、富窪の不安がまたひとつ増えたが、それはさすがに考えすぎだと富窪は自嘲した。退避命令くらいは放送があるはずである。

 富窪は特に見咎(みとが)められることもなく、中央棟から屋外へ出た。襲撃のせいか基地の灯りが極端に減らされており、夜の闇が支配力を取り戻している。闇にうっすらと浮かび上がる管制塔は不気味だったが、こういった環境での単独行は周富窪にとって日常茶飯事である。むしろ、こっそり黒龍隊の詰め所まで戻るのには都合がいい。しかし万全を期すならば今の視野では心許ない。瞳孔が暗さになれるまで、富窪は柱の陰に身を隠して時を待った。

 遠方では散発的に砲撃戦が繰り広げられているようだった。砲声と爆発音が、闇に沈んだ基地に低く小さく反響している。対人戦闘の訓練しかまともに受けていない富窪には、具体的な想像が伴わない世界。年でいえば自分より若干下の黒龍隊の新米たちが、今は自分よりたいへんな思いをしていることに、富窪は妙な感慨を抱いた。

 目が慣れてきた富窪は、ひとまず隣の棟まで走った。大きな靴音をたてるようなへまはやらない。太ってはいるが、この暗さであれば、悟られずに人の背後を走り抜けることもできる。もっとも、同業者や特殊部隊の隊員などにはさすがに気づかれてしまうだろうが。

 さらに隣の棟まで移動して、その次は、垂直方向に移動する。南に向かう最短ルートからは外れるが、こちらに道を逸らさなければ、南門で見咎められてしまう。それに、こちらのほうが門付近までに視認される可能性も低いことを、昼のうちに下調べしてあった。

 頭に叩き込んだルートを引き出しながら、富窪はさらに数回、建物の間を走り抜けた。監視の目がある背の高い電波塔はこれで迂回したことになる。あとは南に向かうだけ。次の陰までは長い距離を走り抜けねばならないのだが、ここさえ過ぎれば非常に楽な道のりなので、富窪は峠を越した気分になっていた。しかし油断は禁物である。人がいないか、富窪は物陰の端から辺りを見した。

 慎重さは美徳だと富窪は習ったが、まさしく真実だと彼は教えの正しさを知った。見渡した先に、灯りを発見したのだ。管制塔から見て、電波塔の陰になる位置。逆に富窪からは丸見えだ。街頭くらいの大きさの灯りだが、光自体は弱い。基地自体、完全に闇に覆われているわけではなく、灯りがどこそこで点っているから、この灯りには近づいてみないとなかなか気づかないだろう。

 富窪は物陰から目をこらした。灯りの下に、機兵搬送車くらいのサイズの大型トラックが停めてあるのがわかる。そしてその荷台の辺りで何人かが動く気配。荷を積み込んでいるのか、下ろしているらしい。

 光量不足と距離のせいで、彼らの顔どころか体格さえ見えないが、しかし、黒龍隊が機兵搬送車を入れて何か作業しているのではないことだけはわかった。敵の機兵が襲撃してきたというのに、搬送車を基地に入れるわけがない。そういう「常識」は、黒龍隊に同行するよう命令を受けてから勉強し、さらに黒龍隊の面々にいろいろ質問してまわったので、すでに身に付いている。

 いったい何をしているのだろう。さらに目を凝らして見てみたとき、富窪の視界にありえないものが映った。十数メートル先、トラックの手前を、四つ足の数十センチくらいの生き物が、ふらふらと歩いていたのだ。

ゴン太坊ちゃん?」

 四つ足の獣はどう見てもゴン太だった。いつの間に詰め所を抜け出したのだろうか。戦闘配置で浮き足立った隊員が、ゴン太をほったらかしにしたのか。原因が何であれ、ゴン太がここをうろついていることは二重の意味で危険だった。よりによって基地に彷徨(さまよ)い込んでしまった不運を嘆く前に、富窪は眼前の事態を収拾する必要性に衝(つ)き動かされた。

「坊ちゃん、坊ちゃん」

 富窪は小声で呼びかけてみた。トラックのそばまで届いてしまわないよう絞った声量だが、人間より鋭いらしい聴覚ならば、ゴン太は気づいてくれると期待したのだ。しかし、ゴン太はちっとも気づかぬ様子で、あまつさえ電波塔のほうに駆け出してしまった。

「あ、坊ちゃん! ダメですよ、そっち行っちゃ」

 もっと大きな声で静止を呼びかけてみたが、効果はない。ときおり江藤と意思の疎通をしているように感じられたのは、気のせいだったらしい。やはり狼が人語を解するわけなどなかった。

 途中で何かの臭いを嗅ぐ様子も無く、ゴン太はてくてくと駆けていく。まるで何かに吸い寄せられるような、そんな足取りに富窪には見えた。

 闇に聳(そび)える電波塔。それがゴン太の興味を惹きつけるような代物だろうか。いや、狼の視力でそれはない。トラックの所の人の声を目指しているのか。

 ゴン太の動機に見当はついたものの、それをぼうっと眺めているわけにはいかないのが周富窪の役目である。彼らに見つかって面倒が起きる前に、ゴン太を連れ戻さなければならない。幸い、トラックの連中は仕事に集中していて、暗闇にいるこちらには気づきそうにない。富窪は思い切って物陰から出て、ゴン太のあとを追いかけた。

 ゴン太のてくてく歩きは、せいぜい幼児が走るくらいの速さだったから、富窪はすぐにゴン太との距離を詰めることができた。手が届くところまで来たとき、ゴン太はようやく富窪の接近に気づいたのか、ふりかえった。暗闇でその瞳が光を反射している。朧(おぼろ)に浮かび上がったふたつの光は悪魔か亡霊を連想させ、富窪は思わずたじろぎ、小さく驚きの声をあげてしまった。

 ――まずい、見つかったか。

 トラックのほうの人影……それはもう二十メートルもない位置だったが、その彼らの空気に変化があった。よく聞き取れなかったが、誰何(すいか)の声がしたようにも思う。何人かがあたりを見回しはじめ、懐中電灯の光がサーチライトよろしくその動きに伴う。

 次の行動に迷った富窪が立ち止まってしまった間に、ゴン太は再びゆっくりと歩き出していた。あの目の光が彼らの目に入らないわけもなく、異変に気づいた数人が、ゴン太のほうに懐中電灯の光を向ける。

「何かいるぞ」

「ん、犬か何かだろう」

「妙だな、この辺りにそういう動物はいな……」

 二人ほどが数歩こちらに近づいてきていたが、彼らの接近はそこで止まった。

 熱気を帯びた風圧に体を押し返されるのと、電波塔が炎と煙に包まれる様を目に捉えるのと、鼓膜を押し広げるような轟音を聞いたのがほぼ同時だった。北の空から何かが飛んできて、電波塔を直撃したのだ。

「坊ちゃん!」

 爆発に驚いて、ゴン太は竦(すく)んでしまっているようだった。破片の降ってくるほど近い場所に、ただ体をこわばらせてじっとしている。見上げれば、電波塔のダメージは深刻で、いつ崩れ落ちてもおかしくない。

 今の叫び声で富窪の存在に気づいたものもあったようだが、彼らとは崩落した瓦礫とその煙によってすぐに遮られた。足下が揺れ、小さな破片が体を打つ。富窪は左手を額にかざして突進すると、右手にゴン太を抱きかかえ、回れ右。今度は左手を後頭部に回して、一目散に駆け出したが、次なる崩落の気配が背中に迫っていた。もう時間がない。自分の足が速くないのを今日ほど切実に恨んだことはなかった。

 突如、視界が回り、平衡感覚が乱れた。先に散った瓦礫に蹴躓(けつまず)いたのだと気づいたのは、反射的に慣性を前転の動きに転化させた後のこと。富窪は体の真ん中にゴン太を抱いたまま、球のようにごろごろと数回転し、勢いを失った体は仰向けの大の字をつくって倒れる。

 蹴躓いた場所にひときわ大きな瓦礫が落下したのは、その直後だった。



- 6 -


「直撃ではありません。司令部も管制も健在です」

「被害状況はわかるか」

「基地まで飛んできたのが八発。二発はクレーターの手前で爆発、一発は司令部上空を通り過ぎ、あとの五発が基地内に。それで通信 設備と兵舎の一部をやられたそうです。今のところ管制から入ってきてるのは、これくらいですね。死傷者の数は不明」

「了解だ。引き続き、できるかぎりの情報を集めてくれ」

「了解」

 江藤はジソコン二号車の矢俣と通信を終えると、小さく溜め息をついた。

 ジャンプで後退したのち、敵はこちらを追撃してこなかった。友軍機を回収して、あるいはそのパイロットだけを回収して、一時撤 退したのだろう。あの黒っぽい機体色のゾルダートは、増援に来た当初からそういう動きをしていた。

