黒龍隊の挽歌 第十九話

狼とともに



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 灯火のない路地の暗闇を、三組の靴音が進行する。足の運びは遅く、ときおり立ち止まり、右往左往し、また進むといった調子だ。特に急いではいない。走ったところで、履帯の残した地面の凹凸につまずくのがオチだと、三人はわかっていた。

「こちら四分隊。状況変わらず。予定ルートにしたがって探索を続行」

 南田はそれだけ言って無線機の送話スイッチを切り、腰に戻した。ついでに懐中電灯をベルトから外そうとして、思いとどまる。無線を使っておいて今さら光を出すことをためらうわけではないが、残り少ない乾電池は、ここぞというときのために温存しておくべきだった。月明りでも、足元くらいは見える。

 通りには人影がない。いや、ここに限らず街全体に人気がなかった。時刻は午前四時。日本の歓楽街とは違うのだと考えれば納得してしまいそうだが、この街は単に内陸のひなびた街というわけではない。装甲車輛の残した深い轍(わだち)や、放置された食事のゴミなどが、ごく最近まで軍隊がここをねぐらにしていたことを物語っている。いや、南田はそれらの物証を見るまでもなく、ここに軍隊がいたことを知っていた。十八時間前まで、ここにいた一九〇旅団に南田は世話になっていたのだから。

「誰もいませんね」

 同行のひとりが溜め息混じりに言う。

「ああ、どうなっているんだか」

 適当に相槌(あいづち)を打ったわけではなく、南田はほんとうに不思議でたまらなかった。日没までには黒龍隊の本隊をここに連れて戻ると、そういう予定で出発したのがもう昨日のこと。だが、戦場に予定外の事態はつきものだ。いくら十時間近く遅刻したからとって、江藤どころか旅団の誰も残っていないとはどういうことか。仮に南田がここを発った後に何事かが起こって、江藤と旅団が北上を急ぐ必要性が増したとしても、連絡要員くらい残していて然るべきだろう。それなのに、街には誰も見当たらない。並行して探索中の分隊が五つあるが、聞こえてくる報告はどれも、今しがた南田が吹き込んだのと同義のメッセージばかりだった。

 ほどなく予定ルートを踏破したが、南田は許可を得て探索を続行した。宿営用のテントがずらりと張られていた広場や、各部隊の幹部クラスが陣取っていた家屋などを、思い当たる限り当たってみる。しかし、月明りの下にひとりの影も見出すことはできなかった。

「こちら四分隊。人影は見当たらない。これより帰還する」

 溜め息交じりに無線機にそう吹き込んだ南田は、北嶋から何か指示があるかもしれないと思ってしばし反応を待つ。十秒経過。応答なし。静かなものだった。ノイズさえ聞こえない。

 無線機の故障だろうか。南田はスイッチをいくつかテストしてみる。手元の端末にそれらしい不具合を見出せない。しかし、その用心は正解だった。

 ――誰かいる。

 無線機からの音に耳を澄ましたおかげで、南田は物陰からの気配に気づくことができた。一瞬体がこわばったが、南田は努めて自然なふるまいを保った。おそらく、隠れているのはひとりではない。

「なあ、この無線機調子が……」

 仲間に無線機を手渡すように見せかけて、南田はそれを気配のするほうに放り投げた。薄明りのなか、音を立てて一斉に散る影。物陰から飛び出たのは、こちらからの攻撃を警戒していた証拠である。好ましくない相手に出くわしたことを、南田は悟った。

「誰だ」

 簡潔な軍用英語で誰何(すいか)する。十メートルもない距離に扇状に展開した潜伏者たちは、南田の問いに銃を構える動作で答える。それに少し遅れて、背後の路地からも数人が近寄ってくるのを南田は感知した。

「下手に動くなよ。囲まれた」

 動揺する仲間ふたりに声をかけつつ、南田は視線を周囲に走らせて、相手の数の把握と逃げ道の発見に努める。が、やはり暗くてよく見えない。空手を嗜(たしな)んだおかげで相手の気配はおおよそ読めるが、暗闇での戦闘訓練などは士官学校の訓練で少し齧(かじ)っただけだった。相手は果たして友軍か、それとも啓示軍(オフェンバーレナ)か。それすらはっきりしない。

「武装を解除せよ」

 南田の疑問に答えるように、亜連軍用英語の決まり文句が発せられた。同時に、懐中電灯を一ダース束ねたような眩(まぶ)しさの投光器が向けられ、暗闇に慣れた南田たちの視覚を飽和させる。

「どうします」

「従うしかないな。好意的じゃないが、敵軍ってわけでもない」

 南田たちは携行していた武器を放り、両手を上げてみせる。

 ――相手は九人。陸戦部隊の装備。

 なんとかそれだけ確かめた南田の耳に、リーダーらしき男が無線で連絡を取る声が聞こえた。

「目標確保。――ああ、これで全員だ」


*   *   *   *   *


「それで最後だな? そうか、ご苦労」

 男は無線機をオフにして、北嶋のほうを向き直った。

「というわけで、黒龍隊御一行は全員、我々が拘束させていただきました」

 その不敵な笑みを見るのは初めてではなかった。サブマシンガンを携えた左右の監視に怖気づくことなく、北嶋はその男を睨(にら)みつける。

「戦略軍緊急連絡部が、どういう経緯があって黒龍隊を拘束したのか。そもそも緊急連絡部に現場部隊を指揮する権限があるなど聞いたことがない。納得のいく説明をしてもらいたいな。呂孝明(ル・シャオミン)曹長」

「ご記憶頂けていたとは光栄です。しかし、過日名乗らせていただいた内容は忘れていただいて結構ですよ。お察しのとおり、詐称した身分ですので」

 呂孝明……厚木基地で北嶋と江藤を拉致したグループの主犯格は、たしかに以前とは違う所属を示す恰好をしている。

「質問に答えてもらおう。どういう権威のもとに、君は我々を拘束しているんだ。この件が明るみに出ても軍事委員会から追及されずに済むような、そんなたいそうな権威が控えているのか」

「ええ。そうです」

 臆面もなく呂はそう答えた。

「軍事委員会どころか、中央議会が四の五の言えないような権威ですよ。そもそも亜細亜連邦樹立時に中央議会を設置した方々、すなわち元老院の意志のもとにこの部隊は動いています。薄々は感付いておられるかと思いますが、あなたがたは元老院にとって邪魔者なのですよ。ですから、遺憾ながら拘束というかたちを取らざるを得なかったのです」

「それでは、厚木でのことも元老院と戦略軍が結託して仕組んだ罠だったのか」

「その質問には、今はお答えできません」

「なら質問を変えよう。昨日までここにいた部隊はどうした。旅団規模の友軍部隊がいたはずだ」

「さあ。我々がここに来たときには、もうここには誰もいませんでしたよ。いくらか残っていた者があったかもしれませんが、出てこないところを見ると、元老院派とは折り合いの良くない派閥の者たちでしょうか」

 それを聞いて、北嶋は落胆と安堵を同時に覚えた。当てにしていた部隊はどこかへ姿をくらましたらしいが、目の前の連中は、そこに江藤や坂元たち黒龍隊隊員数名が含まれていたことを知らないらしい。ここにいる部下はみな捕まってしまったが、絶望するには早すぎる。

「さて、お話の続きの前に、大尉には少々ご協力いただかねばなりません」

「部下たちに武装解除を命令しろ、と?」

「ご名答。こちらも手荒なことはしたくないのですが、そちらの態度次第では流血の不幸を招かないとも限りませんので。是非とも穏便に事を運びたいのです」

「――わかった」

 左右の監視に促され、北嶋は立ち上がる。

 流れは悪くない。言いなりになるつもりはないが、北嶋の思惑としても、然るべき行動を起こす前に無為に手数を失うわけにはいかなかった。呂孝明の思惑、率いている部隊の規模、装備、そして外部の動き、それらを多少なりと掴んで戦術を組み立てるまでは、部下らにはおとなしく捕まっておいてもらわねばならない。

 ――俺も戦って見せるさ、江藤。

 北嶋は、意外なくらい冷静に事態に臨んでいる自分を見つけていた。



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 北嶋の呼びかけにより抵抗をやめた黒龍隊隊員は、十数人ずつに分けられて、それぞれ別の場所に監禁された。もちろん、装備はすべて陸戦部隊に没収されたうえで。

 南田が閉じ込められたのは、一九〇旅団が司令部に使っていたのと同じ元庁舎の一室で、会議室のようだった。夏明仁(シャー・ミンレン)など、よく話をする整備班の隊員が一緒なのは良かったが、そこに長野までいるというのは、あまり喜ばしくなかった。

「ナイフひとつでも武器があれば、あがきようもあるってのに」

 南田の隣で、長野が足を放り出して寝転んだ。元は会議室らしくても、今は何もない部屋で、みな床に腰を下ろしていた。

「君さぁ、江藤少佐の部下なんだったら、少佐みたいに服の下に何か隠してないの? ほら、携帯コード爆弾とかいうやつ」

「知りませんよ、そんなの」

 南田は険もあらわに応じる。実際、江藤ならそういうことをしていそうだとは思ったが、相槌を打つ気は毛頭なかった。

「だいたい、大尉からは下手な抵抗はするなって言われてるじゃないですか。あなたも黒龍隊の指揮下に入ったのなら、命令には従ってください」

 南田は、ひとつしかない出口に目をやる。ドア一枚隔てた向こうには、小銃を持った監視が二人、常に張り付いているようだった。

「ここで待っていればそのうち事態が好転するっていうのなら、待つけどさ」

 眠り損ねたから、と言って、長野はそのまま不貞寝するように横になった。

 時刻は作戦標準時――このあたりの現地時間とあまり変わらない――で〇五二三。一九〇旅団に代わってここに居ついた連中が平常どおりに寝起きしているなら、あと三時間もすれば部隊が活発に動き出す。南田は、行動を起こすならその前だろうと思ったが、しかし行動の具体案はさっぱり考えつかなかった。

「――曹長」

 不意に肩をたたかれてふりむくと、整備班員のひとりが身を乗り出して、耳打ちをしてきた。

「夏が、気になる無線を傍受しました」

 どうやって無線を傍受したのか、そしてそれがどんな内容なのか、南田は驚いたが声は立てなかった。小声で耳打ちしてきた相手の意図を察するまでもなく、ドアの向こうに対する警戒心は維持していた。

「――どこだ」

 整備班員が部屋の奥を指差し、南田はそろそろとそちらへ移動する。壁の手前まで行って初めて、そこに寝転んでいる夏の姿が目に入る。ドア側に対して数人が夏を隠すように座っており、見張りどころか、南田のいた位置からさえ目に入らないようになっていた。

「明仁」

 耳元に膝をついて呼びかけると、夏は難しい顔で耳からイヤホンの片方を外し、南田に差し出した。顔を寄せてそれを片耳にあてると、聞き苦しいノイズに雑じって、覚えのある声が英語を話していた。

 それは短い文章を延々とリピートする放送だった。バロッグが薄くなってきたために拾えたのだろう。瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)とはこういうときに使う言葉かと、南田はある種の感動を覚える。夏は陸戦部隊の無線を傍受するつもりで細工をしていたのだろうが、江藤たちの動向さえわからなくなってしまった南田たちにとって、これほど心強い声は他になかった。

「江藤少佐ですよね、これは」

 夏が訊ね、南田は頷く。少佐という言葉が出て、周囲に静かな動揺が波及した。

「隊長はなんと?」

 興奮気味の隊員に落ち着くようジェスチャーで示し、他の者にもその場を動かないように南田は目配せする。ドアの近くに座っていた富士本が気を利かせて、遮音用に無駄話を始めたところで、南田は夏と頷きあって無線の内容を読み上げた。

「こちら黒龍隊隊長、江藤博照。我々は明日、暖炉の谷奪還作戦を決行する。作戦名は“狼とともに”」

 口伝いに全員にその文面が伝わると、雑談役を他に任せた富士本が駆けつけてきた。

「狼……。まさかゴン太のことですかね」

「そうだとしても、文面どおりの意味じゃないだろうな。このメッセージは、いかにも黒龍隊が付近に展開する友軍に檄(げき)を飛ばしているように読めるが、知ってのとおり戦力としての黒龍隊主力は俺たちのほうだ。少佐のほうには、坂元と鷹山の二機のしかないんだから」

「そうですよね。とても友軍を束ねられる陣容じゃない」

「だからこれは、少佐が俺たちに合流を指示するためのメッセージじゃないかと思うんだ。メッセージの発信地で、少佐が待っているんじゃないか」

「なるほど。――でも、こっちは身動き取れませんよ。どうするんです」

 富士本の質問に、南田は詰まった。相手は友軍には違いないのだから、江藤の流している放送を材料に、解放してくれるよう交渉なり説得なりするのも不可能ではないだろう。しかし、それに適したタイミングとテクニックは南田の知るところではない。

「この放送が大尉の耳にも入れば、なんとか……」

「バカか。何を悠長なことを」

 南田がなんとか捻り出した解決策を、真っ向から否定する声が上がった。まだ寝入ってはいなかったらしい長野が、面倒そうに立ち上がる。

「じゃあ、中尉には対案でもあるんですか」

「さあな。――おい、無線機を貸してみな」

 長野はひったくるようにして無線機のイヤホンを取り、いまだ流れ続けているメッセージに耳を欹(そばだ)てる。

 南田は腹が立った。長野は一応、北嶋に次ぐ年長であり、軍人としての経験も南田たちより豊富なのだ。率先して現状の打開策を練って当然の立場である。それなのに長野は、ただ人の考えに文句を言うだけで、今もまた、南田の訳した文面は信用ならないとでも言わんばかりなのだ。

