黒龍隊の挽歌 第十八話

交錯する思惑



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 僚機の部下から警告を受けたときには、カネジュ・イルベチェフもまた、立ちはだかる脅威の存在を察知していた。

 シムケントを発って二十八時間経つが、接敵警戒はこれで四度目。うち一回がセンサーの誤作動で、二回は相手の姿を見ないままやり過ごしてきたが、今度はそういうわけにいかないらしかった。

「このバロッグだ。姿を捉えても迂闊(うかつ)に撃つんじゃないぞ。熱粒子砲および電離砲の攻撃に注意しろ」

「了解。散開します」

 ジーナ・ゲルスカヤの無機的なアルトは、その余韻をノイズに呑(の)まれた。イルベチェフ機とのバルムンクフィールド共有を解除したが、距離を取りつつ、鬼火を白い闇の奥に向けて構える。イルベチェフもまた、自分の操る龍に火縄と雷紫電の両方を構えさせた。

「――しくじった」

 舌打ちをして、イルベチェフは祖父がよく使っていた日本語のフレーズをまねてみた。

 目的地を前にして、油断があったのは否めない。一時的にせよ隊を二分した時点で、もっと接敵を警戒すべきだったのだ。待ち伏せしていたのはたった一機の機兵だが、エントゼルトゾルダートとは明らかに異なるそのRBRセンサーの波形は、イルベチェフに楽観的な憶測を許さなかった。もし先日のE12(エーツヴェルフ)のエースのような相手であれば、別働中のタマリアノフらが追いついてくれなければ勝てない。

 イルベチェフの焦燥を笑うように、それはゆっくりと歩み寄ってきた。バロッグの光学干渉作用を利して身を隠していたその機兵は、やがてシルエット、そして輪郭を顕(あらわ)にする。

 ――青い。そしてその外観は啓示軍(オフェンバーレナ)の機兵と大きく異なる。明らかに亜細亜連邦製の特徴を具(そな)えるその機兵は、しかし、イルベチェフらに火縄の砲口を向けていた。

 毛のない眉を寄せて、イルベチェフは顔をしかめる。このバロッグでは相手も火縄を撃てないはずだが、警戒心を抱かれているのは明らかだ。なお悪ければ、敵意ということもありうる。

 青い機兵の、太腿の側面に張り付いた板状のモジュールが、影龍に似ている。ディテールのわかる距離で歩みを止めた相手を観察し、イルベチェフはそれを見て取った。応龍隊の新たな機兵かとの推測が頭に浮かんだが、それはすぐに別の推測に取って代わられる。

 ――もしや、あれは。

 イルベチェフは相手の動きを警戒しながらも、その細部の形状をチェックして、自分の推測が正しいかどうか見極めようとした。そして、相手の発していたメッセージに気づく。

 「モールス?」

 青い機兵の目が、断続的に発光していた。モールスはすでに陸軍士官が習うものではないが、龍にはその判読ソフトが搭載されている。イルベチェフは、初めてその機能を活用する機会に恵まれたらしいと、内心で苦笑する。

<所属ト官姓名、オヨビ目的ヲ答エヨ>

 相手はそう繰り返していた。

 イルベチェフは自らの名と所属を明らかにし、「予定された作戦に従い、別働隊との合流を目指しているところである」と返信した。それを読み取った合図として、相手の信号発信が中断し、やがてパターンを変えて再び点滅を始めた。イルベチェフはすぐに判読ソフトを走らせる。

<直チニ針路ヲ変更サレタシ。当区域デハ黒龍隊ガ独自ノ任務ヲ遂行中デアル>

「黒龍隊!?」

 イルベチェフは予想外の文面に驚かされ、そして同時にほっとした。相手が応龍隊ではないとわかったばかりでなく、それは探していた黒龍隊の所属機兵だったのだ。

<貴隊トノ合流ガ我々ノ受ケタ指令デアル。随行ヲ認メラレタシ>

 そう文面をこしらえて、イルベチェフはモールスを発する。昨夜までジーナたちにも伏せてきた真の命令内容だけに、この返答には向こうも戸惑いがあるだろうとイルベチェフは予想した。しかし、青い機兵からの返信は早かった。

<随行ハ認メラレナイ。繰リ返ス。直チニ針路ヲ変更サレタシ。当区域デハ黒龍隊ガ独自ノ任務ヲ遂行中デアル。モシコレヲ妨害スレバ、戦略軍参謀本部及ビ軍事委員会ヘノ反逆行為ト見做シ、我々ハ実力行使ヲ辞サナイ>

 イルベチェフが文面を読み終えると同時に、青い機兵の火縄が瞭然とイルベチェフ機に狙いを絞った。

「大尉、どうするのですか」

 傍らでモールスを読み取っていたらしいジーナが、再びバルムンクフィールドを共有して、進退を訊ねてきた。イルベチェフは口を開けたが、言葉が出てこずにただ唸った。

 すでに青い機兵の素性には見当がついた。二対一でかかれば、勝機の見出せる相手だろう。しかし、イルベチェフらにとって交戦は何の価値も生み出さない。戦闘になった時点でイルベチェフらの任務は失敗である。

「何かがおかしい」

 これは黒龍隊を救出するための作戦ではなかったのか。何故、危ない橋を渡ってまで手を差し伸べた相手から、銃口を向けられるのか。混乱を免れないイルベチェフに対し、青い機兵は先の文面を繰り返し発信してくる。

「一時後退だ、ジーナ! 状況を確認する必要がある!」

 わけのわからないまま、それでもイルベチェフは下すべき決断を下し、龍の踵(きびす)を返した。ジーナは背後を気にするようだったが、イルベチェフの勘通り、青い機兵は追って来ない。

「どうなっているんだ……」

 霞の中に消えていく青い機兵の姿を見ながら、イルベチェフは呟(つぶや)く。

 黒龍隊の敵対的態度もそうだが、どうしてあの機体が黒龍隊に配備されているのか、それも大きな謎だ。――あれはこの二ヵ月間行方不明だった、雷麒麟壱番機に間違いないだろうに。


*   *   *   *   *


「――眩暈(めまい)がしてきたぞ?」

 部下のタマリアノフと合流を果たしたイルベチェフだったが、そこではまたしても衝撃的な事実が待ち受けていた。

 第一に、可視光干渉性バロッグの巨大な集積。断崖の上から見渡せるそれは、並みの軍人よりは多くの変則領域に足を踏み入れているイルベチェフでさえ、初めて目にする現象である。地図と照合してみると、バロッグの集積は暖炉の谷の火炎発生領域をすっぽり覆っているらしく、それは事態が啓示軍(オフェンバーレナ)の思惑に沿うかたちで進行していることをイルベチェフらに推察させるものだった。

 そしてイルベチェフの忍耐を打ち破り情けない声を吐き出させたのは、眼下に横たわる、肩に特徴のある龍の残骸だった。それはイルベチェフ自身、人に尋ねずとも誰の機体かわかるものだったが、しかし念を押さずにはおれない。

江藤少佐の乗機に、間違いないんだな」

「彼が確認しました」

 画面の向こうのタマリアノフは、負傷したニューラに代わり小隊に加わった人物を指して、そう言った。

「――そうか」

 ならば、間違いない。イルベチェフは残念ながらそう認めざるを得なかった。

「コクピットに血痕はありませんでした。うまく脱出したのか、あるいは啓示軍に連れ去られたのか、そこは不明です」

「生きていると、思うか?」

「あいつはそう判断しているみたいですがね。俺自身、ここまで探しに来た連中の頭(かしら)がくたばってただなんて、考えたくないです」

「それはそうだが……。論理的解答が欲しいな。ジーナはどう思う」

「黒龍隊があのような態度に出たことと、何か関連があるように思われます。隊長を失い、統率が取れなくなっているのかも」

「たとえそうだとしても、それは、江藤少佐が予定会合地点に帰還してないことを示しているに過ぎないな」

「それは、そうですね。いずれにしても、今の黒龍隊には江藤少佐がいない可能性が高いと見て行動を……」

「――イルベチェフ大尉」

 ロシア語で交わしていた会話に、日本語が交ざってきた。イルベチェフはジーナをひとまず待たせ、割り込んできた日本語のほうに応じた。

「どうした?」

「私に別行動の許可を」

「いいのか? 君は……」

「今の私はイルベチェフ大尉の部下。任務達成のために、自分が為すべきことを為したい」

 淡々と決意を語る青年の視線を受けて、イルベチェフは苦笑した。タシケントで味わったあの強いまなざしを、ここでもまた見ることになるとは、思ってもみなかった。

「わかった。任せよう」



- 2 -


 バロッグの濃度がいちだんと高まってきた。セミオートモードで龍の歩行を制御する傍ら、南田は現在地を確認し、バロッグが昨日よりはまだマシになっていることに気づく。

「暖炉の谷を中心としたバロッグの拡大、止まったみたいだな。むしろ収束に向かっているのかもしれない」

「それなら、ついでに"壁"も消えてくれるといいんだけどな」

 僚機を駆る久留の声は軽い。離れ離れだった本隊と再会できるのだから、それも当然だろうと南田は思う。

坂元鷹山が一緒でないのが残念だな。今頃、旅団の護衛任務か」

「なに、気にすることはないさ、曹長。あのふたりは、少佐のメッセージを届けるだけのミッションなんて不平を言うだけだ。――で、俺たちの楽ちんな任務は、あとどれくらいで達成されるのかな?」

「もうすぐ着く。――でもあのふたり、喧嘩してないといいんだが」

 南田が不安を口にすると、久留は笑った。

「心配することじゃないさ。あいつらの喧嘩は、結束を再構成するための定期的なもんだから。そう、西フェルガナ基地で安超備に裏切られて、助けに戻ったのが手遅れに終わったあのときだって、そうだった。通信設備を確認しなかった責任がどっちにあるかでずいぶん言い争ってたが、結局、敵を前にしたら例の絶妙のコンビネーションを披露してくれたぜ」

「あいつららしいな」

 つられて笑った南田だったが、シミュレーション戦で何度も敗れたことを思い出し、それは苦笑に代わる。

「そうだ、西フェルガナといえば…… 。あのとき、竜時たちも安中佐の裏切りに気づいたんだっけな」

「ああ、第二小隊が護衛に向かったけど、中佐たちは例の消滅砲……、あ、俺たちは例のビームをそう呼んでいるんだが、その消滅砲でみんなやられたそうだ」

「じゃあ、中佐は啓示軍(オフェンバーレナ)からも裏切られたんだな。因果応報ってやつか」

「そうだな……」

 南田は曖昧に頷いた。西フェルガナ基地防衛の指揮を執っていた安超備が、久留の言うように本当に啓示軍と内通していたのかは、もはや確認できないところである。だが、安超備が北嶋藤居の正義感を利用して、黒龍隊を囮に自分たちだけ離脱を図ったのは明白であり、あの卑怯な嘘だけでも、報いを受けるにじゅうぶんな罪だと南田には思える。だから、もしも死んだのが安超備ひとりであったなら、南田も久留に心底同調できただろう。しかし、その「もしも」は南田にとって許容できない仮定だった。

 ――人が死んでいるのだ。他人の思惑のために。

 久留は続けて喋(しゃべ)り続けたが、しばらくの間、南田は耳に通してもその中身を聞いてはいなかった。

「それで、藤居准尉はそのあといつ行方不明になったんだ? 准尉だけなんだろう、揃っていないのは」

 その瞬間、南田は己の迂闊さを呪った。調子に乗って事実を喋りすぎたのだ。これでは、藤居の行方についてごまかし続けることは適わない。では、明らかな嘘を口にするしかないのか。それは嫌だ、と南田の心が拒絶する。

「第二小隊とはそのあと合流したんだよな。で、さらにそのあとに准尉だけはぐれたのか? あの准尉がそんなヘマをやるなんて、信じられないな」

「実は、実はな久留。俺たちあそこで……」

「タイム。その話はあとで聞こう。前方に相対バルムンク反応レベルC。OBS(オプティカルバルムンクスキャン)にも反応ありだ。どうやら、機兵らしい」

 不意に遮られ、南田は調子を狂わされたが、RBRの波形は動揺した南田にも一目で読み取れるものだった。それは明らかに機兵のもの。しかし、どうしてこの距離まで感知できなかったのか。意図的にバルムンクフィールドの出力を抑えればRBRに対するステルス性は向上するが、それではこのバロッグのなかで動き回るのに支障が出る。

「敵を警戒して龍を伏せているのか、大尉は……」

 霧の中にぼんやりと浮かび上がる、両肩の先端が左右に飛び出たシルエット。防人型かと思い、安心して前進を維持した南田だったが、並進する久留の龍は途中で立ち止まった。

「どうしたんだ?」

「あれは龍じゃない」

「なんだって」

 反射的に操縦モードを戦闘用に切り替えながら、南田は前方で待ち構える機兵の姿を凝視する。たしかにそれは龍ではなく、昨日南田を簡単に武装解除させた、あの青い機兵だった。

