黒龍隊の挽歌 第十五話

灯の照らす道



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 一月十四日。

 今の新青海基地に昼夜の明確な区別はない。もちろん日差しは自然のままに降り注ぐし、飛行機の発着は日中のほうが断然賑やかなのだが、倉庫区画の、それも窓のない部屋のなかにいては、そういった変化とは無縁である。定時に仕事をこなせばいい平時なら、起きる時間がすなわち朝で、ひとときの自由時間を楽しめるときが夜なのだとわかる。

 しかし今はそうではない。たまたま仕事に暇ができるか、あるいは心身が限界を迎えたら、それが就寝時刻。腹が減れば、それが食事の時間なのだ。だから、アデタバ・ヨシダが午前八時に「朝食」を済ませたのは、偶然であり、健康管理のうえでは幸運なのであった。

 午前八時といえば、学生時代のヨシダの起床時刻だった。この時間に仕事をしているようになったのは十年以上も前のことで、規則正しい生活リズムとやらにも心身ともに順応したつもりだったが、この数日でそんなものは崩壊した。徹夜明けの目は生気を失い、副官がどこからか調達してきたサンドイッチは、腹の中で盛んに眠れ眠れと脳に指令を送っている。

 これが終わったら仮眠をとろう。そう心に決め、ヨシダは濃いめのコーヒーを啜(すす)ってパソコンと正対し続ける。ゴール前の最後のハードルは、在来の規格から外れた機兵用の補給物資をどの倉庫に収めるか、という少々厄介な問題だった。ヨシダの部署にとっては、扱い慣れない品なのである。

 ダーダネルス作戦以前は、ヨシダの管理下の倉庫に機兵の補給物資が保管されることは稀だった。機兵といえば外廓聯であり、外廓聯はヨシダの管轄の東エリアではなく、西エリアの倉庫を使っていたからだ。しかし黒龍隊向けの装備を保管してからというもの、しばしばヨシダは機兵の部品や装備の扱いを要求された。ヨシダが乗俑機の操縦に長けており、機兵用のやたらと大きな荷物を動かすのには適任だとされたのだろうが、ヨシダひとりが乗俑機を使えるからといって簡単に片づく仕事ではない。当然、上もそれは承知のはずだ。それでもヨシダに御鉢が回ってくるのは、前線に送られる機兵関連の物資が増えているからだろう。つまり、戦場での機兵の交戦頻度、そして機兵の稼動数自体が増えているのだ。

 いったい前線はどうなっているのか。ヨシダはふと江藤博照のことを思い出す。見るからに新米の部下ばかり連れていたが、果たして生きているのだろうか。人には話すなと前置かれて聞いた話では、前線はバロッグで覆われてしまい混沌としているらしい。バロッグとなれば機兵が主役だから、いくら教練不足の新設部隊だろうがこき使われるに違いない。荒野をともにさまよった仲であるから、安否が気になるのだが、ヨシダにはその方面で恒常的に利用できる情報源がなかった。

 ヨシダの職場に、前線の情報は流れてこない。おそらく、戦地から遠い民間人がマスメディアから得ているニュースと、新青海基地で配信されるそれとに大差はない。機兵を使う部隊が増えているようだ、という断片的な情報は職務上得られるが、推察に必要な他の断片をヨシダが耳にすることはほとんどないのだ。そんななかで、ヨシダが前線の様子をいくらか知っているのは、二週間前に前線から戻ってきた人間から話を聞かされたからだ。それとて、もう二週間前の情報に過ぎないし、真偽のほども確かめられたものではない。何もかも曖昧で、確たる情報がなかった。

 メール受信を知らせる効果音が鳴った。集中力の低下を自覚させられたヨシダは、作業中の画面を切り替えて、新着メールを確認する。

 荷の送り先の変更。これで今日……、いや、前に目覚めて仕事にかかってから四度目だった。スケジュールをまた調整しなければならない。握っていたコーヒーカップを卓上に戻すと、自分でも驚くくらい大きな音を立ててしまった。

 部下たちの視線を感じながら、メールに「了解」とだけ書いて返信する。改めてスケジュールを画面に呼び出したところで、来訪者がドアをノックした。インターホンは先月壊れたのをそのまま放置していた。

 副官のパトラが動いたので、ヨシダは彼女に任せてスケジュールの改変に集中しようとした。だがそれを、パトラのよく通る声が妨げる。

「アディ、人気あるわね。また来たわよ」


*   *   *   *   *


「事情聴取はもういい加減にしてくれ。こっちは前線への救援物資の差配で忙しいんだ。これ以上俺を束縛すると、あんたらは前線の兵を苦しめることになるんだぞ?」

 現れた戦略軍の准尉に、ヨシダはできるだけ嫌われそうな態度を心がけて応対した。ドアの前に立ちはだかって入室を拒む行為が応対の範疇であるとは、ヨシダ自身疑わしく思うところだったが。

 実は、ヨシダが最近忙しいのは、仕事が増えたことにだけ原因があるのではない。こうしてちょくちょく妨害者が現れて、仕事のペースを乱しているのだ。

 これで、のべ七人。上から話を通してやって来た情報部の人間にはじまり、内々に接触してきた北熊の回し者、RATらしき派遣部隊の一員、議会派の連絡員。北熊と議会派は呼びもしないのに再訪してきた。そして眼前の、戦略軍の制服を着た男。初めて見る顔だが、聞くまでもなく所属は情報部だろう。つまり、また振り出しに戻ったわけだ。さすがに頭にきて声も荒くなったが、服に唾を飛ばされたほうはただ苦笑するだけだった。

「いやいや、小官は以前とは別件で参りました」

「別件?」

「はい」

「では江藤博照を拾ったときの状況を根掘り葉掘り聞きに来たのでもなければ、俺の乗俑機がおシャカになった経緯を黙っていろと念押しに来たのでもない?」

「はい。加えて言うなら、三週間以上前のあらゆる件でもありません」

 そうか、と小さく頷き、ヨシダはようやくその男を部屋に入れる。

「人のいない所がいいのか?」

 パトラが席に着かずにこちらの様子を窺うようだったので、ヨシダは男にそう尋ねた。そのほうがありがたいとの返事を受けて、隣の小さな部屋に続くドアを開ける。給湯室だ。ドアはすぐに閉めて、部下の好奇の視線を遮断する。ヨシダに勧められ、男が壁に立てかけられていたパイプ椅子に腰掛け、ヨシダがつきあたりの壁に背を預けたところで、男が自己紹介をした。

「小官は、安文俊と申します。戦略軍情報部の所属ですが、実は公言の憚(はばか)られる任務のために、今日は情報部の仲間に対しても隠密で参りました。どう憚られるのか、なぜ少佐がこの件に関わらねばならないかは今から説明いたしますし、少佐にこの件に関する協力の義務はなく、拒否する権利があることを最初に申し上げておきます。しかし話をはじめる前に、誓って頂きたいことがあります。これからの話の内容、そして小官がこちらを訪れた事実を、他のあらゆる部署に対しても内密にして頂けますか? もしそれがお願いできないなら、小官はこれ以上のリスクを抑えるため、今すぐここを立ち去るつもりでいます」

 準備してきたようにすらすらと出てくる安文俊の言葉を飲み込んで、ヨシダは素直に頷いた。公言を憚る、という事実を向こうから明確に白状してきたのはこれが初めてだったからだ。前の六人よりは、信用してみようという気にさせる。

「およそ二週間前」

 安准尉はそう具体的な話に入る。

「少佐は個人的に来客を受けて……、いえ、回りくどい表現はよしましょう。あなたは周富窪(チョウ・フーワー)という男と会っていますね。そして多少の世話も焼いていらっしゃる」

 その名を出されて、ヨシダは少し考える仕草を見せてから、「知らんな」とぶっきらぼうに答えた。

「名前は別のものを名乗ったかもしれません。黒龍隊の水先案内人をしていたと、その男は言いませんでしたか?」

「俺はまだ、客が来たという事実を肯定しちゃいないぞ」

「これは失礼しました。ですがもし、彼との間の秘密を守るために少佐が事実と異なる証言をしようとしているのなら、それについてはご安心下さい。表向きの所属や任務こそ異なりますが、小官は周富窪と同じ目的のために動いている者です」

「その目的とは何だ?」

「黒龍隊をできる限り早く前線から呼び戻し、日本に帰還させることです。黒龍隊を守ること、と言い換えてもいいでしょう」

「解せないな。黒龍隊は戦略軍からの要請があって、それを議会が承認したから動いたのだろう? それを末端の人間が呼び戻そうと躍起になる……。しかもそれを、『守る』と言う。まずはそのあたりを説明してもらおうか」

「もっともなおっしゃりようです。ではまず、先月ここを発ちタシケントに飛んだ黒龍隊が、その後どうなったのか、ということからお話ししましょう。これは黒龍隊を除いては周富窪こそが最も詳しく知るところですから、彼があなたに会っていたなら間違いなくお話ししたことでしょうが……」

 安はそこで間をおくと、パイプ椅子ごとヨシダとの距離を詰め、声を落とす。

「黒龍隊がタシケントで装備の補完を済ませ、目的地に出発したのが先月十九日。翌日朝には目的地……西フェルガナ基地という公には知られていない基地なのですが、そこに到着しています。最も前線に近い後方拠点といったところでしょうか。指揮通信関係の拠点ですが、端から見れば特に戦略上重要とは見えない。黒龍隊がその防衛に就くことになった背景や経緯は、未だ明らかではないのですが、今はその後の推移について説明を続けます。
 さて、黒龍隊にはこの基地でさらに六人の隊員の増強があり、もとより練成の十分でなかった黒龍隊は現地で訓練を実施。その最中、警戒網をくぐり抜けた啓示軍(オフェンバーレナ)の機兵部隊の奇襲を受けます。現地の守備隊は間に合わず、黒龍隊はこれを単独で退けたのですが、このときの戦闘で基地の通信設備が破壊され、援軍の要請ができなくなりました。
 江藤博照少佐を含めた現場の幹部会議の結果、旧式の通信機材を利用して連絡隊を編成し、これを黒龍隊の機兵で護送して、救援要請のメッセージを送ることになったそうです。もちろん基地の守備は外せませんから、黒龍隊の機兵第三小隊の三機が護衛につき、残りは基地に残留です。
 黒龍隊の水先案内をしていた周富窪伍長は、この決定の直後に江藤少佐から特命を受けています。実は彼は最初の戦闘のとき偶然基地内部におり、そこで現地部隊の不可解な行動を目にしていたのです。一部の士官が撤収を企図していたようだ、と周富窪は連絡を寄越しています。また、秘密裡に何らかの資材を持ち出す動きがあったとも。彼はこれを遺漏なく江藤博照少佐に注進しており、江藤少佐は幹部会での決定と周伍長の証言とを結びつけた結果、彼に特命を与えたのでしょう。第三小隊が連絡隊を護衛するのに乗じて単身タシケントへ帰還するよう、周富窪は指示されたのです。
 私に報告をくれた周富窪はこの時点で西フェルガナ基地を離れているため、この後黒龍隊本隊がどうなったかは定かではありません。周伍長と同時に東に向かっていた黒龍隊第三小隊と連絡隊が敵機兵の襲撃を受けたのは間違いないとのことですが、これも、非戦闘員である彼がタシケントへの帰還に専念したために、どちらが勝ったかは確認できていません」