「いかがですか、中尉。なにか新発見がございましたか」

 意外にもイヤホンをなかなか手放さない長野の背中に、南田はかなり慇懃(いんぎん)無礼に声をかけた。すると、長野は静かにイヤホンを夏に手渡し、一呼吸の後、南田に至極まじめな顔を向けた。

「曹長、俺に賭けろ」

「はい?」

 意味がわからず、南田は聞きかえす。唐突な台詞(せりふ)に間抜けな声が出てしまったが、長野はそれを笑う様子はなかった。

「いや、ここにいる全員の協力がいるな」

 長野は再び立ち上がり、物色するように室内の顔を見渡すと、頷(うなず)いた。

「うん、いけそうだ」

「ちょっと待ってください。何をやろうってんです。俺に賭けろって、いったい……」

機兵でここを脱出して、江藤少佐に会いに行く」

 他に何をするというのだ、と長野の顔が語っている。

「忘れてませんか、中尉。あっちには武器があって、こっちにはない。話し合い以外に勝算はない」

「北嶋大尉がその話し合いに手こずっているから、いまだに出られないんだぜ」

「だからって、脱出を強行すればどうなるか。こっちは人質を取られているようなものなんだ」

「奴らが今俺たちを殺すことをためらわないのなら、どうせあとから俺たちは殺されるってことだ。生殺与奪に関しては、感心するほどきっちりしているよ、奴らは。まるで神か仏の使いとでも言わんばかりだ」

 長野は吐き捨てるように言った。その背景を慮(おもんばか)ると、南田には生半可の反論などできない。ドアのそばで行われていた雑談も止み、室内は静寂に沈み込むかに見えたが、そこで長野の表情が不意に一変する。

「――ま、今回はそれを利用するんだけどさ」

 それは、いたずらを思いついた子供の見せる顔であり、江藤博照の見せる顔であった。


*   *   *   *   *


 時刻〇六〇〇。仮眠から醒めるためにセットしておいたアラームがなり、小部屋に独り残されていた北嶋は小さく身じろぎをする。

 それまでつきっきりだった監視が退去して、十分ほどが経過していた。北嶋とふたりきりになった呂は、何か別の話題を持ちかけようとしたが、その呂も無線に呼び出されてこれまた隣室に行ってしまった。

 逃げ出すなら今か。椅子から腰を浮かせた北嶋は、しかし、この隙が生まれた原因が部下たちの行動にあるのかもしれないと思い至る。下手に動いては合流できない恐れがあり、また、状況によってはまた北嶋自らが声をかけて、彼らをおとなしくさせる必要があるだろう。隣室につながるドアを見つめた北嶋は、ためらう自分を叱咤して、足音を殺しそのドアの前へと移動した。

「――殺傷は許可できません。……から指揮権を……は私なのですから、これには従っていただき……。はい。それについては……」

 耳を当てたドアを隔てて、呂孝明の声が漏れ聞こえる。やはり、監視や呂が北嶋のそばを離れたのは、部下たちが行動を起こした結果だったようだ。そして、薄々察してはいたが、陸戦隊と呂とは本来別の指揮系統に属しているらしい。交信の内容を悟らせるとは呂孝明も案外に注意力不足だと思いながら、北嶋はさらなる情報を得るべく、体ごとドアに張り付いて耳を澄ます。

「……にはくれぐれも注意してください。彼らが外部の部隊と接触するのは、我々にとっても危険……あくまでも全員を連れて……」

 そこで交信が終わりそうな気配になり、北嶋は慌てて元の位置へ戻る。だが北嶋の予想に反して、呂も監視もなかなか戻って来ない。とはいえ、また盗み聞きできるほどに確たる隙も感じられないので、北嶋は再び眠るような姿勢をとって、今耳にした言葉の端々について考えてみる。

 殺傷は許可できないと、呂はそう陸戦隊に指示したようだった。友軍同士なのだから、殺傷などという言葉が人の口から出ることがまずおかしいのだが、当たり前でない状況に慣れてしまった北嶋は、むしろ、通常の世界へ戻ってきたのだと安堵してしまう。さらに、関連する呂の言動から推察するに、彼らが黒龍隊を他の部隊と接触させまいとしているのは、あくまで身柄確保のためだ。戦場の端である以上、まだ生命が保証されたとはいえないが、それでも、亜細亜連邦の同胞から命を奪われる可能性はかなり低くなった。

 しかし、元老院派はどうして今頃になって強硬手段に出たのだろうか。西フェルガナ基地での基地司令の策謀、消滅砲発射後の時空転移現象など、黒龍隊拘束に繋がりそうな出来事はいくつかあるが、それらが問題なのであれば、元老院派はGT72鉱山基地奪還後に三〇三師団に拘束を命じればよかったはずだ。それがなされなかったのは、江藤が救出されて黒龍隊の強権が復活したためか、あるいは西フェルガナ基地での一件があのときはよく伝わっていなかったからだろう。そうでなければ、タシケントに向かう黒龍隊が不特定多数の部隊と接触するのは目に見えていたことで、元老院派がみすみす黒龍隊を自由にしたはずはない。戦力的にも、GT72奪還に従事した三〇三師団の分遣隊のほうが、今ここにいる陸戦隊より規模が大きく、拘束は容易だったのだから。

 ――いや、どこかおかしい。

 北嶋は情報を整理して考え直す。三〇三師団は当時、黒龍隊が時空転移した事実に一切気づいていなかった。それがあとから発覚し、黒龍隊拘束命令につながったのだとしても、元老院派がこの時間、この場所に黒龍隊が現れると予測できたはずがない。なのに、彼らは明らかに黒龍隊をターゲットとしてここで待ち伏せをしていた。制圧に要する最低限の規模の部隊で。

 次に北嶋は、タシケント包囲部隊から追跡されて、昨夜のうちに先回りされたのだと仮定してみる。追跡部隊は、黒龍隊全員が揃っていても制圧できるだけの戦力、あるいは権力をもった部隊構成だったはずだが、例の面妖なロボット部隊や啓示軍(オフェンバーレナ)機兵部隊と遭遇して、その結果、制圧に最低限必要な人員しか残らなかったのかもしれない。ありそうなパターンだと北嶋が頷いたとき、ドアが開いた。

「あのときの江藤少佐にも手を焼かされましたが、部下の方々もまた、活発すぎて少々困りものですね」

 呂は本当に困ったという顔をする。わざとらしくすくめられたその肩越しに、監視がひとり戻ってきているのが見えた。

「何が起きた?」

「十四人が脱走を図りました。また、おとなしくするように呼びかけてもらえますか? 我々は手荒なことはしたくないのです。――いえ、実を申せば、本心からそう思っていない者も、現場にはいます。脱走した彼らの抵抗がエスカレートすれば、銃の使用もありえますよ」

 わずかな顔の動きで、呂は背後に控える監視のことを北嶋に指し示す。

「陸戦隊は君の部下ではないようだ」

「ええ、そうです。大尉はご理解が早く、且つ正確だ。黒龍隊全員がそうだとよかったのですけれど」

 ――全員。

 その言葉に、北嶋は常にひっかかっていたものが何だったのか、わかった気がした。

 思い出してみると、呂孝明は幾度か「全員」という言葉を使い、黒龍隊の現在の人数を把握していることを示唆していた。それはどうして知りえたのか。タシケントを発った後、黒龍隊は江藤と彼の愛機を欠き、そして長野と雷麒麟という予定外の助っ人を加えている。それに、周富窪(チョウ・フーワー)と再会したのもタシケントを発ったあとだった。タシケントから追走してきたのであれば、それらの情報は知り難い。

「――そうか」

 思わず北嶋は声を出してしまった。文脈が途切れたその呟(つぶや)きに、呂が妙な顔をするが、次々と断片がつながっていく

 周富窪だったのだ。日暮頃に監禁場所から逃亡したあの男が、事前に近くへ呼び寄せていた呂らと合流して、黒龍隊の現況をすべて教えていたのだ。

 では、周富窪は今どこにいるのだろう。前後して姿を消したゴン太の行方も気にかかる。

「北嶋大尉、どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない」

 今はまだ、考えをまとめる時間が要る。北嶋は呼びかけを発する直前まで時間を稼ごうと決め、促された隣室へとゆっくりと歩む。

 窓際を通るときにそれとなく外の様子を窺って、まだ明けぬ薄暗い街の景色を、そしてそこに見えていたはずの隊の車輛がなくなっているのを北嶋は目にする。車輛は監視しやすい場所に移動させられたらしい。脱出を強行するなら車輛の位置はどこかで確かめておきたいが、ここまで自走してきた機兵についてはその心配はなく、その頭から肩にかけてのシルエットが遠目にも確認できた。それもそのはずで、龍も雷麒麟も、陸戦隊に動かせる代物ではない。乗俑機乙種の操縦には適性のあった北嶋でさえ、乗俑機丙種、すなわち機兵の操縦はできないのだから。

 起動待ちの龍のところまでパイロットを辿(たど)り着かせれば、あとはなんとかなる。視界の隅に消えていく窓外の景色を意識に留めながら、北嶋がパイロット誘導の方法を思案しはじめたそのとき、龍と雷麒麟の鎮座する一画で何かが光った。朝日ではない。白く、小さくて強烈なその輝きは、北嶋が立ち止まって見つめていると、数秒のうちに消えてしまった。

「何か見えましたか」

 歩みを止めた北嶋を怪訝(けげん)に思ったか、呂が窓をのぞきこんで北嶋の見ていたものを探す。しかし、ただ北嶋の目にのみ焼きついた残光を、呂が目にすることは適(かな)わなかった。


*   *   *   *   *


 目を瞑(つむ)って閃光の中を走り抜けた南田は、抜き去った陸戦隊員らのうめきと罵声を背に聞きながら、近くを走っているはずの長野に向けて怒鳴った。

「何をやったんですか」

 目を閉じて走れと叫んだ長野が何を陸戦隊に向かって投げたのか、指示通りに視覚を封じた南田は見ていない。

「目くらまし」

 即答した長野の声は、南田よりやや先から聞こえた。

「あんたが持ってないって言ったから、俺のを使った。――いや、もともとは鉱山基地で江藤少佐から失敬したやつだけど」

「恩人から物を盗んで……」

 最低だな、と吐き捨てようとした南田は、そこで初めて目を開けて、慌てて減速した。危うく行く手の丁字路を曲がりそこねて壁に突っ込むところだった。長野はもうその角を折れ、先を走っている背中が見える。続いた南田は、曲がる際に背後から迫る追っ手をちらりと見て、全力疾走に切り替えた。眼前の区画ひとつを走り抜ければ、遠目に位置を確認した二機の機兵のもとに辿り着く。

 結果としては、うまくいった。

 こちらが徒手空拳での人海戦術に出れば相手も銃は撃たない。その長野の言に十三人分の命運を預けたのは、まさしく賭けだった。もし読み違いであれば、ドアを蹴破った直後に銃弾が襲ってくることは想像に難くなかった。だが結果として長野の読みは正しく、陸戦隊は重い銃を提げて追いかけて来ながら、その銃を撃つことができないでいる。

 長野の提案した大胆な脱出作戦は、南田の知るかぎり一人の死傷者も出さずに進行していた。

 夏や富士本ら十二人が壁を作って監視を押しのけ、外まで出たところで南田と長野のふたりが駆け出し、機兵を奪還する。相手はこちらを武装解除させた当事者だから、こちらに武器がないのは知っている。そしてこちらを傷つけないよう指示もされている。素手を相手に発砲すれば過剰防衛になるため、見事な統制のもとに黒龍隊を制圧した熟練の彼らには、そんな命令違反は犯せない。――なんとも狡猾な作戦だったが、唯一不安な点として残ったのが、屋外で南田と長野ふたりだけになったあと、うまく追っ手を振り切れるかという点だった。だがそれも、いざやってみれば、装備が軽いぶん南田たちの逃げ足は速く、長野が隠し持っていた閃光弾の威力も借りて、なんとか包囲は突破できた。

 全力疾走で追っ手との距離を稼いだ南田は、そのままの勢いで降着姿勢の龍の下に走りこみ、龍の脚を銃弾に対する盾にする。ここまで来たら、相手も発砲しないとは限らない。相手への刺激をぎりぎりに抑えることがこの作戦の肝だったのだ。

 コクピットに乗り込もうと南田がハッチに手をかけたとき、銃声が聞こえた。竦(すく)もうとする体を無理にコクピットの中に飛び込ませて、ハッチを閉める。ロック作動。正面のモニタ、コンソール展開。コクピットに残していたヘルメットなどの装身具を、狭いスペースで体をよじりながら身につけ、コクピット側端子と接続。並行して起動させていたOSが立ち上がる。電圧安定。BFG(バルムンクフィールドジェネレータ)稼動。マスディフューザ正常作動。各種センサー、コーションライト確認。オールグリーンではないが、それは昨日からなので、無視。操縦モードをセミオートに。兵装選択をメイン:火縄、サブ:雷紫電でモーション最適化。

