黒龍隊の挽歌 第十話

歪曲雲海



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 高原の夜は静謐(せいひつ)に包まれていた。鳥や獣の気配も感じさせない暗闇の中、わずかに音を立てているのは、ふたつだけ。ゆるやかに吹きぬけていく冷たい冬の風と、もうひとつ、窪地に伏せる二機の龍(ロン)から漏れる、冷却ファンなどの機械音。

 一機は火縄の狙撃用バージョンである丙型を抱きかかえ、腹這いに。もう一機は左腕を上に掲げて、そこに装着されたアンテナを窪地の縁から覗(のぞ)かせており、遠くからは枯れ木と判別できないようなカムフラージュも施してある。

 二機ともに、石像のように固まっていた。姿勢を保つ自動制御システムが常に作動し続けているので、実際には受動的に動いているのだが、傍目(はため)には動いていないようにそれは見える。外から見る限りアイドリング状態と変わらないが、しかし中のパイロットは電子機器の表示と向かい合って、時が来ればすぐに動き出すべく待ち構えている。臨戦態勢だ。

 気を抜けば意識が闇夜に同化されそうになる。忍び寄る眠気を追い払うべく、茨木彪は深く息を吸った。

 別行動中の部下が、ゾルダートを三キロ先に設置しておいた罠に追い込むのを待って、トリガーを引く。それで任務は終わり、昨日からまともな休憩も取らずに敵の輸送中継拠点を捜索、破壊してきた茨木の隊には、機兵整備を兼ねた半日の休養が待っている。照準装置をセットして三十分。そろそろ暗視スコープにその姿が映るはずだ。さもなくば、こちらが部下の探索に出かけることになる。そうなったら眠気も何も吹き飛ぶわけで、結局、この闘いはあと半時でケリがつく。

 そこまで考えて、茨木は溜め息をついた。かつてのルームメイトの唾棄すべき思考パターンが、いまだに自分の思考回路にウイルスとして残留しているらしいと自覚したからだ。

 そのルームメイトと、友と呼ぶほど馴れ合った覚えはない。朋とは言えるのだろうが。士官学校の同期連中は、茨木とその男との関係を好敵手という言葉で広めていたが、茨木はそれを不適切な表現だと思っていた。好敵手というには、その男は異質すぎたからだ。同じ評価基準で勝負をするべき存在ではない。

 しかし、偶然にも茨木が、その男と同様に機兵乗りの第一期生となったことで、士官学校の同期からは余計に似たもの扱いをされた。もっとも、茨木は将校としてあるべき機兵乗りの姿を追求して正規編成の部隊に志願し、いっぽうでその男は外廓聯(がいかくれん)といういかにも戦時編成らしい寄せ集め部隊に配属されたのだから、選んだ道は大きく異なる。

 その後外廓聯は変則領域における戦場の切り札として扱われるようになったが、茨木は自分の選択を悔やみはしなかった。確かに外廓聯は戦果を上げている。しかしその運用実態がまともでないことを、風の噂で聞き知っていた。

 前線を転々とする外廓聯では、いま茨木たちが従事しているような長期作戦は普通だという。だが、そんな話を聞かされたところで、外廓聯に畏敬の念を抱くなど茨木にはありえないことだった。外廓聯がろくに休まず引っ張り出されているのは、亜連の機兵運用態勢がまだまだ整っていないだけの話で、神経と体力を使う機兵の操縦を丸一日以上やらせるなどというのは本来理に適わないことなのだ。

 自分の思考が行き着いた結論を、集中を乱して思考を続けたという事実自体が証明していることに気づいて、茨木は苦笑した。そのときだった。視界の隅にサブディスプレイの表示変化を察知し、茨木は慌てて他のセンサーをすべてチェックすることになった。しかし、変動を見せたのはただひとつ、相対バルムンク反応(RBR)センサーだけ。それだけなら腑に落ちないこともないが、今まで無反応だったところへ反応レベルBが感知されたのは過去に経験がない。

乾(いぬい)、こちらのRBRセンサーに変化が出た。何か感知しているか?」

 茨木は部下の乾に尋ねた。索敵通信に専念していた乾ならば、この変化の過程を茨木より正確に観測しているはずだった。

「反応はこちらにもありますが、いきなりレベルBとは妙ですね。尾西の龍とは違うようですし……」

 可能性として考えていた、自機のセンサーの不具合という線が消えた。これは記録の必要がありそうだ。そう思った茨木は、作戦標準時間を指し示すメインディスプレイ右上の時計を見た。〇一〇八時。

「大尉、あれを! 空に妙な虹が!」

 乾の叫びが通信機を騒がせたのは、RBRセンサーの反応レベルがAにはね上がるのと同時だった。狙撃用に固定していた龍の首を振り仰がせ、画面に映ったものを見て茨木は絶句した。

 禍々しいほどに絢爛な七色の光の帯。それが北東の空から南西の地平に向かって伸びていた。やや湾曲して見えるが、波長の異なる光がランダムに入り混じるその形質は、明らかに虹と異なる。オーロラにも似るが決して同質のものではない。自然現象ではない、何か別のものだ。理解の域を超えている。

「だが、おまえなら何かわかるのか。江藤

 気づけば、特異体質を持つあの男の名を茨木は口にしていた。



- 2 -


 行く手に巨大な光彩の筋を認めたとき、坂元は思考とは違う部分で危険を感知し、気づいたときには龍に大きく減速をかけさせていた。逆方向のGが体を圧迫するが、即座に言葉が出なかったのはそのためだけではない。

「な、なんだってんだよ、あの光」

 ようやく捻(ひね)り出した言葉は、動揺の色にすっかり染まったものだった。しかし、オーロラが七色に染まって地上に降りてきたかのような現象を目の当たりにして、他にどう反応できるだろうか。どんな反応のしようがあったとしても、表したところで何の益もないという意味では、どれも同じ結果だったろう。

 すぐ後ろを追従していた鷹山久留も、坂元機を少し追い越したところで揃(そろ)って停止した。「基地じゃないか、あそこ」と呟(つぶや)いた鷹山の声が、通信機を介して聞こえてくる。

「何の光だか知らないが、中佐と啓示軍(オフェンバーレナ)の企みの一環かもしれない。とにかく急ごうぜ」

 久留が急かすように龍の首をふりかえらせる。だが、その動作を見たときには、もう坂元はフットペダルを踏み直していた。

 あれが敵の攻撃だとしたら、黒龍隊は苦境に立たされているに違いない。もし仲間に何かあったときには……。

「そのときは、裁判なんて受けられると思うなよ」

 射爆場での演習見学で笑っていた安超備の顔が脳裏に浮かび、坂元はその像をイメージのナイフで切り裂いた。


*   *   *   *   *


「大丈夫ですか、藤居さん!?」

 朝井のだみ声が頭蓋(ずがい)に響き、藤居は目を覚ました。

 座っているのはコクピット。外は夜。周囲には防人型と標準型の龍が一機ずつ。時刻は〇一一二時。少しの間、自失していたらしいと藤居は悟った。

「返事をしてくださいよ」

 さらに峰國(フェングォ)の声が重なって、藤居は返事をしなければならないことに気がついた。

「――ああ」

 焦るばかりですぐには状況を理解してくれない脳に鞭(むち)を打ち、藤居はひとつひとつ状況を確認していった。安堵したふたりが報告してくれる内容と合わせて、気絶していた三分間と、すぐには思い出せなかったその直前の数分の出来事を認識する。