「雷麒麟! あいつ生き延びて……」

「おい竜時、四時方向にも相対バルムンク反応! レベルDだが、妙な分布だぞ。あれは……」

 久留の珍しく切迫した声音に、南田は雷麒麟から目をそらし、新手の現れた方向を向く。

「――化け物」

 一九〇旅団が収集した情報から聞き及んでいた、奇妙な乗俑機らしきもの。それが今まさに、南田たちに向かって近づいてきていた。数は複数。ざっと五体はいる。聞かされていた、あれが啓示軍の戦力の一部であるという分析は、どうやら正しかったようだ。

「少佐の指示じゃ、遭遇したらやり過ごせってことだったが……」

「ああ。だがここで下手に逃げると、本隊まで危険に晒(さら)すことになる。絶対に西には行けない」

「だな。雷麒麟とやらも、協力はしてくれないらしいし」

 そう言われて見てみれば、雷麒麟は助ける素振りがないばかりでなく、あろうことか火縄をこちらに向けている。

長野っていったな、あいつ。どういうつもりなんだ」

「ブツブツ言ってる場合じゃないぞ。この広い場所じゃ、包囲される」

 南田は周囲を見渡して、舌打ちした。久留の警告は正鵠を射ている。西が小高い丘陵になっている以外、あたりにこれといって利用価値のある地形はない。

「少し戻って、奇岩群に逃げ込もう。あそこなら各個に撃破できる」

「了解」

 南田らは、雷麒麟と、その向こうにいるはずの北嶋たちに背を向ける。

 少し道草を食わされるだけ。――そう自分に言い聞かせることを、南田は欺瞞(ぎまん)とは思わなかった。



- 3 -


 膝の上に配された、地図を表示するモニター上に、五つの光点が映っている。少年の指がモニター脇のスイッチを切り替えると、地図の縮尺が変化し、光点のうち二つが表示範囲から外れた。一方で、残る三つの光点は少しずつ近づいてくる。いや、正しくは、少年の乗る機兵のほうが、光点に向かって接近しているのだ。

「見つけたみたいだね」

 少年、オズワルド・ワイルダーは満足げに頷(うなず)く。基幹部隊から渡されて新たに据え付けたセンサーは、RBRセンサーよりもよほど確実に、「索敵部隊」の位置を教えてくれている。

「少尉。十一時方向に相対バルムンク反応、レベルC。パターン検知不能ですが、おそらく龍かと」

「瑣末(さまつ)な報告はいらないよ。ブルートフントのセンサーは、七番機よりも先にそれを感知しているんだから」

 並走するエントゼルトゾルダートからの報告を、オズワルドは嘲笑(あざわら)った。実際、オズワルドが見つけたといったのは、光点として表示されている「索敵部隊」のことではなく、それが取り囲んでいる敵機のことだった。

「サーバントたちがうまい具合に敵を分断してくれたね。目標は一機。例の注意事項を厳守しつつ、攻撃を開始だ。さあ!」

 僚機二機に発破をかけ、それらが先行する姿を見ながら、オズワルドもまた愛機ブルートフントを前進させる。

 光点の位置から推測すると、龍はあの「索敵部隊」、サーバントというコードネームのあの奇怪なロボット部隊によって取り囲まれている。オズワルド自身が参戦するまでもなく、部下だけで拿捕(だほ)は可能だろう。だから、オズワルドは手柄を部下に譲ってやった。オズワルドの興味は、三体のサーバントごときに包囲される相手には向けられていなかった。もっとも、本来の接近戦用の右腕を失い、ライフル砲を代わりに取り付けたブルートフントでは、今回ヴェーバーから要求された注意事項を守るのが面倒でもあったのだが。

「目の前の奴は外れか。逃げたもう一機が怪しいな。――生け捕りなんて"時報(ツァイトアンザーゲ)"にしては珍しい命令だけど、兄さんたちを唸らせた相手なら、顔くらい見て損は無いかな」

 オズワルドがくすくすと笑っていると。早くも、部下のエントゼルトゾルダートは霧の中に見えなくなった。そして、サーバントをトレースした光点のひとつも、その輝きを失う。

「一匹はやられちゃったか。健闘賞だね。――そこの君にも!」

 オズワルドはブルートフントを左に急転させた。警戒音が響くとともに、四脚型で俊敏とはいえない機体が軋(きし)んで音を立てるが、すぐにそれより激しい爆音が奇岩群にこだまする。砲弾の直撃。しかし、特製の左腕に具わった防御機能、シュッツネーベルの作動で、ブルートフントにダメージはない。

 シュッツネーベルの白い靄に視界半分を覆われたが、オズワルドはそれでも、奇岩の陰から襲ってきたものの正体を一目で知ることができた。それほどに間近に迫った敵は、一機の龍。バルムンクフィールドを停止し、じっと息を潜めるようにして伏せていたのだ。でなければ、ブルートフントのセンサーで感知できたはずだった。

 なぜ待ち伏せができたのかという疑問がオズワルドの操縦を妨げることはなく、ブルートフントの右腕は十メートルほど先の龍に向かって即座に百五ミリ砲弾を撃ち返す。龍はバルムンクフィールドが強制共有される距離にまで迫っているから、バロッグがその弾道を歪曲することもない。オズワルドはトリガーを引いた時点で命中を確信していたが、砕け散ったのは龍ではなく奇岩だった。

「避けた!?」

 本来の装備、フォイエルアルムの気化爆薬攻撃なら絶対に外さない間合いだった。いや、ライフル砲でもこの距離で外れるわけがない。外れたことはなかった。

 ごく短い時間、オズワルドは龍を見失っていた。ライフル砲を撃ち、動揺のために叫び、そして被弾警報が表示されるまでの、たった一秒か二秒の間だった。

 左腕シュッツネーベル作動用の電力供給系が破損。駆動系にダメージなし。シュッツネーベルで自ら作った死角に回りこまれたのだと、オズワルドは損害表示から悟った。左側面に取り付いた龍は、オズワルドが体当たりをしかける前に、さらに砲弾をブルートフントに撃ち込む。今度は左の後ろ足が損害表示に加わり、結果、体当たりはオズワルドが意図したほどの勢いを得られなかった。龍は飛びすさって回避。そのままバロッグの中に身を隠す。肩透かしを食らったブルートフントは奇岩によりかかるようにして転倒を免れた。

「やるね。健闘賞じゃ不足みたいだ」

 機体の体勢を立て直しながら、オズワルドは口元に笑みを浮かべた。こういうとき、自分の目元が口元と違う感情を表現している事実をオズワルドは兄から聞いて知っている。だが、この顔を鏡の前でしたことがないために、いまだそれがどのような表情なのか知らずにいる。ただ、見た者の十中八九が恐怖を覚える顔だということだけは、自分の経験から判断できた。

「さっきみたいに気配を消すことはできないよ。君がこっちを見失ったって、ブルートフントは君の臭いを嗅ぎつけられるんだから」

 光学的には姿を捉えられず、レーダー波もまたバロッグの干渉によって用を為さないが、相対バルムンク反応は大まかながら龍の移動方向をオズワルドに教えてくれる。その行き先は、部下を差し向けた方向と同一だった。

「味方を助けようというんだね。でも、もう遅いかな」

 目標を捉えたブルートフントは、ちょうど足を怪我した獣のように、ぎこちない様子で前進を再開する。

「残ったサーバントは移動を停止しているんだ。それが何を意味するか、解答の選択肢はそう多くない」

 すでに向こうの龍は部下が拿捕している。もし違うとすれば、部下とサーバントのどちらかが、注意事項を守れなかったということだ。オズワルドは、自ら敵の真ん中に飛び込んでいく龍を、心底愚かだと思った。

 ダメージコントロールシステムの作動で、ブルートフントの足運びは一歩ごとに改善されていった。姿勢制御用の小型ロケットモータが、破損した脚への負荷を軽減するように自動で噴射され、四本の脚の連動も荷重の集中を避けて再調整される。オズワルドが戦場に到達するまでに、歩行の不自由はすっかり解消された。

「少尉。目標を拿捕しましたが、新手が出ました。岩陰に潜伏しています」

 そう知らせてきた部下は、乗機の火器を虚空へ向けて立ち往生している。その有様にオズワルドは唾棄(だき)したくなった。ブルートフントの被弾にも気づいた様子がない。

「十番機、目標がひとつ増えただけじゃないか。僕は意味のない報告が嫌いだ」

「は、申し訳ありません。しかし、サーバントが……」

 E12(エールヴェルフ)十番機のパイロットはその先を口ごもる。

 オズワルドは部下の言いたいことを理解した。七番機の向けた砲口の先には龍が倒れており、その龍にサーバント二体がしつこく鉤爪をつきたてている。どう見ても、新手の相手をしようという様子ではない。

「サーバントの自律回路は不完全だった。――あとでそう報告書に書けばいいだけのことじゃないか。サーバントがいなければ龍の一機も相手できないのかい、君たちは」

「い、いえ。しかしサーバントの行動が予測不能になった以上、不用意にこの場を離れて、拿捕した機体に逃げられては本も子も……」

「言い訳は大嫌いだ。拿捕した機体は僕が見ている。さあ、相手が逃げ出さないうちに捕まえて来るんだ」

 悲鳴のような返事を残して、七番機と十番機が林立する奇岩に向けて歩いていく。

 準備は整った。オズワルドは各種センサーの反応とカメラ映像を順繰りに見渡し、今か今かと待ち構える。

「このチャンスを見逃すはずはないよね」

 待つこと数分。龍に取り付いたサーバントは少しずつ破壊を進行させていたが、そのペースは遅々としていた。中のパイロットは気絶しているか、絶命しているのだろう。オズワルドがふとそんな想像をしていると、怠らずにチェックしていたセンサーに変化があった。レンジ外からサーバント二体が戻ってくる。さては追尾目標を見失って、すごすごと引き返してきたのだろう、とオズワルドは推測する。最初に捕捉していたもう一機の龍は、サーバントの追尾を撒(ま)いたということだ。

 そのサーバント二体の相対バルムンク反応が感知できるようになった頃、オズワルドの求める獲物はようやく姿を現した。龍の戻ってくるのが遅かったことからすると、部下は見積もりより的確に索敵を行ったらしいが、結局捕捉できないのなら役立たずに違いは無かった。価値のある獲物は、ひとりで狩るに限る。例外として認められる協力者は、兄たちのみだ。

 龍はまた、バルムンクフィールドの出力を絞って索敵の目を欺(あざむ)いていた。いや、具体的にはもっと高等なテクニックだった。出力をただ絞るのではなく、絞ったレベルのなかでさらに不規則な振幅を加えてやり、バロッグの揺らぎに紛れてきたのだ。実に高度な忍び足だが、しかし一般に通じる技ではない。この特異な環境でなければ、メリットはデメリットに掻(か)き消されるだろう。パイロットは、短時間でこの環境に対応して見せたのだ。

「さっきといい、なかなか面白いことをするね。でも、残念ながらタイミングが悪い。致命的にね」

 サーバント二体が戻ってきていることに、龍は気づけていないだろう。しかし、サーバントは龍を見逃さない。現に、傍らの二体も獲物への執拗な攻撃をやめ、不気味な眼であたりを見渡している。

 バロッグの中にうっすらとそのシルエットが判別できる距離に来て、龍が加速した。相対バルムンク反応がいっきに大きくなる。フィールド出力を通常レベルに戻したのだ。エントゼルトゾルダートからは気づかれないだろうが、それはサーバントに対しては、闘牛に向けて赤い旗を振るようなものだった。

 オズワルドはブルートフントのライフル砲、機関砲の照準を龍にセット。同様に龍も携えたライフル砲を構えて突き進んでくるが、そこへ横合いから飛び掛るものがあった。戻ってきたサーバントだ。龍はそのサーバントの接近に事前に気づいていたのか、体当たりをかわし、反撃に砲弾をお見舞いする。サーバントは腕の二本をそれで吹き飛ばされたが、ひるまず追いすがる。龍は構わず走ってきた。そこへもう一体も追いつき、龍を押さえ込もうとする。

「僕のところまで辿りつけるかな」

 オズワルドから見ればそれは滑稽な競走だった。サーバントは殴られようが撃たれようが龍を追う。龍はライフル砲に加えてミサイルまで使用したが、それもちょっとした足止めにしかならない。

 そうこうするうちに距離は狭まり、あと五十メートルというところで龍はサーバントに取り押さえられた。一体に足を、もう一体に火器を携えた腕を固められ、抵抗できないでいる。