「起動完了。――中尉、そっちは」

「少し時間を稼いでくれよ。こっちは龍ほど単純な作りじゃない」

「それは単に雷麒麟が未完……ちっ、了解」

 嫌味を言い終える間もなく、南田は龍に火縄を構えさせて陸戦隊を牽制する。相手は一旦ひるんだが、思い直したようにまた突撃してくる。南田は安全装置に指をやったものの、それを外すことはできなかった。

「事情はこっちも似たようなもんか!」

 南田は火縄を下げ、代わりに雷紫電を前に出して、粗い舗装の路面に突き立てた。

 足回りに取り付こうとしていた陸戦隊が衝撃で吹き飛ばされ、尻餅をつく。

「まだか、中尉!」

 相手の数は増える。しかも最後尾のひとりはロケットランチャーらしき物を抱えてきている。

「よし、立ち上がった。行くぞ、曹長」

 起動した雷麒麟が、南田の反応を待たずに走り出す。進路は北。江藤が一九〇旅団とともに向かった先。

 後を追おうと機体を反転した南田の視界を、今まで捕まっていた庁舎が横切った。仲間たちはまだ、あそこにいる。峰國、北嶋、矢俣円道……。

「遅いぞ。故障か」

 南田が続かないのに気づいて、長野の雷麒麟が先で立ち止まる。

「まさか。どっかの試作機とは違うさ」

 聞こえるか聞こえないかの呟きを漏らし、南田はブースタージャンプで急発進。雷麒麟をも飛び越えて先に行く。

 ――必ず少佐を連れて戻る。

 本当の使命感とはどういうものか、南田ははじめて知った。



- 3 -


 十八日。暖炉の谷周辺は快晴となった。見つめれば吸い込まれそうなほど青い空。ただし地上からそれを鑑賞するには、方角が限定されていた。西ではいけない。暖炉の谷の中心部は依然"壁"に覆われており、拡大から縮小に転じたバロッグも、いまだ暖炉の谷をその白い闇の中に閉じ込めている。そして、正体不明の乗俑機部隊がそこに潜み、散発的に襲いにやってくるのだ。その西の空をちらりと見て、古菅は眉を顰(ひそ)める。

「あれを消し去る秘策がある。そうおまえは言ったな」

 青空の下、古菅の声が届く範囲に人は一人しかいない。古菅の傍らで泰然と椅子に腰掛け、眠ったように顔を俯(うつむ)けている江藤がそれである。江藤は古菅のかけた声に反応して片目を開けたが、そうしているのも面倒とばかりに、また目に瞼(まぶた)をかぶせる。

「聞いているのか、江藤。――おまえの秘策とやらは、例のメッセージだけではあるまい。他に何を仕掛けた。好戦的なアカスティン・マヒロフスキーが、啓示軍(オフェンバーレナ)への攻撃予定時刻を繰り下げてまで接触を求めてくるほどの影響力は、あのメッセージには無い。勝手に暖炉の谷奪還作戦を行うと宣言したところで、奴らはこちらにそのための戦力がないことを知っているからな。そしておまえとて、こちらの位置をマヒロフスキーに知らしめるためだけに放送を行ったのでもあるまい」

 思いつくままに古菅が質問を重ねていくと、沈黙を守っていた江藤がいきなり頭を乱暴に掻(か)き毟(むし)り、目を開けた。

「今まで音頭を取っていたマヒロフスキーが、指揮権の所在をはっきりさせるために江藤博照との会談を求める。そういう、兵士たちが納得しやすいシチュエーションをあのメッセージで用立ててやったわけですが……。たしかに、あのメッセージの発信によって啓示軍にもこちらの所在が漏れたかもしれない。リスクが大きいというご懸念は至極もっとも。もちろん、他にも二、三の効果を期待したうえでの手ですよ、あれは」

「その効果とやらのひとつは、黒龍隊の本隊を呼び出すことだろう。しかし、それでも冒した危険に見合わない。もうひとつの目論見(もくろみ)は何だ。元老院派が急にこちらに歩調を合わせて来たことと、関係があるのか。私には、あまりにも上手く行き過ぎているように思えてならん」

 昨日からの江藤の差配がどこでどう効力を発揮してこの状況を導いたのか、古菅はそこに合点が行っていない。自身の部下を待たない北上開始、黒龍隊の任務優先度AAをふりかざしての強引な封鎖突破、そして傍受の容易な無線による大胆な作戦開始宣言。味方を減らし、敵を増やすような行動ばかりを江藤は指示した。元老院派の暴走を止めるためにはそれも方便として止む無しと考え、古菅は江藤の言をそのまま実行してきたが、いざ上首尾に終わるとそれがますます疑念と不安を増大させるのだ。

「今度は俺が企む番」

 江藤の不敵な笑みが脳裏に蘇る。元老院派の利己的な行動を阻止することで合意には達したが、目の前の男が何を考えているのか、本当にこのまま組んでいてよいのか、自問の頻度は時間経過とともに右肩上がりになっている。

「罠ではないだろうな」

「なにか仰(おっしゃ)いましたかな、大佐殿?」

「――元老院派の罠ではないだろうな。相手にわざと隙を見せ、罠をしかけさせたうえで、その罠を逆手に取って武器とする……。かつておまえがエデン摘発に利用した手が、ここでも通用すると考えているのなら、江藤、それは過信だぞ」

「嫌ですな大佐殿。あなたの下を離れて昇進と栄転を重ねたとはいえ、それほど自惚(うぬぼ)れた覚えはない。――ただ、まだ成功したとは限らない段階で種明かしをするのは、野暮でしょう」

「栄転と左遷は同義語ではないぞ。冗談は部下を相手にやっていろ。私は真面目な話をしている」

「真面目な話、この作戦“狼とともに”における切り札は、大佐殿にもまだ明かさぬほうが良いと自分は判断したのです。なにせ大佐殿には少々刺激が強いアイデアでしてね。知ってしまえば、大なり小なり動揺が生じる。そして、それは厄介なことだ。これからのマヒロフスキーとの対談で大佐殿に仮面をかぶせる必要が生じてしまう。極めてリスキーだ。表情に乏しいのとポーカーフェイスであるのとは、別のことですからな。大佐殿」

「貴様、いいかげんに礼儀というものを……」

「おっ。おいでなすった」

 江藤が古菅から視線を外して立ち上がり、北を指差す。待っていたものが現れたのだ。

「ほう、機兵が来たか」

 地平線上に姿を現したのは三機の龍だった。マヒロフスキーの露払いが、こちらの本人確認も兼ねて先行して来るという段取りは聞いていたが、それが機兵部隊とは一言も知らされていなかった。

「機兵戦力ならこちらにもある、というパフォーマンスでしょうな。どうやら、こちらに交渉の主導権を握らせる気はなさそうだ」

 江藤の洞察に、古菅は頷く。

「こちらの機兵の手持ちが少ないことに気づかれると交渉が厄介になるな……。しかし、啓示軍に対する守備力は向こうが確保してくれたわけだ。となれば、坂元曹長は待機させたほうがいいな。おまえの他の部下たちが合流するまで、少ない手の内は隠すに限る。最悪の場合、我々はあれを制圧しなければならないのだから」

「――そうですな」

 予想外に覇気の無い返事を江藤がしたので、古菅はその横顔をちらりと見た。

「戻らぬ部下が心配か。久留伍長の話では、戦闘中に行方不明になったとのことだったが……」

 古菅は昨夕のことを思い出す。それは少々肝を冷やす出来事だった。南東から元老院派が接近していることを察知し、予定より早い北上を余儀なくされた車列の行く手に、一機の武装した龍が現れたのだ。通信に応じないその龍が敵対の意志を持っている可能性は高いと考え、古菅は坂元と鷹山に攻撃態勢を取るよう指示までしたのだが、実はそれは、敵に阻まれ任務を果たせずに戻った久留のものだった。江藤が古菅の指示を直後に取り消したため、坂元も鷹山も仲間に対して矛を向けずに済んだわけだが、あちこちに損傷を負った久留の龍が通信機まで故障していたあの状況では、合理的判断は他になかった。江藤の選択は結果的に吉と出たに過ぎない。

 しかし、悪運の強い男だと古菅は思う。龍が敵対するものでなかったこともそうだが、久留の選んだ進路についても運がよかったと言える。敵の追撃を避けるため久留が帰路を北回りに取らなければ、合流は難しかったのだから。

 とはいえ、江藤は自分のことを運がいいとは思っていないだろう。想定外の広域にわたる啓示軍の展開や、ふたり送り出した部下が片方しか戻らなかったことなど、江藤はネガティブな面にしか視野が向いていない。戦場ではそのような不慮の出来事は必ずといっていいほど起きるものだが、それに対する心構えがまだできていないのだ。

 江藤はしばしの沈黙を挟み、迫撃砲が砲弾を打ち出すようないつもの勢いをまったく欠いた声で、「まさか」と反応した。

「俺の心配が奴らの助けになるのなら、いくらでも心配してやりますが、そういうふうに世界はできていない。なら今は、亜連二十億の市民の心配をしておきましょう。マヒロフスキーとの交渉もそのため……。だからこそ大佐殿、抜かりないようお願いしますよ。たとえ交渉が最悪の方向に進み、厭うべき手段しか残されなかったとしても、我々は亜連二十億のために覚悟を決めねばならないのですからな」

「何度も言わせるな。貴様にとっての覚悟は、私にとって当然の心構えだ」

「それなら結構」

 垣間見せた脆弱な心の一面などすでに消え去り、江藤の顔には不敵な笑みが浮かべられていた。


*   *   *   *   *


 マヒロフスキーと江藤、そして双方の同伴者数名を交えた会談が今、イルベチェフの見下ろす天幕の内側で行われている。元老院派と、江藤が共闘態勢を取っている議会派の一九〇旅団は、会談の場を境界として南北に分かれて布陣。イルベチェフの乗る龍は、その北側の布陣の象徴として佇んでいた。

「江藤博照……。日本人にしちゃずいぶんと大柄でしたね。遠目に見ても、俺より大きいのは確かだ。大尉とは頭ひとつ違うかも」

 右に控えるタマリアノフからの通信。左に控えるジーナは静かにしているのだが、タマリアノフのほうは退屈しのぎに何度も話をふってきていた。

「おい、ユリウス。日本人らしくないから、あれが偽物だとでも言いたいか? 俺は機兵の操縦訓練を受けていたころに、この目であの男を記憶したんだぞ」

「ああ、そういえばそうでしたね。失敬。――ところで大尉。議会派の出した警護の龍がたった二機だけってことは、雷麒麟が大尉に向かって言ったことも、あながち嘘じゃなさそうですね」

「黒龍隊が独自の任務を遂行中、というあれか」

「それ、それですよ。あの大男が堂々と作戦計画を無線で流したのは今朝。しかし黒龍隊は昨日の朝の時点ですでに部隊を分けていて、作戦を開始していたってことでしょ。こっちに来ているのは陽動なのか何なのか……ともかく連中はやる気満々だ。――そういや、なんでそんなのを救出しろなんて命令が下ったんですか」

マトゥモトフ少将の考えは、俺にもわからないときがある。シムケントでは確かに、黒龍隊のほうでも脱出を望んでいると聞いていたんだがな。事実と異なる情報を俺たちが与えられたのか、それとも数日のうちに黒龍隊の事情が変わったのか、わからん」

ダスマ中将からの援軍が、連中に差し止められたって言ってましたよね。その部隊が俺たちに任務の内容変更を伝えに来てたんじゃ……」

「わからんが、俺の考えじゃその線はないな。部隊の陣容を見たマヒロフスキーは、俺たちの真の狙いが黒龍隊との合流にあることを察知できずに誤解した。それはつまり、ダスマ中将の送り込んできた部隊が俺たちとは全く別の目的を持っていた証拠だ。――いや、あながち、暖炉の谷を中心にすべてのパズルのピースが合わさるかもわからんな」

「わからん、わからんって、それじゃ俺たちはいつまでこうして元老院派と一緒にいなきゃいけないんです。それもわからん、ですか。北熊(セヴェルメドヴェーチ)から裏切り者扱いされるのだけは勘弁ですよ。黒龍隊の腹積もりくらいはこっちも認識しておかないと……」

「それはそうだな」

 言い募るタマリアノフの先を制して、イルベチェフはその言い分を肯定した。

「じゃあ確かめてくるか。ユリウス、ジーナ、あとを任せる」

 言うが早いか、イルベチェフは龍を座らせ、コクピットに繋がったコード類をパイロットスーツから外していく。

「ちょ、ちょっと。任せるって言われても、大尉がここを離れたら元老院派が納得しませんよ」

「こっちで説明しとくさ。――そうだな。交換してくれた龍の腕の調子が良くないから整備道具を探してくる、と言っておく。口裏を合わせろよ」

「了解」

 即答したのはタマリアノフではなくジーナである。

「了解って、おい、ジーナ」

「ともかく任せるぞ。俺は江藤の魂胆をさぐってくる」

 タマリアノフの不平を置き去りに、イルベチェフは機を降りて、自らの足で天幕へと向かった。

 天幕の周囲は、元老院派と一九〇旅団それぞれから同数選ばれた警護たちが、交互に等間隔で並び、輪を作っていた。それで、どちらかが謀って相手の指導者を人質に取るようなことは難しくなる。加えて、イルベチェフがそうしていたように、議会派側の――おそらくは黒龍隊の――龍も天幕周辺の人の動きをチェックしているはずである。なにせ背が高いので膝立ちでも良い物見櫓(やぐら)になる。