 曲がりなりにも敵は追い払ったわけだから、詰め所まで後退して態勢を立て直そうと考えたところで、基地がミサイル攻撃を受けたと矢俣から連絡があった。ミサイルは北から飛んできたというので、その方面で戦っていたはずの第二小隊と第三小隊がどうなったのか、江藤は心配になった。そのあと北嶋から射爆場での戦闘の途中経過を聞き、経験からその後の戦況の推移を予測していたところ、さきほど繋がった藤居との通信で、それがほぼ正鵠(せいこく)を射ていたとわかった。

 坂元と鷹山が逃げる敵を深追いし、戦闘力をほぼ失った第二小隊が残されたところで、後詰め部隊からミサイル攻撃。第二小隊に残された火器では迎撃不可能だったため、藤居は観念せざるを得なかっただろうが、そのミサイルはほとんどが彼らの頭上を飛び越えて基地へと向かった。つまり、敵の目的はあくまで基地への攻撃で、その障害となる龍を事前におびき出したのだ。

 口にこそ出さなかったが、藤居は、敵の作戦を見抜けなかったことにかなりの責任を感じているようだった。しかし、不可抗力だと江藤は思う。この亜連の勢力圏内に、なぜ五機以上のエントゼルトゾルダートが潜んでいたのか。それはこれから安超備のところに行って究明しなければならない問題だ。事前に想定できる事態ではなかった。

 藤居や北嶋、矢俣から入った情報を合わせてみれば、敵は施設攻撃用の大型ミサイルランチャーを持ち込んでいたことになる。となれば、それを運搬する手段として、視認した五機とは別に四脚型のゾルダートが存在している可能性が大きい。幾度となく防空網をかいくぐっているグルーテイルタイプで空輸されてきたとして、搭載総数六機で大型ミサイルまで積むとなれば、運ぶ側も三機では足るまい。それだけの数をここに送り込むためには、それなりの数の陽動部隊や護衛部隊をつけねばならないから、敵はこの基地のためにかなりの戦力を集中させてきたことになる。それはつまり、ここを司令部と見定めて攻めて来たということだ。

 隊長である自分がこう思うのも情けない話だとは思うが、黒龍隊はとてもとてもそんな精鋭攻撃部隊に対処できる練度ではない。不意のこととはいえ、十機の龍のうち南田と藤居の二機を戦闘不能にされたのだ。まだ第三小隊とは連絡がついていないから、被害はもっと大きいかもしれない。

「江藤、聞こえるか」

 ややノイズ雑じりに、北嶋の声が届いた。直接通話できるようになったらしい。

「第三小隊が戻ってきた」

「無事か」

「ああ、いいように撒かれたらしい。損傷は三機とも軽微ということだ」

 北嶋はそこで苦笑のような吐息を漏らし、「坂元くんはずいぶん悔しがっているようだ」と付け加えた。

「そうか。第三小隊は後退しつつ警戒。第二小隊とジソコンはすぐ詰め所まで戻れ。――藤居と竜時の機体、修理頼むな」

「任せろ。――ん、なに? そうか。江藤、管制から今連絡があった。すべての敵部隊は、監視網から姿を消したそうだ」

 北嶋がほっとした声音で最新情報を伝え、別回線からは矢俣が同様の報告をしてきた。江藤は隊全員の無事に胸をなでおろし、ひとつ深呼吸をした。

「江藤から全機へ、詰め所に戻るぞ」


*   *   *   *   *


 第一波は凌(しの)いだ。だが、電波塔をやられたせいで外部とほとんど連絡がつかず、事態は予断を許さない。その二点が、会議で最初に得られた同意事項になった。

 会議のメンバーは、安超備とその部下二名、中央棟地下の司令部から上がってきた数人の将校、それから江藤と藤居。北嶋は龍の修理の音頭を取るため倉庫に残った。場所は、情報をいち早くつかむために管制塔の管制室直下にある一室を使っている。八畳ほどの部屋で、会議に必要なものを持ち込むと、あまり空間に余裕はない。全員で卓を囲んでああだこうだと意見を交わしている。

「他の防衛隊の被害状況はどうなっているのですか?」

 将校ばかりの場で最初は物怖じしていた藤居が、安中佐に直接質問した。それは、江藤もそろそろ聞こうと思っていたことだった。

「無傷だ。交戦はしていないらしいから、当然だが」

「戦っていない?」

「ああ、だいぶ離れたところに配置していたせいもあるが、敵にはまったく虚を衝かれたのでね。防衛隊はさっき暗号文を送るまで、敵襲を感知してさえいなかった」

「それで、第二波には間に合いそうなので?」

 江藤が横から口を挟んだ。

「第二波の時間にもよるが、敵にも手傷を負わせてあるのなら、そうそう攻めては来られまい。敵が早めに再攻撃に出てきても、退路を断つくらいのことはできるだろう。あるいは、形勢不利を見て取って退散するかもしれないが」

 そういって安が笑うと、その副官らしき男が雰囲気に釣られてこう感想を述べた。

「しかし、ミサイル攻撃のことを除けば、敵はずいぶんあっさりと退いたものだ」

それを受けて、司令部から来た中尉が首を傾げる。

「威力偵察が目的だったのか、それとも遭遇戦だったのか」

「ここが完全に亜連の勢力圏内であることを考えると、後者とは考えにくいのですが……」

 江藤はそこまで言って、藤居以外の反応を見渡した。ここは安全なのではなかったのか、という皮肉に数人は気づいたらしい。

「自分は、啓示軍側も慌てているという感触を得ました」

「ほう。藤居准尉はどうかね? やはりそういう様子があったか」

 顎に手をやりながら、安の隣にいた壮年の中佐が藤居のほうを見る。

「はい。自分も同様に感じました。敵の装備は、機兵との戦闘を行うには軽装で、対地制圧に主眼を置いた構成でした。加えて、積極的な攻撃の意思も感じられませんでした」

「攻撃の意思がない? ではあのミサイルはどうなのだ。あれのおかげで、こちらは負傷者を出しているのだぞ」

 さっきの中尉が食ってかかった。負傷者の中に知り合いでもいたのだろうか。

「落ち着きたまえ、中尉。江藤少佐や藤居准尉の言うことはもっともだ。前線での補給路つぶしにも使わずに、総計十機の龍をこんなところに置いておくなど、自分が敵の司令官だったとしても予想できない戦力配置だ。向こうとしてもこちらの意図を量りかねて撤退したのかもしれない」

 安中佐が弁護に回ってくれたが、その言葉には上層部への疑念が浮き出ていた。その具体的な批判対象が、議会派なのか元老院派なのか、それとも両者のせめぎあいで対外的には無駄なことに労力を割いている軍全体であるのか、江藤には判じかねた。

「だいたい、敵はどうやって侵入したんだ」

 機嫌の悪いらしい中尉が話を移した。

「安中佐、管制は何かつかんでいないのか?」

「戦闘開始後に、敵がバロッグ誘起弾らしきものを発射したようで、情報収集に支障をきたしている。未確認ながら、カスピ海方面から敵編隊が東進中であるとの情報を得ていたが、続報は入っていない」

「或(ある)いはその編隊が友軍の制空部隊を突破し、ここまで至ったのやも知れませぬな」

 安の部下が知った顔で推測を述べると、司令部から来た男の一人が色めきたった。

「ダーダネルス作戦のために、航空戦力は惜しみなく投入しているのだぞ。そう簡単に、しかもあれだけの機兵を運べるだけの数を、逃がすわけがない」

 卓を叩いたその男のおかげで、場はしばし静まり返った。

 前線から二百キロ。空をカバーしている空軍に限らず、敵の進路上にいるはずの友軍はいったい何をしていたのか。皆がタブーと思って今まで口にしなかったことである。

 ここが司令部であることは秘密であるから、隠蔽のため、目に見える戦力の集中は避けてある。それでも、西から侵入するにはかなりの困難を伴う位置にこの基地はあるのだ。それが、敵襲にあった。味方をたばかってまで隠している司令部の所在だが、露見してしまえば今更その脆弱な守りを取り繕う暇もなく、早晩に腸(はらわた)を食いちぎられる運命にあることは、この場の全員が悟っていることだった。

「認めたくない事実から目を背けたところで、事態が好転するわけではない」

 江藤はそう沈黙を破った。

「あれは空路で侵攻してきたものでしょう。啓示軍の対施設用ミサイルコンテナは大型で、たとえ走破性の高い機兵に積んで運んだとしても、その機兵の動きが鈍くなります。亜連の勢力圏内であるここまで、そんな鈍足のゾルダートが進入できたとは考えにくい。だがむしろ空路で四機なり五機なりのグルーテイルが飛んできたのだと仮定すれば、敵が突破してくる要素は幾つか想定することができる。たとえば大規模陽動による制空部隊の引き剥がし、あるいは新たな遮蔽技術の実用化、または“人形”の出現……」

 途中まで聞いて反論の口を開きかけていた数人も、その名を聞いて再び沈黙の中に身を浸さざるをえなかった。いつも亜連の計画を狂わす厄介な局地戦兵器。機兵の祖であり、今もなお最強である機兵。