「残念賞だね」

 動けない龍に向けて、オズワルドはブルートフントを前進させる。

 結局、傍らのサーバントは先の獲物にたかるばかりで次の獲物には向かわなかった。これは部下以上に役立たずかもしれないが、簡単に替えが利くところは捨てがたいとオズワルドは思う。

 二体のサーバントを背後に残し、もう二体のサーバントが捕らえた龍を見下ろす。パイロットを引きずり出す前に、機体の戦力価値を奪っておく必要をオズワルドは感じた。後ろで死体をついばむようにされている龍と同様に扱うのは危険だった。

 龍の頭脳の中心は文字通り頭部にある。そこをライフル砲で破壊しようと、オズワルドはブルートフントをさらに龍に近づけ、バルムンクフィールドを強制共有する。

 そのときだった。龍がバルムンクフィールドの出力を急上昇させ、同時にサーバントの拘束を振りほどいた。

「演技!? けど!」

 オズワルドは反撃の時間を与えず龍の頭を吹き飛ばそうとした。しかし、機体に何か大きな物が衝突し、砲口が目標をそれた状態で砲弾は放たれることになった。龍の上半身にしがみついていたサーバントが吹き飛び、ブルートフントもさらなる衝突を受けて転倒する。その隙に、龍はロケットエンジンの加速でサーバントを振り切り、ブルートフントの横をすり抜けていった。

 オズワルドはジャンプ用ロケットを援用し、ブルートフントをすぐに立ち上がらせた。そして気づく。ぶつかってきたのは、背後にいた二体のサーバントだったと。そして、先に拿捕した龍のもとには、あの龍だけが立っている。

 ブルートフントにぶつかってきた二体と、ふりほどかれた一体のサーバントは、オズワルドより先にその龍に殺到した。龍は倒された味方機のコクピットを調べているような様子だったが、サーバントたちが襲ってくるのを見て取ると、即座にライフル砲を三発放った。サーバントに対してではない。一発を龍の胸、それに両足首に一発ずつを撃ち込んだのだ。

「――あ」

 オズワルドは理解した。啓示軍(オフェンバーレナ)に対して攻撃しないはずのサーバントが、なぜあのように不可解な行動を取り、ブルートフントの邪魔をしたのかを。

 サーバントが接触する前にその場を離れ、龍は奇岩群に逃げ込む。砲弾を撃ち込まれた龍は放置されたが、サーバントたちは最早(もはや)それに興味を示さなかった。健在の三体は、揃って逃げた龍を追っていく。

「あいつ、もうこいつらの習性に気づいたんだ。そういうことなんだね。面白い、とても面白いよ。是非ともあいつの名前は確かめなくちゃいけない」

 オズワルドは愉快だった。ユプシロン龍王以外に、これほどオズワルドを苦戦させた機兵はいない。いや、機体性能を差し引いて考えれば、今まで最も楽しい相手かもしれない。もうアルベルト・ヴェーバーの命令などどうでもよかった。

 オズワルドは獲物を追った。屍のように倒れた龍には構わず、部下のことも放置して。

「狩りは終わっていないんだから」



- 4 -


 飛び散る火花。噴き出るガス。悶えるように暴走したその乗俑機は、三度目の放電でようやく動きを止めた。

 ――なんなのだ、これは。

 イルベチェフは撃破した敵を見下ろして、ますます自分の正気を疑いたくなった。乗俑機、そうでなければ無人のロボットのはずだが、この機体はどうも、動きが生々しい。龍王の動きにも同じ表現が当てはまるが、それはあくまで人間らしいという意味で適用される。対して、この機体の生々しさとは人間に近いという意味ではない。これの挙動は虫に近いのだ。

 まさか怪物というわけでもないだろうが……と、すぐさま否定する気でいた想像をイルベチェフは捨てきれなかった。化け物。特異なバロッグ。オルロフ。それらはいずれも、三年前のオムスクでキーワードとなった言葉ではなかったか。イルベチェフは、化け物の噂は真相の隠蔽のために流されたものだと思っていたが、あながちあの話は嘘ではなかったのかもしれない。

 ミヤス・マトゥモトフは何かを隠している。上官であり友である男。その彼が自分を騙してまで隠そうとしていた事実とは一体何なのか。今ここで起きていることとどう係わり合いがあるのか。いったん湧き出せば、疑問にはきりがない。

 そして、迫り来る敵の数もまた、きりがないように思えた。すでにイルベチェフたちは四体を機能停止させたが、また三体が近づいてくる。イルベチェフは動かなくなった敵から雷紫電を引き抜いた。

「このまま戦っていたら負けますよ、大尉。弾も電池も無限じゃないんだ」

 タマリアノフが荒い吐息とともに撤収を提案する。しかし、イルベチェフは即答しかねた。タマリアノフの判断は正しいが、この場所を離れると再会が難しくなる人物がいた。

「隊長、北西から味方機が接近中。機兵。数、二」

 ジーナの報告は、イルベチェフに期待を抱かせた。

「黒龍隊か!?」

「不明。――前言を撤回します。あれは黒龍隊ではありません」

「どうしてわかるんだ、ジーナ」

 タマリアノフの挟んだ疑問は、イルベチェフが舌を動かす労を省いた。対するジーナの答えは早く、そして短い。

「龍王がいるからよ」

 イルベチェフは自分の目でそれを確かめた。遠目にも龍王とわかる。両肩のスレイプニルロケットが特徴的な肆番機。三日前、イルベチェフらの窮地を救った機体だった。

「ハラショー。助かった」

 タマリアノフは快哉を上げたが、イルベチェフは気を緩められなかった。

「ユリウス、ジーナ、龍王を援護するぞ」

 イルベチェフは龍王に向かって乗機を駆けさせる。ジーナの龍も即座にそれに続くが、タマリアノフ機はモンスター型乗俑機に向かったまま動かない。

「そいつらの相手はあとだ。龍王の後ろを見ろ、ユリウス」

「後ろって……。ニハラショー。なんてことだ」

 龍王とその僚機の後方に、別の影が見えていた。相対バルムンク反応にも感あり。おそらく機兵、しかし波形識別がデータバンクのあらゆるパターンと合致しない。

「新型でしょうか」

「あの龍王が逃げに回っているんだ。新しいかは別として、危険なのは確かだ」

 接近するイルベチェフに気づいたのか、龍王は進路を変えて近づいてくる。後ろの龍もそれに続くかに見えたが、その龍はそこで背後をふりかえった。火縄を構える様子を見て、イルベチェフはそれが追跡者への牽制だと気づいたが、その直後にまずいと思った。うっすらと輪郭が見て取れる距離に迫った敵機。見たことのない機兵のその色は、赤。

 全速で突撃したイルベチェフと、一直線に逃げてくる龍王とがすれ違ったとき、その背後の龍はもう地面に倒れていた。歯を食いしばり、イルベチェフは雷紫電をふりかざす。大きな刀で龍を切り伏せた赤い機兵は、まるで鎧でも纏(まと)ったような姿をしており、強大なオーラを発しているように見えた。

 ――敵(かな)うのか。

 イルベチェフは自問したが、それは決して躊躇ではなかった。龍の雷紫電と赤い機兵の大刀とが、同時に互いを襲う。

 リーチで勝る雷紫電の突きは、大刀よりも先に相手に到達した。しかし槍先は装甲に斜めに当たって弾かれ、画面越しのイルベチェフの視界に赤熱した刀身が迫る。イルベチェフ機は紙一重で頭部への斬撃をかわしたが、直後に衝撃が走る。肩口に損傷。左腕作動不能。

「大尉、離れて!」

 ジーナの叫びを聞き、イルベチェフは横跳びで離脱を図った。食い込んだままの発熱刀がイルベチェフ機から左腕を奪う。敵はその場に立ったまま。開けたその正面にジーナ機が踏み込み、大刀の間合い直前で停止、ロケットランチャー「火筒(ほづつ)」を発砲。敵機は避けない。ただ、左腕を胸の前に回した。そこには円形の盾が装備されている。

 爆発。声を掛け合うまでもなく、イルベチェフとジーナは最大速度で左右に散った。

 赤い機体。サブカラーは藍。大胆なその戦法。それらから、相手がE12(エーツヴェルフ)のエースであるのは明白だった。さらに加えて、盾の存在。運動性を重んじる機兵には似つかわしくない装備だが、三日前にイルベチェフらはその盾の防御力を見せつけられていた。変則領域により攻撃を無効化する、ほぼ無敵の盾。調子に乗って追撃など試みれば、反撃で屠(ほふ)られる。

 ジーナ機と線対称の弧を描いて転回すると、後続のタマリアノフは龍王とともに化け物ロボットの新手を相手していた。苦戦はしていないが、余裕綽々(しゃくしゃく)でもない。実際、タマリアノフは敵に背後を取られた。

「ユリウス、当たるなよ!」

 イルベチェフ機の突き出した雷紫電が化け物ロボットを串刺しにし、胴体を貫いた先端がタマリアノフの龍をかすめる。同時に至近で発砲音。ジーナが追撃機に牽制射撃を行ったようだ。

 近づいてきた奇怪な小型機をすべて退け、龍王と龍三機が背を向け合って死角をカバーする態勢を取る。損害の多さのためか小型機は接近をためらう様子を見せていたが、例の赤い機体はイルベチェフらを品定めするようにゆっくりと歩み寄ってきていた。

「どうします!? もうあいつを待っている余裕はないですよ」

「わかっている。だが、龍王の僚機も助けたい」

 さきほど敵に倒された龍は、まだ起き上がらない。龍が動けないのか、パイロットが動けないのかはわからない。果たして片腕を失った機体であのパイロットの救出までこなせるのか、イルベチェフは機体ダメージを確認しようとした。一瞬だけ注視点を動かしたその目は、いつからか受信していたテキストメッセージに気づく。

<離脱スル。援護セヨ>

 イルベチェフの隊では、そしておそらく殆(ほとん)どの機兵部隊では、気づきにくいテキストメッセージで戦闘中の意思疎通を図ることはない。送信元のサインを見ると、思ったとおり龍王だった。

<離脱スル。援護セヨ。脱落機ハ放置スル>

 ――本当に人が乗っているのか、龍王には。

 浮かんできた疑念が、そう的外れな発想でもないようにイルベチェフには思えた。敵が化け物のなりをした無人機なら、化け物じみた味方機が無人機でもおかしくない、と。その逡巡の時間さえ龍王にはもどかしかったのか、あるいは端(はな)からイルベチェフらに異存などあろうはずもないと考えていたのか、龍王は応答を待たずにフォーメーションを崩し、走り出した。異形の乗俑機たちがそれに反応して動く。

「大尉!」

「わかっている! 龍王を護衛だ!」

 吐き捨てるように部下に答え、一方イルベチェフは内心で、斃(たお)れた味方機のパイロットに詫びていた。



- 5 -


 獲物を追って、オズワルドはだいぶ南まで来ていた。

 ブルートフントに先行して獲物を追っていたサーバントたちは、途中で一体が大破して脱落したが、残る二体が執拗に龍に食いついていた。光点で確認していたその動きが、RBRセンサーの反応とともに停止したのは、つい今しがたのことだ。

BFGを敢えて停止させたのかな」

 龍はおそらく、死んだふりをしているのだ。バロッグの光学干渉は南下とともに弱くなっており、もはやバルムンクフィールドなしでも機兵の稼動に支障はないだろう。問題は他の兵器の恰好の的(まと)になるということだが、ミサイルどころか一切の火器を持たないサーバントの相手には、むしろBFGを停止させたほうが有利といえる。

「でも、それは僕相手には命取りだ」

 バロッグの薄まっている今、ライフル砲や対戦車ミサイルを装備するブルートフントの優位性は圧倒的に高まっている。あの利口な獲物が、奇岩や起伏を利用して身を隠していなければ、もう龍の両手両足は胴体から引きちぎられていただろう。

「よく逃げたけどね、そろそろゲームオーバーだよ、君」

 ――所詮、龍などはせいぜいこの程度の脅威でしかない。アルベルト・ヴェーバーの警戒は過度のものだったのだ。

 ゲームのクリアを目前にして、オズワルドはそのことに一抹の寂しさを覚える。このまま"壁"の中に獲物を持ち帰れば、それで任務らしい任務は終了となるだろう。シュッツネーベルさえ破れない敵が、"壁"を突破できるはずがなく、故にこれが今回最後の狩りになるのは明白なのだ。

「いや、最後にこれだけ楽しませてくれた君に感謝すべきかな」

 オズワルドは笑って、武装から対戦車ミサイルを選択。目標未設定のままトリガーを引いた。ミサイルは行く手の奇岩を飛び越えて、子弾を放出。上空で散らばった子弾が目標を自動検知する間に、ブルートフントもその奇岩を踏み越える。――目標を事前設定していない子弾は追尾が確実ではない。そちらは囮だった。