 安超備中佐の車列を護衛して、基地の北東に抜けるべく進行していたところを妨害したのは、待ち伏せていたかのように現れた三機のエントゼルトゾルダートだった。第二小隊と同じ機数が出てきたことで、車輛を護りきることは難しくなった。やはり、第一波は敵の総戦力ではなかったのだ。

 安たちを東南東に進路変更させ、藤居は峰國たちとともにわざと敵前に躍り出た。濃密になったバロッグが、機兵のもっとも確実な戦闘方法を接近戦に限定していたからこそ、できたことだ。そうでなければ、ほとんど直線上を敵機に向かって突撃するなど、自殺志願者か江藤博照しかやらないことだ。

 距離を詰めて火線を交わし、ときおり肉迫して互いのバルムンクフィールドを共有し、そのなかで雷紫電の放電やロケット弾の爆発が起こる。しかし高速で行われる戦闘であるから、まともに狙いをつけてはいられない。藤居の繰り出した攻撃は敵機の脇を掠(かす)めるだけで、直後に襲ってきた反撃の砲弾も、バロッグに晒(さら)されてエネルギー変換現象の餌食(えじき)になる。でたらめに振った雷紫電が敵機の砲身を弾(はじ)き、変換現象で暴発した流れ弾が装甲に傷をつける。互いに直撃を与えられずに戦闘は推移した。

 三人でそれぞれ一機を相手にするのではなく、うまく立ち回って瞬間的に二対一の構図をつくって攻撃し、散開する。江藤から仕込まれたその戦術は、二度目の実戦でしかない藤居たちを戦闘から生還させてくれた。敵は消耗戦を嫌ったのか、朝井機の被弾でフォーメーションが崩れたのを機に、一斉にバックジャンプで後退して行ったのだ。

 敵がすぐに引き返してくる様子がないのを確かめると、バロッグの濃度のおかげで遠方からのミサイル攻撃もないと保証されていた藤居たちは、安超備たちの車列を追おうとした。実は今のもまた陽動で、別行動をとった車輛部隊を今頃敵が襲っている、という可能性もあったので、できる限り藤居たちは急いだ。

 そのときだった。バルムンクフィールドに変調が認められたかと思うと、後方に強大な相対バルムンク反応が感知された。機体を反転させて最初に見えたものは、七色に煌(きら)めく光の壁が迫ってくる光景だった。

 光は真正面からではなく、藤居の視点でいえば右遠方から左手前に向けて押し寄せてきていた。幕が走るという表現が似つかわしいだろうか。ともかく自機がそれに呑(の)まれるコースにあると見て取った藤居は、得体の知れない危険、いや恐怖を感じて横に跳んだが、それは少し遅かった。逃げ切る前に到達した光の奔流は、藤居の龍の左手を取り込み、前方からは壁に見えたそれが、実は幅と同様の奥行きを持っていたことを藤居に知らしめ、そして……。

 そこからの記憶がなかった。

 峰國の証言によれば、光の回避に成功した峰國と朝井がふりかえると、そこには左腕を肘の辺りから失った藤居の龍が倒れていたという。

 消え失せたのは何も龍の腕だけではない。光の通っていったあとの地面は、等しく地面が削り取られていた。機兵の身長の数倍の深さにある今の地面は、まるでヘラですくい取ったように、あるいは結晶が劈開(へきかい)でもしたかのように、平らに仕上がっている。それでいて削り取られた土がどこにも見当たらないのが不思議で、暗視カメラや投光器を駆使して見渡してみても、失われた質量の行き先は知れなかった。

 その異様な光景に驚き、応答のない藤居の無事を確かめているうちに、三分という時が瞬く間に過ぎたらしい。

 気づけば、コクピット内にかすかに漂う異臭と白煙の残滓(ざんし)があった。気絶していたのは、ヘルメット周辺の電装品に過大な電圧がかかったか、導電ケーブルが破損したために、感電した結果だろう。

「准尉、動けますか」

「どうやら、左手を失っただけらしい。駆動系もEPU(エクスペクトプロセッサ)も生きている」

 峰國の問いに、藤居は努めて元気な返事をした。バイパス回路が正常に作動しており、操縦に支障はないようだったので、コクピットの損傷には敢えて触れなかった。

「心配をかけた。とにかくすぐに安中佐のところへ……」

 言いかけて、藤居は絶句した。さきほどの光の壁のなぞった軌跡、それは何処(どこ)に向かっていったか。そして安中佐たちの車列を逃がした方向はどっちだったか。

「絶望的じゃないかと思いますよ」

 朝井が遠慮がちに口を開く。藤居もそれは認識したところだった。そして、あの光は果たしてどれほどの幅を持っていたのかという疑問が、恐れとなって押し寄せてくる。まさか基地や、そのさらに南の、クレーターの端まで届いてはいないだろうか。

「君らは無事か」

「電池を半分やられましたが、しばらくは動けます」

「峰國は?」

「稼動に支障なし。残弾はおよそ半分」

「わかった。本隊と合流しよう」

 震える唇の隙間からその言葉を紡(つむ)ぎだすと、藤居は眼下の地平へと黙然と一歩を踏み出した。



- 3 -


 クレーターを見下ろす東の丘に、黒龍隊の車輛が集結していた。

 基地到着前にここで小休止してから、まだ二十四時間経っていない。そう思うだけで、北嶋は自分たちの放り込まれた事態の途方もなさに、身震いしそうだった。

 集結を命じた当の隊長の姿が、ここにはない。車輛こそすべて揃っているものの、十機あった機兵のうち七機までと交信が途絶えている。江藤博照もその員数のうちである。援軍要請のため東に抜けていた第三小隊の三人や、江藤の命でタシケントへ向かった周富窪(チョウ・フーワー)たちは無事だと信じたいが、江藤と第二小隊に関しては、楽観的に構えていられない。あの光がどういう性質のものかはまだ判明していないが、推測はできている。そこからさらに推測を重ねるならば、四人の捜索を諦めて東に逃げ出すことも考えなければならなかった。

秋月くん、円道くん、どうなんだい」

 沈思黙考の果てに最悪のケースを思い浮かべてしまった北嶋は、耐えられなくなって声を出した。とはいえ意味もない言葉ではない。黒龍隊整備班よりは数段データ分析に長けている管制要員に、観測された光の調査を命じたのが十分ほど前。結果が出れば向こうから口にするとはわかっていても、他に口を開く口実を北嶋は思いつかなかった。

「観測できたのは可視光線と強大な相対バルムンク反応だけです。熱線兵器である可能性は低いと思われます」

 急(せ)かされた秋月がとりあえずそれだけを返答としたが、それはあまり意味のない状況報告だった。今、この一帯は稀(まれ)に見る高濃度のバロッグに覆われている。変則領域がランダムな波長の電磁波を通さない性質を考えれば、観測できていなくとも実際には熱線なり放射線なりが照射された可能性がある。

南田曹長が戻るまで、あと二分です」

 ジソコンに乗り込んでいた整備班のひとりが、そう言って指揮官席の北嶋を見上げた。隊長不在時に副長が弱気を見せてどうするのか。言葉と表情に秘められた叱咤(しった)を読み取って、北嶋は頷(うなず)くとともに気を鎮めようと試みた。