「討議すべきは、敵の再攻撃に対してどう備えるか。違いますかな?」

 意図せず沈黙を呼び込んでしまった江藤は、やや挑発的に議題をまとめてみせた。

「しかし少佐、敵には積極的な攻撃の意思がなさそうだと君たちは言わなかったか? こちらが守りの姿勢を崩さずにいれば、敵は形勢不利と見て退散するか、援軍を待つのではないか。援軍ならこちらにも来るのだから、これは我々にとって決して不利な状況ではないと考えるのだが」

 壮年の中佐が、自らを奮い立たせるようにそう発言した。

「ああ、部下の発言には補足が必要でした。敵には『機兵に対する積極的攻撃の意思がなかった』のです。基地に対しては、やはり攻撃の意思を持っていた。ただ、その攻撃の目的が破壊そのものではなく、あくまで制圧のために必要な最小限度の破壊であったために、撤退間際まで対施設用ミサイルを使用しなかったのでしょう」

「では、龍の総数を見計らった今、次の攻撃は遠慮がないということか」

「そう考えるのが賢明かと」

 江藤がそう答えると、一同はますます難しい顔になった。

「緊急に援軍を要請するしかないな。司令部の所在が露見する危険もあるが、ここが落ちてはすべてが水の泡だ」

 司令部の中佐が苦虫を噛み潰しながらそう言い出した。

「安超備中佐、衛星が上空を通るのはいつだ?」

「およそ六時間後」

 安の返事に、誰かが溜め息をついた。六時間は、座して待つには長い。

「ヘリは使えないのですか? 低空を行けば安全なはずです」

 藤居がそう提案すると、司令部付きの士官が首を横に振った。

「パイロットが重傷を負って操縦できんのだ。黒龍隊には誰か操縦経験者がいるのかね?」

「いえ、おりません」

 藤居がうなだれたのと同様に、江藤としても歯がゆかった。実は少しばかり操縦した経験があるのだが、だいぶ前のことだし、なにより軽く遊ばせてもらった程度の事で、指導なしにひとりで乗ることはできない。地面近くの低空飛行などという高等技術は、なおさら無理なのだ。

「安中佐、電波塔は修復不能だが、第七戦略機動師団が使っていた時分のタシケントへの地下回線は生きているのでないか? あれで援軍を要請しよう」

 中尉が名案とばかりに言い出した。

「それは前線総司令部の意思と見てよいのかな、中尉? 参謀本部からは使用するなと指示されているのだぞ」

 安が中尉を見返し、その上官らしい壮年の中佐のほうに目を移すと、その中佐が静かに頷(うなず)いた。

「わかりました。今は非常時。地下回線でタシケントまで信号を送ってみましょう。ただし、点検をしている時間と労働力の余裕がなかったので、動作の保障はしかねますが」

 このときばかりは安の顔も笑っているようには見えず、先行きの見えない不安が翳(かげ)を落としているようだった。

「江藤少佐、貴官に聞いておかねばなるまい」

 壮年の中佐が江藤をじっと見つめた。

「質問でしたらなんなりとどうぞ」

「次の攻撃、黒龍隊だけで支えられようか?」

 中佐の瞳には江藤自身の顔が映っていた。

 支えられるのか?

 江藤はその問いを反芻した。

 今の戦いで、敵がこちらの戦力を把握していなかったのは幸いだった。こちらの後詰めを警戒して早々に撤退してくれたおかげで、黒龍隊に死傷者が出ることはなかった。だが、次の攻撃を同様に凌げるかと自問すれば、簡単に肯定できるほどの無責任さを持ち合わせていない自分に江藤は気づく。本来の防衛隊や、異変に気づいた友軍が駆けつけてくれる可能性を考えれば、決して不利な状況ではない。だが、味方の被害を出さずに目的を達せられるほど甘いわけでもない。

 江藤はしばし中佐の瞳に映った己の姿と向き合っていたが、やがてこう答えた。

「防衛隊が集結するまでは、持たせてご覧に入れましょう」



- 7 -


 江藤と藤居が詰め所に戻ったころには、早くも藤居の龍の修理が始まっていた。OSで把握できていない厳密な損傷箇所を洗い出すのは時間がかかる作業だが、さすが北嶋と形容すべき手早さだった。本来、第二小隊担当の整備チーフは矢俣だったが、彼はまだ修理のチーフを任せられるほど経験を積んでいないということで、北嶋が指示を出していた。もっとも、そのせいで南田の機体のほうはまだチェックも終わっていないが。

 コクピットの修理に立ち会うといった藤居と別れ、久しぶりの実戦をやらせた愛機の様子を見に行こうとした江藤は、力ない足取りで現れた南田に前を阻まれた。

「さっきは、すみませんでした」

 深々と頭を下げる南田。どうやら、戦闘直後まで続いていた恐慌状態は完全に脱してくれたらしい。

「首の根元は確かにゾルダートタイプの急所だ。だが、向こうの技術陣も前線の話を聞いてある程度の防護処置は施してくるし、単にこっちの差し込みが甘くて直撃にならないこともある。雷紫電で百パーセント敵を倒せれば、誰も苦労はせんよ」

「す、すいません。迂闊でした」

 南田は再び頭を下げて謝ったが、もう一度江藤を見据えたその目は、まだ何か言いたげだった。南田が何をいちばん謝りたいのか、江藤は最初からわかっていた。

「あのことなら、気にすることはない。あの状況では、格闘用の雷紫電だけが武器だったおまえの防人は、まったく役に立たなかった。足手まといにならないよう退避したのは的確な判断だ。決しておまえは弱虫でも裏切り者でもない」

「――はい」

 肩を叩いた江藤を見返し、南田は幾ばかりか救われたような表情を見せたが、江藤はまだ何か言い足りないように思えた。

「まあ、必ずしも俺のようになれとは言わん。俺はちょっとイレギュラーだからな。藤居でも参考にするといい」

 また南田の肩を二、三回叩くと、江藤はその肩を横に通り越した。

 あとはあいつ自身で救いを見出すしかない。俺はあいつの父親ではないし、父親でもそこまでの世話は余計というものだ。脳裏をかすめた幼い日の我が身を自嘲しつつ、江藤は愛機へと向かった。


*   *   *   *   *


 オーバーホールしてから初の実戦を体験させた機体は、破損こそなかったものの、あちこちに些細な設定修正を必要としていた。例えるならマッサージだろうか。江藤が妙な改造を施していなければ、それらの設定修正はほとんど自動でコンピュータがやってくれたのだが、構成ごと大きく手を入れてしまった部分はそれが利かない。江藤は整備班から数人駆り出すと、プログラムを手動で操作して、あるいは実際に手を使って機械を調整してやる作業に入った。

「重機関砲のキャリブレーションはマガジン装填(そうてん)のあとでしょうか!?」

「そうだ! なんせ立て付けが悪くて、はめた拍子に噛み合いがずれたりするからな。ハハハハハ!」

 コクピット周りやら肩の重機関砲やら、普通の龍とは勝手の違うところをいちいち指示してやりながら、江藤は一時間ほど作業を続けた。飲み込みの早い隊員たちのおかげで調整は予想外に早く終わり、彼らに次は群山のを頼むと言い伝えているところへ、腕時計型通信端末の呼び出し音が鳴った。

「江藤だ」

「安超備中佐から呼び出しです。至急、管制塔のほうへ来てくれと」

「わかった」

 わざわざ呼び出すなど、例の地下回線の件だろうか。江藤は管制塔に向かいながら、運転だけで頭が暇になる数分間を、思索に充(あ)てていた。

 思わぬ敵襲。それも、ここの防衛任務を案外楽な仕事とみなし、今後の展望など考えていた矢先の敵襲。夢のために必要な力を手に入れるため、これから歩んでいくはずだった道のりは、そのファーストステップから大きな障壁に阻まれてしまった。厄介なことにこの障壁は、迂回することもできないし、立ち止まっていれば崩落してこちらを押し潰してしまう。突き破って進むしかない。

 南田の青い感情の混濁を除けば、隊は江藤の想像以上に冷静を保ってくれていた。二機の龍を早急に修理しなければならない忙しさが、整備班に不安を感じさせないように作用しているし、パイロットたちもゾルダートの弱点をどう衝くか話し合うのに余念がない。ただ、女子隊員の様子だけは目にしていないので不安だった。戦場に出るための訓練を受けてきているのか、初見の印象ではそれさえ心許ない。いや、受けていたとしても、実際に敵を前にして誰もが平静を保てるわけではないのだ。

 ジソコンはあまり前には出せない。江藤は車がクレーターの底部に差し掛かるまでに、そう決めていた。ジソコンはあくまで通話のバックアップにとどめ、敵は数の優位で制する。先刻も一機を撃破、一機を中破させてあるのだ。若い部下たちには、数の優位を活かせるだけの技量がちゃんと具わっている。立ち回り次第、江藤の差配次第で、部下を死なせずに勝つこともできるだろう。援軍が来るまでの時間さえ稼げればよいのだから。