 メモを取り出すこともなく、安はそれだけを諳(そら)んじてみせた。よほど記憶力に長けているのか、あるいは嫌でも覚えてしまうほどこの件にかかりきりなのか。

「これでお解り頂けたでしょうが、黒龍隊はいずれかの勢力の策謀によって、抹殺されようとしているのです。周富窪はその阻止のために黒龍隊と行動をともにしていたのですが、私たちが敵に回していた闇は、私たちの想像よりずっと深かった。黒龍隊を罠にはめた者たちはおそらく、啓示軍とさえ通じているのですから」

 ふうん、と相槌(あいづち)を打ち、ヨシダはそこで口を挟んだ。

「で、そのどこぞの基地で戦闘があってから一ヵ月。タシケントに逃げ帰った周という男が、新青海基地から一歩も出ていない俺の所にはるばる助けを求めに来たっていうのか、おまえさんは。そもそも、周某(なにがし)と俺とは面識もないんだぞ」

「ですが、共通する知人がいました」

「江藤のことか。けっきょく、三週間以上前の件に話が飛び火しているぞ」

「では、周富窪はたまたまあなたに助けを求めた、というのでもよろしいですよ。この界隈では世話焼きとして名を馳せているそうですね、アデタバ・ヨシダ少佐?」

 ヨシダは目の前の男を殴ろうかと一瞬考えた。たしかにヨシダはこのあたりの揉め事のだいたいには口を挟み、悉(ことごと)くその解決に一役買っていると自負している。口コミでは名前も広まっているから、それを聞いて見ず知らずの人間が頼ってくるというのも、ありえない話ではない。だからヨシダは言い返せないのだが、この安文俊という男は、それがわかっていて会話を誘導したような節がある。その用意周到さが、ヨシダの癪に障ったのだ。

「動機はどうあれ、周富窪は二週間前に新青海基地に現れ、あなたに手助けを求めた。彼にそれを強要したのは、西フェルガナ基地が啓示軍の秘密兵器のために失われた事実と、その直後から戦場を覆いはじめた広大なバロッグです。
 周富窪はタシケントで西フェルガナ基地への救援派遣を訴えましたが、西フェルガナ基地の全滅は確定とされ、援軍はとうとう出ませんでした。それでも彼は情報を集めながらタシケントで黒龍隊の帰りを待ったのですが、ひとりもタシケントに戻ってこない。目撃情報のほうも、そもそも黒龍隊の行動自体がダーダネルス作戦の開始に紛れてあまり知られておらず、ましてや戦場とはバロッグで遮断されています。むしろ後方の新青海のほうが情報豊富なのではないかと考え、先月の二十四日、周富窪はタシケントをあとにしました。
 実を言えば、我々のネットワークがタシケントでは機能停止しており、新青海ならばまだネットワークの健在が期待されたから、という事情もありました。実効性のあるアクションをとるのは、タシケントでは難しかったのです。私が彼からの報告をもらったのもこの二十四日ですが、公には所属組織の仕事もこなさなければなりませんから、私はつい先日まで動けない状態で、周富窪には苦労をかけました。
 もうお察しでしょうが、我々は特に組織を作っているのではありません。個人のネットワークに過ぎないのです。ですからこうしてヨシダ少佐にも個人的な助力をお願いしに来たのです」

「おかげで先月二十四日までのタシケント周辺の事情はよくわかった。しかし、新青海基地で倉庫番をやってる俺に何の助けができるんだか、それはさっぱり見えてこない。仮に周富窪という男がここに来ていたのだとして、おまえは俺に何を求めようというんだ? 西フェルガナ基地とやらが敵の手に落ちたんなら、黒龍隊のことも諦めたほうがいいんじゃないのか?」

「ある筋から、黒龍隊が生存している可能性が示唆されました」

「ある筋?」

「明かすことはできませんが、少なくとも一部の生存を確認したという話です。そして、他の黒龍隊隊員らしき姿が別方面でも目撃されている、と」

「なんとも頼りない話に聞こえるが」

「黒龍隊を失うことは、亜連内部のパワーバランスの崩壊の意味でも、また人的損失の意味でも深刻です。不確かな情報だろうと、我々はそれに望みを託して最善の策をとるしかない」

 やや俯き加減に拳に力をこめる安文俊に、嘘はないように見えた。しかし、演技かもしれない。ヨシダは同情しようとする自分の感情の抑制に努める。

 よもや、黒龍隊の救出が彼らの最終目的ということはないだろう。だが、聞いたところで答えが得られるとも思えない。

「まあ、あんたらの信条に口を挟むのはやめよう。結局、俺に何を期待している」

「周富窪はもう新青海にはいません。本来なら、彼はここを去る際に仲間の誰かにメッセージを残すはずなのですが、今回はネットワークが機能しなかったために、それを果たせなかった。しかし、代わりに誰かに伝言を残したはず。その『誰か』に該当するのがあなた以外に見つからないのです」

「残念だが心当たりはないな。周富窪という男は知らないし、誰かからメッセージを預かった記憶もない」

「――日を改めるとしましょう。ゆっくり考えてみてください」

 そう言い残して去る安文俊に、ヨシダはもう来るなとまでは言えなかった。


*   *   *   *   *


 安文俊を見送って席に戻ると、パトラが珍しく気を利かせてコーヒーのお代わりを持ってきてくれた。

「すまんな。――ブラックだろうな、これ」

「一滴くらいのミルクは混ざってるかもね」

 コーヒーの淹れ方にいちいち文句をつけられるのをパトラは嫌う。嗜好の対立があるわけではないが、パトラはヨシダほどのこだわりをもたないのだ。だからこういう発言をするとパトラはすぐに自分の席に戻るのが常なのだが、今日は違った。そばの机に腰を預けて、自分もコーヒーを啜る。

「良かったの、アディ?」

 愛称で呼ばれて顔を向けると、カップから昇る湯気を隔てて、パトラがヨシダに再考を促すような視線を送ってきていた。

「何がだ」

「あれ、チョウさんのお仲間でしょ?」

「立ち聞きか」

「しないわよ、そんなこと。でも、これで私の予想が当たりってわかったわね」

「ちっ、悪女が」

「これくらいで悪女呼ばわりされたらたまらないわ」

「どっからアタリをつけた?」

「おんなじ臭いがした、っていうのかな。よくわからないけど。うーん、前にどこかで見たような気もするけど、きっとチョウさんとどこか雰囲気に通じる部分があったのね」

「女の勘か」

「そういうのかもね。悪い人じゃなさそうだったけど?」

「ふむ」

 ヨシダは一口コーヒーをすすって、そして諦めたようにカップを卓上に戻す。

「まぁ、もう一度会ってみるか」

 呟いた口が、やはり一滴か二滴ミルクを混ぜてあるな、と、副官の悪戯(いたずら)を見抜いた。



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「よし、ここらで休憩!」

 江藤の号令で、車列が減速、ストップし、自走していた龍(ロン)もまた歩みを止める。愛機に乗って先頭を進んでいた江藤は、最後に自分の龍を降着させて、コクピットを出た。遠景に人工物は見当たらない。そういう場所だ。もっとも、バロッグが薄く靄となってかかっている現状では、地平線まで見通せるわけではないのだが。

 黒龍隊は一路タシケントを目指していた。

 第三〇三軽量機甲師団と別れてから、七時間近くになる。今のところ予定通り里程を踏んでおり、このまま順調なら日暮れ前にはタシケントに到着できる。いまだバロッグの中から抜け出ることができないでいるものの、危険らしい危険はないと江藤は判断していた。

 腹の虫が鳴って、空腹感を強く覚えた江藤はさっさと地面に下りる。これが出発から三度目の休憩で、今次は昼食もとると予め決めてあった。すでに湯を沸かすべく動き出している炊事当番たちは威勢がいい。

「少佐」

 地面に両足を投げ出して、湯気が立ちはじめるのを眺めていると、江藤を呼び近づいてくる者があった。顔を向けると、江藤と同じく今まで龍に乗っていた南田だった。

「よぉ、どうだ、あれの調子は」

 江藤は南田の使っている龍のことを尋ねた。それは南田が一昨日まで使っていた防人型ではなく、通常型である。GT72鉱山基地長野が残していった機体だった。

「全体的にMMアクチュエータの損耗が溜まってきていますけど、特にひどい部位はないですね。出力と反応のレベルを抑えておけば、動きは至ってスムーズですよ。戦闘がないかぎり大丈夫でしょう」

 南田は江藤の横に座り、同じく炊事当番たちを眺める。

「それはパイロットが機兵の癖を理解して操縦していた証拠だ。テストパイロットって話は嘘じゃなかった、てか」

 江藤は仰向けに地面に転がった。

「あの龍を使っていた人でしたっけ?」

「ああ。一緒に捕まっていた奴。おもしろい奴でな、おまえより年上のくせにガキみたいな面をしているんだぞ」

 江藤は南田の顔を見上げて笑う。

「無精ひげさえなけりゃ中学生、でしょ。もう二回聞きましたよ、その話」

「あ、そうだったか」

 頭を掻こうとして、江藤はヘルメットをしたままだったことに気づく。通信機やらを内蔵したヘルメットはかさばって煩わしいが、脱げば脱いだで耳が寒い。

「そういや、鷹山だったか? ヘルメットをかぶりたがらんのは」

 江藤がふと思い出してそれを口にすると、頷く南田の顔が陰りを帯びた。

「鷹山たち、タシケントで待っていてくれるといいんですけどね」

「いるさ。あいつらは判断力がある。あの光を見て、わざわざ戻ってくるほど馬鹿じゃあるまい。――タシケントには富窪も送っておいたんだ。もし移動していても、足取りを追う手がかりくらい、あいつが残しているはずだ」

 そうですね、と南田は頷き、そして江藤と目を合わせた。

「少佐、聞いてもいいですか?」

 何を、と問い返す必要が江藤にはなかった。水先案内人としてやって来た周富窪の正体、そして江藤が周富窪を信用する根拠がどこにあるのか、南田はそれを尋ねている。

「さるお方、とやらが、あいつを介して派閥争いの愚から俺たちを守ってくれるらしい。背後にいるのは中央議会のタカ派かとも思ったが、今でもよくわからんな。もちろんその場で信用などできんから、あいつには誠意を問うつもりで難題をふっかけてみたんだが……。こなしてきやがった。ほれ、新青海で夜中宿舎にあいつが現れただろう。あれは課題の提出に来たんだよ」

「難題、ですか」

「外廓聯の動きから、主要な指揮官の配置図、多数用意されていたダミー司令部の位置まで、いろいろ調達してきてくれたよ。期待以上の情報収集力だった。あれは戦略軍情報部にコネがあるか、あるいはそのセキュリティの穴を知っているかだな。――ま、結局俺たちの行った本命の司令部も、味方まで引っかけるフェイクだったわけだから、さるお方のご威光もたいしたことはないな」

「それじゃあ、あの妖怪じみた男だって信用ならないじゃないですか」

「あいつらの目的がどこにあるのかと、あいつらの実力の程度とに、必然的な関連はない。もっとも、この一週間……、いや、一ヵ月の状況変化で、味方が敵に変わっちまってる可能性は否定できないが」