「ビンゴ」

 広がった眼下の視界には、二体のサーバントが斃れており、そのそばで龍が呆けたように空を――迫り来るミサイルを見上げていた。今まで巧みに地形でその身を遮蔽していた龍が、ついに無防備な姿を曝(さら)け出したのだ。オートロックオン。オズワルドはライフル砲のトリガーを引く。

 激しい衝撃。子弾が次々と爆発し、あたりを煙で覆う。

「どうして!?」

 着地した時点で、オズワルドは何が起きたのかわからなかった。龍を戦闘不能にするはずだった右腕が、逆に砲弾を受けて肩から脱落している。龍から攻撃を受けたはずはない。あの龍は、残った唯一の火器であるミサイルを逃走中に撃ち尽くしていた。

 茫然と煙幕を見つめるオズワルドの前に、白い靄が発生する。シュッツネーベルの自動作動。直後にそこへ砲弾が飛来し、シュッツネーベルがそれを防いだ。しかし二発、三発、四発と、敵弾は煙幕を突き破り、続けざまに襲い掛かってくる。五発目を受け止めると同時に、エネルギー切れを警告するメッセージが表示され、六発目でシュッツネーベル発生器であった左手が吹き飛ばされた。

「ありえない! ありえない! 狩りをしていたのは僕だ! 罠にはまったのは僕じゃない! 僕じゃないはずだ!」

 オズワルドは絶叫する。しかしブルートフントのセンサーは、晴れゆく煙の向こうに明確に敵車輛部隊の姿を捉えていた。バロッグの濃度低下は、ブルートフントの火器を有効にする以上に、敵戦車部隊の火力優位を保証している。自分に勝ち目がなくなったことを、オズワルドの理性の部分が理解した。

「この教訓の対価は払う! 絶対にね!」

 残った火器を一斉発射するとともに、オズワルドは後退して、さきほど突き抜けてきた奇岩群に飛び込んだ。

 ――自分は負けたのだ。

 歯を食いしばった口内に、甘い血の味が広がっていた。


*   *   *   *   *


「目標の撤退を確認した。追撃の必要は?」

「あの地形に踏み入るのは危険でしょうね。判断は少佐にお任せしますが」

「では、先を急ごう。――あの機体との接触は情報部に任せる」

「了解しました。ウェダム少佐」

 通信機をベルトのラックに戻し、安文俊は砂塵の向こうの機兵を見やった。戦車部隊の砲撃を伏せてかわしていた龍が、起き上がってこちらへ歩き出している。

 その一帯に幾つか散らばったはずの不発弾が怖いので、安はしばらくその場で龍の歩みを見守っていたが、龍が近くに来て腰を下ろすと、駆け足でそこに向かった。戦車隊の者には、ついて来ないよう制止する。足にはちょっとした自信がある安は、その龍のコクピットハッチが解放されるときには、もうそのそばに到達して息を整えていた。

「助かった」

 龍から降りて来たパイロットは、待ち受けていた安文俊に対して儀礼的に微笑むと、握手を求めてきた。安はそれに応えながら、苦笑する。

「いえいえ、礼には及びません。しかし、こちらに逃げてきたのは幸運でしたよ。我々は偶然ここを通っただけなのですから」

「それは本当に、運が良かった」

 そこで本当の微笑を見せたそのパイロットは、かぶっていたヘルメットを重苦しそうに脱いだ。素顔を隠すものがなくなったパイロットの顔を見上げ、安は虚を衝(つ)かれた。――知っている顔だ。今まさに従事している任務のために、安は事前に六十人余の顔と名前を記憶するよう努めた。そのリストの中で、たしかに覚えようと何度も見返した顔が、眼前にある。

 固まった安の表情を見て怪訝(けげん)そうにするパイロット。その顔の醸し出した、安の語彙では表現しにくい微妙な雰囲気が、安にその名を思い出させてくれた。

「あなたは黒龍隊の……」

 安は記憶から引き出した名を口にする。パイロットは自分の名が知られていたことに驚いたようだったが、ややあってから首を横にふった。

「たしかにそれは俺の名だが、今はその身分じゃない」

 それは写真で記憶していたのと同じ形でありながら、しかし別人を思わせる顔だった。



- 6 -


「長野中尉の雷麒麟が戻って来るぞ! ゲート開けろ!」

 夏明仁(シャー・ミンレン)の掛け声で、格納庫内が急に慌(あわただ)しくなる。数人がゲート開放のために走る一方、雷麒麟収容の場所を空けるべく、作業台の移動が一斉に始まった。矢俣が属したのは後者で、目につく端(はし)からあれをどけろ、これをどけろと指示を出す。もっとも、矢俣の身分では指示のあとに自らも移動作業に加勢しなければならなかったが。

 機兵を二機収容できるとはいえ、猿之門の大格納庫に比べるとここはずいぶん狭い。そんな場所で、しかも雷麒麟が出動中の短い時間でも龍の整備を行えというのは、北嶋の指示だった。西フェルガナ基地での戦闘以来、まともな設備のもとで整備や修繕を行えるのは初めてのことなので、この時間がいかに大事かは、矢俣だけでなく整備班全員が理解している。だから冗談めかしの不平だけで収まっているのだ。

「でもあの中尉はな……」

 雷麒麟の整備担当に指名されてしまった矢俣は溜め息をつく。何に腹を立てているのか知らないが、あの士官はいつも不機嫌だ。しかも、雷麒麟に必要以上触れるな云々(うんぬん)とうるさい。

 たしかに雷麒麟には、大腿部の推力発生装置エアインパルサーや、龍王のものと換装された右手、龍と配置の異なるコクピットなど、勝手のわからぬ矢俣らには下手にいじれない部分が多い。矢俣たちが手伝っているのは、龍と仕様の大差ない箇所や、その他の経験と知識の応用で対応できる部分に限られている。コクピットに入っての作業などは、覗(のぞ)き込むことさえ許されていない。

 警戒されているのだとはわかっている。だが結局のところ、外見同様に自制心が子供のままなのが問題だと矢俣は思うのである。もっとも、陰口でもそれを口に出すへまはやらない。壁に耳あり、だ。

 ふりかえると、開いていくゲートの隙間から、もう雷麒麟の姿が見えていた。少々被弾しているようだが、心配が必要な傷ではないように見える。それより矢俣の目を引いたのは、雷麒麟の左手が人間を掴んでいることのほうだった。

「捕虜か?」

 いつの間にか隣に来ていたパイロットの群山が、同じく雷麒麟の左手に焦点をあわせていた。

「いや、よく見えないんでわかりませんけど。何かと交戦してきたのは確かですね」

 何か、と口にして、矢俣はまさかそれが友軍機ではなかろうかと想像する。ありえないことではない。黒龍隊が友軍の一部勢力から狙われているという長野の主張に、物的証拠は何もないのだ。江藤不在により再び隊長代理となった北嶋は、長野の言に信用を置いているが、矢俣はそれに倣(なら)うことができない。

そして矢俣の疑念は、やがて雷麒麟の掌中の人影が識別できるようになって、一段と深まった。

「あれ、南田曹長だ……」


*   *   *   *   *


 目を覚ました南田は、最初に李峰國(リー・フェングォ)の顔を視界いっぱいに捉えることになった。短く悲鳴を上げて毛布を抱きしめる。――南田は、毛布をかぶせられて寝かせられていた。

「ほらね、やっぱりもう気がついたみたい」

 遠のいた峰國の顔が、後ろに向かって南田の覚醒を報せる。視線をそちらに向けると、北嶋、矢俣ら数人の姿があった。

「君がつついて起こしたんじゃないだろうね、峰國くん」

「まさか。つつく前から竜時は起きてましたよ」

 嘘だ、そんな記憶はない、と北嶋に訴えようとしたが、北嶋のそばに見知らぬ人物を発見し、その言葉はどこかに消え去る。

「無事でよかった。機体のほうは朝井くんたちが回収に行っている」

 笑顔を見せる北嶋に対し、その脇の見知らぬ男は、面白くなさそうな顔を変えないでいる。背が低いこともあってか、その表情はまるで子供のようだった。

 ――子供のような男。

 南田は江藤の言葉を思い出した。そして、気絶することになった戦闘の前に、自分たちに火縄を向けた雷麒麟を見たことも。

「あなたが長野中尉ですか」

 少なからず敵意をむき出しにしてしまった自覚はあったが、取り繕う必要を南田は感じなかった。

「ああ。――君とは昨日も会っていたらしいな、南田竜時曹長。機兵に乗ってのことだけれど」

「なぜ援護してくれなかったんです。ましてや、火縄を向けてくるなんて」

 上体を起こしながら、南田は憤りを顕にして長野に問い詰める。周囲の視線が南田と長野のふたりに集中した。

「必要な対応だった」

「馬鹿な、あの距離で友軍機を識別できないはずがない! それともあの雷麒麟のカメラはそんなに性能が悪いのか!」

 跳ね上がる勢いでまくし立てる南田の肩に、峰國が手を置いた。

「まあまあ、落ち着けよ竜時」

「これで落ち着いていられるか! 俺は敵に襲われて大変な目に……」

「それで擱座していた龍の中から竜時を引っこ抜いてきたのは、中尉なんだぜ」

「え?」

「実は俺と朝井も昨日あの化け物に襲われてさ、そこへ加勢してくれたのが中尉だった。なんでも中尉は、前からあれを知っているらしい。それで今、俺たちは中尉にここから生還するための作戦指揮を執ってもらっている」

「中尉に黒龍隊の指揮をさせているって?」

 本当なのかと、目で北嶋に問いかける。北嶋は峰國の説明を肯定した。

「特別規定第一〇号を利用してね。私の権限で中尉を黒龍隊に臨時編入したんだ」

「すると中尉は今、俺の上官ということですね」

 言いながら、南田は寝かされていたベッド代わりの台から立ち上がり、長野を見据える。

「では上官殿にお聞きしますが、黒龍隊を無事脱出させるためといいながら、あなたはその黒龍隊の龍を見殺しにするのを厭(いと)わないのですか?」

「黒龍隊の龍であるかどうか、確証を得られる状況じゃなかった。現に、午前中に別部隊の龍が現れていたしね」

 そう答える長野に、詫びる様子は一切ない。南田は拳を握りしめた。

「その別の部隊の龍にも、火縄を向けたんですか」

「ああ。追い払った」

「いったい何のために」

「李曹長が言っただろう。黒龍隊を無事にここから帰すためだ」

 長野の口が閉じるか否かの瞬間に、南田は拳を壁に叩きつけていた。

「話にならない。――大尉。長野中尉は影龍と行動を共にしていたんですよ。反逆者である応龍隊に協力した人間を信用するなんて」

 明らかに判断ミスだ、と言おうとしたが、そこへ長野が「なら」と割って入った。

「――なら、代わりに周富窪(チョウ・フーワー)でも信用するというのか、君は」

「なぜ、あいつのことを」

「あれは肩書きどおりの軍人じゃないぞ。二ヵ月前、俺が初めてあの化け物に出くわしたときも、奴はその場にいた。君らも外側は見ただろう。そこというのは、GT72鉱山基地のことだ。俺たちは奴に誘導されてあの場所へ行き、そして、生還したのは俺だけだった。――そう、てっきりあの男も死んだものかと思っていた。よもやそれが生きていて、また別の人間をはめようとしているとはね」

「あいつがそんなことを?」

 南田は驚きを隠せなかった。周富窪が自称と違う目的を持って行動していることには勘付いていたが、そんな血なまぐさい事件を引き起こすほどの者とは考えていなかったからだ。顔を向けると、峰國は「わからない」と仕草で答え、北嶋は「そうらしい」と言葉を紡いだ。

「実は、彼がどこかの派閥の思惑で送り込まれた工作員であることは、本人が認めていたことだ。素性をすべて明かしてはいなかったけれどね。それを知った上で、江藤はこの場所で、富窪が手配した救援部隊と落ち合う予定だった。周富窪は黒龍隊にとって有益な工作員だと江藤は信じたんだよ。しかし、長野中尉の経験を知識として得た私には、江藤と同じ結論を選んで黒龍隊を危険に晒すことなどできない」

「じゃあ、富窪は今……」

 その問いには長野が答えた。

「妙なことをしないように、それなりの処置をしてあるよ。午前中に現れた連中は、どうも奴が呼び込んだ部隊のようだったし、外部とコンタクトなんて取られると厄介だからね。しかし、この場所が知られているとわかった以上、長居は無用だ。さっさと東に移動したほうがいいだろう。増援を呼ばれちゃここの戦力じゃ対処できないし、例の敵がすぐ近くまで迫ってきたこともある。そして、ちょうど江藤少佐からの使いも来た」