 この戦いを終えたあと、どうなるか。江藤の中にふとそんな疑問が浮かんできたが、それはすぐに奥に押し込めて蓋をした。派閥の力学など考えながら、目の前の敵に対処できるわけがない。今は、この基地の防衛に専心するのみだ。

 江藤が管制塔につくと、先ほどの会議の部屋に案内され、そこには安超備の背中だけが待っていた。

「わざわざ呼び出しとは、何か問題でも?」

 江藤が声をかけると、卓に手をついて何か考えていた安は、はじめてドアが開いたのに気づいたようだった。

「ああ、早かったな少佐」

 安は体ごとゆっくりとふりかえり、言葉を継いだ。

「実は、タシケントへの地下回線が通じない。途中でバロッグの干渉を受けているのか、それとも整備不良でどこかで断線しているのか。この一時間いろいろ試してみたが、原因もはっきりしないうえに、まったくうまくいく気配がないのだ」

「つまり、外部に応援要請ができないというわけですか」

 事態は不利なほうに展開している。江藤はやや陰鬱になったが、その事実を打ち明けた当人は、それほど暗い顔をしてはいなかった。

「信号を用いては、な。遅くはなるが、人なら遣れる」

「人を? 敵が東に回り込んでいる可能性も……」

「だから君を呼んだのだよ、江藤少佐。君の第三小隊、貸してはくれまいか?」

「は?」

 江藤は自分でも笑ってしまうくらい間の抜けた返事を返してしまった。

「いま、緊急に連絡隊を準備している。大型トラックに、秘蔵のBFGと長距離通信機を積んでね。二時間で、最寄りの基地を通信可能圏内に収めることができる。BFGがあるからバロッグが出ても確実に行けるはずだ。――敵の機兵から彼らを守る護衛さえいてくれれば」

 なんとも意表を衝かれる作戦だった。しかし、車載型BFGやら長距離通信機やら持っているのなら、会議の場でその案を出せば良かったのではないか。追い込まれて初めて思いついたのだといわれれば、それ以上問いつめようもない疑問。江藤は敢(あ)えて問うことはやめた。案外、安超備はこの程度の人間だったのかも知れない。

「趣旨はわかりますが、何故、第三小隊をご指名に?」

 江藤は代わりに、気にかかっていた点を尋ねた。

「演習見学の際、話をしていて気に入った。それでは理由にならないかね?」

「中佐殿」

「いや、今のは冗談だ。君の流儀にあわせたつもりだったのだが、失敬した。実のところをいえば、単に第三小隊ならすぐに出せるだろうと考えてのことだ。第一小隊と第二小隊は、それぞれ一機ずつ中破させただろう」

「なるほど、そういうことですか。了解しました。で、連絡隊の出発はいつになりましょうか?」

「もう三十分といったところだろう。先刻のミサイルのおかげで、トラックのほうがすぐには使えなくてね。大急ぎで修理中だ」

「了解です。では、自分はこれで。第三小隊は急ぎ待機させておきます」

「頼む」

 肩の荷が下りたような様子の安を残し、江藤は部屋を後にした。


*   *   *   *   *


「以上だ。何か質問は?」

 江藤は略式装備で待機していた坂元、鷹山、久留を捕まえ、今聞かされてきたばかりの作戦を手短に説明した。坂元と久留は神妙な視線を返し、すぐにでも準備にかかるという意を示していたが、鷹山だけは腑に落ちない顔で、やがて挙手した。

「いま三機の龍を外に出して、戻ってくる前に敵が攻めてきたら、七対五です。それに南田の龍の修理が間に合わなければ、六対五。相手にはエースらしいのもいるって話じゃないですか。防衛態勢としては不備があるのではないかと」

「たしかに、不安ではある」

 江藤はあっさりと鷹山の主張を認めた。連絡隊の護衛に三機も取られるのは、正直なところ痛いのだ。

「だが、いちばん不安なのは、自分で自分を守ることもできない司令部の人間だ。その防衛担当が三機回してくれと言ってきたのなら、それには応えるのが守備隊の務めだろう」

「しかし、東にそれほどの脅威があるのですか?」

 鷹山の疑問に火を注がれたのか、坂元が代わって反駁(はんばく)してきた。

「それだ。俺もそれは疑問だった」

 江藤はそこで声を落とし、実を言えば今の発言は建前というやつだと、三人に囁(ささや)いた。

「どうやら安中佐は、西にも敵が展開している危険を感じているらしい。監視網の情報をすべて知っているただひとりの人間がな。会議の場ではそんなこと一切口にしなかったが、あれはどうも地下の司令部から上がってきた連中に不安を与えないよう、隠していたんじゃないかと俺は睨んでいる」

「つまり、この基地は包囲されていると?」

「包囲というほど密な網でもなかろうし、具体的に敵を捉えているなら俺には教えるだろう。あいつの身を守るためでもあるからな。ただ、東に無事に出られる保証はないということだ」

「それで、俺たちが護衛に?」

「そういうことだろう。偵察行動だと思って、ちょっくら行ってきてくれ」

 江藤が少しおどけてみせると、坂元は少し考える様子を見せてから、敬礼を返した。

「第三小隊、拝命します」

「任せたぞ。もし敵と遭遇した場合、連絡隊を守り、突破させることが第一優先だ。さっきみたいな深追いは、今度は控えろよ」

 江藤が釘を刺すと、久留が小さく笑い、坂元と鷹山がむっとした顔になった。正直な連中だと、江藤はにやける。

「第二優先事項は?」

 やや声を低くした鷹山が、自分たちはもっと過酷な命令でもこなして見せるとばかりに、挑戦的な視線で江藤を見上げる。

 江藤は迷わずに答えた。

「おまえたちの生還だ」



- 8 -


 半時後。

 基地から連絡隊の準備が整ったと報せが入り、クレーターに向かう第三小隊を見送った江藤は、ひとつ大きなあくびをした。

 午後十一時十五分。数十日ぶりの実戦は江藤の神経も磨り減らせていたようで、体は休みたがっているらしい。だが、仮眠などとっている暇はないし、外廓聯では六十時間起きたまま作戦に従事したこともある。

「まだまだ」

 微(かす)かな眠気さえも完全に打ち払うべく江藤が屈伸をしていると、いきなりその背中をつつく者があった。つんのめって数歩を前に歩かされた江藤がふりむくと、そこには背の低い丸っこい影があった。

「旦那、ここにおいででしたか」

 姿を見定めるまでもなく、向こうの声と言葉が正体を宣言してくれた。間違えるはずもない、周富窪である。

「なんだ、おまえか。つまらん冗談を。――ん、どうした、そのなりは?」

 一発かましてやろうと腕を動かした江藤だったが、当てる前にそれを止めた。富窪の体の数箇所に包帯が巻かれているのを認めたからである。

「変装でもなさそうだな。怪我をしたのか」

「はい、ちょっとばかし。たいした傷じゃありません」

 そう答えると、富窪は人目を憚(はばか)るように、江藤を倉庫の裏手に誘う。誰もこちらを見ていないのを確かめて、江藤はそのあとを追った。

「潜入中にやられたのか?」

 完全に物陰に入りこんでから、江藤は声を落として尋ねた。

「いえ、そういうわけでは。しかし、えらい目に遭ったのは違いないですね。実はあっし、旦那たちが出撃するころには基地にもぐりこんでいたんですが、そこからずらかる道すがら、ゴン太坊ちゃんに出くわしましてね。基地の敷地ですよ。迷い込んで来てたんです。いやぁ、基地の連中に危うく見つかるところでした。ほんとに焦りましたよ。でもそのときミサイルが飛んで来て頭上の通信施設をふっとばしたので、その混乱のうちに、坊ちゃんともども逃げ帰ることができた次第です。瓦礫が崩れてきたときは、まさに間一髪でしたね。そういうわけで、これは名誉の負傷。――ああ、ご安心くださいね。坊ちゃんは怪我ひとつありません。今は寝所ですやすや寝てらっしゃいます」

 江藤が口を挟む隙も与えず喋(しゃべ)り続けた富窪は、そこで初めて息をつき、不意に笑顔を真顔に急変させた。

「実は気になることが少々。早めにお耳に入れようとしたのですが、怪我の手当てをするからと皆さんにとっ捕まっていました」

「なんだ?」

「電波塔の下で、機兵でも積めそうなくらいの大きなトラックを見たんです。急いでなにかを積み込んでいました。いや、下ろしていたのかもしれませんけど。見慣れないコンテナのようでした。大きさは普通の貨物用のものと同程度でしたが、あっしには何かの保存用に見えましたね。例えて言うなら、高性能冷凍庫のような」