 江藤を除く第一小隊とは、ともに詰め所を抜けている。今は群山だけが護衛として残り、南田と杜(ドゥ)が光に照らされた現場を見に行っているところで、状況が状況だけに戻る刻限を決めていた。それがあと二分後である。

 彼らがどんな光景を見たにせよ、二分後には彼らは戻ってきて報告をしてくれる。そうすれば江藤や第二小隊がどうなったのか正確な予測が立てられるし、ここでひたすら待つより有効な合流の方策も立てられよう。だがもし彼らが戻らなければ、そのときは彼らさえも見捨てて、残る四十人の身の安全を図らなければならない。

 帰ってきてくれ。北嶋は強くそう願った。

「群山軍曹、龍同士のレーザー通信も通じませんか」

 オープンになっている通信機から聞こえてきたのは、ジソコン二号車の矢俣(やまた)が龍に乗った群山に問いかける声だった。

「駄目だ。――ジソコンのも、使えないのか」

「ええ。暗視カメラはどうです?」

「それも視界がぼやけてきた。理由は、わからないが」

「それ、たぶん霧ですよ」

 円道がヘッドセットを介して会話に割って入った。

「バルムンクフォッグの一部かどうかはわかりませんけど、明らかに霧、ただのフォッグらしきものが生じているみたいです。濃霧ですね。それでレーザー通信も使えないようです」

 一息ついて、円道は自分の説がどういう技術的知識に裏付けられているか説明を始めたが、北嶋の頭はそれが既知の内容だと判断した直後から、耳と脳との連携を遮断した。円道の知識のほどを垣間見るよりも、ふと思い出した光景のほうに思考が流れていた。過去に網膜に焼きついた映像が北嶋の脳内を駆け巡り、支配する。

 

 二十三年前の夏。夏休み半ば特有の気だるさのなかにあった北嶋を襲ったのは、雷鳴のような轟音と、続く地響きだった。何とはなしに見ていたテレビの画像が乱れ、耳障りな雑音を放出しはじめたかと思うと、さらに三つの雷鳴に似た音を聞くうちに、すべての電化製品は機能を停止した。窓から身を乗り出して見上げた空は、快晴からにわかに曇天へと変化し、その合間から地面に向かって突き刺さる、うっすら赤く光る筋が見えた。小学生だった北嶋は、母に後ろから抱きかかえられて窓から引き剥(は)がされるまでに、雷鳴に似た音の正体を悟った。半分は、隕石が空を切り裂く音。そして半分は、実際に雷鳴だった。

 雷はいつもと聞こえ方が違った。稲光が見えてから音が聞こえるまでの間隔が短いとか長いとか、そういう違いではない。稲妻はヘリコプターの飛ぶような低空で迸り、雷鳴は音である以前に空気の疎密波として家屋を強く震わせていた。あちこちから聞こえてくる悲鳴と怒号とサイレンは、ときおり轟音に呑まれ、そのあとでいっそう高まる。あちこちで立ち上る煙と、火の手が見えた。

「戦争だ」とどこかで叫んだ男の声に対し、北嶋は違うとひとりごちた。地表付近で放電が起きている。それも、次々と降り注ぐ隕石に誘起されるように。こんなことが人の手で実行できるわけがない。少なくとも、当時の北嶋の知識によれば、気象のコントロールなど、せいぜい局地的な雨を降らせるくらいが関の山であるはずだった。

 近所のアパートに隕石が直撃し、北嶋ははじめて稲妻が球状に広がるのを見た。その雷球に包まれたアパートの上層部は、直後に粉々に吹き飛んだ。これはただの雷でもない。北嶋は持てる知識を総動員して最良の避難方法を考えていたが、妙に澄(す)んでいた思考回路をもってしても名案は浮かばなかった。家の中で机の下にしゃがみこんでも、外に出て家屋の下敷きになるのを避けても、あの雷球の前にはどちらが有効ともいえない。地下壕でもあれば逃げ込んだのだが、当時の日本は半世紀以上空襲を受けていなかったから、そんなものがそうそう残ってなどはいなかった。思い当たるのは、引越し前の近所の裏山にあった一箇所のみ。

 ふりかえると、母は震災に備えたリュックサックを手にしたまま、ひたすらおろおろしていた。雷鳴はやまない。

「野崎さんちがやられたぞ」

 どこかの男が近所の家の被害を叫び、北嶋はもう駄目かもしれないと思った。そういえば今年は一九九九年で、昔のイイカゲンなヨーロッパ人が何か予言をしていた年だと思い出した。あれは今使っている暦と同じ暦だっただろうかと暢気(のんき)な疑問が頭をよぎり、次に、数ヵ月前に引っ越すまでとても仲良くしていた友人の笑顔が浮かんだ。彼の町は無事だろうか。秘密基地にしていたあの防空壕に逃げ込んでくれればいいのだけれど、彼の体の大きさじゃ途中の抜け道を通れないから時間がかかって……。

 そのあと何がどうなったのか、記憶はかなり断片的で、時系列もはっきりしない。比較的明確に思い出せるのは、倒壊した集合住宅の上で母に抱きしめられながら、廃墟と化した町を眺めたこと。そしてそのときの視界が、得体の知れない白い霧でぼやけていたことだった。

 三十四歳の北嶋三朋(さぶとも)は、それが再び目の前に現れたことを知った。「八月の悪夢」と呼ばれるようになったあの惨事の後、世界は変則領域の発生に悩まされて今日に至っているが、その歴史の中で初日にしか観測されていない、特異なバロッグ。当時は変則領域に対する知識が皆無で、しかも突然のことだったために研究に値するデータなど残っていないから、確たる証拠があるわけではない。そしてただの濃霧なら、八月の悪夢後はそう珍しくなくなった現象である。それでも北嶋は、今黒龍隊を悩ませているものがあの日のバロッグと同質のものだろうと確信していた。

 

「南田曹長と杜伍長、帰還」

 群山がふたりの生還を報告し、その急に響いた声で北嶋は追憶から引き戻された。

 普通なら、向こうから事前に通信で伝えてくるなり、RBRセンサーで龍の接近を感知するなり、何らかの前触れがあるものだが、今は龍の望遠カメラで感知するのがいちばん早い。理由は明瞭である。一切の無線が通じず、相対バルムンク反応も飽和してしまってまともに役に立たない。さらには視界を覆う霧まで出はじめた。もとより時間は夜。場所は荒野。直視では視界など得られない。北嶋たちは今、五里霧中という表現が最も似つかわしい境遇にあるのだから。もし仮に、味方ではなく敵が近づいてきたのだとしても、安全な距離のあるうちにそれを発見することは叶(かな)わないだろう。

「わけがわかりません」

 無事に帰ってきた南田の報告は、その一言で始まった。

「とにかくこれを見てください」

 そう言うと、南田の龍が二輛のジソコンの合間に来て立て膝になり、共有されたバルムンクフィールドの中で相互情報通信回線が開かれた。龍の記録してきたデータが、ジソコンに転送されはじめる。もとより戦闘中のデータリンクまで可能な通信速度であるから、転送はすぐに終了し、自動的に映像ファイルが開かれる。円道がすぐにそれを車内で最も大きいディスプレイにも出力させ、北嶋の正面にそれが現れた。