「そんなことが、あるんですか?」

 南田が怪訝(けげん)そうに尋ねる。江藤は苦笑した。

「おまえらの世代には……、物心ついたときには亜連ができていた世代には盤石に見えるかも知れんが、亜連ってのは脆いんだよ。硬くはあるがな。だから、国一個覆いかねないくらいの通信不能領域が現れて、そこが戦場になっているとなれば、揺れる。ただでさえ、多くの国土を啓示軍(オフェンバーレナ)に取られちまってるからな、今は連邦の構成バランスがどう転ぶかの見極め時なのさ。そうすると当然、議会に犬小屋を用意してもらった黒龍隊は政争の具となる。日本に戻れたら戻れたで、今度はマスメディアとか政治屋を敵にすることになるかもしれんぞ」

 南田がまた暗い顔になる。元気づけるために話していたのが、いつの間にか脱線して本来の意図を忘れていたことに江藤は気づいた。慌てて、江藤は身を起こす。

「安心しろ、俺はマゾじゃないからな。鎖でつながれる趣味はない。もちろんおまえらも、俺以外の拘束力に屈することがないようにしてやる」

「俺は少佐の拘束力もクーリングオフしたいんですが」

「言うか、この」

 江藤が南田をとっちめにかかると、そこへ峰國が飯をもってやってきた。ただし、それは峰國自身の物を含めてふたりぶんしかない。

「隊長、大尉がお呼びですよ」

「何だ?」

「さぁ。一緒にご飯食べましょ、ってことでは?」

 阿呆、と言い残し、江藤は南田の乗るジソコン一号車のほうに向かう。

 歩きながら、ふと、江藤は空を見上げた。空の景色は、陸のそれに比べるとバロッグの影響が少なく、小さく鳥の姿を見ることもある。そういうとき、運がいいと江藤は感じる。そして、今日もまた幸運のようだった。

 それは勘違いだった。遠くの空を横切っていく小さな点が四つ。江藤はそれを目に留めていたのだが、眺めていると、それが鳥ではないとすぐに気づいた。

Su-42か?」

 機種はともかく、それは飛行機だった。戦闘機の類のスマートなシルエットだ。

 北嶋が呼んでいる理由に見当がつき、江藤は歩を早めた。



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 第三〇三軽量機甲師団の幹部将校、ウェダム少佐は、ようやく遅い昼食を済ませて、大きく息を吐く余裕を与えられた。

 奪還したGT72鉱山基地。今、野営している部隊のほとんどをここに移動させている最中で、電波による通信も自由に使えないため、ウェダムは自分で足を運んでその監督をこなしているのだ。そんな姿を見れば嘲笑を浮かべる男が一昨日までウェダムの隣にいたのだが、もうその姿はここにない。

 頭が悪かったわけではない。しかし決定的な部分で、愚かな人だった。そしてそれは致命的だった。

 追撃開始から今日までの戦死者は、三十七名。うち二十八名の命が一昨日の戦闘のぶんで、その半数はペイ・ユンの車列で失われた。対して、啓示軍(オフェンバーレナ)側の戦死者は、現在確認しているのが二名だけ。ウェダムはこの比を思うとやるせなかった。

 啓示軍は戦闘をほぼ機兵に任せていた。そしてそれらの過半数に逃げられ、黒龍隊が討ち取った三機のパイロットはいずれも致命傷を負っていなかった。捕えなどせず、いっそ殺してくれればよかった、とさえ思ってしまう自分を、ウェダムは狂っているのだろうかと自問した。

 しかし、ウェダムは任務に対して誠実だった。GT72鉱山基地を封鎖するためのこの部隊移動はもちろん、基地に何が持ち去られ、何が残り、何を残してはいけないかを、RATと共同で慎重に調査する仕事がウェダムの前にある。それに取り組むというきわめて現実的で距離の近い目標がある以上、自分は狂えないのだとウェダムは自覚した。狂うという精神防衛の機能さえ狂ってしまったのだ。

 狂うことを禁じられた彼の脳は、さしあたってひとつの問題に対する答えを今模索していた。捕虜の扱いだ。

 捕虜は全部で十六人。一般の兵士なら、今更になって困る問題ではない。バロッグが消えないなかで食い扶持(ぶち)が増えるのは好ましくないが、晴れ次第、後方の収容所に送り出せばいい。そうできないのは、元老院に伺いを立てる必要のある、七人の捕虜だった。

 彼らは、影龍(インロン)が張りついていた格納庫で拘束した。正確に状況を述べるなら、制圧部隊がその格納庫に至ったとき、彼らはコクピットを破壊されたグルーテイルの機上、つまり背中の部分に乗せられて、下りられなくなっていたのを発見されたのだ。黒龍隊の報告から推測すれば、影龍がやったと見て間違いないだろう。

 彼らは啓示軍のなかで上位の組織に属するようだった。若く、階級もたいしたことはないが、この敵地の奥深くまでやって来たからにはそれなりの秘密を知っているはずである。その知識がどの程度であるか、そして具体的目的は何なのか、それらは引き出さねばならない情報だが、ウェダムら軍人にではなく、元老院にこそ必要な情報だ。だから彼らを普通に捕虜収容所に送るのは適さない。

 RATに任せよう、と思ったのはごく自然な発想だった。RATなら、組織内に元老院とかなり近しい人間を含んでいるし、二割ほどはスパイ的な職能を持つ者がいると聞いていた。

 RATの答えは、否だった。

 啓示軍に対抗できず、GT72から一時的に避難していた彼らは、戦闘終結直前にどこからともなく集まりはじめた。そして黒龍隊が基地内部の調査に乗り出す前に、現地に潜り込んで秘密物件の隠滅をやってのけたのだ。その数、十名ほど。

「この案件は非常に難しいのです。我々では、ごく簡単な尋問しか実行できません。それに、作業に従事している師団の方々も監視しなければならないのが、我々ですので」

 リーダー格はその言葉の後、一切ウェダムの依頼に取り合わなくなった。それでウェダムは悩んでいる。

「あの手を使ってみるか」

 ウェダムの脳裏に、きわめてペイ・ユン的な方法が浮かんだ。確実な効果は期待できないが、思惑が外れた場合にもこれといったリスクがなく、やるだけやってみようという気にさせるアイデアだった。

 RATのリーダー格の男を呼んでくるよう、近くの士官に言いつけ、ウェダムは待った。

 その間、ウェダムは書類の整理をしながら、別のことを考えた。かつて世話になった恩人、江藤博照のことだった。

 壊滅したペイ・ユンの司令部隊に代わってここに来たとき、江藤は怒りで固めた拳を握って、ウェダムの前に現れた。一昨日の夕方のことだ。江藤はウェダムの姿を認めていったん相好を崩したが、すぐに顔を引き締め直し、啓示軍撤退後の基地の爆発と、黒龍隊に対する締め出しについて発憤した。

 ウェダムとしては心苦しい限りだった。江藤には申し訳ないと思うが、元老院のため、ひいては亜連のことを思えば、恩を仇で返すような真似をも己に許容させねばならなかった。

「ウェダムさんよ、世の中いろんな信条があるが、自分の心に正直なやつを選ぶべきだ」

 江藤はそう言い残し、一度もふりかえらずにウェダムの前から消えた。そして、再び二人きりで話さぬまま、今朝には黒龍隊を見送ることになってしまった。

 黒龍隊に任務優先度AAの特権があってよかった、とウェダムは思う。でなければ、黒龍隊を麾下に編入しなかったことを、あとで師団の上級幹部からなじられかねなかった。

 内心で江藤に謝罪する言葉を考えていると、RATの女性隊員が現れた。リーダー格の者ではないし、呼んでから来たにしては早い。

「失礼します」

 入室の挨拶かとウェダムは思ったが、それは違った。女はウェダムのそばに小走りで寄ってくると、小声で耳打ちする。ウェダムは椅子から浮かび上がるほど驚いた。

「なんと! ではやはり、あの光はタシケントを……。この情報、間違いないのだな?」

 こくり、と女は頷く。

「情報の提供に感謝する。本来なら、咎められかねないことだとは、認識している」

 礼を述べ、そしてウェダムは腹に抱えていた物を急に重たく感じた。無表情のまま退室しようとしていたRAT隊員を、慌てて呼び止める。

「前にRATの手で命令書偽造があった件は、これで帳消しにしておく」

 止めた背に向かってそう言うと、隊員は振りかえって感情のこもった顔を見せた。それは、当惑というかたちをしていた。

「君たちより早く合流してきた、BK698というコードの者がいるだろう?」

 当惑の伝染したウェダムは事実確認を試みたが、相手の答えは、首を左右に振ることだった。



- 4 -


 バロッグに包まれた峡谷を、四機の龍が東進している。各機とも傷の補修跡があちこちにあり、ところどころ、真新しい部品に取り替えられた箇所だけが妙に目立つ。それはカネジュ・イルベチェフの率いる機兵小隊だった。

 金星也(キム・ソンヤ)に依頼された牧羊犬のような任務、つまり、啓示軍(オフェンバーレナ)をバロッグ発生領域に誘導して西方に追い払うという仕事は、同時にイルベチェフにある地点の偵察の名目を与えてくれた。先月二十一日未明、巨大な光線に撃たれたのち、消滅してしまった西フェルガナ基地だ。

 秘匿されていた前線総司令部、ともいうが、これは総司令部という名の囮(おとり)であったというのが、二週間を経てまとめられた北熊(セヴェルメドゥヴェージ)の情報筋の結論である。そういう結論も出ているのだから、北熊にとって重要なのは、そこが本当に総司令部であったかどうかではない。そんなことの調査なら、わざわざ現地に赴く危険を冒すことはなかった。

 タシケントの防衛に残らず、敵地と化した基地跡を目指したのは、基地消滅前後に何があったかを調査するためだった。

 特異なバロッグの発生原因を、多くの者は、いやおそらくはあの金星也でさえも、啓示軍の新型バルムンク砲だと思っている。だが実際には、おそらく、巨大なバロッグの発生は基地消滅に付随する現象ではない。そうではなく、基地に保管されていた「ある物」があのようなバルムンク砲の照射を受け、それで呼び起こされた可能性が高いのだ。この可能性を考慮できるのは、かつて「ある物」の実験中の事故で同質のバロッグを知っている北熊と、そして「ある物」の持ち主であった元老院だけ。

 かつて西フェルガナ基地であった場所に着いたのは、年が明けた一月七日。今から一週間前のこと。すでに啓示軍の姿はなかったが、一時的にここを橋頭堡として用いていた痕跡は確かめられた。

 基地はクレーターの中にその主要部が建設されているという話だったが、すでにクレーターと呼べるものはなく、あるのは巨大な溝だった。溝の縁は至って綺麗に掘られており、そして底もまた同様に滑らかで、とても尋常の方法でやったとは見えなかった。しかも、それがかつて存在していたクレーターをまるごと内包する大きさなのだ。

 二十一日未明に走った巨大な虹が、これを穿(うが)った。それを疑いのない事実として確かめたイルベチェフは、かつてクレーターの中心であった部分を探した。そこに「ある物」、コードネーム「オルロフ」が残っているかもしれなかったからだ。

 残った施設の位置から基地中心が特定できたので、捜索にはそう時間をとられなかった。見つかったのは、井戸のように地下深くに続くエレベーター。機兵では進入できず、かといって機兵を降りて中に乗り込むには装備が不足していたので、調査はそれで打ち切った。ここに啓示軍が集結していて、それが今はいないとなれば、それがどちらに向かったのかを早急に調べなければならなかった。