 富窪はさらに的確な表現を探しているらしく、首をひねっている。

「何だろうな。それはミサイル攻撃の前か?」

「ええ。あれで下敷きになってしまったかも知れませんが、あっしは逃げ出すので精一杯で確認しておりやせん」

「連絡隊用のトラックを修理するといっていたのはそれか」

 今度は江藤が首を傾げる。安中佐が地下回線を諦めて連絡隊編成を指示したのだと思っていたが、現場の独断にあとからお墨付きを出したらしい。

「しかし、おかしいな。電波塔の破壊と連絡隊の準備、現場の迅速な対応だとしても、順序が逆というのは解せん」

 胸のわだかまりが膨張をはじめるのを江藤は感じた。

「それと関連して、お話がもうひとつ。中央棟地下三階で食糧庫を見つけたときのことなんですが……」

「おお、そうだ。首尾はどうだ?」

「食料のほうは多めにストックがあるようです。防衛隊への補給分も蓄えてあるのかも。ですがお耳に入れたいのはそのことではないのです」

 富窪は江藤が見たなかでいちばん神妙な顔つきになると、地下三階で富窪を見咎めた士官の言動をつぶさに語った。

 その情報は、富窪に「あとはご賢察を」と示唆されるまでもなく、襲撃中に準備されていたトラックの怪しさと結びついた。そして安超備の言動や、黒龍隊を取り巻く事態もミックスされ、江藤のなかでひとつの仮説が形を成しはじめる。それは正しいとは思いたくない仮説であり、的外れであってほしい疑念だった。

「旦那、もしかするとこの基地は……」

「口には出すな。わかっている」

 江藤は富窪が言おうとするのを遮り、唸りながら逡巡した。万一、自分と富窪の予想が当たっていた場合、これから起こる異変に備えて、今どういう行動を取るべきなのか。

「富窪、たびたび悪いがまた命令を変更するぞ。おまえは今すぐ連絡隊を追って東に向かい、そのままタシケントへ戻れ」

「はっ」

「事と次第によっては、黒龍隊の権限を持って、然るべき行動に出る。その場合、おまえはタシケントで待っていろ」

「了解しやした。では、ゴン太坊ちゃんは管制要員の女の子たちにでも……」

「何を言う。ゴン太も一緒に、だ。戦場となった以上、ここよりはタシケントのほうが安全だ」

「は、はぁ」

「なあに、心配するな。おまえがタシケントで十八番(おはこ)の仕事をやっている間くらい、ゴン太はちゃんと留守番できるさ」

 江藤がそう言うと、富窪はしばし考え込むようにしていたが、やがて「わかりました」と降参した。

「気をつけろよ、富窪。地下回線の断線は、そもそも敵の工作である可能性がある。確率は低いと思うが、もし敵が待ち構えていて、すり抜けられそうになければ、連絡隊と第三小隊を囮に使って突破しろ。いいな」

「了解。では、大尉にもよろしく」

 少しひっかかることを言い残し、富窪は暗闇の中に姿を消した。どういう意味だろうと思いながら物陰から出ると、そこで待ちかまえていた人影の存在に、江藤は後ずさった。

「俺だ、江藤」

 富窪はその気配に気づいていたのだろう。江藤の前に立っているのは、北嶋だった。

「聞いていたのか、今の」

「ああ。安中佐がどうこうという件からな」

 北嶋は睨むでもなく、恨めしそうに見るでもなく、ただ江藤をじっと見据えていた。江藤はひとこと「そのつもりでいてくれ」と言うと、その場をあとにした。



- 9 -


 日付は二十一日に替わり、先の戦闘から四時間が過ぎた。連絡隊と第三小隊は道半ばで、まだ敵に動きはない。藤居と南田の龍も、手つかずの予備パーツのおかげでさきほど修理が完了し、これで七機がスタンバイできた。敵の装備はおおよそわかっているから、それに適した武器選択をこちらも済ませてある。来てほしくはないが、来ればすぐに対処できる態勢だ。

 愛機のなかで江藤は、ただ時間の経過を待っていたのではなかった。徐々に強まってくる、捉えどころのない不快感。しばらく前、おそらく先の戦闘の直後から始まったそれは、おそらく啓示軍が使用したバロッグ誘起弾のせいだろうと、江藤はそう考えていた。

 江藤の第六感は変則領域を感知できるが、その感知対象は原則的に自然発生したものだけに限られる。つまり、龍の使用しているBFGやマスディフューザのコアには反応しないのだ。どうしてだろうと問うのも飽きてしまったが、ともかくこの特異体質が、強制ではなく誘起させるという新手の変則領域発生法に対して、不快感というかたちで反応しているらしかった。

「バロッグの現状は?」

 四度目の確認のためジソコンから管制に問い合わせたが、返事を待たずとも見当はついていた。不快感の広がりは、すなわち誘起されたバロッグの拡大を示している。

 しかし、取り次いだ矢俣の声は、返事とは別の言葉を紡いでいた。

「奴らが動きました。北の射爆場で、例の大破した機体からパイロットを回収しているのを、監視カメラが捉えました」

 それを聞いた江藤は、シートにうずめていた背を持ち上げ、龍を待機状態から目覚めさせながら、「何機出ている? 黒い奴はいるか?」と尋ねていた。

「二機。軽装タイプと四脚タイプ。ミサイルコンテナ無しです。あとの動きはまだ見られません」

 バロッグを攻めに利用するか、撤退に利用するか。相手に選択肢はふたつあったが、これはどちらを選んだ結果だろうか。パイロットの回収ならば後者を選択したのだと考えるのが自然だが、あれは武器を失った機体を使った陽動で、黒いゾルダートの本隊が基地を狙ってくる算段かもしれない。

 出るべきか、待つべきか。

 結論を下す前に、「南西にも出ました」と報告が入った。

「こっちは軽装タイプ二機。しかし、妙なものを抱えています」

「映像回せるか?」

「転送します」

 メインディスプレイに表示させた監視網の暗視映像には、その妙なものがはっきりと映っていた。高さが機兵の半分ほどの、巨大な砂時計。その外観をもっとも簡単に伝えるなら、この表現がいちばん適切だろう。二機のエントゼルトゾルダートは、それぞれ一本ずつその砂時計を抱えていた。

「見覚えない形ですね。ロケット弾かミサイルのランチャーでしょうか」

 同じ映像を受け取っていた藤居が相談してきた。

「わからん。とにかく放っておくわけにはいかない。――第一小隊、南西に出るぞ。北はとりあえず傍観を決め込むから、第二小隊は残れ。死なない程度に頑張るぞ、野郎ども!」

 不快感を堪えながら江藤は号令をかけ、それに応えた若者たちの気勢が、ヘルメットの中でこだました。


*   *   *   *   *


 道らしい道もない茫漠の大地を走ること、一時間と少し。その間、周富窪は三つのことを心がけていた。

 ひとつ、絞ったライトの光でも岩に正面衝突しないようにすること。ふたつ、第三小隊の姿が視界前方にあるのを暗視スコープで確認すること。みっつ、眠ったゴン太を起こさないようにすること。

 追跡をはじめてすぐ、第三小隊最後尾の鷹山に気づかれたが、彼にはこっそりモールス信号で事情を説明しておいた。もっとも、真の目的に関してはごまかし、ただ江藤の指示で追尾していると簡潔に伝えただけなのだが、鷹山は黙って納得してくれた。あるいは、第三小隊の三人でひそひそ話し合ったうえでの黙認かもしれないが、ともかく、連絡隊には内緒にしてくれているようだった。

 おそらくこれで、あの三人に工作員だと感づかれただろう。平時にばれるよりはこういった非常時にばれたほうが彼らの動揺も少ないだろうと思っていたが、果たしてそのとおりだったのかもしれない。もっとも、坂元、鷹山、久留の三人はさばさばとしたところがあるから、平時でもすんなり事実を受け入れてくれたようにも思えるが。

 基地では夢遊病のようにしていたゴン太も、今はおとなしいものだった。少し大きく車体が跳ねても、耳ひとつ動かさない。完全に熟睡してくれていた。

 あと一時間と待たず、安中佐の真意が測れる。そう思ったときだった。前方のやや左、遠くで赤い光が灯ったかと思うと、爆音が耳を震わせた。

 暗視ゴーグルを手にとり、富窪は爆発の地点、すなわち連絡隊と第三小隊の様子を見やった。三機の龍が散開し、発砲を始めたようである。目で確認してから若干のタイムラグを置いて、その音が富窪の耳に届いていた。

 連絡隊のトラックは、距離と荒野の起伏のおかげで姿が見えなかった。もしかすると最初の爆発でやられてしまったのかもしれない。もう通信のしようもない富窪には、近づいてみないことには事態が把握できなかったが、接近という行為は江藤の命令に反していた。自分の任務は、ゴン太を連れ、生きてタシケントに辿り着くこと。