「まるで区画造成中の新地ですね」

 データを扱う役柄から一足先に映像を目にした円道は、誰にともなく所感を漏らした。

 ちゃちなCGでも見ているようだった。画面の大半はひたすら平坦な地面が占めており、ときおり龍の足元がフレームインしなければ、その平面がもとの地面より百メートルほど陥没しているという事実に気づくのは難しい。

「不気味だな」

 誰かが呟いた。北嶋もそれに頷く。暗さを補正された映像であるから、直に目で見るのとはだいぶ違う。機兵パイロットでなければ歩兵でもない北嶋たちはその違和感に慣れていない。それでいっそう、異様さが際立たって感じられるのだ。

「気化爆弾でも大量投下したんでしょうか」

「いや、それなら爆音くらいは観測できたはずだ。それに爆発跡にしてはあまりにも平坦すぎる。燃料気化爆弾はどちらかというと対人用だ」

 矢俣の発言を否定して解説までしてみせたのは、同じ一号車の運転席で同じ映像を見ていた夏明仁(シャー・ミンレン)の声だった。親が軍人だったせいか、彼は軍に入る前から兵器マニアだったと北嶋は聞いている。その彼の見立てなら大きく外れてはいないだろう。事実、爆音や爆風と呼べるものは一切感知されていないのだから。

「夏のいうことは正しいと思います。沈んだ地面に高温は感知されませんでした。放射線は微量に出ていましたが、レントゲンより微弱でした。戦術核という線もないようです。やはり、新型のバルムンク砲じゃないでしょうか」

「え、砲ったって、あの大きさですよ? バチカン市国よりはよっぽど広い施設がなきゃ、あんな大きな光なんて」

 ありえないと矢俣が言い、南田が他に何かあるのかと言い返す。割って入った夏が、あれは空から撃たれたに違いないと言い、群山がバルムンク砲なら弾道は曲げられると呟く。

「静かに」

 不毛な言い争いや論議になる前に北嶋は彼らを制止した。今は行動の決定を急がなければならない。反駁(はんばく)や議論の再燃を許さぬよう、北嶋はまとめかけの自分の考えを述べることにした。

「あれは電離砲とも熱粒子砲とも違う、第三のバルムンク砲だと私は思う。収束光だとは決まっていないし、そもそもバルムンク砲であれば光はその場で誘起されているのかもしれないからね。矢俣くんの言うような大規模施設は不要だろう」

 ではどのくらいの規模が必要だろうかと、北嶋は自分で疑問を持った。戦略軍が存在を掴(つか)み損ねるほどコンパクトな代物なのか。それとも、“壁”に阻まれて調査のできないベルリンから放たれた光なのか。

 そう考えたとき、北嶋は三日前の夜を思い出していた。周富窪が現れ、江藤に依頼されたという情報収集の成果を置いていったあの夜、江藤とふたりで北嶋はそれらに一通り目を通した。そのなかにあったキーセンテンスが脳裏に蘇る。遊撃中の外廓聯に緊急に命じられていた、謎の巨大兵器拿捕(だほ)任務。もしかしてそれこそが、この光の源だったのだろうか。確かその場所はカザフスタンのバイコヌール宇宙基地近くだったはずで、バルムンク砲の射程距離としては桁(けた)がふたつ大きかったが、ベルリンや衛星軌道からの攻撃と考えるよりはまだ現実的に思えた。

「竜時(りゅうじ)くん、江藤は第二小隊に撤退を伝えに向かったんだね?」

「はい」

「そして、まだ第二小隊と江藤はここに現れない」

「そう……です」

 嫌味なほどに現実を直視した北嶋の言い様に、南田の声が小さくなった。だが、副長の北嶋が目を背けるわけにはいかない。

「副長より黒龍隊全隊へ。本隊は直ちにタシケントへ撤退する」

「そんな、江藤少佐は、峰國や藤居さんたちは!?」

「あの新種のバルムンク砲……さしずめ消滅砲とでも呼ぶこととして、ともかくあれの威力はわかっただろう。彼らがここに現れないということが、何を意味しているか。私にそれを言わせないでくれ」

 北嶋は口を固く結び、瞼(まぶた)も閉じた。活性化しそうな涙腺を制御しようと試みたが、うまくいかない。そもそも、朋のための涙をどうして堪える必要があるのか。胸中に湧いたその声に、別の自分がこう言った。涙の必要などない。第二小隊や司令部の連中と一緒に北東に脱出したのだと。どちらにせよ残りの四十人を守るのが先決だと第三の自分が主張し、結局どうすることもできない北嶋の肉体が、転回を終えて加速していく車体の中に取り残された。



- 4 -


 闇の中、重装備で身を固めた人影が立ち上がった。小さく低く唸(うな)るのは、微細な機械素子の集積であるMMアクチュエータ特有の駆動音。続いていくつかの影が立ち上がるが、どの輪郭も明瞭ではない。月明りはほのかに機械巨人たちの装甲を照らしていたが、それは深い霧に拡散され、反射し、かろうじて人型を認識させるので精一杯の光だった。

 最初に立ち上がった機兵と、その傍(かたわ)らの機兵とが顔をあわせた。特に人間の顔を強く意識した形状ではない。ゴーグル状のガラスに覆われた複合カメラセンサーを目と見立て、頭の上部構造を帽子の類(たぐい)とみなしたところで、目の下にヒトのような鼻もなければ口もない。あるのは、むしろ獣の吻(くちさき)か鳥の嘴(くちばし)に似た突起である。エントゼルトゾルダートと呼ばれる機種特有の顔であり、欧州においては機兵の代名詞とも言える顔だった。

 見慣れたその顔が、電波という声で囁(ささや)きかけてくる。コクピットの中で再び人語に翻訳された声を聞いたケーシャ・スラント中尉は、部下の報告に眉を顰(ひそ)めた。

「コミレットの小隊が、動けない?」

「はい」

「それほど大きいダメージを受けたとは聞いていなかったぞ」

 彼女は苛(いら)立たしげに、まだ立ち上がらずにいる三機のエントゼルトゾルダートを見やる。その三機には、彼女が指示をして別行動を取らせていた。

「戦闘のダメージではなく、照射ポイントに近づきすぎたのが原因のようです。さっきまではまだ動けたのですが、とうとう立ち上がれなくなりました。復旧の目処(めど)は立っていません」

 そう説明した小隊長のザック・コミレットは、ケーシャも信用を置いている男だ。嘘を言うとは思えず、そもそも今回の敵は言い繕(つくろ)って逃げ出したくなるような相手ではない。彼が機体不調を訴えるのなら、事実そうなのだろう。バックアップなしで機兵を敵地深くに侵入させるこの作戦では、機体の状態をパイロットたち自らが正確に診断する能力が求められる。その器があると上から評価されたからこそ、彼女の率いる啓示軍第六機兵戦隊(エスカドローン)「E6(エーゼクス)」が今ここにいるのだ。

基幹部隊が懸念していたのは、こういうことだったか……」

 ケーシャは作戦開始前に伝えられた、予測される機兵の機能障害の件について思い出した。

 新兵器の照準用マーカーを敵地に設置するという今回の任務は、啓示軍の組織の幹をなすエリート部隊、すなわち基幹部隊からの委任というかたちで遂行しているものだった。この重要な仕事が、啓示軍ではほとんど外人部隊に等しいE6に託されたのは、戦線の拡大のために基幹部隊の直轄戦力の手が足りなかったためで、そうでなければ決して基幹部隊の他には任せないという意思が、作戦説明に来た基幹部隊将校の態度には明瞭に反映されていた。