 イルベチェフは怪しまれないように、堂々と、さも当然のように天幕に近づいた。警護のうち数名が視線や銃口を向けてきたが、イルベチェフは両手とも武器を持っていないことをアピールして笑みを浮かべる。社交的スマイルには自信も定評もあった。向けられた銃口はそのままでも、それを持つ者の目からは警戒が薄まったことが読み取れる。これで、あとはもっともらしい事情を口にすれば、中での会談に交ぜてもらえる。悪くとも、江藤に北熊のカネジュ・イルベチェフがここにいるという事実を伝えることはできる。

 計画を頭の中で復習して、いざ急ごしらえの事情の説明を始めようとしたそのとき、一帯の視線を釘付けにするのにじゅうぶんな喚(わめ)き声が聞こえてきた。

「緊急事態だ! 中に爆弾が仕掛けてあるぞ!」

 イルベチェフの視界の端から走ってきた小柄な男は、天幕に辿り着くまでにもう一度同じ事を叫んで、警護が制止する間もなく、そのままの勢いで天幕の入り口に駆け込んだ。男を捕まえるためか、男の言を信じて爆弾とやらを探すためか、警護や周囲の将兵数名が続いて天幕に飛び込む。一瞬呆気に取られてしまったイルベチェフだったが、訪れた好機を見逃す手はなく、直後に全力で駆け出していた。


*   *   *   *   *


 アカスティン・マヒロフスキーと顔をあわせた江藤は、その印象が噂話から抱いていたイメージとほとんど違わなかったために、危うく吹きかけた。物腰や話すときの調子からは品性が計れず、似たような点をしばしば注意される江藤から見ても、マヒロフスキーには軍人より山賊の親玉というほうが似合うように思えるのだ。椅子の上で姿勢を崩し、筋肉の塊のような腕の上に頭を乗せたマヒロフスキーは、古菅の話を眠たそうに聞いていた。

「話にならんな」

 暖炉の谷に対する攻撃延期、および元老院派による封鎖の解除の利を長々と説いた古菅を、マヒロフスキーはその一言でばっさりと切り伏せた。さらに、あくびをひとつ挟んでこう言い添える。

「遠方のバロッグが消えはじめているという報告はこちらも受けているが、"壁"はまったく薄くなる気配がない。新型ロボット兵器部隊がいつのまにか援軍として到着していた以上、兵糧攻めが効くという保証もない。奴らはあそこを鉄壁の拠点にする気だ。先月より二度にわたって使用された戦略兵器級の新型バルムンク砲と組み合わせれば、奴らはこの亜連内地で攻守両面を完備することになる。そうなってしまえば、ダーダネルス作戦によるこちらの失地回復など一ヵ月で帳消しにされるぞ」

 マヒロフスキーがまともに発言をしたのはそれが初めてだったが、古菅の主張の数少ない弱点を的確に突いてきていた。江藤はマヒロフスキーが意外に頭の回る人間であることを初めて知ったが、抜け目のない古菅は、猪突猛進で名高いマヒロフスキーが相手であってもあらゆる反論を想定していたらしく、すぐさま口を開く。

「しかし"壁"に対する有効な対処方法がない以上、戦力の投入は味方の犠牲を増やし、戦意を低下させるだけだ。功を焦るのが軍人の本懐ではなかろう。ここは退くべきだ」

「焦るのは功績のためではない。早急にカタをつけねば、ここを足がかりに新青海(チンハイ)やオムスクが落とされる」

「ひと月も放置しろといっているわけではない。せめて数日は待てないのか」

「暖炉の谷が制圧されてから"壁"が生じるまで、数日だった。そこへさらに数日の猶予を与えることが、どういう危険を孕(はら)んでいるか……。内紛の火消しばかりやっている南部方面軍の者には、欧州事変の教訓が伝わっていないようだな。ベルリンを"壁"が覆ってからわずか半年で、啓示軍(オフェンバーレナ)は欧州を手中に収めたのだぞ。同じ足がかりを、今ここに築かせるわけにはいかん。この数日が命運を分けるのだ」

 言い切ったマヒロフスキーの迫力に呑まれたわけではないだろうが、古菅はただ息を飲んだだけで、反駁(はんばく)の糸口を見失ったようだった。

 ――そうだ。日本に生まれながら、栄達の道を南部方面軍に見出した古菅といえども、亜連全土を見渡せているわけではない。マヒロフスキーの言うことは間違っていない。江藤はそのとき沈黙を破ることを決めた。

「その点では俺も同意見だ。マヒロフスキー大佐」

 隣の古菅が、そして正面のマヒロフスキーたち元老院派幹部が、それぞれ滅多に見られない顔をする。

「"壁"の突破は急務だ。そして"壁"近傍での戦術行動には機兵が多いほうがいい。だからここは手を組んでさっさと片付けよう」

「――手を組むだと?」

 マヒロフスキーが怪訝そうに訊ねる。そして返答するより前に笑い出す。

外廓聯への対抗手段として議会が設立させた、それが黒龍隊だ。その隊長が我々、いわゆる元老院派と手を組むというのか? 貴様の隣には議会派のやり手がいるというのにか?」

「そうだ。俺は他人が決めた見えない枠組みに囚われるのは嫌いだ。だから、自分の気に入ったほうにつく。"壁"突破の重要性に関して、俺はここにいる古菅大佐よりもマヒロフスキー大佐、あんたと考えが一致した。だから今回はあんたと手を組みたい。黒龍隊は議会から緊急時の独立行動を許されている。そして"壁"発生は緊急時に他ならない。したがって法的にも何も問題はない。――さて、どうする。あとはそちらの意志次第だが」

 江藤は傍らの古菅をはじめ、マヒロフスキー以外に口を開く余裕のある者は見当たらない。そしてマヒロフスキーは乗ってきた。

「面白いな。話には聞いていたが、たしかに貴様は面白いぞ、江藤。黒龍隊の戦力が加わるならば、"壁"を破る算段も……」

 外から喧騒が舞い込んだのはそのときだった。最初に「爆弾だ」と叫ぶ声があり、次いで「止まれ」、「撃て」、「撃つな」などの短い命令文が飛び交う。天幕の中に転がり込んできたのは十人ほど。彼らが襲撃に来たのか、救出に来たのかはわからない。ともかく江藤は条件反射で退避行動を取る。椅子を盾にして転がり、身を伏せる。その過程で江藤は、飛び込んできた一団の中に見知った顔を見つけた。

「――周富窪」

 乾いた破裂音。天幕は煙に満たされ、江藤は視界を失った。


*   *   *   *   *


 イルベチェフが天幕に突入して、すぐに爆発があった。思わず頭をかばったが、爆圧は弱く、熱も鉄片も襲ってこない。それは殺傷を目的とした爆発ではなかった。

「江藤少佐!」

 大声で江藤を呼んでみる。返事があったようにも聞こえたが、あたりの混乱がやかましく、定かではない。イルベチェフは奥に入っていこうとしたが、滅茶苦茶な状態の人の流れに揉まれ、思うように動けない。

 ――ここで発砲があれば、故意だろうが事故だろうが最悪の結果に繋がる。

「緊急事態だ。ユリウス、天幕を引き剥がせ」

 ヘルメットは脱いできたが、イルベチェフの手首には、指揮官に限って支給される腕時計型の多目的端末があった。続いて亜連軍の共用周波数に切り替え、事件の発生と冷静な対処を呼びかける。

「江藤少佐! いるなら返事してくれ!」

 言おうとした言葉を間近で先に言われ、イルベチェフはどきりとした。日本語だ。黒龍隊の者か。イルベチェフは接触を試みるが、二度目に聞こえたその声は遠のいており、捕まえそこなった。

 間もなく機兵の足音が近づいてくると、支柱の倒れる音とともに、空気の流れが変わった。乾燥した冷たい風が煙を払っていく。

「大尉!」

 腕の端末からタマリアノフの大声が聞こえてくる。

「よし、それ以上は下手に動くな。こちらが仕組んだ事と誤解されるのはまずい」

「もう遅いようですよ」

「何だって」

 イルベチェフは南をふりむく。目の前に龍の足があった。見上げると、ちょうどイルベチェフの頭上でタマリアノフ機ともう一機の龍が牽制しあっている。

「黒龍隊の龍! ここは退け!」

「そうだ、双方とも無事だ!」

 イルベチェフが腕の端末を掲げてそこへ叫ぶと、それに同調する声が上がった。通信端末を使わず直接龍に呼びかけているのではないかと疑うような大声。ただし、聞こえた声は大きくてもその発生源はそう近くない。見回して、イルベチェフは人だかりのなかにひとつだけ抜き出た顔を発見した。

「――江藤博照」

 呟き、次に大きく声を張り上げて呼ぼうとしたが、その前に江藤は警護の者に引きずられるようにしてその場から離れ、議会派の陣の奥に消えていく。追おうにも、頭上で睨みあっていた二機の龍がそれぞれ後退をはじめたおかげで人の流れが乱れ、走ることはできなかった。

「江藤少佐? どこ?」

 また間近で、さきほど江藤を呼んだ声がした。煙が晴れた今、イルベチェフはその声の主の特定に労を要さなかった。

「君は?」

 捕まえたジャパニーズスピーカーは、中背のイルベチェフよりも背が低かった。顔もあどけない。少年兵かと見紛ったが、その男はイルベチェフとほぼ同様のなりをしていた。

「そんなことより、江藤少佐は?」

「もうあっちだ」

 イルベチェフは南の一九〇旅団の陣を顎(あご)でしゃくって示す。小柄な男は肩を落とした。

「そうか……。ところであんた、俺と同じくらいの背で、太った男を見なかった? そいつが今の爆発の犯人なんだ。天幕に最初に突っ込んだ奴」

「天幕に入っていくところしか見ていない」

「そっか、ありがとう……。あ、大尉殿か、あんた。これは失礼を」

「いや、いい。俺は北部方面軍のカネジュ・イルベチェフ大尉だ。君は……」

「長野。長野翔太。中尉だ」

「長野中尉。君は黒龍隊の一員か? だったら江藤少佐に伝えて欲しい。カネジュ・イルベチェフが会いたがっていたと」

 周囲に聞かれても差しさわりのない言葉で、イルベチェフは江藤へのメッセージを託す。

「事情が複雑なんで返答は控えさせてもらうけど、会えたら伝言しておく」

「頼む。――ああ、長野中尉」

 礼もそこそこに背を向けて走っていこうとする長野を、イルベチェフは呼び止めた。

「この状況で、だれそれが犯人だとかいった断定的なことを言いふらすのは、やめたほうがいい」

「間違いないから言ったんだ」

 ふりかえった長野はきつくイルベチェフを一瞥(いちべつ)して走り去った。



- 4 -


 襲撃事件が原因で会談は中断され、両陣営は南北にそれぞれ後退した。著しく気分を害されて会談の場を離れたマヒロフスキーは、部下に事件の究明を厳命すると、護衛を指揮車輛のそばで待機させ、ひとりで車内へと乗り込んだ。

「おまえたちの差し金か?」

 マヒロフスキーは車内でひとり待っていた女――BR450に問いかける。ともに現場にいながら、煙の晴れたときこの女はすでに姿を消していた。

RATの予定にある出来事ではありませんでした」

 情報処理端末に向かっていたBR450は、そう答えながらマヒロフスキーのほうに向き直り、指揮官席への着座を勧める。

「予定には無かったが、急遽実行したと言いたいのか」

「そういうわけでは……」

「では、俺が江藤の話に乗ろうとしたことが、そんなに気に入らなかったか。たとえおまえが元老院から俺の監視まで命じられていようと、俺は俺の邪魔をする者を許さんぞ」

 マヒロフスキーは乱暴に椅子に座る。重たい装甲車輛が軽く振動した。

「落ち着いてください、司令。RATは司令への進言はさせて頂きますが、司令の裁量権には一切干渉しません。あそこで使われた煙幕はたしかにRATの特務員が使用するものでしたが、使用者がすなわちRAT特務員だと特定できるわけではなく、また、最初に飛び込んできた下士官は、このあたりで活動中のRATのリストには載っていない顔でした」

「整形をせずともマスクの類で顔つきを変える技術を、RATは持っているのではなかったか」

「それは正しい知識です。ですが、私の関知する特務員でないことは断言できます」

「つまり、おまえに任務を与えた元老院議員とは別の議員が、別の命令系統で動くRAT部隊を動員している可能性は否定しないのだな」

 それを言うと、BR450は少し間を置いて息を吐き、「本来は秘密にすべき事柄なのですが」と語りはじめた。

「私の任務は、洪秀連(ホン・シュウレン)議員の提案ののち、ノヴィコフ議長の承認があって下命されたものです。それを阻害するような任務を受けたRATがいるとは、可能性は否定しきれませんが、非常に考えにくいことです」

「それはどうだろうな。俺はノヴィコフの爺(じじい)を畏れていない元老院議員をひとり知っているぞ」

「マヒロフスキー司令……」

 BR450が何かを言いかけたところで、彼女の手元の通信端末が音を立て、その先は言葉として発せられなかった。しかし声に出されずとも、マヒロフスキーは相手が何を言おうとしたか見当がつく。元老院議長に敬意を払わない元老院議員など、あってはならない。――元老院派と呼ばれる派閥の者は、多くがそう考えている。それはマヒロフスキーにとって厄介な事実だった。