「すみませんね、お三方」

 富窪はハンドルを右に切り、戦場から離れていった。


*   *   *   *   *


「第一小隊、敵を一機撃破した模様!」

 それまでヘッドセット相手に顔をしかめていた秋月が、上ずった声で状況を報告した。

 ジソコン二号車を介して送られてくる第一小隊の交信に聞き耳を立てているのは、秋月、円道ら新入のオペレーター三人。二号車に乗った三人のほうは機兵戦術管制システムも作動させているが、一号車は戦場と距離があるため、彼女たちを通信に専念させている。不慣れな整備班よりは、彼女たちオペレーターのほうが通信にも秀でているからだ。

「もう一機が例の砂時計をもって後退。第一小隊は追撃に入るようです」

 そう円道の声が続き、北嶋は小さく頷いた。

「わかった。二号車には、通信が確保できる距離を維持するよう、指示しておいてくれ」

 その北嶋の指示に、二通りの返事が重なった。片方は秋月の了解の声、他方は円道の疑問の声。

「どうした、円道くん」

 壁側からふりかえってこちらを見ているらしい円道の表情は、読めなかった。計器の表示がよく見えるよう、車内の照明は極端に暗いからだ。

「我々は前に出ないのでありますか?」

 おずおずと、円道が言葉を継いだ。

「そうだ。無闇に前に出て、足手まといになってはいけない」

「でも、それじゃあこの管制システムが性能を発揮できません。私たちは交換手をやるために訓練を受けてきたわけじゃ……」

「円道くん。それはまたの機会に頼むよ」

 北嶋は押し伏せるように声をかぶせた。

「使えば絶対有利なのに」

 そう呟(つぶや)いた円道を、秋月が小突く様子が窺えた。北嶋は、反駁を許すていどの迫力しか出なかったことに、つい溜め息が出た。

「君は良くても我々はそれに慣れていないんだ。それに、もし敵に捕捉されでもしたら、この高価な装備とスペシャリストを一度に失ってしまう。そんなリスクは負えないな」

 たしかに円道の言うことも一理あるが、そうそう前に出るわけにはいかないのだ。まだその事情を隊員に隠している後ろめたさが、北嶋の胸をちくりと刺した。しかし、北嶋が江藤たちと共有している疑いは、証拠のないまま不用意に漏らしていい内容ではなかった。

「バロッグ濃度、依然として増大中。加速度的に濃くなっています」

 定時報告に、観測者のコメントが付いてきた。車内の画面を見渡していた北嶋も、さっきから気になっていたことだ。円道たちがヘッドセットを手で耳に押し当てているのも、バロッグのせいでノイズが混じっているからで、いずれ通信はできなくなってしまうだろう。

 しかしそれでも、ここを動くわけにはいかない。通信不能になれば目と地図が頼りになる。この倉庫から離れてしまったら、江藤たちが帰ってきても合流できなくなってしまう。たとえバロッグがこのまま濃度を上げて、管制塔とさえも連絡ができなくなったとしてもだ。

 北嶋にできることは、倉庫で進めさせている準備を急がせるよう、外にいる富士本に伝えることだけだった。


*   *   *   *   *


 逃げたゾルダートを追い詰めるにつれ、RBRセンサーの反応がおかしくなっていた。バロッグの濃度はどんどん上がっているが、まだRBRセンサーの作動保証限界には到達していないはずで、異状の原因はわからない。とにかく今は、暗視映像とサーマルセンサーだけを頼りに追尾していた。

「少佐、もしかしてあれは、相対バルムンク反応を抑制する装置じゃないでしょうか」

 南田の仮説は、あながち間違いともいえなかったが、江藤は別のことを考えていた。それは、戦闘開始後も徐々に強まっている不快感が、RBRセンサーの無効化と何らかのかかわりを持っているように思われたからだ。

 捕まえてみればわかる。そう江藤が言おうとしたとき、いかれきっていたRBRセンサーに明確な反応が現れ、江藤は反射的に龍の体をよじらせた。暗視映像に見えた一条の光はすんでのところでかわしたが、右手に持っていた火縄が光に当たり、砲身の途中で溶断されてしまった。

 熱粒子砲。あの黒いゾルダートが来たのだ。

「新手は俺が抑える。おまえらは砂時計持った奴を逃がすな」

 ひとりでは不利だと思ったが、結局江藤はそう叫んでいた。南田はさっきの後遺症が出るかもしれず、かといって群山や杜の乗っている標準型の龍では、黒いゾルダート相手に運動性が不足している。そんな状態で部下を守れる自信が湧かなかった江藤は、不快感に苛(さいな)まれる身を押してでも、ひとりで戦うほうがまだ気楽だと思った。

 南田たちが追跡を続行するのを見届けると、江藤は火縄を捨て、雷紫電を龍の両手に持たせた。このバロッグの中なら、熱粒子砲以外の飛び道具はほとんど役に立たなくなるし、さらに江藤にはバロッグの分布を感知できる強みがある。相手が強化型だろうと手練だろうと、接近戦に持ち込むことは可能だろう。そうなればあとは十八番の突貫攻撃に賭ける。かすかにセンサーに反応のあった方向へと、江藤は愛機を走らせた。



- 10 -


 新手が現れたらしい、というのが、ジソコン二号車から受け取った最後の情報になった。第一小隊の移動にあわせたのか二号車が急に発進し、濃厚となったバロッグの通信妨害と相まって、ついに通信が途絶えてしまったのだ。

「第二小隊で中継に出ます」

 後詰めと本隊守備のために残っていた藤居が、状況を察知して龍を中継器代わりにすると言い出したのは、円道が再び一号車の前進を進言しようと口を開いたときのことだった。北嶋は頼むと言おうとしたが、彼もまたその発声を他者の声に妨害されてしまった。

「大尉、管制塔の安中佐から、コールがかかっていますが」

 整備班の部下が北嶋を呼んだのだった。北嶋は相手の名に思わず身をこわばらせると、回線を自分のヘッドセットにつなぐよう指示し、相手の言葉を一字一句聞き漏らすまいと身構えた。

「安超備だ。北嶋大尉、第二小隊を北に送ってくれないか? 射爆場からパイロットを回収していった敵機が、再び接近の気配を見せている」

 そう言って北嶋の反応を待つ安。だが、北嶋は送話用のマイクを手で押さえて、即答を避けた。合図をして、そのまま送話のスイッチを一時的に切らせる。

 このタイミングで安超備から第二小隊の派遣要請。怪しいと思って聞けば、怪しい話だ。今送り出せば、射爆場に着く頃にはもう交信不能になってしまうのだから。だが一方で、安超備直々(じきじき)に、明らかに録音ではないリアルタイムの通信が行われている事実は、北嶋が抱いているもともとの疑い自体を否定する材料だった。

「大尉? 聞こえていないのか北嶋大尉?」

 返事をしない北嶋に対して、安の声が重ねられ、車内の視線も集まる。江藤と相談もできない今、自分ひとりの考えと責任で判断を下さなければならない。機械相手とは違った難しさをもつ問題に、竦んでしまっている自分を北嶋は発見していた。

「大尉、何を迷っているんですか」

 車内に響いた藤居の声は、尋ねたというよりは一喝したというほうに近い声音だった。

「藤居くん、実は……」

「たしかにここで離れ離れになるのは危険かもしれません。ですが、司令部が落ちれば前線の混乱は計り知れない。司令部の危機は前線で戦っている者たちの危機。見捨てられませんよ。自分はいきます。そのために与えられた装備、与えられてきた給料、命です」

 藤居の言葉は力強く、確固たる意志を感じさせた。迷いと戸惑いで揺れる北嶋がそれを呼び止めることは能わず、臨戦態勢で待機していた第二小隊は北へと遠ざかっていく。

「北嶋大尉、今ならまだ通信可能です。引き止められますけど……」

 遠慮がちに円道がそう言ったが、北嶋はそれには答えず、管制塔への送話を再開するように指示した。

「中佐。いま、向かわせました」

 それだけ返信してヘッドセットを外すと、北嶋は深く息を吐いた。


*   *   *   *   *


 暗視映像のなかに、二つの炎が煌々と輝いていた。

 激戦の末、坂元たちは遭遇したエントゼルトゾルダート二機を撃破した。一機は坂元が、火筒の拡散弾でコクピットを破砕。もう一機は、鷹山が雷紫電で動きを止めたところへ久留が火縄の一〇五ミリ砲弾を撃ち込んで、背中のロケットエンジンに引火し爆発。

 三機の龍は重大なダメージを受けることなく、見事なチームワークでこの成果を得たが、いいこと尽くめの結果でもなかった。

 初弾をまともに受けた連絡隊の生存は絶望的だった。対戦車ロケット弾の直撃では、希望を抱けというほうがおかしい。死体の状態を考えると、坂元は生存確認という作業に気が進まなかった。鷹山も同様らしい。呆然と立ちつくすだけだ。なのに、それを文句も言わずに率先してやってくれたのは、久留だった。運転席と荷台を、龍のマニピュレータをいちいちマニュアル操作までして、連絡隊の人数分の生死を確認してくれた。