 長野は沈黙でもって南田の発言を促す。南田はひとつ息を吸って、吐いた。

「たしかに、俺が少佐から受けた命令は、黒龍隊を呼びに行くことでした。でも、その任を担っていたのは俺ひとりじゃない。久留正弘も一緒だった。それと戦闘中にはぐれることになったのは、いったい誰のせいですか」

「そう言うけどね、曹長。エントゼルトゾルダートを撃破して、行動不能の龍から君を救出したのは、俺なんだぜ。それから、俺が襲ったとき連中は明らかに索敵中だった。するとそのお仲間も奴らから逃げおおせたと考えていいだろう。ずいぶんと幸運なことじゃないか」

 南田は反駁(はんばく)しようと口を開くが、頭に血が上ったのか言葉が浮かんでこない。

「中尉。久留伍長が合流できなかったことは我々にとって大変遺憾なことだ。口が過ぎるぞ」

 滅多に聞くことのない、北嶋の厳しい口調。江藤をたしなめるときの比ではない。さすがに長野も気圧されたように黙り込んだ。

「江藤が向こうに腰を落ち着けたのなら、好都合だ。久留くんの捜索と、竜時くんの龍の回収、修理が終わり次第、出発する。竜時くんからはあとで昨日からの経過報告をしてもらうけれど、今はまだ休んでおきなさい」

「はい。ありがとうございます、大尉」

「では各自、持ち場に戻ってくれ。それから、ここの備品で使えるものも選別して、積み込みを始めておくように」

 了解、の声が重なり、部屋に来ていた数人が次々に出て行く。そして北嶋も退室したあと、峰國だけがまだ残っていた。

「付き添いはいいよ。行ってくれ、峰國。――それともサボりたいのか?」

「ばれたか」

 峰國は破顔したが、すぐにいつもの表情に戻る。いや、平静からしてとぼけた顔をしているから、今の顔は幾分神妙な部類に入った。

「なあ竜時。久留とはどういうふうにはぐれたんだ?」

 思いついたように切り出した峰國だったが、おそらくそれが訊きたくて残ったのだろう。南田は記憶の糸を辿る。

「例の怪しげな敵に襲われて、戦いやすい奇岩群に逃げ込んだんだ。相手の数が多かったから、必死で戦っているうちに、気づいたら久留の龍がいなくなってた。そのあと俺はエントゼルトゾルダートに負けたんだが……。そこからは、気を失って覚えていない。転倒の拍子に気絶したのかな。よく命をとられなかったもんだと思うよ。長野中尉の言い方と同じで癪(しゃく)だが、幸運だったのかもしれない」

 それを聞いた峰國は何事か思案する顔になった。

「ただの幸運なのかなぁ。案外、久留が敵の注意を引いてくれたのかもよ」

「そうかもな。だとしたら、礼を言うためにも久留には早く見つかってもらわないといけない」

「だな。――うわ、痛い、痛い!」

 突然、峰國が悲鳴を上げた。片足を抱えて跳びはねる峰國の足元を、走り抜けるものがある。

「噛み癖がついたんじゃないか?」

 いつの間に侵入したものか、部屋を駆け回るゴン太を指して、南田は笑う。

「とほほ、俺ばっかりだよ。昨日の夜までは死んだように寝てたくせに。こいつめ」

 峰國はゴン太を捕まえて抱え上げる。当然と言うか、ゴン太の顔には叱られたという自覚の片鱗も見えなかった。

「死んだように? それ大丈夫なのか?」

「さあ。俺と朝井が隊長と竜時を探しに出ている間に、急に倒れるように眠り込んだらしいよ。獣医の心得なんて誰もないから、原因なんて不明さ。つついても起きないから、普通じゃないなとは心配してたけど、今朝起きてみたら急に元気になってた。――というか、こいつに腹の上ではしゃがれて、それで起こされたんだけどさ。寝たの遅かったのに」

 峰國は渋い顔をするが、思い出したようにふき出した。

「そうそう、こいつ起動した雷麒麟のまわりとか上とかを駆け回ってさ。捕まえようとする長野中尉を困らせてたよ。あれは愉快だったな」

「そりゃ見ものだったろうな」

 ふたりで声を立て笑っていると、峰國の腕からするりとゴン太が抜け出した。

「わっと、あいつめ。――じゃあ、俺のサボりタイムは終了ということで。もう行くよ」

「ああ」

 峰國とゴン太がいなくなり、部屋は静かになった。今更のように打撲による鈍痛を体の数箇所に自覚した南田は、毛布の上に寝転んで体を休める。

「さすがに疲れた」

 また見慣れない天井を見上げている自分に南田は気づく。そして、帰るべき猿之門の兵舎の天井を思い出そうとしたが、それは脳の徒労に終わった。

「もう、随分と昔のことみたいだ」



- 7 -


 龍の足下に腰を下ろしていたイルベチェフは、しばらく前から周囲の視線を感じていた。実際、自分でも場違いな所に来てしまったと思うが、大勢から遠目にじろじろと見られるのは想像以上に心地よくなかった。自意識過剰ではなく、見られているのは自分に間違いないだろう。もともと機兵を擁していた部隊だけに、龍が珍しいはずはない。

「予定外のことが重なりましたね。まさか元老院派の群れの中で補給を受けることになるなんて」

 コーヒーを持ってきてくれたジーナに、イルベチェフは頷く。龍王を助けたイルベチェフたちは、結局そのまま龍王の巣までついてきてしまった。当初の予定では、SMITS(スミッツ)などという元老院の直下組織との接触は避けるはずだった。

「ニューラは羨ましがるだろうな。暖炉の谷の外周を半分強、回ったことになる」

「そうですね。もっとも、ニューラならこの雰囲気には耐えられないでしょうけど」

「だろうな。その点については、ユリウスくらい鈍感のほうが本人は幸せかもしれない」

 イルベチェフは視線を横に転じ、龍の脇腹に充電ケーブルを差し込んでいるタマリアノフの背中を見る。この環境で何も感じないとは、それこそ羨ましい。

 そもそもの派閥としての性質が違うゆえに、北熊(セヴェルメドヴェーチ)議会派と違って元老院派と真っ向から対立してはいない。その点については元老院派と北熊に見解の相違はないと見ていい。問題なのは、龍王の随伴機が一機も帰還していないということだった。イルベチェフらを見る彼ら元老院派の視線、とくに幹部クラスの視線を見る限り、龍王を連れ帰ってくれたという好意的解釈をしている者は少数のようだ。身内がやられたのに余所(よそ)者が紛れ込んできた、と彼らの顔が語っている。そういう視線も数人分なら耐えられるが、こうまで数が多いとさすがにイルベチェフも滅入る。ジーナもそのへんはタフな女性だが、この状況には閉口している。

 イルベチェフたちはここで半ば放置状態である。向こうとしても扱いに苦慮していることだろう。龍王を連れてここまで来る途中でわかったが、議会派の部隊は包囲部隊への参加を拒否され、締め出しを食らっているようだった。したがって、この包囲部隊の中心は、元老院派以外の部隊が入ってくることを想定していない。龍の補給用に電源を使うのは許可されたので、一本の充電ケーブルを順繰りに使っていたのだが、それももう最後のタマリアノフの番まで回っている。そこまで待っても、対応が決定されないらしい。

「何の沙汰もありませんね。補給が済み次第、本来の任務に戻りますか?」

「――そのことだが、ジーナ」

「わかっています。彼のことはここでは漏らしません」

「それ、ユリウスにも注意しておいてくれよ」

 飲み干したコーヒーのカップを地面に置き、イルベチェフは立ち上がる。ひとりの士官がまっすぐに向かってきていた。喧嘩を売りに来たというふうではない。

「お呼びのようだな。俺だけか?」

 やってきた少尉に尋ねると、相手は硬い動きで敬礼をしてから答えた。

「はっ。マヒロフスキー司令が、大尉殿に作戦会議に出席願いたいと仰っています」

「わかった。行こう」


*   *   *   *   *


「――このように、啓示軍(オフェンバーレナ)の自律兵器部隊は"壁"周辺を警護するように行動しています。現時点までにまとめられた目撃報告と交戦時の歩行速度から見積もったところ、稼働数は最低で五十。先ほど説明したようにユニットのサイズにはばらつきがあり、最も大きな、乗俑機乙種を超えるサイズのものも、三体が確認されました。このクラスのユニットは歩兵の装備では撃破が困難であり、通常領域までおびきよせたうえで戦車に狙撃させるか、機兵を遊撃に当たらせて対処する必要があります」

 星や線の多い階級章が連なる中、その末席でRAT(ラット)情報士官の報告を聞くイルベチェフは、すこぶる居心地が悪かった。それは周りが佐官だらけであるばかりでなく、元老院派でない自分がRATの情報提供を受けているということも要因として大きい。元老院派とRATが数十人の死傷者を出して得た情報を、無関係のイルベチェフが聞いてしまっているのだ。これはあとからとんでもない要求を突きつけられるのではないかと、イルベチェフは自分をここに出席させた責任者を見やる。

 アカスティン・マヒロフスキー大佐。この男が元老院派であるというのは、北熊(セヴェルメドヴェーチ)の中では未確定情報だった。人事や資金の流れを追った結果から、元老院との密接な関係が予想はされていたのだが、はっきりとした証拠は挙がらず、なによりマヒロフスキーの気質が他の元老院派とは大きく異なったために、グレーゾーンに分類されていた。それが実際に元老院派のまとめ役をやっているところを目の当たりにしても、やはりイルベチェフは合点がいかない。猛将といえば聞こえはいいが、気配りやら政治的配慮やらには明らかに疎い人物なのだ。

 イルベチェフがマヒロフスキーの横顔を眺めているあいだも、プロジェクターはよく整理された資料を次々と映し出し、RATの女性士官の口からはさまざまな補足説明がなされていく。

「また、四時間以内の最新の情報によれば、啓示軍に注目すべき戦術の変化があったようです。"壁"出現後、啓示軍は自律兵器部隊の投入と前後して機兵部隊を後退させ、以後十六時間、敵機兵の目撃例はありませんでした。しかし今から四時間前を境に、この自律兵器部隊がエントゼルトゾルダートとともに行動するようになりました。先に自立兵器部隊が単独で行動していたことを考慮すると、これは啓示軍の作戦目的が単純な戦力駆逐から変更され、人間の判断が必要な内容に移行した結果だと推測されます」

 そこで挙手があり、解説はいったん途切れる。

「それは具体的にどういう目的だろうか。我々のような部隊指揮官をピンポイントで狙ってくるということか」

「現時点で、その可能性を否定するデータはありません。ですが、より可能性が高いのは、啓示軍がこちらの機兵部隊への警戒を強めたということです。現に、機兵を伴わない偵察部隊がほぼ無傷で帰還したのに対し、機兵を伴った部隊は執拗な攻撃に遭い、いずれも壊滅状態です。これは先刻帰還した龍王の作戦記録からも明らかです」

「それについてだが、龍王が随伴機をすべて失ったというのは、本当かね」

「龍王とともに"壁"突破を試みた四機の龍は、いずれもまだ帰還していません。特にこのうち二機については、敵の攻撃により戦闘不能になったことが龍王の映像記録により確認されています。第一〇四機械化歩兵師団からの援軍が居合わせなければ、龍王自体の帰還も危ぶまれる状況でした」

 RATの女性士官から自分の所属する師団の名をあげられ、イルベチェフは背中を背もたれから浮かす。マヒロフスキーが横目でイルベチェフを見ると、思った通り、数人がそれに倣った。適当に会釈すると、あとは無表情を努めてプロジェクターの映像に見入る。

 壮年の中佐からの質問にすべて答えたRAT女性士官は、話を元に戻した。

「戦術の変化との関連は不明ですが、新型の機兵も確認されています」

 プロジェクターが、赤と藍で彩られた鎧姿の機兵の姿を投影する。

「これは龍王の迎撃に現れた機体です。ご覧のように、明らかにゾルダートシリーズとは系統が異なり、むしろノイエトーター、いわゆる"人形"との類似性が見られます。基本的な戦闘能力はトロイパペゾルダートに準ずる程度かと推定されますが、この機体の最大の特徴は、この盾のようなモジュールにより "壁"と近い性質の変則領域を発生させ、機兵用ロケット弾の直撃さえ防御することです。同様の装備は第十二機兵戦隊(エスカドローン)の一部の機体にも確認されていましたが、性能はそれよりも向上しているようです」