「司令、敵襲です。哨戒部隊が敵の機兵戦隊の動きを捉えました。おそらくはE6(エーゼクス)です」

 BR450が淡々と脅威の接近を知らせる。マヒロフスキーはただちに手元の端末を手に取り、各指揮官へと繋いだ。

「マヒロフスキーだ。各隊はプランAに沿って防戦を展開せよ」

 一度だけ繰り返し、すぐに切る。江藤がオープンな電波でメッセージを発していたために、こうなることは予測済みだった。具体的な戦術についても、黒龍隊との会談前にいくつかのプランにまとめておいた。さきほどの会談であのような事件が起きたために若干の修正が必要だが、それは二箇所に個別連絡をすれば事足りる。

「北熊(セヴェルメドヴェーチ)のイルベチェフ大尉に通達。陽動と思われる敵は黒龍隊に任せ、敵の本命部隊を索敵、撃滅せよとな」

 マヒロフスキーはほくそ笑んだ。これで江藤の言葉の真偽が計れる。本当に共闘の意思があるならば、あの男はイルベチェフの抜けた穴までカバーするだろうし、こちらから情報を引き出すための方便であったなら、E6の目を元老院派に集中させ、自らは戦力温存を図るだろう。それが武人のやり方だ。



- 5 -


 休憩のため龍から下りていた鷹山は、啓示軍(オフェンバーレナ)機兵戦隊の接近の報せを受け、舌打ちとともに駆け出した。

「結局、裏目に出たのかよ」

 深夜に江藤が勝手に流していた、例の放送。あれによって、啓示軍にこちらから攻撃のタイミングと始点を示唆したようなものだった。"壁"に守られた啓示軍があれを罠と警戒し、守備に徹してくれることを鷹山は期待していたが、例の怪物乗俑機どころか機兵を呼び寄せる結果になってしまった。

 走りながら、鷹山は龍を立ち上がらせているところの久留をコールする。

「久留。江藤少佐は指揮を執らないのか?」

「問い合わせたが、古菅大佐は少佐をあそこから出すつもりはないらしい。今までどおり、戦術行動は俺たちの判断に任せるそうだ」

「坂元は?」

「大佐から別の任務を受けているらしい」

「別任務? くそ。ふたりで相手しろってのかよ」

 そこで鷹山は龍の腹の中に飛び込み、シートに収まった。

 ――坂元がいないからじゃない。ただ機数が少ないから不安なのだ。

 自分にそう言い聞かせ、鷹山は手早く操縦の準備を済ませる。スタンバイ状態にあった龍は、パイロット側の準備が整ったことを各所の信号で確認すると、すぐさま起動した。

 モニターに見慣れない表示が出た。登録されていない機からの、情報リンク接続要求。許可すると、友軍の部隊展開と敵部隊の観測情報が戦術地図表示に加えられた。

「元老院派からのデータか?」

「たぶんな。情報の中身が本物かどうかは信用できないが」

「考えすぎだろ。この近くには奴らの司令官だって来ているんだ。――こっちに回り込んだのがいるぞ。エントゼルトゾルダート二機」

「近くで元老院派の戦車隊が迎撃態勢を取っている」

「好都合。俺たちがおびき出して、戦車に片付けさせる。いいな?」

「了解、曹長。奴らに昨日の借りを返させてもらう」

「行くぞ」

 身軽さを重視し、火縄と予備弾倉のみを装備。装甲車輛が慌しく走り出すのに交じり、二機の龍は北西へと向かった。


*   *   *   *   *


 熱粒子砲が目標に向かってレール状の変則領域を生じさせ、そこを微かな閃光とともに高熱の粒子が流れる。目標――戦車の砲塔にそれは直撃し、砲身が飴のように曲がるのを、ケーシャ・スラントは観測した。

「強引な攻めだな」

 ケーシャは自嘲する。岩場からの奇襲により、移動中の戦車と自走砲を一輛ずつ撃破したものの、戦車の反撃で僚機の一機が片腕を失ったのだ。それもそのはずで、バロッグが薄くなりはじめたこの戦域では、もはや機兵の優位性は失われつつある。戦車砲の強烈な一撃をまともに受ければ、機兵は一撃で大破する。当たったのが腕でよかった。胴でなくとも、足一本を失っただけで機兵は帰還困難になるのだから。

「隊長、相対バルムンク反応に感あり。機兵です。ようやく来ました」

 左翼、やや離れて展開したもう一機の僚機から通信。直後、乗機シュヴァルツパンターRBRセンサーも同じものを感知した。

 ――二機。いや、三機。数はこちらと同じ。

 部下に援護を指示し、ケーシャは単機で岩場を飛び出した。龍のRBRセンサーの性能はだいたいわかっている。シュヴァルツパンターはその有効範囲のぎりぎり外側を駆け、肩の小型ミサイルコンテナから対地ミサイルを三発発射。ほぼ時を同じくして、部下が援護の砲撃。

 相手が回避のため散らばったのを見て取ると、ケーシャはいちばん近い一機に向かって接近。視認範囲に入るとともに囮(おとり)用の煙幕を張り、熱粒子砲を掃射。ケーシャはそれで足を止めたという確信があったが、龍は一瞬ひるんだもののすぐに跳躍し、手にしたライフル砲で反撃してきた。それを回避し、機関砲で牽制しつつ、再度熱粒子砲の掃射。しかし、また足を止められない。

 ――そういうことか。

 ケーシャは熱粒子砲の攻撃が効いていない理由を悟った。熱粒子砲照射に合わせて、敵はバルムンクフィールドの出力を上げているのだ。それにより、変則領域で定められる熱粒子砲の弾道が捻(ね)じ曲げられ、レールを外れた熱粒子はことごとく大気中で拡散して、エネルギーは減衰するというわけだ。

「ならば、しかたがない」

 回避の片手間に、ケーシャは熱粒子砲を狙撃モードに切り替える。足止めを狙ったために威力を落とした掃射モードを用いたが、その戦法を続けていたのでは目の前の敵を制圧できそうになかった。

 味方機からの援護で相手に隙ができた瞬間、すかさず熱粒子砲を発射。爆発を起こす兵器ではないために熱粒子砲の着弾確認は難しいが、ケーシャは狙い通りの箇所にダメージを与えたことを知ることができた。龍は動きこそ止めないものの、BFGが機能を停止したのだろう、相対バルムンク反応のレベルが急激に低下したのだ。

 直撃できるとわかっていながらコクピットを外したのは、故意だった。しかし、それは相手に反撃の余地を与えた。手負いの龍からの予想外に素早い応射に、ケーシャの反応は間に合わない。被弾。左肩と、背中の大型RBRセンサーが破損。これで相手の僚機の動きが掴めなくなった。ケーシャは弾幕を張り、一旦岩場まで後退する。

「隊長!」

 窪地に機体を落ち着けると、後方から支援していた四脚型からケーシャを気遣う声がかかった。

「大丈夫だ。あの龍、なかなかやる。――しかし」

「ターゲットではないと?」

「強引に戦闘の流れを作るような、あの荒々しさがない。あれは違う。違うタイプのパイロットだ。ターゲット……エトウという男ではない」

 ケーシャはこの奇妙な任務を命じられたときのことを思い出す。一昨日、ケーシャやブラームス、E12(エーツヴェルフ)のワイルダー兄弟を呼び出したアルベルト・ヴェーバーは、こう言ったのだ。エトウ・ヒロテルという機兵パイロットを確保せよ、と。

 オズボーン・ワイルダーの提出した交戦記録より、エトウという男が亜連の四つ目の機兵戦隊隊長であること、そして一ヵ月前の作戦でケーシャを苦戦させたパイロットがそれと同一人物らしいということをケーシャは知った。オズボーンに敗れたとはいえ、僚機との連携でその弟オズマンドを窮地に追いやっているのだから、その実力は客観的にも高く評価できよう。

 しかし、ヴェーバーがその男を警戒する理由は他にあるようだった。だからこそ、生かして捕えよという異例の命令にもなるのだろう。それも、基幹部隊が作戦を最終フェイズに移行させる今夜までという期限まで付いている。

 正直、エトウの他にもケーシャにはわからないことが多い。ノイエトーター二号機「X2(イクスツヴァイ)」がこの地で"壁"を形成できる理由、作戦の最終フェイズの実態、"壁"発生に前後してどこからか現れた増援の無人機部隊……。ただわかるのは、それらの謎に戸惑わず"時報(ツァイトアンザーゲ)"の言葉に従うことが、啓示軍(オフェンバーレナ)の目指す世界革新を着実に早めるということだけだ。

「目的はあくまでターゲットの捕獲にある。ここを離れ、コミレットの小隊に合流する。おまえたちは先に行け」

 僚機に指示すると、ケーシャは敵の追撃を阻むべく、岩場から出て囮になる。相手の練度が高いだけに、ケーシャは愛機にさらなるダメージを負うことも覚悟したのだが、意外にも三機の龍はすぐに追走をやめ、退いていった。

 隊長機の被弾で戦意を喪失したか。ケーシャはそう推測してみたものの、どうもそれが外れているように思えた。敵の意思決定に、純粋に戦術的でない何かが絡んだように。

「おまえたちにも、思惑があるか」

 所詮は一枚岩になりきれぬ、烏合の衆。彼らはここで敵を追撃しなかったことを後悔するだろう。ケーシャは三機のパイロットに憐れみすら感じつつ、それらを感知できない距離まで離脱した。



- 6 -


 暗殺犯の魔手から身を守るためという理由で、装甲兵員輸送車のなかに閉じ込められた江藤は、戦闘が始まってからもそこから出してもらえないでいた。

 車内には、古菅が信用を置いているらしい部下がひとりだけ。インド南方の出身らしいその将校の名を、たしかに古菅は呼んでいたのだが、耳慣れない発音だったので江藤にはよく聞き取れなかった。その難しい名前の将校が、車外に目立たないよう待機している複数の護衛や、古菅との連絡を管理している。江藤は自分を自由にして指揮を執らせるよう再三要求したが、古菅の言葉を堅く守り通すその将校は、江藤の説得に耳を傾けなかった。古菅はそういう人物を選んだのだ。

 江藤を危険から遠ざけるためと語った古菅の言葉は、嘘ではないだろう。嫌がらせで江藤を閉じ込めているわけではない。何の相談も報告もなく元老院派と手を組もうとした江藤を、古菅が恨んでいないと言えばそれこそ嘘になるだろうが、職分である軍事行動において私情を挟まない性分であることは重々承知している。古菅の命令には妥当性がある。

 妥当な処置ではあるが、結果として事件の調査に関与できず、あの場に現れた周富窪のその後も知ることができない江藤は、もどかしさを抱えることになった。状況からして、部外者たる富窪こそ犯人と見る向きもあるだろうから、狙われた当事者と見なされている江藤が富窪と会うことは難しい。しかし、江藤はその富窪を歓迎する立場にある。

 昨夜のメッセージを聞いてから駆けつけたにしては、富窪の現れるのは早かった。行方不明の南田が本隊との合流を果たし、あらかじめ東へ移動していたのでなければ、タイミングが合わない。ならば、北嶋たち本隊は近くにいる。元老院派の干渉を警戒して身を隠しているだろうから、居場所は富窪に聞かねばわかるまい。監視をしていた鷹山と久留の龍には富窪を捉えた映像記録が残っているはずだから、それを見返したふたりが富窪と接触してくれていれば、本隊との合流がようやく成る。しかし、そのふたりは今頃、応戦中だ。

 啓示軍(オフェンバーレナ)の機兵戦隊が襲撃してきたことは、外部からの連絡で知っている。そして戦闘がどんどん近づいてきていることも、連絡役の将校に尋ねるまでもなく、音や地響きから明らかだった。

「まずいな」

 江藤は呟いた。バロッグは濃度低下の傾向にあるものの、このあたりの地形は戦車より機兵に味方するから、啓示軍のほうに分がある。味方は押されているのだ。

 江藤は、"壁"に守られた啓示軍が打って出て来る可能性は低いと見積もっていた。だが、元老院派が制圧を急ぐように、啓示軍にも何らかのタイムリミットが存在するのかもしれない。そこは盲点だった。両軍が再び大規模な戦闘を開始する前に策を成立させるつもりだった江藤にとって、この見誤りは痛い。指揮系統が整っているうちでなければ、策の効果は期待できないのだ。

 ――タイムリミットは今夜。零時ごろか。

 改めて情報を整理し、江藤はそう推論する。周辺のバロッグがこのままのペースで薄くなるなら、今夜のうちに消えて無くなる。それは、"壁"直近へ亜連軍が進攻可能になるということだ。"壁"がどういう性質のものか詳細は不明だったが、敵がその外側と内側を行き来している以上、間近でデータを取れば、何らかの突破法が発見されるかもしれない。啓示軍はそれを恐れ、バロッグの残っているうちに機兵を出撃させたのではないか。そして裏を返せば、啓示軍はこれから数日を守り抜くことで大きな逆転の機会が来ると見込んでいるのではないか。

 江藤は自分の考えに確信を抱く。

 会談の場で、マヒロフスキーは共闘案に乗ってきた。あれはマヒロフスキーが、機兵の数が集まれば"壁"突破作戦が実行可能であると考えていた証拠だ。騒動のおかげで具体的な手の内を探るには至らなかったが、何らかの案がすでに元老院派によって計画されているのは確かで、その立案にはおそらく、SMITSも関わっているだろう。変則領域について亜連で最大の知識を持つSMITSであれば、啓示軍が今やろうとしていることの弱点を解析していてもおかしくない。