 わずかに残った車の轍(わだち)と機兵の足跡から、イルベチェフは事態が好ましくない方向に進んでいることを知らされた。啓示軍の部隊は、おそらく周辺部隊と本国からの増援も加えた大規模な戦力で、東方、タシケントへと向かっていたのだ。

 たった四機の龍で追いかけて太刀打ちのできる相手ではない。したがってイルベチェフは、北に進んで早急にバロッグから抜け出し、健在の通信網を使ってこのことを知らせようとした。タシケントはイルベチェフたちが出発した時点ですでにバロッグに飲まれており、金星也のもとで防衛網が着々と整えられつつあったが、それでも現地の防衛力では苦戦が見込まれた。

 翌、一月八日。イルベチェフの小隊は、タシケントの北に位置するシムケント市に向かう途上で、南西から南にかけて巨大な虹がかかるのを見た。噂に聞き、その威力を自らの目で見てきた、啓示軍の新型バルムンク砲の光だった。

 そのときの焦燥が絶望に達するまで長くはかからなかった。途中で拾った負傷者をシムケントの病院に預けているうちに、イルベチェフは事態が最悪に近いことを北熊の仲間から伝えられたのだ。

 話によれば、タシケントが最初に攻撃を受けたのは七日のことだという。それは一個機兵戦隊によるものだったのだが、続く大規模襲撃に備えて、近隣から大部隊が救援のため移動。その集結中の増援部隊が、八日の新型バルムンク砲で一挙に殲滅されたらしいとのことだった。また、光は同時に幹線道路を地面ごと消滅させており、今後の現地との連絡、補給をも阻害していた。もし人工衛星がタシケント上空を撮影しているならば、タシケントの東には大きな弧が見て取れるだろう、と仲間は付け加えた。

 タシケントは変則領域の霧中で孤立したのだ。

 以後、市街地を含めて小規模な局地戦があちこちで展開されたようだが、戦況はよくわからない。イルベチェフ自身、部下とともに現地に向かったが、混乱と通信障害とで戦闘の全体像が掴めなかったのだ。

 十一日に新たな増援が来て、そのときは啓示軍を駆逐できるかと思ったのが、その攻勢は翌日に押し返された。北の郊外で遊撃に従事していたイルベチェフは、それについてある未確認情報……というより噂を耳にした。市街の西半分を制圧していた啓示軍が、虎の子の「人形」を投入して、いっきに全市の制圧にかかったというのだ。

 幸か不幸か、噂の真偽を確かめる前に、イルベチェフたちはタシケントを離れた。今日の正午をもって、亜細亜連邦軍はタシケントから全面撤退したのだ。それでイルベチェフたちは今、こうして隠れるように峡谷を進んでいる。

「もうすぐ、暖炉の谷ですね」

 部下のひとりが、少し浮かれたような声でそういった。変則現象によって、水の代わりに炎を湛(たた)える巨大な谷。こんなときでなければイルベチェフも寄ってみたいと思う。

「おい、ニューラ。暖炉の谷には入らないぞ。手前で北に針路変更だ」

「わかっていますよ。命があっただけで運がよかった、でしょ?」

「そうだ。観光なら戦後にゆっくり楽しんでくれ」

 通信での無駄口を咎めないのは、ストレス発散のためだ。イルベチェフ自身、沈黙に耐えられる精神状態ではない。

 別れ際、トーニャはタシケントを出て疎開すると言っていた。しかし、引越しが延びてタシケントに残っていたのではないか、あるいは母親が動きたくないと言って動けなかったのではないかと、イルベチェフの思考はふとした拍子にそういう方向に進んでしまう。

 この動揺は、部下にはとっくに露見している。事情を聞いた女性の部下のニューラは未練だと笑い、同じく女性だが性格の異なるジーナは、イルベチェフが真摯に彼女を愛していた証拠だと言ってくれた。付言するなら、事情をそこらじゅうに流布した当人であり男性のユリウス・タマリアノフは「まぁ、時間が薬ですよ」とだけ白々しく言った。人知れず苦悩するのを好むイルベチェフではないが、この調子では、マトゥモトフたちの耳に入るのも遠くないだろう。それを思うと少々鬱屈とした気分になる。

「大尉、RBRの波形に変化が出ていますけど、これ、暖炉の谷の影響ですかね」

 タマリアノフがセンサーのひとつに現れた変化を指摘した。前方の相対バルムンク反応が強くなっているのだが、この先は十キロ四方の広大な天然の変則領域である。

「民間人がBFG使ってるのかもよ。このあたり、いるでしょ。ナントカ教って新興宗教の人たちが」

 ニューラが言ったのは、実にありそうなことだった。暖炉の谷周辺は、あまり居住に適した地理条件とはいえないのだが、谷を崇(あが)める人々が大勢暮らしているのだ。教団のなかには小数ながら富裕層もいて、彼らの財力なら民間用の大型BFGを買えないこともない。あるいは教団全体で金を出し合ったという線も考えられる。委細はともかくとして、普通に考えうる選択肢を洗う限り、これは敵機の反応ではない。しかし。

「止まれ、警戒態勢だ」

 この先が他ならぬ暖炉の谷だという点が、イルベチェフを慎重にさせた。

 暖炉の谷ほどの特殊な変則領域は世界にいくつもない。片手の指で数え切れる。それを、タシケントまで制圧した啓示軍が、黙って見ているだろうか。バロッグが暖炉の谷まで広がっているのをいいことに、偵察部隊を出していると考えても、考えすぎではないのではないか。

「敵ですか!?」

 真面目なジーナがすぐさま硬い反応を示した。

「わからないが、ここは谷底で逃げ場がない。万一に備えるということで……。そこらへんの出っ張りに隠れろ」

 暖炉の谷の辺縁と呼ぶべきか、この峡谷は暖炉の谷と同時期の地殻変動で生まれたものだ。つまり、同様に八月の悪夢の産物である。とにかく水に浸蝕されたわけではないので、谷底には機兵と同スケールの荒々しい凹凸(おうとつ)がいくらでもあった。四機は崖に背をつけたり、身をかがめたりして、正面に対して身を隠す。

 波形と映像とを観察すること一分弱。

「ゾルダートだ!」

 叫ぶのは部下のほうが早かった。イルベチェフたちの行く手に、四脚型のエントゼルトゾルダート一機がいたのだ。こちらに気づいていないのか、無防備に近づいてくる。

「こっちの勢力圏だってのにな……。待ち伏せる。はやまって、弾を暴発させるなよ」

「了解」

「わかってますって」

「とどめは私が……。ジーナ、上!」

 ニューラの叫びに、イルベチェフは反射的にジーナの龍をふりかえった。見ると、ジーナ機は手にした火縄を頭上に向けようとしていたが、その発砲より先んじて、赤い影が地面に降り立った。

 それは逆関節二脚型のようだったが、背中には見たことのない大型のオプションをつけていて、大きな突起のある後姿が実に攻撃的だった。その赤いゾルダートが、ジーナ機の頭部めがけて右腕を振るい、手の先が朱の色に光る。すぐさまそれが飛びのいたあとには、両目を横に切り裂かれたジーナ機が立っていた。

「ちっ」

 イルベチェフは、飛んだ先でタマリアノフの龍に組み付いた赤い機体に追いすがる。

 右腕の初撃をかわしたタマリアノフが、そのままその腕を押さえていてくれたので、イルベチェフはその武器がどういう類のものであるか知ることができた。亜連で言うところの発熱刀。装甲の厚い部分で受ければ、一撃で致命傷を負うような武器ではない。

 背中から肉迫し、バルムンクフィールドを強制共有したところで、操縦桿のボタンを押し込む。火縄が砲弾を発射し、それは変則領域の影響を受けることなく赤いゾルダートの背中を撃ち抜く……はずだった。

 赤いゾルダートが体を横にふり、背中から後ろに伸びていた大型のロケットエンジンが、火縄の砲身を弾(はじ)いた。弾は虚しく崖に穴を穿つ。

 そこへ横合いからニューラ機が雷紫電を構えて走りこんできたが、その到達前に敵はタマリアノフ機に蹴りを入れ、踏み台にするようにして上方に飛び上がった。踏みとどまったタマリアノフがロケットランチャー「鬼火」で撃ち落そうとするが、敵の運動性能は尋常ではなかった。左右の崖の間を自在に飛んで、時間差をつけて発射されたロケット弾のすべてを回避したのだ。

「ジーナ、損傷は?」

 いったん敵が離れたその隙に、イルベチェフは奇襲を受けたジーナのダメージを確認する。一瞬見た限りでは、接近戦で要となる両目を斬られただけのようだったが、もしかすると龍の頭脳であるEPU(エクスペクトプロセッサ)まで傷が及んでいるかもしれない。

「EPUは無事。ですが、右腕が動きません! 電気系が全部死んでいます!」

「――電離砲か」

 構造を破壊するのが主眼ではなく、電気系統の誤作動、あるいは破壊を目的とする武器。熱粒子砲と同じく変則領域を使った攻撃兵器で、バルムンク砲と総称されるものの一種だった。

「BFGを最大出力まで上げるんだ。電離砲をまともに受けたら目も当てられないぞ。――ユリウスは、食らってないな?」

「大丈夫ですけど、鬼火はあれで打ち止めです」

 残った武器は、イルベチェフの火縄五発と、タマリアノフの対戦車ミサイル一発、そしてニューラの雷紫電だけ。ジーナ機の火縄は、龍の指を力ずくで剥がすという面倒を経なければ使用できない。タシケントからの敗走中だけに、初期条件からして厳しかった。

 ブースター付きの赤いゾルダートは、さきほど前方から近づいて来ていた四脚型と肩を並べてこちらを見ていた。気づけば、四脚型のほうも同じく赤い。

「エースか、特殊部隊か、どちらにせよ強敵だな」

 バロッグがこう濃くては接近戦しか道はない。武器を含めた機体構成が視認できるほどの近距離で、悠長に対峙していられるのも、環境のおかげだ。この点に関してはイルベチェフも幸運だったと思う。特に、向こうの片割れが射撃重視の四脚型であることは、イルベチェフたちにとって有利である。

「一直線に突っ込む。ブースター付きにたかると見せかけて、まずは四つ足から仕留めるんだ。ブースター付を、スクリーンに利用させてもらう」

 イルベチェフは部下の威勢のいい返事を聞き、突進を開始した。似たような演習は何度かやっているし、部下たちの技量についても心配はしていない。成否は、イルベチェフがブースター付きを足止めできるかどうかにかかっている。

 三機の縦列突進に対し、敵の対応には躊躇(ちゅうちょ)がなかった。ブースター付きがイルベチェフの右手に回りこむように跳び、四脚型も鈍足ながら正面から接近してくる。イルベチェフは三機で共有した強力なバルムンクフィールドで電離砲の効果をキャンセルし、相手が右腕の発熱刀を構えるのを見て、自分から敵の懐へジャンプした。

 相対速度が速まったために敵の攻撃のタイミングがずれ、発熱刀は空を斬り、その手元がイルベチェフの龍に当たって止まる。そして二機はそのまま衝突し、イルベチェフはエアバッグに埋もれた。機体のほうは、赤いブースター付きが龍の上に覆いかぶさるような体勢になって、地面に向けて落下している。

 前からに続いて、背中からの衝撃。地面に着いたのではなく、衝突直前に背部ロケットを最大出力で噴射した反作用である。二機の推力がぶつかり合い、やがてイルベチェフの龍は推力を増した敵に押され始め、今度こそ地面に叩きつけられた。