 盾の表面に靄が発生し、それが被弾によるダメージを完全に防ぎきる様子が動画で表示される。イルベチェフは二度それを戦場で目の当たりにしたが、スローモーションでその現象を確認したのは初めてだった。気づけばイルベチェフは歯のかみ合いに力が入っている。――この防御装備に対して予備知識があれば、三日前ニューラを負傷させることはなかったかもしれない。

「この独特の機体塗装とエンブレムに共通点があることから、龍王の迎撃に当たったのは第十二機兵戦隊と推定されます。第六機兵戦隊にもパーソナルカラーで塗られた機兵がありますが、こちらは"壁"出現後は未確認です。――RATから提供できる情報はこれですべてです」

 女性士官は始終無表情のまま、姿を消した。代わってマヒロフスキーが立ち上がる。背は高くないが、筋骨は逞(たくま)しい。その点ではイルベチェフと同類だったが、体格のわりに顎のとがった顔がマヒロフスキーの特徴で、そこはイルベチェフとは異なる。

「二個機兵戦隊が敵の主力と見て包囲を敷いた我々にとって、いわゆる"ベルリンの壁"が発生したことと、謎の自律兵器部隊が現れたことは完全に想定外の出来事だった。戦闘損耗と変則領域の効果により今や地上正面戦力の六割が無力化し、周知のとおり航空戦力は"壁"の観測以外に用を為さなくなっている。また、このような事態にそなえてSMITSから借り受けた機兵部隊は龍王を除き全滅し、正規軍登録の龍も大半が戦闘力を失った」

 マヒロフスキーが改めて口にした損害状況は、臨席の指揮官たちの顔を暗く、あるいは憤りで赤くさせる。

「元老院から要求された攻略期限は明日。しかし、それに必要な戦力が不足しているのは否めまい。そこで私は、利害を同じくする者に協力を求めたいと思う。――どうだろうか、カネジュ・イルベチェフ大尉」

 発言の流れから嫌な予感はしていたイルベチェフだったが、名指しされてしまっては、講じていた回避策もすべて無効になった。諦めて立ち上がる。

「即答するには問いが不明瞭ですね。利害の一致とは、何を指すのでしょうか」

 相手はこちらが北熊の意向で動いているとは知らないはず。イルベチェフはそう考えて、向こうが自分をどう捉えているか様子を見ようとした。するとその意図を見透かしたかのように、マヒロフスキーは笑う。

「オルロフの奪還だ。――知っているだろう。北熊と元老院がともに追っているオブジェクトであり、あの"壁"を現出せしめた存在」

「オルロフというと、あの豪勢なダイアモンドのことで?」

「とぼける必要はないぞ、大尉。北熊が貴官らと別に動かしていた部隊は、暖炉の谷北面で我々が抑えさせてもらった。もちろん、その装備を見れば目的も知れたよ。同じ穴の狢(むじな)に、小手先の偽装など無意味だ」

 連携して動いていたダスマ中将がしくじったことを、イルベチェフは知った。

「オルロフを奪還すれば、あの"壁"は消える。先月から我々を悩ませている広域のバロッグも同様だ。あれらさえなくなれば、啓示軍の掃討は時間の問題となる。なにより、タシケントの同胞を早く助け出したくはないか、大尉」

 力説するマヒロフスキーの言葉は、過日タシケントで聞いた金星也(キム・ソンヤ)と似た内容でありながら、イルベチェフの頭の中で明らかに違う反響音を鳴らす。金星也の言葉は、イルベチェフを好条件の契約のもとで使役するという姿勢だった。しかしマヒロフスキーは、同じ現場の指揮官として、共同戦線の利を説いている。肌に合うのは、今耳にしている後者のほうだった。

「仮に……」

 自信に満ちた調子のマヒロフスキーを遮って、イルベチェフは口を挟む。

「仮に私の隊の協力でオルロフの奪還が成ったとして、司令はそれをどう扱うおつもりか」

「うまくいけば、あの力を我々のものとすることもできるだろう。そうなればこの戦争の終結が半年は早まるな」

「その"我々"というのは、こちらにお集まりの元老院派の方々だけを指しているのでは?」

 イルベチェフが懸念を単刀直入にぶつけると、マヒロフスキーは卓をひとつ叩いて、歯を見せて笑った。

「大尉がそう警戒するのも、もっともだ。だが私は、オルロフに関する情報を北熊にも開示するよう、元老院に働きかけることができるぞ。知らぬだろうが、何かと口うるさい元老院も、協力者への報酬には気前が良い」

 元老院派の司令の発言としては耳を疑う、しかしアカスティン・マヒロフスキーの言葉としては違和感のない内容だった。

「司令が確かにそう働きかけて下さると、確約頂けるわけで?」

「そうだ。交渉の成功のほうも約束できるぞ。もし契約不履行となれば、俺が北熊に鞍替えして、俺の知る限り元老院の秘密を曝露してやってもいい」

 そう言って、マヒロフスキーは背筋を丸めて笑う。周囲の佐官たちが眉を顰(ひそ)めたが、嫌悪の対象は唾の飛沫だけではないだろう。どこまで本気でどこから冗談なのか、イルベチェフは判断しかねる。

「もし協力を拒めば?」

 突き刺さる複数の視線を意識の外に追いやりながら、イルベチェフはマヒロフスキーを見つめる。マヒロフスキーはいくぶん背筋を伸ばし、しかし俯(うつむ)き加減のまま眼差(まなざ)しだけをイルベチェフに向け、不敵に笑った。

「北熊がオルロフというメインディッシュを食いっぱぐれることになる。それだけだ。――さあ大尉、そろそろ答えを聞かせてもらおうか」

 イルベチェフは小さく息を吐いた。タシケントでの金星也との会合といい、どうしてこうも難しい判断を唐突に迫られるのか、自分の身が嘆かわしく思える。しかし、決断を迫られて沈黙を答えとするのは最悪だとイルベチェフは学んでいる。ゆえに、イルベチェフは目をそらすことなくマヒロフスキーに、そして臨席の元老院派将校すべてに対して答えた。

「司令のお言葉を聞いて安心いたしました。実は自分の選択は、龍王を援護した時点で定まっております。こちらからもお願いしたい。是非、派閥を超えた取り組みにより、暖炉の谷に居座る啓示軍の打破を!」

 我ながらよく言うものだと、イルベチェフは畏まった表皮の下で苦笑する。元老院派将校たちは呆気にとられたり疑惑の眼差しでイルベチェフとマヒロフスキーを見比べたりしていたが、司令であるマヒロフスキーは、値踏みするような目でしばしイルベチェフの顔をじっと眺めていた。

「――決まりだな」

 にやりとマヒロフスキーは笑う。異議を唱えようとする者もあったが、マヒロフスキーはそれを無視し、強引に議事を進行した。

 議事の焦点から外れたイルベチェフは着席したが、それでも数人の視線がしばしばまとわりつき、イルベチェフを安息させない。会議終了までの一時間、イルベチェフはマトゥモトフへの恨み言を考えながらそれに耐えた。



- 8 -


 作戦会議を終えたマヒロフスキーは、しつこく異議を唱えようとする将校たちに即時作戦準備を厳命して追い出すと、静かになった野戦司令部の中を見渡した。

 こうして現地に陣を張り直接指揮することは、マヒロフスキーの作戦論において最良の方法であり、趣味でもある。かつてキルギスで将軍を務めた父は、年を経てこうした現場指揮を厭うようになったが、マヒロフスキーは父を真似(まね)るつもりはない。同じになるのは将軍の地位だけでいいと考えていた。それも、父がそうであったように、特定の派閥勢力におもねることのない生粋の職業軍人として、将軍の栄誉を得たかった。

「叶わぬ夢、もはや潰(つい)えた道とは、思いたくないな」

 つぶやき、手近の椅子を蹴り飛ばす。椅子の転がった先を目で追うと、その延長線上の暗がりに人影があった。

「BR450だな」

「はい」

 肯定の返事とともに姿を現したのは、作戦会議の前半で情報提供を行ったRATの女性情報士官だった。マヒロフスキーはその名をアルファベットと数字の並びとしてしか知らない。

「どういうおつもりでしょうか。北熊の機兵部隊とあのような協定を結ぶとは」

 非難がましいBR450の目つきに、マヒロフスキーの気は立った。

「元老院議員の許可が必要とでも言いたいのか、この俺に対して」

「それは、たしかに司令にとって必要な手続きではありません」

「なら、黙っているがいい。SMITSご自慢の龍王があのざまでは、任務達成は困難だ」

「では、龍王が当てにはならないという理由で北熊を抱き込んだのですか。お言葉ですが、龍王自体は損傷を軽微に抑えて帰還しました。データ解析は良好な結果を示しています」

 BR450の主張を、マヒロフスキーは鼻で笑う。

「SMITSの開発した兵器の中で、唯一"壁"を突破できる性能を持つもの……。それが龍王であると、たしかそういう説明だったな。しかし、実績の面で言えばあのイルベチェフという男のほうに軍配が上がる」

「たしかに、龍王の"ベルリンの壁"突破はまだ可能性でしかありません。しかし、この可能性は継続して検証する必要があります。それも早急に」

「平時ならばその理屈も通ろう。しかし、今は違う。戦地で実験をやるなどと、SMITSはいつもそのようなことをしているのか。お守りをするRATはさぞかし大変だろう」

「この戦闘をただの局地戦だと解釈なさらないで下さい。窮地に追い込まれているのはSMITSでもRATでもなく、亜細亜連邦そのものなのです。大佐にはこれを守る義務がおありでしょう。軍人として、そして……」

 もうひとつ椅子を蹴飛ばし、マヒロフスキーはその先を遮った。

「それを口にすることは、貴官にとっての不幸となるぞ。俺は好きでこうなったわけではない」

 BR450は一礼したが、彼女の能面からは謝意など汲(く)み取れなかった。

「まあいい。龍王護衛には元老院派から相応の戦力を割(さ)く。代わりに他の部隊はあの蜘蛛型ロボット部隊に手を焼くことになるが……。それで満足するのだろう、ノヴィコフの爺ィや洪秀連(ホン・シュウレン)たちは」

 吐き捨てるように言うと、BR450は声が大きいとマヒロフスキーを注意した。

「派閥の者ばかりを集めたとはいえ、元老院議員の方々のお名前を不用意に口にされては困ります。北熊(セヴェルメドヴェーチ)の者を招き入れていることもありますし、司令にはもっと慎重になって頂かねば」

「ふん、肝の小さいことだな」

「それだけの周到さがなければ、今日まで亜細亜連邦を維持することはできませんでしたよ。――北熊の件については、RATより各議員の方々へ報告させて頂きます」

「好きにするがいい。バロッグの外から返事が返ってくる頃には、カタはついている。ただし、この調子ではどちらが勝者になっているものやら、蓋を開けてみなければわからんが」

「龍王は我々を勝利に導きます」

「どうだかな。俺は俺なりに勝利のため最善を尽くす。その結果が不満なら、俺を処分なりなんなりすればいい。俺は今の肩書きのうち、片方についてはいつ捨ててもいいと思っているのだからな」

 BR450は小さく目を細めたようだった。マヒロフスキーの苛立ちは募る。言って詮ないこととは、マヒロフスキー自身が最もよく理解していた。どうあろうと、元老院はそれを許しはしないのだ。

「――司令。実は先だって、洪秀連氏より要請が届いております」

 いちだんと声を落としたBR450は、一枚の紙を取り出した。わざわざ再び姿を現したのはこの連絡のためだったらしい。受け取って一読し、マヒロフスキーは顔を上げる。

「ふむ、秀連め。用兵には疎いと思っていたが、政局絡みとなるとさすがに目の付け所がいいな。金星也不在の今、特別規定第一〇号が適用できんあれは、確かに厄介だ。――しかし、あの部隊は西フェルガナ基地消滅以来、行方不明だったはずだ。それがこの近くにいるというのか?」

「RATの複数の特務員が直接確認しています。彼らは、黒龍隊は健在です。現在地は暖炉の谷南方一帯と推測されますが、確認はとれていません。西フェルガナ基地消滅の経緯を調査するためにも有効な処置ですので、これはRATからも重ねてお願いしたい内容です」

「そうは言うが、黒龍隊が無事だったのなら、とうに議会派と合流しているのではないか? 機密保持など期待せんほうがいいぞ、嬢ちゃん」

 付け加えた単語に反応して、BR450が微かに顔をしかめる。親戚の娘よりも整った顔立ちだとマヒロフスキーは評価しているが、この女は愛想の不足が決定的な難点だと思う。