 敵戦力よりむしろ味方の新兵器使用による副次的ダメージのほうを警戒するように、とその将校は注意していたが、それはこういうことだったのかとケーシャは納得する。とにかくマーカー設置後は速やかに指定された距離だけ後退するよう指示されただけで、機兵にどんなダメージがあるのか、彼女は詳細を聞かされていなかったのだ。質問したところでベルリンの部外秘であれば教えてもらえるはずはなく、知らなくても作戦遂行に支障はない。出撃前はそう思っていたケーシャだったが、敵が機兵を配備しているという予想外の事態のために、事はすんなりと進まなかった。

 だが、今までが簡単すぎたのだ。ケーシャはそう思う。

 反攻に転じた亜細亜連邦軍の勢いは盛んだったが、しかし隙があった。E6のエントゼルトゾルダート総勢十四機は、イランからグルーテイルの編隊に輸送してもらってカラクム砂漠の北東に降り、敵の動きをかいくぐってフェルガナ地方西部まで進入。ターゲットの手前に張られていた無人の簡易防衛網を難なく無力化したまでは、極めて順調だった。それもそのはず。諜報により入手したという敵の布陣情報がケーシャたちは与えられていたのだから。亜細亜連邦の最大の隙はその結束の弱さだと啓示軍ではよく言われている。

 問題が生じたのは、マーカー設置のために下見の威力偵察に出た段階のこと。情報にはない十機もの機兵が配備されていたために、一機が撃破され、一機が戦闘不能になる損害を被った。急遽、陽動作戦を考案してマーカーの強行設置に踏み切ったが、さらに彼女の小隊から二機が失われ、マーカーの一基も敵の手に落ちてしまった。幸い新兵器による攻撃は成功したが、ターゲット北面で敵機を引きつけていたザック・コミレットの小隊は、副次的ダメージとやらを被(こうむ)ってしまい、機能不全というわけである。

「隊長、ここは一旦、潜伏地点まで後退してはどうでしょうか。味方の損害が予測範囲の上限を超えています」

 ――後退?

 ケーシャは耳に入ったその言葉を、頭の中で完全に叩き潰した。

 たしかに敵は、こちらに対機兵用の装備が少なかったとはいえ、予想外の反撃を見せた。こちらがマーカー設置の都合で戦力を細分化したために、数で押される結果となったが、突出して手応えのあった一機を除けば、敵はまだまだヒヨッコの部隊だとケーシャは睨(にら)んでいた。ケーシャを手こずらせた例外の一機だけは、単に個人の戦闘能力が高かっただけではなく、味方をうまく動かして戦っていたが、あれがおそらく隊長機だろう。

 しかし、あれは先の新型バルムンク砲の照射で間違いなく消えている。そしてコミレットが引きつけていた三機の敵も、今ごろはコミレット小隊の三機と同様、満足に動けない状態にあるはずで、抵抗力と呼べるものは最大であと六機。隊長機を欠いた新米部隊がその程度の数を残していたところで、脅威ではない。ケーシャは自分の腕と今の乗機の性能をそのように評価していた。彼女の肌と同じ色をした、愛機シュヴァルツパンター。最初は揶揄(やゆ)されてついたあだ名も、今ではE6隊長とその乗機の異名として名が知られている。

 問題なのは、この制御不能のバロッグだった。一切の無線を封じRBRセンサーさえ殺してしまったこの強力なバロッグは、おそらく新型バルムンク砲の招いたものなのだろう。味方のつくった変則領域だからといって安全ということはなく、おそらく敵の残存戦力が直面しているであろう問題に、ケーシャたちも悩まされているのだ。

 とはいえ、未知のバロッグを理由に手をこまねいて敵の撤退を見過ごす行為は、作戦目的の達成に反する。E6の隊長として、これは完遂しなければならない任務だ。

「作戦に変更はない。ターゲット辺縁の敵残存戦力掃討を開始する」

 ケーシャが強くそう宣言すると、動き出そうとしたシュヴァルツパンターの肩を、傍らのゾルダートが抑えた。最初にコミレット小隊の機能不全を報告してきたブラームス中尉だ。

「せめてヴィーネたちが戻るまで待ったほうが」

 ブラームスが言ったのは、敵の退路を断つために東に向かわせた小隊の、小隊長の名だった。予定通りなら先刻長距離通信で連絡を取っているはずだったが、このバロッグのおかげで今も連絡がつかない。たしかにブラームスの言うように、ヴィーネの小隊が戻ればこちらの戦力は増す。だが、ここからひとりの敵も逃がすなという命令を、ケーシャは受けているのだ。だから、彼らを待つ時間はない。

「タイムオーバーだ。生きているなら、あとから合流もできるだろう」

 ヴィーネたちから連絡がない理由がこのバロッグの他にもありうる。そうブラームスに示唆したケーシャは、ブラームス機の手を払い、シュヴァルツパンターを前進させる。

「悪しき旧制を排しきれない世界の目を開かせ、滅亡への道から救う。啓示軍の目的は崇高だ。我らはその礎(いしずえ)となるためにここにいる。ならば、我らの目的はライルスキー様の唱えるそれと同じこと。我らに与えられた道がこの地での任務なら、定められた前進を厭(いと)う理由がどこにある」



- 5 -


 どんな変化があるとも知れないと警戒し、三機で身を寄せ合うようにしてゆっくりと南下していた藤居たちは、しかし何の変化にも行き当たらなかった。進めども進めども地面は同様の深さに抉(えぐ)られており、呆(あき)れるくらいに平坦だった。RBRセンサーも飽和しっぱなしで、もはや自機の展開しているバルムンクフィールドの状態さえ定かではない。敏捷(びんしょう)性を売りにする龍に敢えて密集陣形を取らせているのは、バルムンクフィールドの共有可能距離さえ計算不能になっている厳しい現実があるからだった。

 共有したバルムンクフィールドの中ではいつもどおり通信ができたが、藤居たちの口数は少なかった。霧のために狭くなった視界の中で、しかも暗視カメラの映像で目標を探索するのには神経を使う。しかし、藤居が自分から言葉を発さないでいたのはそれだけが理由ではなかった。

「バカな、話が違う」

 その台詞(せりふ)が藤居の前頭葉のなかをこだましていた。気絶から立ち直った直後は、状況の把握のために頭から完全に忘れられていた言葉だったが、百メートルも沈下した地平を歩むうちに、それはふと藤居の記憶に甦ってきた。

 誰の、そしていつの声だったか。自分の声ではなかったはずだ。そもそも日本語で聞いた言葉ではない。それで藤居は合点がいった。中国語だったのだ、あれは。東部方面軍にいた間に、ひととおりのの北京(ペキン)語は使えるようになったが、母国語とは脳での処理がまるで違う。それで今まで完全に忘れ去っていたのを、落ち着いてきた頭が過去に遡(さかのぼ)って聴覚からの情報を解読し、その意味を藤居に認識させたのだろう。