 イルベチェフはその瞬間を待っていた。赤いブースター付きと自機と地面とでサンドイッチができたそのとき、操縦桿のサブスイッチを押して、用意していたサブプログラムを実行する。それに従い、龍が柔軟に胴体を曲げ、脚を跳ね上げた。赤いブースター付きのゾルダートは、強大な推力の矛先を龍の頭上の地面にずらされて、頭からそこにつっこむ。そしてうつ伏せのまま、谷底を長さ二十メートルにわたって浅く掘り下げた。イルベチェフは、機兵で投げ技の真似事をやってのけたのだ。

 イルベチェフの龍は、跳ね上げた脚を戻す勢いを利用して、わずか数秒で立ち上がった。水平儀が基準位置に戻り、イルベチェフは部下たちの龍の後姿を見る。タマリアノフが空になった鬼火のランチャーを放り投げて牽制したところへ、ニューラが雷紫電を持って四脚型の側面に回りこみ、いざそれを突き刺そうとしていた。

 突き出された雷紫電を、赤い四脚型の長い右腕が掴んだ。遠目に、あれは火器だと思っていたのだが、それが勘違いだったらしい。それは長い腕であり、先端には通常の機兵の指よりずっと大きな、鉤爪(かぎづめ)のような二本の指が生えていた。それが雷紫電を万力よろしく掴んで、そして、折った。

 体勢を崩されたニューラ機が腰を抜かすようにして尻餅をつくと、続けて、四脚型はその腕をタマリアノフの龍に向けた。すでにバルムンクフィールドを強制共有するほどの距離に近づいていたため、その腕先はタマリアノフ機の数メートル手前に突き出されるかたちとなる。やはり、火器にもなるのだ。それを察したのか、タマリアノフが良い反射神経を見せて紙一重で射線を外す。だが、それは間合いを計り間違えていた。

 タマリアノフ機の右腕が、大きな爆発で吹き飛ばされた。イルベチェフの位置からはそれがどういう攻撃だったのかわからなかったが、助けが要るのは間違いない。イルベチェフは背後で倒れた敵が起き上がらぬうちに、四脚型のほうへと全速で急ぐ。

 しかし先ほどの地面への落下でメインロケットは損傷し、電光石火の如く駆けつけてやることは叶わない。タマリアノフ機はその間にも敵から機関砲の応酬を受け、頭部に被弾したようだった。

 タマリアノフがやられるかと思ったそのとき、起き上がったニューラの龍が体当たりをかけて、四脚型の攻撃をそらした。瀕死のタマリアノフ機はその間に距離を取って、なけなしの対戦車ミサイルを放つ。同時に、追いついたイルベチェフも火縄を撃ち込んだ。

 当然、命中だった。あの距離で四脚型にかわせるわけがなかった。

 しかし、敵機は健在だった。赤い四脚型は左手を正面にかざした姿勢で、無傷で立っている。その左手には指がなく、代わりに四枚の板が田の字形に連なっており、その表面に薄く靄が生じている。

「受け止めた!?」

 イルベチェフらの捨て身の攻撃をすべて切り抜けた赤い四脚型は、盾をイルベチェフに向けたまま、右腕の武器をニューラ機に向けた。長い右腕がニューラ機の腹を衝き、そのときイルベチェフはようやく、敵の武器が気化爆薬を用いた凶悪な接近戦武器であると気づいた。いくらコクピットを守る正面装甲が龍で最も強固な部位とはいえ、あれを至近距離で受ければニューラは死ぬ。

「ニューラ!」

 イルベチェフがフットペダルを踏み込む。ニューラ機があとずさろうとする。敵の右腕がさらに突き出されて距離を保つ。その先端から気化爆薬が噴射され、そしてそれが着火される……その前に、凶器の腕が何者かの手刀を受けて傾き、不完全な着火は本来の数分の一の規模の爆発だけを生じさせた。ニューラ機が衝撃で倒れこみ、赤い四脚型は邪魔者のほうに向き直る。それはイルベチェフとは逆の方向だった。

 右手に刀を持ち、顔を獣へと転じた武者がいた。その目は敵機の色を映したような、いや、更にそれから全ての夾雑(きょうざつ)を取り除いた、純粋な狂乱の光を湛えていた。

 龍王(ロンワン)は敵の右腕を左手で掴むと、それに右手の刀、炎草薙(ほむらくさなぎ)の刃を押し当てる。四脚型はもがくが、龍王を振り払う前に、赤熱した刃がその腕を溶断する。

 数秒だけ呆けていたイルベチェフは、慌てて火縄を構えなおした。龍王に注意をそらされている今なら、盾をよけて本体を直撃できる。コクピットを狙って発砲。

 しかし、それもまた弾道をそらされた。コクピットの正面、胸部前面に、また先ほどのような靄が生じている。ならば足を、とイルベチェフが狙いを変更していると、そこへ後方警戒のアラームが鳴り響いた。

「くっ」

 横に飛び退こうとしたが、遅かった。機体に衝撃が走り、画面に右腕を喪失したという表示が出る。ブースター付きは、そのまま倒れこんでしまったイルベチェフ機を無視し、武器を失ったタマリアノフ機を弾き飛ばして、四脚型と取っ組み合いをやっている龍王に刃を向けた。

 発熱刀同士が打ち合った。互いが相手の刀身を溶かし、刃が食い込み合って、そこで平衡に達する。

 先に刀を放り捨てたのは赤いブースター付きのほうだった。前によろけた龍王の顔を、スパイク付きの腕当てで殴り、背中のスラスターを噴射して自機ごと龍王を崖に押し当てる。ブースター付きが離れると、龍王は背を崖につけたまま、力なく崩れ落ちた。

 だが、それは演技だった。赤い二機のゾルダートが互いをいたわるように顔を見合わせたその隙に、龍王はむくりと身を起こし、二振りの刀が交叉した物をブースター付きの顔に投げつけた。避けそこなったゾルダートの目が砕け散る。

 それが二機の赤いゾルダートにとって退き際となった。ブースター付きが四脚型に肩を貸すようにして、二機は浮上し、峡谷の崖をときどき足場に使って上っていく。立ち上がった龍王もまた、両肩についた大型のスラスターを噴射して、それを追っていった。

 峡谷に残されたイルベチェフは、隻腕となった龍を立ち上がらせながら呟(つぶや)いた。

「龍王、なぜこんなところに」

 今のは外廓聯に属さない肆(四)番機だろう。ではSMITS(スミッツ)が、元老院が目をつけているというのか。暖炉の谷に。



- 5 -


 タシケント陥落。

 目指していた安全な場所がすでに失われていたという報せは、黒龍隊にさざなみ以上の動揺をもたらした。すでに日は落ち、タシケントを脱してきた部隊とともにキャンプを張って、一応落ち着きはしたのだが、隊員の士気は下げ止まりになったに過ぎず、持ち直してはいない。

「気力を持ち直さなければ、打開できるものも打開できない」

 江藤はそう言って部下たちを叱咤(しった)したが、あまりうまくいったという自覚はなかった。

 昼下がりに友軍と出会って判明したタシケント陥落だが、昼食の休憩の時点で、その可能性に対する認識はあった。北嶋が江藤を呼んだのはまさにその危惧について話をするためだったし、あのとき空を飛んでいった戦闘機も、おそらくはタシケントからの撤退を支援するために出撃していたのだろう。

 北嶋が疑いを持ったのは、単なる勘ではなく、理由があった。数日前に第三〇三軽量機甲師団がタシケントに連絡隊を出していたのに、それが今朝に至るまで帰らなかったことだ。それを気にかけていた北嶋は、三〇三師団で仕入れた近況の情報を洗い直し、タシケント陥落の可能性に行き着いたのだという。

「八日だ。三〇三師団が消滅砲の七色の光を目撃したのは、六日前の八日だったんだよ。俺たちが十二月二十一日と勘違いしていたあの日だ」

 昼食後、北嶋は眼鏡を拭きながらそう語り始めた。

「おかしいと思ったんだ。彼らが、西フェルガナ基地を撃った光を見たというのはね。しかしみんなの聞いた話をまとめてよく考えてみると、彼らが見たのは別の、おそらく二回目の光だとわかった。日付が違っているんだよ。一回目の光で俺たちは消えた。そして二回目の光とともに戻ってきた。だから、互いに光を見てからの日数に矛盾がなくて、日付の食い違いに気づきにくかった。そしてこの二回目の照射、位置と方角から考えると、狙いはタシケントだろう」

 予想はかなり真実に近いところを突いていた。拡大するバロッグに飲み込まれたタシケントは、敵の接近を許し、増援が駆けつけようとしたところへ消滅砲が放たれた。さらに啓示軍(オフェンバーレナ)は投入戦力を増強し、亜細亜連邦軍はタシケントを放棄して全面撤退となっていた。

「名探偵の気分はどうだ、北嶋」

 江藤は出かけ際に寄ったテントで、北嶋に声をかけた。

「最悪だ」

 答えた北嶋は、整備班の部下数人と机を囲んで打ち合わせをしていたようだった。

「俺の推測なんて外れてくれるほうが良かったんだが。――どうした?」

 江藤がいつもよりまともな身だしなみであるのに気づいて、北嶋が問う。整備班数名もそれを見て、うち半数が笑いを堪える顔になった。殴ろうかとも思ったが、笑えるだけ元気ならいいかと思い、大目に見る。

「出かけてくる。向こうの隊長さんらと会議」

 きつい襟元を合わせながら、江藤は遠くのテントから漏れる灯りを指差す。このあたりに踏みとどまるか、それとも一旦バロッグの外まで後退するべきか。そして合流した部隊がすべて一丸となって動くか、それとも独自に動くか。それらの、下手をすると明日の朝までかかりそうな相談ごとである。

「通訳はいいのか?」

 北嶋が心配そうな顔になった。

「亜連の至宝、軍用英語で足りるようだ。もっとも、軍用英語の語彙じゃジョークひとつひねるのも一苦労なんで、俺は満足じゃないんだが」

「真面目な話、迂闊なことを喋らないでくれよ。俺たちの体験した時間の空白と、場所のずれのこと。おまえが妙な発言をして、公文書偽造をもう一度やり直すようなことは、御免こうむる」

 整備班の面々がそれに同調する。なるほど、公文書偽造のほうの打ち合わせだったらしい。

「信頼しろよ。――ん、消滅砲のことはどう書いたんだったか」

「西フェルガナ基地にいたことは機密の一点張りで黙秘。だから消滅砲の光を直接見たかどうかも黙秘」

 信頼できないじゃないか、と北嶋の視線が付言する。

「念のため、確認しただけだ。――ああ、友軍とキャンプ張っていても、当直はちゃんと立てろよ。それじゃ、あとは任した」

 遅刻しかかっていることを思い出し、江藤は慌てて会議場となるテントへと向かった。



- 6 -


 深夜になると、キャンプはだいぶ静かになった。どの隊にも当直で起きている者がいるから、人の気配が消えることはないのだが、ひとりで考え事をするにはそれくらいがちょうどよかった。

 とりとめもないことをいろいろと考えていた円道紗耶は、秋月が交代に起きてくるまであと十分ほどという頃になって、第二小隊の親切な准尉のことを思い出していた。

 円道には、藤居のような機兵パイロットがいることが意外だった。いや、程度の差を抜きにすれば、彼のみならず黒龍隊の全員が円道のイメージから外れていた。機兵のパイロットというのは常に楽器の弦のように緊張している人ばかりだろうと、円道は黒龍隊に来るまで勝手にそう思い込んでいたのだ。そして、きっと自分のような人間はそういうエリートの足を引っ張ってしまうに違いない、と。