「全滅だ」

 胃液が逆流するような衝動が起きたが、坂元はなんとかそれを食道で押し戻した。現物も見ずに、吐いたりするものか。

「これで応援要請はできなくなったな」

 通信機が、鷹山の沈痛な呟きを拾った。激しい戦闘での疲労と、連絡隊を守れなかった無力感とで、その声は普段ふたりでバカをやっているときの鷹山とは似ても似つかなかった。

「いや、まだだ」

 坂元は思いつくと同時に口を開いていた。

「ここまで来たんだ。龍で通信可能圏内まで行こう」

「誰も長距離通信用の装備をしていない。時間がかかる」

「衛星通信を待つより早いし、確実だ。そうだろう。それとも、あの周富窪を信用して任せるとでも言うのか?」

「それは……」

 鷹山が口ごもる。

 江藤から任務を受けたと称してこっそり後を追って来たかと思えば、戦闘の合間にいつの間にか姿を消していた周富窪。その言動はとても一般的な水先案内人のものとはいえない。江藤が使っていたからには利用価値があるのだろうと思い追わなかったが、それは信用を置いたのとは全く別のことだ。

「ん、これは……」

 久留の声がした。死体を数えたあとなので気分を悪くしているのだろうと思っていたが、見ると、久留はまだトラックの残骸を眺めていた。

「しまった! 坂元、俺たちははめられたぞ」

 何かに気づいたらしい久留が、急に憤りはじめた。

「どういう意味だ。はめられたって、誰に?」

「安超備中佐だよ。よく見てみろ、荷台の中身は通信機なんかじゃない。見かけは似ているが、これは古いレーダーの部品だ」

 久留が、龍の指先で黒い残骸を指し示す。坂元が画像を拡大してそこを注視して見れば、それはたしかにレーダーの部品のように見えた。

「ほんとうだ。これなら俺は同型を見たことあるから、間違いない。通信機なんかじゃないぞ」

 鷹山が、久留の主張を肯定する。

「いったい何のためにこんなことを……」

「きっと、やつは啓示軍に内通していたんだ。今頃、啓示軍の連中に基地を明け渡している。戻らないと!」

「待てよ、久留。通信機が偽物だったってだけで、それは飛びすぎた発想じゃないか」

「いや、坂元。久留の言うことには信憑(しんぴょう)性がある。敵が来たとき、射爆場に丸腰で第二小隊を集結させるよう仕向けたのは、安中佐じゃなかったか? 時刻と場所を指定したのは、奴なんだぜ? それにこの偽装した連絡隊。助けなんて呼ぶつもりは毛頭なくても、護衛と称して俺たち三人を基地から引き離せば、基地の制圧はそれだけ簡単になる」

「たしかに、そうだな……」

「そもそも、内通者でもいなければ、場所さえ知られていない西フェルガナ基地が司令部だなんて、敵が知るはずがない」

「坂元、迷っている暇はないぞ。間違えていたら間違えていたで、まだ取り返しがつかないわけでもない。今から増援なんて頼みに行ったって、そいつらが着く頃には基地は敵の手に落ちてる」

 交互に論拠を並べる久留と鷹山。そのどれもが、理路整然として耳から脳に伝わってくる。演習の見学に来たときに交わした会話。そのとき見た人の良さそうな笑顔。それらが欺瞞(ぎまん)の装飾で、今、仲間を陥(おとしい)れているその顔は、やはり笑っているのだろうか。

「――わかった。黒龍隊第三小隊は、これより安中佐の企みを阻止しに戻るぞ」


*   *   *   *   *


 クレーターの外縁沿いに北の射爆場に向かった藤居たちは、その入り口あたりでいったん足を止めた。濃密なバロッグがRBRセンサーを役立たずにしてしまい、もしこのまま進めば、射爆場の瓦礫に隠れているかもしれない敵機を、見落としてしまいそうだったからだ。

「峰國、朝井、視界を分担しよう。俺が中央、峰國が左方、朝井が右方だ」

「了解」

「了解」

 バルムンクフィールドを共有して通信を維持するため、三機はあまり距離をおかずに三角形のフォーメーションを組んだ。

「これだけのバロッグ誘起弾を使ったとなると、敵は思っていたより大規模な部隊かもしれない。ゾルダートも三機以上いるものと考えておくんだ」

 藤居は考えうるすべてのことに細心の注意を払っていた。数時間前のような作戦ミスは、今度は確実に味方の死を呼ぶことになる。絶対に許されない。

 やがて第二小隊は射爆場の中央に至った。管制塔の口ぶりではこのあたりに来ているはずの敵の姿は、まだ見当たらない。

「藤居さん、二時の方向!」

 朝井が素っ頓狂な叫び声を上げた。火筒の照準とともにそちらに身構えた藤居は、朝井の声が緊張を欠いて聞こえたのは気のせいでなかったと知ることになった。

 数台の大型車輛が、背を向けて待ち構えていた。敵ではない。暗視カメラが捉えたその姿は、すべて亜細亜連邦製のものだった。

「ご苦労だね。黒龍隊第二小隊の諸君」

 雑音とともに聞こえてきたのは、藤居が作戦会議で聞いた声だった。

「安中佐、これはいったいどういうことです。敵が来ているのではなかったのですか」

 藤居は照準を解除しないまま、少し距離を詰めて返信した。

「ああ、敵は近くにいる。だから護衛してもらいたいのだ。我々の脱出を」

 車列の真ん中にある指揮通信車輛。安はそこから藤居たちを見上げているようだったが、藤居は、一段も二段も高いところから見下ろされているような不快感を覚えていた。

「どういうこった?」

「そういえば中佐は、まだ基地にいるとは言わなかったな。通信は自動で中継していたのか」

 朝井と峰國も、北嶋をたばかって第二小隊を呼び出した安を、訝らずにはおれないようだった。

 もしや、北嶋が渋っていたのはこのことを予見していたからか。藤居は事情も聞かずに飛び出してきたことを悔いた。

「事情の説明を願えますか」

 藤居はかすれる喉から声を絞った。

「いいだろう。実はさきほど地下回線が通じてね。司令部を緊急に撤収させるよう指示があったのだ。江藤少佐には敵をひきつけるというたいへんな役をお願いしてしまったが、なに、安心したまえ。黒龍隊には戦略軍からの指令以上に優先される、亜連の危機に対する対処という至上命題がある。任務優先度AA(ダブルエー)。有事まで戦力を温存するべく独自の行動を取ることが、彼には許されているのだよ。もちろん、彼自身そのことはよく知っているはずだ。だから心配は要らない。危険とわかれば彼は撤退してくれるよ」

 安の笑いを帯びた口調は、藤居が火筒の発射ボタンにかけた指を震わせた。その衝動にブレーキをかけたのは、北嶋が倉庫で進めさせていた「準備」の光景だった。江藤は安がこう動くことを考慮したうえで、北嶋にああいう指示を出していたのだろうか。だとすれば、これは作戦のうちなのか。

「了解しました。これより司令部撤収の護衛にあたります」

 藤居は照準を解除し、峰國の不平を黙殺して、ゆっくりと発車した車列のあとについた。



- 11 -


 爆音と振動がコクピットの中にまで伝わってきた。損傷チェック。被弾なし。ミサイルはすべて回避。続いて索敵。後方に敵機。レール回転式の重機関砲で牽制程度の迎撃を行いつつ、ふりむきざまにあてずっぽうの雷紫電を突き出したものの、しかし見事に空を切らされた。

 黒いゾルダートとの一騎打ちは闇の中で断続的に続いていた。数合やりあっては互いに闇とバロッグの中に身を隠し、そして奇襲をかけ、かわされて、また数合やりあう。その繰り返しだった。

 互角のように感じるが、それは錯覚だと江藤は認識していた。五感を浸蝕するように広がる第六感の不愉快さは、確実に江藤の集中力と判断力、反射神経を鈍らせている。対する敵は、さっき江藤が熱粒子砲を串刺しにしてやったとはいえ、まだ余裕があるはずだった。おそらく、今もまた敵のいいように誘導されているのだ。

 再び姿の見えなくなった黒いゾルダートは、今もまたこちらの様子を窺っているのだろう。そしてこちらが地図を頼りに後退をはじめれば、その隙を突いて攻撃してくるに違いない。

 前回の目くらましがまた通じればよいが、江藤はそれを最後の手段と考えていた。このバロッグの濃度では、あのときのような急速離脱は危険なのだ。バルムンクフィールドの変則効果打消し作用にも一瞬の時間を要し、機体の移動が極端に早い場合には、バロッグの中和が追いつかず、高密度の変則領域に晒されたロケットエンジンは爆発を起こしかねない。

 七時方向に反応が現れた。咄嗟に重機関砲を構えた江藤だったが、発射寸前でそれを踏みとどまる。やってきたのは、黒いゾルダートではなく、通信の途絶えていた南田の防人型だった。