「洪秀連氏は、それでも黒龍隊は……、いえ、江藤博照少佐はここに現れるだろうと、そう予想しておられるようです。RATの情報分析とは異なる結果ですが」

「秀連にしては珍しいことだな。奴は江藤と面識でもあったか」

「正確には面識と言えませんが、先月行った肆番機のテスト中に、洪氏は龍王のカメラ越しに江藤少佐をご覧になっています。今回の言動にはそれが関係しているものかと」

 理解しかねるという語り口を聞いて、マヒロフスキーは思わず笑い出した。

「あの理詰めばかりの男が、そんなことで俺に借りを作るか。面白い。秀連の戯言など取り合うまいと思ったが、気が変わった。もし黒龍隊が我々と接触するようなことがあれば、手段を問わず捕捉して見せよう」

「確認いたしますが、要請はあくまで捕捉です。撃退でも殲滅でもありません。そこをお忘れないようにお願いします」

「俺はRATとは違う。――それに、秀連の気を惹いた男を俺もこの目で見たいからな」



- 9 -


「さて竜時くん、君はどう思う」

 回収された龍の破損状態について、現物の前で説明を受けた南田は、最後にそう問いかけられた。

「久留がやったとは思えません。でも、三箇所の傷が火縄から発射された砲弾によるものだというのは、データを見れば納得できます」

 ちらりと、南田は修理中の龍をみやる。龍は全身の引っ掻き傷のほかに、胸部と両足首に大きな穴を穿たれており、火薬の検査からそれは亜細亜連邦製のものだと判明した。

「では久留くんの龍と別に、友軍に牙を剥く龍がこのあたりにいるというわけだね」

「そう、ですね。あるいは影龍かも」

 南田が別の可能性を示すと、北嶋は首をひねった。

「たしかに影龍なら火縄を使うこともあるが……。あれが三発も弾を使うだろうか」

「――いえ、使わないでしょうね。影龍なら一発で仕留める」

「となると、やはり長野中尉が午前中に龍を追い払ったのは正解だったわけだね。これは本当に脱出を急がないといけないが、せめてこの龍くらいは修復して、最低限の戦力も確保したい。ジレンマだな」

 北嶋は龍の修理進行に目をやり、地階から交換部品を探してくるよう整備班員に指示を出す。

「こんな状態なのに、江藤は戦う気でいるのか」

 横顔しか見えなかったので、南田はそのときの北嶋の表情をよくは観察できなかった。

「すみません」

 頭を下げると、北嶋は笑った。

「君が謝ることじゃないだろう」

「いえ、その……。また龍を壊してしまって」

「それはしかたない。正体のよくわからない敵に加えて、ゾルダートまで相手をしたんだ。君の命が助かっただけで幸いと思わなければ」

 北嶋は南田の肩に手を置いて、伏し目がちの南田の顔を覗き込んだ。

「――江藤には、合流したら私から話をする。亜連の機兵配備は順調に進んでいるんだから、これ以上、損耗の激しい黒龍隊が戦う必要はないだろう」

「大尉は、戦場からの離脱を第一に考えているんですか」

「そうだよ。味方の中に不穏な勢力がいるからだけじゃない。すでに、命令された以上のことをやってきたんだ。それに、私たちが後方に戻ることで例の時空跳躍の謎を解明できれば、それは消滅砲の性質や、西フェルガナ基地消滅以来のこのバロッグについて、貴重な知見を得ることになる」

 帰還が正当である理由を数え上げれば切りがない、とでも言わんばかりに、北嶋の語気が激しくなる。その様子を見て、南田は思うところを言いそびれそうだったが、北嶋はやはりよく部下を見ていた。

「――心残りかい? 藤居くんだけが見つかっていないことが」

 言い出す機会を与えられたのは良かったが、藤居の名を出されたために南田の沈黙は長引く。

 いつまでも隠し通せはしない。それはわかっている。実際、円道には勘付かれたのだ。だが、今更どう言い出せばいいのだろうか。藤居は西フェルガナ基地で戦死していたなどと。

「竜時くん。捜索はバロッグの外に出てからも続けられるし、これ以上はミイラ取りがミイラということになりかねない。襲われたのは現に君であるわけだし、今が危険な状態であることは、わかるね?」

 葛藤の内容を誤解した北嶋は、そう言って南田を納得させようとする。だが、啓示軍(オフェンバーレナ)の攻撃ですでに気を失っていた南田は、刺客の脅威を実感できていなかった。危険と言われて思い当たる要素はむしろ、黒龍隊の内にある。

「長野中尉は、本当に黒龍隊のために行動しているのでしょうか。俺にはそれが疑問です」

 前置きのない発言に北嶋は少々面食らったようだったが、南田は言葉を次ぐのを遠慮はしなかった。

「あの人は、なんだかんだ言って影龍と一緒にいたときのことを全く話そうとしない。矢俣の話じゃ、整備班が雷麒麟を触るのにだって凄く神経質になるそうじゃないですか。中尉の態度は、俺たちを信用していないように思えます。俺たちを信用していない人に、俺たちの命運を任せるのは不安なんです」

「こちらも時空跳躍のことを彼に話してはいないよ」

 落ち着くんだ、と北嶋は笑いかける。

「彼とはまだ一日、君は数時間の付き合いしかない。だが、信用はあとから醸成されていくものだろう。たしかに彼の言動からは、何か秘めた思いがあるようにも感じられる。けれど今は、当面の利害の一致というだけでじゅうぶんだと思う。文句のない選択肢が与えられることなど、現実にはごく稀なことなのだから」

 北嶋の言葉は、そのひとつひとつが南田に反省を促す。そのうえで、なお消化できないものを南田は感じていたが、それは口に出すどころか、明確なかたちで自覚することさえできない。

「――わかりました」

 これ以上北嶋を引き止めては、龍の修理、ひいてはここを発つ時間を押すことになる。それを思うと、南田はおとなしく引き下がらざるをえなかった。



- 10 -


 修理の終わった雷麒麟を大型エレベータで地下格納庫に移して、二時間。コクピットで稼動データの解析とバックアップをようやく終わらせた長野は、パーソナルディスクを抜き取ろうとして、苦笑した。もう、コピーを渡すべき仲間はいないのだ。

 長野は機外に出た。天井の照明を落としているため、格納庫は全体が暗い。天井が低く、クレーンなどの設備もろくに揃っていないため、この地下区画は往時からほとんど物置状態なのである。よって、各所の扉の上にのみ、小さく明かりを灯している。夜道を照らす街灯の按配だ。

 そのなかのひとつだけ色の違う明かりに向かって、長野は歩む。雷麒麟をここへ下ろした大型エレベータとは別の、人間用のエレベータだ。かつては雷麒麟専属の整備スタッフたちとともに、その前で列をなしたものだった。そしてそれは、もう取り戻せない過去である。

 ボタンを押し、エレベータが下りてくるのを待つ。ワイヤーの擦れる音が、静かな地下格納庫に響く。金属音。――金切り声。悲鳴。長野の見つめていたエレベータの扉が、飛び散った鮮血で真紅に染められる。鼓動が激しい。赤に埋め尽くされた視野が次第にぼやけていく。

 チン、とベルがひとつ音を鳴らし、エレベータのドアが開いた。同時に長野の視野は平常に戻る。血などどこにも流れていない。長野はよろよろとそこから数歩退き、前かがみになって、荒くなった息を整えた。全身から噴き出た冷や汗が、気化熱を奪って長野の体を冷やしていく。

「また幻覚か……」

 長野は額の汗を拭う。この二ヵ月、細部こそ異なるが何度も体験してきた幻視、幻聴だった。そのたびに仲間は死に、いくら撃っても迫って来る化け物に、長野は脅かされてきた。

「もう終わりにするんだ、あんなことは」

 背筋を伸ばし、長野は壁を右手にして歩きはじめた。そして二つ目の照明の下で立ち止まり、ドアノブに手をかける。向こうからかすかに、物音がする。

 押し開けて、中に入った。照明はつけていないが、相手の位置は目視できずともわかる。この奥は精密加工室であり、その間取りは長野の頭に入っていた。二ヵ月前と変わっていない。変わったのは部屋の使用目的で、今は外から錠を設置して、即席の牢として使っている。

「悔しいか?」

 暗がりに向かって問いかけたが、数秒待っても返答はない。

「答えろよ、周富窪。それとも以前の名前で呼ばないと反応しないのか?」

 声を大きくすると、ややあって反応があった。

「――失敬、失敬。ちょいとウトウトしてました」

 薄い仕切りの向こうから返って来たのは、いかにも寝起きといったふうの、間の抜けた返事だった。

「永遠に眠ったまま、起きないで済むようにしてやろうか」

 凄んでみせると、薄壁のせいでくぐもった笑いが聞こえてくる。

「その気なら抵抗はさせてもらいますよ。とはいっても、あのときせっかく助かった命です。お互い刃を向けるなんて勿体無いですぜ。あっしはそんなのは御免こうむります」

「あのときGT72鉱山基地にいた仲間は、俺とおまえを除いてみんな死んじまった。おまえが行かないんじゃ、先に行った連中が天国で泣いちまうだろ。もっとも、おまえが行くのは地獄のほうだろうけど」

「それなんですがね、そろそろ誤解を解かせて頂けませんか。中尉とあっしは、同じ被害者。呪うべきはあっしでなく、あそこであの化け物と遭遇してしまった不運のほうじゃありますまいか」

 富窪の言葉はだんだんと演技がかってくる。長野は衝動的に腰に手をやったが、拳銃は整備作業の邪魔になるので外していた。激昂しかかっている自分を抑え、長野は努めて冷静を維持する。

「ふざけるな。前は俺たち雷麒麟開発スタッフを、RATが実験中だったあの化け物の餌食にした。そしてオルロフと一緒にあれのコントロールを啓示軍(オフェンバーレナ)に奪われたから、黒龍隊を使ってそれの駆除に当たらせようってんだろう。いつもいつも、自分じゃ直接手を下さない。元老院の手先はみんなそうだ」

「ちょっと待ってくださいな。中尉はオルロフを見たんですかい?」

 富窪の調子が変化する。ペースを崩せたか、と長野はほくそ笑む。

「直接は見ちゃいないが、概要は聞いた」

「一緒にいた応龍隊から?」

「答える義理はないな」

「どうかそう言わずに。オルロフについては、あっしも名前しか聞いてないんですよ。それが、あの鎧蜘蛛(よろいぐも)の制御の鍵なんですか?」

 あくまで富窪は知らないふりをするつもりのようだったが、長野の期待したミスの誘発は成功した。

「鎧蜘蛛? ふん、尻尾を出したな、周富窪。それがあの化け物の名前なんだろうが、そんなものを知っているのはRATの一員だと喋ったようなもんだぞ」

「ですから、それは誤解……」

「さてね。北嶋大尉は俺を信用してくれている。主導権は俺にあるってことだ。おまえが呼び寄せていた "回収部隊"、つまり黒龍隊制圧用の機兵部隊の援軍も、俺が追い払ったからな」

 勝ち誇ってみせると、富窪の次の言葉までには少しの沈黙が挟まった。

「機兵部隊? ――ふうむ。どうやら新青海に残してきたメッセージが解読されたようでござんすね。もっともこれでは、吉と出たのやら、凶と出たのやら、あっしにとっても中尉にとっても判断が難しい状況ですなあ」

「何が言いたい」

「中尉は差し伸べられた手を叩いてしまった。しかも雷麒麟でそれをやったわけでしょう? あの機体はあなたが考えている以上に、さまざまな勘繰りや憶測を招いてしまう代物でしてね。あっしにはもう、事態の推移が読みきれませんや」

 意味深な発言だった。今度は長野が出方を考える番になる。

「――封印されているAHシステムのことなら、俺だって知ってる。SMITSの手の届かないところで開発していたはずの雷麒麟に混ぜ込まれた、SMITS製の不純物」

「左様でしたか。さすが操縦していらした当人だけありますね」

「だが、動かしたところシステム面で機体稼動に不備はなかった。AHシステムなんて、未完成の拡張プログラムなんじゃないのか。でなきゃ、ただの設計ミスから生まれた噂、幻さ。――あれもおまえらが仕組んだ情報戦か?」

「いえ、AHシステムは確かに存在するはずです。目的も内容も不明とはいえね。中尉もそれを信じていたからこそ、雷麒麟をわざわざここに隠したのでしょう? SMITSが機体を接収するのを恐れて」

 二ヵ月前のことを、嫌というくらいに富窪は正確に指摘する。唯一の記憶の共有者が敵であることに、長野は己の不運を感じた。

「雷麒麟を守るために最善の処置をしたまでだ。俺はAHシステムが存在していようがいまいが、どっちでもいい。名前だけが一人歩きしているシステムなんて、俺の雷麒麟には必要ない」

「ですが、少なくとも設計者A.H.には意味のあったものです。知っていますか? 彼の手記からは、AHシステム起動の鍵がオルロフだと示唆する記述が発見されていることを」