 円道たち六人は機兵管制要員としてオムスクで訓練されはしたが、訓練中に機兵パイロットと会ったことはほとんどない。会話らしい会話は、黒龍隊に臨時増員として組み込まれるまで体験しなかった。だから黒龍隊配属を聞いて円道はとても不安になったのだが、いざ合流してみれば、初めての女性隊員とのことで大歓迎された。隊員の気質も、気が抜けてしまうほど庶民的であり、オムスクでよく見た根っからの職業軍人たちとはかけ離れている。機兵パイロットの十人も例外ではなく、むしろ、誰がパイロット班で誰が整備班であるのかなかなか覚えられないほどに、パイロットたちにさっぱり特異性を感じない。

 日本人は日本人よ、と言ったのは秋月だった。たしかに円道が身構えすぎていたのだろう。最初に隊全体に紹介され、昼食を囲んで談笑した段階で、円道もそれは自覚した。隊長にはまだ怖くて近寄れないが、副長の北嶋は実にいい人で、任務中に顔を合わせるのが専ら後者であるから、上官には恵まれているといっていい。なにより、危惧していた蛮勇が彼らにはない。

 藤居祐輝が特に機兵パイロットらしくないと感じたのは、当時の円道の先入観による変換を作用させれば、つまり藤居がエリートらしく見えなかったということだ。あとから知ったことだが、藤居は若年士官増員計画でキャリアアップした口だそうで、円道はそれを聞いたとき「ああ、なるほど」と納得したのを覚えている。

 士官学校に進んでいた幹部候補の曹長四人より階級は高いものの、そのうち追い越される可能性が高い、微妙な立場。それでも藤居は、新米ばかりの隊員たちに範を垂れるべく、鑑(かがみ)としての立ち回りを要求されていた。それはあの隊長と藤居が話すときの様子と、藤居が他のパイロットや整備班員といるときの振る舞いとを見れば、円道にはわかることだった。

「あたしと似てたんだ、あの人」

 自分の器のほどを嫌というほど自覚させられているのに、それ以上の働きを求められ、そして無理だと解っているのに、期待されることをすべて成し遂げようとしてしまう。

 円道は、親戚内では頭がいいと評判である。しかし、軍の最新技術を学ぶ者は亜連各地から集まった俊英ばかりで、そんなグループの中では、円道の力は決して卓抜したものではない。熱心さを買われて選定に残ったに過ぎないのだと、円道自身がいちばんよくわかっている。良い友人であるはずの秋月に対しても、任務中はその有能ぶりに劣等感を感じているのだから。

 たぶん、藤居は自分と同じような悩みを抱えている。円道はそう思っていた。そして藤居の悩みは、自分のそれよりいくつか先のステージに進んでいる。きっと、親しい人間の能力に対して絶えず劣等感を感じるような、そんな悲しくて情けない気持ちはもう乗り越えたところに彼はいる。自分もそこへ進みたい。乗り越えた先にまだいくつもの困難が待っているとしても、円道は一歩でも前進したかった。

 藤居祐輝が黒龍隊に戻って来たら、そのことで相談に乗ってもらおうと円道は考えていた。だが、まだ彼は合流していない。南田曹長の話では、西フェルガナ基地での戦闘中にはぐれてそのままだというから、それならタシケントで落ち合えるだろうと円道は信じて疑わずにいた。黒龍隊配属のときに事前に無駄な心配をしたので、無意識のうちに、今度は明るい未来だけ見ていようと思っていたのかもしれない。

 どうあれ、期待は裏切られた。タシケントは敵の手に落ち、これからどうなるかわからない。タシケントで応戦に加わって、すでに戦死してしまったかもしれない。

 ――すでに戦死?

 円道は今まで考えなかった可能性の存在に気づいた。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 当直を終え、トイレも済ませていざねぐらへと戻ろうとしていた南田は、背後から駆け足で近づく者があるのに気づいた。ふりむくと、小柄な人影が南田の名を読んで寄ってきた。円道紗耶だった。

「ああ、紗耶ちゃん」

 南田は、隊の多くの者と同じように円道の名を呼んだ。円道は追っていた相手が間違いなく南田竜時であるのを確かめてほっとしたのか、うつむいて一息ついてから、そして南田を見据える。

「竜時さん、ひとつ聞きたいことがあるんです。教えてもらえますか?」

 円道の声が真剣そのものだったので、南田は少し顔を引いた。

「俺に答えられることなら」

 断る理由など南田にはなかったが、もしあったとしても、円道の気迫には頷かざるを得なかった。

「で、なんだい?」

「藤居准尉のことです」

 その一言で、南田は心臓に異物が食い込むような感覚に襲われた。

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「竜時さんは、あのとき光に飲み込まれるまで、准尉と一緒にいたんですよね」

「あ、ああ。敵と交戦に入った直後で、そのときの様子を正確には覚えていないんだけど」

「そのとき一緒にいたのは、竜時さんと准尉と、あと峰國さんでしたよね。朝井さんはもうあたしたちと合流していましたから」

「うん、それは間違いない。だって、他の連中はみんな同じ場所に出てきたんでしょ? ばらばらに放り出されたのは、先に消えちゃってた少佐と、あのときクレーター跡にいた俺たち三人だけ。北嶋大尉が、時空転移の対象はバルムンクフィールドごとに起こったようだって話をしたとき、紗耶ちゃんいなかったっけ?」

「いました。転移の際、すでに交戦に入って散開していた竜時さんたちは、あたしたちと違ってバルムンクフィールドの共有を解いていたから、転移先がばらけたんだろうって話でしたよね」

「そうそう。実際、ひとりで荒野に放り出されたもんだから、混乱したよ」

 南田はそこで笑ってみせたが、円道は表情を変えない。

「でも、峰國さんは実は案外近くにいたんですよね」

 円道が何を言わんとしているか気づき、南田はますます体がこわばるのを自覚した。応じる言葉が見つからない。

「いえ、峰國さんだけじゃなく、あたしたちとも、江藤隊長ともそれほど遠く離れていたわけではなかったんですよね。だって、そうでなきゃ、あの鉱山基地で合流できてしまうなんて偶然、あるわけない……」

「それほど不自然なことかな」

 南田はそれが醜い足掻きだとわかっていながら、そう口を挟んでしまった。

「紗耶ちゃん、まだ藤居さんや坂元たちとは再会できていないんだ。四人がまだ行方知れずなのに、それがそれほど不自然に運のいいことなのかな」

 口調に怒気が混じる。南田は自己嫌悪に陥りながら、それでも、言い訳をやめることができない。

 円道は南田の内心を見透かしているようだった。傷ついた様子も、機嫌を損ねた様子も見せず、ただ小さく溜め息をついた。

「坂元さんたちと離れ離れなのは、あの人たちが第二波の前に連絡隊と基地を離れていたから。それは、准尉が……藤居さんがまだ見つかっていない理由とは、違いますよ。わかっているんでしょう、竜時さんは」

 南田はうつむいた。円道の眼差しに耐えられなかった。

「答えてください。藤居准尉は、あのときちゃんと無事だったんですか」

「藤居さんは……行方不明だよ」

「ごまかさないで下さい。目をそらさないで下さい。そして、ちゃんと答えて」

 円道が南田の腕を掴んで揺する。ただならぬ声が聞こえたのか、遠くからは、秋月杏里(あんり)が円道の名を呼ぶ声がした。

「あのとき、藤居さんの龍は」

 内外からの責めに耐えかねて、南田は黙っていた事実を、峰國とだけ共有してきた秘密を、吐きはじめた。

「腹を撃ち抜かれて、倒れていた」

 暗くて円道の顔色までは見えなかったが、きっと色を失っただろうと南田は確信した。龍のコクピットは腹。その知識を持たない者など、黒龍隊にはいない。

「それが、俺が最後に見たものだよ」

 腕を掴んでいた円道の手を外し、南田は踵を返した。嗚咽(おえつ)を堪えているのが円道でなく自分であることには、涙が頬を伝うまで気づかなかった。



- 7 -


 夜が明けて、北嶋は二時間の睡眠から覚めた。そして、その覚醒が自発的なものでなく、訪問者に覚まされたのだと悟る。時計の背後に、北嶋の顔をのぞきこむ、むさくるしい顔がある。

 ただいま、と江藤は言った。

「どうなった?」

 北嶋は横になったままで眼鏡をかけると、隊長会議の結果を尋ねた。

「各自、好きにすることになった」

 と、しゃがんでいた江藤が、立ち上がりながら答える。

「それで、目的地が同じか同方向ならご同道しましょう、とな。一隊だけ、本来の道連れを探すとかでここらに留まると言っていたが、あとはバロッグの外まで後退するそうだ」

「ふむ。で、俺たちはどうするんだ」

「北に向かおうと思う」

「北に? ――シムケントか?」

「場合によっちゃ、そこまで行くかもしれないが、さしあたってはそこまで長旅する気はない。食糧も燃料も、そう多くは分けてもらえなかったからな」

 なぜ北に行くと決めたのか、江藤はその説明に勿体をつけている。それに気づいた北嶋は、間のやりとりを省いてこう訊(たず)ねた。

「坂元くんたちが、見つかったのか?」

 江藤は無念そうな顔になり、次いで真顔になって、小さく頷いた。

「それを期待して、北に行く。――ここ数日中に、タシケント北辺で龍を見た、という話が会議で出てな。坂元たちと断定できるような目撃情報じゃないが、行く価値はあると思う」

「一度、東に抜けるという選択肢は?」

「捨てたわけじゃない。北に向かうと言ったって、バロッグの東の境界あたりを行くんだ。出ようと思えば、半日で出られる。だが今は、もうちょっと上の目が届かないところで動きたい」

「ああ、全員合流してからでないと、口裏が合わせにくいか」

「ま、それもあるんだが……。厄介な噂を聞いた。陥落前のタシケントに、金星也がいたって言う奴がいるんだよ」

「元帥が!?」

 驚いて、北嶋はばね仕掛けのような勢いで体を起こした。

「見たのは一週間以上前。そして、後方から金星也の居所が知れるような情報は一切入っていない。そういう状況証拠から、奴がタシケントで戦死したって噂が流れているようだ。まだそう広まってはいないようだが、早くもこれの派生型があってな。金星也はタシケントを命からがら逃げ出したが、例の消滅砲のターゲットにされるのが怖くて、自分の所在を固く秘している、という話だ」

「――ナンセンスだ」

「案外、当たっているとも思えるぞ。実際、他の隊長がたは、啓示軍(オフェンバーレナ)があれをどんどん撃ってくるんじゃないかって戦々恐々だったよ。あれはアメリカが開発しているクリーンな戦術核とやらより、よっぽどクリーンに目標を消してしまうからな」

「先の事はわからないが、さしあたって、あれが新青海や南京(ナンキン)を撃つことはないよ」

「ん、また推理か。根拠は?」

「西フェルガナ基地でいったん回収した砂時計型の機械があったろう。覚えているか? あれは照準用のマーカーじゃないかと俺は考えている。でなければ、あんな兵器を使用するのに、事前に機兵に戦闘を仕掛けさせる意味がない」