「少佐、大丈夫ですか」

 駆け寄ってきてバルムンクフィールドを共有した南田は、落ちついているようだった。この闇とバロッグでは猛者ぞろいの外廓聯でも尻込みする状況なのだが、南田はさっきの恐慌状態の反動でかなりタフになっているらしい。一目見たときには怒鳴って追い返そうかとも考えた江藤だったが、今の南田なら心配ないと思い、素直に「助かったぞ」と礼を言った。

「向こうの敵機は群山が撃破。基地から離れすぎたので、ふたりには砂時計を回収して先に戻るよう指示して来ました」

 手短に要点だけ伝えた南田が、江藤機と背中を合わせるように龍を立たせた。情報リンクによってセンサーの性能が向上する。レンジは変わらないが、近づいてきた敵機を早く正確にキャッチできるようになったのだ。

 反撃に出たいところだったが、今は体の不調が致命的だった。強化されたセンサーは逃げるための警戒の目に使い、クレーターのほうまで戻るのが妥当だろう。ひとまずジソコン二号車との通信くらいは復旧させなくてはならない。

「戻るか」

「そうですね」

 ふたりは慣性誘導装置と地形情報を頼りに、ジソコン二号車のいた地点へと向かった。こちらの合流を見ていたのか、黒いゾルダートは追ってくる様子がない。

 一方的に一機を撃破して、謎の砂時計型兵器も回収したのだから、第二戦はこちらの勝ちだ。そう思うと、いくぶん具合の悪さも緩和されるように感じられ、江藤は苦しさと一緒に溜め込んでいた息を吐いた。

「少佐、もしかして負傷されているのですか?」

 入れっぱなしの通信機が吐息を拾ったらしく、南田が心配して声をかけてきた。

「気にするな。ちょっと酔っただけだ」

 そう言えば、赴任初日の訓練のことを想起して納得してくれるかと江藤は思ったが、そのごまかしは効果的ではなかったらしい。「本当ですか」と重ねて尋ねる南田に、「本当だ」と返していると、ジソコン二号車らしき影を暗視映像の中に発見した。

「……佐、聞こえますか、江藤少佐!」

 向こうでもこちらを見つけたらしく、通信役をやっている矢俣の声が届いた。

「ああ、聞こえている」

 そう答えると、矢俣は怒涛(どとう)の勢いで空白期間の情報を江藤たちにインプットしてくれた。杜と群山がもう詰め所に戻ったこと。砂時計型の謎の巨大容器が強烈な相対バルムンク反応を示しており、これがセンサーにも異常を及ぼしていたらしいこと。第二小隊が管制からの要請で北に向かったことや、基地との連絡ができなくなったこと。

 基地までバロッグに包まれたんだ、敵の手に落ちたんだと南田が悲鳴をあげたが、江藤の感覚は、南田の言うことを否定していた。

 基地のあるクレーターの方向に、不快な気の塊があった。その方向に意識を向けるだけで、胸が焼けるような気持ちの悪さがぶり返してくる。それが具体的に何かはわからない。だが、その感覚はバロッグを感知したときのものとは全く違うのだ。

 基地を覆っているのはバロッグではない。第六感が見つけ出した事実は、さらに嫌な事実を浮き彫りにした。管制塔と通信できないのは、向こうが回線を遮断しているからだ。あそこにはもう誰も残ってはいない。管制塔だけではない。西フェルガナ基地はもぬけの殻で、本当の前線総司令部は他にある。この基地も、黒龍隊も囮だったのだ。戦略軍は情報の漏洩まで見越して、黒龍隊を餌の味付けに使ったのだ。もしかしてと思っていた疑念が、最も悪いかたちで事実に変わってしまった。

 今頃、無事の司令部から命令を受けた外廓聯が敵拠点を切り崩し、友軍は大攻勢に出ているだろう。作戦上、それは悪いことではない。だが、囮にされた側の、人としての感情はどうなるのだ。死ねと言われて素直に従えというのか。高い給料をもらって生活を保障されておいて、有事の生存まで保障しろとはいわない。だが、生存権の収奪は許せない。

 戦争は、生存権を国民に保障している国家という主体同士の争いで、負けた国に生存権はない。だからその過程において兵士たちに生存権を保障している余裕はない。軍や政財界でまかり通っているそういう理屈が、江藤は大嫌いだった。そんな論理で動いている連中が亜細亜連邦を牛耳っていたのでは、この世紀は愚かな停滞と忌むべき逆行の時代となってしまう。

 それを変えたいと思って軍に入った。矛盾した選択だと気づかなかったわけではない。だが矛盾を身極めたうえで、それをひっくり返してやれば、何かが生まれるのではないか。そう考えて、道を選んで十数年。やっと開けたと思った進路には、しかし、深い落とし穴が掘ってあった。

 生き抜いてみせる。ここで黒龍隊が全滅しては、金星也(キム・ソンヤ)の掌(てのひら)でこの命を玩(もてあそ)ばれたことになる。そして、今まで理不尽な命令にすべて背いてきた自分のポリシーにも反する。なにより、大丈夫だと約束した部下たちへの裏切りになる。

「至急、倉庫まで後退。本隊と合流後、全車輛を護衛し、東に抜ける」

 異様な変則領域に蝕まれたらしく、声量は出なかった。だが、にじみ出た静かな怒りは江藤の言葉をじゅうぶんに重く響かせた。気圧されたように南田も矢俣も沈黙をしていたが、やがて言葉の意味をよく反芻(はんすう)した南田が、「嘘ですよね?」と言った。

「冗談ですよね、撤退だなんて」

「こんなときに嘘や冗談を言う俺ではない」

「じゃあ、基地を見捨てるんですか!?」

「基地の連中はもう撤退している。通信できないのはそのせいだ」

「でも、今撤退したら防衛隊を見殺しにすることに……」

「防衛隊を見殺し?」

 江藤は嘲笑した。おかしかった。南田の正義感がではなく、事態を見越せていなかった自分の甘さ、情けなさが。

「そんなもの、最初からいない。防衛網は俺たち以外、すべて無人だ!」

「そ、そんな」

「わかったら急げ」

「でも少佐は!?」

「射爆場に行った藤居を追いかけて撤退を伝える。そっちは俺を待たずにまっすぐ東に向かえ。クレーターを見下ろした丘のところで合流だ」

「了解」

 平気そうな声音を苦労して捻(ひね)り出したおかげか、南田はおとなしく東に向かってくれた。その後姿を見送り、黒いゾルダートの姿がないことを確認すると、江藤は動かすのも辛くなった手足で龍を北東へ向かわせた。


*   *   *   *   *


 これほど体に影響を与える変則領域は、今まで経験がなかった。江藤はめまいまで始まった体の異常を、変則領域に反応する己の体の特異性を、久しぶりに変だと感じた。

 八月の悪夢から二十三年。小学生の時分からの長い付き合いに、人と違う性質にもすっかり慣れきっていた。病気でもなんでもなく、自分はたまたまそういう体質なのだと。

 しかしこの身体の、いや心身の異状は度を越していた。射爆場に着くまで持つのか、江藤はそれさえ心配になってきた。フットペダルを踏み続けるのにも疲れ、歩行をセミオートにしたのが数分前。解放された足は、マラソンの後のように感覚が鈍くなっていた。

 射爆場が見えてきた。だが、藤居たちの龍の姿は見当たらない。ここからどちらの方角に進んだのだか、昼間であれば足跡でも辿れたかもしれないが、この暗さでは難しかった。

 熱源探知に切り替えようとしたそのとき、江藤はまだ痛覚が麻痺していなかったことを荒っぽく知らされた。今までの不快感や疲労感など比較にならないほどの重圧が、胸を鷲掴(わしづか)みにしたのだ。江藤は思わず両手を操縦桿から放し、胸を押さえて体を折った。

 前進の入力を失った龍がよろけ、途中で自動の姿勢制御が作動し、方膝をついて転倒を防ぐ。アブソーバで吸収しきれない衝撃が座席から江藤を突き上げたが、それは胸を蝕む痛烈な苦しみに紛れて、江藤に痛みを感じさせることはなかった。

 気を失いそうな痛みをこらえて、顔を上げた瞬間。そう、まさにその瞬間のことであった。

 まばゆいばかりの閃光、それも七色に光り輝く強烈な光が、前方の地平を覆った。

 天空から地面にかかった虹のカーテンは、その輝きを増しながら江藤のほうに近づいてくる。カメラの減光フィルターが自動的に作動して失明は免(まぬか)れたが、光はすぐに龍のメインカメラを無用の長物とした。サーマルセンサーの表示に目をやった江藤は、その光がほとんど熱を持っていないことを知る。

 意識さえ薄れゆくなかで、江藤はなんとかブースター噴射の操作を実行したが、無音のうちにすべてを嘗(な)め尽くしていく光から、逃れることはできなかった。


*   *   *   *   *


 幅一キロを超える虹色の奔流は、空を引き裂き、大地を剥(は)ぎ取り、クレーターを西から東に撫でた。そこに存在していたモノ……あらゆる物質を、完全に消し飛ばして。

 作戦標準時間、〇一〇九時。西フェルガナ基地は、地上から消滅した。