「やはり問題は、その具体的な中身だ」

 独白し、江藤は頷く。マヒロフスキーが進めようとしている作戦が、変則領域制御によるスマートなものであれば、江藤が必ずしも策を成功させる必要はない。しかしもしそれが強引で倫理に悖(もと)るような作戦であったなら、策は必ず成功させなければならない。そのためにこそ、部下を置き去りにしながらも古菅と組んでここへやって来たのだから。

 ここを出なければならない。そして味方の損害を最小限に抑えつつ啓示軍を撃退し、そのうえで、再びマヒロフスキーと会わねばならない。また、早急に富窪と会う必要もある。

「古菅大佐に繋いでくれ」

 江藤は同乗の将校に頼む。即座に首は横にふられたが、江藤は食い下がる。

「大佐が指揮で忙しいのはわかっている。俺とて、不毛なやり取りで無駄な時間を食うつもりもなければ、指揮の邪魔をして味方の損害を増やすつもりもない。だが、このままでは危険だ」

 交戦中に危険とは、何を今更。そう言いたげな顔をされて、江藤は説得にちょうどいい材料がないか思案する。すると不意に、江藤は今までにない感触を第六感に得た。

「機兵だ。近くの龍じゃない。――敵の機兵がここに近づいている」

 江藤は自分でも驚いていた。そばに龍が一機控えていること、そしてひとつの異分子が接近していること、いずれも今はじめて認識した。まるで、耳を澄まして唐突にある音に気づいたかのように、あるいは目を凝らしてはじめて何かの形を識別できたかのように、急にそれらの事象が認識できたのだ。

 機兵が稼動中に形成するバルムンクフィールドなどの人為的変則領域は、これまで江藤の感知できる対象ではなかった。だからその特異な能力が実証されることも公認されることもなく現在に至ったのだが、暖炉の谷に近づいてから不思議と鋭敏になっていた第六感は、認識範囲と精度の向上ばかりではなく、ついにその性質まで変化させたらしい。

 センサーもテレビ画面もないなかで、日本人が突然おかしなことを言い出した……とでもインド人将校は思ったのだろう。表情にそれはありありと出ていたが、彼の通信機に龍からメッセージが届くと、彼は目の色を変えた。漏れ聞こえた日本人訛りのある英語の声は、坂元のようだった。

「言ったとおりだろう? ここにいては危ない。見えない造反者から身を隠すより、まずは目に見える敵から身を守るべきだ」

 神妙に頷いて、インド人将校は通信機を別の回線に繋ぐ。古菅に了解を得るつもりのようだった。

 それでは遅い、早く車から出すか、車を出すかしてくれ。――そう言おうとした江藤もまた、少し遅かった。空気を裂く音が迫ってくるのに気づき、衝撃に備えて江藤が身を縮めた直後、轟音とともに車体が大きく傾いた。

 直撃ではない。近くの着弾の余波を受けたのだろうと、江藤は自身に外傷がないか確かめながら推測した。車体はまだ車体としての形を保っているようだったし、炎上もしていない。ただ、横転しただけだ。

 観音開き式の後部扉に体を向けると、そこに座っていたインド人将校は床……いや、壁に突っ伏していた。そのそばに転がった通信機は、転げた拍子に周波数調整ダイヤルでもずれたのか、雑音ばかり拾っている。江藤は扉のほうに這(は)って行って男の上体を抱え起こし、呼吸と脈を確かめた。いずれも正常のようだったが、気を失っている。呼びかけても返事がない。

 江藤はひとまず男をまたぎ越して、扉に取り付いた。力を込めるが、開かない。数センチだけ隙間ができたところで、何かが引っかかるのだ。衝撃で扉が少し変形してしまったのかと思い、江藤は体の向きを変え、扉を蹴ってみる。何度かやっていると、扉が少し動いた。

「よし」

 さらに力を込め、扉を蹴る。隙間が拡大する。また蹴る。隙間がかなり広がった。最後にもう一度、と江藤が渾身の蹴りを繰り出すと、足が届くまえに扉がすっと開いてしまった。誰かが扉を外から開けたのだ。それで空を切った江藤の軍靴は、江藤を助けに来たらしい何者かの胸板に叩き込まれる。一瞬見えた顔が、視界から崩れ落ちる。

「富窪!」

 驚き、慌て、江藤は装甲兵員輸送車から抜け出た。尻餅をついていた富窪に手を貸して立たせると、その両肩を叩いて大げさに喜んでみせた。

「無事だったか! 心配したのだぞ」

 そこでわざと英語を使ったのは、あたりに配置されているはずの江藤の護衛たちが富窪を敵と考えて、危害を加えることを警戒したからだった。しかし、すぐに江藤はその配慮が無用であることに気づく。護衛が護衛として働いていたなら、そもそも助けに来たのは富窪ではなく護衛たちであったはず。助けにも来ず、富窪が車輛に取り付くのも妨害されなかったのだから、彼らが江藤の護衛よりも啓示軍の迎撃を優先したことは自明のことだ。

 ――そうだ。敵は近い。

 方角を認識できるかと試行して、江藤はなんとなく左手ではないかと感じた。実際にそちらを見てみると、坂元のものらしい龍防人型の後姿がある。見えないが、その先にさきほどの砲弾を見舞ってくれた敵がいるのだろう。防人型はじっとせず、絶えず位置を変えながら火縄での狙撃姿勢をとっていた。

「話はあとだ。今は戦うか逃げるかしかない。そこへおまえが一緒となると、もう逃げるほかない。俺用の機兵は余っていないしな」

 返事など待たず、江藤は砲弾の破片を避けられそうなルートを見出して走り出す。インド人将校のことは、運を天に任せた。今かまってはいられない。

「――あんなことのあとでも、旦那(だんな)はあっしを疑わないんですか?」

 追ってきながら、富窪が遠慮がちに訊ねてくる。

「おまえがどういうふうに疑わしいかについて、俺は疑いない確信を抱いている。それによりゃ、ここでおまえを疑っても、得るものが無い」

 最近は疑わしい奴に不自由していない、と江藤が付け加えようとすると、また近くに着弾があった。ふたりは咄嗟(とっさ)に伏せて、爆発の余波から身を守る。

「旦那。こっちです」

 先に立ち上がった富窪が、江藤を先導して駆け出した。江藤は横目に龍の健在を確かめて、それを追う。そして、富窪の向かう先が古菅の指揮所とは別であることに、江藤はすぐに気づく。

「どこに行く気だ。誰か一緒に来ているのか」

「実は……」

 ふりかえった富窪の先を、ロケットランチャーを抱えた兵士が横切る。江藤はそれを見て嫌な想像をしてしまった。そのとき、敵の機兵らしい"気配"が近寄ってくるのを感じたからだ。そして江藤の想像した状況は、一瞬後に実際のものとなった。砲声が聞こえるより早く、地面が弾け、兵士が吹き飛ばされるさまが江藤の目に焼き付けられる。

 江藤には身を伏せる暇など無かった。前を向いていなかった周富窪には、なおさら不可能だった。富窪が悲鳴を上げたかどうか、爆音で塞がれた江藤の耳にはわからない。無音の世界で、富窪は前から突き飛ばされるようにして、倒れた。

「富窪!」

 駆け寄ると、富窪の腹には赤い染みができていた。そして見る見るうちに広がっていく。砲弾の破片か、吹き飛ばされた石か、それは江藤と弾着地点の間にいた富窪の体に穴を穿ち、無傷の江藤がその傷を見下ろしている。

「だ、んな……」

 傷口に手を当て、自分の身に起こったことを察したらしい富窪は、ゆっくりと目を動かして江藤と視線をあわせた。江藤は膝をつき、そのかすれた声に耳を澄ます。

「……の龍が、旦那を回収に……ゴン太坊ちゃんも一緒ですから、必ず旦那を見つけ……」

 そこで富窪は血を吐き、苦痛に顔をゆがめた。

「もういい、今は安静にしろ」

「そのほうが……いいようで。あとは……」

「黙れと言っている。――衛生兵はいないのか!」

 立ち上がり、江藤は怒鳴る。するとその声を掻き消すロケットエンジンの音が接近し、江藤の前に一機の機兵が着地した。しかし、龍ではない。

 エントゼルトゾルダート。――いや、少し違う。セカンドモデルか。

 跳んできたほうを振り向きながら、新型ゾルダートが右腕の砲を轟かせた。砲身の延長線上で、龍が右腕を肩からもがれ、よろめく。

 ――わざと直撃を避けた?

 バロッグの影響で射線がそれたのではないと、江藤は看破した。直撃させる気で撃って、それが外れて腕に当たることはままあるが、それとも違う。そのような偶然ではなく、あれは狙ってあの箇所に当てたのだ。砲弾発射の寸前、予(あらかじ)め弾道を描くかのように変則領域に空白ができたのを、江藤は感じ取っていた。そして砲弾はその通常領域を通って飛び、龍の腕を奪った。啓示軍はバルムンク砲の技術を応用して、変則領域内での通常火器使用制限を緩和したのだろう。

 しかし何故だ、と江藤はつい考えてしまう。武装さえ破壊すれば機兵の戦闘能力は殆(ほとん)ど奪えるが、敵地に単機で奇襲をかけている立場では、江藤でもそのようなことはしない。そして江藤は、自分より甘い人間が戦場で生き残っている例を見たことがない。目の前のゾルダートは、その身のこなしから熟練者の操縦と知れるが、それが戦場で情けをかけるなど、ありえるのだろうか。

 龍を戦闘不能にしたことを確認したのか、新型ゾルダートの顔が周囲を見渡しはじめる。

 江藤は身の危険を感じた。熟練の機兵パイロットなら、接近した歩兵を決して侮らない。生身の人間はたとえ一見非武装に見えても、機兵の脚部関節をじゅうぶん破壊できる爆弾を携行できる。だから、あちらが江藤を脅威として認識しないはずはないのだ。一方で、すでに倒れて動けない富窪をいちいち踏み潰していくほど敵に余裕はないので、富窪はむしろこのまま放置したほうが良い。

 しかし、いざ逃げようとしても、まともな隠れ場所が見当たらず江藤は困った。死んだふりでもするかと本気で考えていると、新型ゾルダートが顎を引いて足元に視線を転じ、首の水平回転が江藤のほうを向いて止まった。

 ――見つかった。

 両手を挙げて逃げる。江藤が瞬時に選んだのはその選択肢だった。恥も外聞も生き残ってから気にすればよかった。撃たれるか、無視されるか、ふたつにひとつ。その選択権は新型ゾルダートのパイロットにある――と、江藤がそう考えたのは、早計だった。

 新型ゾルダートは江藤を撃ち殺しもしなければ、無視もしなかった。不意に江藤の体が周囲から圧迫を受け、そのまま両足が地面から離れる。江藤の視点が移動し、視野が広がる。新型ゾルダートは、武装と一体化されていない左手で、江藤を捕まえて持ち上げたのだった。

「あなたはエトウ・ヒロテルだな」

 人が話す程度の音量で、新型ゾルダートが英語を話す。パイロットの声だろう。どうして自分の名を聞かれるのか理解できず、江藤が呆気に取られていると、ゾルダートは手を動かし、江藤を顔の位置に近づけた。ゴーグル状の目の奥で何かが動く。相貌をスキャンしてデータベースと照合しているらしいと、江藤は見当をつけた。

「俺も有名人になったものだな。――敵地に踏み込みすぎたから、俺を人質にして逃げようとでも考えたのか」

「――確認した。殺しはしない。抵抗はするな」

 江藤の言葉を無視し、一方的に自分の言いたいことを伝えた啓示軍パイロットは、すぐさま全神経を機体の操縦にふりむけたようだった。それもそのはず、ロケット弾が江藤たちのほうに飛んできており、新型ゾルダートは瞬発的な横跳びでそれを回避する。急激な横方向の加速度に呼吸を詰まらせながら、江藤はその瞬発力が龍の上を行っている事実を体で思い知ることになった。

 倒れた富窪が遠ざかり、隻腕となった坂元の龍も視界から消えていく。江藤を人質としてアピールするまでもなく、新型ゾルダートは四方からの攻撃をかわし、障害を排除して西に進んでいた。なにしろ一九〇旅団の即時稼動可能な戦力のほとんどが最初に発見された敵に向かってしまったので、このたった一機の遊撃機さえ、残った部隊には撃破できないのだ。先の事件による指揮系統混乱という弱点に、啓示軍の陽動作戦が運悪く――向こうからしてみれば運良く――かち合ってしまった。

 このままでは啓示軍の捕虜にされてしまう。啓示軍の中枢に乗り込んでみたいとは思わないでもないが、強引に連れて行かれるのは江藤とて勘弁して欲しいところである。もっと悪ければ、新型ゾルダートを狙った味方の攻撃で命を落としかねない。

 自分では何もできない江藤としては、鷹山と久留に希望を託すしかなかった。一九〇旅団の陣営内に坂元機しか姿がなかったということは、ふたりの龍は敵の陽動部隊の迎撃に当たっているはずだった。元老院派も三機の龍を使っているようだったが、それらはマヒロフスキーたち元老院派幹部を守るために動いているだろうから、こちらへの支援は期待できない。

 やがて行く手の稜線に機兵の影が見えた。しかしそれらは龍ではない。エントゼルトゾルダートらしいと、江藤の今の知覚は教えている。新型ゾルダートは、陽動に当たっていた別働隊とここで合流する手筈だったのだろう。自分はお土産よろしく持ち帰られるわけだ、と江藤は情けなくなる。