「うん、もっともだ」

「タシケントは、先月のうちにバロッグに包まれたと聞く。なら、啓示軍が機兵を使ってあれをタシケント周囲に配置する隙は、あっただろう」

「陥落寸前の状態で、タシケントには二個機兵戦隊が来ていたようだからな。たしかにそれは可能だ。しかし、俺たち以外に、それを確信できる人間がいるのか?」

「それは……」

 北嶋は口ごもった。タシケント周辺にマーカーが設置される現場を見た者があれば、あるいは気づいているかもしれないが、それは確たる証拠もない、ただの推測でしかない。亜細亜連邦軍総司令官の身の安全を保証できない以上、噂どおり、金星也が隠れているという事実もあるかもしれなかった。

「戦死しちまったなら、今更俺たちがこそこそすることもないんだがな。もし奴がわざと隠れているんだとしたら、ただ隠れるだけじゃなく、何かを窺っているはずだ。特別規定第一〇号発令の件、あれも引っかかるし」

 江藤は頭を掻き毟る。江藤も、何がどうなっているのか捉えられないでいるのだろう。

 特別規定第一〇号の発令は、江藤の持っていた作戦指示ディスクでも確認済みで、正式に発令されていたことがわかっている。つまり金星也は、ダーダネルス作戦の計画段階において、このような広域にわたる連絡途絶の事態まで想定して未来絵図を思い描いていたのだ。そういう男がタシケントであっけなく戦死することも、ただ逃げ隠れのために姿を消すとも、江藤には思えないのだろう。だから、金星也の真意をはかり、黒龍隊が今どう動くべきかを慎重に考えている。思えば、嘘の名目で厚木基地に向かわされ、そのまま新青海へと送られたあの件も、金星也の差し金だった。

 しかし、情報を集めるなら一旦バロッグの外に出たほうがいい。黒龍隊だとばれないよう、少数の人員だけで後方に戻り、情報収集をする手もあるはずだった。北嶋がそれを尋ねると、江藤は困惑を顕(あらわ)にした。

「なあ、北嶋。情報収集なんてのは、プロフェッショナルに任せるべき仕事だと思うんだよ。実を言えば俺は、このあたりでまだあいつが俺たちを待っているような気がするんだ」

 あいつ、というのがここで誰を指しているのか、北嶋はすぐに悟る。

「おまえとしては、第三小隊の追跡と富窪くん探しとで、一石二鳥を狙っているわけだ」

「やはり不満なのか」

「金星也元帥の行方不明にしろ、タシケント陥落にしろ、お偉方の覇権争いのファクターとしてかなり大きなウェイトがある。富窪くんに俺たちの防諜を命じたという人間が、今も黒龍隊に変わらぬ恩寵を傾けてくれるとは、必ずしも期待できないんじゃないか?」

「見捨てられたならそれまでだ。逆に牙をむいてくるというなら逃げもするが、あいつに耳や鼻はあっても牙はないだろう」

 江藤は歯を見せて笑う。北嶋は息を吐いた。

「そうまで言うなら、隊長の判断として受け入れよう。どっちに向かっても賭けに違いないわけだし……。うまくいけば暖炉の谷を見物できるかな」

「お、珍しいな。それは冗談か?」

「裕美子さんがね、前から行きたがっているんだよ」

 ぼんやりと天蓋(てんがい)を見つめながらそう答えると、江藤は「へいへい、聞いていられるかよ」といって去っていった。



- 8 -


「それでは、周富窪と会ったのはまったくの偶然だったのですね?」

 安文俊はヨシダの話を一旦まとめるようにして、確認する。

「そうだ。あれが尻尾を振って俺の脚に飛びついて来なければ、周富窪は見ず知らずの俺に助けなんて求めなかっただろうさ」

 ヨシダはそこでコーヒーを一口飲み、そして付け加える。

「もっとも、向こうは俺のことを知ったうえで、偶然を装ったのかもしれないが。――あんたもどうだ?」

 ヨシダは安文俊にコーヒーカップを軽く掲げてみせた。安は遠慮するように首をふりかけたが、肩に置かれたヨシダの手の逞(たくま)しさを目に入れて、「では一杯だけ」と答える。

 場所が使い慣れた給湯室であるのをいいことに、ヨシダは飽きることなくコーヒーを淹れていた。安のぶんを含めて、準備するのはこれで五杯目である。

 サイフォンの準備をしながら、ヨシダはちらりと安文俊の横顔を見た。特筆すべきこともない顔だ。それは顔の造作がそう感じさせるのではなく、普通の人間なら表情ににじみ出させている何かを、この男が隠しているから感じるのだろう。ヨシダは、副官の見立てが正しいかどうか、まだ自分の判断を下せない。

 すでに安には真実を語った。その話は、黒龍隊がタシケントに向かう際、江藤博照からペットの世話を頼まれ、しかたなく預かったというところから始まる。

 江藤が言い含めていたのを理解したのかどうかはわからないが、ゴン太という子供の狼は、ヨシダやパトラたちにすぐなついた。インターホンの配線を齧(かじ)って壊してしまうというアクシデントこそあったが、排泄のしつけはきちんとしたもので、無闇に吠えもしなかった。黒龍隊の前線での任務がいつまで続くかわからなかったので、ヨシダにとってそれは幸いだった。隠れて飼うことになるので、いろいろと手回しが面倒だったが、動物というのは見ていると和んだ。特に、ヒトと同じく社会性を持つ動物はよい。朝に預かったのだが、その日の夕刻には、ヨシダはとうぶん預かっていてやろうと思っていた。

 しかし、ゴン太はその日のうちに失踪した。辺りを探しても見つからず、江藤に連絡しようとしたときには、もう黒龍隊は新青海基地を飛び立っていた。その夜と翌朝、黒龍隊が泊まった場所を探してみたが、徒労に終わった。

 新青海基地で忙しさとは別のざわつきをヨシダが感じるようになったのは、ゴン太を探すためにアンテナを敏感にしていたからかもしれない。黒龍隊が発った三日後あたりから、ヨシダに入ってくる前線の情報が極端に少なくなったが、その頃は作戦上の情報統制だと信じていた。それが深刻な事態の隠蔽工作だと知ったのが、二週間前、周富窪に会ったときだった。

 珍しく外を歩いていたヨシダの足に、灰色の毛をした塊がつっこんできたのは、本当に偶然だった。それを追いかけてきた周富窪は、ゴン太がヨシダに甘えているのを見て、ちょっと話をしたいからと強引に物陰にヨシダを引っ張りこんだ。それから周富窪は自分が黒龍隊の水先案内人として新青海から同行していた者だと自己紹介し、助けてくれとすがり付いてきた。その後はおよそ、安文俊が推測していたとおりの展開である。

「あいつは俺のとこに居候していた間も、ちょくちょく姿を消した。戻ってきても、何をやっていたのかは語らなかった」

 サイフォンを見つめながら、ヨシダは話を続けた。

「一週間で、あいつはゴン太を連れていなくなった。行き先は聞いてない。こんな陸の孤島を出るには足が要るから、てっきりあいつの仲間が手引きして、ここを出たんだと思っていたんだが。それは違ったらしいな、安准尉」

 探るつもりでそう言ってみたが、安文俊は笑ってそれを受け流した。

「彼は単独行動に優れたスタッフなのです。見かけはああですけれどね。仲間以外にも、利用できるツテをいくつか持っています。それは彼が個人的に使っているツテに過ぎず、私たちはそれを詳しく知らない。黒龍隊に同行させる件では、さすがにネットワークを使って手続きをやりましたが。――しかし、困りました。周伍長が何らメッセージを残していないとなると」

「そんなに困るのか? 仲間なんだったら、向こうからじきに連絡を入れるんじゃないのか」

「ええ、本来ならそうなのですが。恥ずかしながら、現在私たちのネットワークは虫食いだらけの状態なのです。ダーダネルス作戦での急な配置換えなども祟って、連絡網にさえ穴があるのが実情です。いまだに周伍長から連絡がないということは、すでに彼は連絡網の機能しないどこかで、工作を始めているはず。それがどこなのか早く突き止め、助けを出さなければならないのです」

 切実そうに訴える安に、入れたばかりのコーヒーを渡すと、ヨシダはひとつ唸った。

「ますますわからんな。連絡網さえ穴だらけのあんたらに、どうして助けが出せるんだ」

 ヨシダが腕を組んで難しい顔をしてみせると、安はその意図を解したようだった。

「少佐は、私が周富窪の行方を追って害をなそうとしている、と警戒なさっているのでしょうか?」

「おまえさんの言動じゃ、そう誤解されても文句は言えないと思うぞ。なにか俺に対して証となるものを見せてくれないとな」

 小さく息を吐き、安はコーヒーカップを両手で包む。その姿勢で少し考え込んだようだったが、やがて口を開いた。

「少佐に信じていただけるような証は、私たちの間にはありません。身分証のようなものもないですからね。仲間同士を確認する手法はいくつかありますが、これらは対外的な証明にはなりませんし。ですが、どうして助けを出せるのか、という問いにはお答えできます。この件について利害を同じくする勢力が、私たちの代わりに黒龍隊救出の実行部隊を送ってくれる手筈(てはず)なのです」

「昨日言っていた、ある筋とやらか? 黒龍隊の誰かが生きているという情報をあんたらに流した?」

「はい。――もう明かしてもいいでしょう。これは情報交換ですからね。私たちに協力してくれているのは、北熊です」

「北熊だと?」

 それはヨシダが予期してない単語だった。

「言っちゃ悪いが、北熊があんたらを取引の相手として認めたのか?」

「認めるに足る情報を前払いしました。少佐にも関係のある話ですから、これも明かしておきましょう」

 猫舌なのか、安はそこで初めてコーヒーに口をつけ、おいしいですねと世辞を挟んでから言葉を継ぐ。

「ヨシダ少佐が江藤少佐や北嶋大尉と会う原因を作った事件、つまり日本の厚木基地で江藤少佐らが拉致された事件についての情報です。あれの実行犯のリーダーと目される軍人、呂孝明(ル・シャオミン)が私と同じ戦略軍情報部の人間であると、北熊に教えました。情報部の手の内を知っているからこそ、情報部の目を潜り抜けて拉致を実行でき、そして現在に至るまで呂孝明自身は捕まらずにいる。

 造反者を身内から出したために、情報部はこの件を参謀本部にしか伝えていません。ですから、黒龍隊に纏わる事件を独自に調査していた北熊に共同戦線を持ちかけるには、良い手土産でした」

「安准尉も立派な造反者だな」

 亜連の暗部を垣間見た気分で、ヨシダは皮肉を言わずにはおれなかった。

「亜細亜連邦のためを思えばこそ、です」

 さらりと受け流すと、安は北熊と企んでいることの概要を、ヨシダに語った。

「周富窪が黒龍隊を誘導し、それを北熊が保護する……。大雑把に言えば、そういうことだな」

「はい、そうです。それで問題なのが、周富窪が舞台をどこに選んだのか。これがわからないことには北熊も手を回せません。ですから、黒龍隊を守るためにずっと動いてきた周富窪が、目的地を言い残すことなくここを去ったはずはないのです」