「なんだって? オルロフが?」

 無意識に、長野は一歩前へ踏み出す。

「あっしにもどういうことかはわかりません。あくまでA.H.の記述から第三者が推測した内容に過ぎませんからね。ですからその謎を解くためにも、オルロフについて何か知っているのでしたら、あっしにもお教え願いたいんですよ」

「――騙そうったって、その手には乗るか」

 長野は自分に言い聞かせるように言った。富窪の話は、今ここでは裏の取れないものばかりだ。これは罠に違いない。この男の言を信用した結果が、GT72での惨劇なのだから。

 ――やはり禍根はここで断つべきだろうか。

 長野が拳銃の置き場を思い出していると、背後でドアノブが回った。長野はぎくりとしてふりかえる。

「ああ中尉、ここにいたんですか」

 灯りに照らされて、李峰國が例のように楽しそうな顔でこちらを見下ろしていた。笑顔が常態なのだと今日になって気づいたが、最初は背が低いのを笑われているのだと思い、気に食わなかった顔だ。

「何か用か」

 長野は厳しい口調を意識したのだが、相手は笑顔を絶やさない。

「ここにマスディフューザ用の負荷端子の予備ないですかね。上で探してるんですけど」

「あるはずだ。俺が行こう」

 背後の暗がりを一瞥し、長野は出際、峰國にひとつ言い置いた。

「そうだ、交替で監視をつけておけ。こいつは油断できないからな」



- 11 -


 南田の龍、もともとは長野が使っていた機体の修理に手間取り、撤収の準備は日没を迎えても終わらなかった。出発後は雷麒麟で哨戒を務めることになるため、その前に仮眠を取ろうと横になった長野は、しかし、寝付けない。目をつぶれば、あの悲鳴が聞こえてくるような気がした。

 ――黒龍隊をここから逃せば、彼らを救えば、この苦しみから解放されるかもしれない。

 長野はそう希望を抱かずにはおれなかったが、同時に、それでは不足だと糾弾する声が頭蓋の中でこだまする。長野の選択を逃げと断じ、闘えという声がする。オルロフが啓示軍(オフェンバーレナ)の手にあるかぎり、誰かがあの化け物の、鎧蜘蛛の犠牲になる。その事実は否定できない。

「けど、無理だ」

 否定できない事実を肯定し、また、自らの選択をもまた長野は肯定する。

「無理に決まってる。俺にオルロフの奪還なんてできやしない。オルロフはノイエトーターと一緒にあるってのに、俺はそこに辿り着くこともできなかったんだぜ。――どうすればいい、ヴォルフ?」

 返事などあるはずがなかった。ヴォルフとは昨日の戦闘中にはぐれ、そして"壁"出現をもって、ヴォルフの失敗は証明されたも同然だった。もはや彼が生きている保証さえない。雷麒麟の整備を万全にやったところで、もう"壁"相手に抗う術(すべ)などない。無力感が長野を包み込んでいく。

「生きているなら出てきてくれよ、ヴォルフ。俺一人じゃ、戦えない。逃げるので精一杯だ」

 そう口にすることで、長野はますます自分が逃げていることを実感してしまう。だが、奮い立って闘志を燃やそうにも、その種火が長野には見つからない。

 ごろりと寝返りをうつ。すると不意に、江藤とともにGT72鉱山基地で捕虜になっていたときのことを長野は思い出した。

 あのときの江藤は、部下を失ったと思い込み、沈んでいた。しかし、江藤の闘争心はただ蓋をされていただけで、体の内から消え去ってはいなかった。喪失感を抱えながらも、機会に乗じて脱出を図ったあの行動力は、闘争心なくしてできるものではない。いや、それが生命の本能というものだろうか。

 種火がついた。長野は閃く。もし仮に、AHシステムの正体が影龍にも劣らぬ性能を雷麒麟に付加するものであるとすれば、"壁"の突破もどうにかなるのではないか。周富窪は、オルロフがAHシステムの起動と謎を解くのに必要な鍵だといった。"壁"を抜けノイエトーターを倒さなければオルロフは手に入らないが、AHシステムがオルロフの制御を必要とするとは限らない。ただオルロフの影響下に、すなわちオルロフの力で発生した"壁"に近づくだけでも、その力を発揮できるのかもしれない。

 長野は起き上がった。そしてエレベータへと向かう。目指すは地下格納庫の隣室。

 今思いついたことは、あくまで都合のいい可能性の重畳(ちょうじょう)に過ぎない。それでも長野には、可能性に手を伸ばすことは無駄ではないと思えた。江藤やヴォルフに出会ったこと、それは偶然による可能性の重畳だったが、実はその程度の偶然は、手を伸ばせば掴めるところに転がっていたのではないか。手を伸ばさねば、そこにある偶然に触れることもないのだ。今まで何度も期待を裏切られてきたのだから、ここでまた一回当てが外れることなど怖くはない。

 エレベータの前に行くと、ちょうど下から人が上がって来たところだった。扉が開く。

「あ、長野中尉。そちらにもいませんでしたか?」

 名前を覚えていない相手から突然そう尋ねられ、またその意味も理解できず、長野は二重に困惑する。

「何がいないって?」

「ゴン太ですよ。あの、ちっちゃい狼」

 それを聞いた瞬間、長野は一発相手を殴りたくなったが、相手のほうが身長があったのでそれはやりにくそうだった。

「――あのクソ犬か」

「狼ですって」

「知るか」

 立ち止まったのがひどく損のように感じられ、長野は扉が閉まらないうちにエレベータに乗り込んだ。

 長野ひとりを乗せて、エレベータは再び地下へと降りていく。少し揺れるのも慣れたもので、下への到着から扉の開くタイミングまで、表示灯を見ずともわかる。そして扉が開くのと同時に外へ踏み出そうとして、長野は自分と同じくらいの背丈の誰かにぶつかった。

「すまん」

 尻餅をついて倒れた相手に、長野は手を差し伸べる。

「そんなに急いでも、もうこっちはあたしたちで探しましたよ。中尉」

 長野の手を邪険に追い払って立ち上がったのは、昨夜の会議に出ていた、たしか円道という名のオペレータだった。ご多分に漏れず、この女からも嫌われているらしいと長野は悟る。

「俺は犬のことで来たんじゃないぞ」

 そう言ってやると、円道は「何を言っているんですか」と長野を睨む。

「いなくなったのは周富窪伍長ですよ」

 それが冗談でないと理解した瞬間、長野は走り出していた。二つ目の電灯のところでドアに取り付き、壊す勢いでそれを押し開ける。

 中は電気がついていた。精密加工室が透明な壁の向こうに見渡せるが、そこに周富窪の姿はない。困惑顔でふたりの黒龍隊隊員が佇(たたず)んでいるだけだった。

「どういうことだ! ちゃんと見張りはついていたんだろうな!?」

 自分も奥に踏み込んで、長野は怒鳴った。

「それが……。食事を渡そうと思って、電気をつけたら、もういなかったんですよ」

「見張りの交替はどうなっていた?」

「ちゃんと次の見張りが来てから退室してましたよ。だから抜け出せたわけがないんです。実際、こいつはあいつの声を聞いています。さらにこいつの前は、峰國さんですから……」

 食事を運んで来たという見張り役が、隣の前任者とともに落ち度を否定する。だが、それでは富窪は煙のように姿を消したことになる。

「そんなわけがないじゃないか。――どいてみろ」

 ふたりを押しのけ、長野は周囲の加工機械の合間に首を突っ込んだり、床に這いつくばったりしてみた。そして、小さなスピーカーを発見する。

「くそっ」

 長野は近くの作業台を叩いた。話をしたときに富窪の声がくぐもっていたのは、仕切りを介していたからではなく、このスピーカーから出た声だったからだ。おそらく、どこかにマイクも設置されている。長野が来た時点で、富窪はここを脱出して、近くから通信で会話を行っていたのだ。

「最後にあいつの声を聞いたのは?」

「一時間以上前です」

 最後の言葉が録音の類でなかったとして、人の足でどれだけ進めただろうかと、長野は計算してみる。しかし、どこへ向かうにせよ決まった道などない。算定された距離を半径にして、その円内の全域を探す人手など、ない。

「一杯食わされた」



- 12 -


 月明かりは仄(ほの)かで、道なき道を進む周富窪の前進は遅々としていた。東に広がっている奇岩群を避け、やや南に避けた進路を取っているが、それでも足場にはときとして膝丈を越える落差の凹凸がある。したたかにすねを打った回数は、すでに二桁に及んでいた。暗闇に目を慣らしていなければ、このペースでの進行さえ不可能だったわけだが、残る里程を思うとそのたびに富窪は天を仰ぎたい衝動に駆られる。もっとも、実際に空を見上げたところで前には進めないのだから、富窪は黙々と足元に気をつけながら歩を進める。

 自分の足音と息遣いだけを聞いていた富窪は、やがてそれとは別の音に気がついた。ときおり、後ろから小石の転がる音が聞こえる。

 段差をひとつ抜け、富窪は窪みに身を隠して背後に目を走らせる。一切の照明器具を用いずに苦労してここまで進んできたが、それでも追跡者からは逃れられなかったらしい。岩陰に、小さく光るものがある。

「やれやれ、降参ですよ」

 富窪は立ち上がって、口笛を吹いた。呼応して上下に揺れながら近づいてくるふたつの光点は鬼火ではなく、月光を集めて微かに光る、動物の双眸。

「なんでついてくるんですかねぇ、若旦那。まぁ、毎度のことですけど」

 富窪はまだ小さいゴン太の体を抱き上げた。息遣いからすると、尻尾を振っているらしい。

「あっしと一緒に行けて嬉しいというよりは、あっしと一緒に行けば主人に会えると、そっちを喜んでいる感じですね。こりゃ」

 偶然か何かわからないが、この仔狼はときとして人間並みに周囲の出来事を理解しているように思える。比喩ではない意味で嗅覚、聴覚が優れるぶん、人間より凄いかもしれない。――西フェルガナ基地が消滅したときも、はるか後方の光に向かって吠え続けるゴン太を見て、富窪はそう感じた。

 ふと、そのゴン太がいつぞやのように低い唸り声を上げていることに富窪は気づく。

「ワウ」

 富窪の肩越しに、ゴン太が大きく一吠えした。その警戒の声に集中力を高めた富窪も、ゴン太の捉えた気配を察知する。音を立てないように、恐る恐るふりかえる。

 暗闇の中、幾つかの琥珀色の眼が、怪しげな光を湛えている。それは連なって移動し、揺れ、一体となってふるまう。そしてそれらが流れるたびに、踏まれればただではすまなそうな、鋭い足音が聞こえてくる。

 鎧蜘蛛だ。

 富窪は駆け出そうとしたが、腰が抜けていた。思い出すまいと努めても、二ヵ月前の、鎧蜘蛛が人を屠っていく光景が脳裏に浮かんでくる。気合を入れてみたが、やはり体は動かない。

 ゴン太は吠え続け、足音は近づいてくる。恐怖のためか、それはやけに大きく誇張されて感じられる。もう逃げられない。

「申し訳ないです、若旦那。でもね、これはあっしへの罰じゃない。不運の結果ですよ。――あっしが問われるべき罪は他に……」

 大きな物体が風を切る。あの鎧蜘蛛の大きな腕だろう。狼に懺悔しながら死んでいくのはおそらく自分が人類初に違いないと、富窪はそのとき思った。

 青白い閃光。何かが崩れ落ちる大きな音。舞い上がる砂塵。

 ふさふさした毛が富窪の頬を撫でる。それがゴン太の尻尾らしいと気づいて、富窪は目を開けた。死んではいない。鼻を突く異臭が、残酷なほどに生を実感させてくれている。

 見れば、すぐ近くまで迫っていた鎧蜘蛛の眼が、黄色い光を失っていく。その体に何か太くて長いものが突き刺さっているのは、月夜でもしっかり見て取れた。富窪が仰ぎ見ると同時に、上から人工光が当てられる。

 それは龍だった。大きいと思った足音はこちらのものだったらしい。龍は雷紫電を引き抜いて、安定した姿勢で座りなおすと、その腹を開放した。やがて中からパイロットが出てくる。

「やれやれ、命拾いしました。どうもお世話様です」

 追ってきた黒龍隊の機体だと思い、富窪は年貢の納め時という言葉を思い出す。どんな怒鳴り声を浴びせられるのかと富窪は予想してみたが、期待外れに、聞こえてきたのは笑い声だった。

「――誰かと思えば、周富窪か。ちょうどいいところで会った」

 ゴン太が富窪の腕を抜け出して、声の主に駆け寄っていく。

 ――本当に読めなくなってきた。

 地面にへたり込んだまま、富窪は腹を抱える。一切演技を交えぬ笑いは、久しぶりだった。



――続く――