 一機と二機が合流して、三機になる。二機のほうには新しい傷が見受けられるが、致命的ダメージではない。鷹山と久留はこれに敗れたのではあるまいか、ありそうなことだ、と江藤はまたしても悪い想像をしてしまう。客観的に見れば他の可能性はなかなか想定できない。

 陽動部隊の一機、四脚型のエントゼルトゾルダートが空高く信号弾を打ち上げた。おそらく撤退信号。それを見て、江藤はふと思った。

 ――こいつらは、俺を探すためだけにこの攻撃を仕掛けたのだろうか。



- 7 -


 南田が龍で戦場に駆けつけたときには、敵機の姿は消え、ただ味方の被った損害ばかりが目に飛び込んでくる状況だった。戦車は炎上し、装甲車は横転、担架を運ぶ衛生兵の姿が装甲越しにも血のにおいを感じさせる。

「誰かさんが機兵を置いて潜入なんかやるから、出遅れたじゃないか」

 通信回線をオフにした状態で、南田は愚痴る。

 また捕まっては洒落にならないからと、雷麒麟を南田に見張らせて生身で偵察に出て行った長野は、結局江藤とは話もできずに帰ってきた。せめて機兵を下りずに望遠カメラで様子を窺(うかが)っていれば、敵襲に対してもっと素早く対応できたというのに。

 視線をやや遠方に転じれば、片腕を失い乗り捨てられた龍防人型も見えた。乗っていたのは坂元か鷹山だろうかと、南田はパイロットの負傷を心配する。

「南田! 二時に光が見えた。わかってんの?」

 雷麒麟から長野のヒステリックな声が届く。

「了解」

 応答し、少し前のカメラ映像を呼び出してその光を確認。信号弾のようだが、その示す意味など作戦ごとに変えられていると考えるべきで、敵の意図はわからない。ただ、そこに敵がいることはわかった。

「中尉、仕掛ける」

「おい、冗談はよせよ。消耗戦に付き合っていられるか。守ればいいんだ。そして江藤少佐を探し出せば……」

「そっちこそ冗談はやめてくれ。あんたには知らないパイロットだろうけど、ここで戦っている龍は俺たちの仲間なんだ」

 雷麒麟を追い抜き、南田は信号弾の上がったほうへ龍を加速させる。

 ――テストパイロットなんて、こんなものか。

 その瞬間、南田は長野に期待することをやめた。そもそも自分が間違っていたのだと、南田は反省する。理想的な兄貴分など、軍という組織のなかにそういるものではない。前に南田の出会った例が、特異だったのだ。

「俺はそれを失ってしまった。――もうこれ以上は失いたくない」


*   *   *   *   *


 三機のゾルダートは味方が戻ってくるのを待つようだったが、龍と雷麒麟が現れたことで、彼らは応戦を余儀なくされた。ただし、応戦するのは新型一機のみ。四脚型ゾルダートともう一機の二脚型ゾルダートは、暖炉の谷中心部へと向かって退却しはじめた。

 龍と雷麒麟が江藤の視界から消える。江藤は新型の手から四脚型の背中のコンテナに移され、そこに敷き詰められていた緩衝材に胸まで埋もれていた。

 戦場で人をさらって帰るつもりがなければ、このような代物を機兵にあつらえる意味などない。啓示軍(オフェンバーレナ)はたしかに自分を捕まえるつもりでこの戦闘を仕掛けたのだと、江藤は実感する。

「めでたく俺を探し当てて、パイロットへの手加減の必要もなくなったとすれば、あの主砲はかなり厄介だぞ」

 江藤は呟く。啓示軍が龍への直撃を避けたのは、おそらくそれに江藤が乗っている可能性を考慮してのことだ。やろうと思えば、戦車並みの破壊力を持つあの主砲で龍など一撃のもとに葬れたはずで、その優位性を自覚しているからこそ、応戦にはあの新型一機だけが残ったのだろう。長野と、もうひとりは誰かわからないが、とにかく部下の命が危ない。

 今できることを江藤は考えた。スマートではないが、ひとつだけ案が浮かぶ。もっとましな他の方法がないかと頭をひねるが、すぐにそれが時間の無駄のように思えてきて、江藤は覚悟を決めた。雷麒麟や龍とは、もうだいぶ距離を離された。危険だろうとなんだろうと、敢行するしかない。

 江藤の入れられたコンテナの蓋(ふた)は、機械的に固定されていなかった。緩衝材に溺れそうな体勢には少々重いが、江藤の膂力(りょりょく)はその不利な条件をカバーした。なんとか蓋を開け、足がかりを見つけてコンテナから這い出す。すると、エントゼルトゾルダートのうなじに相当する部位に取り付くことができた。

 四脚型のパイロットは、江藤が抜け出したことに気がつかなかったらしい。せいぜい緩衝材を詰めるくらいで、改造らしい改造もしていないコンテナでは、蓋の開閉をいちいちセンサーで監視しているはずもなかった。

 あとは、このまま襟元まで這い上がり、コクピット開放スイッチを外から押せばいい。江藤は外廓聯時代に、戦闘不能にしたエントゼルトゾルダートのパイロットを自ら捕虜にしたこともあるので、その手順を心得ている。もう一機のエントゼルトゾルダートに見つかりさえしなければ、機体を奪取できる。

 二脚型の視線が向いていないタイミングを見計らって、江藤はうなじから胸部上面へと上る。頭のカメラの視界に入らないよう、身を屈めるのにもじゅうぶん注意した。仕様変更で位置が変わっていないことを祈りながら、開閉ボタンを探ろうとする。

 そのときだった。四脚型のエントゼルトゾルダートが突然旋回し、江藤は危うく地上十メートル強の高さから落下しかけた。肩関節に足を巻き込まれないように慌ててよじ登ると、さすがに頭部カメラの視界に入ってしまったが、パイロットは江藤に気づくどころではないようだった。一見、僚機の姿が見当たらない。

 どこへ、と見回した江藤の目は、一条の光を捉えた。直後、金属の砕ける重い音が鳴り響き、それで江藤は見失った二脚型を発見する。ただし、目に入れたときにはそれはもう、人型ではなくなっていた。

 敵の敵、つまりは味方か。江藤がその単純な結論を出す間に、四脚型の動きが急に慌(あわただ)しくなった。旋回に次ぐ旋回、加速、そして制動。その機上にへばりつく江藤の頭上で、今度は轟音が弾け、突風が吹く。四脚型がミサイルを発射したのだ。その航跡を追って、江藤は援軍の姿を稜線上に見た。

「あれは……」

 長身の砲を抱えた一機の機兵が、バロッグにより誘導不全のミサイルを全弾ひらりとかわす。江藤は目を瞠(みは)った。そして第六感が視覚に追随して機能し、その機体の発する波動とでもいうべきものを捉える。これまでに感じてきたのとは別の、独特の感覚。バロッグが無秩序なざわめきなら、それは朗々とした歌声に似ていた。


*   *   *   *   *


 三機の敵機兵のうち二機が後退していくのを見ても、南田の闘志は収まらなかった。残ったのは見慣れない仕様のエントゼルトゾルダートだったが、相手がゾルダートタイプである限り、一対一なら互角にやれる。その自信が南田にはあった。

 ――もう、西フェルガナ基地でのように恐怖に囚われはしない。GT72鉱山基地でも、エース相手にうまくやってみせたのだから。

 長野の雷麒麟はあとから追ってきていたが、南田はその手を借りる必要などないと判断した。加速し、ランダムにジグザグ走行の幅を変化させつつ、敵機に接近。ただし、バロッグ濃度に対して大まかに見積もられる有効射程距離までは、火縄は撃たない。無駄を撃つだけの弾の余裕はなかった。それは籠城(ろうじょう)中の敵も事情は同じはず、と南田は考えたのだが、しかし、敵機は撃ってきた。龍の火器管制が算定した有効射程距離にはまだ達していない。 

 南田の回避はぎりぎり間に合った。外れた、のではない。なんとかかわした、のだ。それも直撃を避けたというだけで、被弾自体は免れなかった。機体にかかった衝撃でそれは知れたのだが、南田に損傷箇所の確認をする時間などない。まだ機体が動いてくれると信じて、操作する。

 龍は背部ロケット噴射により転倒を避け、態勢を立て直して着地、そしてそのまま左へ跳躍。空中で反撃の百五ミリ砲弾を放つが、弾道は重力とも風とも違うものの影響を受け、目標からそれる。

 一方、ゾルダートの攻撃は変則領域の影響をまったく受けなかった。龍は着地から再び跳躍へと移ろうとした静止点で被弾。左脚を撃ち抜かれたと、南田は機体の急激な傾斜から瞬時に悟った。自動姿勢制御が作動し、ロケット噴射と肢体移動でバランスを保とうとするが、ほとんど崩れていた体勢は即座に回復できない。南田は敵に絶好の狙撃のチャンスを与えたことを自覚する。

「負ける」

 それは思わず口から出た言葉だった。南田は自らの発言を耳にし、そして気づいた。

 次の直撃がただ南田の敗北を決めるのみならず、命をも奪うものである事実に。

 そのことを認識していなかった自分に。

 恐怖を克服したのではなく、むしろ恐怖に冒されて感覚と思考が麻痺していたことに。

 ゾルダートは位置を変えつつ、再び砲身を南田のほうに向ける。自動姿勢制御を切れば一撃は回避できるか、と思いついたものの、それを実行するべき指が動かない。

「よけろ」

 突然聞こえたその声が、南田のこわばった指を動かした。自動姿勢制御オフ。糸の切れた操り人形のように、龍は地面に崩れ落ちる。そして下半身が完全に地につき、上体が仰向けに倒れこむ直前に、飛んできた弾が龍の右肩を抉(えぐ)っていった。

 南田の見つめる正面モニターは大きく揺れ動き、最後に画面いっぱいに空を映した。途中、画面に煙幕と機兵の姿が見えたが、それは標準型の龍だった。

 ――声の主は長野ではなく、昨日はぐれた久留だったのか。無事でよかった。

 南田はそんなことを考えながら、衝撃緩和用に自動展開したエアバッグに圧迫されて気を失った。


*   *   *   *   *


 南田の龍が先走った挙句(あげく)に撃破されるかに見えたそのとき、横から現れた龍がそれを救った。長野がそのすばやい牽制攻撃と煙幕展開に感心していると、現れた龍は雷麒麟に向けて合図まで送ってきた。左から回り込め、と。

「連携しろっていうのか」

 長野は躊躇した。李峰國たちがあそこを逃れて追って来られたとは思えない。ならばこの龍は元老院派のものではないのか。元老院派なら、手を貸してやる義理はない。敵が退くならわざわざ追撃などせず、見送ればいいのだ。

 馬鹿らしくなって緩めようとした加速は、しかし長野の意に反して、維持された。すぐに長野は異常に気づく。背部ロケットの推力は確かに絞られているが、大腿部の推進装置エアインパルサーモジュールが出力を増し、推力低下を補っていた。

 それはスペックを超える出力だった。エアインパルサーは新開発の装置であったため、モニタリング装置がコクピット内に据えられており、推力が異常値を出しているのは一目瞭然である。そして、他の危険チェック用の数値がすべて正常の範囲にあることも知れる。

 長野は訝(いぶか)る。黒龍隊に整備をさせた直後に調子が良かったのは確かだが、万全の調整を受けていたテスト中の性能を超えてはいなかった。それが今、どうして。

 敵機に接近してしまったため、長野はやむをえず龍の指示通りに左側から回りこむ。敵機が変則領域内での狙撃に長けているのは見て取っていたので、ランダム回避は慎重に、そして動きの止まることのないよう注意する。そしてそのなかで長野は、やはり敏捷(びんしょう)性が増していると実感する。

 短い警告音が鳴り響く。驚きと興奮を抑えきれない長野は、敵機からの攻撃への反応が遅れた。軌道を予測し、雷麒麟の未来位置を狙った攻撃だった。汗が噴き出るのを感じながら長野は雷麒麟に急旋回を試みさせる。――間に合った。

 急に、長野は目の前の敵を倒したくなった。敵機は長野を仕留めた気でいたのか、龍のほうに砲を向けているため、次の攻撃まで間がある。撃破するなら今。雷麒麟の性能を開花させる機会は今。長野は雷麒麟を吶喊(とっかん)させる。

 長野の予想よりゾルダートのパイロットは勘が良く、回避に徹する龍の相手をやめて、右腕の砲を雷麒麟に向ける様子を見せた。その時点でかなり距離は詰めていたが、火器管制システムは火縄の有効射程圏外と表示を出していた。しかし長野は構わず発砲する。先手必勝という単純な考えに至ったからではない。雷麒麟と敵機との間のバロッグが極端に薄くなっていることに、長野は直前に気づいたからだ。

 ひとつの爆発が起こった。雷麒麟の火縄から放たれた砲弾が、砲身となっているゾルダートの右腕を一直線に貫いたのだ。ゾルダートはよろめき、そこへ長野はそのまま突っ込んで、二発目を撃つ。当たったが、浅い。態勢を立て直される前に三発目を叩き込もうとした長野は、突然視界を煙に遮られて気勢をそがれた。亜連の機兵用煙幕。火縄のオートロックオンが撹乱される。