 あの場で北京語を使う者は誰がいたか。まず峰國が頭に浮かんだが、彼の中国語が北京語だったか別の方言だったか、思い出せない。考えてみれば藤居は峰國が母国語で会話しているのを聞いたことがないのかもしれなかった。普段から日本語で会話し、たまに同じ文化圏出身の隊員と母国語で話すこともあっただろうが、藤居はその光景が想像という形でしか思い浮かべられない。しかし中国出身の幹部候補組が北京語を使えないということがあるだろうか。そう考えて、藤居は自分の記憶力の低さを思い知った。厚木から大陸に移動したとき、北京語ができるからと峰國を先発させたのはほかならぬ自分だった。彼が北京語を使えることを自分は知っていたのではなかったか。

 藤居は自嘲した。兄貴分が聞いて呆れる。江藤に頼まれた任務を、藤居は恩人に対する当然の義理として引き受けたが、実際にそれを遂行する能力が自分にあるのか、それくらい考えて返事をするべきだった。事実、小隊員のことさえろくに覚えていない自分がここにいる。峰國のことはまだいいが、今藤居の左翼を固めている朝井に至っては、身の上をほとんど何も知らない。

 藤居が配属されてからまだ一週間。日が浅いのだから、しかたない。そんな短期間で知れるほど、人間はたやすくない。そう自分に言い訳をすることは可能なはずだったが、しかし、自分はその主張を恥じることなく述べられるだけの努力をしてきただろうか。

 藤居はこの一週間をふりかえる。教官からの受け売りの戦技指導を南田たちにひけらかし、一方で、江藤とダーダネルス作戦発動時の行動指針を内密に話し合っていた。その間、積極的に彼らの雑談に参加し、腹を割って語り合ったことが一度でもあっただろうか。背任行為ばかりで、見せかけだけでない本当のまとめ役らしきことは何ひとつやってこなかったのが自分ではないのか。

 習い教わったことを命令どおりに実行する。それだけが取り柄だった自分には、そもそも無理な話だったのだ。そう思おうとする藤居がいる一方で、それを否定する藤居がいた。

 その藤居が言う。組織のなかでひたすら指示通りに動く、歯車のひとつでしかありえなかった自分が、かつて東部方面軍で命令違反を犯し、多くの犠牲を招いた。塞(ふさ)ぎこんだ藤居を励ましてくれた通りすがりのお節介が現隊長の江藤博照であり、自信と新たな道を与えてくれたのが教官の茨木彪だった。彼らのおかげで、自分は新たに生まれ変わったのではなかったか……。

 我が意を得たりとばかりに、最初の藤居が笑ったようだった。生まれ変わってなどいない。命令違反に対して恐怖を覚え、江藤や茨木が厳しくない命令をくれるのをいいことに、歯車という元の殻に収まっただけなのだと。だから安中佐からの命令に逆らえなかったのだろうと。

 

 ――安超備中佐?

 

「バカな、話が違う」

 

 乱雑に絡まっていた思索の糸がほどけて、まっすぐになった。

 あれは安超備の声だった。エントゼルトゾルダートに脱出進路を遮られ、進路を変えて退避するよう藤居が指示したとき、たしかに安中佐は叫んだのだ。「バカな、話が違う」と。あれはいったいどういう意味だ。

 もはや本人に問い詰めることはできない。できないが、藤居はなんとかしてその意味を知りたい欲求に駆られた。報いるべき恩人を失ってしまったかもしれない原因が、その言葉の向こうに見えるような気がするのだ。

 江藤だけではない。下手をすれば自分たちと第三小隊以外の全員が、藤居の龍の左手と同じ運命を辿(たど)ったのかもしれない。その想像は藤居の肌を粟(あわ)立たせた。

「座標は、このあたりで間違いないはずです」

 不意に峰國が口を開いた。すぐには声の主が峰國だとわからず、朝井の声ではないからと消去法で理解せねばならないほど、いつにない神妙な声音だった。

 藤居は自分でも座標を確認した。たしかに、ここはクレーターの中心付近のはずだった。しかし他と同じ深さに抉られてしまったクレーターは、もう見かけの上では何もその痕跡を残していなかった。もちろん基地など跡形もない。峰國の調子がいつもと違うのも当然だった。

「シェルターのような地下構造くらいあったかもしれませんね。西部方面軍が隠していた基地だったら」

 朝井がそう指摘し、探そうかという話にもなったが、藤居はそれを却下した。実際に地下シェルターの類があったとしても、そこに人が退避していたとは思えないし、そんなところから人を救助する手段も藤居たちにはないのだから。

「そうだそうだ。だいたい、電池を破損して足を引っ張っているのは朝井、おまえじゃないか」

 峰國が朝井をたしなめるのを聞いて、あまりゆっくりもしていられない事情を思い出す。そうだ。黒龍隊をいいように使って自分たちだけ逃げようとした連中より、仲間の命のほうがよほど大事だ。藤居は、基地の痕跡を探して動かしていた目を止めた。

 西フェルガナ基地は完全に消滅した。その事実を確認して、藤居たちはさらに南下の道を選んだ。この先、かつてクレーターの縁(ふち)だったあたりに高さ百メートルの崖(がけ)が待っていてくれれば、詰め所は無事だ。そして黒龍隊の本隊も無事でいる可能性が高い。正面に崖が見えるのを期して、三機は歩行速度を速めた。

 微(かす)かながら行く手に相対バルムンク反応が感知されたのは、かつての基地中心部を通過して何分と経たないうちのことだった。反応は機兵のものらしいが、こう波形が乱れていてはパターンの検出ができない。敵か、味方か。暗視カメラの視界に、うっすらと機兵らしき影が映る。数は一。

「准尉、あれは」

「わからないが……。戦闘態勢を取れ」

 先ほどの戦闘ではダメージこそ免(まぬか)れたものの、弾薬は半分ほど消費してしまった。江藤が緒戦で相手をしたという黒いゾルダートなら、一機といえども油断はならない。少しでも優位に立とうとするなら先手を打つのが大事だが、同士討ちは絶対に回避せねばならなかった。

「准尉」

 峰國が急かすように藤居を呼ぶ。しかし藤居は、攻撃とも退避とも、武装解除とも命令できなかった。誰も危険に晒すことのない正しい判断を、下せる自信がなかった。操縦桿を握る手が異常に汗ばんでいる。着慣れたはずのパイロットスーツが、倍以上に重く感じられた。

「准尉、見てくださいよ。あいつ」

 その峰國の声は、猿之門で聞いていたのと同じになっていた。いつの間にか自分の視界がぼやけていたことに気づき、慌てて焦点を合わせなおした藤居は、緊張の緩みで気絶しそうになった。画面に映る機兵の影は、諸手を上げてバンザイの恰好(かっこう)をしていた。


*   *   *   *   *


「よかったですね」

 円道の涙声を端緒として、安堵の溜め息と嗚咽(おえつ)がオープンの通信回線に伝染していく。北嶋も大きく息を吐き、胃痛が弱まるのを感じていた。

 一旦(いったん)は東への進路を取った北嶋たちだったが、今はまた例の丘に舞い戻っていた。せめて詰め所のあった場所まで戻って様子を見てくると南田が言い出し、北嶋の制止を無視して龍で引き返したのがそのきっかけだった。

 勝手な行動をとった南田を置いて先に逃げる。それが指揮官として正しい選択だったのかもしれないが、北嶋は少なくとも戦闘の指揮官ではなかった。護衛の機兵が二機では心もとないから、と北嶋が無理に言い訳をするまでもなく、運転手の夏は即座にハンドルをきってくれていた。