 本当に心当たりはないですか、と安の視線が尋ねる。手にしたカップの中身はすでに空だ。ヨシダは、相手の誠意と副官の勘とを信じることにした。

「おまえさん、コーヒーはあんまり好きじゃないだろう」

 ヨシダがそう言うと、安は初めて戸惑いを見せた。いきなり話を変えられただけでなく、それが図星であったからこそ表れた、糊塗(こと)のない表情。

「実を言えば、そうです」

 申し訳なさそうに安は白状する。ヨシダが無類のコーヒー好きであることは、事前に調べてあったのだろう。内心、かなり嫌々ながら飲んでいたのだろうが、安はヨシダでなければ見破れないほどにその嗜好を隠してみせた。

「暖炉の谷だろう。たぶん」

 ヨシダは隠し続けていた情報を安文俊に明かした。

「ここを去る前夜、あいつは、黒龍隊を見つけ出せたら暖炉を囲んでパーティーをやる予定だと言っていた。その準備は仲間が進めてくれている、と」

 それを聞いて、安は顔を明るくしてヨシダに礼を述べた。すぐにでも北熊に連絡を、と立ち上がった安だったが、ドアノブに手をかけたところで立ち止まった。

「最後にもうひとつ聞いてよいでしょうか」

「ああ」

「少佐はなぜ、周富窪に協力してくださったのですか」

 それはそもそも、昨日安文俊自身が言い当ててみせたことだった。ヨシダは悪戯っぽい笑いを浮かべて、答えを教える。

「共通の知人がいたからだ」

 そうですか、と頭を下げた安文俊の笑みは、もう演技の所作ではなかった。



- 9 -


「こちらジソコン二号車。矢俣伍長と群山軍曹から報告入りました。いずれも有益な証言は得られなかった模様」

「こちら一号車、北嶋。了解した。予定通り、次の調査地点に移動してくれ」

 送話スイッチを切ると、北嶋は双方向ディスプレイの地図にバツ印を書き込む。これで予定調査数の半分にバツがついた。重要証拠が得られたという意味の丸印は今のところなし。三角印が四つ。これは、龍らしき足跡の発見報告で、今も江藤たちがそのひとつを調べに行っている。

「龍の実戦投入、予定よりペースが速まっているのかも」

 倦怠感の漂いはじめた車内で、円道が誰にともなくそう言った。

「どうしてそう思うんだい?」

 北嶋が尋ねると、円道は手元で見ていた画面を、メインディスプレイに表示させた。

「これ、今までの調査結果からまとめてみたんですけど……。タシケント周辺で稼動している龍は十機を超えているみたいです。バロッグの発生したこの方面に、龍を集中配備したのかもしれないので、確かなことは言えないんですが」

「十機?」

 鸚鵡返しにその数を反芻して、北嶋は過失に気づいた。タシケント周辺で機兵が目撃されたなら、それが高い確率で第三小隊だと北嶋も江藤も信じ込んでいたが、それは大きな間違いだった。

 黒龍隊に配備された龍は、亜連の通算機兵生産番号で百番前後のものだ。これには初期の試作機や、訓練用の機体なども含まれているから、戦闘に供されたのはそれより十機は少ない。江藤の体験談によれば、外廓聯で使い潰される龍のペースも相当のものだったそうだから、黒龍隊編成時では、稼動中の龍は多くても七十機ていどだったはずである。外廓聯が予備機を入れて三十機、黒龍隊が十機として概算すると、その他の小隊規模の機兵部隊は最大十個程度。正規軍の各戦線にバランスよくわりふると、タシケントに馳せ参じられるような龍の余裕はないはずだった。

 しかし、それはダーダネルス作戦開始時の配備状況での推測だった。あれから一ヵ月。予定通りに生産の拡大が進んでいるなら、三十機以上の龍が生産されているはず。その半数が補充用に費やされるとしても、十五機。三機編成で小隊を作るなら五個の機兵小隊が純増となる。タシケントが危機に陥った時期を考えると、新設部隊の配置先を変更すればじゅうぶん対処できる。

「大尉?」

 沈黙する北嶋を、秋月が怪訝そうに見つめる。

「たしかに、ペースが上がっているかもしれないな」

 努めて冷静にそう応じたが、内心は穏やかでなかった。自分と江藤は、体感的に一週間ほどしか経っていないがために、世界の時間経過を忘れ、重大な判断ミスを犯したのではないか、と。

 第三小隊の手がかりが出たと思って北上してきたが、見ず知らずの部隊がタシケント防衛に参加していただけ、という公算のほうがよほど大きい。

 北嶋は車内をそれとなく見渡した。士気が高いとはいえないが、バロッグからの脱出を延期した不平不満はあまり出ていない。部下たちが耐えてくれているのに、指揮官のほうがとんだ杜撰(ずさん)な行動計画を立ててしまっていた事実に気づき、北嶋は嘆息する。

 補給の問題もあり、探索を長く続けることはできない。北嶋は計画に変更の必要があると判断し、江藤との通信が可能な位置まで移動するよう指示を出した。


*   *   *   *   *


 江藤が北嶋から重大な見落としを指摘されたのは、辿っていた足跡の行き先をようやくつきとめたところだった。再会に一歩近づいた気になって喜んでいる南田たちが目に痛い。

 足跡を追って、外れなら諦めて一旦外に抜けるか。江藤がそんなプランを考えていると、別の調査地点から応援に来ていた峰國(フェングォ)が、江藤に個人会話を入れてきた。

「隊長、変です」

「どうした?」

 もしや敵機か、とも警戒したが、峰國はそれを否定した。

「この足跡の数ですよ。なんだか、四機ぶんあるように見えませんか。坂元たちなら三機のはずですよ。他の龍と合流したか、それか、全然違う龍の部隊なのかも」

「自分でつけた足跡まで数えてないだろうな」

「そりゃないです。バナナとカフェオレを賭けてもいいです」

 台詞(せりふ)はふざけているが峰國の声は至って真面目だった。

「藤居が合流していれば、員数は合うが……」

 龍のコクピット内で腕を組んで、江藤は唸る。

「隊長、妙です」

「希望的観測にケチをつけるな。俺とて現実はきちんと……」

「違います、そのことじゃなくって。たった今、東北東の方角から無線交信を傍受。バロッグがだいぶ薄いみたいですね。転送します」

 峰國は自分の龍が傍受した会話を、そのまま江藤にリアルタイムに転送してきた。だが、会話が何語で行われているかも、よく聞き取れない。

「峰國、何て言っているかわかるか?」

「ウズベク語とかですかね、俺もわかりません。なんだか揉め事っぽいなぁ」

「先行して偵察しろ。こちらも追いかける」

「ラジャー」


*   *   *   *   *


 南田たちを引き連れて現場に着いたときには、峰國(フェングォ)から逐一送られてきた状況報告によって、何が起こっているのかは把握済みだった。

 無線を使っていたのは亜連の歩兵部隊。この部隊は啓示軍(オフェンバーレナ)の遊撃部隊に対する警戒として網を張っていたのだが、それで引っかかったのがこの民間人の車列。彼らの処遇と、彼らから得た情報について、本隊に指示を仰いでいたところらしい。

 車列は、ワゴンが三台と、キャンピングカーが二台の計五台。乗っているのは民間人三十人ほどの一団で、本人たちは宗教団体を名乗っている。暖炉の谷で燃え盛る変則領域由来の炎を神聖化し、崇めている教団だ。

 灯(ともしび)教という名のこの教団は、階級的構造を持たず、教義と呼ぶべきものもほとんどない。暖炉の谷のそばに住む、あるいは提起的に巡礼に来ることだけが、彼らの結束の源である。金銭絡みで胡散(うさん)臭い話が出たことも無く、珍妙ではあるが、江藤はわりかし健全な宗教だと認識していた。

 傍受した交信の声が落ち着いていなかったのには、二つの理由があった。ひとつは、歩兵部隊がこの一団を偽装したゲリラかもしれないと警戒し、荷を検(あらた)めようとしたが、宗教上触らせられない物品があるとかでこれに抵抗されたこと。もうひとつは、なぜ彼らが聖地を離れたのか尋ねたところ、谷が啓示軍によって制圧されたからだと教徒たちが答えたこと。

 前者については、江藤のとりなしで妥結した。タシケントに行くつもりだったらしいこの一団が本当にただの民間人なら、歩兵部隊は彼らを安全圏まで護送する必要がある。一方、もし彼らがゲリラでも、監視のうえで軍施設に連行しなければならない。両者の違いは、銃を向ける先がどちらか、ということだけ。送られる側も銃を向けられるのは不快だろうが、そこは歩兵部隊の不安も慮(おもんばか)ってくれ、と江藤は一団を説得した。

 それで、江藤が考えるべきは啓示軍が暖炉の谷を制圧したという話の真偽だった。暖炉の谷はこのバロッグの発生範囲内に収まっているようなので、タシケントを制圧した啓示軍が密かに暖炉の谷にまで手を伸ばすことは可能なのだが、暖炉の谷に軍事的価値があるとすれば、それは変則領域の研究対象としての価値だけである。常識で考えれば戦時に確保する必要は認められない場所なので、歩兵部隊はこの証言をかなり疑わしく思っているようだった。

 しかし江藤にとっては、それは意外性こそ纏(まと)っていたものの、真実味のある話だった。

 啓示軍がダーダネルス作戦に対するカウンターアタックとして、変則領域応用技術を主軸に据えた作戦を展開しているのは間違いない。七色に輝き、ターゲットをきれいに消滅させる驚異の新兵器。その後に黒龍隊が体験した、時間と空間の跳躍。そしてGT72鉱山基地をわざわざ制圧しにきた啓示軍の動きや、そこに影龍が介入した謎。それらの延長に、啓示軍の暖炉の谷制圧という項目が加わっても、何も不思議はない。

 むしろ、謎を解く鍵でさえある。

 江藤はそこまで考えて、慌てて首を横に振った。今は部下全員を探し出すことが第一であるし、謎の探求のために部下の命を危険に晒(さら)すことは許されない。

 歩兵部隊が一団を護送する前に、江藤は、暖炉の谷方面で機兵を見かけなかったか双方に訊ねてみた。歩兵部隊からは、つい昨日ここに来たばかりで、機兵は敵のものも味方のものも見ていないと返答があった。期待せずに灯教の一団に向かうと、意外にも、こちらからは有益な証言が得られた。昨日、暖炉の谷のそばで機兵同士の交戦を見た、というのだ。

「追いかけていたほうは、龍王ですよね、たぶん」

 歩兵部隊に通訳してもらって証言を聞き終えると、南田が自分の推論に間違いがないか江藤に尋ねてきた。

「ああ。肩の特徴から考えても、外廓聯が戻ってきたという話を聞かないことから考えても、肆番機だろう」

 江藤の口調は苦味を帯びる。龍王肆番機は、新青海基地の東の荒野で江藤たちを襲った機体だ。敵味方の認識もろくにできない肆番機が、戦場に出ている。それを思うと、江藤は誰に向けるべきかと判然としない憤りを覚えた。

「その龍王を撒いて逃げたのが、二機の赤い機兵ってことでしたが」

 朝井が指摘したいことは江藤にもわかっている。GT72鉱山基地で戦ったあの赤いゾルダートは、ウェダム少佐の説明では、GT72制圧後にどこからか加勢しに来たということだった。龍王と交戦していたという二機と、あの一機。いずれもタシケントを襲った部隊から派遣されたのだろう。時間的には、うち一機は同一機体かもしれない。

「次の戦場は暖炉の谷ってわけか……」

 江藤は調べていた足跡の行き先、暖炉の谷の方角を見やった。あれを残した四機が第三小隊と藤居であればよいと思っていたが、今は反対の気持ちだった。



――続く――