「四時方向に退避」

 味方機、龍からの通信。長野は無視し、手動照準で今しがたまで見えていた敵機を狙う。火縄を二発発射。

「新手が接近している。危険だ」

「龍は下がればいい。こっちは、この雷麒麟は戦える」

 言うと、長野は通信回線を遮断した。軍規違反だが、どうでもいいと思った。

 ――俺は、特別規定第一〇号を名目に戦場で囮にされたんだぞ。

 雷麒麟計画が事実上凍結され、再訓練ののち実戦配備のパイロットとなった長野は、ほどなく始まったダーダネルス作戦のさなか、異常なバロッグ拡大により所属部隊とはぐれてしまった。そして合流した友軍部隊の指揮下に入ったのだが、数日後、啓示軍(オフェンバーレナ)との予期せぬ遭遇に動揺した指揮官が、龍を囮にして撤退を図った。結果、長野は仲間を撃破され、指揮官の一隊も啓示軍の攻撃から逃れられなかった。ひたすら虚しかった。戦闘後、長野は独り隊列を離れ、機兵を自力で整備できる場所を求めて、地図を頼りにGT72鉱山基地に向かった。そして江藤やヴォルフとの邂逅を経て、今ここにいる。わかったことは、軍規などクソ食らえということだ。

 今のこの雷麒麟なら、ゾルダートタイプなど敵ではない。まずは煙幕の向こうにいる武器を失った機体を破壊し、そして増援も叩く。長野はそう決めて、煙幕を突き抜けた。

 その長野を出迎えたのは、小型ミサイルの雨だった。バロッグ内での精密な誘導は設計段階で期待されていないのだろう、それらは雷麒麟の近くまで飛来すると、次々に自爆する。そのうち一発が、雷麒麟の胴体間近で爆発した。

 衝撃に圧迫され、そして長野は四肢の数箇所に鋭い痛みを覚えた。コクピットの内装の一部が剥離(はくり)して、その鋭利な部分が身を刻んだのだ。手足の力が抜け、適切な入力を失った雷麒麟はよろめき、自動姿勢制御にしたがって地に膝をつく。

 雷麒麟が無防備な姿を晒したにもかかわらず、とどめの攻撃は無かった。裂傷の痛みに朦朧(もうろう)とする視野のなかで、長野は敵機の背中が小さくなっていくのを見送る。数は四。やりあっていた見慣れない機体のほかに、もう一機、規格外らしい黒褐色の機体が交じっていた。

 敵が去り、牽制をしてくれていたらしい龍が、雷麒麟のところへやって来た。通信回線を遮断したことを思い出し、スイッチを切り替えようとして、長野は動かした腕の痛みに喘(あえ)ぐ。

「くそっ。この傷じゃ……」

 出血はそうひどくはない。応急処置さえできれば命の心配はない。それでも、長野は悔しさで涙が出た。この手足では、雷麒麟を使えない。

「くそっ、くそっ、くそっ」

 頬を伝った涙が、声を吐き出す勢いでサブモニター上に落ちる。一適、二滴、三滴。こちらを気遣う龍を正視したくなかったので、長野は俯き、涙滴がモニター表示の文字を歪めるのを見つめていた。すると、いつから出ていたのだろう、雷麒麟のモニター上に見たことのない表示があることに気がついた。アルファベットで、A、そしてH。

「――AHシステム?」

 痛みを忘れ、しばし長野はその文字に見入った。



- 8 -


 エアバッグが中のガスを排出し、しぼんでいく。やがて平らになって画面にへばりついたそれを払いのけ、南田はメインディスプレイを確認した。気絶していたのは、数分らしい。

 続けて、各種センサーをチェック。相対バルムンク反応を複数検知。パターン照合により、龍と雷麒麟の二種類の反応しかないことがわかる。戦闘はあれから短時間で終わったようだった。

 右腕と左脚を失った龍に、ゆっくりと上体を起こさせる。見回すと、擱座(かくざ)した雷麒麟、その傍の龍、そして別方向から走ってくる二機の龍――防人型と通常型が一機ずつ――が目に入った。近くにいるのはそれだけだった。

「大丈夫か。負傷レベルは?」

 どの機からか、南田を案じる言葉が軍用英語で投げかけられた。龍を動かしたから、まだ生きていることは外からもわかっているのだろう。

「レベルE。問題ない。――その声、鷹山か」

 途中で日本語に変え、南田は防人型を見た。

「竜時なのか?」

「ああ、そうだ。するとそっちの通常型は久留?」

「あ、ああ。無事だったんだな、曹長」

「それはお互い様だな。――坂元は、撃破されたのか」

 途中で見た、倒れた防人型を思い出す。

「あいつはレベルDか、E程度の負傷。やばいのは……」

 そこで鷹山は言い淀み、通信の周波数を切り替えた。黒龍隊が隊内部の連絡用に使う周波数だ。

「――やばいのは、近くで見つかった周富窪のほうだ。レベルC、もしかしたらBかもしれない。腹に砲弾の破片を喰らってる」

「富窪が……。あいつ、少佐を狙ったって」

 偵察に出た長野の話では、そういうことになっていた。企みは長野らの妨害で未遂に終わったが、その事件のおかげで江藤と接触できなくなってしまったのだと南田は聞かされている。

「俺にはよくわからない。あいつが少佐を狙ったのか、少佐を守ろうとしたのかは。――だけど、その論議はあとだ。今は、少佐を追わないと」

「少佐を追う? 少佐が、どこかに行ったのか」

「ゾルダートの新型に捕まって、連れて行かれたらしい」

「そんな。どうして啓示軍(オフェンバーレナ)が少佐を」

「事情はわからない。俺と久留は北のほうで戦っていたから、現場にいなかった。見たのは坂元と、富窪だけだ。竜時はそれと交戦したんじゃないのか」

 まさかあそこに江藤がいたとは、南田は想像だにしなかった。しかし思い返せば、あのとき敵のうち二機が後退していったのは、江藤を確実に連れ去るためではなかっただろうか。だとすれば、今から追いつくのは難しい。距離を離されすぎている。

「もう、無理だ。新型は、バロッグの中でも視認距離なら主砲を使える。あの龍が助けに来なかったら、俺は死んでいたんだぜ」

 今更ながら、手が震える。

「あの龍、どこの部隊のものだ? 青いヤツは、雷麒麟だな。敵に回ったって久留から聞いたが……」

「雷麒麟は仲間だ。一応な」

 視線を転じると、雷麒麟の手前に龍の背中があった。龍は雷麒麟の背に手を回して降着している。長野が無事かどうか、パイロットは直接コクピットを開けて確かめる考えのようだった。

「――あの龍、元老院派か」

 南田は「よけろ」と叫んだその声は、ノイズが混ざっていて、知人であっても判別できなかった。実際、あのときは久留の龍だと勘違いしていた。しかし、あれが元老院派だとしても、見知らぬ機体のパイロットを気遣うことに不思議はない。殺す者は殺し、生かす者は生かす。そう彼らの考えを教えてくれたのは、長野だった。

「いや、元老院派じゃないな」

 南田が納得しかけた答えを、久留が否定する。

「元老院派の機兵部隊は俺たちより北で戦っていた。こっちには来ていないはずだ」

「この際、それはどうでもいい。どこの部隊でも、協力を求めるしかないだろう。二機じゃ追撃は厳しいんだよな、竜時」

「多分。――俺は戦闘中に気絶したから、どう終わったのか知らない。でも雷麒麟があのザマだってことは、そういうことだと思う」

 南田はそこで回線を切り替え、雷麒麟に向かって呼びかけてみるが、先方はすべての通信を遮断しているか、そのための機器を破壊されているようだった。

「雷麒麟は戦力にならないな」

 再び黒龍隊専用周波数に合わせ、南田は二人に伝える。

「どうする、鷹山。"壁"まで追っていけば、例の虫みたいな乗俑機も出てくるぞ」

「だけど、少佐を放っておくっていうのか」

「攫(さら)っていったからには、目的があるんだろう。なら、救出の機会はある。古菅大佐に掛け合って、元老院派の攻撃に同調してもらえば……」

 鷹山と久留が議論するのを聞きながら、南田は途方に暮れた。本隊は元老院派に捕まり、救出のため江藤を探しにここまで来れば、その江藤が啓示軍に連れて行かれてしまった。南田の乗機は中破し、雷麒麟もすぐには動けない。何もかもが悪化していく。

「――三人とも、状況確認不足だぞ」

 不意に割り込んできたその通信に、南田は目を見開いた。鷹山と久留も沈黙する。

 その声は、黒龍隊専用周波数に乗って届いていた。つまり、秘匿(ひとく)したつもりの会話はすべて聞かれていたのだ。しかし三人揃って言葉を失ったのは、そのためだけではない。少なくとも南田は、いや南田がいちばん、その声自体に驚いていた。

藤居さん」

 声が震える。藤居は西フェルガナ基地で死んだのだと、南田はそう思っていたのだ。

「どうして……」

「西南西、相対バルムンク反応レベルC」

「あ、はい」

 条件反射的に、南田は藤居の言葉に従ってセンサーを確認。言うとおりの反応が検知されていた。機兵だ。パターン検出結果は、データバンクに登録済みだったが、機種名は表示されない。それは南田のパーソナルディスクが戦場で新たに記憶したパターンだった。

「――影龍、なのか」

 藤居の龍と雷麒麟のさらに先、うっすらと白い霧の立ちこめた中に、それは佇(たたず)んでいた。


*   *   *   *   *


 影龍と呼ばれる機兵と実際に見えるのは、藤居にとってそれが初めてだった。

 ときに亜連に牙を剥(む)き、ときに啓示軍(オフェンバーレナ)を狙う謎の機兵。応龍隊という、外廓聯に似た素性の部隊が叛乱を起こしたのだと噂されるが、真相はわからない。ただ、対処は戦略軍から教わっていた。遭遇すれば撃破せよ、と。

 だが、いったん構えた火縄を、藤居は下げた。

「富窪の言ったとおり、おまえにはわかるのか」

 藤居の膝の上で、灰色の小さな獣が尻尾を振って鳴いている。影龍に向かって。いや、そこにいるパイロット以外の人物に向かってだろう。

「鷹山、久留。影龍への攻撃を禁じる」

「どうしてです。影龍、そして応龍隊は敵性であると戦略軍が……」

「俺は禁止と言ったぞ」

 強く、藤居は繰り返す。

「そうだ。攻撃は禁じる」

 不意に、回線に五人目が割り込んだ。それを聞いたゴン太が、ひときわ大きく吠える。

「部下に撃ち殺されてはたまらんからな」

 こちらへ歩いてくる影龍の手の上に、声の主らしい人影がある。通信に割り込んだのは影龍のパイロットではない。声とそのシルエットから、もはや間違う余地などなかった。

 江藤博照は、影龍に助けられて戻ってきた。

 影龍は堂々と藤居の龍に歩み寄り、江藤を乗せた手を差し出す。藤居はコクピットを開放し、身を乗り出した。

「ご無事で何よりです。江藤少佐」

「おまえも無事で何よりだ。藤居。――すまん。苦労させたようだ」

 江藤は藤居の巻いている包帯に気づき、詫(わ)びを付け加える。

「いえ、少佐のほうこそ。少しやつれましたか」

「だといいが。――ゴン太、よく来た」

 呼ばれたゴン太が龍側の足場からジャンプし、影龍の手に飛び移った。江藤はそれを抱き上げると、顔を舐(な)めにかかるゴン太の鼻先を押さえつつ、ヘルメット内蔵の通信機を操作する。

「こちら黒龍隊隊長、江藤博照。我々は本日、暖炉の谷奪還作戦を決行する。作戦名は"狼とともに"」

 英語を使用し、共用周波数での発信。それは、昨夜から未明にかけて無線で飛ばしていたのと同じメッセージだった。江藤はそれを二度繰り返し、スイッチを切った。そして影龍の頭をふりかえる。

「よろしく頼むぜ、影龍。ヴォルフさんよ」

 影龍の顔が頷く。いや、それはそう見えただけのことで、実際には胸部装甲がせり上がり、腹部のコクピットハッチが露になる過程の一部に過ぎなかった。それからゆっくりとハッチが開き、中から黄金(こがね)色の総髪をたくわえた青年が現れる。

「姿を現すのは、謝罪として受け取って欲しい。私はあなたを一度、殴っている」

 頭は下げず、青年はひたすらまっすぐに江藤を見つめてそう言った。

「そのあと機兵で追いかけたのはこちらだ。お互い、過ぎたことは言うまい。――さきほど話した件、了解してもらえるか」

「ああ。今のことで、あなたとその部下についてのことは理解したつもりだ。協力するに足る人間だと」

 青年、ヴォルフが雷麒麟や後方の龍、そして藤居のほうにも視線を向けた。

 なるほど、と藤居は合点が行った。黒龍隊専用周波数のものを含め、通信はすべて立ち聞きされていたというわけだ。藤居が小さく笑って江藤の後姿を見ると、江藤がちょうど藤居のほうをふりかえり、目が合った。ウインクを寄越して、江藤は正面、ヴォルフのほうに向き直る。

「俺は誓おう。ヴォルフとともに"壁"を打ち破ると」

 江藤の宣誓が、大地に、空に響き渡る。ヴォルフもまた、朗々たる声でそれに答えた。

「こちらも誓おう。その小さき狼(ヴォルフ)とともに立つことを」

 ゴン太が吠える。黒龍隊と応龍隊の共同戦線が、ここに成立した。



――続く――