 敵の目からは隠れやすい丘の陰に車列を並べ、南田の帰りを待つこと二十分。帰ってきたのは一機の龍だった。南田の乗っていた防人型ではなく、通常型の龍。

「第二小隊は無事。江藤を探してから合流する。先発して構わない」

 それが朝井秀和の持ち帰った伝言だった。

 南田は断崖(だんがい)の下で朝井たち第二小隊を発見した。第二小隊が無事だったのなら、それと合流しに向かっていた江藤も無事かもしれないと、南田と第二小隊は北西に向かった。ただ朝井だけは、機体の漏電のために早期合流が必要だったため、メッセンジャーも兼ねて南田の来た道を辿って来た。……朝井はそう経緯を語った。

「でも、藤居准尉の防人は左手がないんでしょう。それじゃあ弾倉の交換だってできやしない。どうして一緒に戻らなかったんですかね、准尉は」

 矢俣がそういうと、数人がはっとする気配が伝わってきた。

「どうせ交換する弾倉なんて残ってなかったからな」

 藤居を連れ帰らなかったことを責められているように感じたらしく、朝井が弁解をする。

「でも、片腕がないと安定性だって落ちるし、もし戦闘になったら……」

 円道までが朝井を追及すると、弁の立たない朝井は黙ってしまった。

「無駄だよ」

 追撃に入りそうな円道を制して、北嶋は言った。

「彼は猿之門に来た翌日、自分は江藤に深い恩があるといっていた。あのときの目つきを見ていたら、誰も彼を止めることはできないだろう」

 自分も機兵に乗れれば。機兵に纏(まつ)わるエキスパートでありながら、北嶋は一度たりとそう望んだことがなかった。富士本のように、パイロットとしての適性が及ばず整備要員に転向する者もいるなかで、北嶋のように機兵に乗りたがらない者が稀有(けう)だったのは間違いない。

 しかし今、北嶋はひどく悔しかった。機兵を操縦できさえすれば、自分が江藤を探しに戻るというのに。



- 6 -


 坂元は舌打ちした。今日何度目のことか、もうわからない。

 暗視カメラ以外はものの役に立たない、驚異的なバロッグの中に分け入って、もう半時は立つ。視界があまりにも利かないために、ずいぶんと遅々とした進み具合である。せめて霧だけでも晴れてくれれば、すぐにでも仲間を探し出せるはずだというのに。

「見落として通りすぎたのかもしれないな。戻ったほうがいいのかも」

「いや、現在地表示が正確とも信用できない。もう少しこの縁沿いに進んでみる」

 安超備め。裏切った挙句(あげく)がこのざまか。

 坂元は内心で悪態をついた。異常に大きなバロッグのなかで見つけた、異様に深い断崖。クレーターだったものが沈下してこうなったとは思えない。地割れが起きてもあの詰め所が消えてなくなることはありえないからだ。だとすれば可能性は絞られる。この地面の消失は、あの嫌味なほどに煌めいていた光と因果関係があるはずだ。そして、援軍を呼ぶと嘘をついて自分たち黒龍隊第三小隊を基地から遠ざけた、安超備の思惑が絡んだ結果でもあるはずだった。

 安はおそらく、うまく黒龍隊を壊滅させて基地を明け渡すつもりだったのだろう。だから啓示軍も基地への攻撃を控え、通信施設の破壊にとどめた。もしかすると壊れたように見えたのも見掛けだけのことで、実際に機能は失われていなかったのかもしれない。

 しかし、そうまでした卑劣漢も、結局啓示軍にも裏切られて最期を迎えたらしい。坂元たちはすでにその結論に至っていた。西の地平に見えたあの光は、少なく見積もっても一キロメートルは幅があったから、基地がこの現象から免れたとは考えにくいのだ。あるいは安たち内通者だけ事前に脱出して啓示軍と合流したのかもしれないと久留は言ったが、そんなことはどうでもいいと坂元は思った。ここは戦場。敵なら殺す。安が公然と敵に降って生き延びているのなら、むしろ幸いだとさえ坂元は考えはじめていた。裏切り者をこの手で、正当な大義名分のもとで抹殺できるのだから。

 詰め所が消えてしまっていたのだから、すでに黒龍隊全員の無事は諦めている。せめてひとりでも多くの生き残りを助け、そしてひとりでも多くの敵と内通者に仲間の命を贖わせる。怒りや悲しみさえ包み込んだ高揚感に、坂元は酔っていた。


*   *   *   *   *


「見当たらないとは、どういうことだ」

 いったん別行動を取って合流したブラームス中尉に、ケーシャは苛立ちをぶつけていた。

 逃げ出す敵が見当たらないというのなら話はわかる。視界が利かないのだし、そもそも新兵器照射の時点ですべて消し去ってしまっていて、逃げる敵など残っていないのかもしれないからだ。

 だが照射の直前までコミレット小隊が引きつけていた敵は、生き延びていることがコミレットにより観測されている。そしてコミレット小隊と同じように敵も動けなくなったはずだから、このあたりに稼動不能の機体が転がっているべきなのだ。それを見つけて、パイロットが逃げ出す前に殺すか捕えるかしなければならないのだが、パイロットどころか機体のほうさえ見つからない。

「コミレットが動けなくなった時間から計算した、敵機の予想移動範囲はすべて探しました。例外は、この下だけです」

 ブラームス中尉のゾルダートが、できて一時間も経たない断崖の底を指差した。

「基幹部隊からは、照射地点にはできるだけ立ち入るなと言われていたな」

「ええ。調査隊が来るまでは踏み入るなと」

「どちらが優先すると思う」

「基幹部隊の言いつけを守って、この敵は放っておきましょう。機兵を失ったパイロットだけで、この断崖を登ることはできないでしょうから」

 知性派のリヒャルト・ブラームスらしい返事に、ケーシャは頷いた。目の前の敵を追おうとする獣のような性質が、自身の機兵乗りとしての力を高めていることは確かただが、いつまでも黒豹の渾名(あだな)のとおりにふるまっていてはE6の隊長が務まらないとケーシャは自覚していた。啓示軍の尖兵としてふさわしい自分にならねばならない。それは、ときとして一任務の単純な達成度より優先するべきことだ。アルベルト・ヴェーバー様もそれをお望みのはず。ひいては、ハンス・ライルスキー様も。

「スラント隊長。近づくのも憚(はばか)ったほうが良いようですね」

 ブラームスが指摘する前に、ケーシャも気づいていた。断崖に近づいてから、バルムンクフィールドに変化が起きている。これが機体にどういう変化を及ぼそうとしているのか知るべくもないが、コミレット小隊の三機と同じになる可能性は大いに考えられる。

「リスクが高い。橋頭堡構築を優先する」

 ブラームス以下二機を伴って、ケーシャは断崖のそばから身を引く。引き返そうとターンしたそのとき、チェックするのも無駄に思えはじめていたRBRセンサーが、何かをキャッチした。愛機シュヴァルツパンターの、大型RBRセンサーだからこそ捉えられたのだろう。

 東に向かわせていたヴィーネたちか。一瞬それも考えたが、こんな異様なバロッグに自ら身を投じるよう部下を仕込んだ覚えはない。

「向こうから狩られに来るとなれば、尻尾を巻くのは雌豹のすることではないな」

 ケーシャは笑って素顔に、戦士の顔になった。


*   *   *   *   *


 三機の龍防人型は、前方に断崖を見ていた。場所はかつてのクレーター北西にあたる。

 南田が江藤と別れた場所から、第二小隊が安超備に呼ばれて最初に向かった射爆場とを結べば、その直線はちょうどここを通る。江藤があの光から逃れていれば、このあたりで動けなくなっているかもしれなかった。

「まずはこのあたりを手分けして探そう。正面の崖下で合流だ」

 もし敵に襲われたら、と考えると、近くであっても別行動を取るのは危険が伴ったが、藤居の提案に南田も峰國も反対しなかった。つきあってくれる彼らにはありがたいと思わなければならないはずだが、今の藤居にその認識は持てても実際の感情は湧かなかった。

 南田から、江藤が防衛隊など無人なのだと言っていたことを聞き、藤居は安の言葉の意味もすでに推察していた。安超備の裏切り。それが最有力候補だ。しかし安への恨みなども強い感情のうねりとはならず、亜細亜連邦軍などその程度の組織なのだという寒々とした知識が脳に追加されたにとどまっている。

 江藤を見つけ出す。藤居の胸のうちに浮かぶ言葉はそればかりだった。返しきれないほどの恩がある男が、こんな意味もないところで死んでいてたまるものか。生きていてもらわなければならないのだ。そう念じるのは決して、恩返しという自己満足のためだけではない。

 思いに反して、あいかわらずただただ平らな地面だけが画面を流れていく。機兵の足跡でも探せそうなくらい隈なく地面を睨んでいるのだが、鏡面に近いのではないかと思わせるほど綺麗な平面が広がるばかり。藤居にはあまり縁のない比較だが、これは道に落としたコンタクトレンズを探すよりも焦燥と徒労を強要する探索である。

 その藤居が、RBRセンサーや上方視界に対する注意を怠っていたのは、誰からもしかたがないと評価されるだろうことだった。しかし同情の余地の有無に関わらず、ミスは容赦なくツケの清算を迫る。突如、藤居の耳朶(じだ)を震わせた電子音は、被ロックオンの警報だった。

「しまっ……」

 バロッグがいくら濃いといってもその濃度は一様ではなく、相手が予測しやすい単調な行動を取っていれば、照準レーザーが使えるくらいの間隙(かんげき)は見出せる。バロッグを当てにしすぎた。致命的なミスを自覚して、藤居は叫び声を上げかけたが、その口が言葉のすべてを紡ぐことはなかった。

 何故だろうか。

 藤居は自分でもその理由が分からなかった。

 視野に飛び散る破片、体に突き刺さる衝撃。自分のうめき声を聞いたような気もするが、定かではない。

 それほど、藤居の意識は急速に薄れはじめていた。

 ほどなく、貧血でも起こしたように視界がブラックアウトする。いや、視覚だけではない。音も、匂いも、シートに座っているという感覚も消えうせていくようだ。

 それが何を示すかを悟るよりまえに、藤居の意識は霧のようにかき消えていき、やがて、広がる闇の中へと埋没した。


*   *   *   *   *


「藤居さんっ!」

 南田は叫んだが、それで倒れた藤居機が起き上がってくれるはずもなければ、藤居が助かるというものでもないとわかっていた。コクピットの収まった腹部が、上方から飛んできた弾に貫通されるさまを、その目で見てしまったのだから。

 偶然ふりかえったときに目にした、藤居機のあっけない最期。龍のコクピット周辺に、誘爆するようなものは配置されていないから、腹部を穿(うが)たれた龍が爆発するようなことはない。ただ、管制を失った各部モーターやMMアクチュエータが機能を停止し、痙攣(けいれん)のような惰性運動だけが残る。まるで藤居祐輝そのものがそこで射殺されたような光景に、南田は脳と五臓を掻(か)き回されるような、悲哀とも憤怒(ふんぬ)とも知れぬ感情に覆われた。

 視野の左方を、峰國の龍が疾走して行く。背中に見える輝きは、ロケットエンジンの噴射。それはこれから断崖の上までブースタージャンプして反撃するという、峰國の意思を明らかにしている。そうだ、自分も戦わなくては。崖の上には藤居の仇がまだいるのだ。

 南田は操縦系を戦闘モードにシフトさせると同時に、峰國に倣(なら)って背中のロケットエンジンを点火。予備噴射を開始しつつ、第一武器に右手の火縄が設定されたことを一瞥(いちべつ)で確認し、残弾三発、予備弾倉一個という情報を反芻する。

 機兵乗りの習い性でそれらを手早くこなしはしたものの、頭の中に戦術案は浮かんでこない。ただ、じっとしていれば狙撃されることだけは確かで、とにかく南田は龍を前方に突っ込ませた。行く手では峰國機がジャンプで上昇していく。無茶だが、南田にも他の行動は思いつかない。単純な戦法ならスピードと勢いで押していくしかない。峰國に続いて飛び上がろうとロケットのスロットルを操作しようとした南田は、しかし、目の前の画面の変化に気づいて反射的にジャンプをやめ、左右ランダム回避運動に入った。

 暗視カメラで得ていた視界が、ぼうっと光を増していき、数秒と待たずに真っ白になった。外界の光が昼間並みに強くなったのだ。夜明けにはまだ時間がかなりある。照明弾だろうか。ともかく回避運動を続けながら通常のカメラに切り替えた南田は、信じられない光景を目にすることになった。

 空気が発光して、あたりは黄白色の輝きに包まれていた。いや、空気が光を発するはずはない。霧の微細な水滴が光っているのだ。それは反射に過ぎないから、光源がどこかにあるはず。いや、そんなことより、この光があれば敵の姿が捉えられる。敵は、どこだ。

 崖を見上げた。しかし南田の目に敵の姿は映らない。すでに崖の上と同じ高度に到達しているはずの峰國の機影もない。明るくなったはいいが、その光が強すぎて、崖の上まで見通せないのだ。昼間でもこんな輝きはありえない。そもそも光の質感が妙だ。いったい、何が起きている。

 南田の思考が飽和しかけたそのとき、輝きは渦を生じた。微粒子ごとに光の強さに差があるらしく、その流れは漠然と視認できる。嵐のように対流を始めた光る霧は、しかし一切の音を出していなかった。風ではない。流れは加速度的に速まり、乱れ、もはやコクピットの外の視界はゼロも同然になった。

 スイッチを切り替えたように光は闇へと転じ、南田は龍ごと宙に放られたような感覚を味わった。重力の消失。そして……。



- 7 -


 南田はぼうっとモニターを眺めていた。画面は一様に青い。空の色だ。雲はなく、高空をゆく鳥たちの姿が小さく見える。そして輝く太陽。南田はいつの間にか倒れていた自分と龍に気づく。龍の首を動かすと、うっすらと淡い緑に覆われた地面があった。しかし遠景は霞んでいて見渡せない。うすく靄(もや)がかかっているようだ。

 突然、藤居の龍が撃たれたシーンが脳裏に再現された。それで南田は思い出す。あれからいったいどうなったんだ。バロッグの輝きに包まれて、それからあとは。

 龍の上体を起こして周囲を見渡した南田は愕然(がくぜん)とした。敵がいない。味方の姿もない。ここはあの断崖の底でもなければ、時間は昼間になってしまっている。辺りに人の生活をうかがわせるものはなく、ただ途方もない原野の広がりに、機兵という異物がぽつんと紛れ込んでいるのだった。

「ここはどこなんだ」

 呟いた南田に、答える声は存在しなかった。